2004/10/24 - 2004/10/25
1984位(同エリア2898件中)
リュックさん
*ミュンヘン滞在最終日
・絢爛豪華なレジデンツ見学
・異色のアザム教会
・市内路面電車で市内散策
*ラーツケラーについて
*ドイツ紙幣マルクの数奇な運命
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10月24日(日)
今日も暖かく良い天気。
ミュンヘン旧市街、新市街を市電であちこち見て回ることにする。
市電を乗り継いで国立博物館、市立博物館に行く。
今日は日曜日とあってバイエルン国立博物館は入館料が無料で、
いかにもドイツらしい石作りのがっしりとした建物。
ミュンヘンの歴史を扱った展示があり、
戦時に完全に破壊されたミュンヘンが見事なまでに
復元されている様子がわかった。
もし、ミュンヘンが近代的な建物に建て替えていたら、
世界中から多くの観光客を呼ぶことは出来なかったであろう。
ミュンヘン・レジデンツは、4つの博物館と劇場がある。
多くの訪問者はレジデンツ博物館とレジデンツ宝物館に集中している。
レジデンツ博物館は栄華を誇ったかつての王宮。
金の装飾で満たされた部屋は当時の王国の繁栄ぶりを語る。
レジデンツ宝物館は10世紀からの王家の宝物が展示されている。
王冠、金細工、金の装飾の剣など多く展示されている。
バイエルン王国の栄華を知る見逃せない観光スポット。
歴史
ミュンヘン・レジデンツは旧バイエルン王国の
王家ヴィッテルスバッハの本宮殿として使用。
1385年シュテファン3世が建設、その後ヴィッテルスバッハ家が
増改築を400年の歳月をかけて繰り返した。
その為、ルネサンス、ロココ、バロック、新古典主義の各様式が
混在する。
王国の廃止により博物館や劇場として一般公開され誰でも
見学できるようになった。 -
当時最新のデジカメ1200画素の写真をスキャンしたので
画像の鮮明度が落ち、はっきりしないのでHPの画像を下記に拝借 -
肖像画の間
王家の「祖先画ギャラリー」
ヴィッテルスバッハ家の子孫たちの約120枚の肖像画が、
飾られている回廊。
マクシミリアン2世、ルートヴィヒ2世の肖像画は目を引く。 -
ドーム天井の間
緻密な装飾が施された奥行き69メートルもある大ホール
アンティクヴァリウム。
16世紀のアルプレヒト5世の時代に建造され、
現存するレジデンツの中では最も古い部分とのこと。
美しい曲線のルネサンス様式の円天井。
色鮮やかで美しいフレスコ画。
アルプレヒト5世のコレクション、古代の彫像の数々。 -
金ぴか装飾で満たされた部屋の数々
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HPから借用。
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レジデンツ博物館入り口からレジデンツ宝物館に行く。
ヴィッテルスバッハ家が10世紀頃から集めてた
1250点ほどの金銀財宝を展示。
輝く宝石が散りばめられた王冠、きらめく金細工の食器、
宝剣、金の笏、クリスタルガラス、象牙細工など。 -
アザム教会
博物館を出て、近くのアザム教会を見学。
アザム教会(Asamkirche)は正式名称は
聖ヨハン・ネポムク教会(St.Johann Nepomuk Kirche)。
アザム教会は18世紀初頭、建築家のアザム兄弟共同で設計し
建設した教会。
アザム教会は個人用に自宅の横に建てた教会だった。
教会内はよくも詰め込んだと感じる装飾で
異世界の雰囲気。他の欧会と全く異なりそのすごさに圧倒された。 -
旧市街。
国立博物館付近 -
博物館を出て、近くのアザム教会など見学し、
旧市街の東側にあるイザール門近くのカフェでコーラを飲み、
道行く人を眺めながら小休止。
イザール門から市電に乗りミュンヘン市内を散策してみた。 -
乗ってみた路面電車(トラム)「シュトラーセンバーン(Straßenbahn)」
安くて便利、利用価値あり。 -
3両連結。最後部席で郊外の終点まで乗った。
郊外の家並みは近代的であるが落ち着いた雰囲気だ。
街路樹のマロニエは紅葉が始まり、秋のヨーロッパらしい風情であった。 -
市内電車の停留所には行き先、電車の到着までの時間など
がわかりやすく表示され、初めて我々でも迷うことが無かった。 -
ミュンヘン郊外。
観光地を外れると静か。 -
今夜も昨夜と同じラーツケラーで夕食。
大樽近くの席に陣取る。 -
ビールとワインの戦争壁画を背に
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今日も焼きソーセージ、ビールがうまい!
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ミュンヘン滞在最後の夕食。乾杯!
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日も暮れて外は真っ暗
夜の街を散策して宿にもどる。 -
ラーツケラーについて
ドイツでは市庁舎の地下にラーツケラー
(市庁舎の地下倉庫、ワインセラー)と呼ばれるセラーがある。
中世の終わりにはワインの貯蔵庫や販売所として使われていた。
この地下室は今も残っている。
現在ではレストランとして営業し、ドイツ中の市庁舎に
「ラーツケラー」という同じ名前のレストランがある。
ミュンヘンのラーツケラーは1874年8月1日開業
ゲオルク・フォン・ハウベリッサーによるゴシック建築様式
画家フェルディナント・ワーグナーと
ハインリッヒ・シュリットによる描写と絵画
彫刻家サイモン・ホーンによる彫刻など素晴らしい。
ラーツケラーは中世の雰囲気があり、ドイツ郷土料理をワイン、ビールで
堪能できる。価格も良心的。治安はすこぶる良い。 -
レストランの奥には膨大なワインを貯蔵するセラーは
このレストランの象徴。 -
当時はドイツ語、英語のメニューリストであったが、最近は
ビジュアルなメニューになったようだ。
これなら言葉が分からなくても指でこれとこれと指すことで
目的が達せる。
当時はドイツ語のメニューで一々英語で説明を受け注文した。
注文する度に貫禄のある中年のウエイターが
「yes,sir!」という。
「Sir」はやめてくれ。
「Yes, Sir」 -
ドイツ紙幣マルクの数奇な運命
ドイツの旅の記録を整理していたらドイツの古い紙幣が出てきた。
10万マルクと10マルク紙幣
マルク紙幣は数奇な運命をたどる。
第一次大戦で負けたドイツは、ヴェルサイユ条約により
莫大な賠償金の支払いを求められる。
重要な収入源であるルール工業地帯は
フランスに取られ、
ドイツに賠償金が支払えずマルクを増刷して
賠償金を支払おうとした。
増刷の影響でライヒスマルクの価値はどんどん下がり、
国内の物価が高騰。
10万マルクでトイレットペーパーが一個しか買えない、
超インフレ、ハイパーインフレに通貨の発行が間に合わず、
粗雑な作りの片面印刷の10兆マルク札など超高額紙幣を発行。
その1枚に全く価値がなかったことから
「パピーアマルク(Papier Mark)」、「紙のマルク」と呼ばれた。
・ 東と西の「ドイツマルク」
第二次大戦後、ドイツは西ドイツと東ドイツに分割。
その時マルクも分けられて、
西側では1948年からドイツマルク(Deutsche Mark)、
東側では1967年から
東ドイツマルク(Mark der Deutschen Demokratischen Repblik)が使われた。
1989年に東西を隔てていたベルリンの壁が崩され東西統一。
1990年7月1日に東ドイツマルクが西側のドイツマルクに統合。
西側のドイツマルクの価値は東ドイツマルクより何倍も高かったため、
東ドイツマルクから西のドイツマルクへの両替は困難だった。
現在では持っていても全く価値がない東ドイツマルク、
現在は旧東ドイツに位置するベルリン・シェーネフェルト空港
の出口の床にこの硬貨と紙幣がいくつか埋め込まれている。
・マルクからユーロへ
マルクの時代が終わる。
2002年からEU共通通貨であるユーロ通貨がドイツに流通。 -
1991年流通
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスの肖像画
ドイツの数学者・天文学者・物理学者。
いよいよ明日はオーストリア・インスブルックへ
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