2024/03/17 - 2024/03/17
254位(同エリア374件中)
BO/Mさん
群馬県安中市妙義で集まりに参加した。
帰り道、足を延ばして妙義から車で約30分程の富岡製糸場に立ち寄ってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
入場料1,000円、時間が決まっているご案内の説明付きでツアーすると+200円で約小一時間敷地内をご説明付きで巡れます。
残念ながら、09:30既スタート後の入場で10:00からの第2ツアーを待つか悩んだのですが結果自分で回る事としました(それでも説明書きはそこら中にありますし、グループの観光速度・時間に左右されずに済みましたのでそれはそれでよかったかな、と思っています。ボランティアっぽいおじい様が中心のガイドさんでしたが、大き目なグループだと声が通らなかったりジョークに白けたり?もありそうな予感が素通しした何回かで感じられました。(いえいえ、ご苦労さまです) -
順路で進んで行きます、スマホを介して説明も受けられます
-
要石部分(天井部の真ん中)に「明治五年」と刻まれています
-
その通り、1872年(明治5年)に明治政府による官製工場として富岡製糸場は誕生しました。当時の世界最大規模、だそうです。フランスからの技師を招き、1868(明治維新年)からほどなく、西洋に倣って近代化を進もうと言う機運の時代に始まったわけです
-
それぞれの建屋は修復保存されており、中には資料や往時を思わせるものや説明が多くされています
-
重要文化財の建造物
明治政府が製糸業の近代化を図るために設立した模範工場で、木骨レンガ造の特色ある建物群が築造当初のまま保存。横須賀製鉄所の建設に関わったフランス人が設計士西洋風の建築技術を用いましたが、施工は日本の大工であるため寸法は尺寸に換算され、瓦葺などの日本風の建築様式も多く見られる和洋折衷の建造物。2006年、重要文化財に指定された。 -
それぞれの建屋についての説明です。
官製時代当初から骨子は決まっており、そこから経営が変わる毎に様々な工夫や改良が付け足され、或いは削られこんにちの姿となったのだと理解します。
最後、片倉工業時代が長く続き1987年にとうとうその役割を終えましたが、戦後昭和時代には中高から学びながら女工をし結婚への道筋を描かれているなど、興味深い当時を思い起こさせるものが多く見られました -
躯体は木骨、そこにレンガ積みの建屋です。積み方はフランス積み、木骨はトラス構造とフランスの設計士の思いが詰まっています。
-
長野、群馬、埼玉は設立前の時代から養蚕地帯だったのだが、最適地での官製工場設立に向けて踏破結果、富岡に決まった。選定理由は繭が確保でき、広い土地が比較的容易に確保できたため。高崎・吉井などから燃料の石炭がとれること。そして地元の賛同が得られたこと。
開業には渋沢栄一、尾高惇忠、杉浦讓、ポール・ブリュナ、オーギュスト・パスティアンら、となる。お雇い外国人も多く、そして若かった。澁澤32、尾高42。 -
基本、官製工場設立は地産地消で進められ、木骨・レンガなども地場の産となる。
1875年までは官製工場として指導方はフランス人中心、赤字が続いたが1876年から日本人のみの経営管理に移り、殊に速水堅曹所長時代に民営化を主張、工女教育強化、士気高揚を含めた製糸所の経営刷新をはかった -
工女募集により32道府県から集まり、週休1日、宿舎用意、食事支給、日々入浴可能で敷地内に診療所もあり診察料、薬代は工場が負担、在勤期間は1年から3年までとするなど当時としては悪くない条件である。
富岡の模範工場により、日本製糸業近代化を図ろうとしたのだが、各地から働き手が来ると共に、各地で製糸工場設立希望者に工女派遣をし、結果多くの養蚕製糸工場が発展して行きました -
その後、当所目的を果たした富岡製糸場は1891年(明治24年)に公売入札が行われ、三井高保(三井グループ)が落札、当時の三井銀行・理事に中三川彦次郎(福沢諭吉の甥)の方針で払い下げを受けた。
三井は1893年(明治26年)富岡製糸場の経営とともに融資担保として保有していた製糸場、名古屋と四日市に新設した製糸場を合わせて4工場で生糸生産を行い、全てアメリカ向けに輸出した。また、経営規模拡大を図り、機械増設、第二工場建設など工場自体を大きなものにしてゆきました。
その後、富岡製糸場の経営は安定していたが、上述の名古屋、四日市の経営に行き詰まりが出て来て、売却へと向かいます。 -
その後、原善三郎の婿養子、富太郎が1902年(明治35年)、三井から4工場を買受け、製糸業拡大を図りました。「原時代」です。
しかし、世界的不況の影響などを受け、原時代は長く続かず、結果、片倉製紙紡績株式会社に委任、片倉に合併されました。 -
片倉の流れは、1873年(明治6年)に片倉市助が岡谷市自宅敷地内で座操製糸を始め、長男兼太郎が洋式器械製糸設立、やがて片倉組を創設、経営規模拡大。1939年(昭和14年)には富岡製糸所を合併して片倉製糸紡績株式会社傘下におさめた。
終戦後、最大規模を誇ったが昭和40年代を最盛期として生糸価格低迷により1987年(昭和62年)操業停止に至った。
片倉時代、工女は企業による女子教育先駆けとなり、夜学で学ばせたりもしました。工場内資料などを見ていると、理髪店、診療所、学校、工場で働き、結構までの筋道をしっかりと現実的に描いてくれている片倉工業時代のパンフなど(多分募集用の冊子でしょう)わくわくして当時の女工さん候補者は読んだにちがいありません。一般に女工哀史(じょこうあいし)と暗く虐げられ搾取された風に呼称されるのですが、当時は各地から先進的な工場で働け、そこでの暮らしにより家は食い扶持が一人分減り、年季奉公の末には幾ばくかの預貯金も出来、実際に嫁に行けた、なんていう話が結構あったのではないか、と感じます。
また、そこでの生活は青春時代の大きな一頁になっただろう、と感じます。 -
右から左に、三井・原・片倉それぞれの進化を示しています。
-
建屋の骨組み構造で、フランス人設計士による躯体設計はトラス構造であることを説明しています、構造力学の図式そのもので力がどう加わり、どこで受けるかが見てとれる骨組みです
-
その説明
-
敷地内建屋は横に長く、画角になかなか収まりきらないものが多かった
-
トラス構造が見られる部分です
-
敷地内建屋の中で、工女宿舎でしょうか、いくつもこうした建屋が並び、そこで暮らし、数年を過ごした様子がうかがわれます
-
工女たちが住まった場所のうちの一つ、当時の俳優ブロマイドなどがまだ残っているそうです
-
床をこうして上げているのが特徴的です
-
敷地内建屋は結構入り組み、一筆書きで見学が出来ない為、結構右往左往させられる点でもう少し改善が出来るのではないか、とも思われますがそれは修復を進める事で更に数年後には実現しているのではないか、と期待します。
入って真ん中を見てから左右に振り分ける外周を半周して戻って、また別の半周をしなくてはならない非効率は是非一筆書き式の順路設計が期待されます -
首長館(ブリュナ館)は当初から在る建屋で重文。
-
敷地内建屋です
-
こちらは男子寮、でしょうか。工女の女子寮とは場所を隔てて存在します。
-
1873年(明治6年)に建てられたお雇いフランス人用の宿舎3棟のうちの1棟で伝習工女に器械製糸技術を教えたフランス人女性教師4名のために建てられた。
大正12年から増築部分と合わせて従業員用の食堂として使用されるようになり、操業停止まで使用されました。
木骨レンガ造、2階建て。前年に建てられた操糸所や2頭の置繭所に比べるとレンガ積みがよく整っている。2階三方を回るベランダ菱組天井が特徴の一つ。 -
そして正面玄関に戻って来ました。
-
こうして、明治初期に官製工場として日本の製糸業発展の為に建てられた模範工場は、その後三井グループ、原時代を経て片倉工業が長く操業をし、1987年までの長きに亘り戦後の東京オリンピック時代頃からの最盛期を経て、操業され続けてきたとともに、片倉工業の素晴らしい点はそれを壊さず、形を変えずその後も長い年月メインテナンスを繰り返しながら現在に伝承した企業としての意志、だったのではないかと思われます。
-
お陰様で近隣は観光地化が進んでいます
-
かつての製糸の街の敷地外塀部分、大八車などで製品や原材料を行き来させる活気ある場所だったのでしょう
-
西棟敷地外側(正面玄関から見た一番奥側)
-
ちなみに、この辺りは地主さんが100円から500円と言う結構な高下ある料金提示で駐車場代を取っています。遠ければ安く、正面玄関に近ければ高いのですがもしかしたら交渉によって200円と掲げているところが「100円で良いから停めてって」になったりします(実際にそうでした)
まだまだ完成形の観光地とは言えませんが、是非一筆書きの順路で中を効率的に見る事が出来るように徐々に時間はかかっても良いですから改善して行って頂けると更に良いのではないか、と小さい一声ですがここにのこしておきましょう。
今回、これまで。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
安中・妙義(群馬) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33