2024/04/04 - 2024/04/04
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ryujiさん
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本日(7:30)、三重県の斎宮跡と昭和幸福村公園へ出かけることに致しました。いつものように、車での気軽な一人旅です。
以前より興味深かった上記の2地区を見たい、桜咲くこの時期にこの思いを旅行記に投稿致します。
改めて自身のスタイルを?、やはり小生は歴史好きで今回は和歌への想いを中心にこの旅行記に載せたいと思います。
中身につきましては、大伯皇女(万葉集)・藤原敦忠(拾遺集)の作品を主にと、それにまつわる人物等を登場させたい所存です。
旅行記としては極めてマイナーなものです、少なからず興味ある方に覗いて頂ければ幸いです。
(写真・昭和幸福村公園の歴史の庭)
- 交通手段
- 自家用車
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出発の朝、我が家からの眺め。 天候は晴れ、まずまずの旅行日よりである。
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羽島市~明和町まで約3時間半、斎宮歴史博物館に到着です。 駐車場の桜は6~7分咲といったところです。
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斎宮跡のマップです、これを参考に廻る順番を考えて。
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北方向に約400m、ここが歴史博物館です。
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同上。 玄関口。
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歴史博物館の館内。
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歴史博物館の東に伸びる道、読んで「歴史の道」。 ここには12の歌碑が並んであります。 今回、東~西(番号順・古い時代順)に見て行きました。
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最初の歌碑は大伯の皇女の歌碑です。小生は感激の出会いだ、でも漢字の表示でいささか残念。
「わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて暁露にわが立ち濡し」
こう註訳すれば・・・、何となく理解できる。 大伯皇女が弟の大津皇子を大和へ送る時に朝露に濡れてしまったという事だ。
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続いてもう一つ、大伯皇女の有名な和歌の歌碑がありました。
「二人行けど、行き過ぎかたぎ、秋山を、いかにか君が、ひとり超ゆらむ」
ふたりで行っても、容易に越えて行けない秋山を、どうやってあなたはひとりで越えていくことでしょう。
この和歌二首について
これは幾分に小生の推測ですが、大津皇子亡くなる直前、場所は都より遠く離れた伊勢(この地)で二人がひそかに逢った時の彼女の歌である。 斎藤茂吉氏の言葉を借りれば「姉弟の哀愁深い別離の歌」で、その後の大津皇子の運命を暗示させる歌と言えよう。
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この歌碑は、20分程後の廻った「斎宮の森」で見つけた大伯皇女の「我が背子を」である。 でもこの写真では和歌が読めませんですよね。
姉弟(きようだい)、大伯皇女と大津皇子の哀しい人生の末路。
大伯皇女・大津皇子の両親は、天武天皇と太田皇女(天智天皇の娘)である。母親が若くして他界した、それでも父天武天皇が生存中は姉弟とも順風満帆であったようです。天武天皇が亡くなると天地が一変します。 後の持統天皇(天武天皇の皇后)により、すぐさま大津皇子が処刑されることは皆さまご承知の通りです。 太田皇女・鵜野讃良皇女(持統天皇)の姉妹と大津皇子・草壁皇子の従兄弟(兄弟)。 小生は、この親族関係を考えると複雑な心境になります。 -
前写真を大きく撮ってみました。 作者大伯皇女の字は何とか読めそうです。
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となりに斎王宮跡の碑がありました。
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次の歌碑は、在原業平公の歌碑である。
「かきくらす、心の闇に、まどひにき、夢うつつとは、こよいさだめよ」
混乱して、心が乱れています。夢か現実かは今夜確かめてください。
業平公は、この斎宮にも来ているのです。この和歌で、斎宮の女性から昨夜の事は夢だったの?と言われて業平公が詠んだ歌と言われています。
流石在原業平!、交際範囲の広いこと。 情を交わした女性の数が3,700人とか?、「神に仕える女性」も例外ではなさそうです。
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同上。
在原業平公と言えば、「元祖イケメン」とも「日本を代表するプレーボーイ」である。上品な言い方で別表現をすれば、容姿端麗にして和歌の名手(六歌仙の一人)と言えよう。
平城天皇-阿保親王ー在原業平と、高貴な血筋である。 しかしご承知のように、「平城上皇の変」により父の保親王は太宰府に左遷され、業平公は在原性と格落ちしてしまいます。
在原業平の生きた時代(平安京)について。
この時代の政局を述べてみたいと思います。 藤原良房公をご存知でしょうか、この時期に彼は絶頂期に近い所に来ていたと思います。
藤原良房公について。
父冬嗣(左大臣)の二男として生まれた。きっと仕事がよくできたのであろう、時の嵯峨天皇に見込まれて娘である源清姫を娶った。(譲り受けた) そして二人に授かった子が明子(あきらけいこ)である。 明子は文徳天皇の妃となり、清和天皇を生む。 この幼帝の摂政(外祖父として、臣下で初めて)となったのはご周知の通りである。 良房とっては、「我が世の春」が到来したことであろう。
(*当時としては珍しく良房は、清姫以外に妻を持たなかった。 嵯峨天皇に配慮したがは定かではないが、兄長良の子の基経と高子(たかいこ)を養子としていた。
この時代の業平さんは、駆け落ち交際のあった高子さんとの関係はさぞかし大変で(最もけむたい良房・基経の存在に)あったと想像します。 -
この写真は、我が家に昔からある小倉百人一首かるたである。
百人一首の中でも人気がある和歌で、前段での高子さんとの深いかかわりで載せてみました。
確か後年に、二条后(高子・清和天皇妃)の屏風絵に業平公がこの和歌を付け足したとか?。 業平公27歳・高子姫13歳、この出会いからよくもまあ~続いてきたものと思う小生です。 -
藤原敦忠公の歌碑との出会いです。
敦忠さんって誰?馴染みのない名前で、和歌の紹介の前に彼を紹介します。 まずは彼を「平安のロミオ」とでも言っておきましょう。 超美男子で管弦(琵琶)・和歌に優れた人物です、この時代に「最もモテた男」と言ってもいいでしょう。
彼はあの有名な藤原時平公(菅原道真を太宰府へ追いやった)の三男坊として生まれ、四歳にして父が他界した。 藤原氏の主流が叔父の忠平公に移った時期の人物である。
敦忠公の系図(女系を含めて)をここに紹介致します。
在原業平-在原棟梁(むねはり)ーおほのつぶねー藤原敦忠
何と!、彼の曾祖父が業平公である。 遺伝とは恐ろしく似るものと、小生は感服した次第です。 それからもう1つ、系図の敦忠の母おほのつぶね「在原棟梁の娘とも云う」について。彼女について述べさせて頂きます。
彼女は、大和物語や平中物語に登場しております。 それはそれは大変な美女であった!。当初時平の伯父国経の妻(歳が3倍近く離れた)であったが、その時平に盗み取られてしまったのである。 その後に敦忠が誕生するが、彼女には国経との間に一人の息子がいました、名前は滋幹(しげもと・敦忠の異父兄)である。このような内容等が物語に含まれていたと思います
この物語とは別に、谷崎潤一郎の名作「少将滋幹の母」があります。 小生は読んでみましたが・・・、どうもあまりよく分からずじまいで。 なんて言うか、小説中の彼女の感情表現が全く無くって、この作品の良さが全くと言って理解出来ませんでした。
忘れていました、和歌の紹介を。
「伊勢の海の、ちひろのはまに、ひろふとも、今は何てふ、かひかあるべき」
伊勢の広い浜辺で探して見ても、あえなくなった今は、何の貝(甲斐)も見つからない。むなしいだけだ。「敦忠公の心情を察するに、千尋のような広大な場所をどんなに探し歩いても、(彼女を)見つける(会える)ことができなくなったと詠んでいます。」
この和歌は、お付き合いをしていた雅子内親王(醍醐天皇の皇女)への送歌である?。 彼女への和歌は百首程あり、その真剣さは相当のものである。 しかし彼女は斎王となり、引き離されて結婚は出来なかったようです。 -
伊勢の海に 船を流して 潮垂るる あまのわが身と なりぬべきかな
藤原敦忠VS在原業平
敦忠公の曾祖父が業平公であることは前述の通りです。双方が見目麗しく、和歌に優れた当代きってのプレーボーイだったことは間違いない事実のようです。 でもチョットだけ違うんじゃなぁ~い?、これは小生の主観で、敦忠公はかなりのロマンチスト!です。 詠まれた和歌からは、常に真剣で誠実さの言葉が感じられます。 (業平公もそうで、どこの誰とは言いませんが同世代のプレーボーイの「一夜めぐりの君」とは一線を画したいと思います。
藤原敦忠公の人となりを。
ここで又、小生の所感を。 江戸時代の痛快漫遊記、水戸黄門はご存知であろう。 時代背景等の違いで単純な比較は出来ませんが、目で見る身分の位がどんなに偉い人か・・・。(中納言を黄門とも言う) 当時の平安京では、役人が1万人程いたとされています。 そのうち、五位(貴族)以上が約150人。 勿論のこと、若い敦忠公の官位は昨今の大臣に名を連ねていた。 藤原氏中心の除目であったことを差し引いても、小生は人物評価(敦忠)に◎を与えたい所存である。
平安朝の初期に生きた敦忠公は、短命であったということです。 父親(時平)同様に。本人も承知していたようで「我が家系は短命!」と。 当時巷では、菅原道真の怨霊による祟りであると噂されていた。
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雅子内親王の歌碑です。
「いせのうみの、あまのあまたに、なりぬらむ、われもおとらず、しほをたるれば」
伊勢の海に、たくさんいる海女の一人になってしまったのでしょう。私もあなたに劣らず泣いているのですから。
この和歌は、前段の敦忠が詠んだ歌に対しての雅子内親王の返歌です。 二人は真剣な交際だったが結ばれることはなかった。伊勢の前は恋を邪魔されて、内親王は斎王赴任へ・・と。 都へ戻った雅子内親王は、敦忠の従兄弟である師輔(藤原の主流となった)と結婚するのである。
この後、4基の歌碑がありましたが、この旅行記では割愛させて頂きます。 -
古代の伊勢道を写真に撮りました。
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斎宮跡がある、多気郡明和町の写真。 1千年の昔を彷彿とさせる景観に大満足の小生です。
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斎宮跡の次の見学場所、昭和幸福村公園(四日市市)へ来ました。
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同上。
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この公園には、小倉百人一首の歌碑が30程あると言う。 小生は、子供の頃よりこのカルタに慣れ親しんだ経験があります。 どのよう歌碑があるか楽しみです。
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この幸福橋を渡ると歴史の庭が待っています。
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歴史の庭で最初に見つけたのがこの歌碑です。
そうです、百人一首でおなじみの「右近の和歌」。
「忘らるる、身をば思わず、誓ひてし、人の命の、惜しくもあるかな」
忘れられてしまう私のこの身は構わないですが、誓いを破った事で神への天罰を下る貴方の命はとても惜しく感じられます。
小生の主観ですが、素敵な歌です。 この和歌の(人・貴方)は藤原敦忠!で間違いはありません。(確率99%) 長きにわたって好きな相手を思い続けた右近の想いが感じられる和歌です。
送られた敦忠の和歌はありません。 この時病床に伏していた敦忠は、しばらくして37歳でこの世を去った・・・。一説によると、右近は敦忠の不治の病を承知していて歌を送ったとされる?・・・、昔のことを思いを起こして。 結果、彼女の願いは虚しくも敦忠は神の天罰を受けて・・・、運命の儚さとはこうしたものであろう。 -
同上。
右近について。
右近は、平安時代中期の女流歌人。 父は右近衛少将季縄(うこんのしょうしょうすえなわ)、父の名前から右近と呼ばれたようです。 彼女は、醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、敦忠の他に元良親王・源順・藤原師輔などと恋愛関係にあったとされています。
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右近の和歌に対比して?、敦忠の歌を投稿したくなりました。 写真は小倉百人一首から。
「逢ひみての、後の心に、くらぶれば、昔はものを、思はざりけり」
恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど無いに等しいほどのものだった。
敦忠公がこの和歌のお相手は?、競馬予想ではありませんが?。
×右近・お二人の仲を持ちたい小生ですが、彼女の方が一方的でなさそうです。他に3~4人の名前が取り沙汰されていますが。 本命◎貴子・ (叔父忠平の長女)貴子が年上であり、忠平の反対で長く続かなかったようです。〇雅子内親王・敦忠公がかなり真剣だった。△明子・ (叔父仲平の娘 敦忠の妻となった)×北の方(藤原玄上の娘)敦忠の本妻では面白くない。
小生の予想は雅子内親王!、平安のロミオが敦忠ならばジュリエットは彼女です。
この和歌の感想は、皆様方それぞれに。 小生の感想は?、この内容ではとても出来得るはずがありません。 -
壬生忠見の歌碑を見つけました。 これも百人一首でよく知られた歌である。
「恋捨てふ わが名はまだき 立ちにけり
人知れずこそ 思いそめしか」
恋をしているという私の噂は早くも広まってしまいました。 誰にも知られないようにひそかに思い始めたのに。
小生、小学生時代の思い出です。 カルタ取りの時で、たまたまの読み手役で大きな声で「こいすてふ~」と読み笑われた体験が有ります。 後年になり、その意味では懐かしくステキな一首です。 -
百人一首からの、平兼盛の和歌。 突然この和歌を登場させました。つきましてその訳は、後ほどに紹介致します。
「忍ぶれど、色に出にけり、我が恋は、ものや思ふと、人の問ふまで」
心に秘めてきたけれど、顔や表情に出てしまったようだ。私の恋は、「恋の想いをしているのですか?」と人に尋ねられるほどのなって。
-
壬生忠見の和歌に対して、平兼盛の和歌を掲載した理由(わけ)を。
時は天徳四年(西暦1960年・平安時代)、内裏で天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)が催されました。 題して「忍ぶ恋」です。 満を持しての二首がこの2人和歌です。 双方の歌が素晴らしく優劣が付かない状況でした。 裁定者の左大臣藤原実頼も困惑し、村上天皇の顔色を伺ったところ小さな声で「しのぶれど」と発せられたと言います。 これで平兼盛の歌が勝ったされました。 兼盛は大喜び、負けた壬生忠見は食が届かない程落ち込み死に至ったとされています。
平安時代からすると兼盛が勝ちとなりましたが、現代の感覚からするとどうであろう?。 好き嫌いを別途として、七対三で兼盛を支持する見方があるようです。 文法的にみると、倒置方の使用と第三者(人の問う)を最後に持ってくるのが良いとされています。
小生はどちらがいい?、「ただひたすらに秘めた思いが知られない事を・・・・」これって素敵に思います。 何てたって冒頭の「恋すちょう」がいい、前述で・・・・、昔「恋捨てふ」と間違えた思い入れの深さ起因しているようだ。 -
紫式部の歌碑
今年の大河ドラマ「光る君へ」にちなんでの投稿です。
「廻り逢ひて、見しやそれとも、わかぬ間に、雲隠れにし、夜半の月かな」
せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴女だと分かるどうかのわずかの闇にあわただしく帰ってしまわれた。まるで雲間にさっと隠れてしまう夜半の月のように。 -
清少納言の歌碑
紫式部を投稿すれば、ライバルである彼女を出さないわけにはいかないようで。
「夜を込めて、鳥の空音は、謀るとも、よに逢坂の、関は許さじ」
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、函谷関ともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。 -
紫式部の像。
-
旅行記の終わりに。
素敵な一日を過ごすことが出来ました。 天候にも恵まれ、又桜も6~7分咲と申し分の無い旅ができました。 美しい景観と自身の趣味が堪能出来た事を感謝したい思いでいます。
ーおわりー
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この旅行記へのコメント (13)
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- しにあの旅人さん 2024/05/14 12:39:52
- 哀切な歌
- 斎宮歴史博物館は、大来・大津姉弟の旅で2度行きました。
イメージが具体的になって、この二人に会ったような気分になりました。
古代伊勢道の写真がありますね。
私たちは、1300年前のここで、
「我が背子を、大和へ遣ると、小夜更けて、暁露に、我れ立ち濡れし」
「二人行けど、行き過ぎかたぎ、秋山を、いかにか君が、ひとり超ゆらむ」
の歌を大来がよんだと解釈しました。
おっしゃるとおり、弟を思う哀切な姉の歌です。
飛鳥へ帰る大津を、大来は馬を並べてここまで見送った。全身朝露に濡れていたというシチュエーションです。
このあたりは、
「六国史の旅 飛鳥の姉弟10」
https://4travel.jp/travelogue/11683087
同11
https://4travel.jp/travelogue/11685229
で猛烈にしつこくやりました。
もしご用とお急ぎでなければ、おたずね下さい。長いですよ。
「歴史の道」には気がつきませんでした。
「斎王の森」には行きました。
三重県が総力を挙げたという感じのよく整備された史跡でした。
斎王宮跡は発掘さなかです。
大来皇女が斎王となった飛鳥時代の初期斎王宮あとが最近調査されたぐらいで、全体を解明するまであと100年はかかるそうです。
- ryujiさん からの返信 2024/05/15 09:35:39
- RE: 哀切な歌
こんにちは、しにあの旅人さん。
この度は、小生の拙い旅行記にコメントを頂きありがとうございます。伊勢斎宮に於ける大伯皇女の和歌はやはりこの二首のようですね。 思い起こす事、60年程前に・・・・。
小生が実家にいた時、我が家に「斎藤茂吉著・万葉秀歌」がありました。(現在所有は「折口信夫著・日本の古典2の万葉集」です) その時はじめて彼女を知りました・・・、印象は浅く?母の受け売りだったかも知れません。 当時の小生は、自然美への憧れ・季節の移ろい等に興味ありの少年だったようです。 「湯原王・・吉野なる&厚見王…蛙なく」がはじめて真に万葉集に触れた時だったと思います。(以前旅行記に投稿)
しにあの旅人さんが仰る「哀切な歌」の人情的な理解は後年の事のようです。 折口信夫先生の口約を含めて、彼女のヒロイン像の誕生が自身に出来上がってきたのではなかろうか?。
しにあの旅人さん、自身のコメントに終始してゴメンナサイ。 斎宮跡の発掘調査、その解明は貴方様のお得意の分野です。 今後大いにご活躍を、小生は全くダメところです。
大伯皇女・大津皇子にまつわる「六国史の旅 飛鳥姉弟10」これから見させていただきます。よろしくお願いします。
改めて、旅行記にコメントを頂きありがとうございます。
ryuji
>
-
- 前日光さん 2024/05/02 23:08:26
- 斎宮跡
- こんばんは。
しにあさんの旅行記でも、斎宮跡を訪ねたものがあって、興味津々です。
しかし現在腰痛がひどくて、旅に出るのは難しいです。
寺社につきものの階段という強敵が私を待ち構えているので、困ったものが好きになってしまったなぁと。。。
大津と大伯については、学生時代に書いたレポートを担当教官が割とほめてくれました。
夭折した大津の無念さと、その死後都に戻った大伯と持統天皇の関係とか、草壁を失うことになる持統の心情とか。。。
人の世はなかなかうまくいかないものなんですねぇ。
大津を死に至らしめながらも、わが息子草壁を失うという皮肉。
天武亡き後、孤独を抱えながら生き抜いた持統は、はたして幸せだったのでしょうか?
斎宮という制度は、当時の内親王たちにとって、どんなものだったのか?
二上山は、奈良に行くといろんな場所から見ることができます。
雄岳の頂上にある大津の皇子の墓所には行きたいと思いながら実現できていません。
「昭和幸福村公園」というのは、初めて知りました。
和歌好きにはたまらない垂涎の場所ですね!
もう少し体調を整えてから、この辺り行ってみたいですねぇ。
ご紹介ありがとうございました<m(__)m>
前日光
- ryujiさん からの返信 2024/05/03 19:49:11
- Re: 旅行記を見て頂きありがとうございます♡
- こんばんは、前日光さん。
この旅行記にコメントを頂きありがとうございます。 やはり日本の歴女の関心の的は、大伯皇女&大津皇子ですか!。
何故かしら?,小生なりに考えてみました。 小生は読ん事はございませんが、里中満智子さんの「天上の虹」の影響大ではないでしょうか?。 小生なりに、ネットでこの長編「天上の虹」を生意気にも分析を致しました。 この小説(マンガ)は、いわゆる持統天皇を中心に描かれているようです。 大伯皇女と大津皇子の行(くだり)では、里中満智子女史が何故か両人に好意的に描かれているそうです。 一層の事、悲哀のヒーロー・ヒロインが色濃く誕生したようです?。
歴史的史実は、はっきりとはわかりませんが、多くの歴女が「紅涙を絞る」結果となったのは確かであるようです。
甚だ勝手なことを申しました、お許しを。
ryuji
- ryujiさん からの返信 2024/05/03 21:01:08
- Re: 旅行記を見て頂きありがとうございます(2)
- こんばんは、前日光さん。
昨今小生は、1年ぶりに旅行記投稿に加わることになりました。 前日光さんもお元気にて?・・・、腰痛がひどいそれは大変ですね、お気を付けてお暮しください。
大津皇子&大伯皇女に対する前日光さんの感性には小生頭が下がります。学生時代からの知能の蓄積が今回のコメントの現れと思います。 ホントに小生も思いを同じくできて嬉しい気持ちいっぱいです。ありがとうございます。
昭和幸福村公園につきましては、小生が知ったは最近です。 百人一首の歌碑がある?と云う事で同時にと計画致しました。 旅行記でも述べましたが、子供の時によく遊びました。
(この書き込みコメントが先でしたが消失しました・・手違いがあり前後逆で申し訳ありません)
旅行記にコメントを頂きありがとうございます。
ryuji
- 前日光さん からの返信 2024/05/09 23:18:57
- RE: Re: 旅行記を見て頂きありがとうございます?
- ryujiさん、こんばんは。
私は里中真知子さんの「天上の虹」は全巻所有しております。
また里中さんが他にもこの時代を背景とした作品を描いたものがあって、それも読んでおります。
彼女はこの時代の歴史や人物像をよく研究されていて、素晴らしい作品に仕上がっていると思います。
いわば正統派古代ロマンシリーズとでも申しましょうか。
この上代という、一般にはなじみの薄い時代に焦点を当て、懸命に描いてくれたと思います。
しかし実は私はマイナーな作品の方に惹かれるつむじ曲がりなところがありまして(;'∀')、今はたぶん作品を描いていないのではないかと思われる「長岡良子」さんという方が描く古代ロマンシリーズが大好きなのです。
絵が美しく、ストーリーには創作的部分が多々入り込んでいまして、なるほどそういう解釈もあるだろうなと納得することが多いのです。
少女漫画などで、古代の世界を描いていただけるのは、歴史好きにとってはたまらないものがあります。
前日光
- ryujiさん からの返信 2024/05/10 14:13:11
- RE: RE: Re: 旅行記を見て頂きありがとうございます?
こんにちは、前日光さん。
またまた、コメントを頂きありがとうございます。 奥深い内容に、嬉しくも又反省をこめて拝見させて頂きました。
里中満智子さんの「天上の虹」を全巻お持ちとの事。 小生、準備不足で前回のコメントを反省しております。 せめて大津皇子の巻のみでも知りおくべきでした。さすれば自身に見えてくるものが、何かがあるそう信じています。 申し訳ございません。
「天上の虹」の主人公持統天皇は、どのような視点で描かれているか興味津々です。 小生が思っている彼女は、父天智天皇に似て「冷徹・非常」、そして「異常な我が子の溺愛」です。
改めてコメントを頂きありがとうございます。 又前回の不用意なコメントをお許しを。
ryuji
>
>
>
-
- tya−tyaさん 2024/04/22 21:48:17
- 素敵な場所ですね
- ryujiさん、こんばんは。
斎宮跡、歴史の道、そして昭和幸福村公園と、素敵な場所ばかりですね。とても行きたくなりました。貴重な情報をありがとうございます。
大伯皇女、大津兄弟は、漫画「天上の虹」で読んで本当に可哀想に思ったものです。
そして古えの方達の和歌が現代までずーと伝えられ、百人一首などで子供の頃から慣れ親しんでいる日本の文化って、素晴らしいと思ってしまいました。
和歌を通して、その時代の人のことを想像するだけでワクワクしますね。何もかもスピードの時代ですが、ゆっくり散歩するのもいいですね。
tya−tya
- ryujiさん からの返信 2024/04/23 09:06:26
- Re: 旅行記を見て頂きありがとうございます♡
- おはようございます、tyaーtyaさん。
久しぶりの旅に、コメントを頂きありがとうございます。 大変嬉しく拝見致しました。
コメントでの、大伯皇女・大津皇子の人気を改めて感じさせられた思いです。(いい~ですね、老若男女思いがみな一緒って・・違います?、ゴメンナサイ!)。
最後のお言葉「何もかもスピードの時代」、貴女様のおっしゃる通りです。 だからこそ、自身のゆとりが必要と考えます。散歩・読書・スポーツ・etc。
改めて、このような旅行記にコメントを頂き感謝します。
ryuji
-
- mistralさん 2024/04/18 13:09:35
- 歌碑めぐりの旅。
- ryujiさん
遅ればせながら、再びの参上です。
三重の旅の旅行記を拝見した折、在原業平さん、藤原敦忠さんのお歌やその方々にまつわるryujiさんのコメントなど拝読して、そうなんだ、そんなことなどあったのね、と学びを深めさせていただきました。
大伯皇女さんにつきましては、ちょっぴり存じ上げておりましたから、ryujiさんと同じように、わ~大伯さん、この方なら私も知っているわ、と嬉しく想いました。
三重県にあります夏目廃寺まで行ってきたほどでしたから。
そもそも関心を抱きましたのは、しにあの旅人さんの旅行記で、その廃寺跡の旅行記を拝見してからでした。まるでそこにはまだ大伯さんがおられるかのようなご様子でコメントされておられ、いつかは私も訪れてみたいと想い、やっと実現した旅でした。
姉弟のたどった悲劇に想いをはせますと、やるせなくなりますね。
その折に同行した夫は、翌日二上山に登ってきました。(夫は実は高校生のころ、二人の悲劇を知ったそうで、私はその頃は姉弟の運命などは何も存じ上げておりませんでした。)
このコロナ騒動で、様々な旅のスタイルに変化がおこり、国内に目をむけることがなかったのなら、多分、大伯皇女のことなど知りえなかったのやもと思いますと、
なにやら不思議な感覚が致します。
そのようなことなどを、ryujiさんの旅行記を拝見しながら思いめぐらせておりました。
有難うございました。
mistral
- ryujiさん からの返信 2024/04/18 19:00:01
- RE: 歌碑めぐりの旅。
- こんばんは、mistralさん。
この度は、タイトルの旅行記にコメントを頂きありがとうございます。自身思い返すに、「これって旅行記?」投稿には躊躇せざるを得ないものだと考えます。 余りにも独善的になりました。 投稿済みで、よってご容赦願います。 mistralさんからコメントまで頂いた事、有り難いのひと言に尽きます。
小生の歴史上の人物で大好き女性、大伯皇女ですね。 伊勢の神を司る斎王になられたという事で伊勢斎宮跡へ行って来ました。 おっしゃる通り、彼女を語る時大津皇子(弟)が欠かせないようです。よって、この悲しい運命は今日(現代)に語り継がれたと言っても過言ではないと思います。 歴史認識の高いmstralさんは、おそらくは紅涙を絞られたことでしょう。 大津皇子との姉弟愛は、小生と思いを同じくされた事と思います。
二上山のお話で。 この山は、姉弟を語る上で欠かせないですね。旦那さんは登られましたか、小生は麓までです。 登ればよかったなぁ〜、後の祭りでした。
改めて申します、このような旅行記にコメントを頂けたこと感謝申し上げます。アリガト・アリガト・mistralさん。
ryuji
>
-
- 白い華さん 2024/04/14 16:03:16
- 「大好き!な・・『歴史&和歌』を、満喫する」なら、一人旅!が いい。
- 今日は。
ryujiさん、
「大好き!な・・『歴史&和歌』を、満喫する」なら、一人旅!が いい。
って 思いながら、
私には、理解不能・・な「古文!の 世界」を 拝見させてもらいました。(笑)
でも、こうゆう「石碑」の 文章・・を 理解。考えながら
「古・・の 世界」を 一人!・・じっくり、味わう「旅」。
なんと「有意義な・・自分時間」って 思ったりするのでした。
人、それぞれ・・に
『ワクワク!出来る・・もの』(趣味 ?。楽しみ)が あること。
は「とっても、大切」ですね。
そして、家に 居てばかり・・だと
「外出する(こと)が、面倒だったり・・」と なりがち。も
(これ! 私のこと)
「お隣!の 三重県・・まで」
『春を 感じる! 一人旅』を 実行する、ryujiさん。
「とっても、素敵です」。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ryujiさん・・の 住んでいる!『岐阜県』は、
情緒豊か・・な「重伝建地区」を 中心。に、しみじみ、出掛けてみたい。
と 思う!
私には、憧れ。魅力的な・・行きたい!場所。
ながら
「なかなか、行くこと!が 出来ず」なので
ryujiさんの「ご近所・・の 桜」も、興味津々、楽しませてもらいました。
これからもよろしくお願いします。
- ryujiさん からの返信 2024/04/15 08:42:39
- Re: ごもっとです!・「大好き!な・・一人旅!が いい。
- おはようございます!白い華さん。
この度は、小生の旅行記にコメントを頂きありがとうございます。 まずは何と申しましょうか、このような旅行記に…感謝・感激です。
ホント特殊なと言ってもいいか、「小生・斎宮跡へ行くぞ」「家内・一人でどうぞ」とこのような始末です。 旅行記の内容は(投稿の一般論として)、大きくかけ離れたものですね。 でも白い華さんが言って頂いた「タイトル趣旨」で、小生は大いに気をよくて自身さえ持てた次第です。
旅の王道とは、これを考えた時。 世界の名所・旧跡を尋ねるのもよし、景観の美を求めるのも。 そのような意味で、小生も少なからずパリ&ローマへ。 エッフェル塔・凱旋門・コロセウム・トレビの泉、ある意味これが旅の王道なのかな?。
最後に今回の旅行記は、「旅行記投稿の趣旨の相違」と言うことでご理解して頂ければと思います。
ryuji
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