2023/02/28 - 2023/02/28
143位(同エリア405件中)
杏仁豆腐さん
世田谷線沿線を三軒茶屋から山下まで散策しました。
三軒茶屋駅から、目青不動尊へ。烏山川緑道を歩き、太子堂八幡神社、松陰神社と巡り、世田谷通りにある「石はら」で蕎麦をいただきました。
昼食後は、世田谷代官屋敷、世田谷城阯公園を巡り、豪徳寺へ。
豪徳寺では、福を招いた猫、招福猫児(まねきねこ)を買い求めました。
豪徳寺から世田谷八幡宮に行き、最後に水色の家を見ました。水色の家とは、尾崎行雄の旧宅です。
NHKで放送された、「そして、水色の家は残った ~“世田谷イチ”古い洋館の135年物語~」で興味を持ちました。
山下駅から世田谷線に乗り、三軒茶屋駅に戻り、世田谷沿線散策は終了です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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三軒茶屋駅から歩きます。
見上げれば、キャロットタワー。 -
目青不動尊 教学院最勝寺
教学院とも呼ばれます。 -
本尊は不動堂に安置されている、円仁(慈覚大師)の作と伝えられる不動明王像。秘仏のため公開されていませんが、堂内では青銅製の前立不動明王像を拝むことができます。
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住宅街を歩いていると、烏山川緑道に出ます。
ここから烏山川緑道を歩きます。緑道は暗渠となった烏山川です。
西山橋跡 -
梅の花もきれいに咲いています。
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太子堂八幡神社に寄ります。
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弁天社
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ハッピーちゃんがいるようです。
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ハッピーちゃん!
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雛壇が飾ってあります。
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おみくじの種類も豊富です。
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本社
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烏山川緑道に戻りました。
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ユーモラスな遊具
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環七を渡ります。
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若林橋跡
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天神橋跡
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松陰橋跡
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見上げればきれいな梅の花。
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厚徳橋跡
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杉大門橋跡
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桂太郎の墓
桂太郎は、大正2年、癌により死去。
その遺言により、吉田松陰の眠る松陰神社の隣接地に埋葬されました。 -
松陰神社に来ました。
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松陰神社道の道標
旧大山道から松陰神社に至る道の入口に建てられていた道標で、世田谷通りの拡幅事業の際に境内に移設しました。 -
徳富蘇峰植樹の碑
徳富蘇峰(本名猪一郎、徳富蘆花の兄)は明治の言論人。
肥後の生まれで、熊本洋学校をへて、同志社に学ぶ。政治的には桂太郎と密接な関係を持った。
明治4 1年自身の著述「吉田松陰」発刊にあたり植樹をおこない、碑を建立した。 -
吉田松陰先生像
明治23年に大熊氏廣氏によって製作された吉田松陰先生像(石膏 松陰神社所蔵)から鋳造されたブロンズ像。 -
石灯籠が並んでいます。
毛利元昭公を始め、門下の伊藤博文、山縣有朋等の縁故者より奉献された32基の石燈籠があります。 -
松陰先生他烈士墓所
木戸孝允寄進の鳥居です。 -
境内墓域には、吉田松陰先生の墓碑をはじめとして、頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮、其の他烈士の墓碑があります。
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徳川家奉納の水盤
墓所修復の挙を聞いた徳川氏から謝罪の意を込め奉納されたものです。 -
墓所前の葵紋のついた石燈籠(墓前前の内側の一対)も徳川家奉納のものです。
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御社殿
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松下村塾のレプリカ
松下村塾は、叔父の玉木文之進が天保13年(1842)寺子屋を開いて、松下村塾の看板をかけたのが村塾の名の起こりです。 -
玉木正之の碑
玉木正之は、松陰先生の叔父であり松下村塾を開校した玉木文之進の養子です、玉木正誼の子にあたります。 -
松陰先生50年祭と100年祭の記念碑
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世田谷線沿線は商店街が元気です。
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松陰神社前駅
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世田谷通りにある「石はら」で昼食です。
国産の玄そばを独自にブレンドし、毎朝石臼で挽くそうです。 -
二色せいろをいただきました。
12時頃に入店しましたが、すぐ満席になりました。
人気の蕎麦店です。 -
世田谷通りを歩きます。
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大吉寺
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滋賀県浅井村の浅井長政居城小谷城の城郭寺院「大吉寺」から寄贈された石
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円光院
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弘法大師像
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円光院の門前には、櫻小學発祥之寺。
櫻小學は, 明治12年(1879年)に、ここ円光院を仮校舎として開校、翌年、円光院から 500メートル西に本校舎が完成し、移転した。 -
世田谷代官屋敷(大場代官屋敷)に来ました。
表門です。 -
表門の内側です。
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世田谷代官屋敷は、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヵ村の代官を世襲した大場家の居宅兼役宅で、大場代官屋敷とも呼ばれています。大名領の代官屋敷としては都内唯一の存在であり、その由緒により、昭和27年(1952)11月3日、「都史跡」に指定されました。
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主屋と表門の2棟は、国の重要文化財に指定されています。
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主屋には役所の間、役所次の間、切腹の間、代官の間(以上は畳敷き)、名主詰め所(板の間)など、行政に使われた建物ですが、敷地全体としては自身の邸宅を兼ねた役宅です。
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竈
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天井を見上げると、立派なものです。
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「切腹の間」と呼ばれる部屋は、大場家では「ことあるときはここでいつでも腹を切る覚悟で職務に当たった」と伝えられています。
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世田谷代官屋敷の中には「世田谷郷土資料館」が併設されていますが、現在改修工事中です。
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上町天祖神社
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上町駅
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城向橋跡
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世田谷城阯公園に来ました。
東京都指定文化財になっている世田谷区内唯一の歴史公園で、せたがや百景にも選ばれています。世田谷城は、南北朝時代に吉良氏が築城したといわれていて、それから二百数十年の間、吉良氏八代の居城として栄えました。 -
丘や谷になっている起伏に富んだ地形をしていて、いちばん高い丘からは三軒茶屋のキャロットタワーも見えるとか。
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公園内には、世田谷城の面影を伝える土塁や空堀がいたるところに残っています。それらは近年になって公園整備のために築かれたもので、もともとの石材は江戸城改修の際に持ち出されたそうです。
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豪徳寺に来ました。
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文明12年(1480年)、世田谷城主・吉良政忠が伯母の弘徳院のために建てた寺院がその始まりといわれ、寛永10年(1633年)には彦根藩主・井伊直孝が伽藍を整備し、井伊氏の菩提寺としました。
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山門です。
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扁額には「碧雲関」という文字が書かれています。
「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味すると言われています。 -
仏殿
延宝5年(1677年)建立。仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されています。
阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像。 -
法堂
昭和42年(1967年)に造営されました。
法堂には聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置され、さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られています。 -
所狭しと、招き猫が並んでいます。
はじまりは、一匹の猫が鷹狩り帰りの殿様を、寺へ招いたことだそうです。
ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。
寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。
雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。
それが彦根藩主の井伊直孝でした。
豪徳寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興しました。 -
その後、豪徳寺では、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられました。
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招福殿
昭和16年に建立、令和4年に改修されました。 -
六地蔵
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井伊家墓所
幕末の大老13代直弼の墓、豪徳寺中興開基2代直孝の墓をはじめ、歴代藩主や正室たちの墓が並んでいます。 -
三重塔
平成18年(2006年)5月に落慶。高さ22.5メートル。 -
釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されています。
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地蔵堂
令和2年(2020年)9月落慶。地蔵菩薩半跏像が安置されています。 -
梵鐘
延宝7年(1679年)、藤原正次(釜屋六右衛門)により鋳造されました。
豪徳寺には、外国からの観光客が目立ちました。 -
豪徳寺から世田谷八幡宮に来ました。
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厳島神社
「市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)」が祀られており、知恵・財福・子孫繁栄などのご利益があるそうです。 -
安らぎを感じる場になっています。
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手水舎
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本殿
寛治五年(1091年)後三年の役の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りしたそうです。 -
力石
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世田谷八幡宮を出て、世田谷線に沿って歩いていると、和菓子屋さんがありました。
まほろ堂蒼月 -
まねきねこどらを購入。小ぶりのどらやきです。
油ではなく、バターで焼いた皮はほんのりバター風味。 -
踏切を渡ります。世田谷線の線路がまっすぐ延びます。
世田谷線の山下駅に向かって歩いていると、私のすぐ後ろを歩いてた年配の女性3人組の一人が、この辺りに、先日、NHKで放送された「水色の家」があるらしいわよと言っているのが聞こえました。
そうだ、豪徳寺に行ったら、「水色の家」にも寄ってみようと思っていましたが、すっかり忘れていました。
ナイス!おばちゃん!! -
水色の家に来ました。
住宅街の中にあります。 -
「そして、水色の家は残った ~“世田谷イチ”古い洋館の135年物語~」
2023年2月3日に放送されました。
▽古い家にはその歳月の分だけ物語がある▽「憲政の神様」尾崎行雄が建てたと伝わる水色の洋館。震災、戦争、宅地開発…幾多の危機を乗り越えられた訳は?▽建て主は尾崎違い?元々麻布にあった?意外な資料が次々と▽勘違いから生まれた明治のロマンス▽戦禍に抗った英文学者、リーマン予想に挑む数学者、古いものに惹かれた写真家等々。家を愛した住人たち▽存続が危ぶまれたその時、人気漫画家が!驚き満載のハウスヒストリー! -
水色の洋館は、2020年夏に取り壊されるはずでした。しかし、洋館を愛する近隣住民の方、呼びかけに賛同された4,000人超の方の署名、本来の事業計画を断念された企業の決断により奇跡的に解体を免れました。
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長く言い伝えられていたのは、憲政の神様と言われた、かつての東京市長・尾崎行雄の旧宅ということでした。尾崎行雄が英国育ちのテオドラを妻に迎えた明治40年頃に、麻布に建てた英国風洋館である、と。
実は、建てたのは尾崎行雄の妻テオドラの父親である尾崎三良男爵で、明治21年築という説が有力のようです。 -
洋館は外から見てもだいぶ傷んでいます。
水色の洋館は、住宅地の中できれいに映えています。 -
水色の家を見ることができて、よかったです。
おばちゃんに感謝!!! -
墨繪 豪徳寺店 でパンを購入。
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山下駅から世田谷線で三軒茶屋駅まで。
電車から歩いた道のりを眺めました。 -
豪徳寺で購入した招福猫児。
招福猫児は小判を持っておらず、右手をあげています。 福そのものを与えてくれるわけではありません。 人との大切な「縁」を生かせるかどうかは、その人次第。
肝に銘じておきます。
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