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 甲州街道歩き二回目、前回終了の四谷から新宿迄歩きます。<br />当初は高井戸迄歩く予定でしたが、途中近くの名所旧跡にも立寄り歩数が増え、新宿で打ち切りました。<br />都心ですが私の知らない旧跡が多く社会見聞を増やす事が出来ました。<br />では出発します。<br /><br />    表紙は江戸から続く新宿追分だんご店

甲州街道を歩く(四谷~新宿)

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2023/07/03 - 2023/07/03

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愛吉

愛吉さん

 甲州街道歩き二回目、前回終了の四谷から新宿迄歩きます。
当初は高井戸迄歩く予定でしたが、途中近くの名所旧跡にも立寄り歩数が増え、新宿で打ち切りました。
都心ですが私の知らない旧跡が多く社会見聞を増やす事が出来ました。
では出発します。

    表紙は江戸から続く新宿追分だんご店

同行者
友人
交通手段
JRローカル

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  •  7月3日午前10時、前回の終着駅JR四ツ谷駅に集合。

    7月3日午前10時、前回の終着駅JR四ツ谷駅に集合。

  •  駅前にあるモニュメント。

     駅前にあるモニュメント。

  •  四ツ谷駅は江戸城外堀の縁にあり、改札を出ると、そこは江戸城四谷門跡。<br />石垣だけがが残ります。

     四ツ谷駅は江戸城外堀の縁にあり、改札を出ると、そこは江戸城四谷門跡。
    石垣だけがが残ります。

  •  案内板。

     案内板。

  •  甲州街道(新宿通り)を進み、左に折れてちょっと寄り道。<br />家康の家臣、服部半蔵が建てた西念寺、半蔵の墓と家康の長男信康の供養塔が有ります。<br />

     甲州街道(新宿通り)を進み、左に折れてちょっと寄り道。
    家康の家臣、服部半蔵が建てた西念寺、半蔵の墓と家康の長男信康の供養塔が有ります。

  •  服部半蔵の墓。<br />忍者の親分、江戸城半蔵門の警備責任者。

     服部半蔵の墓。
    忍者の親分、江戸城半蔵門の警備責任者。

  •  傍に建つ案内板。

     傍に建つ案内板。

  •  家康長男信康の供養墓。

     家康長男信康の供養墓。

  •  案内板。<br />信康切腹の折、介錯を命ぜられますが、その場に及び、主君の首は切れないと、急遽交代しました。

     案内板。
    信康切腹の折、介錯を命ぜられますが、その場に及び、主君の首は切れないと、急遽交代しました。

  •  裏道には古寺が続き。

     裏道には古寺が続き。

  •  そして愛染院。<br />弘法大師の開山と伝わる古寺。

     そして愛染院。
    弘法大師の開山と伝わる古寺。

  •  境内には古寺を思わせる石仏が有ります。<br />塙保己一の墓があるそうなので探しましたが見つかりませんでした。

     境内には古寺を思わせる石仏が有ります。
    塙保己一の墓があるそうなので探しましたが見つかりませんでした。

  •  向かいは東福院、境内に豆腐地蔵、左手が無い地蔵尊。<br />言い伝えによると、昔この寺の近くに豆腐屋が有り、あこぎな商売をしていました。<br />そこに毎晩小僧さんが豆腐を買いに来ますが、支払った代金が翌朝には木の葉に変わっています、そこで豆腐屋がある晩跡をつけ後ろから左手に切りつけ切り落とします。<br /> 翌朝血の跡を辿るとこの地蔵に行き当たります、左手が有りません。<br />そこで地蔵が私を諫めたのだと悟り、その後は正直な商売に戻ったそうです。

     向かいは東福院、境内に豆腐地蔵、左手が無い地蔵尊。
    言い伝えによると、昔この寺の近くに豆腐屋が有り、あこぎな商売をしていました。
    そこに毎晩小僧さんが豆腐を買いに来ますが、支払った代金が翌朝には木の葉に変わっています、そこで豆腐屋がある晩跡をつけ後ろから左手に切りつけ切り落とします。
     翌朝血の跡を辿るとこの地蔵に行き当たります、左手が有りません。
    そこで地蔵が私を諫めたのだと悟り、その後は正直な商売に戻ったそうです。

  •  次は階段を登り須賀神社へ。

     次は階段を登り須賀神社へ。

  •  四谷の総鎮守です。

     四谷の総鎮守です。

  •  火消く組が奉納した梯子と半鐘が在りました。

     火消く組が奉納した梯子と半鐘が在りました。

  •  奥に祖霊社。

     奥に祖霊社。

  •  路地を辿り田宮稲荷神社。<br />江戸時代後期の歌舞伎演目、東海道四谷怪談のお岩さんが住んで居た田宮家の屋敷神がスタート。<br /> 明治12年の大火により移転しますが、戦後の昭和27年復活しました。

     路地を辿り田宮稲荷神社。
    江戸時代後期の歌舞伎演目、東海道四谷怪談のお岩さんが住んで居た田宮家の屋敷神がスタート。
     明治12年の大火により移転しますが、戦後の昭和27年復活しました。

  •  田宮稲荷の向かいに陽運寺。<br />水戸のお寺の上人が、歌舞伎代表演目四谷怪談の地元からお岩稲荷が消滅したのを愁い、昭和の初めに創建しました。<br /> 現在は向い合って実在のお岩さんと歌舞伎四谷怪談のお岩さん新旧両立です。<br />

     田宮稲荷の向かいに陽運寺。
    水戸のお寺の上人が、歌舞伎代表演目四谷怪談の地元からお岩稲荷が消滅したのを愁い、昭和の初めに創建しました。
     現在は向い合って実在のお岩さんと歌舞伎四谷怪談のお岩さん新旧両立です。

  •  境内風景。

     境内風景。

  •  ヒュードロドロドロ。 <br />歌舞伎では井戸からお岩さんの幽霊が出て来るのです。

     ヒュードロドロドロ。 
    歌舞伎では井戸からお岩さんの幽霊が出て来るのです。

  •  ようやく街道に戻り新宿に向うと道の脇に立札が。<br />玉川上水の終点、水番所跡と四谷大木戸址碑です、碑の他何もありません。<br />

     ようやく街道に戻り新宿に向うと道の脇に立札が。
    玉川上水の終点、水番所跡と四谷大木戸址碑です、碑の他何もありません。

  •  そこから少し歩いて新宿太宗寺に到着、ここが内藤新宿の中心,中宿。<br />文化5年(1808)の記録によると、新宿の規模は本陣1軒、旅籠50軒、引手茶屋80軒、総戸数700軒の記録が残ります。<br /> 奥に写る赤い建物は焔魔堂。

     そこから少し歩いて新宿太宗寺に到着、ここが内藤新宿の中心,中宿。
    文化5年(1808)の記録によると、新宿の規模は本陣1軒、旅籠50軒、引手茶屋80軒、総戸数700軒の記録が残ります。
     奥に写る赤い建物は焔魔堂。

  •  入口には街道を見守る江戸六地蔵の一つが鎮座。<br />甲州街道と青梅街道を見守るべく1712年に建立されたお地蔵様。<br />私達も道中の恙なき事を祈ります。

     入口には街道を見守る江戸六地蔵の一つが鎮座。
    甲州街道と青梅街道を見守るべく1712年に建立されたお地蔵様。
    私達も道中の恙なき事を祈ります。

  •  焔魔堂の閻魔様。<br />後方には舌を抜く”かなてこ”が用意されています。

     焔魔堂の閻魔様。
    後方には舌を抜く”かなてこ”が用意されています。

  •  塩掛け地蔵。<br />願をかけ、地蔵に詣り、塩の欠片を頂戴し、家での食事に用います。<br />願いが叶ったら、お礼に塩を振り掛けます。<br /> 前回より塩の量が増えていますね。

     塩掛け地蔵。
    願をかけ、地蔵に詣り、塩の欠片を頂戴し、家での食事に用います。
    願いが叶ったら、お礼に塩を振り掛けます。
     前回より塩の量が増えていますね。

  •  不動堂内部。<br />奥に三日月不動尊、手前は山の手七福神、布袋尊です。

     不動堂内部。
    奥に三日月不動尊、手前は山の手七福神、布袋尊です。

  •  墓地の奥には信州高遠藩、内藤正勝の墓。

     墓地の奥には信州高遠藩、内藤正勝の墓。

  •  切支丹灯篭。

     切支丹灯篭。

  •  説明板。

     説明板。

  •  中宿を過ぎると上宿、新宿追分となります。<br />伊勢丹前の十字路が甲州街道と青梅街道の別れ道、追分です。<br />甲州街道は左に曲がり、青梅街道は真直ぐ(現新宿本通)進みます。

     中宿を過ぎると上宿、新宿追分となります。
    伊勢丹前の十字路が甲州街道と青梅街道の別れ道、追分です。
    甲州街道は左に曲がり、青梅街道は真直ぐ(現新宿本通)進みます。

  •  角に新宿道路元標が有ります。

     角に新宿道路元標が有ります。

  •  江戸から続く追分だんご屋。

     江戸から続く追分だんご屋。

  •  甲州街道に曲がると、すぐに天龍寺が有ります。

     甲州街道に曲がると、すぐに天龍寺が有ります。

  •  天龍寺 時の鐘。<br />江戸時代、内藤新宿に時を知らせた時の鐘。

     天龍寺 時の鐘。
    江戸時代、内藤新宿に時を知らせた時の鐘。

  •  時の鐘についての説明板。<br />当時江戸在住の武士は原則外泊禁止。<br />外泊の判断は明け六つに自宅にいるか居ないかです、よって岡場所である新宿では、時の鐘を実際より早くならす事により、新宿大木戸に駆け戻る時間を稼ぎました。<br />今の時間に直すと20分程早かったようです。<br />宿場の中心は太宗寺、大木戸迄は走れば5~6分です。<br /> 今回の街道歩き、寄道が多く距離と時間を費やし疲れました、新宿で打切ります。<br /> 次回は8月末頃の予定です。<br />                  終<br />

     時の鐘についての説明板。
    当時江戸在住の武士は原則外泊禁止。
    外泊の判断は明け六つに自宅にいるか居ないかです、よって岡場所である新宿では、時の鐘を実際より早くならす事により、新宿大木戸に駆け戻る時間を稼ぎました。
    今の時間に直すと20分程早かったようです。
    宿場の中心は太宗寺、大木戸迄は走れば5~6分です。
     今回の街道歩き、寄道が多く距離と時間を費やし疲れました、新宿で打切ります。
     次回は8月末頃の予定です。
                      終

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