2023/04/23 - 2023/04/23
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近江商人の町,近江八幡を散策しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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日牟禮八幡宮から,近江八幡の町の散策ははじまります。
日牟禮八幡宮 寺・神社・教会
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たねや日牟禮茶屋。
たねや日牟禮茶屋 グルメ・レストラン
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たねや日牟禮茶屋。
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対面は,クラブハリエ。
クラブハリエ 近江八幡日牟禮ヴィレッジ グルメ・レストラン
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周辺地図。
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八幡堀。
八幡堀 名所・史跡
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いい景色です。
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昔ながらの景色。
八幡堀 名所・史跡
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残っているのですね。
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石垣はいい。
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白雲館。
むかし,八幡東学校。いま,観光案内所。明治時代の建物。 by nomonomoさん白雲館 名所・史跡
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白雲館
(入館料無料:9:00-17:00 観光案内所併設)
明治10年(1877)に八幡東高校として建築された白雲館は,八幡商人や地域住民の人々の熱意と
協力で当時6千円(米1俵が1円34銭)の費用をかけて建設されました。明治10年の児童数は男115人,
女117人,計232人と記されています。
学校として使用された後は,役場,郡役所,信用金庫等を経て,
平成6年に建設当時の姿に復元されました。
白雲館をいう名称は,藤原不比等の和歌
「天降の神の誕生の八幡かも比牟礼の杜になびく白雲」
から名付けられた説や鎌倉時代の臨済宗の僧白雲えいぎょうの徳を
偲んたことによる説などがあります。 -
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八幡堀石畳の小路 名所・史跡
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西川甚五郎邸
寝具の西川で知られる西川株式会社は、初代が行商を始めた永禄9年(1566年)を
創業年と定め、天正15年(1587年)に近江国ハ幡町(近江ハ幡市)に開店、元和元年
(1615年)には江戸日本橋に出店しました。
時代に合わせた商品開発や先進的な会計制度、また、現在のボーナス制度を構築するな
ど、常に変革を行うなかで老舗企業としての伝統を作り上げてきました。
店是は「誠実・親切・共栄」。令和3年(2021年)に開館した、”西川甚五郎本店資料館”
は、歴代の当主本宅の敷地内に、450年以上にも及ぶ歩みを紹介することにより,近江商
人を広く知っていただくことを目的に開館されました。西川甚五郎邸 名所・史跡
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近江兄弟社発祥の場所『創の家(はじめのいえ)』
1905年(明治38年)2月2日に来日したW・M・ヴォーリズ(24歳)は
滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師に就き
この場所で日本の生活を始めました。
放課後には、自宅を開放して「バイブルクラス」
を開き、多くの学生をキリストに導きました。
ヴォーリズの親しみやすい人柄と純粋な心に
魅せられて、彼の周りには多くの青年が集い
”「神の国」の理想郷”づくりについて語り合い
町づくりに邁進していったのです。
建築事業・結核療養所開設・ 製薬事業・
教育事業や教会設立などの「夢」がこの場所から
始まりました。 -
近江兄弟社メンターム資料館 美術館・博物館
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八幡堀めぐり 名所・史跡
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名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは,1880年
(明治18年)10月28日,米国カンサス州レブンワース市
に生れた。両親の感化により信仰心の厚かった彼は,
1905年(明治38年)2月,24歳のとき,国際YMCA
から日本の近江八幡に遣わされた。
以来,1964年(昭和39年)83歳で亡くなるまでこの地
を去ることなく,キリスト教精神に支えられて,愛に満ち
た理想社会実現のため,彼を慕う多くの人々と力を合わせ
て,医療や教育事業を進め,建築に卓越した手腕を発揮し,
キリスト教を伝道し,福祉や文化を高めるなど,多彩な社
会貢献活動を展開した。
そして,これらの活動を経済的に支えるため,建築設計
会社をはじめメンソレータム(現メンターム)で有名な製
薬会社を興し,企業家としても大いなる成功を収めた。
外観よりも内容を重視したヴォーリスの西洋風建築は,
大丸心斎橋百貨店や関西学院大学をはじめ,住宅,教会な
ど国内外に1600にも及んだ。
多くの協力者とともに成し得た数々の偉大な事業とその
精神は,今もなお引き継がれ,近江八幡市民に広く深く息
づいており,その評価は衰えることなくますます強く私た
ちにその人となりを慕わずにはおかない。
「世界の中心は近江八幡にあり」と唱え,すべての人が
幸せになれるまちづくえいを目指した彼の足跡を,かけがえ
のない宝として近江八幡市民の名において永遠に顕彰する
ため,ここ「ヴォーリズ創めの家」ゆかりの地に記念の像
を建立し,これからの郷土づくりの糧にしていきたい。
1999年5月
近江八幡市 -
ヴォーリズメモリアルポケットパーク 公園・植物園
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旧西川家住宅。
旧西川家住宅 名所・史跡
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西川庄六郎邸(非公開:県指定文化財)
2代目西川庄右衛門の子「庄六」を初代とし,蚊帳・綿・砂糖・扇子などの商いました。
3代目の頃となると,江戸日本橋4丁目にも出店し,九州島津藩指定御用商人になるなど
西川利右衛門に次ぐ豪商となりました。8代目は文人墨客との関わり
も深く,一燈園「西田天香」氏たとの交流もありました。
現在も,東京,大阪,京都に本支店を持つ「メルクロス株式会社」と
して活躍中です。当建物は江戸中期の建物で間口は13.0m,奥行は
14.9m あります。左側に座敷部分が張り出し,他にっも「でみず間」
「化粧間」「板塀」「表土蔵」などがあるたいへん規模の大きい町屋です。 -
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新町通り 名所・史跡
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近江商人のふるさと
天正十三年(西暦1585年)豊臣秀次が
八幡山頂に築城,本能寺の変で主なき城下
町となった安土の町を移し,翌年,八幡山
下町掟書を公布,縦十二通り,横四筋の
区画整然とした城下町が誕生。しかし開町
から十年,廃城となるが,その後は商業都市
として栄え,北は北海道,南は九州,遠くは
東南アジアまで活躍した近江商人の一つの
ふるさとでもある。
今なお,碁盤目状の町並みは旧市街によく
残され,特に新町や永原町には近江商人の
本宅であった家々が建ち並び,八幡堀に
面した土蔵群等,往時の在郷町としての
繁栄を伺い知ることが出来る。
現在,伝統的建造物群保存地区の指定を
受けたこの町並みは,未来の都市空間の中に
継承すべき貴重な文化遺産であり,近江八幡
の心のよりどころである。 -
資料館。
近江八幡市立資料館 名所・史跡
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近江八幡市指定文化財
「扇屋」・伴庄右衛門
<旧伴家の紹介>
八幡教育会館の建物は江戸時代初期の豪商『伴庄
右衛門』が本家として建てた商家である。
伴庄右衛門家の屋号は扇屋といい、商号として「地
紙一(じがみいち)」を使用。
畳表,蚊帳,扇子,麻織物を主
力に商売に励み,大阪・京都に出
店を持ち,江戸では日本橋に大店
を構え,為替業務や大名貸もしていた。
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八幡商人の商家の特徴
道に沿って、隣と面を合わせて家を
建て、また隣の家と壁をくっつけて家が
建てられているため,前の道を歩いていると、同じ
ような景色が繰り返されているようにも見え、どこ
までが一軒の家なのか判別することができませ
ん。防犯の意味もあったのかもしれませんが,外か
らは、大きな家であることを分からないようにして
います。ハ幡商人の家は、中に入ってみなければ,
その豪華さが分からないように造られています。旧伴家住宅 寺・神社・教会
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八幡山の頂上から,琵琶湖と近江八幡の街がみおろせます。 by nomonomoさん
八幡山ロープウェー 乗り物
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むかし,八幡東学校。いま,観光案内所。明治時代の建物。 by nomonomoさん
白雲館 名所・史跡
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八幡堀石畳の小路 名所・史跡
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初代西川仁右衛門と近江八幡
西川家初代の仁右衛門は,1549(天文18)年、近江国蒲生郡南津田村(現・近江八幡市、本店より約2km南東)に生まれ、
数え年18歳の1566(永禄9)年、商いをはじめました。西川株式会社はこの年を創業年と定めています。
各地に群雄が割拠するなかで、天下を統一したのは、豊臣秀吉でした。秀吉の甥・羽柴(豊臣)
秀次は、戦功により1585(天正13)年、八幡山に城を築き、信長が開いた安土城下の人びとを
引き継いだ城下町を開きます。八幡山城下には、安土城下同様誰もがいつでも自由に商売がで
きる「楽市楽座」を引き継いだ「八幡山下町中掟書」が発給され、堀割と運河を兼ねた八幡堀の
整備により、更に多くの商人が集まる町になります。その頃の町の様子を示しているのが、「八幡
町絵図」(展示史料1-04)です。なお、近江商人のうち、八幡町に本宅を構え全国で経営活動をし
ていた商人は、「八幡商人」と呼ばれます。
当時としては革新的であった「楽市楽座」の方針を引ナて、1587(天正15)年、西川家初代仁
右衛門はこの地に店(屋号は「山形屋」)をもうけます。その一方、町の大工仕事を監督するなど
開発に貢献しました。西川家に伝わる史料によれば、初代は能登国(現・石川県)と八幡を往復
し、行きは蚊帳を、帰りは海産物などを行商したといわれています。ここで蚊帳を商ったことが、
後に「蚊帳の西川」と呼ばれることにつながります。1600年代に入ると、初代は八幡町で蚊帳
の製造を開始し、尾張国(現・愛知県)・伊豆国(現・静岡県)あたりまで販路を拡大することにな
ります。 -
初代仁右衛門(にえもん、1549(天文18)年~1644(正保元)年)が基礎を築い
た西川家を、「蚊帳の西川」として発展させたのが江戸時代初期の2代目甚五(じ
んご,1582(天正10年~1675(延宝3)年)でした。2代目は蚊帳の改良につ
とめ、その象徴となる「萌黄蚊帳」を創案したといわれています。 この蚊帳の創案に
まつわるエピソードは、「萌黄蚊帳の由来を記した西川の力タ口グJ(展示史料
2-02)に記されているように広く知られています。2代目が、箱根の山越え中、木陰
で休息していたところ、若葉に包まれ夢を見るような心地にいたり、蚊帳を萌黄色
に染めることを思いっいたといわれています。この史料は、箱根山中で休息してい
る2代目甚五を描いたものです。
「萌黄蚊帳」は、江戸で評判を博すことになり、西川家にとって江戸時代を通じて
の主力商品となります。同時代の記録にも、「手代を売人にしたて、雇夫に嗣(かや)
を担わせて市中を商いさせていた。その服装は両人とも半天を着て、蚊帳をいれた
紙袋の駕寵を担っていた」(「西川450年史」118-19頁)とあるように、江戸市中で
広く知られていたことがわかります。蚊帳に色を施すという大胆な発想にひょって,西
川家は江戸における発展の礎を築いたのです。
++
近江麻蚊帳の由来
大昔の蚊帳は實に想像も附かぬ程見苦しい,麻生地その儘を織り出したもので当時これを遺憾に思
ひ,日夜改良に苦心を重ねて居りました所、二世西川甚五郎が(寛永三年初夏の頃。今より三百十年前)近江の国から江戸への永の
旅路,歌に知られた箱根八里の山越しの途中、流るる汗を拭ひつつ余りの暑さを避けるため,大樹
の蔭で暫く休息して居る内,いつしか碧 に囲まれ一面生々とした若葉の色が映えて,身は仙境に
入るよらな心地になりました。この一場の夢。。に因って二世甚五郎は思はずハット膝を叩いてこの
緑滴たる涼味を蚊帳に応用すれば得も云はれぬ氣持の良さ。。。朝の目覚めの爽快味を表すことを会
得して急ぎ近江の國へ帰って,染色法を研究し始めて蚊帳を萌黄色に染めたものであります。尚こ
れに上部の繰り布を,紅色に染める大発明をも加へましたのは是れ實に蚊帳染色の嚆矢であります。
緑は濃まやかにして疲れを慰め寝心地良く
紅は優しく,くれないの情操を表す
その調和の妙案が幸にして,全国御客様の御嗜好に適ひ,売出し怱々大好評を博しまして,
百有餘年間,年と共に高評 として「かやは,よもぎ色に限る」と云ふ定評になりました事は,
今更申すまでもな<全く,各位の御援助の賜ものと深く感銘致して居ります,現代十二世当主は
先祖の遺志を継いで今盛大に,滋賀県能登川,西川蚊帳製造工場に於いて,蚊帳萌黄色を始めとして
尚時代の変遷に伴ひ,日進月歩の科学を応用してあらゆる,色彩と新製品の研究に没頭し,最新流
行品を製織して遠く海外に至るまで,その販路を拡張し,名実共に「日本橋印西川の優良かや」と
して,各位の御愛用を賜って居ります次第であります。 -
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西川甚五郎邸 名所・史跡
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