2023/10/26 - 2023/10/26
107位(同エリア10631件中)
松本伸雄さん
北畠氏の後裔が拠った中世城館。
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青森市中世の館でスタンプをいただきました。
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案内所まで来ました。
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城の建っていた位置が中央ではなかったためか、その成立も、廃城へと至る過程も謎に包まれている。
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さあ、スタートです。
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城跡は136.500平方メートルの規模を誇ります。
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城の北側には、陸奥湾西側に抜ける大豆坂街道が走り、東に賀茂神社、西に浪岡八幡宮を配して城の結界としていた。
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猿楽館。能舞台があったかもしれない場所。
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東館。浪岡城が滅ぼされたあと、一時期津軽為信の弟が代官としていた場所とされます。
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浪岡城を築いた浪岡氏は、南北朝時代の南朝方重鎮の北畠親房の後裔と伝わる。
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浪岡氏は南部氏の保護を受けていたが、
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やがて三戸南部氏が北朝方につくと、南朝方の根城南部氏を頼って浪岡に入部した。
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各曲輪は水堀で囲まれていた。水堀の中央部には中土塁が設けられていたため、堀が二重に見える。
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浪岡城は浪岡御所と尊称された中世城館であり、正確な築城年は不明だが、15世紀半ば頃の成立と推定される。
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北館。浪岡城主の家臣たちが住んで、
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武家屋敷をつくっていた場所です。
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板塀で区画された武家屋敷跡。
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北館は最大規模の曲輪です。
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それぞれの区画に井戸が有ります。
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1500年前半の最盛期には、浪岡氏は盛んに京都と交流を持ったり、県内に数々の寺社を建てています。
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当時使っていたものが50000点以上出土しました。
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日本、中国製の椀や皿、刀、農具、下駄、仏像なども出ました。
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城主居館のある内館には、曲輪を登って入る坂虎口がありました。
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1652年に親族間での争いが起こり、勢力が衰えてしまいます。
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浪岡城主が住んでいた本丸のような場所です。
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1578年大浦(津軽)為信に攻められて落城してしまいました。
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以後、400年の間、城跡は畑や水田として使われてきました。
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北畠古城の碑。
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南側は浪岡川が流れています。
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すすきが綺麗です。おわり
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