2024/03/06 - 2024/03/07
417位(同エリア1941件中)
ひらしまさん
16世紀、チャンパ王国に代わってこの地を支配した江南阮(カンナム・グエン)朝は、トゥボン川河口の港町ホイアンを、ポルトガル人、オランダ人、漢人、日本人を相手とする貿易港として発展させた。
ホイアンには外国人居住地が生まれて治外法権も認められる。日本人町には数百人が住み、村々の養蚕農家を回って前貸し金で生糸を買い占めるなど活発に商売し、日本船は他国船以上に盛んに交易していた。この地方でしか採れない香木の伽羅は日本の権力者に愛好され、日本から輸入した銅が貨幣となり、銅すなわちドンと呼ばれるようになったとか。
しかし、17世紀に徳川幕府が海外渡航を禁止すると日本人町は衰退する。さらにその後、明の滅亡に伴い多くの漢人が移住してきて、18世紀ホイアンの経済は華僑が中心となっていった。
19世紀には、トゥボン川の土砂堆積が進む。広がった土地にグエンタイホック通り、さらにバクダン通りがつくられ、元々のチャンフー通りとともにホイアンの街は広がった。しかし、その一方で大型船が入れなくなったホイアンは、貿易港としての地位をダナンに奪われてしまう。
鉄道も通らない一地方都市に没落したホイアンには、そのかわりに18世紀以来の歴史を伝える街並みが残ることになった。
1kd=6.2円(通貨ドンは桁が大きすぎるので千ドンが実質的な単位になっています。この旅行記では1千ドンを1kdと表記します)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の4日目。
ダナン空港からGrab(404kd)でホイアン市街にはいると、そこは、たくさんの灯籠が飾られ多くの人が行きかう楽しそうな町だった。
トゥボン川をQuảng Trường橋で渡って中州のアンホイ島へ。 -
ホイアンではランタナ・ブティック・ホテルに2泊する。
旧市街からは外れるが、トゥボン川に面し眺めは開放的だ。 -
もう夜8時なのですぐ夕食に出かけた。
川の対岸側のBới Cơm。インテリアが美しい。 -
ホイアンの名物料理であるホワイトローズという名の海老ワンタン。期待通りおいしい。
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同じくコムガー(鶏飯)。このほかにもう1品。
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コムガーをそのまま食べようとしていたら、ウェイターが飛んできて丁寧に混ぜてくれた。
これもおいしく、味よしサービスよしと大満足。 -
トゥボン川の夜景を見ながら宿に戻った。
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5日目。
妻の好きなパッションフルーツやもちもちのトウモロコシもあった朝食のあと、アンホイ島を川に沿って東へ向かった。 -
アンホイ橋が見えてきた。橋のたもとでホイアンの共通入場券5枚綴りを買う。実際には1枚しか使わなかったが、120kdなので外国人観光客としてはそのくらい買わないとバチが当たるというものだ。
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アンホイ橋を渡ると旧市街。
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グエンタイホック通りのタンキー邸は、午後になるほど混みあうという情報があったので、朝一番で訪れた。
道路で外観の写真を撮り終えてタンキー邸に入ろうとしたとき、入り口に現れた欧州系女性がカメラを構えて、我々に「そこのけ」とばかりに手で払う仕草をしたのに驚かされた。もちろん無視してカメラに向かって悠然と歩いたけど。
写真を撮ることに夢中になると、被写体の近くをいつまでも離れない人が邪魔だなあと心の中で悪態をつくことがわたしもある。そんなとき、普段は意識下に眠っている民族差別意識が突然現れたりするのかも。気をつけよっと。 -
立派な柱や梁が歴史を感じさせるこの家は、農産物の貿易で財を成した華僑のタン家が18世紀末に建てたものだ。
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その後洪水の被害に遭いながらも大切に守られてきた。
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その建築様式には中国のみならず日本の影響もあるという。日本人町は消滅しても、日本文化がすべて消えたわけではないのか。
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これはタンキー邸の向かいの建物。なるほど撮りたくなる絵だった。
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グエンタイホック通りを東に歩く。
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市場に出た。ホイアンの市場はなかなか広い。
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妻はパッションフルーツ6個を20kd、蓮の実も1袋20kdで買ってうれしそうだ。
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市場の近くで竹の面が売られていた。根が髭になっているのが面白く、買おうかとも思ったが、果たしていつまで持つものなのか不安でとりあえず見送った。
現金を補充するため、手数料が安いというアグリ銀行のATMの列に並ぶ。前に並んでいた現地女性と妻はおしゃべりを始め、さっき市場で買った蓮の実の調理法を教えてもらっていた。砂糖を入れて煮るんだそうだ。でも、肝心の蓮の実を翌朝ホテルを出るとき冷蔵庫に忘れてしまい、蓮の実の砂糖煮は幻となった。 -
昼食用にバインミーとスムージーをSumという店で買う。
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ベトナムの土産は何にしようかと相談したとき、妻はコーヒーを挙げたのだけど、調べてみるとベトナムのコーヒー豆はあまり質が高くはないようだ。わたしが代わりに提案したのがチョコレート。
意外にもベトナムはメコンデルタで質のよいカカオが作られるのだそう。ベトナム産のチョコレートを応援したい気持ちもあり、ALLUVIA直営店を訪れた。 -
センスのよいパッケージが並ぶ。店員さんは日本語ができた。日本人客が多いのだそう。
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何種類も自由に味見させてもらい、おいしさに納得して購入する。
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宿に戻り、バインミーとマンゴースムージーの昼食。バインミーってサンドイッチとどこが違うのかと思っていたが、なるほど味は完全にベトナムの味だった。2時まで昼休み。
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午後はBaMu廃寺から再開。
ここは寺の池と壁だけが残っている。 -
池の蓮の花にほっとする。
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エネルギーがほとばしるような壁のデザイン。どうして作られ、どのようにして廃されたのか、わからないけれど不思議な魅力の廃墟だった。
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東に足を伸ばして、バクダン通りのプレシャス・ヘリテージ・ミュージアムにやってきた。
フランス人写真家Réhahnがベトナム各地の少数民族の、とくにお婆さんを撮った写真が展示されている。写真家はベトナム語を話せないというのが信じがたいほどチャーミングな写真ばかりだ。 -
それぞれの個性的な民族衣装は、写真の横に実物が展示されていた。
館内の展示は撮影できないので、2階の窓からお隣の屋根を撮った。 -
旧市街から外れると、オートバイやテーブルが歩道を占拠していて、午後の日差しの中を歩くのは疲れる。中心部に戻って、ファイフォコーヒーの2階でお茶にした。
写真は屋上テラスからチャンフー通りを見下ろして。 -
二百年前から続く商都ホイアンの町並み。
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端正な瓦屋根。
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今は観光客に愛される町となっている。
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通りの観光客は欧州系も多かったが店内はほとんどが東アジア系だった。紹介するメディアによって左右されるんだろうな。
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ファイフォコーヒーの外観。5時近くなって通りに出ると、涼しくなって人がいっそうふえていた。
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舟遊びをしようとトゥボン川に出ると、すでにたくさんの舟がでている。
女性の客引きに声をかけられ、いくらと聞くと電卓画面で200と示すので150と打ち返し、最後は165で手を打った。最初は100から交渉を始めるべきだったなと反省しながら客引きのあとをついて行き、前払いじゃないのかと不思議に思いながら舟に乗ると、彼女も乗ってきてマネーと言う。165kd払ったら、1人165だと言いだした。
冗談じゃない。即、渡した金を取り返し、多少の値下げで釣ろうとする彼女の声を背に岸に戻った。 -
アンホイ橋近くの舟がたくさん待機しているところに正規のデスクがあって、料金表も掲示されていた。3名まで1艘150kdだ(ちなみに下りるときチップを渡してる様子は見かけなかった)。
あの彼女も165で満足しておけばよかったのに欲張りすぎたね。 -
愛想のいい船頭さんが漕いでくれる。
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橋の下をかがんでくぐる。
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本当は暗くなってこのランタンに灯がともる頃がもっといいんだろうけど、次の予定がある。涼しい風に吹かれながら、岸とは違う視点から景色を眺めてよしとしよう。
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6時からのテダー・ショーを見るため、アンホイ島東端のルーン・センターに来た。
テダー・ショーはベトナム山岳民族の暮らしをモチーフにしたアクロバット・パフォーマンスだ。肉体の躍動と竹を使った演出がすばらしい。太鼓と角笛、さらに長短の竹竿も音程をとってリズムを刻む。
終始緊張度が高く、見ている方も疲れて時々緊張が途切れ眠りそうになった。 -
ただし、1時間の公演で1600kdはかなり高額だ。わたしたちは様子がわからずステージ間近な席を選んだが、小さなホールなので次のカテゴリーで充分満足できると思う。
写真は、公演終了後のホール外でのパフォーマンス。 -
メンバー全員との記念写真を撮ってもらって、ルーン・センターをあとにする。
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暗くなったトゥボン川にはランタンを灯した舟が浮かんでにぎやかだ。
ランタンって中国語かと思ったら英語だった。考えたら灯籠のことじゃないか。日本を含め東アジア各地にある灯籠も灯籠流しも中国由来なんだから、わざわざ英語を使う必要はない。
毎月満月の夜に町中の明かりをランタンだけにするホイアンのランタン祭りは、調べたら1998年にホイアン市観光局が始めたのだそうだ。だから英語なんだな。そのもくろみは見事に当たり、旧市街の世界遺産登録を生かし、旧市街交通規制の努力もあり、ホイアンは大人気観光都市になった。
それはいいけど、でも、灯籠流しは年1回だけ特別な思いを込めてするもので、毎日観光客にやらせるのはどうかという気はする。 -
夕食は昨夜のBới Cơmがよかったので再訪した。
ところが、今夜のウェイターはアルバイトみたいな感じだ。コムガーにかける醤油がないのでもらおうと思っても誰もいない。そのコムガー自体も昨夜のおいしさがない。ご飯の白いところが残っている。
今夜はホールも厨房もアルバイトなのか。かなり食べ残して帰る。がっかりだった。
昨日あったものが今日もあるとは限らない。すべては一期一会。
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この旅行記へのコメント (2)
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- sanaboさん 2024/05/02 17:44:55
- ホイアン
- ひらしまさん、こんにちは
ホイアンは私の”行きたい街リスト”に載っています^^
他のトラベラーさんたちの旅行記でランタンの灯る写真だけが
印象に残っていましたが、今回ひらしまさんの旅行記を拝読し
その歴史や日本とのかつての繋がり、ドンの語源などを
知ることができ大変興味深かったです。
お夕食に行かれたBới Cơmは素敵なインテリアですね。
ウェイターさんはホスピタリティに溢れ、お料理も美味しかったら
再訪したくなりますよね。翌日は一体どうしてしまったのでしょう?
メコンデルタでは良質のカカオが作られているそうですね。
ALLUVIAのチョコのパッケージデザインがとても素敵で
あれもこれもと片っ端から欲しくなってしまいそうです。
我が家は生ハムとモツァレラチーズのバゲットサンドを
よく作りますが、バインミーにも興味津々!
ベトナムのお味と仰ってましたが、甘酸っぱいタレなのですか?
舟の客引きのお話はまるで白タクのようですね。舟から降りて正解でしたね。
ところでGRABの支払いは現金ですか? それともクレカを登録できるのですか?
(よくお釣りを持ってないふりをされると聞いたことがあります)
「灯籠流しは年1回だけ特別な思いを込めてするもの」と仰ってらして
私も全く同感ですが、それにしてもホイアンを一大観光都市にした
ホイアン観光局の手腕は見事でしたね。
近い将来、私も訪ねてみたいです♪
sanabo
- ひらしまさん からの返信 2024/05/02 22:43:50
- ”行きたい街リスト”入り!?
sanaboさん、こんばんは。
ご訪問ありがとうございます。
Bới Cơm…、2晩目は別の店に行くつもりだったのを変更して行ったのに、ほんとに残念です。
一定以上の味とサービスを日々維持するのは大変なことなんだなあと、我が家の近くのよく行く店のことを思い出しました。
バインミーは「ベトナムの味だった」じゃあ、全然わかんないですよね。スミマセン。
きっとパクチーや魚醤を使ってると思うんですが、甘辛方向だった気がします。
見た目は日本で食べるバゲットサンドとそう変わらないだけに、食べた瞬間、ベトナムの味だ!と驚いたんです。
Grabは、初めてのマレーシアでは現金にしましたが、2度目の今回はクレジットカード払いにしてみました。
登録さえしておけば現地では支払がないのでとても楽でした。
今までタクシーで生計を立てていた人は困るんだろうなと思いながらも、一方で、多くの国で多くの旅行者がタクシーには不信感を持ってきているだろうから、この流れはしかたがないのだろうとも思っています。
ホイアンがsanaboさんの”行きたい街リスト”入り!?
あの祝祭感はきっと、誰が行っても楽しめる街だと思います。
アジアへようこそ!
ひらしま
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