2024/05/23 - 2024/05/24
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montarouさん
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成都を起点に2024/5/12から6/7まで、四川省の三星堆博物館、チベット東南部の四姑娘山・貢嘎山・央迈勇の三山塊を見に向かった。
23日に八美から新都橋に着き、康定青稞庄园の主人に車の紹介をして頂き、翌24日は通行困難な道を突破し、ミニヤコンカ山塊の西面を見てから玉龍西村の宿に入った。
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月23日の午前中に、八美からバスで新都橋に入り、318号線の新都橋の北端の大きな寺院の見える所で降ろしてもらった。
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幸い、予約してあった宿まで歩いて5分だった。荷物を置き、先ず町に出て、昼食、次いでミニヤコンカが見える峠越えの経路で玉龍西村に行く車を探さなければならない。町に出たが、この町は裕福なのか、建物の壁は非常に綺麗だった。
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写真の川に面した町の上流の店で昼食。マンネリの辛さを抑えた牛肉面を注文。
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この川の下流の橋詰に、乗合タクシーがいると言うので、そこに行った。運転手に聞いてみると値段が高すぎる。異例の経路だし、外国人とみると吹っ掛けてくるのだ。だから地元民を経て、間接的にタクシーを依頼すべきと思い、宿の主人に頼む尋ことに決めて、橋のさらに下流の探索に向かった。そこで市場を見つけた。過激な展示の肉屋だ。
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ここの市場でも、寒帯から熱帯まで多種で豊富な果物を売っていた。それが中国の常識で、価格も安い。日本は戦後の農業規制の継続から、一戸当たり狭く斜面の多い果実畑、収益を得る高価格品の生産と外国品の輸入制限、高価な安全農薬や大型農機を使うので、果実が安くなる夢など無い!
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市場からの帰り道、遠方に雪山が見えた。天気が良いと新都橋かもミニャコンコが見えると言うが、それがこの写真か否かは不明だ。
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宿の女性主人に玉龍西村に行く車について尋ねるが、意思が通じない。中国漢字に翻訳しても、中国音声にしても通じない。逆に彼女の言葉をスマホに入れても翻訳しない。この女性主人は五十才ほどかと思うが、この地方の言葉だけで生きてきたのだろう。中国は大人のチベット人に中国語を(多分漢民族文化も?)強要しなかったのだろうが、学校の子供には厳しく教育している。これがチベット政策なのだろう。
すると彼女は自分の携帯を持って戻って来て、その電話に出ろという。その電話からは流暢な日本語が聞こえてきた。日本女性と思ったが現地の人で、彼女の夫は日本人で、車で迎えに来るという。彼女らは、有名なBlack Highland Barley Farm(康定青稞庄园)の若主人で、そのレストランも、ホテル、庭も、周辺の風景もすべて素晴らしかった。 -
ここで玉龍西村に行くタクシーを紹介して頂き、食事と美味しいチベット独特の美味しい蒸留酒もご馳走になり、さらに帰りも送っていただいた。このご厚意に、この紙面をお借りし、深くお礼を申し上げます。
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24日は朝の6半時に出発。運転手は、なぜか途中で、写真の家に住む友人を車に乗せた。
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車が甲根壩郷(甲根??)でS215を直進しようとしたので、左に曲がって!と注文した。私は左に曲がって峠を越える近道の通行妨害を、地元の集落民がしているとの情報を掴んでいたが、そのようなバカな事が続く訳がないと思っていた。運転手は左に曲がったが、数百m走ってからUターンし出した。私は“今日は天気が良いが、明日は天気が悪い。コンカ山を見たい”と強く主張した。すると運転手は停まって、どこかに2度ほど電話してから、左の道を上がって行った。
そして亜弄村で車を停め、ここで10時まで待てと言う。意味不明だが、部落検問所の人間が代わる時間かな? -
日本の山村の家と対照的に、この辺りの家はすごく立派で、まさに豪邸だ。日本の木造の家の耐久年数は数十年から二百年程度だが、石造りだから長く使えるだろう。それが豊かさの理由かも?
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本当に豊かで、平和で、美しい所だ。
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4人乗った車が登っていったが、しばらくして戻ってきた。追い返されたようだ。国か自治体が建設した公共の道路の交通を、部落民が勝手に阻止するなど信じられない。バイクと地元民は通れるが、四輪車で来る観光客は通れないと言う。
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運転手の友人がトランクの中に隠れた、私の服装はこの辺りの住民以下だし、顔も四姑娘山の日焼けで、辺りの住民より色黒だ。後ろの座席で深く腰掛け、眠ったふり。これで亜弄村から各若仲に入る。
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運転手はゲートから遠くで車を停め、様子を伺って、タイミングを計っているようだ。半時間ほど待っていたので、友人がトランクの中が湯だっていないか心配。ついに出発、ゲート管理者に車内は見られず、運転手の短い会話でゲートを通過した。成功だ! このような経験は初めてで、やっと安心した。ゲートから未舗装道路になった。ここの標高は約3800mで、これから標高4600mの峠まで登って行く。
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谷の出口からの砂土の奇妙な堆積地。氷河な末端なら岩のモレーンが普通で、長さも短いが、この堆積は1㎞ほどで長い。水流が運んだなら、山の斜面と堆積地の間が低いことは不合理だ。草木が生えていない理由も不明だ。非常に奇妙だ。
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前の写真の砂土は白っぽいが、その上流の砂土は黄土色の砂土モレーンかな?
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さらに上流で道路が薄い氷河の末端を横断した。この氷河には岩と泥が混じっていた。
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もう少しで峠、大分登って来た。最近降った残雪が増えてきた。
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道は広くて安全。標高4500mを越えた。もうすぐ標高7556mのコンカ山が見えるだろう。
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峠に着いた。完全な快晴で、幸運だ。素晴らしいコンカ山塊のパノラマ! 一番右側がミニャコンカ7556m。
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ミニャコンカの標高が7556mだが、ピラミッドのような山容で、エベレストより登頂が困難なようで、登頂成功者は僅か二十人余り、遭難死亡者は十数人に達していると言う。これは山が険しいこと、天気の良い冬季は低温で登頂困難、温暖期の雨期は長く天候が悪いことが理由のようだ。それで山を見るため、この旅行を天気が期待できる5月末に決めた。それでも以後は曇天だった。
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写真の左の男性は運転手の友人、彼は歌の名人で、コンカ神山を讃える歌を歌い始めた。この峠には数人の観光客がいて、それを聞きながら踊っていた。私は中国語が分からないが、何となく嬉しくなった。さらに完璧な快晴の下、この神々しいコンカ山を見てることが嬉しかった。
ミニャコンカは神山である。後日に或る人に聞いたが、“神山を観光化したくない“との理由で通行拒否をしていると言う。ただ或る人は”部落のボスが勝手に命令しているだけ“とも言う。ところで、公道の通行妨害に行政や警察が介入しない理由は何か、チベットの平穏を守るためかな?。観光客は我々と逆の谷から来て、来た道を降りて帰っていった。 -
先に写真の後ろの雪山を回り込んで、反対側に回ってみた。そこには多数のバイクが停まっていた。バイクはこの道を自由に通れるとの由。コンカ山塊の西側には公共交通は無いので、レンタ・バイクで回るのが良いだろう。バイクの連中は、この上の山頂に登って行ったようだ。
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何とも、素晴らしい山だ。雪も多い。北西面も南西面も雪崩の危険があるし、西尾根は難関だろう。
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ミニャコンカの南に6千mを越える山はないようだ。 手前の暗い所は谷で、その東に緩やかな5千m戦後の細長い尾根があり、さらにその東に谷があり、その先にミニャコンカ山群がある。ミニャコンカ西面を見るためには、この尾根か、谷向うの尾根に登る必要がある。
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これは登って来た谷道。直ぐ下のコロガリ雪は、数日前にかなりの降雪があったことを示す。
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峠にお別れ、下り始めた。これはコンカ山群の北の標高6千m前後の山並み。
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少し北に下った角度から見るとミニャコンカは更に鋭くなったようだ。
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下ったので南の山群は見えなくなり、谷合の放牧地が見えてきた。
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標高4100mほどにある放牧地のヤク。
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全面紫色の斜面だが色写りが悪くて、灰青色に見えるが、実際は濃い紫色の花の咲いた低木の全面群落だ。
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4000mほどの所に集落が現れ、そこにもゲートがあった。ここでは隠れずに通過したが。帰りは車と別れて、歩いて迂回した。
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途中で見た大きな鳥、二羽のつがいだった。自然が豊かだね。
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宿に着いた。ここで4泊の予定。宿の主人も交え、皆で峠越えの事件の話をする。ジョッキはお茶で、沸かした湯を出すことが礼儀と聞く。
Previous: https://4travel.jp/travelogue/11916791
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