2024/02/27 - 2024/02/27
122位(同エリア164件中)
BO/Mさん
新潟に来た
用事を終え、レンタカーがあった
新発田市、蔵春閣は是非訪れたい場所だった
みぞれ降るなか、昼過ぎに着いた
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大倉喜八郎の別邸として向島に建てられた蔵春閣は、その後向島から船橋に移築され船橋へ、中華飯屋として暫くあったが、その後閉店、大倉集古館など往時の大倉家ゆかりの事業会社により大バラシされた
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何度かの事業計画などあったが、なかなか成就に至らず日の目を見ない日々何月が長く続いた
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大倉喜八郎にゆかりのある新発田市への移築話が具体化し、長く柱、梁、モザイク床面など大バラシされ大切に保管されたものが再調査始まり
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事業計画は進み
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関東から大型トラックで移送され一旦新発田市内の有休施設へ
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照明関係は冶金、鍍金、修理などで出され
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旧大倉組(現スーパーゼネコン)の社寺仏閣などの部署が主管し大倉集古館などと新発田市が
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この素晴らしい建屋を喜八郎生誕の地、ここ新発田市に再建した
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別邸、すなわち武家なら下屋敷であり客人をもてなし遊ぶ場所、親睦を深める場所であり、遊びの要素、華美過分をよしとする豪華絢爛が見られる
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2階に上がると、内廊下はモザイクタイルが一面に敷き詰められ
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襖を隔てて室内へ
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往時の来客者は息を呑んでこの光景を楽しんだことだろう
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廊下奥の角棚
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直角をつないでちょっとした遊び棚がある
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モザイクタイルは修復され、磨かれていた
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天井がまた見ものである、中華料理店としてしばらくあったのだが、それも合う
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時節柄か雛壇が飾られ、
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階高の高さが目を引く
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奥に見えるのは大倉喜八郎の等身大画像
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菱模様の横長使い、縦長使いなどにも意味を持たせた由
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掘られて紋様が浮く衝立か
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1912年に建てられ
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赤坂のホテルオークラ東京に再築される可能性が消防法など諸問題で流れ
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最終的に大倉集古館側による全面支援を前提として新発田市の受け入れが決まり、2023/3開場
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鐘型の襖
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八角形と四角形を組み合わせた天井意匠や
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もモザイクタイルによる2階通路
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お雛様の飾られた中央を開けると向島の川が臨まれた借景の妙があったとか
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直角に曲がる階段
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変わり意匠の階段上端
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敷地平面図、継ぎ足されてトイレなどがある
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外観正面
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正面入口
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案内板
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外に出て向かいには諏訪神社
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側面
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案内板
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諏訪神社側から
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見事に再生さられた蔵春閣(喜翁閣と呼ばれもした)は生誕の地、新発田にも相応しい立派な、そして稀有な建物でした
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