2024/03/03 - 2024/03/03
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たびたびさん
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昨日の筑前いいづか雛のまつりに続いて、今日は雛の里・八女ぼんぼりまつり。八女は鉄道がないので、アクセスは久留米からのバスになります。こうしてアクセスが限られているのもあって、実は今回が実質初訪問です。
ところで、八女と言えば八女茶くらいしか頭に浮かんできませんでしたが、中心部である八女福島は、重要伝統的建造物群保存地区というなかなかの街並。歴史を振り返ると慶長6年(1601年)、関ケ原の戦いの後、筑後国守32万石、柳川城主となった田中吉政が支城であった福島城を大改造。併せて八女福島は城下町として整備され、城の南側を迂回する往還道路に沿って短冊状に地割された町人地が造られる。その基本的な骨格はその後も引き継がれることになりました。元和6年(1620年)、田中家に継嗣がなく改易となると柳河藩は柳川藩立花家10万9千石と久留米藩有馬家21万石に分割され、八女は久留米藩領へ。また、一国一城令が出されたことから福島城も廃城となります。しかし、八女福島はその後も交通の要衝、物資の集散地として発展、久留米藩でも最大級の在郷の商家町となるのです。そして、もう一つの顔は、工芸産業の集積地としての伝統。和紙、久留米絣に提灯・仏壇、和傘、石灯籠といった手工業者が集まって、九州でもトップクラスなんだとか。長閑な八女茶の街くらいのイメージでしたが、とてもそういうものだけではないですね。
八女市のもうひとつの重要伝統的建造物群保存地区、黒木地区も訪ねてみましたが、こちらは、戦国期、黒木氏の猫尾城の城下町。江戸期に入って豊後別路の整備が行われ発展した、これも久留米藩の在郷町。明治の初期、大火の後に建てられた火事に強いとされる居蔵造の町並みが形成され、それが評価されての指定です。保存地区は堀川バス黒木バスセンターから素盞嗚神社に向かうメインストリート沿いのエリアなのですが、ただ、そこまで整然とした景観でもないので、目が慣れるまで少し時間がかかるかなとは思います。
雛の里・八女ぼんぼりまつりのことではなくて、八女福島、黒木の街の話になってしまいましたが、つまり、八女観光物産館 ときめき、八女伝統工芸館、八女手すき和紙資料館、八女民俗資料館とか地元の主要施設を回っていると、ひな祭りよりも街の魅力度の方が強く伝わってくるような感覚がありまして。。ある意味、実はそれが雛の里・八女ぼんぼりまつりの楽しみ方なのかもしれませんね。ひな祭りを楽しんだり、地域の歴史や文化を楽しんだりはいつものことなのですが、そのバランスで言うとここはちょっと後者の比重が高くなりますね。そして、その意味でもう一つ外せないのは磐井の乱に関係する岩戸山古墳。間違いなく、古代の九州のルーツを語る遺跡の代表格と言えるもの。これは本編の方で触れたいと思います。
なお、ちょっと想像も交えてですが、改めて筑後国のこと。戦国期、筑後国は大友氏が守護でしたが、その実態は筑後十五城と呼ばれた国人領主たちが割拠する地域。つまり、熊本も同じですが、大友氏や龍造寺氏、島津氏など大勢力の草刈り場的な位置づけです。それは、ある意味で言えば、筑後平野にあって小さな領地でもちゃんと豊かにやっていける恵まれた土地だったということなのかな。今でも、久留米市、柳川市、筑後市、八女市、うきは市、大牟田市など個性的な都市がモザイク的に立地していて、福岡を中心とする筑前国や小倉や筑豊の豊前国と比べるとかなり異なった様相。たびたび的にはこれも筑後国の豊かな風土や歴史が反映されているような気がしなくもないですね。なお、これらの市群の中心は一応、久留米。久留米からだと柳川、大牟田は西鉄大牟田線。筑後市(羽犬塚)はJR鹿児島線。うきは市はJR大久線。八女市も含めて、それぞれ乗り換えなしでつながっています。
一方で、久留米藩有馬家のことですが、ルーツは摂津。赤松氏の庶流であり、細川京兆家にも繋がるという名門で、秀吉に仕え大名となりますが、その後は家康に接近。関ヶ原の戦い、大坂の陣をうまく泳いで、巷間言われる”たいした功績もないのに”21万石の大大名となる。たぶん地元も含めて積極的な評価はされていなくて、田中吉政や立花宗茂と比べるとほぼ対極。しかし、そういう久留米藩の下で、福島八女も黒木も繁栄していったというのは、久留米藩がやはり21万石の大藩だったということもあったのでしょうが、有馬氏が余計なことをせず、地域の民力に任せるべきは任せるといった筑後国の風土に合った統治スタンスだったことが幸いしたのかも。久留米のゴム産業ももしかしたら、そういう延長線なのかな。藩主が目立つより、地域が自立して繫栄することこそが大事。意外に有馬家はクレバーな大名だったのかもしれません。
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久留米市内のホテルを出発。西鉄久留米バスセンターから八女福島に向かいます。
バスセンターは、西鉄久留米駅に隣接した場所。駅と一体という関係ですね。久留米には、JR久留米駅と西鉄久留米駅の二つがあって、その間に久留米市街の中心部があるという構造。JR久留米駅と西鉄久留米駅の間もバスを利用するのが普通です。 -
イチオシ
最寄りのバス停から八女福島は少し離れていますね。
八女福島八幡宮を目指しましたが、これは裏手。かつての城のお堀跡のようですが、クスノキの大木がけっこうな迫力です。八女福島地区の中心的な存在かな by たびたびさん八女福島八幡宮 寺・神社・教会
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イチオシ
八女福島八幡宮の正面に回ると、そこは重要伝統的建造物群保存地区のメインストリートでした。
江戸、明治、大正、昭和初期の建物が150軒ほど残っているというのですが、この八女福島八幡宮から北へ向かう通りは保存地区の整備が先行していて、見栄えの良い通りとなっています。一方で、八女福島八幡宮から西に向かう通りも旧往還道路。整然とした眺めはちょっと落ちる感じですが、同じく保存地区。歴史の街並です。交通の要衝、物資の集散地として発展 by たびたびさん八女福島の町並み 名所・史跡
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では、改めて八女福島八幡宮の方へ。
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始まりは、江戸時代の寛文元年(1661年)。庄屋であった松延四郎兵衛が旧福島城のやぐら高台に建立。応神天皇以下3柱を祀り、以来、成功勝利の神様とされてきました。
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有名なのは、境内で演じられる八女福島の燈籠人形。屋台を収める倉庫があって、その前に詳しい説明板。国指定重要無形民俗文化財となっていて、今でも地元の誇りとなっているようです。
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奥に向かって
おかめさんの門から -
どんどん進みます。
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手水舎を過ぎて
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中門。
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回廊にはちょっとしたひな飾り。
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本殿には酒樽が積まれていました。
神社自体の歴史は江戸以降なのですが、ここは福島城の跡ということなので、街の歴史と重なるでしょう。街の中心的な存在であることは間違いないように思います。 -
まだ、時間が早いので、遠いところから押さえましょうか。
八女福島地区からだと少し離れた場所、べんがら村を訪ねます。田んぼのあぜ道みたいなところを抜けて歩いて行きました。
施設は想像以上に立派。温泉施設を中心に by たびたびさんべんがら村 名所・史跡
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温泉施設を中心に飲食のスペースには地ビールの装置が置いてあったりして、とてもあか抜けた雰囲気。
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駐車場も広くて敷地内はゆったり余裕がありますね。
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また戻ってきて、八女福島八幡宮の南側から改めて中心部を回ります。
バルビゾンの道の見事な藤棚。 -
その脇にある鉄道記念公園は、昭和60年に廃線となった旧国鉄矢部線、筑後福島駅の跡地を整備された公園。小さな駅舎が残っていたり、滑り台やブランコなど鉄道型の遊具があったり。周囲の藤棚もけっこうな長さがあって、なにげに見事です。
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鉄道記念公園の続きに建つのは八女観光物産館 ときめき。
建物もけっこう立派だし、八女に来たなら外せない施設だと思います by たびたびさん八女観光物産館 ときめき お土産屋・直売所・特産品
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中に入ると
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地元の名産、八女茶を中心に
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はちみつ、もろみの加工食品、醤油・みりん、うどんなど豊富なラインナップ。
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道の駅みたいに充実していて、ここも八女に来たらぜひ寄りたい施設だと思います。
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八女伝統工芸館は、八女観光物産館 ときめきのすぐ向かい側。いくつかの文化施設がこれに隣接しています。
八女福島仏壇、八女提灯、和コマ、竹細工、八女手すき和紙など by たびたびさん八女伝統工芸館 美術館・博物館
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正面にはこんな大きな石灯籠。これも、八女の伝統工芸の一端です。
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館内は予想以上に広々。
地元の工芸品を紹介する施設ですが、 -
イチオシ
八女福島仏壇は、日本一の大型仏壇という豪華な仏壇から
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こちらは現代版。
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イチオシ
ほか八女提灯も大きいのやら、
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盆提灯。
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五月人形、ひな人形から
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和コマ、竹細工、
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八女手すき和紙など豊富なラインナップで、かなりの充実ぶり。展示も美しいし、見るだけでもとても楽しいです。
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奥の方では職人さんのデモンストレーション。
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この方は、お米に小さな字を書く職人さんです。
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入口の方に戻ると
一室に飾られた雛人形。 -
イチオシ
おきあげとか
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御殿雛はちょっと歴史を感じるものでした。
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隣りの八女手すき和紙資料館にも寄ってみます。
ミツマタ、こうぞ、がんぴなどの関係資料も by たびたびさん八女手すき和紙資料館 美術館・博物館
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伝統工芸、手すき和紙の作品や
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奥の方には和紙の原料となるミツマタ、こうぞ、がんぴなどの関係資料も。
紙幣に使われるのは耐久性が高いミツマタ。繊維が長くて強いこうぞは用途が広くて一般的。繊維は短いが光沢があるがんぴも一定層には人気があるとか。係りの方がいろいろ説明をしてくれました。 -
続いては、もう一つの八女民俗資料館も拝見です。
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イチオシ
いきなり現れるのは、国指定重要無形民俗文化財、八女福島の燈籠人形のセット。燈籠人形を演じる屋台は想像以上に大きなものなんですね。
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イチオシ
屋台に設けられた舞台の下から人形を動かすのですが、
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回り舞台や込み入った装置があれこれあって
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人形浄瑠璃なんかにはない技術も必要な感じですね。
係りの人が実演しながら丁寧に説明してくれました。
なるほど~
八女福島、いいじゃないですか。歴史も文化もちゃんと根付いている感じがありますね。 -
少し歩いて、さらに中心部へ。
旧木下家住宅「堺屋」は、旧往還堂に面した邸宅。江戸期から代々、堺屋の屋号で酒造業を営んだという旧家建物です。通りに面した建物は長屋門のようですが、それを待合に改造したところがちょっと面白いかも。 -
長屋門を入って、
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すぐ奥に見える明治41年築の離れ座敷が一番の見どころですが、
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二重屋根の二階建てのように見えて二階建てでないというのは、これも居蔵造りのデザインです。
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座敷に上がって
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イチオシ
これが奥の間。
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天井は折り上げの竿縁天井に格天井。ほか、屋久杉の一枚板の欄間、紫檀の床框もかなり贅沢なもののようですね。
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このレベルになると、棟梁だけでなく、主人のセンスや知識もないとここまでの建物はできないかな。
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庭園も嫌味がなくて、さらりとした感じ。
人・モノ・金に情報が行きかう八女福島ならではの遺産ではないかと思います。 -
ここから、旧往還堂を歩いて、八女市横町町家交流館に向かいます。
途中には、それらしい建物がポツポツ。 -
ひょいと中を覗かしてもらうとここにも我が家の自慢的な雛飾りがありました。
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八女市横町町家交流館は、江戸末期に建てられた元造り酒屋の建物を整備した公共施設。八女福島の町並みの魅力を発信したり、休憩スペースとしても使う施設ですが、この日は、八女ぼんぼりまつりのメイン会場なんですよね。
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さっそく中に入ると土間から座敷が一望できる
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シンプルな間取りです。
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最初の座敷にはお姫様の人形がずらり。
て、ゆったりしたスペースがぴったりとイベントの雰囲気にハマっていました。並みの方も加わりました。メイン会場の一つである八女市横町町家交流館の雛飾りは、 -
イチオシ
こんな飾り方は初めて見ましたが、ぎっしり詰め込んだ割には整列しての統一感もあって、これはこれで見応えあり。斬新なセンスかなと思います。
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こちらのお内裏様の方も同じですね。ペアにすると目立たないお内裏様の衣装の方もとても華やかで豪華なことがよく分かります。
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一番奥の座敷は、小さな飾り。これも独特のかわいらしさがありますね。
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全体のプロデュースは、地元の業者、八女人形会館のバックアップを受けたものだと思いますが、なかなかユニーク。
以上、規模は小さめですが、ちょっとしたインパクトもあって、十分に楽しめました。 -
また表通りに出て、ここらで昼食。
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そば季里 史蔵は、福島の街並みのど真ん中。レトロな店構えがいい感じなんですが、それにもましてそばの味がいいといつでも行列ができるという人気店です。
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早めに並だのでスムーズに入店。奥のカウンター席で天ぷらそばをいただきました。
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ここもちょこっとひな飾りですね。
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そばはお勧めという二八。確かにキレがいいし、つゆもすっきりしているので、これならいくらでも行けそうです。天ぷらの方も揚げ立てがサクサク快くて申し分なし。なるほど八女を代表する名店だと思います。
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ここから、冒頭に触れた岩戸山歴史文化交流館いわいの郷に向かいます。ちょっと中心部からは離れているんですが、外すわけにはいかないでしょう。
その途中で目に留まった八女市立図書館。二階に坂本繁二郎と山本健吉、それぞれの資料室がありました。 -
ちなみに、坂本繁二郎は、久留米出身で青木繁と同年の画家。久留米から八女の方に移ってきて自宅とアトリエを構える。八女の風景をフランス留学時代に過ごした田舎町バルビゾンに重ねたというのですが、バルビゾン通りもそれが由縁ですね。同世代でも早世した青木繁に対して87才まで生き、文化勲章も受賞。馬の作品が有名ですが、私は能面がいいと思いますけどね。
山本健吉は、昭和を代表する文芸評論家。父の出身が八女ということで記念館ができたようです。それぞれ小ぶりですが立派な資料室です。 -
少し進んで、隈本コマは、八女の伝統工芸、和コマの製造所。
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八女伝統工芸館でも拝見していましたが、また気になって。。
声をかけて、商品の並ぶ販売所を見せてもらいました。いかにも昔ながらのコマで、懐かしいような嬉しいような。そうした技術を使って、その他の木製玩具も作っていて、そうしたことも含めて伝統の灯を絶やすことがないようにがんばっているんだとか。いいお話も聞きました。 -
さて、岩戸山歴史文化交流館いわいの郷に到着。
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527年に磐井の乱を起こした豪族、筑紫君磐井の墓とされる岩戸山古墳の横に造られたなかなか立派な博物館です。
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広々としたロビーから奥の展示室へ。
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大型の石盾からの展示は、
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太古への旅路。
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稲作が始まり、格差が生まれた社会
つまり、弥生時代になって小さなクニができ、それが集まって大きなクニができる。3世紀の邪馬台国に象徴される時代です。 -
茶ノ木ノ下遺跡、野田遺跡、北山今小路遺跡、西山ノ上遺跡。弥生時代であっても、かなりのハイテク技術があったことが紹介されています。
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で、そこから先、3世紀中ほどから4世紀以降、古墳時代が始まりますが、岩戸山古墳は6世紀前半(古墳時代後期)の築造。磐井の乱の主人公、筑紫君磐井の墓とされている前方後円墳です。
ここからは、その岩戸山古墳で出土した石人石馬。 -
これがかなりの迫力だし、九州独自のもの。
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イチオシ
つまり、他では古墳に埴輪を建てるのに対し、
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それに代えて、石人や
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石馬、
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石靫(矢を入れる入れ物)、
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石盾を建てたのですが、
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それが九州で独自色が強まっていったという解釈。
そもそも前方後円墳の形式はヤマト政権との関係性を示すものなのですが、それでも独自路線が出てきたことは新しい動きということなのでしょう。 -
そして、磐井の乱のビデオでの解説も分かりやすいですね。
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ただ、これほど力を持っていた九州の豪族なのに、大和朝廷には抗えない。そんなに力の差があったのかと思うとちょっと不思議な気もしないではないですね。また、磐井の乱で敗れた磐井一族ですが、その後はひたすらヤマト朝廷に恭順。大和朝廷の体制下に組み入れられることで生き延びる。朝鮮半島との関係も絡んで、興味深く拝見しました。
結局、いつもの持論なんですが、邪馬台国は弥生時代の中で自然発生的に生まれたものだとしても、ヤマト政権はレベルが違い過ぎて、そうは思えない。文化が伝わる、文化を学ぶというのもありますが、弥生時代も大陸から次々と日本列島にやってくる弥生人の流れがある。縄文人も稲作を学んではいますが、弥生人がやってくることで鉄器を用いた高度な稲作が定着する。古墳時代の幕開けも同じで、大陸からやってくる人々の中に、ヤマト政権につながる一族がいて、ヤマト政権を作ったという方が納得感があるんですね。いわば、渡来人の集団同士の広域連携から統合、統制へ。ヤマトタケルの熊襲討伐や景行天皇九州巡幸だけでなく、出雲の国や吉備の国に対しても武力で従わせる事件がありましたからね。九州も少し時代は下って同じことが起きたと考えてもよいのではないかと思います。 -
では、岩戸山古墳方へ。
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この八女古墳群を代表する古墳は、古墳時代後期の6世紀前半に造られたとみられる墳丘長135mの前方後円墳で、九州北部では最大規模です。
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前述した通り、石人石馬と総称される石製品が100点以上出土しているのも大きな特徴なのですが、九州には装飾古墳とかもありますからね。
私としては、それも後から独自色が強まったと解釈するだけでなく、もともと大陸から違う文化を持っていたいろんな一族が渡ってきていた証とみれるのではないか。弥生時代もそうだし、古墳時代もまだまだ日本は多くの異なる文化を持つ一族が混住していたというのが実際のところなのではないかと思います。 -
岩戸山古墳で、けっこうヘトヘトだったんですが、ここでもうひと踏ん張り。黒木地区も訪ねることにしました。
このつながるバス停は、八女福島の最寄りのバス停横。 -
妙な名前ですが、中に入るとおしゃれで落ち着いた空間。観光案内所兼休憩所のような施設ですね。八女福島の中心部までは少し歩くことになるし、ここで元気をもらって歩けばちょうどいいのかもしれません。
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黒木の古い町並みへは、つながるバス停のはす向かいの堀川バス 八女福島バスセンターから行くことになります。ただ、建物が小さいし、つながるバス停からはちょっと陰になっているので分かりにくいかもしれません。ご注意を。
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黒木行のバスがやってきました。
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終点は、黒木バスセンター。
そこから降りて、八女黒木の大藤のある素盞嗚神社に向かう途中の家並みが重要伝統的建造物群保存地区のエリアです。 -
黒木の古い町並みの中に、黒木まちなみ交流館というのがありました。
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かつて酒の小売業をやっていたという旧松木家住宅を公開しているもので、
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これも火事に強いという典型的な居蔵造りの建物。
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二重屋根で正面、側面ともに重厚な土壁で覆われていますが、
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中は意外に開放感があって心地よい。
係りの人がいて、ちょこっと案内とかしてくれました。 -
さらに進んで、これは丸宗菓心庵という老舗のお菓子屋さん。どっしり堂々としたお店の構えは存在感がありますね。
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八女ぼんぼりまつりは、今年から黒木地区も参加していて、ここでも雛飾りを見せてもらいました。上品な雛飾りです。
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同じ通りのマルモ醤油店。創業明治18年という醤油、味噌の製造販売を行うお店。自社ので室で、米麹、醤油麹を造り、その麹を用いて、醤油、味噌の製造をするという昔ながらの製法。建物の構えもレトロです。
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もう一つ目に付いたのは古民家梅屋という古民家を活用したコミュニケーションスペース。カフェみたいなのがあって、けっこう人が集まっていました。
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こちらも奥の方では、八女ぼんぼりまつりの雛飾り。
ちらり拝見して、建物の雰囲気の良さも感じました。 -
最後に八女黒木の大藤。黒木の古い町並みの東端、素盞嗚神社の境内です。応永2年(1395年)、南朝の征西大将軍、懐良親王の御手植えと伝えられ、樹齢は600年超。
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枝張りは、東西48m、南北42m。
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境内を越えて、国道の方まで藤棚が広がっていて、ちょっと半端ではないですね。国の天然記念物というのもなるほどです。
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なお、素盞嗚神社の方ですが、神社を創建したのは、猫尾城主、黒木家9代目の黒木肥前守。元応~元亨年間(1319-1324年)と伝えられます。社殿は、けっこうおとなしい感じ。藤の方がだいぶ目立っています。
さて、これで黒木地区もおしまい。ここからは、羽犬塚駅までバスで出て、そこから久留米経由で博多まで帰ります。 -
ここから、久留米駅の周辺を少し歩きます。
とんこつラーメン発祥の地碑は、JR久留米駅前のロータリー。久留米でラーメンが誕生したのは昭和12年頃。白濁したとんこつスープは、スープの火加減を間違って、強くしてしまったことで生まれた偶然の産物なのだとか。ただ、碑はけっこう小さくて、なかなか気が付かないかもしれません。 -
ゴム産業発祥の地碑もすぐそば。昭和6年にブリヂストンが久留米工場をスタート。直系4m、重さ5tのタイヤを象ったモニュメントは、見ただけでブリヂストンに関係していることが分かります。ほか、久留米発祥の靴のムーンスター、アサヒシューズもゴムに関係しています。
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久留米駅から少し歩いて、久留米市役所へ。
建物は、平成7年に完成。高さ91.3m。福岡県内では一番高い市庁舎だそう。下から見上げるとけっこうな迫力です。 -
その最上階の20階に展望ロビーがあってそれが目当て。久留米市街から筑紫平野が見えました。
展望ロビーには市庁舎の模型なんかも置いてあって、いかに久留米の自慢の建物かということが分かります。 -
博多駅での晩飯は大福うどん。一番街の入り口にあって便利な場所だし、手軽さがいいですよね。
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いただいたのは丸天うどんとお稲荷さん。福岡らしいコシのないやわらかうどん。まあ、なんの変哲もないうどんという感じかな。お稲荷さんの方はちょっと堅めに握ってありました。
以上で、一泊二日の旅は終了。ここから広島に帰ります。お疲れさまでした。
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