2023/12/04 - 2023/12/04
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pedaruさん
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私が最も尊敬し、心の友と呼べる男が、死んだ。少年時代は無邪気に何の気後れもなく、よく遊んだ友であった。
小学校から帰ってくると、友の家に遊びに行ったり、来たりの毎日だった。
遊び疲れて友が帰るというと、彼の家まで送って行った、すると彼も私の家までまた送ってきたりした。そしてまた・・・・
あるとき、私の家の裏庭には大きな栗の木があったが、その太い幹に藁でしめ縄風の飾りを作り、それを掛けて神様が宿ると信じ、二人して柏手を打って、厳かに大願成就を祈った。幼い二人には大きな望みがあった。彼は科学者になること、私は漫画家になること、これは二人だけの秘密だった。
小学4年生くらいになると、クラスにはかわいい女の子がいた、昔の田舎のバカガキは女の子が可愛ければ可愛いほど理不尽にいじめたりした。女の子の持ち物などに触れるとバイ菌が付いた、などと騒ぎ立てたりした。
どこの家も貧しかった時代、町の有名な料亭の娘だったその子は、いつもあか抜けた服装をして、持ち物も常に流行の先端を行くものばかり身に着けていた。。「それいゆ」なんて雑誌なども持っていた。気立てが良く、勉強もよくできて、「たけくらべ」の美登利を思わせる美少女だった。クラスの男子全員があこがれたマドンナだった。
15歳の夏、友と私は福島県の磐梯山登山と裏磐梯、猪苗代、鶴ヶ城などを巡る大冒険旅行を計画した。修学旅行で江の島鎌倉に行ったのが、最大の旅行だった二人にとって、この旅行は今でいえば海外旅行くらいのインパクトがあった。
宿の予約もうやむやながらどうにかなると思いながら、磐梯山の爆発跡の異様な匂いを嗅ぎ、砕け散った巨岩を覗き込みながら歩いたり、手の切れそうな湧き水を手で汲んで飲んだ。持参したおにぎりを木陰で食べたときの幸せ、今もはっきり覚えている。
山を下るころには夕闇が迫ってきていた。無口になって歩いていると、山で働く二人の男に声をかけられた。「そうか、まだ泊まるところが決まってないなら,わしたちが泊まる宿へ泊まりなさい」まさに地獄に仏の出会いだった。
屋根裏部屋のようなところに雑魚寝した。翌朝はゆうべの残りのようなライスカレーが出された。高原の空気は光を帯びて、爽やかな風となって部屋に入ってきた。目の前に湖が見える広い一間の畳の上で、同年か少し上の女性たちと打ち解けて、住所を交換したりした。荷物をまとめていると、ふと彼のカバンから手紙のようなものが覗いていた。よく見ると、子供の頃の僕らのマドンナの少女からの手紙だった。そのことにショックは受けたが、彼女と付き合っているらしい友を誇りにさえ思ったのは不思議な気持ちである。
その後同窓会で彼女の消息を友達から聞いた、未だに結婚はせず、東京にいるという。「彼女は好きだった彼が忘れられないのよー」その彼が、誰かは知る由もない。 続く
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 船 レンタカー 自転車 JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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丸亀港フェリーターミナル、車の横を体を平たくして通ります。
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デッキの出て、海を眺めます。海面は湖のような静かさです。これを凪というのでしょうか?
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船は動き出し、港が遠ざかります。
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青い空、青い海
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午前中に通った瀬戸大橋が見えてきました。
https://youtu.be/qHT70RZ-3B0 -
橋は吊り橋なんですねー。支柱が綺麗に並んでいます。
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橋は島を利用して通っています。
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ズームして撮りました。
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橋をつっているワイヤーがアートのようです。
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やがて船は本島の船着き場に着けられます。
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一人の男の人がたったひとりで船を手繰り寄せています。怪力です。
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船着き場にある案内所で自転車を借りて、島散策に出発。
塩飽勤番所跡です。
現在の建物は、幕末に改築され、明治以降村役場・丸亀市役所支所として1972年まで使用されていました。建物内には、朱印状やそれを容れていた朱印箱、高松藩との漁場争いの裁許書(署名した8奉行の中に大岡越前守がいる)などの文書(写し)のほか、水夫50人のうち塩飽諸島出身の水夫35人の水夫を占めていた咸臨丸の模型や水夫の日記等が展示されているそうです。 -
中は資料館になっているらしいですが、あいにく休館でした。
塩飽28島は豊臣時代から江戸時代まで海上運送の功労により朱印状を得て「人名(にんみょう)」と称する船方650人が共有する領地として自治が認められており、年寄が一切の政務を取り仕切っていました。 -
最初は年寄4人が輪番で自宅で政務を執っていたが、18世紀末の島治改革を機に勤番所が新築され、ここで入札(選挙)で選ばれた年寄3人が交代で政務を執るようになったそうです。
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道の途中の家、懐かしい作りです。ポストもなつかしい旧型。
観光受けなのか、元からの実用なのかはわかりません。 -
道路際に並ぶ石塔、異常に大きい、何かの記念碑かと見まごうばかり。
よく見ると、墓地特有の坊主の墓石もあったので、ここは墓地だと理解しました。 -
この島には江戸時代の家があると聞いて出かけて来たので、古い家を見ると見逃せません。屋根が波打っているけど、まだ人が住んでいるようです。いや、
あの雑草を見ると、誰も住んでいないようです。 -
瀬戸大橋が見えるところまでくると、公衆トイレが、と思いましたが、ちょっと違います。立派な芸術作品です。
善根湯×版築(ぜんこんゆ×はんちく)プロジェクト
作者:齊藤正(せいとうただし)×続・塩飽大工衆(ぞくしわくだいくしゅう) -
塩飽諸島には、かつて優秀な船大工が多くいました。彼らは江戸中期以降、宮大工や家大工へと姿を変え特徴的な建物を多く残しています。これらが忘れ去られることのないよう、その復活を願い活動を行っています。
(出展:「瀬戸芸本島」瀬戸内国際芸術祭 本島会場) -
上を平らに削った丸太が置いてあり、上にオブジェが置いてあるかと思いましたが、
実は椅子の背もたれでした。風雨にいじめられ、大分傷んでいます。 -
甲生地区の埋め墓
気になるものを目撃しました。その雰囲気に突き動かされたというのでしょうか?
何もない平らな地面に自然石がただ置かれているのです。それらが散在しているのです。ここは全国でも珍しい埋め墓といいます。死者を土に埋めるのです。何だ、土葬なら当然じゃん、ところがここの墓の遺体には魂がないのです。魂はお寺の墓地の石塔にいるのです。ここを「埋め墓」、石塔のある「祈り墓」とに分けて祀るのです。二つに分ける両墓制なのだそうで、今でもこの島では行われている風習です。 -
やってきました。江戸時代を復元したような建物群です。
実際人が住んで生活している部落ですから、観光色はありません。 -
家々はきちんと整っていて、裕福な地区のようです。
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建物は古い感じがしないどころか、いつも手入れを怠らない感じです。
右の家はなまこ壁が特徴の「真木家」です。
見学もできるそうです。中庭を通っていくと、裏から茶の間に通じる広い土間、土作りの窯が目に入る。黒光りした格子戸、柱、障子戸などは、畳を敷いた茶の間と調和がとれているそうです。 -
今日はお天気もよく、人も外で作業などをしているかとおもいましたが、誰も見かけません。
-
ここは道路も広く、(ほとんどは狭い道ですが、)整った佇まいです。
江戸時代から大正時代に建てられた家が100軒くらいあるそうです。 -
いい写真を撮ろうとしていると、観光客が邪魔をして、なかなかいい写真がとれないなー、などと愚痴る人が多いですが、ここには住民もいないのではないか、と思うほど人影がありません。
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笠島重要伝統的建造物群保存地区というそうです。
笠島は本島の中の笠島地区の意味らしいです。
建物は重厚かつ瀟洒に(どっちだ)建てられています。それは塩飽大工衆(しわくだいくしゅう)といって
腕の良い船大工が塩飽諸島に存在しましたが、彼らが建てた家だからだそうです。 -
おやっ?この家の壁はちょっと変だよ。隣の家の火事で辛うじて類焼をまぬがれたような、焼けて炭になった壁ではありませんか。
-
板の表面が焼けています。地元の人に聞くと、意図的に焼いたのだと言います。
そのいいところは、ます腐食を防ぐ、害虫から守る、塗装が省ける(これは言ってなかった)。今はガスバーナーで焼くが、昔は板を3枚支えあって立て、中に燃料になるものを入れて焼いたそうです。
最近私は建仁寺垣と言う垣根を作りましたが、これをまねて支柱の丸太は、ガスバ-ナーで焼きました。欠点は手で触ると手のひらが炭だらけに真っ黒になります。 -
各家はそれぞれ違うデザインで建てられています。
しかし、こんだけ見て回ると、旅行記作成時にはもうコメントが枯渇してきて
何と言っていいかっ。 -
立派な家ですが雨戸が閉まっていました。(だから何だ)
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石畳の道路、ぴっちり整っていて切込み接ぎ(きりこみはぎ)のようです。(城の石垣かっ)
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はいっ、石畳はここまで。そのかわり住民税免除?それはないか!
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ペンキ塗りたての丸型ポストがありました。このポストの材料はコンクリートが
一般的です。御影石の上に設置されていました。 -
右の家は千本格子の素敵な家ですが、かなり古い感じです。
その先の道路の角に、石碑がたっていますが、「マッチョ通り」と彫ってあります。
「町通り」がなまってこの名になったそうです。 -
後ろの森が黄葉しております。すてきな環境です。
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江戸時代の建築でしょうか?下水槽が見えます、今は水洗トイレですね。
側溝もきちんと作られていました。 -
この角の家は二階が蔦に覆われています。今の季節紅葉がきれいです。
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ここにも千本格子のきれいな家がありました。
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人の影も見えない町、どの家も瓦葺できちんとした作りです。
戦国時代には腕利きの船乗りが多く育ったことから全国でも名を馳せている塩飽水軍が活躍!江戸時代には、天領として人名(にんみょう)船乗りの自治が続きました。 -
この島には産業はあるのでしょうか?あるいはみなさん船に乗って坂出や丸亀に
お勤めでしょうか?
あえて産業といえば、人口の半分は漁師さんといわれるほど、
“漁業”が非常に発展しております。
現在、本島の人口は300人。その中でも半分は高齢者の方で、少子高齢化が非常に進んでいるところです。小中学校生も14人。島で育った子供たちは、大人になると島を離れてしまうそうです。。 -
「咸臨丸の水夫の家」と言うのがありました。
咸臨丸には勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など有名人がのっていました。
この家の子孫も誇り高いことでしょう。 -
おや、これは杉玉でしょうか?と言うことは作り酒屋さん?
表札には「やかた船 別館」と書いてありましたが。 -
家の傍に材木が置かれ、それぞれシュロ縄を丹念に巻き付けられています。
一体何に使うのでしょうか? -
土壁がはがれ落ちています。壁の構造が分かります。今の建築とは異なりますね。
私が子供の頃と同じです。細い篠竹を組んで、藁で編んだ縄で巻き付けて固定し、藁を細かく切って土に混ぜ良く練ったものを上から塗っていきます。 -
山際の道を歩いて行くと専称寺と言うお寺がありました。
こちらから入ってみます。 -
境内には大きな石碑が立っています。
-
山中の寺らしく大きな木が聳えていました。
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専称寺の本堂です。源光山 専称寺が正式な名前です。
建永2年(1207)浄土宗の開祖 法然上人が都からこの地に配流になった時
塩飽保遠が上人を温かく迎え、館の前に庵をたて念仏の道場としたのがこの寺の
始りと言われています。
法然上人はここまで来たとは知りませんでした。誰も見向きもしないような山の寺ですが、由緒ある寺なんですねー。 -
立派な墓石ですね。
-
自然とともにある、というか草ぼうぼうのなかに放置されていると言うか。
死者の遺体は浜辺の埋め墓に埋められ、魂は寺の墓地の石塔に宿っている
というのが、この地の信仰なのですね。 -
屋根に覆われたところに井戸らしきものがありました。
部落には共同井戸と言うのもあります。海に囲まれているので、塩分を含んだ
水しか出ず、真水は貴重でした。 -
小さなお堂があってその前は墓地になっております。
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ここにも井戸があり、篠竹であんだ蓋がされていました。ロープでつないだ水汲み用のバケツも転がっていました。
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再び街を歩きます。どうも気になるのは,道がカーブ状に曲がっていたり、突然直角に曲がったり、細くなったり広くなったり、バラエティーに富んでいます。
これは城下町独特の設計された道なんですね。 -
ここは道がクランク状になっています。攻めてくる敵をかく乱する
ための方策だそうです。 -
漆喰壁の下部は板が黒くなっています。これも建物の重厚さを演出しています。
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左の家は漆喰で見事な装飾を施しています。
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この家の表に回りました。壁の板が黒く焼いた跡が歴然ですが、だいぶ炭は落ちています。
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左の家は板を焼いてからまだ時が経過してないのか、炭が良く見えます。
晴れ着など着て、寄りかかったら真っ黒になって大変です。 -
すてきな門です。
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虫窓のある家。
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中二階のある家。
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海岸に出ました。瀬戸大橋が誇らしい雰囲気で見えています。
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いつもこんなに穏やかな海なんでしょうか?
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師走の天気とは思えない、穏やかな日、こんな天気を小春日和というのでしょう。
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帰りの道を走っていると、ある民家の庭に動くものを発見しました。
ヤギが遊んでいます。 -
こっちにもいました。ヤギの牛乳(笑)を採るのでしょうか。
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帰りの海も穏やかです。讃岐富士が見えます。
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丸亀の港に着きました。
honjima stand blog等他の資料を参考にさせていただきました。
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この旅行記へのコメント (12)
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- 白い華さん 2024/05/10 02:15:06
- 行ってみたいんです。『瀬戸内! 塩飽・・の島。の 重伝建地区』。
- お早う御座います。
本州の『竹原。鞆の浦・・』と 巡り、
美しい!『瀬戸大橋』を 渡って『四国・丸亀港』へ。と やって来た・・ペダル父娘(おやこ)。
そうなんですよねぇ~。広島・呉・・の 瀬戸内海『重伝建地区 御手洗(みたらい)』は、
本州から「車・・で ダイレクト!に 行くこと。が 出来る」けど
こちら!には、『瀬戸内! 塩飽・・の島。の 重伝建地区』へ 行く。には
『四国・丸亀港』から、フェリー!なんですよね~。
これ!が なんだか・・「敷居が 高い」感じ。
更に、私も・・過去に『丸亀城』には、行ってしまっている。ので
「わざわざ、『丸亀』に、行くこと(フェリー)」も 何だか・・面倒!って 感じ。で
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長年、憧れつつ。も
もう~、行くこと!は ないだろう・・『重伝建地区 塩飽諸島・・の 笠島地区』の ご紹介。
1枚1枚・・の 写真。を しっかり。じっくり・・と 拝見。
「行った・・気分」を 味わうコト!が 出来ました。(♪)
この『瀬戸内海』の 辺り!では
潮の 流れ!が 特別・・で、きつくて『海・・の 難所』だったそう。で
「塩飽!の 海賊。船大工など」の「海・・を なりわい」とする、人々。が 、活躍していたんですよね。
今は、「トイレ ?」いぇいぇ、「塩飽・・の 船大工」の 技術。を 継承すべく・・の「オブジェ的! 建物」として、残っているんですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なかなか、「フェリー!で 島入り」って 億劫・・な こと。
そんな・・『塩飽』も。が、羨ましいなぁ~。
「お嬢様!の 運転する・・車」で「素敵!な 島旅」を プラスする
『父娘・・の 瀬戸内海・旅行』は、「充実・・の 旅」と お見受け!しました。
お嬢様は、国内は「パパ」と・・・。
もうすぐ『ドイツ』には「ママ」と。って「最高!」ですね。(♪)
これからもよろしくお願いします。
- pedaruさん からの返信 2024/05/13 14:02:22
- RE: 行ってみたいんです。『瀬戸内! 塩飽・・の島。の 重伝建地区』。
- 白い華さん おはようございます
古い街並みを見られればどこでも良かったのですが、広島はこういう町が多い気がして選びました。関東と違って、そのまま残っている地区が多くて、現地に着いて歩き出すときの期待感、高揚感がたまりませんね。
私が一人で行くときは、調べが甘くて、見逃すところが多いのですが、娘は綿密で、こちらの希望をほぼかなえてくれます。
小学生の孫娘がいますが、(いまは新中学生)この子のせわや、塾の送りなどいろいろ夫に押し付けて親を旅行に連れて行くのはみんなの協力のおかげです。
娘婿は性格がのんびりしていておおらかなので、快く留守番をやってくれますが、その代わり、ふらっと一人で海外に出かけていきます。
先日は妻は娘の案内で、ドイツを旅行してきました。列車の窓からの景色が、故郷の野山に似ているといって、興奮して電話をかけてきました。娘もちゃっかり自分のいったことのないところを選んで回ったみたいです。復元されたドレスデンの建物には感動しておりました。
>1枚1枚・・の 写真。を しっかり。じっくり・・と 拝見。
「行った・・気分」を 味わうコト!が 出来ました。(♪)
旅行記の大作を作られてお忙しいのに、誠意をもってみていただけるなんて幸せです。
私も華さんの旅行記は特に丁寧に読みますが、長ーいし、コメントも多い、でも、いつの間にかはまってしまって、完読してしまいます。
次の旅行記は完成しているのですが、プライベートな記述が多いので、アップすべきかどうか悩んでいます。
そのうち次の旅行記を予定しています。
pedaru
-
- 万歩計さん 2024/05/03 16:35:08
- 名作と呼ばれる小説の書き出しを読むよう
- pedaruさん、おはようございます。
冒頭の書き出しが心に残ります。少年時代の甘酸っぱい思い出を表現豊かに描かれており、場面が目に浮かびます。名作と呼ばれる小説の書き出しを読むようです。文中の「私」がpedaruさんなら、「私は小説家になること」こそ相応しい。
さて旅行記ですが、竹原、鞆の浦、そして本島町笠島と今回の旅は重伝建巡りですね。細かなところまで観察されているので、重伝建ハンターとして興味深いです。親孝行の娘さんの運転する車でゆっくり瀬戸内の旅。幸せな老人そのものですね(笑)。
万歩計
- pedaruさん からの返信 2024/05/04 05:46:31
- RE: 名作と呼ばれる小説の書き出しを読むよう
万歩計さん おはようございます。
冒頭の書き出しを激賞されて穴があったら入りたいくらいです。豚もおだてりゃ木に上ると言うそうですが、とてもそれはありません。でもありがとうございます。
重伝建巡りは万歩計さんの専門ですから、誰に見られるより恥ずかしいですよ。
つねづね、いつかは古い街並みを見てみたいという気持ちが、達成されました。いつも万歩計さんの旅行記で憧れておりました。
いよいよ海外旅行を再開されましたね。後日ゆっくりコメントも書きたいと思います。
pedaru
- 万歩計さん からの返信 2024/05/04 06:35:53
- Re: 名作と呼ばれる小説の書き出しを読むよう
- 重伝建は絶滅危惧種です。維持には色々面倒なことが多く、なかなか観光資源として活用する迄にはなりません。世代が若返るに従って維持に対する合意形成が難しくなる様です。特に山村集落は集落そのものの存在が危惧されます。外国では世界遺産の登録を辞めた例もあると聞いてます。
古い街並みは写真で見ても感動しません。やはりその中を歩いて見ないと。そう思って重伝建巡りを続けています。
万歩計
-
- jijidarumaさん 2024/05/01 01:52:25
- なかなか渋い探訪記が続きますね。
- pedaruさん、
今晩は。
なかなか渋い探訪記が続きますね。
千葉近辺にはない、瀬戸内海と塩飽(しわく)諸島の美しい景観。
ドイツの学者シーボルトは、塩飽諸島の景色などを目の当たりにして、称賛の言葉を残したと、産経新聞にありました。
塩飽諸島は28の島々を数えるようですが、其々興味深いことでしょう。
本島町・笠島の豊かな町並みを見て、最初は<海賊衆の収奪>で豊かになったと思ったものです。塩飽(しわく)の意味が分からず、検索すると、「潮が湧く」の当て字とされていました。
産経でも【一見穏やかな海だが、実際は世界有数の複雑な潮流をしている。船の難所であり、高度な操船技術が求められる。それを地の利とし、かつて塩飽諸島は塩飽水軍の拠点だった。】と書いていますが、幕末の咸臨丸の乗組員となったのも当然であったのでしょう。
それにしても職人集団だった塩飽衆の町は豊かですね。
日本の各地にこうした町がまだまだ残っているのはすごいことです。
jijidaruma
・・・・・
蛇足乍ら、塩飽衆の町並みの家の中でも、屋根が波打っている家の事を書かれていましたが、これを見て、実は<うーん>と思いましたね。
我が家は先日から、家の外装などを出入りの職人にお願いしています。
その76歳の熟練した彼が、作業の見積もり中に「御主人、地震ゃ台風で徐々に影響されたのだろう、2階建てのお宅の屋根、もう少しで崩れるよ。今、何とかしないといけない!」と言われてしまいました。
屋根の様子をデジカメで撮ってもらうと、明らかに尾根瓦が右に流れて、面戸漆喰(めんどしっくい)が減り、尾根瓦がしっかり積まれていない様子になっている。尾根に波があり、直線になっていないのだ。鬼瓦もゆるんでいるとの事だ。
彼も引退前で、いま我が家を何とか<先20年!生かそう>と種々工夫をしてくれています。建てた当時の手抜きもあったようで、それらを一つ一つ、彼は器用に補修してくれている。毎日、補修すべき場所、補修の仕方、補修後の様子を写真に撮ってくれて、それらは毎日我が家のPCに取り込んでいる。
外装以外の事も丁寧に知恵を絞ってくれる大変ありがたい職人さんだ。
昨日、一人でこの大掛かりな作業を終わらせて、外装の下準備にかかった。
目下、粉塵除けの幕の中で過ごしているが、雨天の日もあり、作業はまだまだこれからですが、何とか100歳まで生活できそうだ(笑)。
・・・・・
- pedaruさん からの返信 2024/05/02 07:07:36
- RE: なかなか渋い探訪記が続きますね。
jijidarumaさん おはようございます。
塩飽諸島についてもお詳しいとはさすがです。
ところで家の補修の話、たいへん興味深く拝聴しました。
家のことを心から心配してくれる職人がいて、決してごまかしたりしない真面目一徹な仕事をする人がたまにはいるものですね。こういう人との巡りあわせは貴重です。
妻が重い屋根瓦は地震のときに怖いと恐れて、ガル・・・なんとかという鉄板に吹き替えました。家も古いので何十年来の知り合いの大工さんに耐震工事をしていただきました。
やはり同じような誠意ある仕事をする大工さんで、安心してやっていただきました。
しかし、彼も人間、いつのまにか歳をとってしまい、今では仕事をやってくれるかどうか分かりません。私は貧乏性でペンキ塗り、日曜大工、モルタル塗り、などなんでもやります。
先日は、庭の建仁寺垣を人口竹のものに作り直しました。植木の手入れも自分でやっていますが、今年あたりから高いところの剪定作業は危険だと思っております。
旅行記の話から離れたものとなってしまいましたが、お許しください。
pedaru
-
- ふわっくまさん 2024/04/30 17:55:41
- マッチョ通り
- pedaruさん、こんばんは。
本島町の笠島に、重要伝統的建造物群保存地区があるそうで
町通りがなまって「マッチョ通り」になったって、しゃれ好きには堪りませんね♪
大勢のマッチョマンが、通る道!とも思えましたが・・笑
また瀬戸大橋の様子も拝見して、穏やかに見えるけれど風の音が印象に残りました。
そして憧れのマドンナさまが、東京でシングル生活を送っておられるのは以前お聞きしたような気がします。
永遠のマドンナさんからご友人への手紙って、またミステリアスというか・・
ドラマの中の、お話みたいですね。
一緒に旅された娘さんの横顔、ボンヤリとですが初めてお目にかかりました。
センスよく、スタイルのいいお嬢様ですね(*^_^*)
ふわっくま
- pedaruさん からの返信 2024/05/02 06:41:08
- RE: マッチョ通り
ふわっくまさん おはようございます
地味な旅行記をご覧くださってありがとうございます。
冒頭の旅行記とはかけ離れて話で、失礼いたしました。人間歳をとると昔のことを語りたがるものだと、今頃気づきました。
今でも独身でいてくれるなんて真正のマドンナだと思います。でももう顔を見たくないですねー。しかし、吉永小百合さんは今でもお綺麗ですからねー、複雑ですね。
マッチョ通りとはなんだ?私もマッチョに人気のジムでもあるのかな?くらいに思っていました。ところで息子は東京大会で入賞経験のあるボディビルダーなんです。
一緒だったらあの通りでポーズをとるところでした。
昔のネパールの旅行ではヒマラヤ山脈をバックにポーズをとっています。
https://4travel.jp/travelogue/10534838
pedaru
-
- norisaさん 2024/04/30 12:37:25
- これはーー
- pedaruさん
こんにちは。
全く知らない島がいろいろあるものですね。
しかしーー。
冒頭のエピソード、興味深すぎてついつい脳裏から離れられません!
古びた街並みやユーチューブを見ても、そちらに頭が行ってしまいます。
冒頭のお話が面白過ぎるのも考えものだとーー(苦笑)
これと比べると私の冒頭、面白くもなんともない!
これも計算のうち!と言いたいところですが、あいにく良いエピソードがないだけでした。
その親友が亡くなられたのはご愁傷さまです。
心の友、何事にも代えがたいですね。
そして、そのマドンナと何があったのかーー。
決して解明されない謎。
だから人生は旅と同じで楽しいのですね。
norisa
- pedaruさん からの返信 2024/05/01 06:38:30
- RE: これはーー
norisaさん おはようございます。
いつも本当にありがとうございます。
冒頭のエピソードは出そうかやめようかと迷いました。旅行記の内容と乖離しているし、
誰も個人的な思い出話なんて迷惑な構成ですからね。
最後につづくなんて書きましたが、次は更に個人の告白のようなものなので、自然主義文学じゃあるまいし、恥を晒すだけですからね。
ところでnorisaさんはどうですか?どこの学年にもマドンナはいるはずです。まさか、奥様がマドンナだった? それもnorisaさんならあり得る話です。やはりそれは秘密ですか?
今現在が奥様は真のマドンナですね。私のは 魔オンナでしょう。
pedaru
- norisaさん からの返信 2024/05/01 08:34:50
- Re: これはーー
- pedaruさん
マドンナって確かにいましたね。
でも同窓会で会うと??と感じます。
まあ、幻想も人生の肥やしでしょうーー。
norisa
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