2024/03/05 - 2024/03/06
164位(同エリア646件中)
ひらしまさん
旅の準備段階でハロン湾1泊2日クルーズを検索してみて驚いた。ほとんどのクルーズがレビューで星5つの最高評価を得ている。そんなこと現実にはあり得ないので各社の「営業努力」の成果なのだろうが、これでは参考にならない。しかたがないので数少ない低評価のコメントを拾い出しては読み比べていったが、疲れて最後はエイヤッと決めてしまった。
一応、豪華船ではなく、かといってボロ船でもないのを選んだつもり。オプションのハノイからの送迎を含めて1人21000円ほどだ。
ハノイの旧市街を中心にしたエリア内なら迎えに来てくれるということだったが、我々の宿はその外なので、エリア内で近いハノイ大教会をピックアップ場所にリクエストしていた。
しかし、前の晩になっても迎えの時間と場所の連絡が来ない。問い合わせてようやく、オペラハウスで8時40分~9時というメールが来て安心したのだが、それまで随分やきもきさせられた。
別件になるが、ハロン湾からノイバイ空港へ移動する車をチャーターした12Goというサイトも、日を間違えて入力してしまったのですぐに訂正依頼したけれど回答がなく、何度も確認してようやく回答が来たのは3週間後で、日本を発つ前日だった。
そんなにも対応が遅いという経験をこれまでしてこなかったので、今回の旅の手配はなかなか不安があった。当日に間に合いさえすればそれでいい、というのがどうやらベトナムの感覚らしいな。
1kd=6.2円(通貨ドンは桁が大きすぎるので千ドンが実質的な単位になっています。この旅行記では1千ドンを1kdと表記します)
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の3日目の朝。
Grabまで荷物を運んでくれたポーター君に感謝してオペラハウスに向かった。
オペラハウスはハロン湾クルーズのピックアップ場所の定番なので、いろんなバスが現れては客を乗せて行く。ガイドが掲げる紙に書かれた名前がボールペン書きで薄かったため最初は見過ごしたが、なんとか見つけてバスに乗った。 -
送迎バスはほぼ満席で、そのほとんどが欧州系のように見受けられる。突如、アウェイ感が襲ってきた。
市街を出ると、田植えの始まっている水田風景が広がる。牛が田を耕す光景を見たのは何十年ぶりだ。 -
2時間近く走ったころ、右前方にハロン湾のタワーカルストが見えてきた。
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でも、ゴール目前で真珠屋さんに連れて行かれ、みな時間をもてあましていた。
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港に着くと、バスの乗客は乗る船によって二手に分けられた。港で新たに加わったメンバーもいる。
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本船まで運んでくれる送迎ボートは遅れて12時半に到着した。
それに乗るのには十段ほどの階段を荷物を持って下りなくてはならない。妻には無理なのでまず自分の荷物を下ろしてから妻のスーツケースを運ぼうと思っていたら、バックパックの女性が "May I help you?" と妻に声をかけてスーツケースを持ってくれた。実にありがたかった。 -
送迎ボートはハロン湾のカルストの山の間を進み、1時間近くかかって母船のサファイアクルーズに我々を届けた。
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サファイアクルーズは3階建ての中規模船だ。
時間が押しているため、入室より先にランチとなった。 -
食堂のテーブルに名札が置かれている。我々は6人掛けテーブルの中央の席だった。
最初にガイドが日程やハロン湾についての説明をするが、英語で長々と話されてもわたしの頭は飽和状態になって一切受け付けない。たぶん知っている話だろうと聞くのをやめ、乗客の人数を数えてみたらちょうど40人だった。
食事が配られ始め、窓側の同年配カップルの男性が「その名前は日本のものか」と話しかけてくれた。彼らはスペインから来ていて、日本にも行ったことがあるという。
もう一方の通路側は、偶然にも先ほど港で妻に手を貸してくれた女性とその友人で、ドイツから来たという。
左右それぞれと旅の話などを簡単な英語でするが、それが精一杯で、6人全員での話にもっていくだけの気持ちの余裕はその時はなかった。 -
食後、船室にはいる。荷物は船員が運んでくれた。
2階のたぶん一番安い部屋だが、専用バルコニーがあり、窓は広く開放的で申し分ない部屋だ。なぜか3ベッドだったので、1つは荷物置き場になった。 -
3時過ぎからのカヤックのプログラムに参加するつもりだったけれど、妻が尻込みし、バルコニーから仲間の挑戦を見守る。写真手前の送迎ボートが外のアクティビティの起点になる。
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その後の料理教室に妻は行ったが、わたしは英語疲れで引き続きお休み。バルコニーでのんびりするのも悪くない。
1泊クルーズを選んだいちばんの理由は、退職後熱心に英語を勉強している妻に実践の機会をプレゼントすることだった。だから、わたしはテキトーでよいのだ。 -
3階のデッキチェアでくつろぐ人たちもいる。
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海に飛び込む元気な人たちもいる。
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わたしは穏やかな夕方の海を飽かず眺める。
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夕食の時には6人全員で盛り上がった。といっても実のところわたしは半分も理解できていないけれど。
スペインのタパスがとてもおいしかったと言えば、ドイツの幼稚園の先生はどうせドイツはジャガイモ料理ばかりと自虐的に語る一方で、でもポテトを愛してると言ったとおり皿に山盛りのマッシュポテトを真っ先に食べきって、ポテト愛を証明していた。
妻はビールとポテトが好きと言って、典型的ドイツ人だと彼女からお墨付きをもらう。わたしは最初のドイツ旅で行った場所を聞かれ、ベルリン、アイゼナハ、リューデスハイム、ボン、ケルン、ローテンブルク、バンベルク、ミュンヘンと挙げていったら、クレイジーと目を丸くされてしまった。
スペインの彼は、風力発電装置のメーカーを引退したのだという。彼らの日本での訪問先に広島と長崎が入っていたので、その訳を妻に尋ねてもらうと、原爆投下によるあのような被害が必要だったのか、疑問だったからだという。スペイン内戦で身内同士も殺し合わされた悲惨な歴史を重ねて考えたともいう。彼の英語はレベルが高くて、熱心に語ってくれたことの何分の一もわたしは受け止められず申し訳なかったが、原爆投下を受け入れられないというその気持ちは十分に伝わってきて握手で感謝を伝えた。
スペイン組は3週間、ドイツ組に至っては4週間のバケーションで東南アジアを回るのだという。その元気さに大いに刺激を受けた夜だった。 -
夕食後はデッキのカラオケをのぞいてみたが、若い女性1人だけがガンガン歌っているのに乗り切れず、すぐに退散。旅の直前3日間ひそかに練習した ”I Need To Be In Love” は帰国後のカラオケボックスで歌われることになる。
部屋の風呂(写真は昼間撮影)は、船なのにお湯がたっぷり出て大満足。
船は時々ローリングするものの、ベッドに入ればまったく気にならず熟睡した。 -
4日目。朝6時。ハロン湾は今日もけぶっている。
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妻は太極拳教室へ、わたしは写真撮影。ただ、どちらを見てもクルーズ船が停泊しているので撮りにくい。
6時半からの朝食は普通はパンと飲物程度らしいが卵料理まであって充実していた。でも、すぐに次のプログラムがあるので軽くすませる。 -
送迎ボートで送られた先で手こぎ舟に分乗。大柄の西洋人たちの中で我々だけ超軽量なので、左右のバランスをとるために船頭の指示で席の移動がおこなわれた。
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「光の洞窟」をめざして舟は進む。
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途中の崖には頭の白い猿の群れがいた。
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60mの洞窟を抜けて、山に囲まれた湖のような水域に出る。狭い闇の世界から明るく広がる光の世界へ、コントラストが鮮やかだった。
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サファイアクルーズに戻り、9時には部屋を明け渡し、デッキで移りゆく景色を眺める。
9時45分からのブランチはブッフェで、この船の食事ではいちばんおいしかった。事前にネット上のレビューを読んだ中ではどの船も食事の評価が高かったので期待していたが、期待しすぎたようだ。
風力発電の仕事をしてきたことに誇りを持っているスペインの彼には、僕も原子力発電でなく風力発電を日本ももっと進めるべきだと思っていると伝えた。
アンケート用紙とチップ用封筒が配られる。隣のドイツ女性はアンケートの自由記述欄にびっしり書いて出して、そのあとメールアドレスも書くよう頼まれていた。レビューで最高評価ばかりが並ぶ秘密はこのあたりにありそうだ。 -
飲物は別料金なのでこのとき精算する。クレジットは手数料がかかると言われ現金払い。釣りの端数4kd弱は戻ってこなかったが、チャンアンの宿では多めに戻ってきたので、ベトナムには四捨五入ルールがあるのかもしれない。
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送迎ボートで12時前に港に戻り、同じテーブルだったみなさんとハグしてお別れした。つたない英語につきあってくれてほんとにありがとう。おかげで楽しかったよ。
ノイバイ空港からダナンへ行く飛行機が16時10分発なので、送迎バスでハノイに戻る時間はないと考え、ハロン湾から直接ノイバイ空港へ向かう車をチャーターしていた(1442kd)。でも、現れたのはメールで知らされていたのとは違う車で、しかも走行中ずっとスマホをいじったり通話したりでうるさく、もちろんチップなし。
実際にはハノイの近くを通ったので、クルーズの送迎バスを高速道路から出たあたりで下ろしてもらい、そこでGrabを呼ぶのがずっと安くて最上策だったと思う。
空港でチェックインの列にいるときに、スーツケースの動きが悪いと思ったらタイヤ部分が壊れ始めていた。10年間よく働いてくれた。ありがとう。家に帰るまでもう少しだけ頑張ってくれ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ソウルの旅人さん 2024/04/14 10:36:46
- ヴェトナム再発見
- ひらしま様
こんにちは!
ハロン湾は有名観光地になっているのですネ。
私のヴェトナム知見は1970年代に留まっており、サイゴン以外知りません。ハイフォンは武器揚陸港であり、米国の激しい空爆があった場所の記憶があるだけで、そのすぐ隣に素晴らしい多島海の湾が広がっており、現在は人気観光地になり欧米人が多数訪れている姿に驚きました。時代錯誤も甚だしいです。
ハロン湾の写真は何れも魅力的ですが、光の洞窟のタイトル写真は特別に素晴らしいです。闇から光に向う何かを象徴するようで、芸術写真の域です。
平和なサイゴン(ホーチミン市)はどれほど変動したのでしょう。行って見ようかと思いました。
ソウルの旅人
- ひらしまさん からの返信 2024/04/14 18:56:15
- Re: ヴェトナム再発見
- ソウルの旅人さん、こんばんは。
そう、ベトナムといえばすなわち戦争でしたね。わたしも当時知っていた地名は戦争がらみだけでした。
フランス、米国、さらに中国と、長年にわたって大国と戦い、ことごとく撃退した不屈の歴史は本当にすごいと思います。
それでも、ドイモイの時代になってもう40年近いですから、戦争の跡でさえ観光資源になっているようです。
ハロン湾は観光地の代表格ですが、どこを見ても大きなクルーズ船が目にはいるオーバーツーリズムの印象が強かったです。わたしもそれに乗っている1人で、文句を言える立場ではないのですが…。
とくに白い発泡スチロールの箱がぷかぷか浮いているのが残念で、入域税を取ってでも清掃活動に力を入れて、美しいハロン湾をとりもどしてほしいと思いました。
韓国よりはちょっと遠くなりますが、平和で豊かになりつつあるベトナムをどうぞ訪ねてみてください。
ひらしま
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