2022/11/02 - 2022/11/02
596位(同エリア1141件中)
naoさん
紀ノ川右岸に位置する和歌山県橋本市高野口町は、和歌山城下と大和や伊勢を結ぶ大和街道(伊勢街道)と、数多くある高野山参詣道(高野街道)の一つが交差する町で、紀ノ川の対岸にある高野山の山麓拠点「高野政所(和歌山県九度山町)」の門前町的な存在でした。
京都・大坂から高野山へ向かう古い参詣道は、河内国から紀見峠を越え、御幸辻から菖蒲谷を経て高野口町で紀ノ川を渡り、九度山から弘法大師空海が開いた「町石道」を通っていました。
やがて御幸辻からそのまま南下して橋本川の河口辺りで紀ノ川を渡り、左岸の清水・学文路を経て女人堂に至る参詣道が開かれると、「町石道」に比べて距離と時間の両方が短縮できたことから、室町時代にはもっぱらこの道が高野山参詣に用いられるようになると、高野口町を経由する参詣客は殆ど居なくなってしまいます。
しかし、大和街道が通っていたおかげで、この地域の商業の中心地としての賑わいは維持されました。
高野山参詣客の往来が低迷していた高野口は、明治34年(1901年)の紀和鉄道(現JR和歌山線)の開通に併せて、名倉駅(現在は高野口駅と改称)が設置されたことにより、再び高野山の表玄関として復活することになります。
ところが、大正14年(1925年)に南海鉄道が高野下まで開通し、さらに昭和5年(1930年)に高野山へ乗り入れる高野山電気鉄道(現・南海電鉄高野線)が全通すると、またまた高野山の表玄関としての性格は失われてしまいました。
このように、高野山参詣道としての変遷を繰り返してきた高野口町ですが、今も高野口駅前に残る木造三階建ての趣のある旅館が往時の姿をしのばせています。
現在、大和街道沿いに残る古い町並みには、明治・大正期以降に建てられたと思われる漆喰塗籠めの町家が多数見られ、商業の中心地としての繁栄ぶりを今に伝えています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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橋本市高野口町にやって来ました。
大和街道に立つ一里塚の石標から町歩きを始めます。 -
ここから北側にある住吉神社の参道と大和街道が交差する場所に立っている常夜燈です。
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常夜燈の足元には、関西の自治体、経済界、民間企業などで構成する歴史街道推進協議会が、日本の文化と歴史を広く体験してもらえるようにと進めている、「歴史街道」構想の道標が立てられています。
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こちらは、漆喰を塗り籠めた入母屋屋根の町家です。
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何かの自然災害に遭ったのか、白漆喰塗の土蔵の屋根がシートで覆われています。
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ここにも「歴史街道」の道標が立っています。
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名栗加工の外格子をめぐらせた町家です。
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坂を下って先へ進みます。
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旧高野口町の町章が入った汚水桝の蓋。
なお、旧高野口町は平成18年に隣接していた旧橋本市と合併したため、現在は橋本市高野口町となっています。
さて、ここで大和街道の町歩きを一旦中断して、JR和歌山線高野口駅前にある木造3階建ての旅館へ向かいます。 -
JR和歌山線の高野口駅へやって来ました。
この駅は明治34年(1901年)の紀和鉄道の開通によって開設されたもので、高野山参詣の表玄関として大勢の参拝客が利用しました。
当時駅前には、参詣客の受け皿として十数軒の旅館が建ち並んでいたと言われています。 -
今も往時の姿をとどめる木造の駅舎。
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さて、こちらがJR和歌山線高野口駅の正面で、高野山参詣を象徴するかのような、堂々とした威容を誇る葛城館です。
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開設当時の高野口駅前には、このような木造三階建ての旅館が2軒あったとのことで、その一方がこの葛城館だそうです。
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千鳥破風と軒唐破風が二重に付く入母屋造りの重厚な大屋根と、2階と3階に嵌められた総ガラスの木製建具の取り合わせが印象的です。
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資料が残っていないので建築時期は明確ではないようですが、高野口駅開業後の早い時期には建てられていたと推定されています。
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平成24年には保存修理が行われ、堂々とした姿が保たれています。
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現在、貴重な文化遺産として、かつての賑わいを今に伝えています。
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葛城館のガラス戸に映るJR高野口駅。
では、再び大和街道へ戻ります。 -
大和街道に戻って来ました。
屋根の形状が入り組んだ町家です。 -
旧高野口町の小型の汚水桝の蓋。
旧高野口町の花「サツキ」をモチーフにしています。 -
葛城館と同様、総ガラスの木製建具を嵌めた町家です。
大和街道へ戻って早々なんですが、ここから東に延びる道沿いに良い町並みがあるので、ちょっと寄り道します。 -
東に延びる町並みです。
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古い工場でよく見かける三角屋根の建物は、駐車場として使われています。
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こちらは三軒長屋です。
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こちらの長屋の一部は、鉄骨で2階の床を補強しています。
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こちらのお店は、安全のため2階の窓に手すりを付けておられます。
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こちらは、地元の人々から子安開運の地蔵尊として崇拝されている四條畷地蔵尊です。
では、またまた大和街道へ戻ります。 -
大和街道に戻って来ました。
JR高野口駅の方角に目をやると、葛城館の姿が見えています。 -
ここから「ババタレ坂」と呼ばれている坂道に入ります。
明治34年(1901年)の高野口駅開設により、九度山町の営林署から高野口駅まで高野山の杉材を牛や馬で運んでいましたが、その際、この坂道で牛馬が糞(ババ)をしたために「ババタレ坂」と呼ばれるようになったと伝えられています。 -
150m余りの距離を、うねりながら続く「ババタレ坂」。
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防火のための袖壁のある町家です。
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簓子下見の腰壁が、丁寧な仕事ぶりを感じさせてくれます。
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黒漆喰を塗籠めた瓜型の虫籠窓がある町家です。
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こちらの町家は、元々あった窓が改修されています。
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こちらは、瓦葺の本格的な卯建をあげた町家です。
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今が最盛期のコスモスが坂の横の空地で揺れていました。
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「ババタレ坂」を見上げた光景です。
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大和街道と九度山へ至る高野山参詣道の分岐点に差し掛かりました。
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案内板にあるように、この先へ行くと九度山に通じています。
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こちらは、大和街道と高野山参詣道の分岐点にある名倉市場蛭子神社です。
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こちらの町家は、玄関上に厄払いの鍾馗様が鎮座しておられます。
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黒漆喰塗籠めの町家です。
では、大和街道を先へ進みます。 -
白漆喰で塗り籠めた虫籠窓が鮮やかな印象を与える町家です。
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土塀で囲まれた広大な敷地のお屋敷が見えてきました。
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こちらは、江戸時代から薬種商を営み、庄屋を勤めたこともある旧家のお屋敷です。
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土塀の小窓を覗くと、樹々の向こうに主屋が見えています。
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こちらが江戸時代に建てられた主屋です。
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大屋根には煙出しの越屋根がしつらえられています。
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1階の西側は「ふれあいギャラリー双松舎」として開放され、「坂の上の雲」の乃木希典将軍の直筆と思われる漢詩のほか、江戸時代から昭和にかけての貴重な収蔵品が展示されています。
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旧高野口町の汚水桝の蓋。
紀ノ川の鮎と、町の木「さくら」がデザインされています。 -
こちらの町家は、大屋根の中央部を木彫りの持ち送りで支えています。
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お隣同士が黒漆喰塗の壁に防火用の袖壁をしつらえていて、とてもよく似た外観になっています。
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2階に千本格子の出窓のある町家です。
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白漆喰を塗り籠めた厨子2階建ての町家です。
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こちらの町家は、2階の千本格子の出窓に戸袋が付いているので、格子の内側に雨戸が入れられるようです。
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格子窓と虫籠窓が並ぶ町家です。
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こちらは棟割り長屋のようです。
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背の低い外格子をめぐらせた町家です。
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本瓦葺きの下屋と桟瓦葺きの下屋を直交させた、珍しい形の町家です。
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こちらの町家は、2階の格子窓に鍾馗様がいらっしゃいます。
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大和街道の町並みです。
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庭に入るための門をしつらえておられる町家です。
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庭の外周にめぐらせた土塀の屋根は、珍しい瓦で葺かれています。
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門冠の松がある町家です。
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白漆喰塗籠めの虫籠窓がある町家です。
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妻壁には、持ち送りで支えられた水切り庇が設けられています。
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こちらの町家にも、白漆喰塗籠めの虫籠窓が見えます。
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遅咲きの朝顔が咲いています。
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こちらは、明治8年(1875年)にできた村学を起源とする旧高野口尋常高等小学校の校舎で、昭和12年(1937年)に建てられました。
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木造学校建築の完成形といわれる堅牢な校舎は、今も現役の小学校として使用されています。
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生垣をめぐらせた町家です。
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妻入りの玄関がある町家です。
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何本もの見越しの松が植えられた町家です。
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こちらのお地蔵さんも子育地蔵尊として大切にされているようです。
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では、この辺りで高野口町の町歩きを終えることにします。
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