2023/12/27 - 2024/01/03
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gyachung kangさん
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2023~2024年の年跨ぎバングラデシュへの旅。かねてからボンヤリ旅の第一人者を自覚している私だが、長いブランク期間明けで持ち前のボンヤリ度合いは倍化している危険があった。その私の前に立ち塞がったのは想像を飛び越える人の多さと収拾がつかない無節操に覆われた大都市ダッカ。もしかして私、今回ピンチかも。戸惑いをしのぎ、めまいが起きそうになるのを堪えながらアジア随一の魔都を歩いてみた街歩き篇であります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ビーマンバングラディシュ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- ブッキングドットコム
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午前11時の成田空港
いよいよ搭乗する。今回のキャリアは2023年9月から目でたく東京-ダッカ路線の定期就航をスタートしたビーマンバングラデシュ航空。渡航再開の目的地選びの際にたまたま発見、こういうのは天の啓示みたいなもん、私はそう捉えます。
座席はびっくりの満席、全てが整ってさあ離陸。バングラデシュの首都ダッカまで約7時間の空旅であります! -
現地時間17時ダッカのハズラット・シャ-ジャラル国際空港に到着。日本人乗客の多くはインド等へのトランジットが大部分のようだ。入国審査でパスポートを提示すると、男性審査官からJapan good の一言。今でもパスポートの威光は健在であったことがメチャ嬉しい。
両替はUS200ドルだけ。おそらく滞在中はこれで不足無い。タクシーチケット売場を見つけ購入し市内へ向かう。 -
空港から市内は12キロ前後。が、ダッカ噂の大渋滞の洗礼を受け予約していたホテルまで1時間半を要した。
ホテルはモティジール地区の幹線通りに立地しチェックイン。レセプションの対応は手慣れておりスタッフとポーターの2人掛りで部屋へと案内してくれた。 -
水まわりはシンプル
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私が重視するのが電気ポット。これがあると助かるんですよね~。
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既に陽は落ちていたが偵察代わりに鉄道駅まで出掛けてみた。駅舎には多くの人、そしてまさかの人力のリキシャーが。リキシャーね、デリーやバラナシでの闘いを思い出しますわあ。
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駅ビルの2階にレストラン、の文字がある。
情報はゼロ、もちろん初見だが見つけたのが縁ということで迷わず入ることに。 -
ウェスタンメニューもある。がしかしここはベンガルの総本山エリアでありますな。変化球ではなくてストレート真っ直ぐ、これを選択。ライスは特盛、カレーはチキン、そしてダルスープ。ダルスープはバングラデシュでは食卓の基本というのはこの後でわかった。
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翌朝、ミールクーポンを握り6階の食堂へ。オンタイムで行ってみるとメニューの準備ができておらずスタッフが慌てふためく、というのは海外宿ではあるある話だが、予想はアタリ笑。出来上がったものから取り分けていただきます。
この場で香川から来た日本人親子と会う。明日デリーに飛びベンガルタイガーのサファリツアー参加が目的なんですと。息子さんが段取り役、お父さんは70歳代。とても良かです。どうだったかな、虎、見れましたかね? -
バングラデシュの首都ダッカ
名前だけは有名だが私の周りで訪れた経験者は居ない。観光先として話題になることも無い。なんせ観光ガイドの老舗である黄色い本シリーズで2015年版以降の改訂が途絶えている、この事実が全てを物語る。紛争当事国でもなく日本と断交したわけでもない、のにな。
これはもう自分の目と肌で体験するしかないだろう。
朝、ダッカの街を歩き出した私にまず待っていたのは、、、
そう、街路に張り巡らされた夥しいデンセンであった。
電線がイカ墨パスタのように絡みあいぶら下がる。これらが頭にあたるのであります。 -
オールドダッカ方面に歩いていく。
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雑居式の商業ビル
中国の湖南省や貴州省で見た光景を彷彿するが
その上を行く迫力。外国人を圧倒する。 -
バングラデシュではちょうどこの時総選挙を控えていたらしい。候補者ビラがストリートを乱舞する。
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どうも衣料品を扱う店が多いようだ。人口密度世界トップクラスの国、人が多くいれば服も要る。
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船着き場に出た。
ここはショドル・ガット。ダッカ市内を南北に分断して流れるブリゴンガ川に停泊する船が並ぶ。 -
見た目は廃船、だが間違い無く現役
しかもかなりの大きさ -
貨物船ではなく旅客船であることはわかる
ズラリと並んで威容 -
乗船場につながるデッキにはそのまま横になっている人多数。ここが定宿場所なのかは不明。だがダッカの街中には普通に道端で寝ている人が至るところに居る。私がこれまで渡航した国の中ではダントツの1位と言っていい。
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川の対岸が見えた。
ここで桟橋の下にいた渡し舟のおっちゃんから私に声がかかった。『舟に乗ってみないか?』舟に乗る気はまるでなく単純に景色を見るためにガットに来た私だが、何故か抵抗がなく、このオファーをスンナリ受け入れていた。提示は200タカ約300円。 -
木造舟、漕ぎ手は一人。同型の舟が多数対岸と行き来している。
ホントに大丈夫か?
今さら疑っても時既に遅し。私はおっちゃんの舟にしっかりと乗っていた。ブリゴンガ川は私の地元を流れる多摩川よりも200倍生活感に満ちてていた。 -
対岸
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ビルではない。ショドル・ガットに居並ぶ旅客船たち。
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私が命を預けたのはこの方である。
ピース! おっちゃん余裕あるなあ
旅のアクティビティにスリルはつきもの、とは言えいつ浸水が始まっても全くおかしくないこの舟、無事に着岸した時は胸をなで下ろしましたで。 -
ショドル・ガットを後にしてオールドダッカを歩く。リキシャーとCNGと呼ばれるオートリキシャー、行き交う人の波。このエネルギーは写真では伝え切れないかも。
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見事なザクロに
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美味そーな洋梨
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ムスリム男子が着るガラベイヤの反物屋さん
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たぶん首一本によく肥えたカモ10羽載せてると思われます。私ならヒヨコ5羽だな。
たくましい、これがベンガリーの労働力! -
混沌のオールドダッカの一画にこの城跡がある。
ラールバグフォート。1678年ムガール王朝の時代に建立。但し城本体は未完成だという。 -
敷地内はバラの花が植えられてなかなか美しい庭園になっており地元のダッカ民も憩いの場にして訪れているようである。
あ、ムガール朝のマスジットのカラーイメージはまさにこの色。インド、パキスタンの遺構と通じるものがありますねえ。 -
こちらはすぐわかりますね、ハンマームです。
バングラデシュの真夏は蒸し暑いだろうな。整える空間はそりゃ欲しいでしょう。 -
城やモスクを守るように結界となる巨大な城壁も残っている。
この中にいると外側、下界の喧騒とは一切無縁。私も街歩きの緊張からしばし解放されていた。 -
フォートからほど近い場所にはダケシュワリ寺院
一目でわかるヒンディーの寺院である。バングラデシュ国内の宗教比率はムスリム9割でヒンディーは9パーセント。国内のヒンディーが集まる聖地とのこと。 -
ランチ休憩にする。カレーと並ぶ2本柱、ビリヤニ。私が東京にいてビリヤニを食べたくなって店を探すことは無い。郷に入っては郷に従い郷を食す。長年の私の流儀であります。
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食後はミルクティー。うん、私がインドに渡航して初めて飲んだ素焼きカップのチャーイの味、あの衝撃をにわかに思い出した。バングラらしいのは右のお口直し。アワなのかヒエなのか私には分からない。これはこの後で入ったどのレストランでも毎回でてきた。食感と風味がしっかり残る。
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オールドダッカからポルトンと言われる街並みを歩いていく。何から何まで異世界。誰もが知る西洋資本のフードチェーン店舗は一切ない。観光業が未発達のためか土産物屋やスーベニアショップの類も皆無。あるのはダッカ市民が生活をするために必要な店だけ。イエメンやシリア、イランあたりとの共通点もあるが人の密度が比ではなくエネルギーが半端ない。
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路上に男性が集まり何やら商談中。現金が飛び交っておる。コレ、車やバイクの廃材を集めて中古車両の修理備品に再利用するための取引と察したね。究極のリサイクル社会か、サステナブル先端国?え?
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市民の足、路線バスは徹底的に使う。この車体はまだまだ新鮮な部類に入る。ホントですよ。
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おお、こちら懐かしのロンドン由来のダブルデッカーバスも現役。東西パキスタン独立の前の宗主国はイギリスであった。
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ダッカに銀座があるのか渋谷があるのか新宿があるのかは全くわからない。が、ここは疑いなくダッカのど真ん中エリア。そこで馬が繋がれている。な、なんで?
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ストリートフードは豊富だ。至るところで路上営業。
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その理由は明白。道にひしめくリキシャー人夫達の胃袋を支えるため。陽が落ちて腹が減ってくれば路上で即夕飯調達。そして彼らは再びお仕事再開。根っからの働き者なのか働き方改革の未開地なのか?バングラワールドを目の前にして私の分析力は軽~く跳ね返される。
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ダッカの迫力に押され続けぐったりした私は夕飯の場所選びの矛先を変えた。セントラルダッカの20階建ビルの屋上レストラン、ここに飛び込んだ。
にゃに、ここはシンガポールか?と疑うほどの別空間。ごく限られたバングラ人セレブや外国企業の駐在員らしき方々が利用しているように見える。てか、このキラキラ、下界との差が大きすぎる! -
サワースープとチキンバジルのカレーをオーダー
バングラデシュらしさを残しつつ明らかにインターナショナルフードになっていた。もちろん完食。
いやあ、驚いた。日本にいてはなかなか体感することがない社会格差の存在のリアルを見たね。 -
さて。
首都ダッカをいったん離れジョエプルハットから再びダッカに戻った日。この国の価格水準が徐々に掴めてきた私は1泊5000円クラスの宿をチョイス。場所はダッカ都心ど真ん中、分かりやすい英語を駆使するマネージャーがスマートなアテンドをするホテルで部屋は清潔感に満ちていた。 -
他国の首都ならば当たり前。ところがバングラデシュでは感謝の念が沸き起こる。パレスである。間違いなく貴方もそう思うってば笑
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ダッカの朝が始まる。
既に目に馴染んだはちゃめちゃ電線の光景。地下埋が進んでいない点では東京も後進であるが比ではない。パソコンや携帯のケーブルが絡みつくだけでストレスを感じるコード恐怖症気味の私にとっては、う、う。 -
肉屋さんの営業開始はアジアの朝に通じる。
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一方で、この方はまだ睡眠中のようである。こういう現実にたじろいでいるとダッカでは街歩きはできないのであります。
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この日私はバスターミナルに向かい郊外に出かけた。向かうのはショナルガオ。ショナルガオはイスラムを奉じたムガール朝より古いヒンディーのセーナ朝時代に中心都市だった町である。ダッカからは30キロ、バス運賃は65タカ約85円、安っ。
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ショナルガオの降車地点からリキシャーに乗る。
道沿いに大きな敷地が現れた。ここがショドルバリ。 -
全くもって現在のバングラデシュらしさとは異なる建物
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これはイギリス統治中の1901年に建てられたこの地方の領主の館で改修をし民俗博物館として公開しているとのことである。
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敷地内に別棟もあり工芸品が展示
こちらは魚なのか龍なのか、コレまで見たことがない初めてみるモチーフ。 -
木靴、いや木サンダル
これもお初。でも指に力が要るな。 -
ミナレットがあるマスジットの造形
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敷地内は和やかな散策スペースになっていて人力で動かす子ども向けの回転木馬があったりする。トラの造作は写実性が低くこういうところだけ中国風。
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こうして改めて見るとビジュアルとしてはそう悪くないのが不思議笑
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ショドルバリを出て歩いていると小学校発見。
校庭の滑り台から私を覗いていい笑顔をふりまいてくれる子どもたち。 -
次に訪ねたのはココ
パナム・ノゴル。ショドルバリと同じ時代、1900年前後頃に富裕層が建てた住まいが50軒ほど固まって残っている。ところがヒンディー教徒であった彼らはこの地が東パキスタンとして独立した際に住まいを放り出してインドに移りゴーストタウンになってしまったという歴史由来の珍しい場所だ。 -
信仰の違いによって住居を自主的に放棄する。実際には差し迫った危機があったんでしょうかね。バングラデシュの前身パキスタンとインドの独立は1947年。世界史の授業でも独立運動の仔細には入らない。南アジア史を学ばないとね。
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無人化して70年以上、とっくに解体していても何ら不思議はないが今や見学地として有料管理している。
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かなり状態がいい住宅。これが当時のベンガル様式。
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スマホ全盛時代になってから撮影スポットとして人が集まり出したようである。
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パナム・ノゴルを見学しているとバングラデシュ男性4人組から話かけられた。私が日本人であることがわかると興味津々、矢継ぎ早の質問を受け、更にはJICAを通じて日本には支援してもらっている事への感謝の念まで。
彼らと話したことをきっかけに調べてみたらバングラデシュへの支援実績国は旧宗主国のイギリスを抑えて日本が第一位でありました。学びましたね。 -
このグループにも取り囲まれた。掛け値なしに対日感情は最高位レベルでしょう。
世界を歩けば多くの国では中国の影響が至るところで露わであるがこの国では微塵もない。中国人や中国企業を見ることはなく、そう、中華料理店でさえ私は見つけることがなかった。 -
で、もう一つ、見たい場所を探し歩いてやっと発見
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ゴアルディ・モスジット
1526年成立のムガール朝より前、1493年に建立された貴重なモスク。住宅街の中にひっそりと佇んでおった。歴史あるモスクなのだからもちっと整備されていると思ったら、ああ。 -
かなり損耗しつつレリーフが残っている。回りは唐草模様でペルシャ発祥、インドや中国へ東方伝来し日本にもやってきたユーラシア大陸を横断した世界的デザインが現存している。
管理する予算がつかないんですかね。文化財を保全していくためのマネーは、やっぱり要る。 -
私がゴアルディ・モスジットを探していた時に道を尋ねた女子4人組。学校帰りのようである。ムスリム女性の衣裳は画一的なイメージが強いが今時デニムを羽織ったり、どこかしらちょっとオシャレだ。
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ショナルガオの観光を終えてバスでダッカへと戻った。
学校のグラウンドではクラブ活動。一番人気のメジャースポーツと言えばやはりクリケットだった。テレビでもクリケットの中継をするお国柄。クリケットがある限りイギリス、インド、バングラデシュでは野球の普及は難しそうだなあ。 -
この日の夕食、一切の情報がなく初見で入ったレストランで初めてメニューにチョウメンを発見。大盛り、味は問題なし。なんだけど、私の前の席が気になって仕方がない‼︎
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この男である。横顔は米国と激しく対立していた頃のリビアを率いた往年のカダフィ大佐瓜二つ。しかも軍服のような服装までコピーである。しかもこの偽カダフィが隣に座っていた連れの女性に慣れ慣れしい態度を取り、挙句に女性は突然席を立ってプイと出ていってしまったのである。
もう、面白すぎ。
女性に見放されてガックリと肩を落とす偽カダフィ。
望外の寸劇が面白すぎていつもより多めのチップを置いてましたあ~ -
今宵も路地裏の商店街は活力がみなぎっていた。
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フレッシュミート生産中。男性が羊の頭を次々とカット。哀れ羊ちゃん。
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イスラムの国、アルコールを提供するお店はない。劇場や映画館、アミューズメント施設の気配もなくほぼ生活感だけでこの大都市は成り立っている。
ダッカ、恐るべきメガシティ。 -
バングラデシュ滞在最終日の朝を迎えた。
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お、路上に止めたバイクに朝刊を載せて配達の準備をする男性。これは相当レアな光景である。だいたい外国では新聞を読む習慣は例外なく低いものである。バングラデシュの隠れた一面に遭遇した。
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この日、私はどうしても一目見たい場所があった。
グリスタンバスターミナルからバスに乗る。 -
ダッカの南35キロ、着いた。
マワ・ガットという船着き場である。
川はポッダ川。ポッダはバングラデシュでの呼び方でこの川はガンジス川である。
つまり大河ガンガーの下流域にあたる。 -
対岸までの渡しが数隻停泊。
運航係りの男性から、お前も乗るのかい?と聞かれたが、ここは控えた。このボートでガンガーを渡る、いや相手が悪い。 -
小高いポイントから川の先を見渡したが、対岸は視界に入らない。これがガンジス下流域。
過去に何本か日本のスケールでははるかに及ばない大河を目の当たりにした。
チャンパーサックで見たメコン川
マンダレーで見たエーヤワディー川
雲南で見た長江
杭州で見た銭塘江
大河を見ると圧倒的な自然の力を感じるようになった。
ガンジスはその昔インドの聖地バラナシで手漕ぎボートを体験している。白い布にくるまれた遺体がゆっくりと流れていくシーンは忘れがたい。
ガンガーに再会できたこと。それ以上望むことはない。大満足。 -
お昼頃グリスタンのバスターミナルに戻る。
ビルとビルの合間の路地で営業する露店のカレーが目に入り試してみたくなった。 -
レストランでカレーを頼むとお決まりのようにスプーンが提供される。だが、露店はコテコテの地元民食。道端に蛇口があり指を洗って手で食べる。
こんな風にまぜまぜしながら食べるのだが、バングラデシュのカレーは疑いなくコチラの食べ方のほうが美味くなる。指で米をこねる作業が旨みをアップさせるのだろうか。指先から滲み出る脂分の味?え? -
ランチを摂った後、CNGを拾ってこの場所に。
バングラデシュの国会議事堂である。米国の巨匠ルイス・カーンの設計で1983年完成。巨大でエクステリアデザインはバルセロナやミラノあたりにあっても違和感はない。国家予算1年分使っちまったんじゃないの~?そんな建築物であります。
パスポートどビザのコピーを持参すれば有償で内部見学可能と知りコピーをしっかり用意していたのだが、ゲートで本日は見学NGを出されてしまい断念した。 -
国会議事堂から歩いて20分、ようやく気になっていたモスクを探し当てた。
シャット・モスジット。私が着いた時、タイミング良くお祈りの時間。五月雨式に男性が集まっていた。 -
マスジットの前にいた貫禄ある男性が私を見つけお祈りに近寄っても構わないと声をかけてくれた。
しばし後方から見学。今までで一番長くザカートを見ることができた。このシャット・マスジットは住宅街の中にありイスラムの雰囲気に溢れた味のあるモスクだった。 -
ダッカ中心部からは西北の外れにあるココ、
ハズラット・シャー・マジャールにやって来た。
ここは1480年にバグダッドから来てイスラム布教に力を注いだ聖者を祀る廟があるスポット。
なんですが、、 -
実際にここで行われていたのは炊き出しの無料配布。おそらく定期的に炊き出しの場となり、そのため経済的な困窮者達が常に集まる空間になっているようである。
ダッカ市内には路上を寝場所にしている人、ボクシーシを求めてくる人は実に数多くいる。バングラデシュの今現在の重たい社会課題は事実として存在していた。 -
残された時間を使ってCNGに乗り市内を西から東へぐるっと横断、ボナニエリアに足を踏み入れてみた。
予想はあたりこのボナニとグルシャンエリアがいわゆる新市街。道は整備され世界展開するチェーン系ホテルやスーツ姿のオフィスワーカーが集まっていた。
このブティック、名前がインパクト大。 -
瀟洒なマンションも立ち並んでいる。大なり小なり全ての国に格差はある。が、バングラデシュの二面性は最大クラスかも知れない。
-
そしてダッカ市内の中心部分へ戻る。ダッカで最大規模を誇るモスク、バイトゥル・ ムカロム。
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モスクの前は書物を扱うたくさんの露店売場が集まっていた。
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バングラデシュらしい目にも鮮やかな果物売場
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これまたバングラデシュらしい日没後のお祈りを目にしてホテルへ戻った。タクシーでお約束の大渋滞を抜け出して空港へ急ぐ。
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空港にはオンタイムで無事に到着。そんなこんなでバングラデシュへの旅は幕。3年10ヶ月振りの海外渡航を終えて安堵感いっぱい。旅勘が錆びついて落とし穴があるのでは?と自分で自分を案じながらの旅でありましたが、やらかさないで良かったです。こんな私にホスピタリティたっぷりに声をかけてくれたバングラデシュの方々に心より感謝申し上げます。
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