2024/02/28 - 2024/02/28
27位(同エリア158件中)
杏仁豆腐さん
岩槻大師から東玉大正館、岩槻藩遷喬館、岩槻人形博物館と巡りました。
あちこちの雛人形は歴史のあるもので、とても貴重な雛人形です。
雛人形を鑑賞しながら、岩槻の街を散策する人も多くいました。
ランチは、ヨーロッパ野菜をメインとしたカフェレストラン、ヨロ研カフェで。人気のレストランで、列ができていました。
岩槻人形博物館は、立派な建物で、価値のある作品を見ることができます。
歴史の街、岩槻も歩いてみると見どころも多く、1日では足りないほどでした。
雛人形に誘われて岩槻散策(前半)☆芳林寺・八雲神社・岩槻郷土資料館・岩槻大師☆2024/02/28
https://4travel.jp/travelogue/11888271
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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東玉大正館に来ました。
中井銀行岩槻支店として大正後期に建築された、煉瓦造2階建ての洋館建築です。建物正面を3分割し、上部を半円アーチ型で飾る入口を中心に、左右に窓を対象に配置する大正時代の中小規模銀行の典型的な事例です。 -
国登録有形文化財です。
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江戸から昭和の人形展を開催していました。
江戸末期の雛人形です。 -
大正時代の御殿雛
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楠木正成
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古今雛
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享保雛
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岩槻藩遷喬館です。
寛政11年(1799年)に、岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだま なんか)が開いた私塾です。後に藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励みました。 -
明治4年(1871年)に藩校が廃止になった後は、おおむね民家として使用されていましたが、昭和14年(1939年)に埼玉県の史跡に指定されました。
平成15年(2003年)から同18年(2006年)にかけて解体修理・復原工事を行い、公開しています。
埼玉県内では唯一現存する藩校の建物です。
梅の花も咲いていました。 -
座敷・教師控室
雛人形が飾ってあります。 -
教場
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児玉南柯
江戸時代の後半、延享3年(1746年)に甲州の豊島家で生まれ、11歳で岩槻藩士の児玉親繁(ちかしげ)の養子になりました。
16歳のとき藩主大岡忠喜(ただよし)に仕えました。
18歳で江戸の藩邸に勤務し、以後様々な要職を歴任し、35歳の安永9年(1780年)南京船漂着事件の処理で名声を上げました。
43歳のときに職を辞し、54歳の寛政11年(1799年)に私塾・遷喬館を開設し、岩槻藩の子弟教育に情熱を注ぎました。 -
訪れる場所で雛人形を見ることができます。
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八幡神社
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裏小路公園
秋葉邸(旧岩槻町町長)の跡地にさいたま市の公園としてオープンしました。 -
公園の中には人形彫刻作家「磊(らい)」の人形置かれている。
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ほのぼのとする風景です。
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にぎわい交流館いわつきに来ました。
日光御成道一里塚跡 (岩槻一里塚)があります。 -
岩槻人形博物館
日本初の人形専門公立博物館として、2020年2月22日に開館いたしました。
にんぱくの雛祭りを開催中です。 -
古今雛
江戸時代 -
五人囃子
江戸時代 -
雛段
江戸~明治時代 -
御所人形 面被
江戸時代 -
からくり人形 品玉
江戸時代 -
千代田之大奥 雛拝見
揚洲周延
大奥での雛祭りは、大奥に仕える者の親戚縁者も雛飾りを観ることが許されたそうです。この行事を「雛拝見」をいい、幕末まで続きました。 -
享保雛
江戸時代 -
天野家雛段
明治時代~昭和時代初期 -
天野家の雛段飾り
昭和12年 -
市松人形
大正時代(天野家寄贈) -
芥子雛十五人揃
昭和13年頃
たくさんの雛人形を見ることができました。貴重な雛人形の数々でした。 -
にんぱくの雛祭り
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にんぱくの雛祭り
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ヨロ研カフェでランチです。
ヨーロッパ野菜をメインとしたカフェレストランです。 -
ヨロ研野菜たっぷりのワンプレートをいただきました。
ヨロ研のパワーサラダ
ミネストローネ
ライ麦パン
鶏モモ肉のロースト
旬のヨロ研野菜 -
店内は満席だったので、テラス席でいただきました。
食後の珈琲 -
人形博物館の脇にある太田道灌公之像
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時の鐘に来ました。
市指定文化財です。
江戸時代中期の享保5年(1720)に鋳造された銅鐘です。もとは、その49年前の寛文11年(1671)に当時の岩槻城主阿部正春が鋳造させたものでしたが、ひびにより鐘の音に不具合が生じたため、改鋳されました。それが、現在の鐘です。 -
毎日、朝夕6時と正午の3回、美しい音色を響かせているそうです。
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石碑が時の鐘の基壇に登る階段の傍らにたたずんでいます。
昭和11年(1936)に建立された「岩槻城墟碑」です。そこには、明治29年(1896)に最後の岩槻城主大岡家ゆかりの九条道孝公爵が来訪したことをきっかけとして、旧岩槻藩士たちの依頼により九条道孝が時の鐘の傍らにイチョウを植樹したことや、この石碑の建立に至る経緯などが刻まれています。 -
浄安寺です。
京都市東山区知恩院の末寺。 -
閻魔堂
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武州鉄道の小径
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1924年~1938年の短い期間、蓮田駅と神根駅を結んでいた鉄道跡です。
現在では当時の遺構はほとんど残されていませんが、ところどころに鉄道があった痕跡の道路や敷地が見られます。
この武州鉄道の小径もそのひとつです。 -
愛宕神社に来ました。
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創建は明らかではありませんが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」に愛宕神社が記されているそうです。いい伝えによると、長禄元年(1457)に大田資清(一説には道灌)が岩槻城を築くにあたり城廓として外堀と土塁(土居)を造りました。
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