2024/07/14 - 2024/07/14
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hijunoさん
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枚方を歩くの続きです。
枚方宿から、百済王神社、百済寺跡、伝王仁の墓へ向かいます。
電車とバスを乗り継いでいきましたが、バスの便数があまりありませんでした。
百済寺跡は広大な敷地に礎石なども残り、以前はとても大きなお寺があったことが偲ばれます。
伝王仁のお墓は、日本に漢字を伝えたといわれる百済の王仁のお墓と伝わるところです。
韓国から運ばれてきたという木材で建てられた百済門がなんとも異国情緒あふれていました。
今は、日韓の交流の場にもなっているようです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 自家用車 徒歩
-
電車を降りて、しばらく歩きました。
百済王神社へ到着。 -
石段があったので、ここから上がります。
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鳥居がありました。
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由緒がありました。
祭神は百済国王と牛頭天王。
660年に滅亡した百済国王の末裔の百済王氏の祖霊を祀る神社です。 -
拝殿。
本殿は春日大社の本殿の社殿を移したものだそうで、1827年に移されています。 -
こちらは旧拝殿。
1836年に造られたもの。
新しく拝殿がつくられ、こちらへ移りました。 -
拝殿。
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境内、末社もありました。
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小さなお社でした。
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山車も立派なものがあるのですね~
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詳細な歴史の説明板もありました。
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そのお隣に、百済寺跡があります。
8世紀に建立されたといわれる百済寺。
百済の滅亡のあと、日本に亡命した百済王の末裔 百済王敬福が氏寺として建立したといわれています。
全国初の史跡公園といわれています。 -
イチオシ
礎石も基壇も整備されています。
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東西の塔や講堂、金堂もあって、七堂伽藍の大きな寺院でした。
何度か、火災により焼失し、現在は建物が残っていません。 -
こちらは金堂の跡。
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発掘の様子も詳しく説明されていました。
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こちらは東塔。
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発掘された瓦の種類もほかのものと違っているようです。
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発掘では5基の礎石が見つかったようですが、こちらは復元されたもの?
本来はあったはずの礎石、、、どこにいったのだろう~
持ち去られた?火災などで焼失? -
西塔。
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こちらは東塔よりも大きかったようで、10個の礎石が見つかったようです。
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中門跡もあります。
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南門、中門、金堂と直線的な並び。
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南門のあと。
やはり、ここでも、礎石は抜き取られていたようです。
時々見かけますが、後世に礎石をほかのものに利用したのでしょうか。。 -
イチオシ
とても立派なお寺が建っていたことが想像できます。
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調整中の場所もありました。
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このあたりは僧院地区と呼ばれています。
食堂や講堂があったところ。
そのほかにも建物があった可能性があると、ありました。 -
説明板。
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講堂の跡。
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西北院地区。
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このあたりには、寺院の中での最大の建物があったようで、寺を管理する場所であったようです。
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発掘で、いろんなことが明らかになるんですね~つくづく。
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一面、遺跡です。
ウォーキングをしている人もいました。
一周、どのくらいだろう~ -
食堂のあったところ。
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金堂や講堂に比べて規模は小さいそうです。
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北門もあったようです。
いまは、草むらのようになっていました。 -
工事調整をしているところへ行ってみます。
この辺りにあった看板、枚方八景の一つだそうです。
松の景色が美しい。 -
松の風景。
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こちら側から入るのが正式かも。。
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雰囲気のある、美しい塀ができていました。
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工事中です。
さらに使いやい史跡公園になるんでしょうね~ -
ここには、よくわかる説明板がありました。
お寺の配置もこのとおり。
朝鮮半島の影響を受けた造りだったようです。 -
イチオシ
東塔をイメージできるパネルがありました。
こんな塔が建っていたのですね~ -
建物から外れ、見つけた礎石、古い礎石のようですが。。
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今はもう、全く建物は残っていません。
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外に出ると、看板もありました。
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別なところには、神社の赤い鳥居。
こちらからが神社の参道になるのかな。 -
神社の大きな看板と新しくできた百済寺跡の塀。
この近くのバス停から、バスに乗って、最後の目的地、伝王仁の墓へ向かいます。 -
バスに乗って、最寄の停留所で降りますが、結構歩きました。
雨が降ったりやんだりの日で、傘を出したりしまったり、、忙しい。。^^;
まだかなぁ~と思い歩いていると、標識が見えてきました。 -
入口に説明板も出ています。
ここは駐車場も見当たりませんでした。 -
イチオシ
入口。
立派な門が見えます。
王仁は5世紀の初め、応神天皇の時代に、辰孫王とともに、朝鮮半島の百済より渡来、「論語」と「千字文」(漢字)をもたらしたといわれる人物です。
応神天皇の皇子にも学問を教えたといわれています。 -
大きな門、百済門についての説明。
韓国語と日本語。
2006年に竣工したようです。
木材や瓦など、材料は百済があった韓国の全羅南道から運ばれてきたと説明にあります。 -
イチオシ
風格のある門です。
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イチオシ
ここだけ見ていると、韓国に来たような気持ちに~
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門の建立に尽力した人々などが記載されていました。
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王仁が伝えたといわれる漢字「千字文」
調べましたら、中国の南朝 梁の時代の武帝が周興嗣に命じて作らせた漢文の長詩、
書家の王羲之の字を模写して、書道の手本としたといわれています。
天文や地理、歴史など多様な事柄についての4字1句の250個の短い句から成り立ち、千文字がすべて異なる漢字の長詩、全てが異なる漢字を用いているそうです。
漢字の教科書みたいですね~ -
門をくぐると、王仁のお墓とされている場所です。
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整備されたお墓でした。
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博士王仁之墓とあります。
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説明板があります。
以前からこのあたりに
「オニ」と呼ばれ、霊験あらたかな、人々の信仰を集めていた塚があり、
後に、江戸時代の儒学者が、「オニ」は、「ワニ」から来たものと考え、その後、王仁の墓となったとあります。
墓石のところにあった、丸い石がむかし、人々が信仰していた「オニの石」だったのでしょうか~ -
韓国の国花、ムクゲが植えられています。
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百済門、内側からみたところ。
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イチオシ
お隣には休憩所。
こちらも韓国風。 -
王仁に関しての写真がずらり。
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写真もいっぱい。
韓国の雰囲気、王仁を敬い、誇りに思う人々の様子が写真からわかりました。 -
ここにも、千字文。
詩文になっているそうですが、、、 -
モニュメントも。
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こちらにも。
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美しい門が印象的でした。
帰りはバスの便がなく、乗り継いで、途中から仕事の終わった夫が迎えに来てくれました。
雨が時々激しく降る、お天気の悪い一日でした。
土地に不慣れでしたが、バスの運転手さんが親切にいろいろと教えてくださり、感謝でした。
最後までお付き合いいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/07/28 11:12:19
- 百済寺跡♪
- hijunoさん、こんにちは~
百済寺跡、イメージパネルがあるのは嬉しいですねー
礎石だけだと、何となくは想像はできそうですが、イメージパネルがあると、より鮮明に想像できます!
それにしても、礎石は持ち帰ったのでしょうかね(笑)?
何に使うんだろう。。。
百済門、まさに韓国!!!
とても美しい門ですね♪
色や装飾など、韓国の雰囲気がでています。
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/07/29 06:05:54
- 模型があると良かったです^^
- sucekoさん
おはようございます。
お便りをありがとうございます。
百済寺跡、、そうなんです、広くて大きなお寺というのはわかるのですが
基壇や礎石だけだと、ちょっとわかりにくいですよね。
お寺の模型みたいなものがあると、もっとわかりやすいかもしれませんね〜
礎石はよくお寺などの庭に使われていたりいるのを目撃しました。
昔は、そんな遺跡の一部なんていう感覚よりも、利用できるものを利用したという
感じかもしれませんね〜。合理的と言えば、合理的。
伝王仁のお墓の百済門、思わず韓国に来たかのような錯覚に。
色合いがとても美しかったです。
地元でも、王仁は敬愛される人物のようで、この場所もとても大切に造られたように感じました。
今日も厳しい暑さ、体調を崩されませんように!
hijuno
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