2023/09/19 - 2023/09/20
9位(同エリア182件中)
ばねおさん
フェルメールを訪ねる旅の2日目、後半はフェルメールの故郷デルフトへ。
ハーグからは電車で10数分の行程。
カードタッチで2.9ユーロだった。
フェルメールが生涯を過ごしたというデルフトはどんなところなのか、フェルメールの足跡をたどりながら歩いてみた。
今回はパリに戻る列車の都合もあり、実質4時間余しかなかったが、市内中心部(旧市街)を回るには十分だった。
とはいえ、振り返ればまだ歩き足りないところがいくつもあった。やはり、入っておけばよかった施設もある。いずれも次回のお楽しみだ。
デルフトは「次回」をすでに考えている。
自分の頭の中にある「いつかまた来るリスト」の上位にランクインだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ハーグからモンドリアン仕様の電車に揺られ、約10分ほどでデルフトに到着。
とても現代的なデザインのデルフト駅。 -
駅を出るとすぐ目の前に運河があって、あちらこちらにゼラニウムが飾られていた。
すでに花は盛りを過ぎてはいたが、この街並みにとてもよく似合っている。 -
運河沿いに走るトラム。
少し時間はかかるが、デン・ハーグとデルフト間もトラムで移動ができる。 -
デルフトもやはり自転車が多い。
-
旧市街へ進んでいくと、絵葉書から切り取ったような風景が現れてきた。
-
運河に架かる橋の上から見える塔は、旧教会 Oude Kerk。
傾いていることでも知られている。
「ピサの斜塔」に例えて「デルフトの斜塔」とも呼ばれているらしい。 -
デルフト市庁舎の横を通ってマルクト広場へ。
向こうに見えるのは、新教会 Nieuwe Kerk。
デルフトには新旧の名前が冠せられた二つの教会があるが、「新」と言っても1381年に始まる歴史を持ち、現在の姿になったのは1655年というのだから少しも新しくはない。もっと以前からある「旧教会 Oude Kerk」 と区別するための名称だ。 -
赤色の配色が印象的な外観の市庁舎(Stadhuis Delft)。
ある解説では「ゴシック様式」、別の案内ではルネサンス様式の建物であるという。 一体どっち?
おそらく、両方が並立しているということではなかろうか。
一般見学はできないが、予約をすればガイド付き内部ツアーがある。
プロテスタントであったフェルメールは、結婚相手に合わせてカトリックへ改宗し、この市役所で婚姻宣言を行なっている。 -
マルクト広場( MARKT ) に面して店舗が並んでいるが、いかにも観光向けではないところが気に入った。
通りがかりのチーズ屋さんのショーウインドウに置かれていた木靴に目が留まり、眺めていたら -
店頭の牛さんと目が合ってしまった。
どうぞ店内に、と言われたような気がして -
誘われるように店内に。
そして、
勧められるままにチーズの試食。
もともとハードタイプのチーズが好き。
たぶん、コンテの次くらいにゴーダチーズ大好き。
というわけで、唐辛子を練り込んだ製品をひとつお買い上げ。
ビールにもワインにも絶対ピッタリだ。 -
会計の際、レジ近くにあった親指ほどもない可愛らしいデルフト焼きも追加。
この時は宿泊したホテルからプレゼントされた中身が同様の物とは知らずにいたので、帰宅してからびっくり。大きさを比べてみたらこちらの方がやや小ぶりだった。
それにしても、まだフェルメールの何も見てないうちに、チーズとデルフト陶器を手にしている自分がいることに、我ながら驚いた。 -
チーズ屋さんにちょっと寄り道をしてしまったが、フェルメール巡りを開始。
まずは、かってアトリエがあった跡地に到着。
現在は、マリア・ファン・イェッセ教会(Maria van Jessekerk)になっているこの場所にフェルメールの自宅兼アトリエがあった。 -
教会の建物の壁面には当時の見取り図が掲示されていた。
2階部分がアトリエとして用いられていたようだ。 -
その先を進むと、新教会の近くに何やらモニュメントらしきものがあった。
「デルフトの心臓」と呼ばれる青色のハート。
デルフト焼き(陶器)のデルフト・ブルーを意味したものか。
あるいは、フェルメール・ブルー(ウルトラマリン・ブルー)とも呼ばれるラピスラズリを表したものか。
それとも両者を合わせて象徴としたものか。
どちらにしてもデルフトには青色が似つかわしい。 -
フェルメールの青色は、天然の鉱物ラピスラズリを原料としたもので、当時としては大変な希少品で金よりも高価であった。
それをどのように入手したのかは謎とされている
そうした貴重な顔料を貴族の衣装ではなく、下女や下働きの衣服の表現に用いたというのが又興味深い。 -
新教会の横にあったこの機械は何かと思ったら、ハンドルを回すと市内の観光地図が出てくる仕掛けになっていた。
-
これが出てきた観光地図。
市街の名所要所が一通り記されている。 -
どこへ行っても街の至る所に花のポットが飾られている。
今でも綺麗だが、季節がもう少し早ければ、さぞかし見事だろう。 -
新教会の前から眺めたマルクト広場。正面に見えるのが先ほど通ってきた市庁舎となる。
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デルフト新教会(Nieuwe Kerk Delft)に入場。
入場料が必要なので新・旧教会の共通チケットを買い求めた。
大人8ユーロ。
カトリックの国フランスでは教会に入るのに入場料を徴収された記憶がないが、それともどこかにあっただろうか? -
新教会の塔の高さは108.75m。
入場料とは別に料金(4ユーロ)を払えば塔に登ることができる。
376段の狭くて古い階段ということで、脚力が必要だ。
但し、当日の気象状況によって制限される。
幸いと言うべきか、この日は風のため中止となっていた。 -
新教会には、オランダ独立の父とも呼ばれている初代の国王ウィレム1世をはじめ、その子孫である現在のオランダ王家に至る関係者が埋葬されている。
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表面がすり減った床の墓標が年月を感じさせる。
日本人的には墓標を踏んで歩くことには抵抗があるが、踏んでいかないと移動ができないほど数が多い。 -
1632年に生まれたフェルメールが洗礼を受けたのもこの教会であった。
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後世に作られたものであろうが、数多くのステンドグラスで教会内は明るい輝きがある。
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新教会を出て、マルクト広場の反対側に沿って歩くとデルフト焼き(デルフト陶器)を扱う店がいくつかあった。
こちらはロイヤルデルフトRoyal Delftの直営店のようだ。
店頭には荷台をデルフト焼き仕様にした自転車が置かれていた。 -
こちらは店頭のベンチと看板。
デルフト焼きの始まりは、16世紀~17世紀初頭のオランダ黄金時代にオランダ東インド会社により中国磁器がオランダに輸入されたことに由来しているそうだ。 -
サイズが合えば、デルフト陶製靴はいかが
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住宅には表示の数字がデルフト焼きのタイル。
思いつく限り使っている感じだ。
西欧にはマイセンやロイヤルコペンハーゲンとか、高価で有名な陶磁器がいくつもあるけれどデルフト陶器には何となく親近感が湧く。 -
フェルメールのいくつかの作品にもデルフト焼き(陶器)は登場している。
「牛乳を注ぐ女」の背景の壁の右下にはデルフト焼きのタイルが貼られていることが分かる。日常の風景の中に、当たり前のように描き込まれている。 -
マルクト広場の先、一階が土産・雑貨品を置いているこちらの店舗の上にはフェルメールの記念プレートが掲示されていた。
-
フェルメールの生家と記されているようだが??
あるいは生家がこの辺りにあったという意味なのか。
一説によると、ここはフェルメールの父親が経営していた店(画商、宿屋・居酒屋)があったところで、フェルメールがが9歳の時に移り住んだと言う。 -
広場を出て少し先を行くと画家ギルドである聖ルカ組合 Sint-Lucas Gilde の再現された建物がある。
ギルドは社会科の教科書に登場するのでご存じの方は多いと思うが、オランダの芸術家のほとんどのギルドには「聖ルカ」の名称が付けられているという。 -
聖ルカの名称はダマスコのヨハネによって聖母の肖像を描いたとされた芸術家の守護聖人ルカに因んでいる。
フェルメールは2回(1回目は組合史上最年少の30歳であった)組合の役員に選ばれたそうなので人望も厚かったであろうことが分かる。 -
旧ギルドの再現された建物は「フェルメールセンターVermeer Centrum Delft」の名称でフェルメールの博物館&土産店のようになっている。
ここには、複製されたフェルメールの全作品37点が展示されているとある。
全作品が一堂に会しているのは世界で唯一ここだけですよ、というのが謳い文句らしい。37という数字は論議の対象になりそうだが、博物館とすれば多いに越したことはないのだろう。
ちなみに、マウリッツハイス美術館の公式見解ではフェルメールの作品数は35ということになっている。 -
旧ギルドのある通り沿いの少し先にフェルメールの生家がある。
-
ここがフェルメールの生家。
現在は店舗・宿泊施設のようになっていた。 -
正面から写真を撮ろうとしたところ、スマホに夢中になっているご婦人が居て動く気配が全くない。
しばらく待ってみたが、やむを得ず顔が下向きになっているのでそのまま撮影。 -
生家の前の運河と通りは静かで行き交う人も少ないが、観光のハイシーズンにはどうなのだろうか?
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運河に架かる橋はどれも構造が同じようで、いずれも似たように見える。
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この時期特有の現象なのだろうか、それとも夏の暑さが原因だったのだろうか運河が緑色の薄い藻のようなものに覆われている場所がいくつもあった。
それでもその中を鴨が数羽泳いでいた。 -
こちらの鴨さんは水辺に佇み、緑の水面を眺めていた。
入ろうか入るまいか少々思いあぐねている様子だ。
分かるよ、その気持ち。 -
フェルメールの『小路』のモデルになった場所に来てみた。
Vlamingstraat 40 - 42番地。
長い間、絵のモデルの場所があれこれ推測されてきたが、信頼できる研究によって場所が特定されたものであるという。
右側の家にはフェルメールの叔母が住んでいた事実も判明している。
以前は、フェルメールの作品の舞台であることを示す表示があったということだが、数年前に改築された後は何も無くなったそうだ。 -
少々、歩き疲れ、喉も渇いたので旧教会に行く前に小休止をしようと、マルクト広場に向かった。
カフェやレストランは街のあちらこちらにある訳ではなく、広場と周辺に限られるようだ。 -
広場の一軒の店の横手ににあったポスターを見てびっくり。
「牛乳を注ぐ女」の別バージョン、「生地を注ぐ女」があった。
日本だったら絶対、「フェルメール焼き」とでも名付けて温泉まんじゅうのように売り出すだろうな。 -
オランダではアップルパイが名物らしい。
ところが入店しようとしたら、いずれも売り切れであるというので3店目でようやく出会うことが出来た。
それも、どう見てもアップルパイとは結びつきそうもない店にだ。 -
出てきたのは冷製ではなく、温かいアップルケーキ。
ホクホクしていてリンゴの他に木の実がぎっしりと詰まってボリュームがある。
本当は冷製の方が好みだけど、ホイップクリームが添えられてこれはなかなか美味しい。 -
アップルパイに満足したあとは旧教会に向かった。
旧教会近くの運河にかかる橋から眺めると、塔の傾きはさらにはっきりと分かる。塔の高さは75 メートル、鉛直に対して約 2 メートルの開きがある。
もともとは運河であった場所を埋め立てて建設を開始したが、地盤が軟弱なため建物は沈下し、傾きが生じたという。
倒壊の恐れがあるので1840年代には取り壊しも検討されたというが、現状で維持が出来ていてこれ以上の傾きは生じないという。
何をもってこれ以上傾かないと言えるのかは分からないが、傾いている方には誰も住みたいとは思わないだろう。 -
旧教会 OUDE KERK に入場。
教会の解説によれば、旧教会の歴史は1246 年に遡り、1350年に塔が完成している。旧教会は、デルフトの名前の由来となった「運河」を意味する古語「デルフ」の真上に建てられていた。次いで1325 年に教会に塔を建てようとした時に、そのためのスペースがないためやむを得ず運河の一部を埋め立てた云々とある。 -
教会内にあるフェルメールのお墓。
1675年12月15日死去、43歳であった。
死後に残されたのは、妻と11人の子供(内8人が未成年)、そして多額の負債。
長年にわたってパン代の支払いも滞っていたため、妻は『手紙を書く女』と『ギターを弾く女』の二作品をパン屋に渡すなどしたが、結局、自己破産せざるを得なくなった。 -
周囲にはフェルメールの墓所を案内するかのように、イーゼルやら作品を写しとった展示物が置かれていた。
-
教会内にはもう一つフェルメールの関連場所があった。
2007年に設けられた記念碑で、こちらの方が墓所らしさがあるので間違えやすい。図柄は聖ルカ組合の紋章のようだ。 -
旧教会を出て、しばらく行った先にあるプリンセンホフ博物館( Museum Prinsenhof Delft )
オランダ建国の父オラニエ公ウィレム1世は、1584 年にこの場所で暗殺された。 -
プリンセンホフ博物館の入り口。
興味はあるが、見学するには時間が中途半端なので入場を見送った。 -
博物館に隣接する庭園に立つウィレムI世の銅像。
立像と反対向きに座っていた猫さんがいた。
たまたま一部始終を目撃していたのだが、通りすがりの男性がちょっかいを出したら爪を立てられたらしい。
男性は怒って指を立てて猫に文句を言っていたが当の猫は知らん顔。 -
男性から文句を言われても一向に動ぜず、なかなか度胸の座った面構えだ。
-
パリに戻るタリスの時刻もあるので、デルフト駅に向かう。
振り返った先に見える風車は一階で小麦粉を販売しているとのこと。
実際に風車で製粉しているものかは不明だが、面白そうだ。 -
現代的なデルフト駅の隣には旧駅舎が保存されている。
味わいのある姿だが すでに駅としては機能していない。 -
アムステルダム行きのホームに降りる途中に見えた広大な自転車置き場。
デルフトには大学もあるので、一層自転車が多いらしい。 -
デルフトからアムステルダムまでの途中の停車駅「ハールレムHaarlem」。
ニューヨークのハーレムの由来となった古都ということで、次回はここもぜひ訪れてみたい。 -
アムステルダム中央駅16番線ホーム。
18:11発のパリ行きタリス(THALYS ) 9382号が入ってきた。パリ北駅着は21:39。
実は、タリスはユーロスターと統合され、間もなくその名称が無くなる。
ということで、これが自分にとっては最後のTHALYS 利用の旅ともなった。
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この旅行記へのコメント (2)
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- yunさん 2023/10/07 17:26:11
- the Netherlands
- デルフト旧市街 静かな雰囲気がいいですね。
手回しで観光地図とは、とても楽しいアイデア。
オランダ3編 行ったり来たり拝見しました。
奇しくも2024/1月オランダ訪問希望で、あれこれ調べておりました。
立ち寄り先に冬季閉鎖の情報あり、計画を断念した矢先だったので、おめめキラキラ・関心いっぱいで拝見した次第です。
アムステルダムのホテル候補をマーキング済だったのですが、なんとばねおさんのお座布団追加ホテルと見事に一致! 思わずワォ(アムスのホテルは冬でも高単価でした)
遠き昔の訪問で、美術館も一通り巡ったはずが、ほとんど記憶にないのです。
フェルメール『デルフト眺望』だけ覚えているのは何故?
デルフト市庁舎前での記念写真や、絵付け体験したデルフトタイルが我が家に存在するので訪問は幻ではないのだけど。
いつになるか…、もう一度しっかり・じっくり訪れたいオランダ。
ばねおさんのデルフト再訪記を楽しみにしています。
恥ずかしながら…
フェルメールが多額の負債を残して亡くなった事、初めて知りました。
タリスとユーロスター統合も知りませんでした。
車体の赤は存続するのかな~
やっと秋風吹き始めた東京より yun
- ばねおさん からの返信 2023/10/08 02:37:17
- Re: the Netherlands
- yunさん こんにちは
自分で足を運んでいないので確かではありませんが、「デルフト眺望」を描いた場所は、絵付け体験などを行っているロイヤルデルフト博物館の方ではなかったでしょうか。
フェルメールは亡くなる数年前には家や店を手放し、経済的にはかなり逼迫していたようです。英蘭戦争や、フランスの侵攻によって経済的基盤が崩れ、援助をしてくれたパトロンや義母が相次いで亡くなってこともあって立ち行かなくなったのでしょう。
謎の多い人生だった故に、想像力をかき立てられます。
座布団追加ホテルが旅行計画の利用候補になっていたということで思い出しましたが、南仏のマントンではyunさんと同じホテルを後追いのように利用しました。
今月は下旬に英国へ行く予定を立てているのですが、目的は二つ、ロンドンのナショナルギャラリーとコッツウオルズです。
ご承知のようにコッツウオルズは車でないと不便ということで、バスツアー嫌いの私は個人ツアーを数カ所当たったのですが、いずれも日程が合わず、このままいくとナショナルギャラリーを日帰りで行っておしまいという可能性大です。
こうなると完全にyunさんの後追い旅行ですね。
パリ- ロンドン旅行記、大いに参考にさせていただきます。
ばねお
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