2023/03/19 - 2023/03/19
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青春18きっぷを使っての春の100名城めぐり。
第2弾は山梨の甲府城、武田氏館の小さな記録です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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中央本線甲府駅から徒歩5分のところにある甲府城。別名舞鶴城とも呼ばれるこの城は豊臣秀吉の命により1593年に完成し、直後の関ケ原の戦い以降、1704年、6代将軍家宣の江戸移住まで、徳川将軍家一門が城主となる特別な城として君臨してきた。明治に入り廃城となったあとは、中央線の開通により駅の南北に分断されたり、国や県の施設に利用されたりもしたが、平成に入ると整備され、2000年代にはいくつかの門やこの稲荷櫓が復元された。そして、現在の舞鶴城公園に至っている。
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青い空をバックに、石垣と満開の桜。一番いい季節に訪問できた。
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ここが天守台。天守は残っていないが、立派な石垣が残っている。甲府城の見ものの一つはこれらの石垣。
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天守台からは南アルプスの山々が良く見える。
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2013年に復元された鉄門(くろがねもん)。本丸の南に位置する2階建ての門で明治の初めまでは存在していたことが判明している。絵図・古文書・古写真等を参考に、伝統工法と現代の耐震基準を満たす技術を使いつつ、現存する礎石を使い、元々あった位置に当時の姿を再現したもの。
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格好いいなあ。
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明治の初めまでは残っていたとされる内松陰門。1999年に再現された。
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甲府駅の北側に再現されている山手御門。山手渡櫓門と山手門の総称で、この山手渡櫓門は現在、内部が資料展示室となっている。
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山手渡櫓門を反対側からパチリ。
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山手渡櫓門の内側にある山手門。山手渡櫓門は武器庫として、山手門は城門としての役割だったと言われている。
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甲府城を堪能したあとは、小作北口店で、甲府名物ほうとうのランチ。かぼちゃのほうとう\1250也。
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お腹を満たした後は、駅前のターミナルからバスに乗り、武田神社へ。所要約8分190円。
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一般に「躑躅が崎館」と呼ばれる武田氏館は1519年に築かれ、信虎、信玄、勝頼の三代が居住した。16世紀終盤、徳川家に滅ぼされるまで、激動の戦国時代を彩った武田氏の本拠となった場所には、1919年に武田神社が創建され、現在は一年を通して多くの人が参拝に訪れる人気スポットになっている。
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鳥居をくぐって、参道を進むと正面に荘厳な拝殿が現れる。武田神社には勝運の御利益があるとされ、また毎年、信玄の命日である4月12日には、神輿や騎馬行列が出る例祭が執り行われるとのこと。
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拝殿の西側には信玄の長男、義信と今川義元の娘の結婚に合わせて1551年に新造された義信の居館である西曲輪の跡が残っている。
これは西曲輪の北側にある枡形虎口跡。当時、ここには門があり、土塁とともに敵の侵入を防いでいた。 -
西曲輪の北側には食糧・物資の貯蔵施設であったと考えられている味噌曲輪跡があり、現在も発掘調査が続けられている。
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稲荷曲輪。館の鎮守のための稲荷を置いていたと推定されている小さな曲輪。
その他にも信玄の母である大井夫人が隠居後暮らしたとされる御隠居曲輪や、古い資料にも名称が記されていないことから、無名曲輪と呼ばれる謎に包まれた曲輪がある。 -
当時は拝殿の東側が正面であり、大手門があったとされる。大手門東側からは三日月形の堀も発見されているが、この場所は武田氏滅亡後に甲斐を支配した新たな領主によって大きく造り直されたところでもあり、堀と土塁で囲まれた曲輪の存在も確認されている。
青春18きっぷの2回目はこれにて終了。
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