2024/05/17 - 2024/05/19
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montarouさん
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成都を起点に2024/5/12から6/7まで、四川省の三星堆博物館、チベット東南部の四姑娘山・貢嘎山・央迈勇の三山塊を見に向かった。17日に丹巴から四姑娘山鎮(日隆)に着き、山をみるためにはここで5泊したが、18日は曇天だったので四姑娘山鎮を探索し、19日に海子溝に行ってみた。
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四姑娘山鎮で予約した宿に着いたが、宿の主人がいない。隣の店の人に聞くと、今ガイドで山に入っていると言う。1時間以上過ぎてから、隣の人が来て、フロントデスクから部屋の鍵を探し出し、ここを使てくれと連絡してきたと言う。やっと3階の部屋に入った。この綺麗だったが、1階の半分はと多量の登山靴やテントなど登山用具が放り出してあった。2階はゲストハウスの間取り、3階に普通の宿だった。夕方返ってきた主人は逞しい女性で、遅れたことを詫び、明日の朝食を無料にすると言う。夫は重慶に出稼ぎで、この辺りの宿も客数が不十分なようで、馬引きなどもしているようだ。
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私は四川大地震の翌年の2009年に日隆を訪れたことがあり、そのとき日隆の村長さんの宿に泊まると、明日、小金に住む日本人がここに来ると言う。驚いたことに、彼は年齢も生誕県も私と同じで、彼は出身県の山岳観光の方法をここで指導していると言う。当時私はその県の山で年間百日間ほど遊び、文部省が新設した登山教育施設でアルバイトもしていたので、ヒラリーや槇有恒氏などにも会った。ところが日隆に来る前夜が大雨で、小金からの道が土砂崩れで通れなくなり、会えなかった。その人の名前を忘れていたので、宿の朝食のとき、ガイドもする宿の主人に“チャオチン(小金)の日本人は生きていますか?”と尋ねると、彼(大川健三氏)は今この町の上の方に住んでいると言う。
初日の今日は曇天で山が見えない。主人は双橋溝は曇っても見えると言うが。昔も天気が悪くて双橋溝に行ったので、今日は町の散策と、大川さんの家を訊ねようと思った。
宿を出で坂道を登って行くと、石で壁を飾っていた。本来はすべて石で、大きな石の隙間を薄く平たい堆積岩で形を整え、隙間を埋めていくのだが、ここではコンクリート壁に薄い大面積の石を貼り付け、隙間に薄く平たい石を詰め込んで貼り付けている。外見だけだが、景観維持のためだろう。 -
さらに登って行くと、町は大きく広がり、昔の田舎村の建屋はなくなり、多数ホテルが並んでいた。村の最上部は幾つかのホテル建設中だった。中国は何処に行っても驚きの変化で、砂利道も泥道も無くなった。さらに高見に登って上から町を偵察。
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この石碑の前の店でアイスを買って休憩した。
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奇妙はモニュメント、右上の槍はヒンズー教のシバ神の象徴? その下の旗はチベット仏教のお経を書いた布で、チベットで良く見る宗教の混合。その下はヤク牛の角だから、全体もヤクを表しているのだろう。
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ここから下って、大川氏の家を周囲のホテルで尋ねた。写真のホテル前の細い急坂を降りると、右側に日本に留学経験のある若者の住むホテル、道を挟んで広い庭の家が大川健三氏の借家である。ここからは四姑娘山が見えるようだ。庭への入口の鍵の状態から、出入りが少ない事が分かった。日本に留学経験のある若者の話によると、庭いじりをしている時もあるが、ひどく耳が遠いと言う。ここの家主は隣のビルだが、そこの受付の若者は隣の住人が大川氏と知らなかった。ある人は、大川の口が曲がっていて、健康状態が悪いと言う。彼は疲れたのだろう。探すことはことも止めよう。
ところで昨年、カトマンズでレストラン経営の日本人に会ったが、彼も私と同年代で、既に血縁のないネパール人を見せの後継ぎを決め、約束は寺院で遺体を焼いてもらうだけ。彼も大川氏も中途退職したが、辞職したくなる時代が有ったのだ。疲れた事が多かったものだ。私は定年まで我慢し、最近になって遅れて旅行している。今、日本はボケてストレスフリーになった代わりに、国債借金は天文学的になった。 -
さらに下って行くと、写真の左端の橋の手前に、小金に行くタクシーの溜まり場になっていた。ただ、彼らは朝が遅いようなので、使用する場合は時間を聞いておいた方が良い。私は宿で早朝発の小金行きタクシーを手配してもらった。
タクシーの溜まり場から橋を越えると、川向こうには駐車場とチケット売り場、展示場などがある。写真の四姑娘山の看板の奥から長坪溝入口行きのバスに乗れる。高齢者は入域料が無料で、バス代が20元である。 -
展示場の長坪溝の地図見ると、日帰りで四姑娘山の裏側まで見るのは大変そうだ。
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海子溝への入場は、高齢者が無料だが、海子湖まで行くのは大変だ、長坪溝も海子溝とも奥まで入るためには、一泊するか、バイクか馬に乗る必要があるだろう。
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海子溝への入口の確認に向かうが、そこでミャオ族のような若い女性の集団が車から降りて来た。私は詳しくないが、ミャオ族と言っても多様な文化がある。彼女らの頭の被り物は余りにも派手過ぎるような気がした。
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海子溝への入口は、写真の奥に見える木の階段を登り、その奥に料金所がある。
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以前来た時は直接稜線に登ったが、その道は使われていないようだった。下見の帰りに、レストランや食堂、それと食料品店を確認した。レストランや食堂は過度に多い。ただ夏になれば人も多くなるかな? 白人や黒人を全く見ないから、外国人は少ない。食料品店では、封をしたプラスチック容器はすべてパンパンに膨れている。ここは3300m以上の高度で気圧が低いからだ。
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翌18日は、不十分ながら多少天気が回復。朝7時から海子溝に行ってみることにしたが、高山植物の花への期待が主だ
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これはシャクナゲに一種かな?
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途中に馬の溜まり場がある。値段は知らず。若者が乗るなど、この先不安、中国でも金の麻薬が効いてきたかな?
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ここから数百mで料金所と不十分なトイレがある。高齢者は無料。シャクナゲ、白だが僅かにピンクが混ざっていて、特につぼみの時にピンクが強く、素晴らしい。
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シャクナゲの多い坂道を登って尾根に出た。ここから青空も見えるが、山はもう一つだ。トンネルが無かったころ、この山の右の峠(コル)にブルーポピーを見に行った。7月の終わりに近かったが、散り際のちかかったが沢山咲いていた。残念ながら今回は何処でもブルーポピーを見なかった。
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尾根を登ると、雲の隙間の右から二姑娘山(5276m)、三姑娘山(5355m)の一部が見えてきたが、肝心の四姑娘山は雲の中だ。
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さらに登ると姑娘山は見えなくなり、牧場の斜面になる。ヤクが放たれている。野生的だから注意せよと看板もある。
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ヤクより少ないが、馬もいた。
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三差路の手前まで来たが、既に午後も遅い。今日中に池まで行って戻ってくるのは不可能だ。この小屋で帰る。
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好天なら、馬でくるのが良いかな?
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随分と親牛と毛色の違う小牛も多い。
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これだけ毛色が違っても、差別しないのかね? 人間など、少しでも肌色は違うと大変だよ。人間が異常なのかも?
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前衛峰の3峰の二姑娘山(5276m)、三姑娘山(5355m)、大姑娘山(5025m)が見えてきたが、本峰は雲の中だ。
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五千m余りまで雲で、後高差千mも見えていない。地域と季節によって快晴率が違うが、南西ヒマラヤは秋から春まで天気が良いが、南西中国も冬は良いが、春や秋は南西ヒマラヤのように天候の傾向がはっきり決まらず、年による変動が大きい。私は、山が見えなければ高山植物のある晩春か良いかと思い、5月末に来た。天候不順は承知だから、今晩で既に3泊目だ.
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対岸の集落が見えてきた。こんな斜面で良くぞ生き延びてきたね。
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山は見えなかった、シャクナゲが良く見た。ただ高山植物には早かったかな? ブルーポピーはヤクが食ったか?
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