2024/06/01 - 2024/06/01
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2024/06/01
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ご覧いただきまして、ありがとうございます。
まずアサヒ飲料富士山工場で工場見学。
その後、鎌倉殿の13人で紹介されたゆかりの地を巡ります。
対面石のある八幡神社
蛭ケ島公園
政子産湯の井戸
北条氏邸跡
願成就院
-
神奈川方面から静岡に向かう
山北付近、谷峨駅の先では第二東名でもつくっているのか、橋がもうすぐつながりそう -
7時頃、富士の裾野辺りでは、霧が立って幻想的
ちなみに裾野やら三島市やらで1泊2日を過ごしたが、一度も富士山は見えなかった -
富士宮市に入ると、目の前の山には霧か、雲か
先日秩父に行ったときにこんな天気だったら、雲海が見えただろうに -
さて、早く到着したので、7時半から近くのコメダ(富士宮店)でモーニング
時間を調整して出発 -
最初は10時からの工場見学
-
アサヒ飲料 富士山工場
-
入口横には「十六茶庭園」
中央に"富士山"を配し、十六茶に入っている植物が周りを囲む
ビワなどの木もあるが、まだ6月なので、苗程度の大きさのものも多い -
配送の大きいトラックが次々に出入りする
-
10時からの見学の15分ほど前にオープン
-
待合室には富士山をバックに記念写真を撮れるパネル
本当は工場の目の前に富士山が大きく見えるのだが、この日は前述のとおり、1ミリも見えなかった -
工場内は撮影不可なので写真はないが、この工場では十六茶などのお茶のラインと、水、炭酸水などの透明な飲料を生産しているラインがある
富士山に降る雨や雪解け水が富士山の溶岩、玄武岩などを通って、不純物が取り除かれるとともに、ミネラルが滲みだしている
ここではその地下水をパイプで直接汲み上げているそうだ
お茶の大きなタンクは500mlペットを毎日1本飲んでも300年かかる容量があるらしい
最後に無料の自販機でドリンク1本、帰るときにお土産にもう1本ドリンクをいただいて、1時間弱の工場見学終了!
けっこうゆっくり見られて楽しかった
さて、次はお昼ご飯 -
お昼は富士宮焼きそば目指して、うるおいてい本店
お店の横に潤井川があるから「うるおいてい」なのかと思ったけど、川は「うるいがわ」と読むらしい -
11時半前に到着してすぐに入れたが、帰るころには列ができていた
人気店だけあって、追加注文はナシの一発勝負
注文したのは2人で
レバー 630円
うるおい天 940円
うるおい焼きそば(大盛) 1,130円 -
お店の方が焼いて、食べごろも教えてくれる
やっぱりプロに焼いていただくに限る
こんもりと美しい -
そして富士宮焼きそばは尚更
これは素人には焼けない
これでもかというほど"お山の水"をかけてもちもちに仕上げるうるおいてい 本店 グルメ・レストラン
-
そして右端にちょこんとつけた、自家製辛子味噌が抜群にうまい!
実は焼きそばがあまり好きではないのだが、ぱくぱく箸が進む進む
満腹で大満足 -
さて、ここからはもう2年前になったが、2022(令和4)年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていたので、ゆかりの地を巡ってみる
13時半
まずは八幡神社(やはたじんじゃ、清水町)
http://www.inarijinja.com/yahata/
ここには後述「対面石」がある -
真新しい鳥居の右手に半分埋まったような鳥居がある
令和5年の頼朝・義経対面840年記念参道整備にあたり、老朽化した鳥居を「開運鳥居」として建立
中央に階段を置き、通常触れられない鳥居上部を撫でられる -
境内はこんなかんじ
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太鼓橋を越えて左手には白幡社
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白旗社のご祭神は源頼朝
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境内入口付近の案内図には「白幡社」とあったが、ここでは「白旗社」となっている
源平争乱の際に、平家の赤旗に対しての源氏の白旗を象徴している -
手水舎の奥にはすもう場
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そして、ご本殿
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扉が閉まっているが、開けることはでき、一定時間建つと自動的に閉まる
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創立年代は不明ながら、源氏の氏神であり頼朝が社殿再建
徳川家康も東海道を足柄越から箱根越に改めた際に、社殿を南向きにし、街道に面した参道整備を行った
また、小田原攻めでは豊臣秀吉と揃って参拝、八幡大菩薩と刻んだご神刀を奉納した -
ご本殿向かって左手には階段がある
案内図にあった「ご随神」とはこの階段両脇の岩のことだろう -
その奥にあるのがいよいよ、対面石
源頼朝義経兄弟の対面石 (八幡神社) 寺・神社・教会
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1180(治承4)年、頼朝は富士川の合戦のため、この黄瀬川八幡に出陣
奥州からかけつけた義経と対面して腰掛け、平家打倒を誓った
ん~、菅田将暉さん演じる、まだ無邪気だった義経を思い出す -
対面石の左手奥には「ねじり柿」
頼朝が渋柿をねじって捨て、2本の柿の木が幹を絡ませねじり合っていた
・・・柿の木って寿命何年?と思ったら、一般的に100年、手入れして300年
伝説ですからね、過去形ですし、当時は、ってことで
何代目かっていう設定かな
20分ほど過ごして、次へ -
14時半 蛭ヶ島公園
(看板より抜粋)
平治の乱で敗れた源義朝の嫡子、兵衛佐頼朝配流の地といわれている。
永暦元年(1160)14歳でこの地に流された頼朝は、治承4年(1180)34歳で旗挙げ、やがては鎌倉幕府創設を成し遂げることとなるが、配流20年間における住居跡等の細部は詳らかではない。しかし、「若妻鏡」治承4年の記事によれば、山木攻め(頼朝旗挙げ)の頃は、妻政子の父、北条時政の館(当地より西方約1.5kmの守山北麓)に居住し館内で挙兵準備を整えたとある。このことから考えると、頼朝は、北条政子と結ばれる治承元年(1177)頃までの約17年間を、ここ蛭ヶ島で過したものといえよう。
当公園中央部にある「蛭島碑記」の古碑は、源氏が天下支配の大業を果たした歴史の原点を後世に伝承すべく、寛政2年(1790)豆州志稿の著者、秋山富南の撰文により、江川家家臣飯田忠晶が建立した。 -
頼朝と政子の像がある
あとは、そばやうどんが食べられる蛭ヶ島茶屋や、県指定有形文化財「旧上野家住宅」を利用した歴史民俗資料館がある蛭ヶ小島 (蛭ヶ小島公園) 公園・植物園
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次は蛭ヶ島公園から車で10分とかからない「政子産湯の井戸」
願成就院近く、国道136号を西に入った「北条の里さんぽ路」
左手に「尼将軍北條政子産湯之井戸」という石標がある
これだけか、と思ったら、左手に入った突き当りに・・・ -
あった!
一般のお宅に囲まれた片隅 -
(看板より)
保元2年(1157)、源頼朝の妻・北条政子がこの地に誕生した時に、産湯の水をとったのがこの井戸と伝えられています。かつては、妊婦がこの井戸の水を飲んで安産を祈願するという信仰がありました。
※現在は飲めません。 -
中を覗き込んでみると、植物が生い茂っていた
北条政子産湯の井戸 名所・史跡
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井戸から200mほどで狩野川にぶつかる
そこにあるのが北条氏邸跡(円成寺跡)
ほぼ何もない更地状態だが、ガラス板越しに当時の建造物を、僅かな目印を頼りに当時の位置にイメージすることができる北条氏邸跡(円城寺跡) 名所・史跡
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(看板より)
北条氏邸の当時の様子
北条氏邸跡では、平安時代末から鎌倉時代前半にかけての掘立柱建物や塀の跡、井戸、区画のための溝などがみつかっています。全盛期は12世紀末から13世紀初めにかけてで、源頼朝の挙兵から鎌倉幕府が成立するころです。13世紀後半になると建物跡はみつからなくなるため、館が使われたのは、北条3代の泰時のころまでで、それ以降の北条氏の生活は鎌倉に移ったものと考えられます。 -
(看板より)
円成寺(えんじょうじ)の当時の様子
円成寺は、14代執権北条高時の母である覚海円成(かくかいえんじょう・円成尼)が北条一族の善提を弔うために北条氏の邸宅跡に建立した寺です。円成寺が最も繁栄したと考えられるのは山内上杉氏の庇護を受けた14世紀後半から15世紀前半のころです。土手状の高まりに囲まれた礎石建物と池が発見されています。礎石建物は、円成寺のお堂と考えられ、周囲からは仏具に用いられた土器、陶器、水晶製宝珠などが出土しています。お堂の正面にある塀は目隠しであると考えられます。 -
守山の東にあるのが願成就院跡
先程の北条氏邸跡は、守山という小高い丘の西側なので丘の反対側になる
いずれにしても、産湯の井戸を含め500m四方程度の中に収まりそうだ願成就院 寺・神社・教会
-
願成就院は鎌倉時代初期、北条時政によって創建された寺院です。『吾妻鏡』文治五年(1189)六月六日条には、源頼朝の奥州平泉攻めの成功を祈願して建立された、と書かれています。
また、大御堂に安置されている国宝の仏像群のうち、四体から胎内銘札がみつかっていますが、そこには北条時政と仏師運慶の名前をみることができます。
時政の死後も、子の義時、孫の秦時によって、「南新御堂」や「北塔」などの建立があり、伽藍が整えられていきました。
当時の願成就院の姿は、発掘調査によって明らかになっています。昭和36年から現在まで、境内やその周辺20ヶ所以上で発掘調査が行われ、建物の礎石や雨落ち溝の一部がみつかっています。とくにこの一帯は、発掘調査によって、基壇や大量の瓦がみつかっている場所で、承元元年(1207)に時政が建立した「南塔」の遺構と推定されています。また、周辺の地形測量によって広大な池の存在も想定されています。
鎌倉時代の願成就院は、西側の守山を背景にして、池の周囲に堂や塔が建ちならぶ「臨池伽藍」と呼ばれる様式の寺院でした。臨池伽藍は、浄土の世界を御堂や庭園の姿であらわす、当時を代表する寺院様式です。 -
「願成就院跡」の石標は駐車場の方にあり、今の敷地よりも元々は広かったようだ
前述の池も今は住宅地となっているところにあったようだ -
突き当たりは大御堂
本堂ではない
本堂は茅葺で、願成就院創建600周年にあたり、1789年(寛政元年)に建立された
時政供養のために1215年(建保3年)にできた南新御堂の後身堂となる -
「北條時政公御墓」の看板に従って行く
-
「北條時政公御墓」
1215年(建保3年)78歳没
手前の一際新しい部分は、北條時政公没800年供養として造立されたとあるので、2015年ごろに整備されたようだ
これに夢中になって見逃してしまったのが足利茶々丸公の墓
室町幕府八代将軍の足利義政の兄・足利政知が鎌倉に派遣されるも、鎌倉まで進出できず、北條時政の館跡の伊豆国北條の堀越に留まり堀越公方と称した
二代目公方に就いたのが息子・茶々丸公
継承時に起きた相続争いの混乱に乗じて、1493年に伊勢新九郎盛国(のちの北條早雲)の侵攻を受けて16歳の茶々丸は亡くなり、ここが菩提寺となった
もう15時半近くになったので、この後はホテルに向かう
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