2024/04/04 - 2024/04/04
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ryujiさん
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本日(7:30)、三重県の斎宮跡と昭和幸福村公園へ出かけることに致しました。いつものように、車での気軽な一人旅です。
以前より興味深かった上記の2地区を見たい、桜咲くこの時期にこの思いを旅行記に投稿致します。
改めて自身のスタイルを?、やはり小生は歴史好きで今回は和歌への想いを中心にこの旅行記に載せたいと思います。
中身につきましては、大伯皇女(万葉集)・藤原敦忠(拾遺集)の作品を主にと、それにまつわる人物等を登場させたい所存です。
旅行記としては極めてマイナーなものです、少なからず興味ある方に覗いて頂ければ幸いです。
(写真・昭和幸福村公園の歴史の庭)
- 交通手段
- 自家用車
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出発の朝、我が家からの眺め。 天候は晴れ、まずまずの旅行日よりである。
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羽島市~明和町まで約3時間半、斎宮歴史博物館に到着です。 駐車場の桜は6~7分咲といったところです。
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斎宮跡のマップです、これを参考に廻る順番を考えて。
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北方向に約400m、これが歴史博物館です。
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同上。 玄関口。
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歴史博物館の館内。
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歴史博物館の東に伸びる道、読んで「歴史の道」。 ここには12の歌碑が並んであります。 今回、東~西(番号順・古い時代順)に見て行きました。
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大伯皇女の歌碑が最初に登場です。
わぁ~、大伯皇女さんだ!。 大感激の小生です、でも漢字の羅列でちょっぴり残念です。 ここは小生にもわかるように・・・・・。
「我が背子を、大和へ遣ると、小夜更けて、暁露に、我れ立ち濡れし」
上記和歌を詠みは、おおよそですが註約なしで理解ができそうです・・・。 彼女が、弟(大津皇子)を送った時に明け方の露に濡れてしまったという内容です。
ここからは時代の古い順に見ていきます。
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続いてもう一つ、大伯皇女の有名な和歌の歌碑がありました。
「二人行けど、行き過ぎかたぎ、秋山を、いかにか君が、ひとり超ゆらむ」
ふたりで行っても、容易に越えて行けない秋山を、どうやってあなたはひとりで越えていくことでしょう。
この和歌二首について
これは幾分に小生の推測ですが、大津皇子亡くなる直前、場所は都より遠く離れた伊勢(この地)で二人がひそかに逢った時の彼女の歌である。 斎藤茂吉氏の言葉を借りれば「姉弟の哀愁深い別離の歌」で、その後の大津皇子の運命を暗示させる歌と言えよう。
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この歌碑は、20分程後の廻った「斎宮の森」で見つけた大伯皇女の「我が背子を」である。
姉弟(きようだい)、大伯皇女と大津皇子の哀しい人生の末路。
大伯皇女・大津皇子の両親は、天武天皇と太田皇女(天智天皇の娘)である。母親が若くして他界した、それでも父天武天皇が生存中は姉弟とも順風満帆であったようです。天武天皇が亡くなると天地が一変します。 後の持統天皇(天武天皇の皇后)により、すぐさま大津皇子が処刑されることは皆さまご承知の通りです。 太田皇女・鵜野讃良皇女(持統天皇)の姉妹と大津皇子・草壁皇子の従兄弟(兄弟)。 小生は、この親族関係を考えると複雑な心境になります。 -
次の歌碑は、在原業平公の歌碑である。
「かきくらす、心の闇に、まどひにき、夢うつつとは、こよいさだめよ」
混乱して、心が乱れています。夢か現実かは今夜確かめてください。
業平公は、この斎宮にも来ているのです。この和歌で、斎宮の女性から昨夜の事は夢だったの?と言われて業平公が詠んだ歌と言われています。
流石在原業平!、交際範囲の広いこと。 情を交わした女性の数が3,700人とか?、「神に仕える女性」も例外ではなさそうです。
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同上。
在原業平公と言えば、「元祖イケメン」とも「日本を代表するプレーボーイ」である。上品な言い方で別表現をすれば、容姿端麗にして和歌の名手(六歌仙の人一人)と言えよう。
平城天皇-阿保親王ー在原業平と、高貴な血筋である。 しかしご承知のように、「平城上皇の変」により父は太宰府に左遷され、業平公は在原性と格落ちしてしまいます。
在原業平の生きた時代(平安京)について。
この時代の政局を述べてみたいと思います。 藤原良房公をご存知でしょうか、この時期に彼は絶頂期に近い所に来ていたと思います。
藤原良房公について。
父冬嗣(左大臣)の二男として生まれた。きっと仕事がよくできたのであろう、時の嵯峨天皇に見込まれて娘である源清姫を娶った。(譲り受けた) そして二人に授かった子が明子(あきらけいこ)である。 明子は文徳天皇の妃となり、清和天皇を生む。 この幼帝の摂政(臣下で初めて)となったのはご周知の通りである。 良房とっては、「我が世の春」が到来したことであろう。
(*当時としては珍しく良房は、清姫以外に妻を持たなかった。 嵯峨天皇に配慮したがは定かではないが、兄長良の子の基経と高子(たかいこ)を養子としていた。
この時代の業平さんは、交際のあった高子さんとの関係はさぞかし大変で(最もけむたい良房・基経の存在に)あったと想像します。 -
この写真は、我が家に昔からある小倉百人一首かるたである。
百人一首の中でも人気がある和歌で、前段での高子さんとの深いかかわりで載せてみました。
確か後年に、二条后(高子・清和天皇妃)の屏風絵に業平公がこの和歌を付け足したとか?。 業平公27歳・高子姫13歳、この出会いからよくもまあ~続いてきたものです。 -
藤原敦忠公の歌碑との出会いです。
敦忠さんって誰?馴染みのない名前で、和歌の紹介の前に彼を紹介します。 まずは彼を「平安のロミオ」とでも言っておきましょう。 超美男子で管弦(琵琶)・和歌に優れた人物です、この時代に「最もモテた男」と言ってもいいでしょう。
彼はあの有名な藤原時平公(菅原道真を太宰府へ追いやった)の三男坊として生まれ、四歳にして父が他界した。 藤原氏の主流が叔父の忠平公に移った時期の人である。
敦忠公の系図をここに紹介致します。
在原業平-在原棟梁(むねはり)ーおほのつぶねー藤原敦忠
何と!、曾祖父が業平公である。 遺伝とは恐ろしく似るものと、小生は感嘆した次第です。 それからもう1つ、系図の敦忠の母おほのつぶね「在原棟梁の娘とも云う」ついて。彼女について述べさせて頂きます。
彼女は、大和物語や平中物語に登場しております。 それはそれは大変な美女であった!。当初時平の伯父国経の妻(歳が3倍近く離れた)であったが、その時平に盗み取られてしまったのである。 その後に敦忠が誕生するが、彼女には国経との間に一人の息子がいました、名前は滋幹(しげもと・敦忠の異父兄)である。このような内容等が物語に含まれていたと思います
この物語とは別に、谷崎潤一郎の名作「少将滋幹の母」があります。 小生は読んでみましたが・・・、どうもあまりよく分からずじまいで。 なんて言うか、小説中の彼女の感情表現が全く無くって、この作品の良さが理解出来ませんでした。
忘れていました、和歌の紹介を。
「伊勢の海の、ちひろのはまに、ひろふとも、今は何てふ、かひかあるべき」
伊勢の広い浜辺で探して見ても、あえなくなった今は、何の貝(甲斐)も見つからない。むなしいだけだ。
この和歌は、お付き合いをしていた雅子内親王(醍醐天皇の皇女)への送歌である?。 彼女への和歌は百首程あり、その真剣さは相当のものである。 しかし彼女は斎王となり、引き離されて結婚は出来なかったようです。 -
敦忠公の歌碑がもう一つ並んでありました。
「伊勢の海に、船を流して、潮垂る、海人を我が身と、なりぬべきかな」
伊勢の海で、いつも海水を浴びている海女のように日々涙にくれる我が身になってしまうことでしょう。
藤原敦忠VS在原業平
前段で、敦忠公の曾祖父が業平公であると述べました、ここで小生なりのコメントを。 両人は共にプレーボーイには間違いはなく、そして眉目麗しく和歌には秀でた人物であることは共通するところである。 ここで小生のなりの意見を。(でも、ちょっとだけ違う~んじゃな~い?)
敦忠公の和歌を鑑賞すると、「ロマンチスト」の言葉が最もよく当てはまります。 恋には真剣で誠実さが感じられ、どこの誰かとは申しませんが、同時代の「一夜めぐりの君」とは全く違います。 又温和な性格で、宮中で仲間に親しまれたとされています。 家系が傍流となったとは言え、三十七歳で権中納言まで登りつめたのは立派であること他ならない。 おそらくは、両親(双方)の「いいとこどり」の性格のみを譲り受けたのであろう。
惜しむらくは、敦忠公が短命であったということです。 父親(時平)同様に。本人も承知していたようで「我が家系は短命!」と。 当時巷では、菅原道真の怨霊による祟りであると噂されていた。
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雅子内親王の歌碑です。
「いせのうみの、あまのあまたに、なりぬらむ、われもおとらず、しほをたるれば」
伊勢の海に、たくさんいる海女の一人になってしまったのでしょう。私もあなたに劣らず泣いているのですから。
この和歌は、前段の敦忠が詠んだ歌に対しての雅子内親王の返歌です。 二人は真剣な交際だったが結ばれることはなかった。伊勢の前は恋を邪魔されて、内親王は斎王赴任へ・・と。 都へ戻った雅子内親王は、敦忠の従兄弟である師輔と結婚するのである。
この後、4基の歌碑がありましたが、この旅行記では割愛させて頂きます。 -
古代の伊勢道を写真に撮りました。
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斎宮跡の次の見学場所、昭和幸福村公園(四日市)へ来ました。
この公園には、小倉百人一首の歌碑が30程あると言う。 小生は、子供の頃よりカルタに慣れ親しんだ経験があります。 どのよう歌碑があるか楽しみです。 -
歴史の庭で最初に見つけたのがこの歌碑です。
そうです、百人一首でおなじみの「右近の和歌」。
「忘らるる、身をば思わず、誓ひてし、人の命の、惜しくもあるかな」
忘れられてしまう私のこの身は構わないですが、誓いを破った事で神への天罰を下る貴方の命はとても惜しく感じられます。
小生の主観ですが、素敵な歌です。 この和歌の(人・貴方)は藤原敦忠!で間違いはありません。(確率99%) 長きにわたって好きな相手を思い続けた右近の想いが感じられる和歌です。
送られた敦忠の返歌はありません。 この時病床伏していた敦忠は、しばらくたって37歳でこの世を去ったとされています。 -
同上。
右近について。
右近は、平安時代中期の女流歌人。 父は右近衛少将季縄(うこんのしょうしょうすえなわ)、父の名前から右近と呼ばれたようです。 彼女は、醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、敦忠の他に元良親王・源順・藤原師輔などと恋愛関係にあったとされています。
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右近の和歌に対比して?、敦忠の歌を投稿したくなりました。 写真は小倉百人一首から。
「逢ひみての、後の心に、くらぶれば、昔はものを、思はざりけり」
恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど無いに等しいほどのものだった。
敦忠公がこの和歌のお相手は?、競馬予想ではありませんが?。
×右近・お二人の仲を持ちたい小生ですが、彼女の方が一方的でなさそうです。他に3~4人の名前が取り沙汰されていますが。 本命◎貴子・ (叔父忠平の長女)年上であり、忠平の反対で長く続かなかったようです。〇雅子内親王・敦忠公がかなり真剣だった。△明子・ (叔父仲平の娘 敦忠の妻となった)×北の方(藤原玄上の娘)敦忠の本妻では面白くない。
小生の予想は雅子内親王!、平安のロミオが敦忠ならジュリエットは彼女です。
この和歌の感想は、皆様方それぞれに。 小生の感想は?、この内容ではとても出来得るはずがありません。 -
壬生の忠見の歌碑を見つけました。
小生の若かりし頃(小学生)、カルタ取りで朗読(読み手)の記憶があります。 大きな声で「こいすてふ~」と読み笑われた体験があります。良き思い出に今でも好きな歌の一首です。 「初恋」的な内容の和歌なので、モテた経験のない小生でも、こちらの方は何とか語れそうです。
「恋すてふ、わが名はまだき、立ちにけり、人知れずこそ、思いそめしか」
「恋をしている」という私の噂がもう立ってしまった。誰にも知られないように、ひそかに思い始めたばかりなのに。 -
百人一首からの、平兼盛の和歌。 突然この和歌を登場させました。つきましてその訳は、後ほどに紹介致します。
「忍ぶれど、色に出にけり、我が恋は、ものや思ふと、人の問ふまで」
心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまったようだ。私の恋は、「恋の想いをしているのですか?」と人に尋ねられるほどのなって。
-
上記の和歌二首には、特別な関係があります。 西暦960年、天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)が行われました。題しては「忍ぶ恋」です。
壬生忠見と平兼盛の1対1のガチンコ勝負です。 どちらの歌も素晴らしく優劣が付かなくなりました。 裁定者である時の左大臣藤原実頼も困り果てて、村上天皇の顔色を伺ったところ、小さな声で「忍ぶれど」と発せられたと言う。 これで平兼盛の勝ちが決まり、負けた壬生忠見は、悔しさが余って食欲不振となり死亡したとされています。
この二首の和歌を現代の感覚で見るとどうだろう?。 小生の調べでは、7対3で平兼盛です。 倒置法の仕様と第三者(人の問ふまで)の使用法が素晴らしいと言われています。
小生はどちら?・・・、単純にただひたすらに人に知られない事を願う忠見の歌、これって素敵です。 -
紫式部の歌碑
今年の大河ドラマ「光る君へ」にちなんでの投稿です。
「廻り逢ひて、見しやそれとも、わかぬ間に、雲隠れにし、夜半の月かな」
せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるどうかのわずかの闇にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。 -
清少納言の歌碑
紫式部を投稿すれば、ライバルである彼女を出さないわけにはいかないようで。
「夜を込めて、鳥の空音は、謀るとも、よに逢坂の、関は許さじ」
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。 -
紫式部の像。
-
旅行記の終わりに。
素敵な一日を過ごすことが出来ました。 天候にも恵まれ、又桜も6~7分咲と申し分の無い旅ができました。 美しい景観と自身の趣味が堪能出来た事を感謝したい思いでいます。
ーおわりー
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この旅行記へのコメント (6)
-
- tya−tyaさん 2024/04/22 21:48:17
- 素敵な場所ですね
- ryujiさん、こんばんは。
斎宮跡、歴史の道、そして昭和幸福村公園と、素敵な場所ばかりですね。とても行きたくなりました。貴重な情報をありがとうございます。
大伯皇女、大津兄弟は、漫画「天上の虹」で読んで本当に可哀想に思ったものです。
そして古えの方達の和歌が現代までずーと伝えられ、百人一首などで子供の頃から慣れ親しんでいる日本の文化って、素晴らしいと思ってしまいました。
和歌を通して、その時代の人のことを想像するだけでワクワクしますね。何もかもスピードの時代ですが、ゆっくり散歩するのもいいですね。
tya−tya
- ryujiさん からの返信 2024/04/23 09:06:26
- Re: 旅行記を見て頂きありがとうございます♡
- おはようございます、tyaーtyaさん。
久しぶりの旅に、コメントを頂きありがとうございます。 大変嬉しく拝見致しました。
コメントでの、大伯皇女・大津皇子の人気を改めて感じさせられた思いです。(いい~ですね、老若男女思いがみな一緒って・・違います?、ゴメンナサイ!)。
最後のお言葉「何もかもスピードの時代」、貴女様のおっしゃる通りです。 だからこそ、自身のゆとりが必要と考えます。散歩・読書・スポーツ・etc。
改めて、このような旅行記にコメントを頂き感謝します。
ryuji
-
- mistralさん 2024/04/18 13:09:35
- 歌碑めぐりの旅。
- ryujiさん
遅ればせながら、再びの参上です。
三重の旅の旅行記を拝見した折、在原業平さん、藤原敦忠さんのお歌やその方々にまつわるryujiさんのコメントなど拝読して、そうなんだ、そんなことなどあったのね、と学びを深めさせていただきました。
大伯皇女さんにつきましては、ちょっぴり存じ上げておりましたから、ryujiさんと同じように、わ~大伯さん、この方なら私も知っているわ、と嬉しく想いました。
三重県にあります夏目廃寺まで行ってきたほどでしたから。
そもそも関心を抱きましたのは、しにあの旅人さんの旅行記で、その廃寺跡の旅行記を拝見してからでした。まるでそこにはまだ大伯さんがおられるかのようなご様子でコメントされておられ、いつかは私も訪れてみたいと想い、やっと実現した旅でした。
姉弟のたどった悲劇に想いをはせますと、やるせなくなりますね。
その折に同行した夫は、翌日二上山に登ってきました。(夫は実は高校生のころ、二人の悲劇を知ったそうで、私はその頃は姉弟の運命などは何も存じ上げておりませんでした。)
このコロナ騒動で、様々な旅のスタイルに変化がおこり、国内に目をむけることがなかったのなら、多分、大伯皇女のことなど知りえなかったのやもと思いますと、
なにやら不思議な感覚が致します。
そのようなことなどを、ryujiさんの旅行記を拝見しながら思いめぐらせておりました。
有難うございました。
mistral
- ryujiさん からの返信 2024/04/18 19:00:01
- RE: 歌碑めぐりの旅。
- こんばんは、mistralさん。
この度は、タイトルの旅行記にコメントを頂きありがとうございます。自身思い返すに、「これって旅行記?」投稿には躊躇せざるを得ないものだと考えます。 余りにも独善的になりました。 投稿済みで、よってご容赦願います。 mistralさんからコメントまで頂いた事、有り難いのひと言に尽きます。
小生の歴史上の人物で大好き女性、大伯皇女ですね。 伊勢の神を司る斎王になられたという事で伊勢斎宮跡へ行って来ました。 おっしゃる通り、彼女を語る時大津皇子(弟)が欠かせないようです。よって、この悲しい運命は今日(現代)に語り継がれたと言っても過言ではないと思います。 歴史認識の高いmstralさんは、おそらくは紅涙を絞られたことでしょう。 大津皇子との姉弟愛は、小生と思いを同じくされた事と思います。
二上山のお話で。 この山は、姉弟を語る上で欠かせないですね。旦那さんは登られましたか、小生は麓までです。 登ればよかったなぁ〜、後の祭りでした。
改めて申します、このような旅行記にコメントを頂けたこと感謝申し上げます。アリガト・アリガト・mistralさん。
ryuji
>
-
- 白い華さん 2024/04/14 16:03:16
- 「大好き!な・・『歴史&和歌』を、満喫する」なら、一人旅!が いい。
- 今日は。
ryujiさん、
「大好き!な・・『歴史&和歌』を、満喫する」なら、一人旅!が いい。
って 思いながら、
私には、理解不能・・な「古文!の 世界」を 拝見させてもらいました。(笑)
でも、こうゆう「石碑」の 文章・・を 理解。考えながら
「古・・の 世界」を 一人!・・じっくり、味わう「旅」。
なんと「有意義な・・自分時間」って 思ったりするのでした。
人、それぞれ・・に
『ワクワク!出来る・・もの』(趣味 ?。楽しみ)が あること。
は「とっても、大切」ですね。
そして、家に 居てばかり・・だと
「外出する(こと)が、面倒だったり・・」と なりがち。も
(これ! 私のこと)
「お隣!の 三重県・・まで」
『春を 感じる! 一人旅』を 実行する、ryujiさん。
「とっても、素敵です」。
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ryujiさん・・の 住んでいる!『岐阜県』は、
情緒豊か・・な「重伝建地区」を 中心。に、しみじみ、出掛けてみたい。
と 思う!
私には、憧れ。魅力的な・・行きたい!場所。
ながら
「なかなか、行くこと!が 出来ず」なので
ryujiさんの「ご近所・・の 桜」も、興味津々、楽しませてもらいました。
これからもよろしくお願いします。
- ryujiさん からの返信 2024/04/15 08:42:39
- Re: ごもっとです!・「大好き!な・・一人旅!が いい。
- おはようございます!白い華さん。
この度は、小生の旅行記にコメントを頂きありがとうございます。 まずは何と申しましょうか、このような旅行記に…感謝・感激です。
ホント特殊なと言ってもいいか、「小生・斎宮跡へ行くぞ」「家内・一人でどうぞ」とこのような始末です。 旅行記の内容は(投稿の一般論として)、大きくかけ離れたものですね。 でも白い華さんが言って頂いた「タイトル趣旨」で、小生は大いに気をよくて自身さえ持てた次第です。
旅の王道とは、これを考えた時。 世界の名所・旧跡を尋ねるのもよし、景観の美を求めるのも。 そのような意味で、小生も少なからずパリ&ローマへ。 エッフェル塔・凱旋門・コロセウム・トレビの泉、ある意味これが旅の王道なのかな?。
最後に今回の旅行記は、「旅行記投稿の趣旨の相違」と言うことでご理解して頂ければと思います。
ryuji
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