2023/12/14 - 2023/12/16
187位(同エリア943件中)
白熊爺さん
今年最後を締めくくる静かな旅を求めて
やってきました山口県。
しかーし、、
その旅程日の3日間の山口地方は大荒れの天気という天気予報、、、
が~~ん!!
しかし、せっかく行くのですからポジティブに楽しむ努力は惜しみません。
どんな時でも希望はある!
嵐だって楽しみ方次第!
2日目の今日は城下町萩に行ってまいります。
午後には大荒れとの天気予報、、、
でも楽しむのです!
それが旅人の務めですから!
嵐が俺を待ってるぜ~山口で~の旅のはじまりはじまり~~
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
-
2023年12月15日(金) 曇り時々晴れのち雨
【12月15日の歩行数 24005歩】
おはようございます。
今日は遠出するので朝も早よから動き出す私ですが
出掛けにちょっとした事件がありました。
それは、、、
部屋のゴミを廊下に出すために部屋を出た時でした。
その時は幸いな事に
ショルダーバックを下げていてトートバックを持った外出スタイルでした。
ゴミ袋を持って廊下へ出たところ背後で、、
「バタン!」
とドアが閉じました。
「アッ!」
と思ったのですが
時すでに遅しでドアは自動でロックされてしまいました。
この部屋の鍵は部屋の中に残したままです、、、、
ゴミを廊下に出した後に軽く部屋の中を片付けるつもりでしたが、、、
バスの時間がわりとギリギリだったので
これからフロントに行って部屋の鍵を開けてもらってから
再び戻って来て部屋を片付けるのは時間的に厳しそう、、、
仕方ないので、そのまま下に降りてフロントの人に素直に謝って
私の部屋から鍵を出してもらうようにお願いし、
そのままバスターミナルに直接向かいました。
早朝のフロントの人はお姉さんではなく
オジさんだったのが不幸中の幸いでしたw
今回の宿泊パックは清掃無しのプランだったので
人が部屋に入らない前提で~のとても大胆な散らかしっぱなし~
下着とかも脱ぎっぱなし~~
の私のお部屋~w
もうね、、、
あの部屋の惨状を見られた日にゃね、、
もう怖いものなんかないです~w -
そんなこんなでバスターミナルに到着。
今はまだ早朝で、
バスターミナルで券売機は作動していない時間なので、
券売機でチケットの購入ができません。
バス車内での支払いとなります。
その前提で事前に調べておいた運賃分の小銭は用意してきました。 -
すでにバスが来ていたので乗り込みます
-
今日は萩に行きます
6時25分発の東萩行きに乗車します。 -
思った通りバスの乗車口にはタッチ決済とかの機械はありません。
今風な文明とは無縁な雰囲気のバスでした。
私的には旅情を感じてホッとします。 -
良い位置に座れました。
-
整理番号は0番です
-
このバスは早朝発車なのでおそらく私一人の乗客かと思いました。
しかし意外にも数人がすでに乗っています。
私が乗車してからも数人乗車して来ました。
結局はまあまあな数の乗客になりました。
こんな早朝にみなさんどこへ?
そして6時25分の定刻にバスは発車しました。
私は前方景色とバスの運転手さんの両方を鑑賞できる特等席です。
バスの運転手さんの運転姿はカッコイイですねー。 -
日の出前の街をバスは行きます。
街道筋の建物が宿場町のような趣がありました。 -
こんな早朝でも途中のバス停から乗車する人が意外にいるので驚きです
-
そろそろ街も朝の眠りから目覚めてきた雰囲気です
-
どことなく旧街道の面影を残しているような街並みを通過していきます
-
途中のバス停から1人、また1人と乗客を拾ってバスは行きます
-
周辺に何もなさそうなところにポツンとあるバス停から乗車してくる人もいて、一体どうやってこのバス停まで来たんだろう?と不思議に思う場面もありました。
-
目の前の空が広がって来ました。
日本海側が近いのでしょうか? -
車の数も増えて来ました
-
建物が見えて来ました。
JR萩駅です。
あそこに寄るようです。
ここでは乗車も下車もする人はいませんでした。
クラシカルな建物で良さげな感じです。 -
そういえば、、、、
私はこの駅には大昔に来たことがあるのを思い出しました。
ここから街の中心地まで歩いて行ったと思いますが、ここから街まではかなり離れていたはずです。
この鉄道が開通した頃には萩の街の中には鉄道を通すだけの土地が無くて街の外に鉄道が引かれたらしいです。
それで萩駅が町外れにあるのだと言う事です。 -
バスは街の中心地に向けて走っていきます。
-
バスは橋本橋を渡って行きます。
江戸時代の頃は萩城下に入る時はこの橋から入っていたようです。
橋本橋を渡りきった所には番所があったようです。 -
この橋の下を流れている川は橋本川という川だそうです。
-
萩の街の南側をぐるりと取り囲むように流れている川です。
後ほど再び出会うはずの川です。 -
橋本橋を渡り市街地に入ってきました
-
市街地に入ると交通量もかなり多くなって来ました。
もうすぐ萩バスセンターに着くようです。 -
萩バスセンター 7時47分到着
大勢の人がここで下車するようです。 -
私もこの萩バスセンターで下車しました。
料金は2090円でした。
事前に調べておいたので
きっちり小分けの封筒に入れて用意してる昭和生まれの習慣の私w -
このバスはこれから終点の東萩駅に向けて出発します
-
昔私がこの地に来た時は国鉄全勢時代だったのでこのバスセンターは使いませんでした。
なんたって、ディスカバージャパンの流行の波に乗ったアンノン族~な私でしたから~w -
でも、今眼前にある萩バスセンターは私がこの地を旅していたその時代で時が止まっているようでした。
まるで昭和の時代で時間が止まったような雰囲気です。 -
映画の男はつらいよのロケ地に出てきそうな旅人的には旅情あふれるグッとくるバスターミナルです。
-
このバスターミナルの中にはタクシー会社も入っていました。
お急ぎの場合はここですぐタクシーに乗車できるので便利ですね。 -
萩バスセンターは中も昭和の時代を感じさせる雰囲気です。
旅情あふれる感じで良いですね。 -
帰りのバス時間をチェックします
-
高速バスもあるみたいですね。
でも私は車窓の風景を楽しみたいので下道を行くバスに乗車するつもりです。 -
バスターミナルの裏にも渋い建物があってグッときます
-
バスターミナルの前にはサンリブ萩という大きめのスーパーがあるようです。
帰りに時間があったら寄ってみたいなーとも思っています。 -
ではお散歩に出かけることにしましょう
-
こちらに行きます
-
大きな交差点の角に夏みかんの実が成っていました
-
そういえば萩は古くから夏みかんの生産地でしたね
-
この大きな交差点は右に曲がって西に向かって行きます。
この大きな道は国道191号線のようです。
なぜか、少し急ぎ足の私です。
実は、、、
今日は午後から雨を伴った大荒れの天気となる予報です。
それなので前半は飛ばし気味に行かなければいけません。
それでのんきな私も急ぎ足なのです。
(←その割にはスピード遅いw) -
萩市消防本部
萩のイメージなのかな?
個人的にはこういうのはどうかなーって思うけどね。 -
右手に何やら良さげな建物が見えて来ました
-
おお!
右奥まで続いているようです、
なかなか大きな建物のようです。 -
手前に門がありました
-
旧有備館観徳門だそうです
-
解説
-
この門はあちらこちらと移転した歴史があるようです
-
この後ろにはまだまだ敷地が続いていました。
ここはかなり広そうです。 -
長州ファイブ
-
今は閉まってるけどこちらが門なのかな?
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なかなか立派な建物です
-
敷地もすごく広そうです。
ずっと奥まであるようです。 -
旧萩藩校明倫館
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表側にも長い白壁がどこまでも続いています
-
かなり広い敷地ですね。
白壁も長いですねー。 -
白壁越しに建物が見えます
-
そういえば昔の校舎ってこういう感じだったなーなんてちょっと思い出しました。
-
白壁に沿って歩いて行きます
-
あれ?
ここから入れるのかな? -
この門から中には入れるようです。
校舎はこちらから入れるようですね。 -
入り口から入った目の前には門がありました
-
旧萩藩校明倫館 南門
新明倫館の正門として建てられたものらしいです。 -
明倫館の文字あり
この門は藩主が聖廟を拝する春秋の「釈菜(せきさい)」(孔子祭)や公式行事以外は開かれなかったそうです。
本願寺山口別院に移され正門となっていましたが平成16年(2004)に元の位置に移築されたようです。 -
門の横には井戸がありました
-
こちらには天気が崩れる予定の午後になったら再度来るつもりです。
その時に内部見学する予定です -
今日は雨が降る午後までに外回りの見物をして、
雨が降り始めたら屋内の見物をしようという完璧な作戦です。 -
今のところ青空が時々出ています。
今のうちに屋外の見所を見られるだけ見ようと思います。
急がねば! -
萩中央公園案内図
-
萩中央公園
旧萩藩校明倫館の敷地の隣にありました -
広々とした都市公園です。
大きな駐車場も併設されていました。
バス用の駐車スペースもわりとあったので観光バスなども駐車しに来てるかもしれませんね。 -
公園の目立つ所にお馬さんに乗った人の像がありました
-
山県有朋銅像
ホホ~~!!
なかなかシュッとしててカッコイイ銅像ですね。
このての銅像の中ではかなりかっこいい出来の様な気がします -
解説
ほうほう、
北村西望の作でしたか。 -
かなりシュッ!としててカッコイイ像ですね。
とにかく山形さんの姿勢が素晴らしく良いです。
山形さんは171センチあったらしく痩せ型です。
どうしてももったりしがちの銅像のモデルとしては、山形さんはとても銅像むきのプロポーションをしてて良いですね。
馬の躍動感も良い感じですねー。(←ニワカ評論家w) -
この像は元々は東京にあったそうです。
第二次大戦末期の金属の供出を免れた数少ない銅像の一つです
。
そして敗戦後、GHQが軍国主義的なメモリアルな物を追放すると言う事でまたまた溶かされる危機になりました。
実際にこの段階で溶かされた銅像は多かったようです。
でもやっぱりこの銅像は作品としてもすごく出来が良いじゃないですか!
私みたいな芸術音痴にもわかるくらいですもんねー。
だから誰の目にも明らかなんでしょうねー。
それで溶かされずに済んだようです。
でもやっぱりGHQとしては目障りという事で上野公園の美術館の裏の人目のつかないところにしばらく放置~w
その後、捨て置かれる状況が辛いという事で北村西望の尽力で東京の井の頭自然文化園にお引越し。
そして北村西望の死後、関係者の尽力で現在のこの地に海上輸送でお引越しという流れだそうです。
めでたしめでたし~。
ではここはこれくらいにして先に行きましょう -
道の向こうに変わった建物が見えてきました。
山口県立萩美術館・浦上記念館
だそうです。
アジア、東洋の展覧会がメインのようです。 -
ここの美術館のホームページが色々調べてみようとしましたが、、
イマイチ充実していません。
ほぼ告知のみという残念さ、、、、
他で調べてみると、
この美術館は萩出身の実業家の浦上敏朗さんの寄贈した浮世絵、東洋磁器などをもとに開設したらしいです。
時価100億円相当のコレクションを寄付したらしいです。
でもね、自称100億円と言っても、、、
もしも、なんでも鑑定団に出したら、、
イチ!ジュウ!ヒャク!セン!
カーン!
ヒュルルル~~
5000エーン!!
(場内ドッとウケる~!)
ってなことになるかもですけどね~w -
本館の設計は丹下健三さんのところの会社でやってるようです。
あ~~、なんか~~、そんな感じ~~の建物ですよね。
平成8年の開館らしいです。
平成の作品だけどほのかに昭和モダンの感じも漂っていてそこが丹下さんぽくて私的には好印象~w -
本館の裏側の川向こうに建っている陶芸館は金子信さんという方が設計されているようです。
こちらは平成22年開館だそうです。 -
この美術館の横の国道191号線は現在拡幅工事をしている部分がありました
-
ここから西に向かって拡幅されるのかな?
将来的にはもっと交通量が増えるのでしょうかね? -
この辺りは意外に海抜が低い場所です。
萩の街は三角州の上にできている街なので、いわゆる川の堆積物ですからこんなものなんでしょうね。 -
次の目的地が見えてきました
-
すき家 191号萩店
今日はここで朝食を食べるのが楽しみで萩バスターミナルからせっせと歩いてきたわけです。 -
すき家 191号萩店
萩バスセンターからは、、、、
まあまあ歩きましたw
でも美味しい朝食のためなので苦になりません。 -
ここで朝ご飯を食べるのが今日の最初の目的のです。
-
では入ります
-
店内は広々していてゆとりがありますね
-
まだ午前9時少し前です。
そのせいか空いていますね。 -
道路側に陣取りました
-
きた~!
鮭たまかけ朝食(並) 490円
これこれ!
こういうの~!
昔ながらの旅館の朝食~っていう感じ~!
こういう朝食が食べたかった~ -
美味しかった~
しかも、べらぼうに安い~
元取れるのかな?
自分で作る場合だと朝は紅茶、パン、ゆで卵、サラダと、なんか、的なものになっちゃうんだよね~
面倒だから~
でもこれからは和食の朝食も良いなーって再確認しましたー。
前の夜に準備できるものもあるし~。
ちょっとがんばろー。 -
さてさて、
では散歩のスタート。
このまま真っ直ぐ西に行きます。 -
交差点の向こうに橋が見えてきました。
-
玉江橋という橋のようです
-
歩道は下流側にしか無いようです
-
広い川が見えてきました
-
この川が朝にバスで通った橋本川です。
江戸時代まではここには橋が無かったそうです。
中渡しという渡し舟が朝晩1往復づつしか無かったそうです。
それを逃した人は、今朝バスで通った橋本橋まで遠回りしなければいけなかったそうです。 -
さっきも大きな川だと思いましたが、ここに来たらさらに大きな川になっていました。
1872年(明治5年)に赤川玄櫟という人が、私費を投じてここにに橋を架けることを願い出たそうです。
(←ヨッ!太っ腹!)
橋は明治7年に開通。
通行料を徴収してたらしいです(←ちょっとセコくてウケる~w) -
こちらは下流側の眺めです。
その後、この橋は1912年(明治45年)に架け替えられ、
1924年(大正13年)にも架け替えられました。
この時に鉄筋コンクリート造りとなりました。 -
その後1963年(昭和38年)にも架け替えられました。
この架け替えでは幅9.5メートルとなり、昭和54年には歩行者専用道路が併設され現在に至っているようです。
でもなぜ両側に歩行者専用道路を作らなかったんだろう?
上流側は利用する人が少ないから? -
橋の真ん中まで来ました。
ここから右へぐるりと見てみます。
川の対岸は人家が建ち並んでいます。 -
あちらが下流側で日本海がすぐ向こうです
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あちらが萩の市街地です
-
橋本川の流れは思った以上に大河滔々と流れていました
-
橋本川の上流側は歩道が無いのでこちら側からしか見る事が出来ません
-
変わった形の山がありますね
この後、この橋を渡りきってみました。
渡ったところにセブン-イレブン 萩玉江店がありました。
店内は全国共通の雰囲気でした。
サラッとのぞいて戻ってきました。 -
玉江橋のたもとに戻ってきました。
道の向こう側に渡ります。 -
道路を玉江橋の上流側に渡りました。
上流側は歩道はありませんでした。 -
ここから今日の第1の観光ポイントです
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趣ある通りです
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国選定 重要伝統的建造物保存地区 平安古地区(ひやこちく)
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白壁が続いています
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白壁が無いところは丹精された生垣が続いています
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深い用水路があるのも三角州の上にある萩の街らしい風景です
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次の見学ポイントに着きました
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平安古かいまがり交流館(旧児玉家屋敷跡)
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入園無料の甘いささやき(←無料、大好きw)
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こちらにも入園無料の表示がおいでおいでと私を手招きしています
(←無料の奴隷w) -
船着き場のあるお庭って珍しいですよね
(←入場無料の最終確認済みw) -
海が近い萩ならではというお庭ですね
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ここの平面図
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解説
そうとう大きなお屋敷だったようです -
お庭に入りました。
左から右に見ていきます。 -
思ったよりは広さは無い感じでした
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でもそこそこの植栽もあり狭さは感じないような工夫はされていました
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石橋があります
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こちらには下に降りる石段があるようです
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施設の建物が建っています
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新しい感じの建物ですね
これでお庭の様子がわかりました。
ではじっくりと見ていきます。 -
意外にちゃんとした石橋です
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石橋の上から見た感じ。
こちらは橋本川に出る方角ですね -
こちらは船溜りになるんでしょうね
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それほど大きな船溜りでは無いので物資を運ぶような大型船は入らない感じでしょうか
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自家用車的な小舟が入る船溜りのようです
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橋を渡りきって振り返った感じ
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こちらが橋本川に向かう部分
幅は狭いですね -
あそこが船着き場ですね。
平均身長が157センチの江戸時代の男の人が使うにしては段差がありすぎますね。
手すりも無いのにちゃんと登れたのでしょうかね? -
船着き場の階段まで来ました
-
けっこう急な階段です。
当時の人も一人や二人はこの階段から滑り落ちた気がしますw
特に雨上がりとかw -
船溜りの一番奥から見てみました。
ゆらりゆらりと屋形船でこちらにやって来るような絵が浮かんできます。 -
ここで観ていたらスタッフのおじさんが声をかけてくれて色々解説してくれました。
とても親切なおじさんスタッフさんでした。
(←おじさん言うても私よりもはるかに若いのだが、、w) -
月の夜とか花の頃とかならば
小舟の移動はそれはそれで風雅で良いですね。
さてお庭も堪能できたので次に行きましょう。 -
白壁の道をさらに行きます。
白壁といっても白漆喰では無いのかな?、、、
もしかして、、ペンキ塗り?
知らんけど、、 -
右手に坪井九右衛門旧宅がありました。
今でも住人の方が住まわれている住宅のようです。
ズカズカ入っちゃいけない感じなのでここからそっと撮影。 -
解説
-
新しいのか歴史があるのかわからない建物もありました
-
ここで突き当たりました。
道は左に直角に曲がります。 -
左に行く道がありました。
-
この左の白壁の内側が先ほど見た児玉家庭園跡のあった敷地です
-
この道を行きましょう
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突き当たりも先ほど見た児玉家庭園跡のあった屋敷の敷地です
-
突き当たったら直角に右に曲がります。
カクカクした道ですね。 -
ここからは築地塀がまっすぐ続いています
-
ここの築地屏はなかなか絵になりますね~
-
この辺りは土塀ですねー。
萩に来たな~っていう風景です -
築地屏もいいけど土壁もいい感じですねー。
ついつい写真に撮りたくなります。 -
この先で道が突き当たっていますね
-
ここでも先ほどのように道がカクンと直角に左に曲がっています。
実はこのあたりは平安古 鍵曲(ひやこ かいまがり)と呼ばれるあたりです。 -
ここは真っ直ぐです。
鍵曲(かいまがり)は、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手(直角)に曲げた独特な道筋です。 -
先ほど見た旧児玉家庭園跡の屋敷の入り口はこの辺だったそうです。
この門がそうなのかな? -
ここからは真っ直ぐな築地屏が続いていました
-
ここからは土塀になっていました
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土塀の上から夏ミカンがこんにちは~w
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ここは右に行ってみます
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アールのついた土壁のコーナーって初めて見るかも
-
次はこちらを見学します
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古びた土壁が続く道
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ここまで人っ子一人会いませんでした。
誰もいない静かな古都。
インバウンドもYouTuberもここにはいません。 -
趣のある古びた門
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水門がありました
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橋本川の水門でしょうか?
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そのようですね
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川に沿って水路があるようです
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この土壁の中は旧田中義一男爵別邸があります。
これからザッと見るつもりです。 -
土壁からこぼれ出る夏ミカン
萩の象徴的な風景です -
案内板
-
旧田中義一男爵別邸
男爵って、、、
ルネッサ~~~ス!
って言う人ではないですよね?(←違うし古いw) -
受付はおそらくボランティアさん。
よくしゃべるオバさんスタッフさんでした。
付ききりで案内してくれました、、、、 -
オバさんスタッフのオススメされるままに購入
通常はここの入館料は100円という激安価格です。 -
とにかく高速でしゃべるオバさんスタッフでした。
しかもせわしなく引っ張り合わされるかんじですw -
しかも一人ノリツッコミw
-
田中義一さんの長男で田中龍夫さん。
政治家だったそうです。
知らんけどw
せっかくの銅像も自宅でひっそり~ -
玄関は意外に質素
サザエさん家くらいですね。 -
ここでの展示物は私的には
ふ~ん
レベルでした。 -
ここはちょっと面白かった
-
明り取りがある古民家
多分、後からの造作のような気がします。 -
田中義一さんは昭和天皇に直接叱られたことで有名な方ですよねw
-
田中さんはそれがショックでその後、内閣総辞職してから~の引きこもりになったんですよね。
-
すごく老けて見えますが亡くなったのが65歳というまだまだ若い頃。
今なら年金の支給が始まると言う惜しいタイミングです。
でも自分の写真入りの掛け軸を飾る神経はけっこう太いと思うw -
ここから橋本川の眺めは良いです
-
特に橋本川の対岸の眺めが良いです
-
ここは1階座敷です。
特に豪華ということもなく凝っているという事も無い普通の座敷でした。 -
この部屋からは庭の眺めも良いです
-
別邸なので割合と質素な感じの建物ですかね。
元は士族の邸宅跡らしいですが改築を繰り返していてあまり原型はとどめていないようです。
建物好きにとっては
ふ~~ん
程度の感想の建物でした。 -
廊下はなんとなく懐かしい感じ
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2階に上がります。
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ここの建物部分は増築で建てられたのでしょうか?
下で見た建物の座敷よりも作りが大きくてしっかりしています。
よく見るとあちこちとちょっと手がこんでいます。 -
ここはお客様の面談などに使われたのでしょうかね
-
この部屋からは橋本川の眺めが良いですね
-
橋本川の対岸の景色も良い感じで見えます
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ちょこっと凝ってる部分がある
-
丸窓ね~
-
風呂釜がダブル
-
眼下に庭も見える廊下
-
ちょろっと見えるお城ぽいのはどこかの会社の保養所だった所のようです
-
裏庭は広々していました
-
2階のここからの眺めはとても良いです。
この眺めを見にくるだけでもここに来るのもありですね。
それくらいの価値がある眺めでした。 -
ここから船溜りが見えます
これで建物内の大体のところは見たので外に出ます。 -
外に出てきました。
お庭をちょっと散歩してみます。
お庭からの眺めはとても良いです
右に見ていきます
こちら側が橋本川の上流 -
正面に変わった形の山が見えます。
面影山という山らしいです。
頂上に反射板がチョロっと見える山です。
この眺めはとても良いですねー。 -
こちら方面が橋本川の下流側
-
屋敷の敷地の壁
-
屋敷の1階座敷の部分
-
ここはやはり船溜りのようです
-
あんまり掃除はしてないみたいです、、、、
けっこう汚かった、、、、 -
裏庭は広々してました
-
橙園之記(とうえんのき)と石塔
-
橙園之記(とうえんのき)
これは明治22年に小幡高政が開拓時代の苦心を誌した自宅の橙園に建碑したものだそうです。
他人が建てなければ(自分の苦労話の碑を)自分が建てるという姿勢は素晴らしいw
年寄りの自慢話とちょっと通じるものがあると感じてしまうイケナイ子の私w -
解説
ハイハイ、苦労しましたね~~、分かりましたよ~w
(←私ってやな奴w) -
ここの敷地はもともとは藩政時代の毛利筑前下屋敷にあたるそうです。
そしてこの内田中義一別邸はもとは萩藩士小幡高政の邸だったそうです。
1876年(明治9年)小幡高政は貧困士族救済のために夏みかん栽培を奨励し士族の貧困救済に尽くしたそうです。
その時の苦労が橙園之記(とうえんのき)に記されてるんですね。
ま、その碑は自分で建てたんですけどね~w -
祠が敷地内にありました
-
こっちの方に行ってみよう
かんきつ公園です。 -
あああ~!
夏ミカンがたわわに成ってる~~!
たわわ~~たわわ~~たわわ~~
って、、さとうきび畑の歌みたいな気持ちになっちゃいました~w -
両側に夏ミカンがビッシリ植えられてる~!
このかんきつ公園は2002年4月にオープンしたそうです。 -
ウヒャ~~!
こんなに夏ミカンって成ってるの見た事、、、
、、、、あるわw、どっかで、、、確か、、、。
どこだっけ?? -
でもすごいな~
全部本物~
毎年5月の中旬頃は夏ミカン祭りが開催されているようです。
その頃は夏ミカンの花が咲いて良い香りが漂ってるそうです。
そういうの大好きだから来てみたいな~。 -
私の住んでいる街では普段はなかなか見られない景色です。
ここには夏みかん約100本をはじめとする柑橘類10種約380本が植えられています。 -
近寄るとなんかみずみずしい匂いがする~
夏ミカンはこの辺りでは夏代々(なつだいだい)という呼ばれ方だったそうです。
それが大阪に出荷するようになって大阪商人から夏蜜柑(なつみかん)という名前に変えてくれという要望があったのだそうです。 -
萩に夏ミカンというのは有名な話で1970年頃までは萩の主要な産業だったそうです。
生活に困窮していた萩の士族によって作られていた夏代々(なつだいだい)は士族が末長く代々続くようにという願いが込められていたそうです。 -
園内図 結構広かったです。
大阪、関西圏では中風のことを「ヨヨ」と言うそうで代々がヨヨと読めると言うことで、これを食べるとヨヨになるという迷信が広まってある時点から食べる人が激減したらしいです。
それで大阪商人の勧めで夏蜜柑(なつみかん)という名に変更したそうです。 -
そういえば子供の頃から1970年頃までは夏ミカンってよく食べていた覚えがあります。
あれも萩で作られていたのかも知れませんね -
我が家だけかもしれませんが、
冷蔵庫(←鍵付きなので子供は開けられないやつw)で冷やして半分に切った夏ミカンの切り口に砂糖をたっぷりと広げて、滲み出た果汁で自然に砂糖を溶かしてからスプーンですくって食べていた覚えがあります。
大人の人の中にはこれの上に洋酒を少したらして食べている人もいました。
まさしく昭和30年代から40年代中頃の夏のデザートでしたねー。
酸っぱさを思い出すとこめかみがジーンとして口の中が大洪水になってきます。 -
なぜ萩に夏ミカンが植えられていたかというと
今から300年くらい前の江戸時代の中頃に南の方のどこからか文旦系の柑橘類が現在の青海島に流れ着いたそうです。
青海島はここからそれほど遠くない今の長門市の所にある陸繋島です。
それを拾い上げた西本チョウさんという方が試しに植えた所結実したんだそうです。 -
植えられている種類も所々で看板で書かれています。
萩には200年くらい前にはタネを蒔いたなどの記録があるようです。
明快な資料では1833年に杉彦右衛門が、青海島から持ち帰った2本の苗のうちの1本を、 児玉惣兵衛にわけたという記述がありました。 -
1848年児玉家の木に実がなり児玉蜜柑と呼ばれ、収穫期が分からないためユズの代わりや観賞用としていたようです。
その後、子の児玉正介がたまたま夏に食べた実が美味しかったので、13代藩主毛利敬親公に献上したことから、御前九年母(ゴゼンクネンボ)や夏九年母(ナツクネンボ)と呼ばれるようになるのでした。 -
夏みかんは江戸時代の終わり頃には、萩の武士や大きな商人の家などにあちらこちらに普通に植えられていたそうです。
吉田松陰の家にも植えられていたとする図面があるそうです。
しかし、あくまでも自家消費のためだったようで、その後のように出荷栽培などは思いもよらなかったと思います。 -
しかしその後、萩の歴史が思いもよらぬ方向へ動き出してしまいます。
萩は江戸時代は毛利氏の城下町として繁栄しました。
ところが江戸時代の末期に幕府に無断で藩庁が萩から山口に移転。
これは倒幕に向かうための作戦ですね。
その後、すぐに明治維新で廃藩置県。 -
所々に種類の書かれた看板があります。
すでに萩は藩庁ではなくなってさらに廃藩置県で藩もなくなった。
もはや何者でも無くなってしまった普通の田舎の街の萩。 -
藩の重臣たちはサッサと萩を離れます
-
萩に残されたのは行くところのない萩の士族たち。
肝心のお手当てが入ら無くなり生活が困窮。 -
黙っていてもお金は入らないので1876年(明治9年)から夏ミカン栽培が始められました。
これを中心となって推し進めたのは旧萩藩士の小幡高政です。 -
小幡高政はもともと武家屋敷地にも植えられていてあまり手をかけなくても実る夏ミカンが「楽してガッポリ!」と思ったかどうかはわかりませんが、夏ミカンに注目しました。
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植える土地はあります。
なぜなら広大な屋敷の主はサッサと萩を出て行ってしまったからです。
空っぽの屋敷だらけなのです。
現在この公園がある場所も元はと言えば毛利筑前下屋敷です。
でも主人は二度と戻ってくることはないはずです。 -
それで小幡高政がここに住んで、屋敷の敷地に夏ミカン畑を作っていたのです。
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そういった抜け殻の屋敷だらけの敷地に夏ミカンを植えるプロジェクトが始まりました。
これは日本で初めての試みだったそうです。 -
小幡高政は「耐久社(たいきゅうしゃ)」という団体を結成しました。
そこで夏みかんの苗木を大量に生産、困窮した士族たちに配って栽培を勧めました。 -
しかし、いつの世にも新しいことをする人に冷ややかな人、嘲笑する人はいます。
今でいうなら迷惑系YouTuberかなw
それに対してもひるまずに、自らの屋敷の土地も畑として率先して夏ミカンの栽培を行いました。 -
甘夏柑・八朔。
どちらもよく食べてましたねー。
小幡高政らの努力の甲斐もあって萩で栽培を始めて10年ほどで大阪市場で高値で取引されるようになりました。 -
1900年頃の夏ミカンの生産額は当時の萩町の年間予算の8倍という額にまでなり、町内の武家屋敷のほとんどが夏ミカン畑になったそうです。
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夏ミカンの木が3本あれば子供の上級学校に入れられるほどの教育費になるという状況が長く続いたそうです。
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そして、
空き地となった武家屋敷がそのまま畑になったので、武家屋敷の敷地割がほぼ江戸時代のまま保たれるという余禄もあります。
門や長塀も夏ミカンの木の風よけになるというので保存されてきました。
これも萩の城下町らしい風景となっています。 -
つまり城下町絵図を手に現在の萩の町を歩くと地割がピタリと合うので歴史散歩することができるということですね。
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現在の萩市の柑きつの生産者は443戸、生産量は1500t、出荷額は約1億円となっています。
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以前の夏ミカン栽培は今では甘夏栽培に入れ替わっているそうです。
夏ミカンの生産者自体は絶滅寸前のようで現在後継者育成の取り組みをしているようです -
現在では輸入果実や他の種類の果実との競争もありなかなか大変そうですが頑張って欲しいと思います。
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自炊爺さんの私思うに、、
夏ミカンのあの少し苦味があってパンチのある酸味は味に明快な個性があるのでデザートフルーツとして以外にも色々使える気がしますけどねー。 -
この畑もほんのりと柑橘系の匂いがしてきていい感じです。
ふわふわと漂うように夢見心地で歩いている私です。
これほどの数の果実に囲まれることは滅多にないので夢を見ているようです。 -
夏ミカンって晩秋頃に実をつけて色づくけど酸っぱくて食べられないそうです。
そのまま冬を越して初夏まで放っておくと酸味が抜けて食べられるそうです。
だから今12月のこの時にこの状態で食べてもすっぱいらしいです。
私、ここでは盗み食いしてませんからねw -
でも今ってお店でも夏ミカンってなかなか売ってないんですよね
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ちょこっと通販で楽天とかで夏ミカンという風に探しても今は甘夏しか出てこないんですねー。
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せめてここだけでも夏ミカンの世界に浸れて良かったです。
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これだけ見てたら夏ミカンを食べたくなってきました。
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たくさんの夏ミカンに囲まれてちょっとファンタジーの世界のような感じでした。
昔のことも少し思い出すことができて結構楽しいかんきつ公園でした
天気が良かったらもう少しのんびりしてもいいようなところでした。 -
あ~、楽しかった~。
かんきつ公園は予想以上に楽しかった~。
今度は夏ミカンの花が咲く頃に来てみたいなー。 -
アールのついた土塀を曲がってきた方向に戻っていきます
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夏ミカンがこんにちは~
なんか可愛いw -
正面に青空が出てきました!
本当に?? -
平安古 鍵曲(ひやこ かいまがり)に戻ってきました
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この眺めはなかなかに絵になります。
映画のロケ地になりそうです。 -
実は今回萩に来ようと思ったのは、
たまたま見てたYouTubeでここの映像を見たからなのです。
実際に来てみて、
やっぱり良い景色ですね。
来てよかったです。 -
この辺りは藩政時代に堀内地区に屋敷を構えていた重臣たちが堀内が手狭になったことから新たに平安古地区に下屋敷を求めました。
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その重臣たちの屋敷を守るために造られたのがこの平安古鍵曲(ひやこ かいまがり)です。
こういった鍵曲(かいまがり)はここ以外にも、堀内地区・追廻し筋の鍵曲などにもあるようです。 -
ストレートに見通しがきかない工夫がされています
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この先に何があるのかな?というドキドキ感がある道です
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曲がり切ってやっと先が見える
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で、さらに右に曲がります
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この地割は古地図のままですね。
ちょっと感動します。
萩の古地図の観光マップはネット上でいくつか出て来るので町歩きの参考にすると楽しいです。 -
ふと気がつけば予想外の青空です。
急に晴れてきた! -
右手に今朝見た平安古かいまがり交流館(旧児玉家庭園)があります
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ここは現在土塀を作っていました。
このエリアはこれから少しづつ土壁部分を増やしていく作戦っていう感じですかね。
流石に立ち止まってジロジロ見る勇気はコミュ障の私には無いので、歩きながら見ないフリでチラ見してきましたw
この写真を撮る時も靴紐を直すフリでカシャ!
でも気がついたら私の靴は靴紐って無いんですよねw(←うかつw)
土壁の制作現場ってなかなか見られないのでものすごく面白かったです。 -
児玉橋のたもとまで戻ってきました
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せっかく晴れてきたのでここから橋本川の風景を左から右に見ていきます。
こちらは橋本川の上流部分 -
面影山が対岸に見える。
趣のある良い眺めです。 -
やっと晴れてきた空と児玉橋
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児玉橋のたもと。
これから国道191号線を渡って向こう側の川沿いの道を歩きます。 -
国道191号線を渡って橋本川の下流側に来ました。
この川沿いの道はところどころ松が生えているようです。 -
松の木が橋本川沿いに植えられていて風情がある道です
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気がつけば不思議なくらいの青空です。
青い空に松の木の取り合わせが良い感じです。 -
この辺りはなかなか良い感じの松の木の並木が続いています。
おそらく人の手で植えられた松なのでしょうね。 -
児玉橋と面影山が見えています
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川沿いにありながら街道筋のような雰囲気の通りです
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朽ちかけた土塀が物悲しさを感じさせてくれます
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ここから見ると唇のような形に見える面影山ですね
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対岸の玉江駅あたりの景色です
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橋本川の下流方面。
さっきとは全然違う景色みたいです。
すんごい青空!
この先、大荒れになるとはにわかには信じられない空の色です。 -
まっすぐ伸びる水路がありました。
こういう水路を見ると萩の街は水気の多い三角州の上にある街ということを思い出させてくれます。 -
この松がなかなか良い感じです
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松の木の形が良いですね。
結構年数が経ってるのかな? -
この辺りは時々途切れながらも松並木が続いているようです。
調べてみたら昔からこの松並木は平安古の松原と呼ばれていたようです。
松の巨木が並んでいる様は見事だったらしいです。
しかし近年はマツクイムシなどの影響で松の巨木の数が減ってきているそうです。 -
この道は橋本川の対岸の景色を楽しみながら行く良いお散歩コースです。
この辺りはかつては松の巨木のたくさんある松原だったそうです。
萩の古い写真には松の巨木が何本も並んでるのが写っていました。
その頃の景色も見たかったですね。 -
この辺りに来ると橋本川の幅の広さが実感できます
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かすかに潮の香りがしてきます。
海が近い雰囲気がしてきました。 -
この辺りは少し松の木が若い感じがしますが並木の密度があるあたりですね
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何らかの形で保護されているようです
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何となく街道沿いの宿場町を歩いている様な雰囲気になっています
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これらの松は近年に植えられたのでしょうかね?
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少し調べましたがよくわからなかったです。
もしかして松原の再生を試みようとしているのかな? -
少し行くと右手に何かの碑がありました
-
毛利登人誕生地
だそうです。 -
藩のために色々と外部と折衝をしていた様ですね。
高杉晋作とも一緒に働いていた様です。
でも藩の主導権が違う派閥に変わって処刑された様です。
なんか、割り切れない感じですね。
辞世の歌は
「皇の 道しるき世を ねかふかな わが身はこけの したにくつとも」 -
解説
-
さらに先に行きます
左の橋本川沿いの松林の木がグッと若くなってました。
しかも密です。
松ってこんなに密に植えるものなの?
途中で様子を見ながら間引いていくのかな? -
道は用水路に突き当たりました。
この用水路は新堀川という名前のようです。 -
新堀川は1687年(貞享4年)に萩城外堀から唐樋町までの橋本川河口から松本川河口までをを開削した川だそうです。
三角州の上にある萩市街の洪水の際の水はけ、田地の水抜き、舟による物資の運搬などの目的のために開削されたようです。 -
結構幅の広い川です。
これが人工的に開削されたのかと思うと結構大変だったろうなー。 -
水はそれほど綺麗では無かったです。
それはちょっと意外でした。 -
では新堀川に沿って歩きます
-
そこはかとなく古の風景が思い浮かびそうな感じではあります
-
萩では萩八景遊覧船という小舟で運河巡りするツアーがあるようですが、この時期は運行していないようでした。
-
そのツアーはこの新堀川ではなく指月川から出発して橋本川をめぐるようです。
季節によっては他のコースもあるようでした。
乗りたかったなー。
この川も整備すれば船が通れるんじゃ無いかな? -
郵便ポストのところに来ました
-
なんか昔はこういうのは普通にあったなー
-
私の中では結構最近まであったような感覚ですw
-
ポストの近くには平安橋という石橋がありました
-
平安橋の右側は新堀川の川幅が狭くなっていました
-
こちらが平安橋の左側です。
橋本川の方面です。
川幅はこちらの方が太いです。 -
この橋は玄武岩で造られた橋だそうです
-
1652年(慶安5年)の萩城下町絵図には木橋として描かれているそうです。
石造りに架け替えられたのは明和年間(1764~71)ではないかと考えられているそうです。 -
この橋は萩城の三の丸に架かる3つの橋のうちの一つだったそうです。
その中で唯一現存している橋だそうです。 -
平安古(ひやこ)に通じているということから「平安橋」と呼ばれるそうです
-
平安橋を渡りきると右手に石碑がありました。
萩城 平安古の総門跡の石碑でした -
萩城 三の丸に入る3箇所の橋にはそれぞれ総門があり場内への出入りの監視をしていたそうです。
ここには平安古の総門があったそうです。 -
解説
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今では全く総門があったような面影がありませんでした。
-
平安橋の解説がありました
-
そんな昔に架けられたとは思えない石橋ですね。
-
ちょっと昔くらいに架けられた石橋に見えました。
-
普通に車が通ってましたが大丈夫なのでしょうかね?
-
実はここって有名なポイントなのか知らないですが
写真を撮る方が意外といました。 -
それでそれらの人がいなくなるまで
この橋の上を行ったり来たりした不審者の私ですw -
ようやく人がいなくなるまでおよそ15、6分くらいウロチョロしてましたw
はた目にはそうとう怪しい人ですねw
やっといなくなったのでバシャバシャ写真撮っちゃいました。
さて心置きなく次に行きましょう -
橋を渡ってすぐの道を左に入ります
-
この辺りは完全に住宅街ですね
-
生垣の合間に白壁があります
-
生垣も綺麗に丹精されています
-
古明倫館という標識があります。
でもここは違うんじゃないかなー?
ここは入らずに先に行きます。 -
生垣が綺麗です
-
見えてきました
-
古明倫館跡
ここですね。 -
5代藩主毛利吉元が創建した明倫館がここにあったそうです。
江戸時代に全国で300近くあった藩校のうち12番目に出来たものだそうです。 -
解説
-
明倫館の名前の由来は、、
「上に立つものが教育の力によって人間の道を明らかにして教え導けば、下、人民はみなそれに感化されて互いに親しみあい国は大いに治まる(皆、人倫を明らかにする所以なり)」
という事らしいです。
言い換えれば
上に立つ政治家がズルければ下々の者は国を愛せないという事ですかね。
そう思うとしっくりきますね~w
じゃ、腑に落ちたところで先に行きましょ。 -
家は新しそうですが塀が古そうな雰囲気を出しています
-
この辺りも新しく作ったであろう塀ですが古さのイメージしてる感じです
-
夏ミカンがゴロゴロと落ちててもったいないです
-
でもね、、、
ここまで塀が新しい雰囲気だと、なんとなくアミューズメント施設のような印象もありますね -
今日の観光ポイントに来ました
堀内鍵曲(ほりうちかいまがり) -
解説
-
ここも先ほど見た平安古の鍵曲と同じように
道が見通せないように直角に曲がっています -
この辺りは堀内と呼ばれていては藩政時代の城内三の丸にあたり、藩の諸役所や、毛利一門、永代家老、寄組といった大身の武家屋敷が並んでいた場所だったそうです。
-
この辺りが手狭になったので今朝ほど見てきた平安古の鍵曲のあたりに新たに武家屋敷街を作ったという流れですね。
-
ここで道は直角に曲がっています
-
角を曲がると道が続いています
-
石垣の塀が続いています
-
微妙にデザインが違うのはそれぞれのお家の好みなのでしょうか?
なんとなく統一性が無いのがちょっと残念でした。 -
解説
-
なるほど~
2018年(平成30年)から土塀、石垣の修理をしてるみたいですね。
そのおかげでこの辺りは土塀や石垣が綺麗なんですね。
でもデザインの統一性がもう少しあった方がまとまりが出て良い気もするなー、
って勝手な旅人目線ですが~w
口は出すが金は出さない~~w -
突き当たりにはなまこ壁の大きな建物が立ちふさがっています
-
なかなか壮大な長屋門です
-
この門は旧萩藩江戸藩邸の門を拝領して萩に移築した門という風に伝えられているそうです
-
この門は口羽家住宅の門になるようです
-
解説
-
なかなかの格式を感じる門です。
ではちょっと入ってみます。
ここは今朝、旧田中義一男爵別邸で購入した萩市文化財施設1日券が使えます。 -
門を入ると門番がいる部屋がありました
-
ここから入るようです
-
口羽家住宅
主屋は18世紀末から19世紀初め頃に建てられたものと思われています。
主屋と表門がセットで残る上級武家住宅として貴重な場所だそうです。。 -
主屋は予想外にモダンな感じの外観でした。
最近の建物のような印象さえありました。 -
中も意外にシンプルモダンな感じ
普通に今でも住めそうな感じです。
中ではスタッフさんがおばさんグループを接客中。
とても賑やかです。
っていうか、、、
けたたましいという感じの笑い声が聞こえています。 -
きゃー!はっはっは!!パチッパチッ!!
と、、なぜか拍手までしているほどの賑やかさ、、
室内から聞こえてくる異常なほどの賑やかすぎる雰囲気に圧倒されてしまいました。
私はそういった賑やかな雰囲気はとても苦手なので建物に入る勇気が湧きません、、、、
玄関前で立ち尽くしたまま固まってしまいました、、、、 -
建物の外観は寺院を思わせるシンプルな白漆喰。
それが飽きのこないデザインなのでしょうね。
結局は中から聴こえる嬌声に押し出されるように屋外に逃げ出てしまいました。
ここの庭は橋本川の眺めが良いそうで期待していましたが、さすがにあの嬌声の渦に巻き込まれるのは遠慮したいです。
逃げるようにして門を出ました。
我ながらコミュ障もここまできたら立派なものですね~~
もう治らないし治すつもりも無いけどね~w -
門の外に出て静けさが戻り
ホッと一息つきました~。
静けさを求めてやってきた山口で汚点を付けられてしまったような気持ちです、、、
あたしの青春、返して!って言ってやりたい気分~。 -
気を取り直して先に行こう!
-
白壁が続く道を行きます
-
気がつけばお日様が出てきていました
-
広いところに来ました。
真ん中に意味ありげな分離帯風なものがありました。
でも構わずまっすぐ行きます。 -
背の高い森が見えてきました
-
両側の生垣がとても素敵です。
-
右に行く道の生垣が綺麗
-
私はまっすぐ行きます
-
この道は背の高い木で守られている感じの道でした
-
右手は山口県立萩高等学校
-
甘酸っぱい青春の香りがするようです。
青春は長い坂を~登るようです~
と岡田奈々さんは歌っていました。
今ならわかる。
坂道はもっと後から続けざまにやってくるとw -
左側には野球のグラウンドがあるようです
-
右の道もいい感じの生垣が続いています。
白壁や土壁じゃなくても生垣の続く道も素敵ですねー。 -
この道をまっすぐ行きます
-
白壁の道に出ました
-
石碑がありました。
まっすぐ行ってみます。 -
天樹院というお寺のようです
-
ここから入るようです
-
萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
-
この先に墓所があります
-
20円という破格の安さ!
-
心静かに参拝
-
石碑は入り口にありました
-
では次の場所に参ります。
西に向かうことにします。 -
川に出ました。
指月川のようです。 -
指月川には萩八景遊覧船の乗り場があります。
残念ながら私の訪問した季節には運行していないようです。 -
川の上から見る城下町は趣ありそうで素敵そうです。
そういえば以前行った松江でも城巡りの船がありました。
あちらの船で見るお城巡りもとても良かったです。
萩も良さそうですね。
この船はお城以外にも季節によっては色々なコースがあるようです。 -
指月橋という橋を渡ります
-
この橋は思った以上にに交通量がありました
-
お寺風の建物が見えてきました
-
萩ユースホステルです
-
もしかしたら50年くらい前に泊まったユースホステルってここだったのかな?
-
今となっては建物の感じとかの記憶が全然ないのですが萩のユースホステルには宿泊してます。
お城の近くだったはずなのでここだったのかな? -
萩城に到着しました。
こんな感じだったっけ?
全く記憶に残っていません。 -
石垣があるのでこちらの方に行くみたいですね。
現在いるのが三の丸で石垣のあるところから二の丸になるようです。
現在は埋め立てられたようですが昔は石垣の手前には掘割があったらしく水堀があったそうです。 -
指月城跡の石碑がありました。
この辺りに大手門があったようです。 -
毛利輝元の解説がありました。
広島から追いやられてここにやってきたのですね。
萩の発展に貢献した人ですね。 -
なんともいえない表情です
-
では場内に入っていきます。
ここから先は二の丸になります。 -
石垣はやや手作り風ですね
-
この二の丸の南門は萩城の大手門であって城の正門だったようです。
-
枡形虎口の雰囲気もそこはかとなく残っていました
-
二の丸は蔵や寺社、庭園などがあったようです。
-
現在は森のような雰囲気です。
毛利輝元は関ヶ原の合戦で西軍についたので、その後徳川幕府から嫌がらせも受けました。
追い出される広島の次はどこに行きたいかという希望は長州の中で第3希望までいうことができたそうです。
当時は幕府に対して反抗的なものの第一希望は叶うことがなかったそうです。
毛利輝元は次の行き先の長州の中では第一候補に山口、第二候補に防府、第三候補に萩を考えていました。
それで、順位を逆にして提出することによって、逆に本当の第一候補の山口に許可が下りることになるのを期待したという姑息な手を考えたようです。
(←セコイw)
でも敵もさる者、幕府が許可を出したのは、第一候補として提出した萩になってしまったのだということでしたw
第一候補だから文句も言えなくて大変悔しがった毛利輝元であった
(←おバカさんw)
ま、幕府はどっちにしても当時は辺鄙な寒村の萩に毛利家を押し込むつもりだったらしいですけどね。
それで広島の大都会から当時は辺境の漁村だった萩に左遷された毛利輝元。
それでも萩の街をゼロから立派に作り上げようと努力したそうです。 -
二の丸には萩焼のお店がいくつもありました
-
観光シーズンではないためなのか開いているお店は無かったです
-
本丸の入り口に来ました
-
本丸のお堀が残っていました
-
石垣も残っていました
-
現在この部分は土橋になっていますが元々は極楽橋という木橋だったようです。
-
本丸の堀はかろうじて残されていますね。
良かったです。 -
石垣もなんとか残って良かったです
-
近くで見ると意外と広い本丸のお堀です。
-
ふと気がつくと
すっかり青空になっています。
午後から大荒れって本当なのかな? -
雨雲レーダーを見て見ると、、、
確かに雨雲の塊が押し寄せてきています、、、、 -
のんびりとはしていられません、、
さっさと次に行かなくては、、、
いつもならここでのんびり2、30分ぼーっと眺めを堪能するところなのにね、、、 -
ここは萩城の天守台ですね
-
お堀と石垣が綺麗に残っているだけに
天守閣が無い寂しさがひとしおです。 -
萩城は1874年(明治7年)廃城令により天守・櫓などの建物を破却されてしまいました。
もったいないですねー。 -
この石垣の上にも隅櫓があったようです。
-
土橋を渡って本丸の中に入ります
-
土橋を渡ったところにある小屋で入城券を買います。
萩市文化財施設1日券は使えないみたいでした。
窓口の係員のおっさんはとても塩分強めな感じの対応だったのが印象的ーw
(←あくまでも、個人の感想ですw) -
モヤモヤした気持ちで入城券を買ったら
すぐに逃げるように門の中に入ります。
枡形虎口の面影があります。 -
ここには高麗門と渡櫓門の2つの門で構成された枡形の本丸門があったそうです。
-
本丸に入りました
-
石垣が小ぶりで可愛い
おもちゃの街のお城みたいです。 -
案内板
-
こういう写真が残ってるのなら復元可能なんじゃ無い?って思った。
-
なるほど~
これはイメージが浮かびやすい。 -
志都岐山神社鳥居
-
連理のマツ?
-
どれ?
-
これ?
よくわからん、、、 -
少し荒れぎみの石垣
-
どことなく打ち捨てられたような雰囲気が漂っていました。
入園料を徴収している公園という感じはしませんね~。
ま、大した金額じゃ無いけどさ~。
(←さっきの塩対応おっさんへの八つ当たりw) -
石垣に沿ってぶらぶら歩きます。
思ってもみなかった青空の下を歩ける幸せ。 -
天守台が見えてきました
-
看板あり
-
ここから上がるようです
-
観光地の華やかさとは無縁な感じです。
無料で入れるよくある城跡の公園のような雰囲気です。 -
石段を上がると小広いところに出ました。
右にぐるりと見ていきます。 -
もう一段上に行く階段がありますね。
-
ここは少し広くなっています。
ここには天守閣に付随する付櫓があったようです。
付櫓は平櫓だったようですが内部は中二階があったようです。
この中二階から天守閣に入っていく構造だったようです。
ようはスキップフロア的な構造だったんでしょうね。 -
付櫓の向こうには指月山が見えます
-
指月山の頂上には萩城の詰丸がありました。
-
右には本丸内の敷地
-
松が生茂っています
-
石垣が見えます
-
もう一段上の天守台が見えます。
これでぐるりと一周しました。 -
さて天守台に上がりましょう
-
ほほー!!
予想外に良い眺め!
ぐるりと右に見ていきます。 -
堀までの高さが予想以上にありました
-
そして意外にも良い眺め
-
高い建物がないので興ざめするものも見えません
-
天守台も意外な広さです
-
下で見た印象よりも広いです
-
指月山が美しい円錐形に見えてます
-
本丸もかなり下に見えます
-
これでぐるりと見てみました。
意外な良い眺めで満足です。 -
天守台もこうしてみたら思った以上に広いです
-
ここには5層5階の天守閣が立っていました。
先ほど下の看板で見た写真の天守閣ですね。 -
萩の街の規模から考えたらちょっと立派すぎる感じもしますね。
やっぱり毛利さん、辺鄙なところに飛ばされて悔しかったんでしょうねw
目一杯見栄張った感じなんでしょうかねw -
指月山の山頂にある詰丸は石垣と土塀で囲まれた本格的な城郭でした。
小さいながらも本丸、二の丸があったようです。
萩城要害跡と看板が出ていました。 -
上から眺める掘割は見事です
-
建物はなくともこういった曲輪がわかる遺構は城好きにとってはありがたいです
-
角もきっちり残っています
-
こういう直角を見るとウキウキしてしまいます
-
お堀はあそこで終点ですね
-
指月山に詰丸があったのは、、
徳川幕府と毛利の間には微妙な緊張感があったのですね。
一度毛利が敵側に付いた事を徳川は忘れていないのですね。
それで万が一の時に立て籠もるための施設として作ったのではと考えられています。
籠城のための雨水の貯水施設も作ってあったようです。 -
礎石もあるのでなんとなく柱が立っている様を想像できますね
-
中央には背中合わせのベンチがあります。
-
柱の数も相当多いですね
-
この礎石に柱が立つのはいつの日でしょうか?
-
なんとなく今の萩にはそういった天守閣復興という気運はなさそうな感じがしますねー
-
ま、いつの日かそんな日が来ると良いですね。
多分私の代では無理そうですがねw -
でも今日は予想外の好天でこの眺めを見られたのですから感謝しなければ
-
なかなかの雄大な眺めです
-
天守台の予想外の広さも体感できました
-
では次に参りましょう。
下りは要注意のお年頃w -
付櫓のところまで下りてきました。
指月山の眺めが良いです。 -
昔の人も同じ眺めを見ていたのだろうなー
なんて思うとちょっと不思議な気持ちになります。 -
さて、、
注意してもう一下りします。 -
ふと見た左手に掘割が広がっていました
-
普段なかなか見られない入り組んだ掘割をいろんな角度で見られて嬉しい
-
こういうふうにいろんな角度で見て体感できるのは現地に来た特権ですね。
-
早く天守閣を復元してもらいたいものだ
-
では先に参りましょう
-
なんか盛り上がってる
-
なにこれ?
古墳? -
ここから入るみたいです
-
意味ありげな建物です
-
花江茶亭(花江御殿移築茶室)だそうです。
-
花江茶亭(花江御殿移築茶室)の解説
-
入ってみたら左手に倉庫が丸見え~w
ありがたみが半減~w -
花江茶亭(花江御殿移築茶室)だそうです。
なんか、、手入れがイマイチですねー。
廃墟感が漂っています。 -
って事は、、
ここは庭園という事になりますね、、、 -
そう言われれば、、、
そうかな、、、?
ものすごく荒れてるけど、、、 -
こちらのボロボロの小屋は、、、
-
看板がありますね、、
-
梨羽家茶室(煤払いの茶室)
-
んー、、、
マジで煤払いした方が良さそうです。 -
煤払いがシャレになってないところがすごいw
-
そろそろ手入れしないとマズイんじゃないってレベルですねー
知らんけど。 -
なかなかの廃墟感を味わえました
-
でも生垣だけはキッチリ丹精されています。
今日見た生垣はどこもキッチリしていました。
萩の人は生垣に対する意識が他の街よりもはるかに高い気がしますねー。
萩は生垣がキレイな街に認定しても良いくらいですね。 -
それなのにお庭の手入れはイマイチw
このチグハグはセンスはいったいなに? -
お!
何かありますね。 -
そろそろ休みたかった~
-
秋芳洞で飲んだやつ。
美味しかったのでリピート。
これって東京でも売ってるのかな? -
なんかすごいものがある
-
狛犬さんにしては随分と高いところにいます
-
ピラミッドの上の狛犬さんw
我が家のネコちゃんもこんな感じで高いとこで威張っていますねw -
看板はあれど、、、
どれがそうなの?
よくわからん、、 -
橋がありました
-
この先に志都岐山神社があるようです
-
しかし、、、
ハチ注意! -
明倫館 遺構 万歳橋
-
そっちの橋では無いようです
-
こっちの橋のようです
-
元々はこの場所にはなかった物のようです
-
元は明倫館にあった橋のようでこちらに移築したようです。
-
花崗岩でできていて中国風のデザインだそうです
-
ハチと争う気の無い平和主義者の私は自ら身を引く勇気を持っています。
-
君子危うきに近寄らず。
君子じゃ無いけどハチに近寄らずな私です。 -
公園を一直線に貫く謎の溝
-
謎の溝はお堀の方へ続いていた。
一体なんの溝だろう?
お堀に雨水を流すため? -
まぁ、わからない事は気にしないw
先へ行きましょう。 -
東園に来ました
-
池泉回遊式庭園ですね。
ここは二の丸にあたります。 -
この辺りには東園のこの庭園が造られる以前からお庭があったそうです。
-
改めて東園として作庭したのは6代目藩主・毛利宗広
-
以前からあった庭を改修して池泉回遊式庭園に生まれ変わらせたようです。
-
池のほとりに庭園を眺められる御茶屋や御殿をつくり休息の場としたようです
-
その後、7代目藩主・毛利重就は庭園内の風景を選び出て「六景二十勝」の名を定めめて庭園の楽しみ方も向上してきたようです。
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しかしながら明治7年の萩城解体後は庭園に付属する建築物も解体されてしまいました。
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でも1925年(大正14年)には復元修理が行われて復活したようです。
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平成30年(2018)には保存整備に伴う発掘調査が行われているので今後の動きが気になりますね。
オリジナルの形の復元が期待されます。
発掘の資料はネット上で公開されているので興味のある方は調べてみてくださいね。 -
思ったよりも東園の眺めは良かった。
知識があったらもっといろいろわかるんだろうけど
そういう楽しみ方は私はしないので知識はなくても大丈夫~w
知識という先入観には振り回されないのw
自分の感じるままが一番~w
もう再入園しないのでこの出口から出ちゃいます。 -
ここの生垣は赤い花の生垣でした。
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道を渡って土手の上を目指します
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ここを登っていきます
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結構急な登りです
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なんか海がすごい色!
ここに石碑がありますね。 -
皇太子殿下はこんなところまで来てたんですね!
本当にマメに回られていますね。 -
なんかすごい色ですねー
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これってマジな色?
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なんか信じられない色です
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ここって日本海側ですよね?
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なんか信じられない、、
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ここってグアムじゃ無いんですか?
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タモンビーチじゃ無いんですよね?
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信じられず、、、
思わず二度見しちゃいます。 -
うーん、、、
凄いコバルトブルーの海、、、 -
ものすごく南の海感がするんですけど、、、
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やっぱり日本海ですよね、、、
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二度見しちゃったけど信じられない色です、、、
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サンゴ礁とかじゃ無いんですよね?
ここって、、、、
予想外の好天気だし
予想外の海の色でした、、、
私、夢見てる?? -
なんか、、
あまりの衝撃、、、
ボンヤリした頭で土手を降りました。 -
私は今、夢を見てたのだろうか??
現実感がないです。 -
ふと右手を見たら生垣の花が満開でした。
山茶花?寒椿?
よくわからん、、、
これも夢かも知れない、、、 -
潮入門跡の看板がありました
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ここが潮入門跡のようです。
ここには渡櫓が乗っていた門があったそうです。
さぞかし壮観だったでしょうね。 -
でもよーく考えても、、
砂浜に開けたお城の門って初めて見たかも -
ここは復元された土塀なんだー
-
門を出たらビーチ。
ものすごく意外な光景です。
萩城浜と呼ばれる海岸のようです。 -
なんだか嘘みたいな体験をしている感じです。
この先は指月川があってその向こうは菊が浜という美しい砂浜が広がっているようです。 -
背後には長い白壁がありますね。
ぐるりと右へ見ていきます。 -
長い白壁です。
この白壁は二の丸銃眼土塀とも呼ばれています。
海からの敵に向かって銃を撃つ穴が開いていることからこの名がついたのだそうです。 -
潮入門跡です
-
向こうはさっき上がった土手ですね
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海の色が、まだ、信じられないです
-
南の海じゃ無いんですよね、、、
-
このビーチも南の島にいるみたいです
-
草地もあります
-
うーん、、、
なかなか日本海を見ているという気がしない、、、 -
背後は白壁
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あそこはさっきいた土手
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目の前はコバルトブルーの海
-
そしてビーチ、、、
なんか変、、 -
コバルトブルーの海
-
サンゴ礁では無い
-
でもどう見ても南の島、、、
-
いやいや、
初めからもう一度、、
白壁があります -
潮入門跡があります
-
さっき眺めた土手の上
-
コバルトブルーの海
-
南の島のビーチ
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ビーチに続く草原
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広い草原
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石垣
-
白壁
-
白壁、、、
なんか、、、
イメージがグチャグチャですね、、 -
石垣に近づいてみます
割と新しそうです -
近くで見ると迫力がありますね
-
この白壁は思った以上に大きくて迫力があります
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振り返ると蒼い海、、、、
なんかイメージが合いません、、、 -
石垣近くを歩いていきます。
見知らぬ生物の糞があちこちに落ちていました。 -
新しいだけあって石垣も白壁も生き生きした感じがします
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石積みが荒々しくて元気そうです
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潮入門跡に来ました。
門に入っていきます。
なんか、、、、
この辺りの景色ってものすごくインスタ映えしそうだから、もっと人気が出そうな気がする。
って、いうてもインスタやってない私が言うのもなんだけどねw -
予想外に興奮してしまいました。
日本海で南の島という異次元な体験ができました。
すごく混乱したけど楽しかったです。 -
左手に先ほど見た長い白壁の内側を見ながら進んでいきます
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カクカクと道がくねっています。
ここは紙矢倉跡だそうです。
そう言われればそんな面影を感じますね。 -
本丸のお堀に出ました
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お堀の向こうは本丸です
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お堀に沿って二の丸を行きます
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左手に石垣が途切れたところがありました。
ここから先ほどいた海岸に出られるみたいです。 -
さっきの海岸沿い草原はどうやら小浜キャンプ場だったようです。
廃止されたみたいですね。
それで謎の生物の糞がたくさん落ちましたからね。 -
この辺りは華矢倉跡らしいです
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この石垣の上にもそれなりの建物があったのでしょうね
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先ほど海岸から見たような白壁がこの上に作られていたのでしょうかね?
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本丸側には何やら木が植えられていました。
桜? -
石垣が見えてきました
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石垣と指月山
良い眺めです -
堀もいい感じの大きさですね
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こちらが萩城東門になります。
東門は枡形の門になっていて、
外門(高麗門)・内門(渡櫓門)の2つの門と
三重の東櫓・二重の時打櫓の2つの櫓が設けられていたようです。 -
お堀沿いには萩焼のお店が並んでいましたが閉まっていました
-
お堀沿いに行きます
-
石垣と指月山
石垣は新しい感じがしますね。
積み直したのかな?
あそこの石垣の角には着見櫓が立っていたようです。 -
城域としてはコンパクトにまとまっているので歩きやすいお城でしたね。
もし復原整備するとしてもやりやすい感じはしました。
あとはお金w -
現在は正直言って全体に手が回っていない感じの城跡でしたが、
調査や保存は所々進行中のようでした。 -
いつの日にかその成果が結実することを祈ります
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今朝きたところまで戻ってきました。
まさかの青空の下でお城見物ができました。
ありがとう! -
では二の丸を通って今朝きたところまで戻ります
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二の丸は現在は森のような感じになっています
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石垣の石がちょっと面白い形と大きさをしています
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算木積みがちょっと変わった積み方の石垣ですね
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積み方が野趣あふれる感じで面白いです
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毛利さんが見えてきました
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二の丸を出ます
-
案内板を見て感動を反芻してみる
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旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
お城の入園券で見られるので入ってみます -
すると、、、
受付のおじさんが、、、
窓口の向こうで、、、
瞳をを閉じてを、、
天を仰いで、、、
口を開けて、、、
まるで寝ているように見えました~w
(←あくまでもそう見えた!というだけだからさ~w)
かわいそうなので
そのままにして入らずにおきましたw -
なんか、、、
萩って、マイペースな街~w
これって住みやすい街ってことだよね、多分w
次はこっちに行きましょう -
このユースホステル、
多分、50年くらい前に泊まったかも
という感じがまだしています。
ってことはこの建物も相当古いかも。 -
指月橋に戻ってきました
-
あれ~~?
川の水も南の海の色だ~~ -
不思議です~
この指月川って川という名前なのに実は運河なんですね。
人間が掘った運河なんだそうです。 -
まだ青い空が続いています。
今のうちに急いでまわりましょう。 -
今朝寄った萩藩主 毛利家墓所(旧天樹院墓所)の横を通っていきます。
-
なかなかいい感じの道です
時々車の通りはありますが観光客は全然いません。 -
この辺りの生垣はモッサモサですねw
今回萩でモッサモサ生垣は初めて見ました。 -
看板がありました。
文字が剥がれてて読みにくかったです。 -
旧毛利家別邸表門です
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建築年代は明治時代で14代藩主・毛利元徳が鎌倉材木座に建てた表門だそうです。
-
では天気の良いうちにサッサと先に行きましょう
-
白壁の向こうから綺麗な花がこんにちは
日本海側なのに日差しは南国。
ハイビスカスが咲いているように見えてしまいました。 -
石垣の塀が続いています。
この辺りは三の丸になります。 -
今度は生垣に変わりました
-
次は土壁と白壁
-
次は生垣。
結構歩いてきました。
ずーっと住宅が続いていました。
この辺りはいわゆる堀内地区で上級武士の邸宅が立ち並んでいたエリアでした。 -
何か背後で視線を感じます、、、
-
あそこかな?
-
そこにいるイカリ肩の人は誰?
田中義一銅像
でした。
萩ではいたるところに田中義一ネタが転がっています。 -
田中義一銅像の視線を背中に受けながら先に行きます
-
お堀がありました。
萩城の外堀のようです。
平成8年から復元整備をしているようです。 -
このお堀で三の丸と城下町を隔てているそうです。
この写真だと左が三の丸。
右が城下町になる感じです。
当初は20間(約40m)の幅がありましたが、その後、14間(約28m)、8間(約16m)と狭くなったようです。
現在は8間堀期を基本として復元整備されているようです。 -
ここからは城下町になります。
この辺りに来るとパラパラと観光客がいます。
みなさんお城には行かずに城下町を見学してるのでしょうかね? -
高杉晋作の看板がありましたがこの場所と関係あるわけではないみたいです。
-
雰囲気ありますねー
この辺りにはオリジナル世代のアンノン族がパラパラときていましたw
(←含む私w)
このあたりの地方だと萩、津和野はアンノン族の聖地という感じでしたもんね~w
その手にはブルーガイド・パックを持って旅してたの~w -
ここはの風景は有名ですねー。
YouTuberさんらしき人が動画を熱心に撮っていました。
邪魔してはいけないので少し他を見ましょう。 -
菊屋家住宅の表側
-
向かいのお宅も素敵です
-
菊屋家住宅は間口も広いですね
-
まだYouTuberさんが撮影していました。
じっと待っていたら通っても影響ないですと言っていただけたので通らせてもらいました。 -
私、普段から旅行系YouTubeを浴びるほど見ているので、その中の誰かだったら迷惑かけては大変と思った次第です。
これからもたくさん良い動画をアップして欲しいので応援しなくちゃw -
ここ菊屋家住宅の白壁は見事ですね
-
この通りはある意味、萩のアイコンの一つですね
-
よく整備されていますね
-
振り返って見た
ん~~いいですね~~ -
どうやったって絵になってしまうフォルムの美しさ
-
さてさて先に行きましょう。
菊屋家住宅は敷地が広いですね。 -
まだ続いています。
この通りは菊屋横丁という呼ばれ方をしている通りです。 -
振り返って見た。
結構来たけどまだ菊屋家住宅です。 -
菊屋家住宅の敷地は続く
-
途中にあったのは田中義一生誕地の看板
-
同じような白壁が続いているので菊屋家住宅はどこまでだかわからなくなりました。
おそらく木の生えているこの辺りまでのような気がするのですが。 -
この辺りからは違うような感じですねー、多分。
-
右手に看板があるお宅がありました
-
高杉晋作の生まれた家のようです
-
一般に開放されているようです
-
観覧料は100円と激安です
-
晋作というのは通称だったそうです。
他にもたくさんの通称を使い分けていたそうです。 -
27歳で肺結核で亡くなったそうです。
短くも濃い人生でした。
のんべんだらりんと薄~い人生を長々と送っている私には想像もできません。 -
中を見たいのですが今日の私は時間が無いのです。
なにせこの後に嵐が私を待っているものですから。 -
後ろ髪を引かれつつこの場を去ります
-
晋作広場?
-
これが晋作広場か、、、
-
こちらが高杉晋作さんですね
平成22年10月に建立されたばかりなんですね。 -
なかなか凛々しい。
晋作さんが明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージしているそうです。
イメージ??
そう言われると、、
確かに写真で見るお顔よりもちょっと盛ってる感じはしますねw
(←失礼w)
両刀を差した羽織、袴の立ち姿でかっこいいです。 -
銅像の高さは1.8mで、台座を含めて3mだそうです。
-
どこを見ているのでしょうか?と思いましたが、
それは晋作誕生地と萩城の方角を向いて建てられているんだそうです。
やっぱり理由があったんですね。 -
菊屋横丁に戻りました。
来た道を振り返ってみました。
御成道にむけて緩やかに上り坂になっています。
地形学的に考察すると三角州の土砂が洪水などの営力で上流から下流方面に押しやられて体積している感じでしょうか?
知らんけど(←テキトーw) -
晋作公園の南側の道を行きます。
生垣が綺麗です。 -
萩の生垣は本当に綺麗に丹精されていますね。
-
門がありました。
この公園も元々はどなたかのお屋敷だったのかも知れませんね。 -
南側の生垣を振り返った感じです。
綺麗ですね。 -
ここから北に向かう小路に入ります。
この通りは伊勢屋横丁という通りだそうです。 -
左手に晋作広場があります。
-
小田村伊之助(楫取素彦)旧宅地の看板がありました。
この方、吉田松陰の妹さんと結婚したそうです。
その妹さんが亡くなった後に再婚した人も吉田松陰の妹さんだったそうです。
これってなんか~、すごくない~?
って思っちゃいました。
これって間接的に吉田松陰に惚れてるってことじゃない~??
どんだけ吉田松陰のこと好きなんでしょ~?
BLだわ~
ボーイズラブだわ~
って思っちゃいましたw(←女性週刊誌レベルな私w)
この場所は現在は全くの普通の住宅だったので撮影ははばかられました。
それのでここの写真はこの看板以外は撮りませんでした。 -
伊勢屋通りは生垣が綺麗な通りです
-
土壁や白壁も良いけど生垣の街並みも良いですねー
-
崩れかけた白壁
-
両側が白壁。
この辺りの左側の白壁の向こう側は菊屋家になるようです。 -
菊屋家は敷地の大きな家ですね。
庭掃除するだけでもめまいがしそうですね。 -
表通りに戻ってきました
-
伊勢屋横丁を振り返ってみます。
菊屋家の白壁がずーっと続いて見えています。
すごいですねー。 -
所々にこう言った人物解説の看板が立っています
-
表通りと江戸屋横丁の角に看板がありました。
この辺りで中国からの観光ツアーの人が来ていました。
そろそろツアー客のインバウンドが戻ってきたのでしょうか? -
萩城城下町
国指定遺跡だそうです。
この看板周辺は割と観光客が集まっていました。
萩城の方は全然人がいなかったのにね。 -
私は江戸屋横丁には入らずにこの表通りをさらに進みます。
この道は御成道ともいうようです。 -
ゆかりの人の紹介が所々にあります
-
普通の民家の街並みになってきました
-
人物紹介は人形付きになってる所もありました
-
こちらも人形付き
-
この辺りから路面がタイル張りになりました
-
両側はしもた屋風な街並みです
-
森井家住宅
江戸時代の有力商人が立てたそうです。
昭和の頃は卓球場だったというのがなんとも物悲しい話です。 -
どことなくレトロな雰囲気のままに残っている街並みです
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大きなアーケードが見えてきました
-
ジョイフルたまち
というアーケード街です -
立派なアーケードです。
この道は御成道とも呼ばれた萩往還にあたるそうで藩主が参勤交代で通ったらしいです。 -
この時間は空いているお店は少なかったです。
かつては八木百貨店やニチイなどの大型店もあったそうです。 -
この商店街は遅くから賑わう感じなのでしょうか?
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クリスマス風の飾りを指しているお店もありました
-
もちろん開いているお店もありました
-
アーケードの入り口あたりのお店は開いているところが多い感じでした
-
あそこでアーケードは終わりのようです
-
振り返った感じ。
なかなか立派なアーケードで現役感があるので今日はたまたまそういう日だったのでしょうね。 -
アーケードの横は広場になっていました。
広場には何かが立っていました。 -
唐樋札場跡とうっすらと書かれています
-
これが唐樋札場跡なのでしょうかね?
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向こうの広場はたまち広場です。
ここにはUFOビルというこの辺りにしては珍しい背の高い雑居ビルがあったそうです。
長年放置状態でかなりの廃墟風だったらしいです。
それを商店街で購入して更地にしたんだとか。 -
道路元標の解説
-
唐樋札場跡 高札場(復原)の解説
-
現代でいう広報板ですね
-
なかなか立派です。
発掘調査の結果をもとに平成22年に復元されたようです。 -
時にはここで磔(はりつけ)や獄門(ごくもん)も行われていたというから、広報活動も様々です。
-
次は右に曲がって萩城址線を行きます。
なんだか、、、空模様が怪しくなってきました、、、 -
グラウンドを左に曲がります。
右手に萩市立明倫小学校のグラウンドを見ながら行きます。 -
木造の建物が見えてきました。
雨雲も見えてきました、、、 -
明倫学舎に到着したようです
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ここは裏口なのかな?
入っても良さそうなのでここから入っちゃいます。 -
左手に趣のある建物があります。
これもけっこう大きな建物です。 -
有備館という建物のようです
-
旧明倫館の剣術場と槍術場を移して拡張したものだそうです
-
木造平屋建の入母屋造で桟瓦葺ですね。
建物は南北に細長く桁行37.8m、梁間10.8mです。 -
内部の北側半分は板の間で39畳の剣術場、南側半分は土間で54畳の槍術場になっています。
他国からの剣槍術の修業者との試合場でもあり、土佐の坂本龍馬もここで試合をしたといわれています。 -
お隣が旧萩藩校明倫館の跡地に建てられた
旧明倫小学校の校舎の萩 明倫学舎 -
4棟の建物が奥まで並んでいます。
すごく広い敷地です。 -
今朝見た旧有備館観徳門がありました
-
曇り空の時に見た時はそれほどでも無いなーと思いましたが、日が当たってみるとなかなかいい感じの門ですね。
-
この門から入れるようです
-
では入ります。
なかなかいい感じの外観です。 -
大きい校舎ですね。
これで小学校とはすごい規模です。
1885年に萩の小学校を統合して明倫小学校にしたらしいです。 -
入り口に到着
入母屋造の屋根が印象的です。 -
どことなく懐かしい雰囲気です。
この校舎は明倫小学校として2014年(平成26年)3月まで使用されていたそうです。現在明倫小学校はここのすぐ裏、つまり来る時に横を通ったグラウンドのあるところに移転しています。 -
ここから入るみたいです
-
入館は無料みたいです。
-
ただ2号館だけは料金がかかるみたいです。
-
ここは藩校があった場所に建てられた小学校という立ち位置ですよね。
なんとなく今のアピールの仕方だと、この建物が藩校だったようなイメージになってしまいそうですよね。
私の頭ではちょっと紛らわしい感じがしました。 -
復原校長室だそうです
-
この本館棟は国登録有形文化財なんだそうです
-
おや?
メニューがある。 -
萩明倫レストラン・カフェ 萩暦
-
ちょうど良いのでお昼にしましょう
-
中はオシャレに改装されています。
国登録有形文化財だけど改装は大丈夫だったんですね。 -
今ちょうど14時です。
それで空いているのですね。 -
静かで良かったです。
-
きました~~。
萩暦特選ランチ ご飯普通盛り 1800円(税抜き) -
和食と洋食がちょこちょこ食べられて
どちらも味付けが優しくて美味しかったです。
特にお刺身が新鮮!
お刺身の単品があったら頼みたいくらい美味しかった。 -
なんか落ち着く~~
-
こういう静けさを求めてここまで来ました~
-
せっかくの萩なので
フロート夏みかんソーダ 500円(税抜き)
を注文しました。 -
なんかオシャレ~~
-
なんか乗ってるし~~
さっぱりしてて美味しかった~~
お会計は
萩暦特選ランチ ご飯普通盛り 1800円
フロート夏みかんソーダ 500円
外税 230円
計 2530円(税込) -
雨降ってきてるし~
-
美味しかった~~
すっかりくつろいじゃった~
カフェもあるみたいだけど今日はやってないみたい。 -
ぱらりぱらりと雨が落ちてきてますね。
予定通りです。 -
このお店は若い人がお料理を作ってたみたいだけど
洋食はもちろんだけど和食もすごく美味しかったなー。
板前さんが作ったみたいな本格的な味だったなー。
ここのレストランに来て良かったなー。
なんたってお手頃価格でこのお味はなかなか無いなー。
って私が食べ物の味の事言ってもまったく説得力ないけどね~w -
また校長室をのぞいてみる。
思い返してみたら
自分の小学校からず~~っとだけど学童、学生の現役時代に校長室って入った事無い気がする、、、
多分だけど。 -
喫茶コーナー Mado
-
カフェってこっちにもあるのか
-
猫ちゃん
威張ってて可愛いw -
カフェカウンターもあるけど自販機もありました。
観光パンフレットも置いてありました。 -
ここは映像が流れてて休憩の合間に見るのににちょうど良い感じ。
カフェで注文しなくてもここで休んで良いようです。 -
そんな事なら、、、
自販機でマッチ買っちゃいましたw
ここは
萩まちじゅう博物館 観光インフォメーションセンター
というスペースのようです。
休まりました~。 -
外の入り口にこんな表示がありました。
よく見たらここに自由に休んで良いと書いてありました~。 -
使用中
-
ふ~~ん
-
こういう廊下は私世代では懐かしく感じますねー
授業が終わると雑巾がけの競争をやらされてましたねー -
次は2階に行ってみます
-
階段周りはクラシカルな感じで良いですね
-
萩ジオパーク?
-
特別応接室
-
猫ちゃんが入っても良いって言ってます
-
ふ~~ん
-
格天井ね~
まぁ、特別感はありますね。 -
ここから見た感じは良いですねー
-
次は何かなー
-
疾風怒濤、、
すごいタイトル -
動画はダメってことは静止画は良いって事だよね
-
ふ~~ん
動画に撮るほどでも無いなぁ~
っていうのが正直な気持ち。
そういえばこの明倫学校は大河ドラマにも出てきたんだっけ?
私テレビ全然見ないんで知らないんだけど「花燃ゆ」という視聴率の新記録を(低い方のw)作る勢いのドラマが幕末の萩が舞台だったらしい。
だから明倫学校が出てきてもおかしくなさそう。
そんな事をこの映像を見て思い出した。 -
明倫小学校の歴史かぁ、、
-
どれどれ
-
なるほど
-
この辺は少しだけ見覚えがあります。
牛乳は脱脂粉乳だったけどねw -
この辺はリアルに知ってる
-
この辺は私の後の時代w
-
動画撮影禁止
権利関係に厳しい街です -
明治の頃はさすがに知らない
-
謄写版はリアルに刷ってたw
なんだったらガリ版もカリカリきってたしw
この隣の2つの教室は撮影禁止でした。
1つは藩校の展示。
もう一つは天井の構造が見える部屋でした。
ここには塩対応の爺さんスタッフが見張っていて
写真を撮ろうとしたオバさんが大声で怒鳴られていました。
私に対してではないですが、この対応はどうなの~?
、、、とモヤモヤしてしまいました。 -
さらに戻る感じのところに
萩ジオパークは2つの教室を使って展示していました。
撮影禁止なので写真はありません。
内容的にはさらっとしていてわかりやすいと思います。
次に復元教室に来ました。
この部屋はなんとも懐かしさで溢れていますなー -
思えば遠くへ来たもんだ、、、
-
雨降る窓の外
退屈な授業
何もかもが遥か彼方の遠い空 -
と、ちょっとセンチな思い出に浸っていたら、、、
ドタドタドタとおばさん3人組がなだれ込んできました。
あーでも無いこーでも無いと
これまたヤカマシイ事この上ないです。 -
これはたまらん!
と急いで教室を出て下におりました。 -
今なら雨は小康状態
-
顔抜きはパス!
-
ここは今見た本館以外に有料の2号館があります。
3号館と4号館もありますがあまり観光客には楽しめる感じでは無さそうなので行きませんでした。 -
天気はやはり下り坂ですね
-
空模様は予報通りの荒れ模様。
傘は持ってきたのでとりあえずは大丈夫 -
まずは萩バスセンターに行きましょう
-
萩バスセンターに到着
-
バス待ちの人がいますね
-
チケットを買いました
-
スーパーはぎ号でサッサと帰る事にしました
-
ただ今16時ちょうど
16時22分発に乗れそうです -
心配性の私はこちらでもチェック。
16時22分発で間違いありませんね。
良かったです。 -
スーパーのサンリブ萩に行こうかと思いましたが雨で濡れそうなのでやめにします。
ここでお弁当を買いたかったなー。 -
窓口の人に乗り場を聞きました。
2番乗り場だそうです。 -
2番乗り場はここですね。
-
待つこと少しでバスが入ってきました。
-
ようやく座れる~~
-
整理券は1番でした
-
やれやれどっこいしょw
-
やっと座れました~。
-
バスは萩バスセンターを出てから明倫学舎のバス停に寄りました。
ここで乗ろうかなとも思いましたが、やはり今朝のスタート地点から乗りたかった。 -
明倫学舎にさようなら
-
雨宿りできた上に美味しいものも食べられて良かったです
-
スーパーのサンリブ萩がチラリと見えています。
行けなかったことが少しだけ心残りです。 -
橋本橋を渡ります
-
橋本川ともさようなら
-
なんか灯籠みたいのがある
-
萩駅に到着
-
萩駅から乗車下車する人はいませんでした。
-
雨が止んでるのか空が少し明るくなってきました。
天気予報の表現では大荒れという事だったが、、、
まぁ、良い方に外れたのでおとがめなしという事でw -
デカイ川に沿って走っていきます
-
阿武川という川のようです。
来るときには全然気がつかなかったです。 -
来るときはまだ暗かったからかな?
-
まぁ、あとは新山口駅に帰るだけなのでそんなことは些細な問題さw
-
景色は比較的変化がないのでちょっと眠くなる感じです
-
そうしたら、、、
案の定~~w
「終点ですよ、お客さん」の声で
ハッ!
と起きた私。
急いでバスを降りました。 -
あれ?
見覚えが無いところです。
ここはどこ? -
JR山口駅でした~~w
あれ~~??
どうして~~??
もしかして違うバスに乗っちゃったみたい~~w
(←萩バスターミナルで乗ったバスの行き先表示が、、山口駅でした~w)
同じ2番線発車だったし出発時間もほぼ同じだったので表示をチラっとしか見ないで乗っちゃいました~~w
って、笑ってる場合ではありません。 -
このままではホテルに戻れません。
あの散らかしっぱなしの部屋をさらに捜索されたら、、、
そんなの嫌です! -
なんとしてでも、、
這ってでもホテルに戻らなければ! -
あせるあせる!
-
ただ今18時7分。
ちょうど新山口行きがもうすぐ来ます。
良かった~。 -
念の為時刻表を見てみる。
えっ!
18時ってこれ1本だけ?
県庁所在地でしかも帰宅時間なのに? -
電車が来ました
-
いかにもローカル列車といったくたびれ具合
-
座れちゃった。
と、思ったのもつかの間。
最初は空いていましたが、
あれよあれよという間に満席&かなりの混雑に。
結局は東京の帰宅時間の混雑と変わらない感じになりました。 -
その時、杖をついた老婆(←失礼w)が乗車して来ました。
周囲の人は無反応。
私は普段のように
「よろしかったら、おかけになりませんか?」
と立ち上がって席をすすめました。
すると老婆(←失礼w)は
「けっこうです!!」
と大きな声で怒鳴って車内奥の方に人ごみをかき分け行ってしまいました。
、、、、私、何か気に触ることした?
立ち上がった手前座ることもできず、ドアの前までそそくさと移動したのです。
空いた席にはサササッとオバサンが座りスマホをいじりだしました。 -
モヤモヤした気持ちで新山口駅に到着。
-
通勤時間の新山口駅には若い人が溢れていました。
どこにこれほどの若い人がいたのでしょう? -
なんだかモヤモヤ気分でテンションがダダ下がりのままで改札を出ます
-
ここには敢えて少ししか書いていませんが、、
こういうモヤモヤ気分になる場面が今回の旅では他にも何度かありましたねー。
なんか今回は変な感じの旅です。 -
こういう時はさっさとホテルに帰って寝ることですね
-
なんかやってる
-
駅前広場でイルミネーションをやってるようです
-
そういえばもう年末なんですね
-
バスターミナルの方面は普段通りのようです
-
ちょこっとイルミネーションでも冷やかしていきましょうかね
-
下の駅前広場に下りて来ました
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思った以上に力の入ったイルミネーションです
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見物客もそこそこ来ていました。
イルミネーションの中をふらふら歩いていたら
ちょっと機嫌も良くなった単純な私ですw -
観光案内所は当然閉まってました
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昨日も思いましたが、
この新山口駅は良い感じの作りだなぁと今日も感じました。
中原中也記念館と同じ人が関わっていたんですね。
なるほどーと言う感じです。 -
種田山頭火
山頭火はこの近くの出身だそうですね。
ものの本でしか知りませんが
なんとも評しがたい人生のようでした。
でも心の置き場所を探し歩いた気持ちは私にもなんとなく感じる部分はあります。
大きく見れば私も山頭火と似たり寄ったりな生き方をしているようにも思えます。 -
セブンイレブンで夕食を買っていきます。
セブン-イレブン 新山口駅前店 -
ホテルに到着。
今日は長い1日でした。
でも天気が予想以上に良かったので満足です。
さてさて、
お弁当食べてお風呂入ってサッサと寝ましょう~~。
明日は東京へ帰る日。
明日も楽しい1日であるように。
おやすみなさいー。
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