2023/10/19 - 2023/10/19
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hijunoさん
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揚屋だった角屋が美術館として開放されていると聞き、特別公開の期間に見学に行きました。
揚屋は今の料亭のような場所で、当時は文化人も集まるサロンのような役割もあったそうです。
昼間も蝋燭を多く使っていたことから、部屋の襖などの画も煤で黒くなっていますが、与謝蕪村や丸山応挙など著名な文人の画が多く残っていました。
1787年以降の増築により現在のような建物になったそうですが、多くの部屋のそれぞれに細やかな意匠がほどこされ、当時の当主のセンスや職人の建築技術の高さに驚きました。
大宴会のための台所も大きく、お寺の庫裡のような規模でした。
幕末の志士たちの出入りもあり、西郷隆盛や久坂玄瑞、坂本龍馬の密儀も行われたそうです。また新選組の刀傷も残っているように、関わりがありました。
第二次世界大戦で建物が地理的に壊される方向に向かったときも、西郷隆盛が使ったタライを観て、西郷さんが出入りした建物を壊すのはどうか、、、と
なり、その後終戦、建物は無事に守られたそうです。
歴史的な逸話も沢山残っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 自家用車 徒歩
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電車を降りて、歩きます。
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会社の前に可愛い怪獣がいました。
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一日ごとに金木犀が散り、オレンジの地面に。
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すごくお洒落な道しるべです。
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艮立院のお寺の前の言葉、、やさしい笑顔とやさしい言葉、、、
なかなかできないことです。。大切な言葉。 -
福神社。
創建の年月は不明だそうですが、紀貫之を祀っていると聞きました。
歴史のあるお社のようです。 -
島原大門に来ました。
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説明板があります。
島原の名前の由来は色々あるようですが、江戸時代に移転の騒動が島原の乱に似ていることから島原と呼ばれるようになったともいわれています。
1851年には大火があり、ほとんどの建物が消失し、祇園新地のほうにお店が移転するなどし、だんだんとすたれていきました。
現在、華やかだった時代の建物は、揚屋だった角屋、置屋だった輪違屋、そして、この島原大門のみ。 -
イチオシ
島原大門。
東入口にある正門です。
1867年につくられた高麗門式の門。
塀と堀で周囲を囲っていました。 -
見返り柳、、、別れを惜しんだ男の人が振り返ったといわれるあたり。
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説明板もあります。
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イチオシ
すぐ近くに輪違屋があります。
こちらは置屋だったところ。
1957年につくられています。
現在も営業を続けているそうです。
特別公開の期間のみ見学可能。
近藤勇の書や桂小五郎書の掛け軸がある、、とききました。
いつか見学してみたいです。。 -
風情あります。
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輪違屋のマークが見えます。
瓦に高という文字も見えますが、当主の姓が高橋だったからでしょうか。。 -
観覧謝絶とありました。
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数少ない島原の遺構、大切に守られていました。
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近くに温泉もありました。
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新選組の誠、、。
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お店かな、、、こちらも素敵な建物でした。
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こちらは旅館のようで、夕方からカフェやバーになると聞きました。。
時間があえば、行ってみたいです。 -
この付近一帯、江戸時代の風情が残っていました。
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屋根の上に鐘馗さん。(しょうきさん)
魔よけです。京都の町家で良く見かけます。
朝歩きましたが、誰もいなくて、、、静かな京都の街並み、、久しぶりに
こんな雰囲気のところを歩きました。 -
こちらは角屋の屋敷の角にあった石碑と説明板。
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角屋には幕末の志士たちも多く訪れています。
長州藩の久坂玄瑞もそのひとり。
吉田松陰の教を引き継ぎ、尊王攘夷の志士、禁門の変で亡くなります。
その思想や行動力はのちの坂本龍馬や中岡慎太郎にも影響を与えたといわれています。
幕末には久坂玄瑞や西郷隆盛が軍用の資金について豪商らと会談したのが
この角屋です。 -
そして、ここにも新選組、、。
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こちらも角屋の建物近くにある石碑と説明板。
平安京の羅城門北側に朱雀大路をまたいで、東と西に鴻臚館が建てられ、外国からの使節の接待を行っていました。
その後、この地に移されたそうですが、宴会や詩会などが行われたそうですが
主な接待先の渤海国が927年に滅亡してからは鴻臚館も衰退しています。 -
そして、民家の路地を歩いていくと、島原住吉神社があります。
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説明板があります。
住吉屋太兵衛宅に祀られていた住吉大明神で、1732年にこちらに移されました。良縁の御利益があるとのことで信仰を集めていたようです。
廃仏毀釈で廃社になったものの、のちにまた再建されています。
地元に大切にされている神社なのですね。 -
お社。
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境内にある小さな天満宮。
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説明にもありますが、筑紫の大宰府天満宮にならって、鷽替えの神事というのがあったそうですが、今はもうすたれてしまった、、、とあります。
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社務所の窓には島原大門あたりの昔の写真とお祭りのときでしょうか、、
太夫や芸子さんのお写真がみえました。 -
ここには島原西門跡もありました。
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今の大門の位置と西門跡。
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反射して見えにくいですが、地図もありました。
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角屋さんに戻ります。
見学の時間がそろそろです。
整備された路地、歩きやすく、また雰囲気を壊さない建物類の数々。。
静かでした。 -
イチオシ
大きな建物です。
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建物周囲の様子。
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1641年に建てられたとあります。
建物周囲をぐるりとまわってみました。 -
こちらは閉まっている門。
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説明書きがありました。
揚屋はいまでいう料亭、宴会場。
こちらでは多くの有名な人の出入りがあります。
文人たちのサロンのような場所でもあり、また幕末には新選組や尊王攘夷の志士たち。 -
今は、建物が期間限定の角屋もてなし美術館となっています。
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イチオシ
二階は写真撮影が禁止です。
二階の見学が素晴らしかったです。。。
部屋それぞれに当時の最高の技術が施され、そこにいる人々を楽しませる最高の時間を演出したと思われます。
溜息のでるほど美しい部屋ばかりでした。
←のポスターにもありますが、天井の扇にも歌が詠まれていて、一枚一枚異なります。
二階の見学順番は緞子の間→御簾の間→御簾の奥の間→扇の間→草花の間→馬の間→桧垣の間→青貝の間でした。
ガイドツアーです。説明の方がとても細やかに説明してくださり、
部屋の細かな部分まで鑑賞できました。
どの部屋もかつて蝋燭を多く使っていたので、襖は黒くなり、画も見えにくくなっています。天井も真っ黒になっていました。
与謝蕪村や丸山応挙、山田峨山など当時の一流の画がありました。
豪華でした。
また、釘隠しも部屋によって異なり、障子の木組みも組み立てたものではなく、木を掘って造ったものだそうで、その技術も初めてみました。
青貝の間にはお出入り禁止となった新選組が見回りという名目で来て、腹いせに
床の間の立派な柱を刀で切り付けていったそうです。
美しい部屋の柱に痛々しい刀傷がありました。
また、この部屋の窓ガラスも貴重なもの。もう今では手に入らないものでした。 -
お庭の駒札の説明板もありますが、こちらは2階の見学後に鑑賞しました。
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こちらが入口です。赤い壁が綺麗です。
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2階のお部屋の見学を終えて1階の見学です。
ここからはお写真を撮っても良いとのことでした。
揚屋の建物の特徴、饗宴のための施設ですから、台所がとても大きいです。
まさにお寺の庫裡のようでした。
松の間は新選組の芹沢鴨が暗殺される日、宴会を開いていた場所です。
その夜、八木邸の屯所で暗殺されています。
1階では一番大きなお部屋、とても広い部屋でした。 -
江戸時代の絵師、岸駒(がんく)の画がありました。
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窓が多く、明るいです。
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格子の窓がまたおしゃれです。
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イチオシ
幕末の絵師 岸連山によるもの。
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戦後こちらに置かれたようです。
華やか。 -
飾り棚も意匠をこらしています。
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欄間も細かな装飾。
彫の細かいこと。。 -
イチオシ
外の庭は臥龍の松。
そして、この欄間も格子模様。現代的でもあり。
障子も外が眺めるように雪見障子のようになっていました。 -
釘隠し。
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茶室も見えます。
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立派な松でした。
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こちらは布袋の画のついたて。
岸良作。
周りは琉球螺鈿だそうです。 -
こちらは中庭なのですが、玄関から良く見えるように、柱をなくしているそうです。
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玄関のほうからみます。
確かに柱がないので、まっすぐにお庭が見渡せます。 -
どんな灯りになるのでしょう~。
おしゃれです。 -
イチオシ
網代の間。
天井が網代になっています。 -
28畳の広い部屋。
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細かなところにも技術が光ります。
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イチオシ
付け書院の火燈窓。
欄間は網組の障子。 -
鋭い眼の虎がいます。
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飾り棚、金箔のようでした。。。ここも素朴なようで、豪華です。
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こちらも蝋燭で黒ぽくなっているようにみえました。
長谷川等雲作 「唐子の図」 -
こちらも釘隠し。
おめでたい模様だそうです。 -
入口から玄関へ。
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玄関。
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玄関上がってすぐに刀置き。
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刀箪笥というのもあるのですね。。
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神棚があり、
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帳場です。
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広いひろい台所。
揚屋は料亭でしたから、台所も広いです。 -
カマドもたくさん。
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床下収納だそうです。
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梁も立派です。
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見上げてしまいます。
お札が沢山みえました。
大勢の人が働いていたことでしょう~。 -
イチオシ
外からの明かりも取り入れて、機能的だとおもいました。
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この真ん中にあるのはお札入れだそうです。引き出しは火打ち石を入れていたとか。
おしゃれですね~。この木製の仕切りのようなところも、細かな彫。 -
階段だんすもあり、収納も。
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調度品もどれもお洒落心がうかがえるものばかり。
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イチオシ
そして、これは西郷隆盛が使用したといわれるタライです。
幕末には多くの尊王攘夷の志士たちが出入りをしています。
第二次世界大戦の際に地理的に建物を壊す方向に話が向かっていたそうですが、役人がこちらの建物を観て、西郷さんの使ったタライが残っていることを知り、西郷隆盛とも関わりのある建物を壊すのはどうか~となり、
そうこうしているうちに終戦を迎えたという、逸話があります。
西郷さんのタライも角屋の建物を守ったのですね。 -
角屋の家紋の暖簾。
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内側からの門。頑丈な門です。
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台所の外。
大きな樹が二本ありました。 -
門から玄関へ続きます。
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門から入ったところにも新選組の刀傷。
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駕籠もありました。
宴会の送り迎えに使ったものでしょうか。。。
芹沢鴨も暗殺される夜は、角屋で泥酔状態で帰ったそうですから、
駕籠も使ったでしょうか。 -
冷蔵庫もありました。
ひんやりとした冷気があります。 -
宴会用の食材を貯蔵する必要があります。
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外にあった、折りたたみの椅子でしょうか。。
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もう一度、台所に戻り、、台所の灯り。
現代的で、素敵だとおもいました。 -
見学終わりです。
盛大な宴会はもちろん、文化のサロンにもなっていた、豪華な江戸時代の揚屋の様子がよく理解できました。 -
余談ですが、、、
今年の夏は関西では、このカメムシが大発生しました。
我が家の小さなベランダでも、なんと1日10匹も捕獲しました。。
カメムシの集団移動期間は11月くらいまでといいますから、まだまだ
続くのでしょうか~。
秋というのに、異常なくらいの暑さ、、、
いつになったら、この異常気象が終わるのでしょう。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
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