2023/04/02 - 2023/04/02
61位(同エリア328件中)
Reiseさん
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滋賀の旅の続きです。
石山寺へ来ました。
歴史は古く、聖武天皇の勅願で開基、平安時代にも栄え、紫式部が源氏物語を書いた場所と伝わる「源氏の間」もあります。
更級日記でも知られる藤原孝標の女も参詣したといわれています。
境内は広く、石山寺の名前の由来となった硅灰石と呼ばれる岩がありますが、自然に囲まれ、おもいもがけず、狸にも遭遇しました。桜の季節とよく似あうお寺でした。
石山貝塚も近くに道標がありますが、今は近くの観光センターの二階にパネルでその遺跡を説明しています。
とても興味のあるパネルでした。
滋賀は歴史がいっぱい詰まった場所です。
とても楽しい旅でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- 私鉄 自家用車 徒歩
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旧竹林院で繊細かつ大胆なお庭を堪能して、石山寺へ来ました。
裏側ですが、源氏物語の案内。。 -
阪急のローカル、小さな電車で到着。
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駅に降りましたら、案内図。
石山寺まで、参道といわれる道を通っていきます。 -
駅前ロータリー。静かです。
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こんな案内地図もありました。
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月見橋。
風流な名前の橋を渡って、 -
木内石亭の喜寿を祝って建てられた石碑がありました。
良く読めませんが、説明板に内容が記されていました。
木内石亭、、、江戸時代の奇石収集家だそうです。
全国を歩いて、2000種以上の石を蒐集したそうですが、こちらの石山寺の珪石も100回以上見に来ていたとあります。
シーボルトも木内石亭の研究を取り入れて著書「日本」を書いているそうです。 -
石山寺の高僧により建立された石碑。
1800年といいますから、かなり古いものです。 -
川べりの桜並木を眺めながら、歩いていきます。
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ところどころ、食事の場所やイ草の工芸のお店などあります。
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ちょっと休めるところも。
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のどかな参道。
桜もきれい。 -
途中、端正な小さな庭園がありました。
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恐ろしい形相の鬼の石彫刻。
気迫に満ちています。
孫も引いています。 -
朗澄上人は名僧で、亡くなったあとは鬼となってお経などを守ると誓ったそうです。
その上人を記念して造られたお庭。
画にも優れていたそうです。 -
石山寺はすぐ近く。
桜の花びらの絨毯があちこち。 -
日本遺産の看板。
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石山寺到着。
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立派な東大門です。
仁王像が迫力あります。 -
東大門の説明。歴史ある門のようです。
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説明板があります。
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境内、桜の花びらの絨毯です。
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塔頭のひとつでしょうか。
ちょっと外からのぞいてみます。 -
広いお庭が広がっていました。
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休みどころもあるようですが、先に参拝をします。
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大黒天。
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広い敷地。
珪石の岩がひろがります。
このような険しいところにお堂を建てるのも苦労があったにちがいありません。。 -
くぐり岩というところがあります。
パワースポットと聞きました。 -
早速、彼が行ってみる!と入ります。
続いて、おばあも「頭を気をつけるのよ、当たらないように」と叫びつつ、
実は、私が岩に頭をぶつけてしまったという。。笑 -
くぐり岩。
手前の池も天平時代のものと説明にありました。 -
びっくりするくらい大きな鯉がいました。
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滑りやすいので注意です。
まさに奇岩。 -
島崎藤村ゆかりの家とありました。
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中には入れないようですが、密蔵院というところだそうです。
説明板がちょっと良く読めなくて、ちょっと調べてみましたら、藤村が20歳のころにこの密蔵院に滞在したことがあり、大切に今も建物を保護しているとのことでした。 -
この上の建物でしょうか。。
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見学してみたかったです。。
藤村は教師をしていた若いころ、教え子との恋愛の苦悩から教師を辞め、22歳という若いころに、旅に出て、この石山寺の密蔵院というところに滞在していたそうですが、この石山寺の風土に慰められたそうです。
その後の活躍も、こちらで過ごした貴重な時間があったからでしょう~。
紫式部もこちらで執筆をしたそうですから、なにか文学とも関わっていて、
創作をする環境としても良かったのかもしれませんね。 -
水車もありました。
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昔から使われていたようです。
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この付近は歴史的にも自然も大切に保護されている地域です。
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ずいぶんと険しいところに建物があります。
建設にも苦労がしのばれます。 -
大きな一本の杉の木。
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天狗杉と呼ばれています。
説明によると、石山寺に貢献された朗澄大師が鬼となってこの杉の上に現れたという言い伝えと、天狗の言い伝えのある杉の樹です。 -
本堂へ向かいます。
国宝です。
基礎の木組みが立派です。 -
説明板があります。
はじめは、761年から762年にかけて、造られ、その後1078年に焼失、1096年に再建。滋賀県の最古の木造建造物です。
礼堂と相の間は1602年に淀殿の寄進があり再興されたところだそうです。 -
本堂入ってすぐに目に入るのは、こちら。
紫式部源氏の間と呼ばれているところです。
人形で再現されていました。 -
説明があります。
こちらの部屋は身分の高貴な人々が使っていた部屋のようで、紫式部が部屋にこもり、源氏物語の構想を練っていたといわれています。 -
「更級日記」で有名な菅原孝標の女も石山寺に二度参詣しています。
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文学とも深いつながりのあるお寺。
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さすが、国宝です。美しい木造の建築でした。
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蓮如堂。
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説明板があります。
1602年に淀殿の寄進のころに建てられたそうです。
蓮如の遺品などが保管されていたそうで、仏事や神事にも使われた貴重な建物の一つだそうです。 -
三十八所権現社。
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こちらも貴重な建物。重文です。
初代の天武天皇から三十八代の天智天皇を祀っているそうです。 -
経蔵。
滋賀県最古の高床式校倉造です。 -
大切な書物を守るための書庫、高床式にして、湿気などから守っていたのですね。
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経蔵の下にはこのような石があります。
安産の石。 -
腰かけると安産になるという言い伝え。
座布団のような物が置いてありました。 -
鎌倉時代に造られたといわれる、紫式部の供養塔。
宝篋印塔の形を二つ重ねた珍しいものだそうです。 -
このような看板がありました。
多宝塔の説明です。 -
イチオシ
源頼朝の寄進と伝わる鐘楼。
美しいです。 -
イチオシ
こちらが国宝の多宝塔。
こちらも源頼朝の寄進により、建立。1194年です。
日本三大多宝塔の一つです。 -
イチオシ
とても優美な姿の多宝塔でした。
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説明板があります。
本尊は快慶作の大日如来です。 -
とても興味深かったのが、この小さな祠です。
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説明板がありました。
それによると、祭神は天照大神、壬申の乱で亡くなった大友皇子を古来から石山寺の僧侶が手厚く供養してきたということです。
大友皇子と大海皇子が最後に戦ったのも石山寺の近くで、敗れた大友皇子を密かに供養し続けたといわれています。 -
月見亭と桜。
月見亭は後白河天皇行幸のときに建立、天皇の玉座となっているそうです。
近江八景「石山の秋月」のシンボル、、とパンフレットにもありました。 -
美しい春の風景が広がります。
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小さな孫がいるので、ちょっと不安ですが、せっかくですので、資料館にも行ってみます。
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その途中にある心経堂。石山寺に奉納された写経が納められています。
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このあたりも上り坂。
歩きやすい靴が良いです。 -
イチオシ
とても鮮やかです。目が覚めます。
小さな花のつつじ。
桜のほかにも、沢山の季節の花々がありました。 -
こちらが資料館。
源氏物語についての資料などが展示されていました。 -
中は撮影が禁止です。
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紫式部の像を探しています。
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大きな建物が見えてきました。
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光堂です。
懸崖づくり。
鎌倉時代にあったお堂の復興として2008年に建てられたものです。
大きなお堂でした。中には入れませんでした。 -
そこから下に下ったところに、紫式部の像がありました。
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イチオシ
こんな静かな環境の中ですと、筆も進んだに違いありません。
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境内、本当に広いです。
坂道を登ったり下ったり、、良い運動にはなりますが。 -
緑のフレッシュな空気も吸って、孫と歩きます。
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お社が森の中にあって、そちらに行こうとしまいた。
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苔も年月を感じさせ、力強い。
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川を渡ってお社のほうへ向かおうとしたとき、タヌキと遭遇。
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イチオシ
じっと見つめられ、タヌキも動けない。。
野生のタヌキを初めてみた孫は大喜びしていましたが、
そっと、その場を離れます。
自然が豊かなんですねぇ~。 -
庭園を通って、
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険しい自然の山々を切り開いて造られたお寺だということが伝わってきます。
静か。 -
大切に祀られている石がありました。
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説明にもありますが、
ここは天智天皇の時代の石切り場があったところ。
天智天皇が川原寺を建立したときは、こちらの石が礎石として利用されたそうです。660年のころ。 -
おおよそ、一周して、山を登り、下り、参拝してきました。
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帰り道、入口近くにあった説明板。
石山寺の縁起について。
比良明神が老人に姿を変えて良弁を導いたといわれています。 -
ちょっと写真が悪いのですが、左に見える井戸のような四角の岩。
竹の覆いがかけられています。
こちらの岩 影向石が、神が君臨する際に御座とされたそうです。 -
孫とお約束、しっかり歩いたあと、こちらでお餅をいただきます。
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走り井餅。
小さくて上品なお餅。 -
説明がありました。
美味しいお水で造られるお餅です。 -
小さな池があり、
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小さな祠がありました。
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桜の花びらが絨毯を造ります。
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塔頭も沢山あるようですが、
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入れないようでしたが、外から端正なお庭をちらり。
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こちらも入れないようでした。
塔頭のひとつ。 -
中から観た東大門の様子。
とても趣のある門でした。 -
外に出ますと、お土産物屋さんや休憩どころがあちこちに。
まず、こちらでお餅を購入。 -
二色のお餅がもちもち。
小豆も程よい甘さで美味しかった~。 -
そして、孫が大好きな焼き芋のお店。
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美味しそうなメニューがありました。
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大きくて甘いお芋、、、孫が一気に食べてしまいました。(^^;
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そして、こちらのおみやげ物屋さんへ。
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奥にはレストランがありました。
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お土産あれこれ。
赤こんにゃくはずーーーっと昔食べたことがあります。
懐かしい。。
とても弾力のある滋賀の名物です。
海老豆も。
そして、西川貴教さんコラボのお菓子。フィナンシェ、米粉のものでした。
他にも種類がいろいろ出ていました。
滋賀出身の方です。 -
石山寺の近くに貝塚の跡と資料館があると聞いていたので、訪ねます。
おみやげ物屋さんの近くにあった石碑。 -
貝塚の説明板もありました。
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こんな石碑も発見。
石山寺の名前の由来が書いてありました。 -
近くの観光案内所に資料が展示していまいた。
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入口には貝塚の断層の説明。
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昔のシジミって、結構、大きいものだったのですね~。
職員の方が出てきて、説明をしてくださいました。 -
二階の一室にパネルで貝塚について紹介をしています。
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縄文時代、弥生時代の人々の特徴を比較していて、わかりやすく、面白かったです。
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縄文時代のレシピ、、面白いです。
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人々の埋葬についても、身の入った貝の上に遺体を安置していたとのことで、当時の生活の様子がわかります。
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人々の暮らしがうかがわれます。
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縄文時代の人々の遊び心。
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今の時代も昔の時代も、アクセサリーは生活の余裕。
特定の人々が身に着けていたのでしょうか。
とても興味をひく、テーマの手作りの資料が展示されていました。 -
駅に向かい帰っていきますが、途中にあった説明板。
なんと、私は松の写真を撮るのを忘れてしまっています。
かなりお疲れモードのようでした。(-_-;) -
歌碑なども参道ぞいにありました。
桜が本当にきれい。 -
帰り道、ふと寄った場所にあった、近江大津宮の建物の跡の看板。
このあたりも、古代から栄えた場所。 -
近くにあった説明。
壬申の乱で敗れた大友皇子のお墓がここから見渡すあたりにあるようです。 -
ちょっと方角がわかりませんが、遠くに山々の美しい風景がありました。
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古代からも栄えた滋賀、、、行きたいところがいっぱいです。
長い旅行記を最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。(^^)
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