2023/09/08 - 2023/09/10
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tomochanさん
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今回の旅行は、フェリーで徳島港に入り、マイカーで高知県中土佐町から、足摺岬がある土佐清水市まで南下し、その後、愛媛県宇和島市まで北上した後、東進して梼原町を観光して戻るルートです。道中、四国88か所の37番札所「岩本寺」から、40番札所「観自在寺」までの4か所で御朱印をいただきました。足摺岬方面は、初めて訪れる場所だったので、とても楽しく回ることができました。2泊3日の旅行の2日目は、四万十市中村から足摺岬まで南進し、その後、四国の西側を北進して宇和島市までのドライブとなります。表紙は、ジョン万次郎です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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2日目の朝です。ホテルで朝食を食べたのち、四万十市役所の駐車場に来ました。市役所の駐車場は、夜間や休日も無料で開放していると教えてもらい、街中を散策するのにちょうどいいと考えてマイカーを駐車しました。
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駐車場から歩いて5分程度の場所に「一條神社」があります。「天神橋商店街」のアーケードの傍です。
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四万十市中村は、応仁2年(1468年)、関白一條教房公が応仁の乱の戦火を避けるために移り住み、それ以降、一條家が京都の文化を取り入れ、経済が発展した町とのことです。
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一の鳥居をくぐり、神社の石段を上っていくと、中間あたりに「御化粧の井戸」という場所がありました。
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一條家の女官や侍女が、お化粧のために使用した井戸だと伝えられているそうです。
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小高い丘の頂上に「一條神社」はありました。
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一條神社は、文久2年(1862年)、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されたものです。
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御祭神は、一条教房の父である兼良、教房、その子孫等です。
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神社を出て、いかだ羊羹や最中が有名な和菓子屋「右城松風堂(うしろしょうふうどう)」に立ち寄り、お土産を買いました。
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幡多総合庁舎前に、四万十川から引き込んだ「四万十川の水」のモニュメントがあります。清流を大切にしていることが感じ取れます。
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中村の散策を終えて、四万十市間崎地区にある、「大文字の送り火」が行われる場所に移動しました。旧暦の7月16日に、大の字形に松明を置いて火をつける行事を行う場所です。
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一條教房の息子である房家が、教房と祖父兼良の精霊を慰め、また、京都を懐かしんで始めたものだそうです。全国で、京都と中村だけで行われている行事です。
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間崎地区を出発して、1時間弱で、土佐清水市の「足摺岬」駐車場に到着しました。
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こちらは、駐車場の近くにある「ジョン万次郎」の銅像です。
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駐車場にマイカーを止め、まず、四国88か所 第38番札所「金剛福寺」にお参りすることにしました。
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境内には、弘法大師がウミガメに乗った伝説からか、亀に関するものが置かれています。
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金剛福寺の本堂です。お参りを済ませた後、足摺岬に行くことにしました。
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駐車場の近くにある「足摺岬観光案内所」に立ち寄り、観光のコースを教えてもらいました。最初に「展望台」に来ました。
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展望台から見た足摺岬灯台です。
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左方向には、太平洋に突き出ている「天狗の鼻」が見えます。
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灯台に向けて歩いていると、椿の木のトンネルがあります。
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展望台から5分程歩くと、足摺岬灯台に到着しました。
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足摺岬の遊歩道沿いには、「足摺の七不思議」と呼ばれているものが点在しています。これは「大師の爪書き石」で、弘法大師が爪で「南無阿弥陀仏」の六字を彫ったとのことですが、よくわかりませんでした。
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これは、「亀呼場」です。弘法大師が、この場所から亀を呼び、亀の背中に乗って前方の不動岩に渡ったと伝えられています。この場所で海に向かって「お亀さーん」と呼ぶと、大海亀が海面に浮かんで来るそうです。
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これは「大師一夜建立ならずの華表(とりい)」です。弘法大師が一夜で鳥居を建てようとしたが、天邪鬼が夜中に鶏の鳴き声を真似したので、石工が夜が明けたと思い、仕事をやめたので完成しなかったといわれています。石の土台や石柱が数本横たわっています。
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これは「ゆるぎ石」です。この大石の上に小石を置き、親孝行者がこの大石を動かすと小石が落ち、親不孝者が揺らしても小石は落ちない、と言われているそうです。不思議ですね・・信じましょう。
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次に、「ジョン万次郎資料館」に行きました。足摺岬からはマイカーで約30分で到着です。
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現在の高知県土佐清水市中浜の貧しい漁師の家に生まれ、幕末に英語の通訳として活躍した、ジョン万次郎の波乱万丈の生涯が紹介されています。
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万次郎は、14歳の時に仲間と共に漁に出て遭難し、その後無人島に漂着して143日間生き延びた。その後、アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに渡った人物です。
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高知県では、ジョン万次郎を主人公にした、NHK「大河ドラマ」の実現に向けた活動に力が入れられていました。こちらはジョン万次郎の生家の模型です。
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資料館の近くには、ジョン万次郎漂流150周年を記念して作られた「万次郎と仲間たちの群像」と題する、迫力満点の銅像があります。
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この群像は、ジョン万次郎が仲間4人と共に漁に出て漂流し、流れ着いた無人島「鳥島」での様子を表したものだそうです。
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次に、竜串海岸に来ました。
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海岸の岩が波によって削られ、串のような面白い形になっています。
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串と串の間は、人が歩きやすいように部分的に整備されている箇所があります。
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向こうに見えているのは、「足摺海底館」です。
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竜串海岸から約50分移動して、高知県宿毛市にある、四国88か所 第39番札所「延光寺」に着きました。高知県最後の札所です。
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延光寺は、かつて「宝光寺」と呼ばれていたそうです。平安中期の延喜11年(911年)頃、寺の池に住んでいた赤亀が姿を消し、竜宮より銅の梵鐘を背負って帰ってきたことから、現在の「赤亀山 寺山院 延光寺」に改めたという由来があります。
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本堂です。私が到着したときは、数人の参拝者がいただけでゆっくりと見学できましたが、巡礼の方々が団体で来られたので、次の40番札所に進むことにしました。
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愛媛県愛南町にある、四国88か所 第40番札所「観自在寺」に着きました。徳島県鳴門市にある、第1番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」から最も距離が離れている札所です。
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境内にある「栄かえる」という蛙の像です。「親・子・孫と三代さかえる」「お金がかえる」「福がかえる」等のご利益があるといわれているようです。
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本殿にお参りしました。今回の四国88か所遍路は、観自在寺で終了です。
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次に、同じ愛南町にある「紫電改(しでんかい)展示館」に来ました。入館は無料です。
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第二次世界大戦で開発された戦闘機「紫電改」は、昭和53年11月、愛媛県南宇和郡城辺町久良湾の海底40mに原型のまま沈んでいるのが発見され、昭和54年7月14日に引き揚げられました。
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引き揚げられた紫電改は、旧海軍343航空隊(剣部隊)所属で、終戦間近い昭和20年(1945年)7月24日、豊後水道上空で米軍機と交戦し、未帰還の6機の中の1機だといわれているそうです。
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世界に4機しか現存せず、日本にある唯一の1機がここに展示されています。
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紫電改展示館の後ろの方に立っている「宇和海展望タワー」は、耐震に問題があるため、2019年7月9日から運行を休止しているそうです。
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紫電改展示館の見学を終え、午後5時30分、宇和島市にある「宇和島城」に到着しました。
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お城の天守は、午後5時で閉まってしまうため、中には入れませんが、門が閉まる午後6時30分までは時間があるので、本丸天守がある場所まで登ることにしました。
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途中にある「井戸丸」です。お城にとって、とても貴重な井戸です。
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お城が見えてきました。
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宇和島城は、現存12天守(江戸時代以前に創建され、現在まで残っている天守)のひとつです。築城名手と言われる藤堂高虎によって築城されました。
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夕日を浴びている姿はとても美しく感じました。
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この日は、宇和島市に宿泊します。
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