2024/02/02 - 2024/02/05
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gyachung kangさん
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韓国の冬は寒い。そのイメージはかなり強い。なぜならば私がこの国を訪れるのは決まって寒い季節だからである。
マイルレスキューのタイミングが来てパンデミック直前の渡韓以来となる2月の韓国訪問をプランした。目的地は以前から気になっていた忠清南道と全羅北道に点在する百済王朝の遺跡群達。古の昔でありながら実は想像よりはるかにインターナショナルな外交関係が百済と日本にはあったんじゃないの?その影をこの目で確かめるため寒さど真ん中の半島に行ってみた。まあ、その分あったまるものいただきましょうってことで韓国来りなば春遠からじの巻なのです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
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-
立春を直前に控えた2月のあたま、午前6時過ぎの羽田空港第三ターミナル。
私のホームポートに丸4年振りに戻ってきました。対面チェックイン派の私は一番乗り?でカウンターでチェックインを済ませセキュリティラインに向かうと既に200人以上の行列。早朝にも関わらず並んでいる皆さんは楽しげな雰囲気に包まれて完全にかつての熱気を取り戻していた。
不自由なく旅ができるのってホントにありがたい、あらためて噛み締めましたね。
手続きを全て終えて搭乗ゲートへ。これからソウル金浦空港へ飛び立ちます。 -
飛行機は定刻通り韓国ソウル金浦空港に到着。
ここで気がついた。そう言えば、金浦の利用はお初かも?なのですよ。空港直結の鉄道路線A'REXを使えば僅か5駅、これは便利。 -
ソウルからKTX龍山駅へ。
龍山の窓口でチケットを尋ねると『満席です。スタンディングでよければ有りますが』と言われやむなく購入。今回の目的地は忠清道の町、公州になる。乗れば早いKTX、約1時間だし、まあヨシでしょう。 -
そ、KTXにはデッキにこの補助席があった。
これを確保できたのでラッキー! -
コロナパンデミックの大混乱が始まる直前に見た光景を再び。漢江を渡り一路南へひた走る。
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KTXはほぼ定刻に公州駅に着いた。駅前には何もなく、待ち構えていたタクシーを捕まえて20キロ、公州の町の中心部に到着。
石造りのゲートに巨大な銅像、こういうのは町のランドマークとしては初見の観光客にはたいへん分かり安い。助かるのであります。 -
んで、ここにありました。
今旅のテーマ、紀元4世紀前半~660年に朝鮮半島南西部に君臨した百済朝、その遺跡の一つ、公山城であります。 -
坂の上に入り口となる楼閣が見える。
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おお、密度の高い石積みだ。
ではご訪問。 -
天井にユニークなタッチのトラの絵
これは復元ですねえ -
築城は百済が都をソウルからこの地に遷都した時代、5世紀の後半にあたる。城郭は切れ目なくぐるりと保存されていた。
以前に韓国では水原の華城、ソウル郊外の南漢山城の城郭を一周回った経験がある。こういうアップダウンは楽しい。ここもトライ。 -
入り口から東→北回りに歩くとこの楼閣が現れた。臨流閣というらしい。
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楼閣の天井柄はこうなる。これまでの体験から韓国流がだんだん掴めてきた。
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さすがは山城、眼下には錦江、その向こうは公州の対岸側の街並みが一望。
当時、朝鮮半島の勢力図は三国が覇を競っていた。百済は東に新羅、北に高句麗と対峙。この地盤の高さはやはり防御力につながるよなあ。 -
今度は錦江の川岸方向に下り坂
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錦江への水路も確保しているようだ
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階段もある。貯水タンクでしょうね。
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下ってきた坂の石積み、いい精度です。これ修復されてなければかなり凄い。
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城郭に囲まれた中は平地になっておりこの場所は王宮があったエリア。基礎は残っていないが大量の出土品が発見されている。
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城郭西側は現在補修中で一周は断念し入り口に戻った。
百済は都をソウルから公州、扶余と移しているが二番目の都であった施政下の拠点がここだった。日本ではあの聖徳太子が生まれるほぼ100年前の太古に当たる。 -
この公山城の目の前は食の名店街になっていた。
カフェ、スイーツ系ショップ、韓国料理店が固まってある。ならば、、、 -
少し早めの夕飯に。こんな店に入ってみた。
まだまだ冬真っ只中。予想より気温は低くなかったが外歩きで体は冷えた。
アツアツの料理、食べたいのーーー! -
私ハングルメニューは読めないんで店員さんが汲んでくれました。鉄板、ビーフリブ。スープは見た目通り唐辛子は少なめ。あったまるなあ。
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公州で取った宿は錦江大橋を渡って右手側のホテル街にすぐ見つかった。
韓国はミドルクラスの宿が弱いカモ、と以前に書いたことがあるが、今回はアタリだったようで。新しくて清潔、ベッドは広く硬さも快適、バスタブ有りで一泊約7000円。 -
旅の2日目
まだ暗い明け方前、ホテルから徒歩5分にある総合バスターミナルへ。
いったん公州を抜け出して扶余(ぷよ)という町まで行く、これが私の立てたこの日のプランだ。 -
韓国地方バスターミナルの落とし穴!
昼間の時間帯はいいんだが、早朝は窓口が開いていない。ってことはチケット自販機で買うことになる。ところが英語表記が無いわけですよ。ハングルの嗜みがあれば買えるのだが、私は無い!
こりゃ困ったなあとウロウロしていたところ写真の男性がヘルプしてくれた。助かりました。
コレ、日本の地方も同じじゃないですかね。外国人観光客の方、朝のバスターミナルは要注意かも。 -
プラットフォーム2番に扶余行きバスが入りました。安心したあ。
韓国のローカル旅、文字と言葉のコミュニケーションではちょっと苦労する場合がある。地名のハングル表記くらいは頭に入れておいたほうがいい。ま、翻訳アプリもありますがね笑 -
バスターミナルから40分ほど扶余に着いた。
扶余は村である。バスターミナルもちっちゃい。
まだ、ちょっと早いんだよあ、と思案していたらターミナルの中に早朝から営業中の食堂を発見。覗くとおばちゃんがストーブで海苔を炙っていた。
よし、ここで朝メシ決定。 -
ワンメニューです。朝定。
朝ごはんに海苔が出てくる。日韓共通、私は今回知りました。 -
朝ごはん食べて目的地まで歩いて行く。
扶余のメインストリートをぶらぶらしながら5分、 -
ここです。
扶余定林寺五層石塔
ハングルでなく漢字で書いてある。 -
五層石塔
百済歴史地区世界遺産の構成物の一つで韓国の国宝指定になっている。
このとき見学者は世界で私一人だけだ。
ちなみに見学フリー、タダであります。 -
百済がこの扶余に都を置いた時代に建てられた定林寺の跡。この小さな石塔がオリジナルで今に生き残っている。5世紀中頃の作。高さ8メートルくらいか、装飾性はないが均整の取れた安定感が際立っている。
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塔の背後に講堂があった。講堂は現在復元、で中にはオリジナルの石仏像が残る。
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表情がなんとも新鮮。仏像の輪郭は卵型のイメージだけど、おまんじゅう顔ですからね。
同じ韓国の慶州にある世界遺産の石窟庵、あれも良かったんだが、全く趣きが違う。もちろんこちらがはるかに古い。 -
ここには博物館もあった。受付の女性に入館料を聞くと無料だと言う。
中には当時の伽藍配置の模型。石塔だけが現存しているのは安定性が優れていた証。 -
五層石塔の模型に立体的な映像を当てての説明。
私、基本この手の仕掛けには興味を示さ無いのですが、これはクオリティ高いと思いましたね~ -
仏教伝来の説明図があった。
朝鮮半島へは今の北朝鮮を通過する北方ルートと洛陽から南京を経由する南方ルート。いずれも百済に集まってそこから倭国つまり日本列島に伝えられたことになる。
当時、仏教は思想や文化の核心であるがその伝播が百済→倭であることはとてつもなく重い。このあと、私が見学したスポットではこの百済→倭の分脈が節々に登場する。 -
ハイ次!
定林寺跡から徒歩5分にある国立扶余博物館。
ここには多くの人が訪れていた。ここも見学フリー。韓国は真に価値が高く見せたいものは無償で見せる機会をつくる狙いがあるようだなあ。 -
三面仏像。レプリカではなく本物。
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こちらは保存状態が良好。
やっぱり顔立ちがかなり違うんですよね。謎だなあ。 -
扶余からの出土品
小さいながら金の仏像 -
こちらも
百済統治時代の仏教文化の開花を実によく今に伝えております。
私はかつて社会科の教科書で見た法隆寺の国宝百済観音を思い出しましたね。 -
極めつけの展示品がコチラ
百済金洞大香炉 であります。
大きさは高さ1メートルくらいでしょうか。仏教芸術ではないが香炉というところに当時の百済のハイエンドの暮らしぶりが偲ばれる。
こういうのを見ると百済→倭の文化伝搬ベクトルに説得力が増してくる、感じが湧く。 -
扶余での見学は忙しい。
次なる百済巡りはココ。ココは扶余山城。百済全盛期に築かれた山城である。この山城の麓には当時の建屋が幾つか残っている。 -
居住建屋の裏にはこの排煙口。オンドルですね。
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山城に入ると。昨日の公山城よりも広くちょっとしたトレッキングルートになっているようだ。
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山城内にはお寺があり、その下には船着場がある。
船着場があるこの川がアレですよアレ。
もうお察しの方もいるかと、、、 -
アレとは 白村江 はくすきのえ
であります。
白村江の戦い。
663年百済再興勢力+倭の連合軍対唐VS新羅の連合軍が決戦し百済と倭は敗退、百済の滅亡に至ったのがこの地。倭=日本は天智天皇の時代、日本はこれを契機に朝鮮半島での足場を失い歴史上大きな転換点になった戦いであった。詳しくはグーグル先生に譲りますが。
私が最大注目するのは、百済と日本の関係性、これに尽きる。普通ただの友好国ならば参戦はしない。リスクが大きすぎるから。にも関わらず玄界灘を渡ってまで派兵して百済を助ける意味が謎過ぎる。
倭と百済が相当核心的な部分で繋がっていれば別ですが。そこなんだよなああ~!
日本の歴史には3世紀後半から5世紀初頭まで何があったか全く史実記録がない謎の150年が存在する。
その間、倭と百済には何があったんでしょうか?どなたかお答えをお願いします! -
扶余山城を下りたらいい頃合いのランチタイム
韓国の冬、やっぱり鍋が食べたくなるわけで。
今日もビーフ、但し真っ赤っかである笑
右のお皿のツケダレがビーフの味をさらにUP。 -
百済終焉の地、扶余には壮大なオマケのスポットがある。
白村江の対岸にある百済文化団地。百済時代の建物や生活文化、習俗を再現したテーマパークである。韓国にとって当時の百済がいかに先端にあったかを是が非でも知らしめたい、そんな施設だ。 -
日本にも影響を与えた五層式塔
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村落の再現住居
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牛と馬が既に百済では労働力とされていたこと
ちなみに日本で馬が登場する記録は5世紀に入ってからである。これも朝鮮半島経由とみなされている。 -
これは瓦職人の工房の再現住居
説明文はハングル、英語、中国語、日本語で表記されている。588年に百済から日本に派遣され瓦と煉瓦の製造技術を日本に伝えた人物の工房と記述されている。
同様に鉄の製造技術を日本に伝えた人物の製鉄工房等もあり。かように重要基幹技術の多くが百済→日本の伝播ベクトルとして紹介されている。
もちろん多くの現在の日本人は大陸からもたらされたもの、として大雑把に理解してはいるが具体的に百済の役割を掴んでいるか?疑問符がつく。ここが歴史把握のポイントになるんでしょうね。さまざまな思惑がありますから。 -
扶余観光を終えてバスで宿のある公州に戻った。
季節の変わり目、春に向かう小雨がパラパラと降って道が濡れた夜の繁華街はネオンの反射でやけに明るい。 -
腹が減ったぜーーー! 夕飯にする!
今回渡韓して初焼き、チョイスはタッカルビで -
ふわふわたまごのケランチムも軽く入っちゃう
このお店、家族連れや仕事帰りの女子グループなどでほぼ満席、地元の人気店でありました。
お腹も膨れてホテルに帰宿し2日目無事終了。 -
3日目の朝
この日は一転爽やかに晴れ。錦江にかかるこの橋を渡って公州にあるもう一つの見どころ、武寧王陵を見に行く。 -
この王陵には百済25代王の武寧や王妃の墳墓が発掘され現存している。中にはもちろん入ることは出来ない。
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古墳はいくつか残っている。
武寧王の墳墓はこちら。 -
全ての墳墓は固い門で閉ざされているが敷地内に附設されている歴史館で再現空間がある。
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で、再現空間に入ってみた。
墓内部はレンガ造りでここから棺や副葬品が発掘されている。 -
王陵から徒歩5分に国立公州博物館がある。
墳墓で発掘された貴重な文化財が一同に展示されていた。百済を巡る旅でここはスキップできない場所。
一部をご紹介~ -
銅鏡に建築石材
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王が履いた靴
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この博物館のアイコンにもなっている石獣
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武寧王の棺
素材が高野槙、こうやまき、でこれは日本の固有種であり朝鮮半島では自生しない樹木。
武寧王は佐賀県唐津市に属する加唐島で出生したとの記述が日本書紀にあり、この時代の日本と百済の関係性の深さは私たちの想像をはるかに越えていたのではないか?そんな気がする。 -
私がいちばん興味を惹かれたのはこれ。
世界の各国から百済に外交使節が訪れ、国ごとに国使の姿が描かれている巻き絵。
左は狼牙修、現在のマレー半島のくびれ部分に存在した国で、右がなんと倭国であった。この巻き絵は時間さえあれば全ての国を調べてみたくなる、それほど面白い。 -
公州博物館の見学終了、幹線道路まで歩いてタクシーを探す。KTX公州駅まで行き隣の益山が次なる目的地。
そのタクシー待ちの三叉路でなんだか聞いたことのあるゴルファーの銅像を偶然発見。韓国の女子プロゴルファーで全米メジャー5勝のレジェンド、朴セリ選手の記念館でありました。旅って自分の足で歩いていると思わぬものが見える時がある。 -
公州駅から益山駅までは一駅で15分ほど。
駅前にはご当地ゆるキャラ(たぶん)この駅はKTXだけではなく他の在来線も乗り入れており駅前には普通に繁華街がある、日本の駅に似た駅前風情であります。
そうだ、益山の読みは いくさん ネ。 -
駅前路地裏をウロウロしてみたらこんなアートが。
和ませてくれます。 -
ちょうどお昼時、喫茶店に入ってラーメンを食べる。
韓国のラーメンはほぼ日本のインスタントラーメン。これで3600ウォン。 -
さてまたまたタクシーをキャッチし目的地にやって来た。ここにあるのは・・・
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こちらです。
弥勒寺趾。韓国語でミルクサジ。
点在する百済関連遺跡の中で見た目の分かりやすさナンバーワンと言っていい。 -
右手が東塔9層式塔 これは完全な復元で
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左手にあるのが崩壊しながらオリジナルが残った西塔、これも9層式。修復作業を終えての復活お披露目となった。
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重厚感たっぷりのフォルム。
上層部が損壊して6層までが現存する。シンメトリーの美は失われているけれどかえってそこが風雪を絶えぬいた時間の重みを感じさせているのでは。そんな気がして。 -
1910年、2000年当時の記録写真も残っていた。
この西塔の修復作業はおよそ20年の歳月をかけて行われようやく公開にこぎつけたのだが、実は修復前と同じ再現が出来ていないのではと指摘を受け物議を呼んだ経緯がある。
とは言え日本を含めた国の内外問わず後世に遺すべき価値のある文化財の修復への執念と尽力、それ自体は本当に敬服するしかないですね。パリのノートルダム大聖堂も着々と修復作業が進んでいるようだし。イランのバムやシリアのアレッポは今どうなっているのか、アフガニスタンのバーミヤン、現体制下では手もつかずか、あんまりだな。 -
弥勒寺は百済30代の武王によって600年頃に創建。日本では推古天皇が592年に即位、そんな時代になる。
百済の関連遺跡は扶余、公州、益山と広範に散らばっているため世界遺産の歴史地区としては掴み方が難しいかもしれない。ただ全ての関連遺跡の中でいちばん観光客が訪れているのはこの弥勒寺趾。これは間違いないでしょう。 -
敷地内には行方が定まっていないのか、大量の石のパーツが横たわっていた。ジャワ島で見たプランバナン遺跡を思い出す。
-
公州、扶余、益山での百済歴史地区回りの後、KTXでソウルに戻った。ソウル駅からタクシーでこの日の宿へ。
場所は仁寺洞をチョイス。大都市ソウルで路地裏立地のホテルを探すのは地図アプリをもってしても手強い場所もあるかもね。 -
このホテルはまだ新しい。広いし木調テイストは落ちつきがあって私の好みです。選球眼が良かったと自分を誉めてみる。ゆっくり就寝。
-
最終日の朝
この日は今回の旅のエクストラデー、ソウル市内で夕方まで過ごす。8時過ぎホテルを出て行ってみたい場所まで歩く。道すがら発見した屋根の上のお茶目なアート。
韓国の遊び心、なかなかセンスあります。一方で長期間経済低迷が続く日本では今こういう余裕を感じることが少ないかもなあ。規制の差?勢いの差? -
午前9時に開門となり入る。
ここは青瓦台、つい数年前まで韓国大統領が政務を取り行っていたあの舞台である。
2年前に大統領府は引越し、その後は政府機関として利用せずに一般開放。9時前に正門前に並び整理券を受け取りパスポートチェックを受けてからの入場になりました。私はおそらく5番目くらい。その後グループ観光客が来てなかなか賑わってました。
では、行ってみよう。
ああ、入場料はフリーです! -
青瓦台ルームツアー始まり
まずは正面玄関入ってすぐのロビー。
照明が明るいこと明るいこと。 -
赤絨毯の階段を上がると踊り場壁にこの国土絵
済州島から北朝鮮領内までカバー
竹島は大きくデフォルメされて入っている。
主権領土を表す、まあこれはそうなるでしょう。 -
大統領執務室
現役の時も余分なものは置かないでしょうね
PCでさえもね -
その名はチャングムルーム
グループゲストを出迎える部屋。東ウイングにあります。 -
会議室の前室
ここに歴代大統領の肖像画がズラリ
右が初代でいちばん左が前大統領。
現職は掲げられていない。 -
前々大統領 パク・クネ氏
前大統領 ムン・ジェイン氏
日韓関係が機能不全に陥った時代、これは否定のしようが無いかもだ。 -
会議室
閣議やら国際会議やらに使ったんでしょう。 -
こちらはファーストレディのレセプションルーム
外国の要人とかと接見する場ですね。 -
で、ファーストレディの執務室。
日本はどうなんですかね、首相官邸にファーストレディ専用執務室ってあるのかなあ。聞いたことがない。 -
青瓦台の敷地は実はかなり広かった。
本館の他にも迎賓館が別棟であり、坂を登った後背には大統領官邸があった。写真はその官邸になる。 -
官邸はプライベートスペースでここの内部は開放していない。私は建屋をぐるっと一周してみたら柵越しに見えたのがこの部屋。こりゃあダイニングルームでしょうね。
-
せっかくここまで来たんだからさ
というわけではないが敷地の中でトイレを探して借りました。これが青瓦台本館と大統領官邸の中間にあるトイレです。
いやご立派で。 -
いかがでしたか 青瓦台ルームツアー
ずいぶんと昔になるがフィリピンのマニラを訪れた際、かのマルコス大統領とイメルダ夫人の暮らしぶりで知れ渡ったマラカニアン宮殿の前まで行ったことがある。もちろん厳重に警備されていたが。面白いネタとしてはモスクワでKGBの本部にも行ったことがある。KGBの本部は厳重な警備は全くなく私のような一般人でも前まで近づけた。隣りには確かおもちゃ屋があった。その時はプーチン氏が最初に大統領に就任した確か2年目であったと記憶しております。 -
現代美術館前にて
公道なんですがね、私は◯です。 -
この日はまたまた小雨。肌寒い。日本大使館が入るビルのすぐ裏道で30年営業しているような店が目に入り遅い朝飯をとった。カルグクス。いいお味。
-
仁寺洞のストリートに
最初の渡韓時に私はここを訪れているが記憶は全て飛んでいる。ただその時に買った茶器は今でも現役。
さあ、今はどうなっているのかな? -
うんうん、やっぱり茶器や焼き物を扱うお店は健在
-
文具とかね、こちらのお店は紙を売ってる
-
骨董品とかアクセサリーも
-
ニョロニョロって小道を入っていくと中庭があってカフェや飲食店があったりする。
仁寺洞は今でも楽しい雰囲気が残っている。 -
こりゃあ仁寺洞でランチしないと収まりがつかない
そんなことを思い始めていた時に発見したのがココ。
旅も最終日、韓国ウォンも景気良く使っておくれと私に囁いている。
お肉、ありますか? -
ありましたよ。神々しいな。あなたに会えて良かった。
-
仁寺洞で焼き肉フェス
我ながらなかなかできたプランになった。
炭火にお肉を委ねて焼き過ぎにならないうちにパクリ。
そして真ん中で温めたこの特製タレとの相性がこれまた絶品。うーん、この味なら1キロでもいけたかも知れない笑。こうして焼き肉フェスはおごそかに終了。32000ウォン。私の中でまた一つ世界の名店認定となった。 -
ソウルの街歩きは実に21年振りか。
世界遺産の昌徳宮方向にぶらぶら歩いてみる。こんなところに現代グループの本社でしょうか? -
この日は月曜日、昌徳宮は閉門日だった。
ところがこのあたりの南北に伸びる道の雰囲気が何気にいい。ちと歩いてみる。 -
いろんなジャンルの小さなお店が並んでいるが各店の代表者が写真に収まってポスターのように貼り出している。ちょっとしたアイデアなんだけどいいと思いましたね。
-
こんな風に。
-
ふだんはそう積極的に買うことはない大学イモ。
ポスターのおっちゃんが店先にいたから買ってみた。私はプロモーションの狙いにキッチリ応える模範的なツーリストでありますな。 -
で景福宮に寄ってみる。
昌徳宮の休みと重ならないようこっちは営業日。
北京の故宮にははるか遠く及ばないが都心ど真ん中に歴史遺構がある首都は羨ましい。翻って我らが東京は関東大震災と東京大空襲の負の歴史が痛い。あまりにも痛過ぎる。 -
韓服ならば無料入場はすっかり市民に定着していた。てか多くの外国人観光客も付近のレンタル衣裳店で韓服を調達しているようだ。
-
しゃて
ホテルに戻って荷物をピックアップする時間に。
その前に寄り道。仁寺洞の細い路地からホカホカの湯気が立ち込めていた。
湯気の出どころはこのお店だった。
これはいかん。素通りするところだった。 -
どうですか。このお店っぷり。
素通りできるわけがないよねー。 -
ソウルの食〆はこれ。
日本とも中国とも違う韓国式蒸し餃子。
ローカルを味わうのは旅の粋。旅の時間が戻ってきて本当にありがたいなあ。次回旅が待ちどおし過ぎて仕方ない、そんな私を今回も大目に見てあげて下さい。
では。
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