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和歌山県橋本市清水は、橋本市街地の南側を流れる紀ノ川を隔てた左岸沿いに位置する町で、室町時代以降、京都・大坂から高野山へ向かう参詣道として、橋本川の河口辺りで紀ノ川を渡り、清水から学文路を経て女人堂に至る高野街道が開かれると、200軒近い商家や旅籠が軒を連ねる宿場町として発展しました。<br /><br />しかし、大正14年(1925年)に南海鉄道が高野下まで開通し、さらに昭和5年(1930年)に高野山へ乗り入れる高野山電気鉄道(現・南海電鉄高野線)が全通すると、高野街道の宿場町としての位置づけが失われ、完全に取り残されてしまいました。<br /><br />現在の清水には商家や旅籠と思われる町家は姿を消しましたが、入母屋屋根や切妻屋根の厨子2階建ての平入りに、煙出しの越屋根や虫籠窓を備えた町家が連なる、農村集落の町並みが残っています。

2022 橋本市清水散歩

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2022/11/02 - 2022/11/02

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nao

naoさん

和歌山県橋本市清水は、橋本市街地の南側を流れる紀ノ川を隔てた左岸沿いに位置する町で、室町時代以降、京都・大坂から高野山へ向かう参詣道として、橋本川の河口辺りで紀ノ川を渡り、清水から学文路を経て女人堂に至る高野街道が開かれると、200軒近い商家や旅籠が軒を連ねる宿場町として発展しました。

しかし、大正14年(1925年)に南海鉄道が高野下まで開通し、さらに昭和5年(1930年)に高野山へ乗り入れる高野山電気鉄道(現・南海電鉄高野線)が全通すると、高野街道の宿場町としての位置づけが失われ、完全に取り残されてしまいました。

現在の清水には商家や旅籠と思われる町家は姿を消しましたが、入母屋屋根や切妻屋根の厨子2階建ての平入りに、煙出しの越屋根や虫籠窓を備えた町家が連なる、農村集落の町並みが残っています。

同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 橋本市清水へやって来ました。<br /><br />高野街道の西側から清水の町歩きをはじめます。<br />

    橋本市清水へやって来ました。

    高野街道の西側から清水の町歩きをはじめます。

  • 名栗加工の駒留をめぐらせた町家です。

    名栗加工の駒留をめぐらせた町家です。

  • 腰窓に手すりを設けた町家です。

    腰窓に手すりを設けた町家です。

  • こちらは天保年間(1830年~1843年)に造営された清水不動寺です。

    こちらは天保年間(1830年~1843年)に造営された清水不動寺です。

  • 一軒のお屋敷なのに、瓦葺屋根のある門が2か所設けられています。

    一軒のお屋敷なのに、瓦葺屋根のある門が2か所設けられています。

  • 竹に見立てた門の呼び樋。

    竹に見立てた門の呼び樋。

  • 夏ミカンのある町並み。

    夏ミカンのある町並み。

  • 格子のある厨子2階建ての町家です。

    格子のある厨子2階建ての町家です。

  • 清水の町並みです。

    清水の町並みです。

  • 2階の窓に手すりを設けた町家です。

    2階の窓に手すりを設けた町家です。

  • 白漆喰を塗籠めた煙出しの越屋根のある町家です。

    白漆喰を塗籠めた煙出しの越屋根のある町家です。

  • 煙出しの越屋根のある町家は、2階の格子窓に庇をかけるなど、繊細なところにまで配慮が行きわたっています。

    煙出しの越屋根のある町家は、2階の格子窓に庇をかけるなど、繊細なところにまで配慮が行きわたっています。

  • 清水の町並みです。

    清水の町並みです。

  • こちらの町家の格子は、もの凄い存在感を放っています。

    こちらの町家の格子は、もの凄い存在感を放っています。

  • 背の低い外格子をめぐらせた町家です。

    背の低い外格子をめぐらせた町家です。

  • 玄関手前の格子は、太くて頑丈な造りになっています。

    玄関手前の格子は、太くて頑丈な造りになっています。

  • 洋風の建物でよく見かける、半切妻屋根の町家です。

    洋風の建物でよく見かける、半切妻屋根の町家です。

  • 水路にせり出した部分を支える斜めの束。

    水路にせり出した部分を支える斜めの束。

  • 町並みに溶け込むお地蔵様と常夜燈。

    町並みに溶け込むお地蔵様と常夜燈。

  • こちらのお町家は、電気のメーターが取り外されているので空き家のようです。

    こちらのお町家は、電気のメーターが取り外されているので空き家のようです。

  • 土蔵のある町家です。

    土蔵のある町家です。

  • こちらの町家も電気のメーターが見当たらないので空き家のようです。

    こちらの町家も電気のメーターが見当たらないので空き家のようです。

  • 街道筋から少し奥まったところに門を構えたお屋敷です。

    街道筋から少し奥まったところに門を構えたお屋敷です。

  • 樹木の向こうに、煙出しの越屋根のある主屋が見え隠れしています。

    樹木の向こうに、煙出しの越屋根のある主屋が見え隠れしています。

  • 板張りの土蔵のあるお屋敷です。

    板張りの土蔵のあるお屋敷です。

  • 塀越しに見た主屋。

    塀越しに見た主屋。

  • こちらは高齢者の交流拠点として整備された施設で、ボランティアによって運営されています。

    こちらは高齢者の交流拠点として整備された施設で、ボランティアによって運営されています。

  • こちらの町家は、丸太の小屋梁の木口が厨子2階部分の壁に突き出ています。

    こちらの町家は、丸太の小屋梁の木口が厨子2階部分の壁に突き出ています。

  • 床下を透かし彫りの板で覆った町家です。

    床下を透かし彫りの板で覆った町家です。

  • 名栗加工の駒留をめぐらせた町家が並んでいます。

    名栗加工の駒留をめぐらせた町家が並んでいます。

  • 黒漆喰塗の厨子2階建ての町家は、精悍な趣をただよわせています。

    黒漆喰塗の厨子2階建ての町家は、精悍な趣をただよわせています。

  • 清水の町並みです。<br /><br />こちらの町家の東側で南海高野線紀伊清水駅へ行く道が分かれているので、ちょっと駅へ行ってみます。

    清水の町並みです。

    こちらの町家の東側で南海高野線紀伊清水駅へ行く道が分かれているので、ちょっと駅へ行ってみます。

  • こちらが南海高野線の紀伊清水駅です。

    こちらが南海高野線の紀伊清水駅です。

  • 駅が出来て便利になる反面、宿場町としての位置づけを奪う結果となりました。

    駅が出来て便利になる反面、宿場町としての位置づけを奪う結果となりました。

  • 紀伊清水駅から高野街道へ戻る道筋の様子です。

    紀伊清水駅から高野街道へ戻る道筋の様子です。

  • 高野街道に戻って来ました。<br /><br />ここからは紀伊清水駅から東側の町並みになります。

    高野街道に戻って来ました。

    ここからは紀伊清水駅から東側の町並みになります。

  • 下見板張りの戸袋のある町家です。

    下見板張りの戸袋のある町家です。

  • 高野街道はこの先で下り坂になって延びています。

    高野街道はこの先で下り坂になって延びています。

  • 電柱敷に植えられたナンテンが真っ赤に紅葉しています。

    電柱敷に植えられたナンテンが真っ赤に紅葉しています。

  • こちらは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人西行の像が安置されている西行庵です。<br /><br />出家後、久安4年(1149年)ころ修行のために高野山に入った西行は、一時期清水でも生活していたと伝えられています。

    こちらは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人西行の像が安置されている西行庵です。

    出家後、久安4年(1149年)ころ修行のために高野山に入った西行は、一時期清水でも生活していたと伝えられています。

  • 高野街道には、参詣者の安全を祈願するため清水から桜茶屋までの六か所に「高野街道六地藏」と呼ばれる地蔵堂が建立されていました。<br /><br />こちらはその内の一つで、「国城の里 観音霊場巡拝 六番札所」として西行庵の東側に祀られている地蔵尊です。

    高野街道には、参詣者の安全を祈願するため清水から桜茶屋までの六か所に「高野街道六地藏」と呼ばれる地蔵堂が建立されていました。

    こちらはその内の一つで、「国城の里 観音霊場巡拝 六番札所」として西行庵の東側に祀られている地蔵尊です。

  • 真っ赤な紅葉が美しい柿の木。

    真っ赤な紅葉が美しい柿の木。

  • ちなみに、この辺りは柿の名産地としても知られています。

    ちなみに、この辺りは柿の名産地としても知られています。

  • さて、そろそろ清水の町並みの東端に差し掛かりました。<br /><br />かつてこの先にあった紀ノ川渡し場後に石灯籠が建っているので、行ってみます。

    さて、そろそろ清水の町並みの東端に差し掛かりました。

    かつてこの先にあった紀ノ川渡し場後に石灯籠が建っているので、行ってみます。

  • こちらが紀ノ川渡し場の石灯籠です。

    こちらが紀ノ川渡し場の石灯籠です。

  • 天正15年(1587年)に高野山の応其上人が紀ノ川に架けた橋が流失した後、高野山参詣のため橋に代わって渡し舟が行き交うようになり、その渡し場にこの石灯籠が建てられました。

    天正15年(1587年)に高野山の応其上人が紀ノ川に架けた橋が流失した後、高野山参詣のため橋に代わって渡し舟が行き交うようになり、その渡し場にこの石灯籠が建てられました。

  • 宝暦2年(1752年)建立の銘のある石灯籠は、2基一対で建てられました。

    宝暦2年(1752年)建立の銘のある石灯籠は、2基一対で建てられました。

  • 近年、土地区画整理事業に伴う道路拡幅のため、東側の1基が北側へ移動されましたが、当時の姿を今に伝える貴重な文化遺産として保存されています。

    近年、土地区画整理事業に伴う道路拡幅のため、東側の1基が北側へ移動されましたが、当時の姿を今に伝える貴重な文化遺産として保存されています。

  • では、この辺りで清水の町歩きを終えます。

    では、この辺りで清水の町歩きを終えます。

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