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今回の旅行記は、今までのような普通の旅行記ではありません。<br /><br />医者として、高齢者や病気の人や障害者などの海外旅行に随行する「空飛ぶドクター」をしている私ですが、実は初めての本格的な入院患者さんを外国の病院から日本の病院(もちろん再度入院)へ運ぶ仕事です。正式には「国際医療搬送」と呼びますが、どうも一般の人にはこの言葉の意味がピンとこないようです。<br /><br />もともとのキッカケは以前から軽い打診はあったものの具体化しなかった国内患者搬送を仕事にしている知り合いのナースからの依頼です。今までと違い、今回はかなり具体的に相談されました。前回の旅行記、7月下旬フィレンツェ旅行中に日本からメールで相談されました。聞いたフランスのドクターへのメールの返事がなかなか来ません。後から分かったのですが、メールアドレスで青線が引いてあるのがよしあしで、gの後に . があるように見えて間違えたのです。それでやり取りに10日間くらい時間をロスしました。<br /><br />一か月以上前に、70歳代の男性が夏山とはいえ雪のあるモンブランを本格的登山中、落石に巻き込まれ100m落下し、クレバスにはまりヘリコプターで救助されフランスの病院ICUに一か月以上入院中のようです。しばらくは意識もなかったようで人工呼吸器に繋がれた状態だったようです。あちこち軽い打撲や骨折をしています。肋骨も少し骨折しているようです。だから、肺の病気ではないのにも関わらず今でも呼吸困難があり、酸素吸入が3L/分必要だそうです。<br /><br />民間救急を経営している知人ナースは普段は国内の病院から病院への搬送を専門にしています。普段は医者の指示で動きますから医者が同伴することは稀です。ですから、たまに海外の案件も打診されるようです。家族から大手の国際医療搬送会社へ見積もりを取ったら、千二百万円から千五百万円だそうで、もう少し何とかならないかと相談があったようです。今回は入院中のフランスの病院の医師から医師同伴での搬送を指定されているようです。海外旅行や車イス患者さんの移送などは経験豊富な私ですが、直観として半額くらいでやってあげられるのではと思い、協力することにしました。たぶん法外に値段が高いのは、普通は保険に入っているからお金は何とかなるからでしょう。この患者さんは本格的登山で危険なので保険にも入れなかったようです。<br /><br />準備で一番てこずったのが酸素の手配です。漠然とは以前から考えていましたが、いざとなるとどこに依頼したらいいのか分かりません。飛行機の中は、酸素は前もって手続きをしておいて買えばいいことは知っていました(但し、何故酸素が必要か医師の診断書が必要と分かりました)。安全上の問題で、航空会社が準備した酸素ボンベで必要な量の酸素を買います。問題は、乗り継ぎの飛行場での酸素の手配です。航空会社に確認すると、そこまでは面倒を見られないと言われました。<br /><br />今回の場合、色々考えましたが、結論としてフランスの病院(アヌシー)から一番近い飛行場はスイスのジュネーブです。日本へは直行便がよく、やはり色々な手配が複雑で日本航空を選びました。全日空も調べましたが乗り継ぎの時間が上手くいきません。パリ(もちろんフランス)から羽田の直行便(日本航空)に決めました。ジュネーブ空港からパリ・シャルルドゴール空港は近過ぎるのか直行便はエアーフランスしかなさそうです。ストレッチャーが必要かもしれないし、のんびり無駄な乗り継ぎはできません。都合よく空港に酸素ボンベを持ってきてもらう方法だと、スイスとフランスの会社を探す必要があります。<br /><br />ジュネーブ空港(スイス)とシャルルドゴール空港(フランス)の別の国で空港へ酸素を手配するのもやり方が分からないし、複雑そうです。大手の酸素会社は何故か、海外へのレンタルを嫌がります。だからと言って、海外の酸素会社との提携もなさそうです。結局、苦労して探し出したのが酸素濃縮器をレンタルしてくれる専業の会社です。これなら、日本から持っていき必要な時だけ空港の乗り継ぎ時間に使えばいいのです。荷物になるし航空会社への手続きも必要ですが。<br /><br /><br />8月24日(木) <br /> ようやく出発にこぎつけました。最初に連絡を受けてから3週間も経っています。やり取りしていた医者からはだいぶ元気になったから早く迎えに来てくれと催促がありました。厳密には日本を出発するのは明朝です。福岡市に住む私はいつものように便利な福岡空港から羽田空港へ午後の便で上京します。東海地区からのナースYさんと弟のGさんは新幹線で来ました。Gさんは元々レントゲン技師でしたが、姉の民間救急を手伝うようになったようです。経理もやってくれているようです。<br /><br />夕方には羽田空港国際線ターミナルのホテルで合流し、レンタル用のPOC(Portable Oxygen Concentrator; 持ち運び用酸素濃縮器)の会社社長から直接受け取り、使い方の説明を受けました。今回は苦労して手配したものの、出発直前のICUドクターからのメールで、普段は室内では酸素がほとんど不要なくらい回復したと連絡がありました。しかし、もちろん我々は最悪の事態に備えて準備して持参します。バッテリーが大事で念のために予備も含め2本持参します。前もって調べてJALの機内に持ち込めることも確認しています。<br /><br />翌日から大仕事ですから、夕食は少し高いホテルのイタリア料理を3人で楽しみました。弟Gさんとは初対面です。ナースのYさんとは日本旅行医学会で何回も会っています。でも、新型コロナ禍でリアルの学会がしばらくなく久しぶりの再会です。<br /><br /><br />8月25日(金) <br /> 朝8時台のJAL直行便でパリ・シャルルドゴール(CDG)空港へ出発です。でも、変です。時節柄、ロシアの上空を飛べないのは分かっていますが、機内のモニターでは西回りではなく、何とアラスカへ向かっています。どうもそのままカナダの北側を通過し、北極圏近くからグリーンランド、アイスランド、ロンドンそしてパリへ向かいます。要するに東回りです。後で知ったのですが、NHKのニュースになったそうですが、我々の便は昨日のロシアのワグネル創始者プリゴジン氏の暗殺を受け、JAL側が今まで以上に警戒し、ロシア上空近くを避けるために急遽、東回りの航路へ変更したそうです。<br />いずれにせよ直行便とは言え14~15時間はかかります。<br /><br />行きの飛行機は我々3人だけですから気楽です。しかも、帰りと同じビジネスクラスでフルフラットです。これなら、患者さんがベッド上と同じで安心です。何せ、フランス人の医者複数とメールのやり取りだけでまだ会ったこともない訳ですから、患者さんの詳しい状況は分かりません。大事な医療器機とバッテリーは機内に持ち込んでいます。<br /><br />手配していた直行便のCDG空港からスイス・ジュネーブ空港への乗り継ぎです。近過ぎて1時間ちょっとで着きます。飛行機の手配もホテルの手配も慣れた私がやっています。大金も立て替えています。基地になるジュネーブ空港近くのホテル、ホリデイインを予約していますが、POCを引きずりながら歩くと結構大変でしたが何とかうす暗い中ホテルへ到着しました。<br /><br />実は、飛行機の手配からして大変でした。何せ、いつもの旅行ではありませんから直前(4日ほど前)に予約です。急ぎますし、選べませんからJALの公式サイトから予約しました。滅多にビジネスクラスは使わない、使えない私ですが、変動制の料金(ダイナミックプライシング)にビックリしました。まず、いつもの格安航空券と違い国際線なのに往路いくらと復路いくらを足し算するのです。それも、出発日も帰る日も一日違いで大きく値段が変動します。もちろん直行便は、羽田便は一日一便のみです。選べません。行きも帰りも乗り継ぎがギリギリ上手くいきます。だからこそ、全てのチケットがスムーズに取れなかったら大変です。行きは3人で帰りは患者さんを入れて4人ですから。<br /><br />実は1日遅い便でも間に合います。ところが、出発を明日8月26日にすると一人30万円も高くなるのです!3人で90万円も余分にかかります。そこで、1日早く出発しました。安くしてあげるためです。3人で1泊しても10万円もしません。はるかに安くなります。おかげで我々も仕事とは言え、一日はジュネーブでゆっくり観光できます。<br /><br />そういうことで、ビジネスクラスで一人往復90万円程度でした。知ってはいましたが、肝心の患者さんは片道切符で往復の半額どころかむしろ高いのです。JALでもパリ発のせいかユーロ建ての値段で、1ユーロ165円で計算して100万円近くかかりました。それに比べると安いのですが、Air France のCDG空港~ジュネーブ空港往復、患者さんの片道切符も必要です。でも、いつの間にかビジネスクラスは満席でした。でも結果論ですが、この路線は短く少し座席が広いだけでエコノミークラスでも十分でした。とにかく、私としてもリスクですが何とフライト代だけで400万円近くも立て替えています。ホテル代と酸素濃縮器のレンタル代も含め私が立て替えた合計金額は510万円くらいにもなります。まさか戻ってこないことはないと思いますが。<br /><br /><br />8月26日(土)<br /> 今日は唯一の観光日です。昨夜と違い荷物がないので空港まで1km以上歩くのも苦になりません。ジュネーブ空港からは市街地へ電車もバスもあるようです。ただ残念ながら小雨模様でスッキリしない天気です。空港からは外にあって分かりやすいバスで行きました。期待通りレマン湖が目の前にあります。私は一度だけ大昔ここジュネーブへ来たことがあります。湖の中に大噴水が50m近く噴き上げるのを見て思い出しました。来たことがある、見たことがあると。但し、チューリッヒと混乱していてこの大噴水があるのはチューリッヒ湖と思っていました。そして、この湖の名前もジュネーブ湖と勘違いしていました。<br /><br />私は高山病の実地見学を兼ねて、ユングフラウ、マッターホルン、モンブラン全てに行ったことがあります。特に、今回の患者さんが滑落したモンブランは一度目は一人で実地見学に、そして二度目はその経験を活かし、5、6人の高齢者を連れて大好きなイタリア(もう33回行きました)側から長いトンネルを抜け、フランス・シャモニー経由でモンブランへ行きました。もちろん、登山なんかしなくても観光客はかなり上の方までケーブルカー等で上がれます。但し、高山病にかかる恐れはあります。私自身高山病に弱いので、15年以上も前に日本旅行医学会で学んだダイアモックスという薬を予防薬として愛用していて、これさえ飲めば鬼に金棒です。但し保険適応がないので、値段が自費ですし、誤解も多いようです。ついに、ボリビアでは現地のウユニ塩田ツアーでチリとの国境の標高5千メートルまで行きましたが、薬のおかげで予防できました!軽い副作用はありますが、高山病の頭痛等に比べれば大したことはありません。<br /><br />ドイツ語、フランス語、イタリア語などの基礎を独学で勉強している私は色々な事に気が付きます。AFS高校留学で日本からのスイス派遣生、福岡へ来るスイス人留学生もたくさん知っています。4ヶ国語が使われるという国ですが、80%はドイツ語です。後は、イタリア側からモンブランにも行けるようにイタリアとの国境の5%程度がイタリア語、ジュネーブなどのフランスとの国境がフランス語です。ほとんど消滅しているのがラテン語の生き残りで山岳部の一部のようです。スイス人は観光国でもあり、国際語である英語と上記の2、3ヶ国語を喋れる人はざらにいます。<br /><br />それで詳しいのですが、今回の基地になったジュネーブ(スイス)ですが、日本語はGeneveというフランス語から来ています。英語では Genevaと言います。モンブランも Mont Blanc(「白い山」の意味)フランス語からです。イタリア語を勉強していて、Monte Bianco(イタリア語で「白い山」)とイタリアでは呼ぶと知りなんか感動しました。 <br /><br />同様に、ジュネーブもスイスでは主流のドイツ語では何と全く違う呼び方です。Genf(ゲンフです、ジェンフではありません!)といかにもドイツ語らしい厳しい発音です。優しい響きのジュネーブとは全く違います。私がジュネーブ湖と覚え違いしていたのも、まんざらではありません。フランス語でこそ Lac Leman(但し、フランス語ではeの上にアクセント記号があり「エ」と発音)、レマン湖ですが、ドイツ語では何と Genfersee です!先ほどのGenf(ドイツ語のジュネーブ)の変化形で、seeはseaですがドイツ語は海も湖も単語は同じようです。ですから、ドイツ語ではむしろ「ジュネーブの湖」です。<br /><br />広いレマン湖の西端、ジュネーブの市街地中心近くに大噴水が見えます。名前通り高く噴き上げる噴水ですから、遠くからも見えます。大噴水に近づく前にきれいな花時計があります。以前に行った南米を思い出しました。チリの首都サンティアゴ近くの海岸、ビニャ・デル・マールにも海に面して大きな花時計がありました。横に英国庭園と書いている場所がありますが、植え替え中なのか何もありません。そして湖水ぞいに歩いて行くとだんだん大噴水が近くに見えます。迫力はあります。ただ、スカッと晴れていればもっと青空をバックに絵になるのでしょうが。<br /><br />この近くをブラブラしました。Gさんは男のせいか、近くを通った金色のド派手なスポーツカーを見つけ走って追いかけて写真を撮っていました。公園にもなっているせいか、近くに大きな簡易トイレがあります。中に入ってビックリ!なんでも清潔で綺麗なイメージのスイスらしからぬ、トイレに落書きだらけなのです。珍しい!これがマンハッタンなどの他の国、都市だったら珍しくもないのですが。まさか、スイスで!<br /><br />それから、適当に市内を当てもなくぶらぶら歩きました。幸い、雨もほとんど上がりました。Museeと書いてある建物を見つけました。中には入りませんでしたが、どうも美術歴史博物館のようです。途中でガソリンスタンドを見つけました。1Lあたり無鉛(レギュラーガソリン)が1.96スイスフラン(約327円!)です。円安のせいもありますが、スイスの物価高は半端ではありません。<br /><br />次にヨーロッパでは珍しくもない立派な教会、サン・ピエール大聖堂に出くわしました。もちろん、中に入ります。イタリアほどではありませんが、ステンドグラスのきれいな立派な教会でした。<br /><br />ほとんど帰り道の途中なので、再度レマン湖の大噴水の近くを通ると、雨が上がり虹が噴水の水の回りにできてきれいでした。夕食はどうせ高いので、ほぼやけくそで私が3人分驕るということでそれぞれご馳走を食べました。それでも3万円でお釣りがきました。帰りは分かりやすい列車の駅からジュネーブ空港まで帰りました。<br /><br /><br />8月27日(日)<br /> いよいよ今日は全員で患者さんのいる病院へ初面会に行きます。何せ、ICUの医者とのやり取りだけでどの程度重症な状態から回復したのかが分かりません。直前のメールでは室内では酸素が不要なくらいに元気になっているようですが。食事摂取は不十分で夜だけ胃瘻(胃に開けた穴)から直接高カロリーの液体状の食事を入れていると聞いています。<br /><br />幸い、ジュネーブ空港駅からアヌシー駅まで列車で行けます。45分程度でした。駅から病院へは5kmくらいでもちろんタクシーで行きました。ここで冗談のような話ですが、患者さんの代わりに今回の仕事の契約者は義弟のO氏ですが、一時期病院へ見舞に行っていた息子さんから聞いていたらしく、駅から病院へは無料バスがあるらしいので使ってくれと言います。こんな事態の時にケチなことを言われても、非常識です。<br /><br />実際に病院へ行った患者I氏の息子も変わっていて、帰国時に荷物と共にパスポートを預かって帰るつもりだったようで、間接的に聞いた私が慌てて止めました!海外にいる時は唯一の身分証明で一番大事なのは常識なはずですが・・・<br /><br />いよいよ病院内のICUへ訪問です。受付で聞くと簡単に案内してくれました。さすがフランスで病院内でもICUでさえ、もう誰一人マスクはしていません。実は、我々も誰もマスクはしていません。もう必要ないというのが欧米では一般的な考え方ですから。実はマスクの効果はかなり限定的で、多くの日本人が信じているほどの効果はありません。だから欧米では今回の新型コロナウイルス禍で初めてマスクの効用が認められ使用されました。だから、新型コロナが落ち着いたら、みんなすぐに使うのを止めたのです。<br /><br />それはともかく、肝心の患者I氏ですが、ずいぶん元気になっている印象でした。半座位、つまり座っているのに近い体勢です。頸部を保護するためのカラーだけはしています。結果論だけで言えば、苦労して酸素も要らなかったかもしれないくらいです。でも、万全の態勢で最悪の事態に備えるのが我々医療者の仕事です。これを見れば、車への移動や空港での移動も車イスで十分です。仰臥位、つまり寝たきりだと負担が全く違います。一安心です。<br /><br />この日は女医さんが立ち会ってくれましたが、どうも私が主にメールでやり取りしていた医者(主治医と思っていた)のようです。フランス語の名前なので、名前で女性とは気がついていませんでした。患者の家族から主治医が夏休みでどうのこうのと聞いたこともありますが、そもそもICUだから医者も24時間対応で交代制のはずで、チーム医療です。来て気がつきました。この女医さんが主治医というより、ICUの責任者なのかもしれません。メールでは最初は病院の関係者以外は日本の医者の私も病院車に乗れないので、タクシーで追いかけてくれと言われ面倒だなと思っていました。でも、最後のメールで一人だけ、つまり医師の私だけは患者さんと一緒にジュネーブ空港まで病院車に乗れることになりました。<br /><br />事前に分かっていたので、明日の移動の本番に向けて私だけここフランスのアヌシーに宿泊し、YさんとGさんはジュネーブ空港近くのホテルで3泊目を過ごしてもらい、明日空港で合流する予定です。<br /><br />3人でタクシーに乗り駅まで戻り、2人は列車でジュネーブ空港駅まで帰って行きました。私は荷物を駅に預け、夕食もあるしぶらぶら歩きました。今回は遊びではないし、時間の制限もありゆっくりアヌシーの街のことを調べる余裕もありませんでした。グーグルマップでレストランを探しながら適当に歩きました。困ったことに途中で小雨が強くなり、雨宿りをせざるを得ないくらいでした。<br /><br />でも、私の嗅覚がすぐれているのか偶然なのか、だんだんレストランやお土産屋の並ぶ小川沿いに出てきました。ちょっとした観光地の様相です。ラッキー! 来月出産予定の6人目の孫のためにベビー服(新生児用?)を買いました。そしてだいぶ迷いましたが、よさそうなレストランを選びました。但し、メニュー選択が失敗で生のミンチ肉のような料理でした。イマイチでした。隣の家族連れが食べているチーズフォンデュの方が明らかに美味しそうでした。<br /><br />食後、少し奥の方まで歩いて行くとどうもアヌシーにも湖がありそうです。ちょっとした観光地かもしれません。地図で見ると、行ったことのある有名なシャモニーから西へ30km程度です。駅まで戻り、タクシーで病院近くの予約したホテルへ行きました。<br /><br />ところで患者さんがずっと入院していた病院の正式名はCH(Centre Hospitalier) Annecy Genevois で英語では Hospital Center(総合病院、医療センター)と言う日本でもよくある名前で地名のアヌシーが付いています。問題は次のGenevois です。しばらくして気が付いたのですが、どうもフランス語の Geneve に似ている単語です。それで、今回は会えなかったのですが、知人のジュネーブ在住の日本人に聞いたら、やはりフランス語で Genevois は Geneve の形容詞だそうです。つまり、日本語で言えば「アヌシー・ジュネーブ中央病院」です。日本では考えられませんが、フランスの地名とスイスの地名が付いた中央病院です。いくら近いとは言え別の国ですから。メールアドレスもICUの医師全員が読めるらしいのはreanimation.secr@ch-annecygenevois.frです。最初の単語reanimationはICUかと思ったら、近い意味ですが「蘇生」のようです。<br /><br /><br />8月28日(月)<br /> いよいよ患者搬送本番の朝です。ホテルは病院まで800m程度で散歩がてら歩いてちょうどいい距離のはずでした。ところが、小雨なので少しも快適ではありません。少し早過ぎると思ったのですが、言われた通り8時半には病院へ行きました。<br /><br />一つ心配していたのは、パスポートの預かり証まであります。日本だったらナースの詰め所に預かっているはずですが、こんなに大げさだとひょっとして日曜日なのに事務が預かっていたらスムーズに患者さんのパスポートが受け取れるのか不安でした。<br /><br />とにかく、昨日下見と初めての患者さんとの面会に訪れたICUへ一人で行きます。日本の一部の病院以上に警備はうるさくなく、勝手にICUにも入れます。まず秘書室に行きます。ところが、肝心の秘書が英語もろくに喋れないことが判明しました。困ったのでとにかく患者さんの部屋を覚えていたので廊下を歩いて行きます。幸い、日曜日のシフトの医者らしい背の高い男性医師と中背の女性医師がいました。彼ら医者は英語が喋れます。<br /><br />まず心配だったパスポートの預かり証を見せると、結局は日本と同じらしくナースから簡単にもらって来てくれて一安心。そして、途中のメールのやり取りで分かったのですが、どうもICUチームの医者は全員が私のメールを読めていたようで、日本からわざわざ迎えに来た私のことを知っています。そして雑談を少ししました。やっと了解しましたが、24時間対応のICUですから日本のナースのようにきちっと8時間勤務の3交代のようです。そのためにそんなにベッド数もなさそうなICUなのに医者が14人もいるそうです。それだけ人員に余裕があるから、医者もフランス人らしく順番に3~4週間の夏のバカンスが取れるのだろうと理解できました。だから主治医なんかいないはずです。<br /><br />また、この病院は正式な名前通りフランスのアヌシーとスイスの大都市・ジュネーブの総合病院です。国境近くです。そして、ナースの給料がフランス側の2000ユーロに対しスイスでは5000ユーロと2.5倍も違うそうです。そのせいか、ナースの入れ替わりが激しいそうです。自分たち医者のことは言いませんでしたから、医者はそこまでの差はないのかもしれません。<br /><br />以前からスイスはヨーロッパの中でも特殊な位置づけだと思っていました。この機会に詳しく調べるとEUには加盟していない中立国のようです。通貨もユーロではなくスイスフランを使っています。でも、シェンゲン条約でパスポートは不要で陸つながりですから、パスポートチェックのために道路で止められる必要がなく、従って我々も便利な反面、混乱します。 <br /><br />そして案内されて病院の救急車のチームらしい男女2人が迎えに来て、ストレッチャーに患者さんを乗せて一階の駐車場へ移動しました。2、3階建ての病院ですが、その分広い敷地のようです。普通に運転してジュネーブ空港まで行ったのですが、やはり1時間もかからず、早過ぎる午前10時には着きました。でも、特別車のせいか空港の入り口の停車場(駐車場?)にゆっくり停めていてもいいようです。13時05分発のエアーフランス、ジュネーブからパリ、シャルルドゴール空港行きですから、時間は3時間もあります。しかも、国は違うけどフライトは国内線扱いでパスポートコントロール等は不要です。<br /><br />それで患者さんは車の中に仰臥位で待たせたまま、合流した2人と3人で早目に4人分のチェックインをしてもらおうとしました。ただ不安だったのが、チェックインがいつもと違い一度保安検査場ではないが、内部の建物にまで入ってするのです。そこのグランドホステスに患者さんはまだ車の中で待っているけどどうしたらいいかと聞いたつもりですが、どうも結論から言うと tarmac と勘違いされたようです。「ターマック」と言うのは、直接救急車などで滑走路に入り、そこから患者さんを機内に乗せる特別扱いのことです。<br /><br />それで、はっきり事態が呑み込めないまま、2人はチェックインして内部へ入り、私だけ迷路みたいな所を通り、元の外部へ戻りました。アシスタンスが必要な人の待合所に戻ると病院車で一緒に来た2人がいます。回りはフランス語で状況がはっきり掴めないので尋ねると、どうもチェックインの係員(女性)がどうもターマック扱いと思っているらしいと、それは必要ないと交渉してくれているが返事を待つしかないと。患者さんも車イスで、ここで待ってもらうことにしました。心配させるだけなので、患者さんには詳細は敢えて説明しませんでした。待つしかありません。でも、私は内心冷や冷やでした。いつもの気楽な旅行と違い今回はイレギュラーなことの連続です。スムーズに乗せてくれなかったらどうしよう、JALに乗り継げないなどと頭の中はパニックですが、待つしかありませんでした。<br /><br />それでも何とかなるもので、やっと普通に乗せてくれることになりました。待っている時間はものすごく長く感じましたが。車イスは当然エアーフランスの準備したものです。必ず責任者が1人付き、車いすの世話をしてくれます。実はこの路線は1時間ちょっとと短いし、患者さんもかなり元気になっているので機内酸素もリクエストせず、席もビジネスクラスは満席で取れませんでしたが、結果オーライで少し広い座席だけでした。予定通り14時25分頃には到着しました。<br /><br />シャルルドゴール空港に着いてからは順調です。エアーフランスの職員の誘導で、車イスで空港内のJALのアシスタンス受付に行きます。そこで車イスはJALの物に、人も交代です。今度は羽田まで直行便とは言え14時間近い南回りですから、事前に申請していた酸素1L/分の14時間分で3本の酸素ボンベを準備してもらっています。それに付随した事前の書類のチェックなどがありました。<br /><br />まだJAL便に乗るまで2時間半くらいありますが、ビジネスクラスなのでラウンジが使えます。しかもトイレなどへはJALの車イス係員が手伝ってくれますし、我々は飲み物や食べ物もあります。ゆっくり搭乗時間まで待てます。しかも、患者さんは思った以上に回復していたので、空港内では準備した酸素濃縮器を敢えて使う必要もありません。もちろん、時々、新型コロナ禍で一般の人にも有名になった指に挟む器械で酸素飽和度をチェックしますが、96%はあります。正常です。<br /><br />17時15分発のJAL羽田直行便(でも南回りで降りないだけで数か月前に乗ったターキッシュエアラインズ同様、イスタンブール上空も通過)は14時間かかるもののスムーズに予定通り翌日(29日)14時45分頃には羽田空港国際線ターミナルへ。結局、来る時は東回りの北回りで、帰りは南回りの東回りで、地球一周したことになります。<br /><br />機内でも患者さんは酸素こそ念のために流しているものの、事前にフランスの医師から聞いていたのと違い食欲も旺盛。もちろん、ビジネスクラスの普通の和食を完食しています。長いフライトの途中で患者さんがスナックとしてカレーライスを食べるのを見て、妙に感心、安心しました。やはり日本人はカレーライスが好きです。時々、酸素飽和度を測ると何と100%! 酸素を流しているのでむしろ正常人より高いです。<br /><br />ちなみに私自身は下がりやすい、高山病になりやすい体質でこの時も試しに自分のを測ると何と時々90%を切ります。国際線の機内の気圧はかなり低いのです。さすがに高山病の症状、頭痛や嘔気までは出ませんが。息苦しくもありません。ですから、患者さんの痰の吸引等のナースの仕事も不要です。しかも、ビジネスクラスだから席もフルフラットになり余裕です。でも、これはあくまでも結果論で、我々医療者としては嬉しい誤算ではあるけれど、最悪の事態に備えて万端の準備をしてきたのです。<br /><br /><br />8月29日(火)<br /> と言うことで、意外と実際の搬送はほとんど手もかかりませんでした。途中で2回酸素ボンベを繋ぎ変えるだけです。準備の方が100倍大変でしたが、搬送の本番は意外と楽でした。でも、これが患者が大金を簡単に払ってくれない遠因かもしれません。見かけ上は3人もいる我々医療チームは大して何もしていないように見えたようですから。<br /><br />時差が7時間あるので、出発の翌日、日本時間で午後4時過ぎには無事に羽田空港第3ターミナルへ到着しました。当然、JALの担当者が車イスで待機していて第1ターミナル(国内線)へ移動しますが、特別車ではなく普通に他の人と一緒に無料移動バスで行きました。まぁ、確かに患者さんは元気でしたので。<br /><br />予定通り、羽田発19時55分発のJAL便で中部国際空港へ20時55分には到着しました。ここからは一緒に組んだ民間救急の車で、念のため酸素も少し流しながら前もって救急外来、入院予約していた名古屋市内の病院へ22時頃到着しました。<br /><br />実は、簡単に書きましたがここでも事前に私が大活躍したのです! 家族の住む県の病院に普通に相談窓口から転院のお願いをしたら、各科でたらい回しにされ断られて受付病院がないという悲惨な話しになっていたのです。最後に渋々受けてもいいと言ってくれた循環器科は、但し昼間に着いて欲しいと無理難題を言います。海外からそんなに都合よくいきません。実際、乗り継いで真夜中近くにようやく到着です。<br /><br />苦労して、しかも大金を立て替えて国際線のチケットを無事に取った私は最後に国内線の移動をできれば同じJAL便でと取りました。中部国際空港です。そこでやっと私は気が付いたのです! と言うことは、名古屋に近いということに。私の友達でもある名古屋大学の元教授がいます。きっと彼に頼めば元部下の医局員が色々な病院へ行っているので何とかなるだろうと。<br /><br />すぐに事情を書いてメールしました。すると何と教授退官後、名古屋市内の立派な大病院の院長になっているそうです。楽勝です! 救急もあるもちろん立派な大病院です。2日後にナースYさんが言われた通り挨拶へ行くと、何と院長、事務長、看護部長と勢ぞろいでビビったそうです。でも、それだけ特別扱いしてもらえるということで、乗り継ぎの関係でかなり夜遅くしか到着しないことも救急外来があるので問題ありません。ここでも、私の人脈が生きました! でないと、引き受けの病院もないというバカな話しでした。<br /><br />ですから、話は通っているので夜中の救急外来なのに予約済みで、ベッドも準備してもらっています。引継ぎも簡単です。フランスの病院ICUから受け取った書類を全部渡し(看護記録などはフランス語らしく、誰も読めないと思いますが)、無事に任務終了しました。<br /><br />さすがに疲れました。私は調べて病院に近いホテルを予約しているので、民間救急の車で送ってもらいました。<br /><br /><br />8月30日(水)<br /> 仕事も終わり、後は福岡へ帰るだけです。幸いホテルには系列の「い~湯」という温浴施設があり、ゆっくり風呂へ入って疲れを取り、いつもの名古屋県営空港からFDA11時35分の便で帰りました。<br /><br /><br />【後日談】<br /> 無事に終わったので、ICUの全員が読むと分かったメルアド当てに、ICUみなさんのおかげで患者は助かり、無事に日本の病院へ送り届けることができました、と全員を意識してお礼しました。すると、名前も覚えていないたぶん当日に会った背の高い男性医師から以下のような返事が来ました。明らかに、翻訳機能を使ったと思われるので次のような傑作です。<br /><br /><br />「親愛なるサカモト博士へ<br /><br />メッセージありがとうございます。返品がうまくいったことを本当に嬉しく思います。あなたが来たときに話したように、この年齢では大動脈峡部破裂から生き残ることは一般的ではないため、これはハッピーエンドの素晴らしい物語です。とても良い一日になりますように。心から。<br /><br />集中治療チームのレブラット医師 (Dr Albrice LEVRAT)」<br /><br /><br />これは笑い話で済みますが、次は深刻な話し。<br /><br />実は、依頼人はいまだに大金の支払いをしてくれません!実際にかかった全ての経費(領収書あり)に医師としての私の報酬、民間救急の経費と利益、全てで630万円程度のはずの請求書です。途中で患者本人が歩けるまで回復したので、契約者が義弟O氏から患者I氏へ正式に文書で書き換えたのが11月20日頃と聞いています。でも、12月4日現在まだ振り込まれたという連絡はありません。確かに大金ですが、約束通り大手の見積もりの半額程度で済みました。<br /><br />私が立て替えた分がフライト代やホテル代など一番多く、私は512万円くらい請求しています。あまりに大金を立て替えたので、民間救急から300万円だけは9月に受けとっていますが、小企業のナースは資金繰りにも苦労しているはずです。私もまだ212万円を受け取れません。残念ながら、非常識な患者で苦労しています。<br /><br />だいたいお金は払わないのに、JALのマイレージの登録に必要だから搭乗券を送ってくれだの、日本の保険還付請求のための書類を頼む(知らない人のために、海外で治療を受けた場合は現地で領収書を受け取り、日本の保険に請求すると日本の治療費に換算して3割負担の人だと残りの70%が還付されます)だの順序が違います。先ほども書いたように、なまじっか元気になっていたので我々が何もしてくれなかったと思っているようです。むしろ不満なようです。事前の私の苦労など分かるはずがありません。<br /><br />この結果を知りたい人は、この後一人で9月に行った、以前から行きたかったイタリア(34回目)の世界遺産、ドロミテ山岳地帯の旅行記、今から書く予定で1ヶ月以内(年末年始まで)に書き上げます。<br />2023年9月の「イタリアアルプス・ドロミテ山岳地区をゆっくり堪能」を読んで下さい。払ってくれたかどうかはそれまでには分るでしょう。契約はナースの事業所ですから私は待つしかありませんが、結局は簡易裁判所に不払い請求までして差し押さえまでするように言わないと払ってくれない予感がします。<br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)<br />坂本泰樹<br />

フランスからの国際患者医療搬送の仕事

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2023/08/24 - 2023/08/30

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

今回の旅行記は、今までのような普通の旅行記ではありません。

医者として、高齢者や病気の人や障害者などの海外旅行に随行する「空飛ぶドクター」をしている私ですが、実は初めての本格的な入院患者さんを外国の病院から日本の病院(もちろん再度入院)へ運ぶ仕事です。正式には「国際医療搬送」と呼びますが、どうも一般の人にはこの言葉の意味がピンとこないようです。

もともとのキッカケは以前から軽い打診はあったものの具体化しなかった国内患者搬送を仕事にしている知り合いのナースからの依頼です。今までと違い、今回はかなり具体的に相談されました。前回の旅行記、7月下旬フィレンツェ旅行中に日本からメールで相談されました。聞いたフランスのドクターへのメールの返事がなかなか来ません。後から分かったのですが、メールアドレスで青線が引いてあるのがよしあしで、gの後に . があるように見えて間違えたのです。それでやり取りに10日間くらい時間をロスしました。

一か月以上前に、70歳代の男性が夏山とはいえ雪のあるモンブランを本格的登山中、落石に巻き込まれ100m落下し、クレバスにはまりヘリコプターで救助されフランスの病院ICUに一か月以上入院中のようです。しばらくは意識もなかったようで人工呼吸器に繋がれた状態だったようです。あちこち軽い打撲や骨折をしています。肋骨も少し骨折しているようです。だから、肺の病気ではないのにも関わらず今でも呼吸困難があり、酸素吸入が3L/分必要だそうです。

民間救急を経営している知人ナースは普段は国内の病院から病院への搬送を専門にしています。普段は医者の指示で動きますから医者が同伴することは稀です。ですから、たまに海外の案件も打診されるようです。家族から大手の国際医療搬送会社へ見積もりを取ったら、千二百万円から千五百万円だそうで、もう少し何とかならないかと相談があったようです。今回は入院中のフランスの病院の医師から医師同伴での搬送を指定されているようです。海外旅行や車イス患者さんの移送などは経験豊富な私ですが、直観として半額くらいでやってあげられるのではと思い、協力することにしました。たぶん法外に値段が高いのは、普通は保険に入っているからお金は何とかなるからでしょう。この患者さんは本格的登山で危険なので保険にも入れなかったようです。

準備で一番てこずったのが酸素の手配です。漠然とは以前から考えていましたが、いざとなるとどこに依頼したらいいのか分かりません。飛行機の中は、酸素は前もって手続きをしておいて買えばいいことは知っていました(但し、何故酸素が必要か医師の診断書が必要と分かりました)。安全上の問題で、航空会社が準備した酸素ボンベで必要な量の酸素を買います。問題は、乗り継ぎの飛行場での酸素の手配です。航空会社に確認すると、そこまでは面倒を見られないと言われました。

今回の場合、色々考えましたが、結論としてフランスの病院(アヌシー)から一番近い飛行場はスイスのジュネーブです。日本へは直行便がよく、やはり色々な手配が複雑で日本航空を選びました。全日空も調べましたが乗り継ぎの時間が上手くいきません。パリ(もちろんフランス)から羽田の直行便(日本航空)に決めました。ジュネーブ空港からパリ・シャルルドゴール空港は近過ぎるのか直行便はエアーフランスしかなさそうです。ストレッチャーが必要かもしれないし、のんびり無駄な乗り継ぎはできません。都合よく空港に酸素ボンベを持ってきてもらう方法だと、スイスとフランスの会社を探す必要があります。

ジュネーブ空港(スイス)とシャルルドゴール空港(フランス)の別の国で空港へ酸素を手配するのもやり方が分からないし、複雑そうです。大手の酸素会社は何故か、海外へのレンタルを嫌がります。だからと言って、海外の酸素会社との提携もなさそうです。結局、苦労して探し出したのが酸素濃縮器をレンタルしてくれる専業の会社です。これなら、日本から持っていき必要な時だけ空港の乗り継ぎ時間に使えばいいのです。荷物になるし航空会社への手続きも必要ですが。


8月24日(木) 
 ようやく出発にこぎつけました。最初に連絡を受けてから3週間も経っています。やり取りしていた医者からはだいぶ元気になったから早く迎えに来てくれと催促がありました。厳密には日本を出発するのは明朝です。福岡市に住む私はいつものように便利な福岡空港から羽田空港へ午後の便で上京します。東海地区からのナースYさんと弟のGさんは新幹線で来ました。Gさんは元々レントゲン技師でしたが、姉の民間救急を手伝うようになったようです。経理もやってくれているようです。

夕方には羽田空港国際線ターミナルのホテルで合流し、レンタル用のPOC(Portable Oxygen Concentrator; 持ち運び用酸素濃縮器)の会社社長から直接受け取り、使い方の説明を受けました。今回は苦労して手配したものの、出発直前のICUドクターからのメールで、普段は室内では酸素がほとんど不要なくらい回復したと連絡がありました。しかし、もちろん我々は最悪の事態に備えて準備して持参します。バッテリーが大事で念のために予備も含め2本持参します。前もって調べてJALの機内に持ち込めることも確認しています。

翌日から大仕事ですから、夕食は少し高いホテルのイタリア料理を3人で楽しみました。弟Gさんとは初対面です。ナースのYさんとは日本旅行医学会で何回も会っています。でも、新型コロナ禍でリアルの学会がしばらくなく久しぶりの再会です。


8月25日(金) 
 朝8時台のJAL直行便でパリ・シャルルドゴール(CDG)空港へ出発です。でも、変です。時節柄、ロシアの上空を飛べないのは分かっていますが、機内のモニターでは西回りではなく、何とアラスカへ向かっています。どうもそのままカナダの北側を通過し、北極圏近くからグリーンランド、アイスランド、ロンドンそしてパリへ向かいます。要するに東回りです。後で知ったのですが、NHKのニュースになったそうですが、我々の便は昨日のロシアのワグネル創始者プリゴジン氏の暗殺を受け、JAL側が今まで以上に警戒し、ロシア上空近くを避けるために急遽、東回りの航路へ変更したそうです。
いずれにせよ直行便とは言え14~15時間はかかります。

行きの飛行機は我々3人だけですから気楽です。しかも、帰りと同じビジネスクラスでフルフラットです。これなら、患者さんがベッド上と同じで安心です。何せ、フランス人の医者複数とメールのやり取りだけでまだ会ったこともない訳ですから、患者さんの詳しい状況は分かりません。大事な医療器機とバッテリーは機内に持ち込んでいます。

手配していた直行便のCDG空港からスイス・ジュネーブ空港への乗り継ぎです。近過ぎて1時間ちょっとで着きます。飛行機の手配もホテルの手配も慣れた私がやっています。大金も立て替えています。基地になるジュネーブ空港近くのホテル、ホリデイインを予約していますが、POCを引きずりながら歩くと結構大変でしたが何とかうす暗い中ホテルへ到着しました。

実は、飛行機の手配からして大変でした。何せ、いつもの旅行ではありませんから直前(4日ほど前)に予約です。急ぎますし、選べませんからJALの公式サイトから予約しました。滅多にビジネスクラスは使わない、使えない私ですが、変動制の料金(ダイナミックプライシング)にビックリしました。まず、いつもの格安航空券と違い国際線なのに往路いくらと復路いくらを足し算するのです。それも、出発日も帰る日も一日違いで大きく値段が変動します。もちろん直行便は、羽田便は一日一便のみです。選べません。行きも帰りも乗り継ぎがギリギリ上手くいきます。だからこそ、全てのチケットがスムーズに取れなかったら大変です。行きは3人で帰りは患者さんを入れて4人ですから。

実は1日遅い便でも間に合います。ところが、出発を明日8月26日にすると一人30万円も高くなるのです!3人で90万円も余分にかかります。そこで、1日早く出発しました。安くしてあげるためです。3人で1泊しても10万円もしません。はるかに安くなります。おかげで我々も仕事とは言え、一日はジュネーブでゆっくり観光できます。

そういうことで、ビジネスクラスで一人往復90万円程度でした。知ってはいましたが、肝心の患者さんは片道切符で往復の半額どころかむしろ高いのです。JALでもパリ発のせいかユーロ建ての値段で、1ユーロ165円で計算して100万円近くかかりました。それに比べると安いのですが、Air France のCDG空港~ジュネーブ空港往復、患者さんの片道切符も必要です。でも、いつの間にかビジネスクラスは満席でした。でも結果論ですが、この路線は短く少し座席が広いだけでエコノミークラスでも十分でした。とにかく、私としてもリスクですが何とフライト代だけで400万円近くも立て替えています。ホテル代と酸素濃縮器のレンタル代も含め私が立て替えた合計金額は510万円くらいにもなります。まさか戻ってこないことはないと思いますが。


8月26日(土)
 今日は唯一の観光日です。昨夜と違い荷物がないので空港まで1km以上歩くのも苦になりません。ジュネーブ空港からは市街地へ電車もバスもあるようです。ただ残念ながら小雨模様でスッキリしない天気です。空港からは外にあって分かりやすいバスで行きました。期待通りレマン湖が目の前にあります。私は一度だけ大昔ここジュネーブへ来たことがあります。湖の中に大噴水が50m近く噴き上げるのを見て思い出しました。来たことがある、見たことがあると。但し、チューリッヒと混乱していてこの大噴水があるのはチューリッヒ湖と思っていました。そして、この湖の名前もジュネーブ湖と勘違いしていました。

私は高山病の実地見学を兼ねて、ユングフラウ、マッターホルン、モンブラン全てに行ったことがあります。特に、今回の患者さんが滑落したモンブランは一度目は一人で実地見学に、そして二度目はその経験を活かし、5、6人の高齢者を連れて大好きなイタリア(もう33回行きました)側から長いトンネルを抜け、フランス・シャモニー経由でモンブランへ行きました。もちろん、登山なんかしなくても観光客はかなり上の方までケーブルカー等で上がれます。但し、高山病にかかる恐れはあります。私自身高山病に弱いので、15年以上も前に日本旅行医学会で学んだダイアモックスという薬を予防薬として愛用していて、これさえ飲めば鬼に金棒です。但し保険適応がないので、値段が自費ですし、誤解も多いようです。ついに、ボリビアでは現地のウユニ塩田ツアーでチリとの国境の標高5千メートルまで行きましたが、薬のおかげで予防できました!軽い副作用はありますが、高山病の頭痛等に比べれば大したことはありません。

ドイツ語、フランス語、イタリア語などの基礎を独学で勉強している私は色々な事に気が付きます。AFS高校留学で日本からのスイス派遣生、福岡へ来るスイス人留学生もたくさん知っています。4ヶ国語が使われるという国ですが、80%はドイツ語です。後は、イタリア側からモンブランにも行けるようにイタリアとの国境の5%程度がイタリア語、ジュネーブなどのフランスとの国境がフランス語です。ほとんど消滅しているのがラテン語の生き残りで山岳部の一部のようです。スイス人は観光国でもあり、国際語である英語と上記の2、3ヶ国語を喋れる人はざらにいます。

それで詳しいのですが、今回の基地になったジュネーブ(スイス)ですが、日本語はGeneveというフランス語から来ています。英語では Genevaと言います。モンブランも Mont Blanc(「白い山」の意味)フランス語からです。イタリア語を勉強していて、Monte Bianco(イタリア語で「白い山」)とイタリアでは呼ぶと知りなんか感動しました。 

同様に、ジュネーブもスイスでは主流のドイツ語では何と全く違う呼び方です。Genf(ゲンフです、ジェンフではありません!)といかにもドイツ語らしい厳しい発音です。優しい響きのジュネーブとは全く違います。私がジュネーブ湖と覚え違いしていたのも、まんざらではありません。フランス語でこそ Lac Leman(但し、フランス語ではeの上にアクセント記号があり「エ」と発音)、レマン湖ですが、ドイツ語では何と Genfersee です!先ほどのGenf(ドイツ語のジュネーブ)の変化形で、seeはseaですがドイツ語は海も湖も単語は同じようです。ですから、ドイツ語ではむしろ「ジュネーブの湖」です。

広いレマン湖の西端、ジュネーブの市街地中心近くに大噴水が見えます。名前通り高く噴き上げる噴水ですから、遠くからも見えます。大噴水に近づく前にきれいな花時計があります。以前に行った南米を思い出しました。チリの首都サンティアゴ近くの海岸、ビニャ・デル・マールにも海に面して大きな花時計がありました。横に英国庭園と書いている場所がありますが、植え替え中なのか何もありません。そして湖水ぞいに歩いて行くとだんだん大噴水が近くに見えます。迫力はあります。ただ、スカッと晴れていればもっと青空をバックに絵になるのでしょうが。

この近くをブラブラしました。Gさんは男のせいか、近くを通った金色のド派手なスポーツカーを見つけ走って追いかけて写真を撮っていました。公園にもなっているせいか、近くに大きな簡易トイレがあります。中に入ってビックリ!なんでも清潔で綺麗なイメージのスイスらしからぬ、トイレに落書きだらけなのです。珍しい!これがマンハッタンなどの他の国、都市だったら珍しくもないのですが。まさか、スイスで!

それから、適当に市内を当てもなくぶらぶら歩きました。幸い、雨もほとんど上がりました。Museeと書いてある建物を見つけました。中には入りませんでしたが、どうも美術歴史博物館のようです。途中でガソリンスタンドを見つけました。1Lあたり無鉛(レギュラーガソリン)が1.96スイスフラン(約327円!)です。円安のせいもありますが、スイスの物価高は半端ではありません。

次にヨーロッパでは珍しくもない立派な教会、サン・ピエール大聖堂に出くわしました。もちろん、中に入ります。イタリアほどではありませんが、ステンドグラスのきれいな立派な教会でした。

ほとんど帰り道の途中なので、再度レマン湖の大噴水の近くを通ると、雨が上がり虹が噴水の水の回りにできてきれいでした。夕食はどうせ高いので、ほぼやけくそで私が3人分驕るということでそれぞれご馳走を食べました。それでも3万円でお釣りがきました。帰りは分かりやすい列車の駅からジュネーブ空港まで帰りました。


8月27日(日)
 いよいよ今日は全員で患者さんのいる病院へ初面会に行きます。何せ、ICUの医者とのやり取りだけでどの程度重症な状態から回復したのかが分かりません。直前のメールでは室内では酸素が不要なくらいに元気になっているようですが。食事摂取は不十分で夜だけ胃瘻(胃に開けた穴)から直接高カロリーの液体状の食事を入れていると聞いています。

幸い、ジュネーブ空港駅からアヌシー駅まで列車で行けます。45分程度でした。駅から病院へは5kmくらいでもちろんタクシーで行きました。ここで冗談のような話ですが、患者さんの代わりに今回の仕事の契約者は義弟のO氏ですが、一時期病院へ見舞に行っていた息子さんから聞いていたらしく、駅から病院へは無料バスがあるらしいので使ってくれと言います。こんな事態の時にケチなことを言われても、非常識です。

実際に病院へ行った患者I氏の息子も変わっていて、帰国時に荷物と共にパスポートを預かって帰るつもりだったようで、間接的に聞いた私が慌てて止めました!海外にいる時は唯一の身分証明で一番大事なのは常識なはずですが・・・

いよいよ病院内のICUへ訪問です。受付で聞くと簡単に案内してくれました。さすがフランスで病院内でもICUでさえ、もう誰一人マスクはしていません。実は、我々も誰もマスクはしていません。もう必要ないというのが欧米では一般的な考え方ですから。実はマスクの効果はかなり限定的で、多くの日本人が信じているほどの効果はありません。だから欧米では今回の新型コロナウイルス禍で初めてマスクの効用が認められ使用されました。だから、新型コロナが落ち着いたら、みんなすぐに使うのを止めたのです。

それはともかく、肝心の患者I氏ですが、ずいぶん元気になっている印象でした。半座位、つまり座っているのに近い体勢です。頸部を保護するためのカラーだけはしています。結果論だけで言えば、苦労して酸素も要らなかったかもしれないくらいです。でも、万全の態勢で最悪の事態に備えるのが我々医療者の仕事です。これを見れば、車への移動や空港での移動も車イスで十分です。仰臥位、つまり寝たきりだと負担が全く違います。一安心です。

この日は女医さんが立ち会ってくれましたが、どうも私が主にメールでやり取りしていた医者(主治医と思っていた)のようです。フランス語の名前なので、名前で女性とは気がついていませんでした。患者の家族から主治医が夏休みでどうのこうのと聞いたこともありますが、そもそもICUだから医者も24時間対応で交代制のはずで、チーム医療です。来て気がつきました。この女医さんが主治医というより、ICUの責任者なのかもしれません。メールでは最初は病院の関係者以外は日本の医者の私も病院車に乗れないので、タクシーで追いかけてくれと言われ面倒だなと思っていました。でも、最後のメールで一人だけ、つまり医師の私だけは患者さんと一緒にジュネーブ空港まで病院車に乗れることになりました。

事前に分かっていたので、明日の移動の本番に向けて私だけここフランスのアヌシーに宿泊し、YさんとGさんはジュネーブ空港近くのホテルで3泊目を過ごしてもらい、明日空港で合流する予定です。

3人でタクシーに乗り駅まで戻り、2人は列車でジュネーブ空港駅まで帰って行きました。私は荷物を駅に預け、夕食もあるしぶらぶら歩きました。今回は遊びではないし、時間の制限もありゆっくりアヌシーの街のことを調べる余裕もありませんでした。グーグルマップでレストランを探しながら適当に歩きました。困ったことに途中で小雨が強くなり、雨宿りをせざるを得ないくらいでした。

でも、私の嗅覚がすぐれているのか偶然なのか、だんだんレストランやお土産屋の並ぶ小川沿いに出てきました。ちょっとした観光地の様相です。ラッキー! 来月出産予定の6人目の孫のためにベビー服(新生児用?)を買いました。そしてだいぶ迷いましたが、よさそうなレストランを選びました。但し、メニュー選択が失敗で生のミンチ肉のような料理でした。イマイチでした。隣の家族連れが食べているチーズフォンデュの方が明らかに美味しそうでした。

食後、少し奥の方まで歩いて行くとどうもアヌシーにも湖がありそうです。ちょっとした観光地かもしれません。地図で見ると、行ったことのある有名なシャモニーから西へ30km程度です。駅まで戻り、タクシーで病院近くの予約したホテルへ行きました。

ところで患者さんがずっと入院していた病院の正式名はCH(Centre Hospitalier) Annecy Genevois で英語では Hospital Center(総合病院、医療センター)と言う日本でもよくある名前で地名のアヌシーが付いています。問題は次のGenevois です。しばらくして気が付いたのですが、どうもフランス語の Geneve に似ている単語です。それで、今回は会えなかったのですが、知人のジュネーブ在住の日本人に聞いたら、やはりフランス語で Genevois は Geneve の形容詞だそうです。つまり、日本語で言えば「アヌシー・ジュネーブ中央病院」です。日本では考えられませんが、フランスの地名とスイスの地名が付いた中央病院です。いくら近いとは言え別の国ですから。メールアドレスもICUの医師全員が読めるらしいのはreanimation.secr@ch-annecygenevois.frです。最初の単語reanimationはICUかと思ったら、近い意味ですが「蘇生」のようです。


8月28日(月)
 いよいよ患者搬送本番の朝です。ホテルは病院まで800m程度で散歩がてら歩いてちょうどいい距離のはずでした。ところが、小雨なので少しも快適ではありません。少し早過ぎると思ったのですが、言われた通り8時半には病院へ行きました。

一つ心配していたのは、パスポートの預かり証まであります。日本だったらナースの詰め所に預かっているはずですが、こんなに大げさだとひょっとして日曜日なのに事務が預かっていたらスムーズに患者さんのパスポートが受け取れるのか不安でした。

とにかく、昨日下見と初めての患者さんとの面会に訪れたICUへ一人で行きます。日本の一部の病院以上に警備はうるさくなく、勝手にICUにも入れます。まず秘書室に行きます。ところが、肝心の秘書が英語もろくに喋れないことが判明しました。困ったのでとにかく患者さんの部屋を覚えていたので廊下を歩いて行きます。幸い、日曜日のシフトの医者らしい背の高い男性医師と中背の女性医師がいました。彼ら医者は英語が喋れます。

まず心配だったパスポートの預かり証を見せると、結局は日本と同じらしくナースから簡単にもらって来てくれて一安心。そして、途中のメールのやり取りで分かったのですが、どうもICUチームの医者は全員が私のメールを読めていたようで、日本からわざわざ迎えに来た私のことを知っています。そして雑談を少ししました。やっと了解しましたが、24時間対応のICUですから日本のナースのようにきちっと8時間勤務の3交代のようです。そのためにそんなにベッド数もなさそうなICUなのに医者が14人もいるそうです。それだけ人員に余裕があるから、医者もフランス人らしく順番に3~4週間の夏のバカンスが取れるのだろうと理解できました。だから主治医なんかいないはずです。

また、この病院は正式な名前通りフランスのアヌシーとスイスの大都市・ジュネーブの総合病院です。国境近くです。そして、ナースの給料がフランス側の2000ユーロに対しスイスでは5000ユーロと2.5倍も違うそうです。そのせいか、ナースの入れ替わりが激しいそうです。自分たち医者のことは言いませんでしたから、医者はそこまでの差はないのかもしれません。

以前からスイスはヨーロッパの中でも特殊な位置づけだと思っていました。この機会に詳しく調べるとEUには加盟していない中立国のようです。通貨もユーロではなくスイスフランを使っています。でも、シェンゲン条約でパスポートは不要で陸つながりですから、パスポートチェックのために道路で止められる必要がなく、従って我々も便利な反面、混乱します。 

そして案内されて病院の救急車のチームらしい男女2人が迎えに来て、ストレッチャーに患者さんを乗せて一階の駐車場へ移動しました。2、3階建ての病院ですが、その分広い敷地のようです。普通に運転してジュネーブ空港まで行ったのですが、やはり1時間もかからず、早過ぎる午前10時には着きました。でも、特別車のせいか空港の入り口の停車場(駐車場?)にゆっくり停めていてもいいようです。13時05分発のエアーフランス、ジュネーブからパリ、シャルルドゴール空港行きですから、時間は3時間もあります。しかも、国は違うけどフライトは国内線扱いでパスポートコントロール等は不要です。

それで患者さんは車の中に仰臥位で待たせたまま、合流した2人と3人で早目に4人分のチェックインをしてもらおうとしました。ただ不安だったのが、チェックインがいつもと違い一度保安検査場ではないが、内部の建物にまで入ってするのです。そこのグランドホステスに患者さんはまだ車の中で待っているけどどうしたらいいかと聞いたつもりですが、どうも結論から言うと tarmac と勘違いされたようです。「ターマック」と言うのは、直接救急車などで滑走路に入り、そこから患者さんを機内に乗せる特別扱いのことです。

それで、はっきり事態が呑み込めないまま、2人はチェックインして内部へ入り、私だけ迷路みたいな所を通り、元の外部へ戻りました。アシスタンスが必要な人の待合所に戻ると病院車で一緒に来た2人がいます。回りはフランス語で状況がはっきり掴めないので尋ねると、どうもチェックインの係員(女性)がどうもターマック扱いと思っているらしいと、それは必要ないと交渉してくれているが返事を待つしかないと。患者さんも車イスで、ここで待ってもらうことにしました。心配させるだけなので、患者さんには詳細は敢えて説明しませんでした。待つしかありません。でも、私は内心冷や冷やでした。いつもの気楽な旅行と違い今回はイレギュラーなことの連続です。スムーズに乗せてくれなかったらどうしよう、JALに乗り継げないなどと頭の中はパニックですが、待つしかありませんでした。

それでも何とかなるもので、やっと普通に乗せてくれることになりました。待っている時間はものすごく長く感じましたが。車イスは当然エアーフランスの準備したものです。必ず責任者が1人付き、車いすの世話をしてくれます。実はこの路線は1時間ちょっとと短いし、患者さんもかなり元気になっているので機内酸素もリクエストせず、席もビジネスクラスは満席で取れませんでしたが、結果オーライで少し広い座席だけでした。予定通り14時25分頃には到着しました。

シャルルドゴール空港に着いてからは順調です。エアーフランスの職員の誘導で、車イスで空港内のJALのアシスタンス受付に行きます。そこで車イスはJALの物に、人も交代です。今度は羽田まで直行便とは言え14時間近い南回りですから、事前に申請していた酸素1L/分の14時間分で3本の酸素ボンベを準備してもらっています。それに付随した事前の書類のチェックなどがありました。

まだJAL便に乗るまで2時間半くらいありますが、ビジネスクラスなのでラウンジが使えます。しかもトイレなどへはJALの車イス係員が手伝ってくれますし、我々は飲み物や食べ物もあります。ゆっくり搭乗時間まで待てます。しかも、患者さんは思った以上に回復していたので、空港内では準備した酸素濃縮器を敢えて使う必要もありません。もちろん、時々、新型コロナ禍で一般の人にも有名になった指に挟む器械で酸素飽和度をチェックしますが、96%はあります。正常です。

17時15分発のJAL羽田直行便(でも南回りで降りないだけで数か月前に乗ったターキッシュエアラインズ同様、イスタンブール上空も通過)は14時間かかるもののスムーズに予定通り翌日(29日)14時45分頃には羽田空港国際線ターミナルへ。結局、来る時は東回りの北回りで、帰りは南回りの東回りで、地球一周したことになります。

機内でも患者さんは酸素こそ念のために流しているものの、事前にフランスの医師から聞いていたのと違い食欲も旺盛。もちろん、ビジネスクラスの普通の和食を完食しています。長いフライトの途中で患者さんがスナックとしてカレーライスを食べるのを見て、妙に感心、安心しました。やはり日本人はカレーライスが好きです。時々、酸素飽和度を測ると何と100%! 酸素を流しているのでむしろ正常人より高いです。

ちなみに私自身は下がりやすい、高山病になりやすい体質でこの時も試しに自分のを測ると何と時々90%を切ります。国際線の機内の気圧はかなり低いのです。さすがに高山病の症状、頭痛や嘔気までは出ませんが。息苦しくもありません。ですから、患者さんの痰の吸引等のナースの仕事も不要です。しかも、ビジネスクラスだから席もフルフラットになり余裕です。でも、これはあくまでも結果論で、我々医療者としては嬉しい誤算ではあるけれど、最悪の事態に備えて万端の準備をしてきたのです。


8月29日(火)
 と言うことで、意外と実際の搬送はほとんど手もかかりませんでした。途中で2回酸素ボンベを繋ぎ変えるだけです。準備の方が100倍大変でしたが、搬送の本番は意外と楽でした。でも、これが患者が大金を簡単に払ってくれない遠因かもしれません。見かけ上は3人もいる我々医療チームは大して何もしていないように見えたようですから。

時差が7時間あるので、出発の翌日、日本時間で午後4時過ぎには無事に羽田空港第3ターミナルへ到着しました。当然、JALの担当者が車イスで待機していて第1ターミナル(国内線)へ移動しますが、特別車ではなく普通に他の人と一緒に無料移動バスで行きました。まぁ、確かに患者さんは元気でしたので。

予定通り、羽田発19時55分発のJAL便で中部国際空港へ20時55分には到着しました。ここからは一緒に組んだ民間救急の車で、念のため酸素も少し流しながら前もって救急外来、入院予約していた名古屋市内の病院へ22時頃到着しました。

実は、簡単に書きましたがここでも事前に私が大活躍したのです! 家族の住む県の病院に普通に相談窓口から転院のお願いをしたら、各科でたらい回しにされ断られて受付病院がないという悲惨な話しになっていたのです。最後に渋々受けてもいいと言ってくれた循環器科は、但し昼間に着いて欲しいと無理難題を言います。海外からそんなに都合よくいきません。実際、乗り継いで真夜中近くにようやく到着です。

苦労して、しかも大金を立て替えて国際線のチケットを無事に取った私は最後に国内線の移動をできれば同じJAL便でと取りました。中部国際空港です。そこでやっと私は気が付いたのです! と言うことは、名古屋に近いということに。私の友達でもある名古屋大学の元教授がいます。きっと彼に頼めば元部下の医局員が色々な病院へ行っているので何とかなるだろうと。

すぐに事情を書いてメールしました。すると何と教授退官後、名古屋市内の立派な大病院の院長になっているそうです。楽勝です! 救急もあるもちろん立派な大病院です。2日後にナースYさんが言われた通り挨拶へ行くと、何と院長、事務長、看護部長と勢ぞろいでビビったそうです。でも、それだけ特別扱いしてもらえるということで、乗り継ぎの関係でかなり夜遅くしか到着しないことも救急外来があるので問題ありません。ここでも、私の人脈が生きました! でないと、引き受けの病院もないというバカな話しでした。

ですから、話は通っているので夜中の救急外来なのに予約済みで、ベッドも準備してもらっています。引継ぎも簡単です。フランスの病院ICUから受け取った書類を全部渡し(看護記録などはフランス語らしく、誰も読めないと思いますが)、無事に任務終了しました。

さすがに疲れました。私は調べて病院に近いホテルを予約しているので、民間救急の車で送ってもらいました。


8月30日(水)
 仕事も終わり、後は福岡へ帰るだけです。幸いホテルには系列の「い~湯」という温浴施設があり、ゆっくり風呂へ入って疲れを取り、いつもの名古屋県営空港からFDA11時35分の便で帰りました。


【後日談】
 無事に終わったので、ICUの全員が読むと分かったメルアド当てに、ICUみなさんのおかげで患者は助かり、無事に日本の病院へ送り届けることができました、と全員を意識してお礼しました。すると、名前も覚えていないたぶん当日に会った背の高い男性医師から以下のような返事が来ました。明らかに、翻訳機能を使ったと思われるので次のような傑作です。


「親愛なるサカモト博士へ

メッセージありがとうございます。返品がうまくいったことを本当に嬉しく思います。あなたが来たときに話したように、この年齢では大動脈峡部破裂から生き残ることは一般的ではないため、これはハッピーエンドの素晴らしい物語です。とても良い一日になりますように。心から。

集中治療チームのレブラット医師 (Dr Albrice LEVRAT)」


これは笑い話で済みますが、次は深刻な話し。

実は、依頼人はいまだに大金の支払いをしてくれません!実際にかかった全ての経費(領収書あり)に医師としての私の報酬、民間救急の経費と利益、全てで630万円程度のはずの請求書です。途中で患者本人が歩けるまで回復したので、契約者が義弟O氏から患者I氏へ正式に文書で書き換えたのが11月20日頃と聞いています。でも、12月4日現在まだ振り込まれたという連絡はありません。確かに大金ですが、約束通り大手の見積もりの半額程度で済みました。

私が立て替えた分がフライト代やホテル代など一番多く、私は512万円くらい請求しています。あまりに大金を立て替えたので、民間救急から300万円だけは9月に受けとっていますが、小企業のナースは資金繰りにも苦労しているはずです。私もまだ212万円を受け取れません。残念ながら、非常識な患者で苦労しています。

だいたいお金は払わないのに、JALのマイレージの登録に必要だから搭乗券を送ってくれだの、日本の保険還付請求のための書類を頼む(知らない人のために、海外で治療を受けた場合は現地で領収書を受け取り、日本の保険に請求すると日本の治療費に換算して3割負担の人だと残りの70%が還付されます)だの順序が違います。先ほども書いたように、なまじっか元気になっていたので我々が何もしてくれなかったと思っているようです。むしろ不満なようです。事前の私の苦労など分かるはずがありません。

この結果を知りたい人は、この後一人で9月に行った、以前から行きたかったイタリア(34回目)の世界遺産、ドロミテ山岳地帯の旅行記、今から書く予定で1ヶ月以内(年末年始まで)に書き上げます。
2023年9月の「イタリアアルプス・ドロミテ山岳地区をゆっくり堪能」を読んで下さい。払ってくれたかどうかはそれまでには分るでしょう。契約はナースの事業所ですから私は待つしかありませんが、結局は簡易裁判所に不払い請求までして差し押さえまでするように言わないと払ってくれない予感がします。


空飛ぶドクター(登録商標)
坂本泰樹

同行者
その他
交通手段
鉄道 タクシー 徒歩 飛行機
航空会社
エールフランス JAL
旅行の手配内容
個別手配

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  • 本来の最初の飛行ルート<br />北西回り

    本来の最初の飛行ルート
    北西回り

  • 急遽、北東回りへ変更!

    急遽、北東回りへ変更!

  • Greenland上空

    Greenland上空

  • 2回行ったことのあるIceland辺り

    2回行ったことのあるIceland辺り

  • ジュネーブ駅周辺

    ジュネーブ駅周辺

  • ジュネーブ駅

    ジュネーブ駅

  • 小雨模様のレマン湖入り口

    小雨模様のレマン湖入り口

  • レマン湖のシンボル、大噴水

    レマン湖のシンボル、大噴水

  • 公園

    公園

  • レマン湖公園にある花時計

    イチオシ

    レマン湖公園にある花時計

  • ジュネーブの街並み

    ジュネーブの街並み

  • ミュージアム

    ミュージアム

  • ジュネーブの公園<br />大きなチェス

    ジュネーブの公園
    大きなチェス

  • サンピエール大聖堂外観

    サンピエール大聖堂外観

  • サンピエール大聖堂

    サンピエール大聖堂

  • サンピエール大聖堂内部

    サンピエール大聖堂内部

  • サンピエール大聖堂のステンドグラス

    サンピエール大聖堂のステンドグラス

  • 国際宗教改革博物館

    国際宗教改革博物館

  • 医療チーム3人で記念写真

    医療チーム3人で記念写真

  • 再度レマン湖の大噴水に戻ると虹が!

    イチオシ

    再度レマン湖の大噴水に戻ると虹が!

  • スイスでは珍しいトイレの落書き!

    スイスでは珍しいトイレの落書き!

  • ジュネーブの街並み

    ジュネーブの街並み

  • 1人9千円程度のディナーのメイン料理(1)

    1人9千円程度のディナーのメイン料理(1)

  • 1人9千円程度のディナーのメイン料理(2)

    1人9千円程度のディナーのメイン料理(2)

  • 1人9千円程度のディナーのメイン料理(3)

    1人9千円程度のディナーのメイン料理(3)

  • ジュネーブ駅 列車の車両<br />車イス、自転車優先車両

    ジュネーブ駅 列車の車両
    車イス、自転車優先車両

  • ジュネーブ駅 列車の車両<br />車イス、自転車優先車両 (内部)

    ジュネーブ駅 列車の車両
    車イス、自転車優先車両 (内部)

  • ジュネーブの田園風景

    ジュネーブの田園風景

  • フランス、アヌシーの病院正面玄関

    フランス、アヌシーの病院正面玄関

  • 初対面の患者さん<br />酸素吸入もなく、ベッドも挙上している<br />もちろん意識清明<br />想像した以上に元気だった

    初対面の患者さん
    酸素吸入もなく、ベッドも挙上している
    もちろん意識清明
    想像した以上に元気だった

  • 広々とした病院の内部

    広々とした病院の内部

  • 一度3人で戻ったアヌシー(フランス)の駅前のオブジェ<br />2人はジュネーブ空港(スイス)近郊のホテルへ戻り、<br />私だけ翌日に備えアヌシーへ残る

    一度3人で戻ったアヌシー(フランス)の駅前のオブジェ
    2人はジュネーブ空港(スイス)近郊のホテルへ戻り、
    私だけ翌日に備えアヌシーへ残る

  • アヌシーの街並み

    アヌシーの街並み

  • アヌシー<br />運河?<br />湖へ繋がっていた

    アヌシー
    運河?
    湖へ繋がっていた

  • アヌシー<br />フランスらしくクレープ屋

    アヌシー
    フランスらしくクレープ屋

  • 湖がアヌシーにもありそう

    湖がアヌシーにもありそう

  • 運河沿いのレストランやお土産屋が並んだ一画

    運河沿いのレストランやお土産屋が並んだ一画

  • アヌシーの夕食

    アヌシーの夕食

  • 隣の家族のチーズフォンデュ(スイス料理)の<br />方が美味しそうだった!<br />

    隣の家族のチーズフォンデュ(スイス料理)の
    方が美味しそうだった!

  • 搬送当日<br />いよいよ仕事の日<br />小雨の中を歩いて病院へ

    搬送当日
    いよいよ仕事の日
    小雨の中を歩いて病院へ

  • ストレッチャーに乗った患者さんを車へ<br />2人の病院職員が付いてくれた

    ストレッチャーに乗った患者さんを車へ
    2人の病院職員が付いてくれた

  • 何とか車イスでパリ行きの機内へ

    何とか車イスでパリ行きの機内へ

  • パリ~羽田直行便のビジネスクラス<br />患者さんは酸素を鼻から吸入している

    パリ~羽田直行便のビジネスクラス
    患者さんは酸素を鼻から吸入している

  • 帰路も東回りだが、ロシアのずっと南側を<br />いわゆる南回りで直行便でも14時間くらいかかる

    帰路も東回りだが、ロシアのずっと南側を
    いわゆる南回りで直行便でも14時間くらいかかる

  • 無事に日本へ帰還

    無事に日本へ帰還

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この旅行記へのコメント (1)

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  • ユーユさん 2023/12/04 15:12:11
    国際患者医療搬送の仕事
    空飛ぶドクターさん

    初めまして。
    こういうお仕事もあるのだなと、興味深く読ませていただきました。

    直接、患者さんに会うまでは状態が分かりませんよね。
    良くなっているのか、急変してまた悪くなっているのか。
    なので、こちら側は万全を期して用意していかれるんだと思います。

    患者さんは、だいぶ回復してきているのでお金を払うのが惜しくなったのでしょう。
    とんでもないですね。
    お金を払いもしないでマイルがどうのとかって大金なのは分かりますけど、何時なら払えますとかだけでも、誠意を見せてほしいですね。


    ユーユ

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