2024/07/17 - 2024/07/17
14位(同エリア2795件中)
トットさん
超簡単と始めてた二葉の里歴史の散歩道、何と終わりが見えません。よくよく考えてみたら、江戸時代ではあるまいに人力ばかりに頼っていました。そこで今回は事前計画を綿密に練りました。まず最寄りのバス停からバスセンターに行き、アストラムライン不動院駅下車→不動院→徒歩→日通寺→徒歩→水道資料館→アストラムライン牛田駅→新白島駅下車→徒歩→碇神社→徒歩→矢剣神社→徒歩→饒津神社→徒歩→明星院→徒歩→鶴羽神社。これにて制覇したと帰りましたが、頭が冷えてきたら、アレ金光稲荷神社と七福神の福禄寿が漏れていたことが判明しました。しかしながら金光稲荷神社は莫大な石段(500)
があります、この時期は駄目でしょう。秋になって未だ元気だったら行きます。と言う訳でこれにて終了。しかし今編は長過ぎました。((*_ _))ペコリ
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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アストラムライン県庁前駅に来ました。
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車内、白島町から地上に出て高架になります。
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約10分で不動院前駅に着きました。
不動院前駅 駅
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地上に下りてすぐに到着しました。立派な楼門、国指定重要文化財です。
不動院 寺・神社・教会
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木造仁王立像阿形、広島県指定重要文化財です。
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木造仁王立像吽形、広島県指定重要文化財です。
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ほぼ半世紀前、長男がよちよち歩きの頃、写真の巾木を何とか跨ぎましたが、なんと両足が地面から浮いたままニッチモサッチモゆかなくなって半べそをかきました。
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ドーン!広島市唯一の国宝・金堂です、重厚感満杯、迫力満点です。1540年頃の建立と伝わっています。原爆にあいましたがここは爆心地から約3.90kmに位置し爆風により金堂の屋根の一部が吹き飛び、本堂の柱の1本が中央から折れたものの、倒壊は免れました。
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薬師如来坐像、平安時代後期作で国指定重要文化財です。
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二階建てのように見えますが違います。
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不動堂、熱心にお祈りをされている人がいらっしゃいました。
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1995年(平成7年)第46回全国植樹祭で天皇皇后両陛下がお手植えされています。
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鐘楼、国指定重要文化財です。1433年建立。
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楼門、重厚感があります。
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まさに鬼瓦。
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凄い木組みです、これまでとし次に進みます。
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日通寺、法華宗寺院です。
日通寺 寺・神社・教会
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途中でお茶を買って飲みながら水道資料館に来ました。
水道資料館 美術館・博物館
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建物内は冷房が効いて気持ちがいい。随分水を使うことにビックリ。
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二階に上がりました。
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悲惨。
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爆風で傾いた、先程2階で知りました。次は一駅だけですがアストラムラインに乗ります。
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約2分後アストラムライン白島駅で下ります。茶色の立派な建物は安田女子校です。
白島駅 (アストラムライン) 駅
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アヘアヘ歩いて漸く碇神社に到着しました。碇神社の由緒は、今から凡そ1,300年前、当時島であった白島に船を着けるために碇を降ろし、航海の安全を願ったことから「碇神社」という名前になったそうです。
碇神社 寺・神社・教会
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如何にも港の灯台の趣です。
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碇石の跡と言われているんですね。
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狛犬を見ると嬉しくなります。
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足元にお祈りをしている小僧さん。
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碇神社の扁額。
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本殿。次の八剣神社は近くです。
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八剣神社に着いてビックリ、堤防の上にポツンとあり境内はありません。
八剣神社 寺・神社・教会
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白島八剣神社は、広島城主福島正則公が、当地の堤防が決壊、流水を防ぐことが出来ず人柱を入れようとしていた時に人柱の代わりとして、名剣八振を箱に納め流水を治めたと伝えられ、その八本の剣を祀って元和3年に創祀、寛政11年に、堤上へ遷座したと伝えられているそうです、納得。
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京橋川
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途中で食事をして、安楽寺に来ました。
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見事な透し彫りです。
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浄土真宗本願寺派のお寺で山号を壽永山。本堂は被爆建物です。
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とにかく彫刻の手が込んでいます。
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大イチョウの枝が山門を突き破っています。前の路地はイチョウ通りと名付けられています。
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被爆樹木の大イチョウ、江戸時代の大火にも、原爆にも耐えており樹齢350年程とされています。
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龍と象でしょうか。
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本堂の中に入るのを忘れました。
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饒津神社です。皆さん読めますか、最後に解答があります。この地は広島城の鬼門の方角で、1706年広島藩主浅野綱長により、浅野長政の位牌堂を建立したのが始まりです。
饒津神社 寺・神社・教会
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「ようきんさったの~」
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「暑いけん体に気いつけんさいよ」
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二の鳥居。饒の字は「じょうぜつ」と打つと出てきます。
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恵比須神(二葉の里 七福神めぐり)
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北清事變忠死者記念之碑。
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向唐門。
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日本で二番目に大きな唐門だそうです。
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本殿、拝殿ともに門に対して斜めになっています。何故でしょうか、正解は広島城の方角を向いているです。
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拝殿。
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淺野長勲公頌徳碑、浅野家27代当主、広島藩最後の殿様です。
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本殿。
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14代当主浅野長政公他3代の藩主を祀っています。
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それで階段も3箇所あるのでしょうか。
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饒津のニャン。
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標柱(しめばしら)。
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少し離れたところに明星院があります、真言宗御室派の寺院です。月光山大日密寺と号する真言宗御室派の名刹です。原爆で全焼し、現在の建物は1974年に再建されました。
月光山 明星院 寺・神社・教会
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明星院は、毛利輝元が母の位牌所として創建、寺領1000石を寄附されその後広島藩の藩内五ケ寺の一つとなった寺院です。
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阿形の仁王様。これこそ筋肉隆々。
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吽形の仁王様。血管がよく出ているので採血で看護師さん楽です。
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毘沙門天(二葉の里 七福神めぐり)
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また山門。扁額には「大日寺密寺」と青色で書かれています。
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こちらは雷神。
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風神。
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漸く本堂、江戸期代ここの敷地の西側に先程行った饒津神社を建立した、とありますからどれだけ広大だったのでしょう。物凄い地主です。
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本尊は千手千眼観世音菩薩。
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原爆の被害から焼失を免れた赤穂浪士の木像が安置されています、右面は大石良雄以下23名の表門隊。
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左側は大石良金以下24名の裏門隊にわけられて祀られています。
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子育て地蔵尊。
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子安観世音菩薩。
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木の中にもお顔が見えます。
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銭洗い不動尊、マネーロンダリングではありません。
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明星院不動堂。
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不動明王。
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不動尊。
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子安観世音菩薩様にバイバイ。
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鶴羽根神社に来ました、饒津、明星院と近くに集まっていて移動楽です。
鶴羽神社 寺・神社・教会
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1869年、浅野長勲が「鶴羽根八幡宮」と改称。さらに、3年後の1872年「鶴羽根神社」と改め現在に至っています。原爆で社殿は全焼しましたが、石鳥居、石ノ太鼓橋手水舎、唐獅子、石燈籠は当時のままのものです。
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かわいい。
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よく頑張った。
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弁財天( 七福神中、紅一点です)
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手水舎。被爆建物です、かろうじて踏ん張っています。
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風鈴の音に癒やされました。
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風で気持ちがいい。
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結婚式場前の庭に色鮮やかな灯籠がありました。
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終了しました、随分歩きましたが交通機関も利用したので楽でした。
*饒津神社は、「にぎつ」とよみます。地元では「にぎつさん」と呼ばれています。
*表紙は不動院金剛力士吽形像の左足です。
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