2022/12/27 - 2023/01/03
10位(同エリア133件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2022/12/27
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車での移動
令和4年12月27日 諫早駅付近→かき焼き屋シーサイドマリンへ(車)
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車での移動
シーサイドマリン→諫早駅付近(車)
2022/12/29
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徒歩での移動
諫早駅付近→天祐寺(徒歩)
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天祐寺
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徒歩での移動
天祐寺→上山公園展望台(徒歩)
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上山公園展望台
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徒歩での移動
上山公園展望台→諫早駅付近(徒歩)
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徒歩での移動
諫早駅付近→さいき食堂
2023/01/01
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徒歩での移動
諫早駅付近→諫早神社
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徒歩での移動
諫早神社→眼鏡橋
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徒歩での移動
眼鏡橋→高城神社
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徒歩での移動
高城神社→鶴森稲荷神社
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徒歩での移動
鶴森稲荷神社→諫早公園
2023/01/02
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徒歩での移動
諫早駅近く→御館山稲荷神社
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徒歩での移動
御館山稲荷神社→展望台
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徒歩での移動
展望台→諫早神社
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徒歩での移動
諫早神社→諫早駅付近
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徒歩での移動
諫早駅付近→弘法大師堂
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徒歩での移動
弘法大師堂→本明川河川敷
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徒歩での移動
本明川→諫早駅付近
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この旅行記スケジュールを元に
令和4年も年の瀬の頃、一足先に帰省している主人の実家に向かいました。
まずは、牡蠣焼きを食べに行くことになりました。
そして、近くではあるものの、なかなか行くことのなかったお寺を尋ねました。
そして令和5年の年明けには、近所の神社に初詣に出かけることに。
諫早三社参りをしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 徒歩
PR
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令和4年12月27日(火)
牡蠣焼きを食べに向かいます。
左側に林檎のバス停が見えます。 -
今度は右側にみかんのバス停があります。
この付近には
フルーツのバス停がたくさんあります。
メロンのバス停などもありました。 -
こちらが牡蠣焼きのお店です。
シーサイドマリンさんです。 -
牡蠣を焼いているところです。
この他に、はまぐり、あさり、さざえ、海老、ソーセージなど‥‥もありました。 -
こちらはお店から見える有明海です。
この近くにはスーパー堤防もあります。 -
山茶花高原方向に向かったところ、教会がありました。
聖母マリア像です。 -
児童養護施設のようです。
聖母の騎士聖フランシスコ修道女会です。 -
令和4年12月29日(木)
上山公園案内図です。
天祐寺に向かいます。 -
虚空蔵堂参道
奥の院に向かいます。 -
天祐寺の山門です。
もうお正月の準備も万端なようです。 -
誰もいない参道は静かでした、
この先では焚き木をしていたため、少し燻った感じがします。 -
右
タムチェン・ドルジェレクパ
チベットの土着の神です。もともと仏教に敵対していましたが、後に仏法守護の誓いを 立てたご護法尊となりました。魔除け・災害除けに御利益あります。
中
一髻羅刹女(いっけいらせつにょ)(梵 エーカジャター)
観音菩薩の頭頂の髻から生まれた憤怒の女神で、その姿は空性中道の悟りを体現します。罪障消滅に御利益があります。
左
サチェン・ラーフラ
元はインド神話に出てくる日食月食を起こす羅睺星で九曜の一つです。はじめは祟りをなす悪神でしたが、執金剛という仏の力で仏法を守護する神となりました。チベットでは特に中風除けに御利益があると言われますが、除災・厄除けに御利益が あります。 -
大黒天(梵 マハーカーラ)
仏教の守護神です。
インドで祀られた大黒天は日本の大黒さんとは違い、魔神を踏みつけ 憤怒の姿をしています。寺院を守護し、財産を守って下さいます。 -
迦那鉢底尊(梵ガナパティ)
インドではガネーシャ、日本では聖天・歓喜天 として知られてます。古くは様々な障害を もたらす魔の首領でしたが転じて様々な災厄から守って下さる神様でもあります。
また財産を増やし、 財宝を授けて下さる神様です。 -
白傘蓋仏母(梵 シタータパトラー)
白い傘を持つ千面千手千足の女尊です。
曹洞宗では女尊の陀羅尼である『楞厳呪』をお唱えします。国土を守護し、あらゆる災害から身を守 ってくれて、厄除けに御利益があります。 -
奥の院へと向かいます。
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右
布禄金剛
福徳を司る財宝神です。
右手にシロトンの実を持ち、左手に宝をはき出すマングースを持っています。
商売繁盛、事業繁栄など財産を増やすことに御利益があります。
左
財源天母
日本では三十三観音の一つで、持世観音とされています。富と財宝の女神です。
福禄 金剛と夫婦であるとされ、財産を増やすことに御利益があります。 -
竹林になっています。
左の白っぽい煙は、焚火です。 -
訶梨帝母)(梵バーリーティー)
もとは夜叉の妻で500人の子を持ちながら、人 間の子供をさらって食べる鬼女でしたが、釈尊の力で改心し、逆に子供を守護する女神となりました。日本では鬼子母神として知られています。
子供を守り、安産・子育て、また盗難除けに御利益があります。 -
お寺の方が掃除してるくらいで、他には誰もいません。
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岩をくり抜いて作られていました。
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五守護仏母尊の由来
五守護仏母(パンチャラクシャー) とは、5人の女性の仏様(仏母)の総称で、特にチベ ット、ネパールで篤く信仰され、日本ではあまり紹介されることのなかった仏様です。
病気や財産を失うなどの困難に直面したとき、ある いは長寿を祈るときお参りすれば霊験あらたかと言われております。
ネパールで400年も続く石仏師の家系であるダル マ・ラジュ・シャキャ氏によって、ネパールの石で作られた仏様です。 -
五守護仏母
病気や財産を喪失したとき祈願すると御利益がある女性の仏様です。
右から
大寒林仏母(梵 マハーシタータヴァティー)
魔を払い伝染病や猛獣、害虫の災いから守護して下さいます。
密呪随持仏母(梵 マハーマントラーヌサーリニー)
あらゆる病気から身を守り、三千世界を守護して下さいます。
大随求仏母(梵 マハープラティサラー)
妊婦を守護し安産に御利益があります。また病気平癒、罪障消滅にも御利益があります。
大千摧砕仏母(梵 マーサーハスラプラマルダニー)
天変地異から国土を守り、魔の障害から守護して下さいます。
大孔雀仏母(梵 マハーマーユーリー)
蛇をはじめあらゆる毒害や疾病、また天変地異から身を守って下さいます。 -
右から
金剛手菩薩(梵ヴァジラパーニ)
古くは釈尊のガードマンのような菩薩様です。日本では仁王、 金剛力士として知られています。仏の力を表しています。
五字文殊菩薩(梵 アラパチャナ)
あらゆる愚かさを断ち切り智慧を授けて下さる仏様です。仏の智慧を表しています。
学業成就に御利益があります。
六字観自在(梵 シャダクシャリー・ロケシュヴァラ)
観音様の真言「オーン・マニ・パドメー・フーン」の威力が仏様になったもの。仏の慈悲を表します。
十月生まれの守護観音です。 -
木々に囲まれて静謐な雰囲気です。
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少し坂になっていますが、滑らないように凹凸があります。
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仏塔(ストゥパ)でしょうか?
ボロブドゥール遺跡やプランバナン遺跡を思い出しました。
虚空蔵堂の「虚空」とは広大無辺、破壊できない から最勝「蔵」とは無限に福徳と智恵を生み 出し続ける、という意味です。 -
常香炉
まだお正月前のためか、蓋がしてあります。 -
奥の院
『虚空蔵堂』は虚空蔵菩薩をお祀りした御堂です。
虚空蔵菩薩様とは八大菩薩の一人で、頭 に五仏の宝冠を頂き、左手に無量の福徳を生 み出す如意宝珠を、右手に智恵の象徴である利剣を持った姿をされてます。
それ故特に、罪障消滅(厄除け、病気平癒) と福智円満(開運増益、学業成就)に最も優れ 御利益があります。 -
マニ・コル堂
チベット仏教では「マニ車(マニ・コル)」と言って、真 言やお経を円筒の中に入れたものを回すことによって功徳 を得る風習がありますが、日本でも古来より経典を収めた筒状の棚(輪蔵)を回すことで経典をすべて読んだのと同等の功徳を得られるという風習がありました。 当寺のマニコルには表面に釈迦如来、 観音菩薩、金剛薩 埵真言が刻まれ、筒の中にはたくさんの経典が巻き込まれて います。
経筒の手すりを持ったまま、右回りに三周以上好きなだけ 回って下さい。
と書いていました。 -
金剛薩埵(梵 ヴァジュラサットヴァ)
手に金剛杵と金剛鈴を持つ、密教の仏様です。その起源は釈尊のガードマンのような金剛手(いわゆる仁王)やインド神話のインドラ神ですが、仏教では大日如来に次ぐ地位を得て、さらに宇宙の初めから存在する根源的な仏となりました。 懺悔滅罪に絶大な御利益があります。 -
低めの白壁に囲まれています。
順番は逆ですが、天祐寺の本堂の方へ向かいます。 -
天祐寺の御本堂です。
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仁王像
山門を守っています。 -
こちらは天祐寺の山門です。
奥の院に先に行きましたので、逆になってしまいました。 -
こちらは道路側の白壁です。
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天祐寺に隣接する上山公園です。
これから、展望台へ向かいます。 -
結構山深い所まで来たような山道です。
人もいませんので、女性1人だとちょっと抵抗があります。
この日は義姉と一緒です。 -
整備されていますが、一段分の高さがありますので、ちょっときつめです。
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ガマズミでしょうか。
綺麗です。
この時期はお花が少ないので、明るい色味の物には目がいきます。 -
展望台
展望台までは、いくつかの道があります。
誰もいないと思っていたのですが、到着すると他の人もいました。 -
長崎方向の眺望です。
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パノラマ撮影しました。少し雲があります。
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県立競技場
正式には「トランスコスモススタジアム長崎」です。
長崎県立運動公園内にあります。
ただ、長崎市には2024年9月、ジャパネットが800億円をかけて、長崎ジャパネットスタジアムシティが建設される予定です。 -
一旦帰宅して、近くのお店に。
さいき食堂です。
昔からやっているお店です。
いつもは出前をお願いしてますが、この日は主人と食べに来ました。
お店はこじんまりとしてますが、奥には畳の席もありました。 -
ちゃんぽんです。
なんと600円です。とてもリーズナブルです。
そして安心なお味!
他のメニューは、麺もの、丼もの、定食、カレー、オムライス‥‥。
1000円以上のメニューはありません。
1番高くて850円でした。
このご時世、助かりますが、少しくらい値上げしてもいいような気もしました。
でも、ありがたいことです。 -
令和5年元旦(日)
諫早神社です。
初詣に来たのですが‥‥‥。
かなり混んでいました。
人が写らないように写真を撮るのは困難。
結果的に、こんな写真になってしまいました。
平城京・奈良時代の神亀5年(728年)に、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が当地へ赴き、石祠を祀ったのが始まりと言われています。
もとは九州総守護の神々をお祀りする「四面宮」という神仏習合の神社でした。
古来より諫早の氏神様として、歴代領主の祈願所と定められ、西郷家や龍造寺家・諫早家から篤く信仰されてきました。
明治時代の神仏判然令によって、荘厳寺は分離されることとなり本尊などは近くの寺院に移設されました。
その際に、社名を四面宮から「諫早神社」と改称したのです。
地元の人々からは、「お四面さん(おしめん)の愛称で親しまれました。 -
御神苑は令和4年に新たに作られました。
大きな石がゴロゴロしていますが、この築山は「雲仙塚」です。
諫早神社(四面宮)の御神体そのものと言える「天下の三山」として知られた雲仙の山景を、そのままの形でかたどりました。
総重量70 トンを超える石で組まれています。
これらの石は寄進された石、雲仙地獄の石、平成新山の石など、人々の願いや大地のエネルギーが込められたものなのです。
地球のパワーが感じられそうです。
また、木の鳥居がありますが、これは仮の鳥居で、今後は新たに陶器の鳥居が作られるようです。
ちなみに、昔、諫早大水害以前は、全国でも稀有な陶器の鳥居があったようです。 -
諫早神社の御神苑の図
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石がありました。
この石の謂れについては看板の文字が見えなくてわかりませんでしたが、翌日横の看板に解説がありました。
それによると以前あった四面菩薩坐像に見立てた磐座のようです。
そしてそのご加護を宿した桜の木のことです。
諫早神社の御神像である四面菩薩坐像は江戸時代・宝永 2年(1705年)に造られたものです。
九州総守護の神々が宿る御神体として祀られてきたようです。
神仏分離令の際に、諫早神社 (四面宮)から天祐寺に移設され令和3年に、県の有形文化財に指定されました。
なるほど、先日行った天祐寺に今はあるんですね。 -
義姉がとっておいたものです。
こちらに陶器の鳥居の事が書かれていました。 -
諫早神社の令和4年の報告
すぐそばの本明川の河川敷で、流鏑馬していたようです。
また、野点をしたり、面白いのは手で触れることなく魚をさばいた庖丁式という儀式です。 -
諫早神社のクスノキです。
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諫早神社の御朱印ですが、700円でした。
他にも色々ありました。
ただ、自分の持っている御朱印帳のサイズに合わせました。 -
本明川
長崎唯一の一級河川です。
最終的には有明海に注ぎます。
昔は大川と呼ばれていたようです。
この日は初詣の人で多く、河川敷は諫早神社の参拝者用の駐車場にもなっていました。昭和32年の諫早大水害以降は川幅拡張・眼鏡橋移設・橋の桁上げなど河川改修が相次いで行われまぢた。
また、毎年7月25日には死者の慰霊のための川まつりが開催されています。
ちなみに、こちらでは春の流鏑馬なども行われているようです。
また、鳥たちにとってもオアシスになっています。
この写真も、一応サギを撮ったつもりなのですが。
それから、川には飛び石があり、橋がなかった頃から、重要な交通のルートになっていました。
諫早神社付近から長崎街道の、永昌宿のそばで、諫早街道の起点でもありました。 -
眼鏡橋にやって来ました。
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こちらは長崎市ではなく、諫早市の眼鏡橋です。
本当に眼鏡のようです。
昭和33年に石橋としては初めて国指定重要文化財に指定されました。
「日本を代表する美しい石橋」と評価されています。
本明川に架かっていた橋は、洪水のたびに流され、眼鏡橋架橋以前は飛び石伝いに川を渡るという不便なものでした。
そのため、永久に流されないを造ろうと、石橋の建設が始められ、天保十年(1839)に完成しました。石橋は二連アーチ式(二ス間)で、「いさはやのめがねばし
いきもどりすれば おもしろかなり」のかぞえ唄で親しまれていました。
昭和32年に起こった諫早大水害は、死者行方不明者630名の大災害でした。 -
こちらは角度を変えた様子です。
諫早大水害の復旧のため、川幅を広げることとなり、ダイナマイトなどで壊す計画がありましたが、眼鏡橋を残したいという人々の願いによって、昭和36年(1961年)にこの顔早公園へ移設されました。
移設作業は、困難を極めたそうです。移設作業のために造られた5分の1の精巧な模型である「ミニ眼鏡橋」も、同じ公園内に移設されています。
ちなみに、現在の諫早駅にもミニ眼鏡橋があります。 -
反対側からの景色です。
この川では蛍が見られるようです。
川をネットで覆って保護していました。
今度は高城神社へ向かいます。 -
高城神社の手水舎ですが、花手水になっていました。
可愛らしい女の子とお花が綺麗です。 -
眼鏡近くの高城神社にやって来ました。
こちらも、かなり混んでいます。 -
拝殿
諫早家初代、龍造寺家晴公を祭神として祀っている神社です。
1882年に建立されました。
諫早城跡に隣接しています。
城山の頂上に高城大明神として祀られたのがはじまりです。
藩主の家晴公の子である直孝公が、姓を諫早に改めたことが「諫早」の地名由来のようです。
高城神社は初代藩主だけでなく、菅原道真も相殿神として祀られているのだそうです。
以前は本明川の対岸に天満宮がありました。ただ後に天満宮が合祀されました。
そのため学問の神様である菅原道真が祀られるようになったのかと個人的に思っています。 -
高城神社の御朱印です。
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鶴森稲荷神社の鳥居です。
高城神社の右隣にあります。 -
朱色の鳥居が連なっています。
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鶴森稲荷神社
創建は、安政6(1859)年
祭神は、宇迦之御魂神です。
諫早家代15代武春公の祈願により、御舘山稲荷の藤森稲荷と同時に、伏見稲荷から分霊拝受して諫早に祀った三稲荷の一つです。
その時に建立されたのが、拝殿脇の石祠です。 -
こちらから、諫早城址へと向かいます。
ちなみに諫早城は高城城、または亀城、または伊左早城とも呼ばれています。 -
東の丸
江戸時代になると幕府から「一国一城谷」がだされ、高城は姿を消しました。
そして大正12年(1923年)つつじが植えられ、人々の憩いの場としての諫早公園が誕生したのです。
つつじの季節も綺麗でしょう。 -
伊東静雄の詩碑がありました。
1906年(明治39年)諫早市に生まれました。
京都帝国大学国文科卒業後、大阪で教鞭をとりながら詩集「わがひとにふる哀歌」を出版し萩原朔太郎の激賞を受けました。
その後「夏花」「春のいそぎ」「反響」を上梓。日本を代表する浪漫派の詩人です。
1953年(昭和28年)大阪にて亡くなり、諫早市内広福寺に眠っています。
「手にふるる野花はそれをつみ花とみつからをささへつゝ歩みをはこへ」
と隣に詩碑がありました。 -
本丸へ登ります。
この鳥居は、天保14年(1843年)の建立です。 -
武者走り
南北朝時代、伊佐早地方は船越城の伊佐早氏と宇木城の西郷氏の勢力に分かれていました。
戦国時代には、西郷尚善が伊佐早次郎入道を討ち、宇木城から諫早へ進出し、船越城に入り、文明6年(1474年)頃に、この地に諫早城(高城)を築きました。
天正15年(1587)、4代目西郷信尚は、豊臣秀吉の九州征伐の参陣命令に従いませんでした。
そのため3,500の兵に総攻撃を受けることになり、抵抗虚しく落城しました。そしてやむなく島原半島の方へ落ち延びました。
その後、信尚は妻の実家の平戸に逃れ、その子、純久は五百石を与えられ松浦氏に仕えたそうです。
その後、西郷家の生き残りの武士たちは再集結し、奪還のため夜襲を掛けました。これを西郷一揆と言います。
ただ、無念にも失敗に終わり、夜襲を計画した73人は後日、桜馬場の「祝賀大踊り」で捕えられ処刑されたようです。 -
本丸の広場です。
諫早氏は、独立した大名であったが家晴の子・二代目の直孝が病身のため、大名を破棄し佐賀藩の家老となりました。
諫早氏は諫早城(高城)を居城としていましたが、老朽化のため維持が困難なことから、城を廃し、新しい陣屋(諫早陣屋)を築き、明治頃まで、代々諫早氏が治めました。
その後、学校に転用されましたが、書院を除いて解体されてしまいました。 -
大きなクスノキがありました。
国指定の天然記念物です。 -
立派なクスノキです。
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本丸からの眺めです。
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忠霊塔と言えばいいでしょうか、
東郷平八郎元帥の石塔です。 -
面白いことに石塔の下が亀のようです。
元々諫早城は、通称亀城と呼ばれていたようです。
そのため「がめんとさん」と呼ばれるのだそうです。亀の伝説があるようです。
それにしても亀も石塔を背負っているのは、さぞや大変でしょう。
奥には左に藤原明神と右に高城明神が並んでいます。
※ かつて本明川の山下の渕に大亀がいて、城の下に潜り込んだために、敵が城を攻めると亀が手足を伸ばして山を押し上げたため、敵は攻めることができなかったのだそうです。 -
紅葉の頃はかなり綺麗でしょう。
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諫早公園の城壁跡かなぁ~とも思いましたが、流石に当時のものではないでしょう。
所々木の根が突き破っていたり、壁面が欠落している箇所もありました。 -
帰りはこちらの鳥居から戻りました。
目の前は本明川です。 -
令和5年1月2日(月)
今日は御館山神社へお参りに出かけます。 -
石段を登って行きます。
結構古い鳥居です。 -
お正月ですが、この付近では、ほとんど人に会いませんでした。
車で行かれる方が多いようです。 -
道路を挟んで、また石段を登ります。
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また鳥居です。
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この神社には以前も来たことがありました。
以前は、別の道を通って来ました。 -
上にはお稲荷さんがあるようです。
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御祭神は、宇迦之御霊神、猿田彦神、大宮売神です。
御館山は、大宝年間(701~703年)に、行基菩薩が九州巡行の折、五智光山として開基されました。
平安末期に、鎮西八郎為朝が館を築いて、武術を練ったことから、御館山と呼ばれるようになったそうです。
1692年、五智光山 四面上宮
1751年 豊前英彦山の豊前坊が鎮座されています。
また山中には霊塚が多数あり、稲荷信仰の霊地としても賑わってきました。
寛延3年1750年、諫早藩主八代目の茂行公の際に、諫早一揆(百姓一揆)が起こり、民衆は困窮を極めて各地の神社に返地の祈願が行われました。
その折、御神託によって京都伏見稲荷を勧請し、上り地返還、諸願成就、領内安泰を祈願するため正林の大乗院に社殿を建立し祭祀されました。
その後、領地は全部返還されましたが、稲荷神社の御加護によるものとして、この大神を祀ることとなりました。
明治5年(1872年)社寺分祀の令により、稲荷社を御館山に移し、藤の森稲荷神社と合祀しました。
衣食住の祖神として、生産豊饒・商売繁盛・家内安全・除災招福・交通安全の守護神となっています。 -
鎮西八郎為朝ゆかりの矢受け石
御館山は標高99メートルあり、若き日の源為朝が頂上に館を築いたので、御館山と名付けられたと言われています。
源為朝(239-270年)は平安末期、源為義の第8子として生まれました。子どもの頃から 体も大きく暴れん坊だったので、見かねた父は為朝が13歳の時に九州に追放しました。 ただ、大人しくなるどころか、戦に明け暮れ、2年のうちに九州を平定し、鎮西八郎と名乗るようになりました。
また、為朝にまつわる伝説が残っています。
為朝は2メート半もある強弓を引く弓の名人として有名でした。石の側面には大きなくぼみがあり、これは為朝の矢がささった跡とも言われ、「矢受石」と呼ばれています。
また、この御館山の頂上から射た矢が、小豆崎(諫早市の町名)まで届いたそうで、「矢着崎」がなまって、「小豆崎」になったとも伝えられています。ちなみに小豆崎は約3kmも離れています。 -
順番は逆ですが、手水舎です。
諫早家代15代武春公の祈願により、鶴森稲荷神社と同時に、伏見稲荷から分霊拝受して諫早に祀った三稲荷の一つです。 -
御館山稲荷神社の御朱印です。
種類は多かったのですが、これにしました。
淡い色のせいか青龍も、少し優しく感じます。(笑) -
先日登った上山公園の展望台が見えます。
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展望台に向かったのですが、途中にありました。
霊塚でしょうか。 -
展望台です。
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いい天気です。
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遠くに大村湾が見えます。
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先日通った競技場もここからだと見えます。
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上山公園の展望台もぽつりと見えます。
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天気が良くてよかったです。
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帰り道ですが、岩が迫り出していました。
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令和5年1月3日(火)
弘法大師堂
御館山の入口にひっそりとあります。
説明板はありましたが、劣化していて何が書かれていつかわかりませんでした。 -
本明川の飛び石です。この先に先日行った諫早神社があります。
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かもがスイスイ気持ちよさそうです。
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トンネルから電車が出て来るところを撮りたかったのですが、失敗でした。
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電車です。
これは島原鉄道です。
新幹線が開通したため、以前に比べると、在来線の本数は減りました。
諫早には何度も来てますが、意外に知らない事も多かったことに気付かされました。
本年もどうぞよろしくお願いします。
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