2023/04/28 - 2023/04/28
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ソウルの旅人さん
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最後のドライブ地として「江戸時代の鯖街道である針畑越え」を選んだ。
その2は針畑道の実際の姿を紹介する。タイトル写真はその最高地である『おにゅう峠』からの景観。遥かに日本海を望む。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
-
江戸時代の旧鯖街道は小浜から遠敷川に沿って南行し、深い山中を通って京都に向かう。遠敷川の最下流から遡行する。
最初にあるのが若狭姫神社(別名:遠敷神社)である。
遠敷神社が東大寺二月堂の奥に祀られているように、ここは奈良時代からの歴史と伝統をもっている。否、もっと以前の古代から開けた古い古い土地である。 -
姫神社の象徴である大杉の迫力はいつ見ても凄い。
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遠敷川に沿って少し上流に上がると、若狭彦神社がある。名前の通りここは姫神社の兄妹神であろう。同族が作った神社である。
この神社は参道の杜が素晴らしい。歩く価値あり。 -
神社本殿
残念ながら屋根の損傷激しく、修復がされていない。
ここ数年荒れた姿の儘である。 -
若狭神宮寺
彦神社より少し南にある。ここは想い出が尽きない場所だ。
特に『お水送り神事』の神秘体験は忘れ難い。(従前の鯖街道の旅行記参照ください。)
あの夜は漆黒の闇だった。本日は新緑に彩られ光が溢れていた。 -
奈良東大寺二月堂には若狭井がある。この井戸から汲み上げた水を十一面観音に御供えするのが『お水取り』である。その若狭井に水を送る行事が『お水送り神事』である。神宮寺から鵜の瀬に向かって進んで行った数百メートルに及ぶ松明の光は夢か幻を見ているようだった。今でも鮮明に頭の中に浮ぶ。
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垣根越しの本堂
時間がないので本日は入山せず。 -
鵜の瀬 白石大明神
神宮寺より500㍍上流になる。
何回来ただろうか?覚える事も出来ない程の回数である。
今日は訪問者が一人もなく、我々だけでゆっくりと周囲を見ながら焼鯖鮨の昼食が出来ると思っていた。 -
しかし、そんな勝手な思惑は外れる。
高校生の課外行事があって、大勢の学生が喚声を上げて遊び回っていた。
食事をする場所もない。
もう一度神秘の遠敷川を感じたい希望は難しいか。 -
鵜の瀬の『お水送り神事』は凄かった。
雪解水にて増水した遠敷川はゴーゴーと大音量で流れ、法螺貝が鳴り響き、大護摩と松明と薪の火に囲まれて夢幻の世界をさまよった。 -
鵜の瀬にてゆっくりしたかったが、これからの針畑越えは不明箇所が多く、何時間かかるか不明である。早く出発する必要がある。
12時半頃に高校生達が帰りだした。
もう一度鵜の瀬を脳裏に焼き付けておきたい。 -
遠敷川が大巖にぶつかって左に曲がり、そこに深い淀みが出来る。
この淀みが鵜の瀬である。
神秘的な碧色に輝く川面は神の降臨を感じさせる。 -
鵜の瀬にある白石神社
雪囲いの板塀に囲まれているので、何の変哲もない倉庫にみえるが、囲いの中には小さな祠がある。
椿の大木に護られ、周辺は苔生す。 -
白石大明神
いつの頃かは判らないが、恐らく2000年近い遠い昔、この地に入植した韓半島渡来の人々が祀った神である。
遙かなる古代を今に伝える貴重な祠である。若狭彦神社・姫神社はこの神が成長した姿である。 -
白石大明神を守護する大椿。
この神社の周りには樹齢数百年を数える大きな椿の林が形成されている。
これだけの大木になった椿は他所では見たことが無い。花が咲いている姿が見たくて、花の時期に合わせて何度も来たが、遂に見ることが叶わなかった。最早、花を咲かせない樹齢になったのか・・・・。
二月堂の『お水取り』では椿が大きな役割を果たしていることが思い出される。 -
白石大明神の右前方にある椿の根方
日光を遮蔽する力が強い椿の葉は周辺の地面を潤わせる。
従って、神社廻りの地面は苔に覆われ、古代の息吹きを感じる。 -
この辺りの地名が根来・白石であることに注意したい。
これで鵜の瀬ともお別れ。
ここからが江戸時代の鯖街道である。
悪天候時は通行止めと注意書きあり。本当に京都まで届く街道が続いているのか心配になる。
いざ、出発。時刻は午後1時ジャスト。 -
5分程走ると根来の集落に着く。
遠敷川最奥の村落である。『お水送り神事』がここから始まるように、この集落が根来氏族の出発点だったのだろう。
藤の花が咲いて初夏の香りが漂う平和な山里である。 -
寺院があるかなりの規模の集落である。
だが、いつ訪問しても住民に逢ったことが無い。本日も人の顔をみることはなかった。 -
根来から山中に続く道。
これから先は行ったことが無い。ここからが本当の意味の針畑越えである。
私の車にはこの先はナビには道として記載されていない。ナビではどこを走っているかを確認不可である。
正式名称は福井県道35号線(久坂中畑小浜線)となっている。
良好な道路にみえる。これまで一台の車さえ擦れ違っていない。対向車がないと、この先には何も無いようで、不安になる。 -
杉の植林がある。
どこに配電するのか電柱もあり、道幅も広く、舗装も整って困難な道路ではない。
順調にドライブは進行する。 -
暫く走ると現れた家屋?
最近になってうち捨てられた廃屋に見える。 -
一本道なのでとにかく道なりに進行するだけ。迷うことはない。
廃屋らしき納屋とその前に建てられている【小浜=京都】の標識。
風雨に晒されて文字が見え難くなっているが、ここが鯖街道であることを示している。横には少し前に建てたらしい幟もあった。 -
根来集落から20分程度走った頃である。
3~4軒の住居があった。 -
地名は上根来。根来古道と書いてある。
鵜の瀬が下根来、そして根来集落があり、ここが上根来なのだろう。
生活の糧があるようには見えないが、ここで日常生活を送っている人の住居である。しかし、人の気配は無かった。
鵜の瀬を出発してから、誰一人も会っていない。 -
予測どおりずっと上り勾配のきつい道だった。
標高が高くなり周囲の山が少し見えて来た。
同時にこの辺りから急坂になり、きついカーブが連続する七曲の山道になった。 -
ここまで対向車は一台も無し。しかし、カーブが続き、道幅は擦れ違い出来ない狭さで且つカーブミラーもなし。緊張の連続だった。
周囲は新緑に光り輝く世界である。だが誰にも逢わず、自分たちだけが存在するようで、何だか淋しく心細い。 -
立派な石の標識があった。根来坂(針畑越え)と書いてある。
この上り坂を根来坂と呼ぶのか?
江戸時代の若狭人はこの根来坂を登っていったのだろう。
車でもきついこの道を重たい荷物をもって歩くのは想像を絶する重労働に思える。
奥の細道を読むと芭蕉でさえ一日に50㎞~70㎞歩いている。恐らく江戸時代の人は我々より遥かに強靱な足腰だった。 -
この辺りから急激に急斜面となる。道幅が狭まり路面は悪く、落石の小石が道全体に散らばっている。
-
落石多し。
落石の小石が道幅全体に散らばって、小石を踏んで行かざるを得ない。
運転には細心の注意を払った。 -
車輌の通交が極端に少ないのであろう。道はしっかりしているが、砂利道のように落石がばらまかれている。左斜面から小さな落石があった。
「大きな落石があったら逃げられない。」と助手席の連れが言う。
めったにないことだが、本気で落石の心配をした。 -
【小浜=京都】の木製標示板があった。
思った以上に古道はしっかりと管理されているようだ。 -
周囲の山々を見晴らせる処まで上ってきた。
細い山道だが、ドライブに大きな支障はなかった。
何度も繰り返すが新緑の山々は素晴らしい。 -
左側の斜面から落石があるようで・・・。
空が大きく見える。最後の上りか。 -
おにゅう峠に到着した。
名前だけは地図に記載されているが、実際にどんな場所なのかは皆目知らず、『おにゅう』の名前から山中の峠を予想していた。 -
峠には避難小屋めいた小さな木造小屋があった。
-
今まで要所に建てられていた【小浜=京都】の標識が建っていた。
ここは古道鯖街道の最高地点である。 -
そして、何よりも驚いたのは日本海まで見渡すこのできる絶景だった。
カメラの質が悪いので明瞭ではないが、小浜湾を含め茫洋たる日本海が一望に望めた。 -
日本海
若狭人はあの海で獲れた海産物をこの山中を登って運んで来た。
ここまで登ってきた若狭人は「やっと峠まで辿り着いた」とホットしたに違いない。 -
京都方面を望む。
南は重畳たる山々が全面に広がっていた。これからこの山々を越えて行く。
おにゅう峠は福井県と滋賀県の県境になっている。 -
おにゅう峠から南方面に向かう道路。ここからは滋賀県道781号線となる。
ガードレールがあるだけで安全に見え、なんとなく整備された道になったように感じた。 -
滋賀県道781号線。
今までの福井県側に比べると走りやすい。 -
周囲の山々は新緑に輝いている。
俳句では「山笑う」と表現するそうだが、確かに山々が喜びに溢れているようだ。 -
おにゅう峠までは延々と登って来たので急激な下り坂道が続くと思っていた。
だが、少し下ると杉の植林があり、平坦な道になった。 -
10分も走らないうちに民家も現れた。
この道は予想とは全く異なった。
急勾配の下り道は僅かで、すぐ山中の平坦な道が続く。本当に驚いた。 -
滋賀県道781号線
ここは山中である。しかし、道路には高低差が無い。
午前中に走った国道367号線の朽木村の西側山中に当たると思われる。
367線線からは深い山に見えた。確かに山中であるが、道は平坦だった。 -
山中の楽園的景観
新緑に囲まれて未だ桜が残っている。絶好のドライブ路である。
この道なら歩き易い。若狭人もこの道を通ったに違い無い。 -
電線もある。農地らしい箇所も見かけられる。
ここは案外人間が住みやすい環境ではないか。
擦れ違った対向車は二台だった。 -
こんな道が続く。
それにしてもアップダウンがない。山中とは思えない。 -
時にはこのような杉の植林が現れる。
京都北山の景色と見紛う。 -
所々に集落がある。
蔵のある立派な萱葺屋根の民家である。
花が咲き、木々は芽吹き、平和な山中に隠された桃源郷である。
繰り返すが、意外な道だった。 -
山の中にある閑かな集落。
この辺りは午前中に通った367号線の明王院の対面になる山中に相当する。
午前中に「午後はこの山中を行く」と書いた辺りだ。険しい山道を想像していたが、全く異なる世界だった。
おにゅう峠を頂点としてここまでが未知の道路だった。途中で通交不可になるかも知れないと思っていたが無事に走り切ることが出来た。
若狭人が往還した道の実感は十分に感じられた。 -
国道477号線
鯖街道として最も古いであろう滋賀県道781号線から京都府道110号線に入り、久多の町を経由して花脊峠に向かうはずだった。一本道なので迷う事などありえないと直進する。ところが、段々道が狭まり最後には倒木にて道が塞がり進行出来なくなった。(久多の町中で左折する必要があった)ナビは現在地を表示しない。何処にいるのか判らない。最後のドライブで大トラブルである。どうすれば脱出できるか?バックで後進する道幅はない。万事窮す。困り果てた。助手席の同行者に誘導して貰い、狭い道幅であるが㎝単位の切り返しを何十回も繰返し、ぎりぎりユーターンが出来た。助かった。その為この区間の写真はなし。倒木に阻まれた写真があれば実感湧くレポートになったであろうと残念であるが、写真を撮るどころではなく、パニックだった。
脱出後、地元の人に道を教えられ国道477号線に到着した。ここは最早京都市左京区である。 -
花脊峠は大変だった。
延々と続く上りは相当な距離があった。
恐らく江戸時代の鯖街道は現在の明王院より花折峠を越えて大原・八瀬から出町柳に至るルートと、この花脊峠を越えて鞍馬・貴船を経由して出町柳に入るルートがあったのだろう。花折峠はトンネルが出来ているので現在では便利になっているが、この花脊峠はトンネルがない。その峠まで実際に上る必要がある。 -
花脊峠への上り道。
トラックは息せき切って上っていた。
「花脊峠に早期にトンネルを」の幟が沢山あった。 -
花脊峠到着
到着時間は4時30分。鵜の瀬出発から3時間30分だった。
道を間違えた時間を30分とすれば3時間で到着した。ここからまだ出町柳までは20㎞程度ある。小浜では「京は遠くても一七里」とされているので70~80㎞である。花脊峠までを60㎞とすれば3時間は標準か。
山中であることを考慮すると、徒歩なら30~35時間程度か。但し、江戸時代の人々の徒歩能力は驚く程高いのでもっと早く花脊峠に到着したのかもしれない。 -
今まで要所にあった鯖街道の木製表示板【小浜=京都】があった。
私の見つけた最後の鯖街道標識だった。
小浜から京都までこの道程を徒歩にて往還することは現代人には地獄の責苦だろう。
若狭人は商いのためにこの道の往還を日常的に繰返した。これが出来たのが江戸時代の若狭の人々である。
もう一度蕪村の句を載せておく。
夏山や通ひなれたる若狭人 -
花脊峠からの下りも長かった。
鞍馬の町までやって来た。鞍馬寺があったが、道が狭くて停車が出来ず、そのまま通過。義経や鞍馬天狗・・・。懐かしい。 -
貴船口。
鳥居を右に曲がると貴船神社がある。
ここまで来ると京都に帰ってきた気分である。
貴船から真っ直ぐ東に向かう道は大原に通じる。 -
標識にあるように、ここから賀茂川沿いに市内を目指し、出町柳に達することも容易だ。
-
叡山電鉄鞍馬線の踏切を横切る。
幼かった子供を連れてこの電車に乗って鞍馬に行った事を思い出した。
遠い遠い昔のことだ。 -
京都市街に帰ってきた。
-
賀茂川の上流
午前に行った八瀬方向は高野川が流れている。
この二つの川が出町柳で合流して賀茂川になる。 -
帰りも走りやすい堀川通を通る。
市内は何時もと変わらず車が犇めきあっていた。 -
東寺まで帰ってきた。
-
京都南インターに入る。
この入口に入るのも今日が最後である。
会社勤めの頃、疲れ果てて何度も通ったナ。 -
京都南インター
-
最後の名神高速道路の走行だった。
スムースに順調に西宮まで到着すると思いきや、豊中付近の事故にて1時間も渋滞に巻き込まれた。最後の最後まで我が人生は順調ではなかった。 -
記録として最後に愛車を載せておきたい。
場所は私が一番好きな『藤原京跡』の駐車場。
既に売却(11年前に買ったのに、思った以上の高値で売れた)しているのでこの車番も消滅し、この車は存在していない。燃費は通常走行で25㎞/Lであり,極めて優れた走行性能を示す。私はいすゞのベレットから始って多種の車に乗ってきた。べンツもジャガーも運転したが、私が一番乗りやすかったのはプリウスである。
この車で国内各地を走り回った・・・・。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- ひらしまさん 2023/12/11 22:54:13
- 最後まで冒険を楽しまれましたね
- あれほど遠距離のドライブを難なくこなしてこられたソウルの旅人さんが車を手放されるとは驚きであり、すこしショックでもありました。
でも、きっとソウルの旅人さんらしい謙虚で賢明な潔いご判断なのでしょう。
最後のドライブに選ばれた鯖街道は、絶景のおにゅう峠や隠された桃源郷に出会われ、すばらしいドライブでした。
ナビにない道にチャレンジされ、倒木に阻まれ、最後まで冒険を楽しまれましたね。
そして、ついに韓国への旅を再開されたんですね。
そちらもゆっくり楽しませていただきます。
ひらしま
- ソウルの旅人さん からの返信 2023/12/12 16:39:21
- Re: 車がない生活に少し慣れました
- お便り有難うございます。
車には50年以上乗ってきました。後半30年は無事故です。運転には絶対の自信があるのですが、家族から「75才を越えたら絶対に運転しない」ことを約束させられ、車生活から引退です。車の無い生活は考えられないと思っていました。淋しいですが、それなりに慣れるものです。
もし事故に遭ったら間違いなく老齢を原因とされます。的確な時期だったのでしょう。友人達も全員車から離れました。
これからは「韓国旅行」と「18才青春切符」にてゆっくりした鉄道の旅を計画しております。
ひらしま様はまだまだお元気なようで、ヨーロッパ・亜細亜を旅されるのでしょう。旅行記を楽しみにしております。
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