2022/12/14 - 2022/12/16
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hijunoさん
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鹿児島を訪れました。一日目は親戚を訪ね、二日目は以前から行きたかった仙厳園、その後指宿へ移動。
三日目は指宿から霧島へ。
孫を連れての旅、無理をしないように、感染対策に気を付けての旅。
短い旅でしたが、久しぶりに鹿児島を訪れて懐かしい旅になりました。
一日目の仙厳園、その周辺のかつて近代化の先駆けとなり、近代化、工業化の発祥の地となった洋式工場群のあった集古館、新しい文明を取り入れ、近代化を図った島津氏、その島津氏が別邸として、また本邸としても住んだ御殿、
桜島と海が臨めるロケーション、どれも心に残りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ 徒歩
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いきなりですが、タコ焼きと焼きそばを食べて出発です。
伊丹空港ではお決まりのコースになりました。 -
今年一番の寒波とかで、晴れていますが、飛行機は結構揺れました。
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親戚での用事を済ませ、桜島を観ながら鹿児島市内へ移動。
冬の桜島、美しいです。 -
ホテルに到着して、夜は夕食を食べに外へ。
天文館商店街を歩くのも楽しみ♪ -
こちらのお店で焼き肉を。
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黒毛和牛も美味しく、シーフードも新鮮。
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個室だったので、小さな孫が居てもゆっくりできました。
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天文館商店街もクリスマス仕様。
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商店街にこのような像が。
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説明にもありますが、島津氏25代当主、薩摩藩8代藩主の島津重豪は蘭学にも優れ、学問に熱心、1773年には明時館(天文館)を設立して、暦学や天文学の研究を行っています。
そのほか、重豪は庶民にも教育の場を設けたり、医学の発展のために医学院を設けるなどをすすめます。 -
鹿児島名産のお菓子、かるかん、などをこちらのお店で買います。
昔からのいろんなお菓子があって、楽しかった~。
母が大好きだった「あくまき」もこちらで買いました。
懐かしいです。
子供のころは、鹿児島のお土産といえば、「かるかん」と「ぽんたんあめ」と決まっていましたが、いまは、かるかんも味がいろいろ出ています。
面白いですねぇ。 -
懐かしいお菓子もたくさん。
素朴な郷土のお菓子たち。
かるかんも、様々な味がでたのですねぇ。カスタード入りもあって、驚き。
進化します。 -
部屋から、朝の桜島。
お風呂は温泉の大浴場へ。
朝も行きます。
そこから観た桜島も美しかったです。 -
ずっと来たかった仙厳園へ来ました。
駐車場へ車を停めて、すぐ近くの鶴嶺神社へ。
島津歴代の当主と家族が祭られています。
島津義弘の娘 亀寿姫は聡明で賢い女性、参拝すると心身ともに美しくなるという言い伝えがあります。
宝物も多くあったそうですが、西南戦争の際に略奪され、現在も行方不明とか。
神社境内には島津斉彬の命で造られた、我が国初めての溶鉱炉の跡もあります。
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島津氏は源頼朝の子孫ということは聞いたことがあります。
島津重豪が鎌倉の頼朝の荒れ果てた墓所を立て直し、そのことに感謝した鎌倉の有志がこちらに墓所再興報恩塔を造ったとのこと。 -
境内にあった、水師営のナツメの樹。
日露戦争の旅順開城の際に乃木大将とロシアのメッテル将軍が会見した水師営の民屋にあったナツメの樹の実から育てたものだそうです。 -
島津義弘が宮崎の荻野神社に挿し木奉納をし、その杉並木は国の天然記念物に指定され、義弘奉納杉の二代目がこちらに献木されたそうです。
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薩摩藩主 島津斉彬の積極的な西洋文化を多く取り入れ、産業や軍備などの発展を促します。
このあたりは、多くの工場も立ち並び、外国からの技術者も多く住み、いちはやく、日本の近代化の先駆けとなった場所となります。
周囲には、外国人技術者が滞在した洋館も残っています。 -
仙厳園に入ります。
広いです。
様々な建物があります。 -
まずは入口にあった、こちらから。
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写真がいまいちですが、薩摩切子、うつくしいです。
薩摩藩の家紋の十文字。 -
館内には世界文化遺産としての説明があります。
薩摩藩主 島津斉彬の集成館事業と呼ばれるものを造りますが、
製鉄や造船、紡績、ガラス、化学などの様々な事業を行います。
日本最初の様式工場群が集成館と呼ばれています。 -
反射炉もその技術のひとつで、主に大砲を造るために使われたそうです。
こちらは祖の模型。
斉彬が造らせた反射炉は高さが20mほどのもの。 -
耐火煉瓦。
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薩摩切子もその進んだ技術。
とても気品のある雰囲気のガラスです。 -
薩摩出身の偉人たち。
歴史的なパネルもあって、島津斉彬が西洋的な技術をいち早く取り入れ、
近代化を図った様子がわかります。
斉彬のひいおじいさんの島津重豪が蘭学に精通していた学問好きの影響もあったのかもしれない、、、とふとおもいました。 -
反射炉跡へいきます。
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1857年に完成した反射炉の跡です。
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山神、水神を祀っています。
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仙厳園に行く途中にある蔵のような建物。
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正門。29代島津忠義が建てさせた門。
丸に十文字の島津家の家紋が見えます。 -
仙厳園へ。
1658年、19代藩主 島津光久によって造られた別邸。
「磯御殿」とも呼ばれています
広い庭園は50,000㎡ほどの面積。
桜島を築山、錦江湾を池に見立てた庭園。
中国や琉球とも古くから交流があったことから、こちらの庭園にもその異国の文化があちこちに見受けられるそうです。 -
獅子が乗った大きな灯籠。
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錫門。錫の瓦を使った朱色の門。真ん中の広いところは、お殿様と後継ぎのみが通れたそうです。
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ロケも行われたようです。
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まずは庭園から見学。
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中から大きな灯籠を観ます。
畳1畳分くらいある大きな石。 -
美しく手入れされたお庭が広がります。
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イチオシ
桜島が景色に溶け込む。
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1658年に島津光久によって建てられた御殿。
中も見学できますが、開館時間まであと少し。 -
桜島が見える庭園。
どこを見ても画になる風景。 -
御殿まわりの庭園。
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沢山の種類の樹々。
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望嶽楼。
雰囲気が少し違う建物と思ってましたら、琉球国王から贈られた建物だそうです。 -
見えにくいですが、、遠くに見える岩。
千尋巌。1814年に27台の島津斉興が刻ませたもの。
三文字の長さは11メートル。
3000人の人員と3か月の月日が費やされています。 -
説明板がありました。
こちらも中国の影響を受けたもの。 -
こちらの場所でもロケがあったようです。
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庭園の中に、高枡の遺構が残っていました。
石造の給水施設、水道施設です。
進んだ技術です。 -
湧き水を水管で集めて、御殿前の池などに流していると説明にありました。
今も水が流れていました。 -
古い石畳。こちらも実は、ダムの一部であったとか。
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ここでも、ロケがあったようです。
西郷どん、、、懐かしいです。
庭園内、あちこち撮影で使われていたのですね。 -
こちらは昭和になって建てられた茶室。
秀成荘と徒然庵。 -
イチオシ
逆光ですけれど、このあたりは高台で、桜島がゆったりと眺められます。
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海と仙厳園の風景。
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高台にある記念碑。
水天渕発電所。
1907年に島津家が経営していた山ヶ野金山への電力供給のために姶良郡隼人町に建てられた発電所ですが、昭和58年まで仕様されていた石造の建物です。
建物もヨーロッパ風の珍しい建物だったと説明にありました。 -
さらに坂道を登り、曲水の庭を見学します。
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途中またしても、石造の遺構。
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水力発電所用のダム跡です。
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高台から見下ろす風景。
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のどかな風景です。
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曲水の庭があります。
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桜島がうまく借景になるように配置された植木。
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広々とした曲水の庭です。
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優雅な時間を過ごしていたのですね。
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ばくちの樹と名付けられた樹。
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葉っぱが落ちて、はだかになってしまうので、こんな名前が。
ちょっとかわいそうです。 -
竹林もあります。
広いです。 -
趣ある庭園です。
左には神社。 -
御庭神社。
園内を流れる保津川のほとりにあります。
もともとは仙厳園と別邸、鶴丸城にあった13の神社を一つにして祭っているそうです。 -
近くの椿の樹、、ピンクの絨毯ができていました。
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神社の灯籠もお洒落です。
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神社の周り、紅葉がとても美しい。。
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この付近は一段と静かです。
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厳かな雰囲気の神社でした。
パワースポットとしても紹介されているそうです。 -
蘇鉄がそびえます。
やはり、ここは南国なんだなぁ~と。 -
庭園を一周して、御殿にもどってきました。
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外側から中を見ても、豪華。
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気品が漂う造りです。
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入口に看板。
1658年に島津家19代光久によって建てられ、幕末以降は国内外の賓客をもてなす施設となったそうです。29代の忠義は本邸とし、30代忠重は東京に在住し、鹿児島に戻った時の住まいとして維持・管理をしてきたと、説明書にありました。 -
順路にそって見学。
鍵隠し探し、、、とても面白かったです。
可愛い種類があちこちに。 -
長い廊下を歩き、
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ドラマの「せごどん」で仕様された衣装。
篤姫の着物や斉彬の服装。ベストが洋風です。
島津久光の衣裳が展示されていました。 -
順路に沿っていきます。
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篤姫や西郷隆盛、、薩摩の活躍した人々の説明があります。
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島津氏の仙厳園での生活の様子。
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明治以降の侯爵島津家としての歴史。
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美しい調度品。
これは29代忠義がロシアのニコライ2世の戴冠式の際に贈ったものの複製だそうです。
豪華です。 -
中庭も気品ある雰囲気。
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説明にもありますが、こちらの場所はかつて祖霊を祀った神社があったそう。馬たちは園内にあった神社に奉納されていたものだそうです。
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あちこちにある釘隠し。
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コウモリもありました。
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中からお庭を。
梅も咲いたら綺麗でしょう。 -
縁側に座って、この風景をいつまでも眺めていたい、、とおもいました。
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謁見の間です。
賓客と面会するための部屋。
天井の電気照明は明治時代から使われているものだそうです。 -
こちらは和風に。
お殿様の場所でしょうか。 -
二つの部屋は仕切られるようになっていたようですが、
この欄間?がとても素敵でした。意匠をこらしています。 -
御居間。
29代の忠義が一日の大半を過ごした部屋だそうです。
風水によると、とても良い場所だそうです。 -
桜島も見えます。
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とても美しい部屋。
29代忠義が着替えなどに使った部屋だそうです。
狭い部屋も矢羽の天井にすることによって、広く見せていたそう。 -
忠義はとても几帳面な人で、こちらで毎朝、身支度をしてたそうです。
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忠義の寝室。
寝床の床下には断熱のためのモミが敷き詰められていたそうです。
忠義は規則正しい生活で、9時には就寝していたそう。こじんまりとして落ち着く部屋ですね。 -
お風呂。
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披露の間。
こちらで贈り物を受け取る窓口の部屋だったそうです。
テーブルと椅子は昭和天皇・皇后の使われたものだそうです。 -
八角形の中庭。
風水の影響だそうです。 -
第30代忠重が12年間使った部屋。
床の間の甲冑はニコライ二世が仙厳園を訪れた際に忠重が着用してたものの複製。
大正時代には改築されて玄関になっています。 -
もう門松が飾られていました。
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仙厳園を入るとお店が並んでいます。
帰りはこちらで名物の両棒餅を食べることにしていました。 -
孫はお餅好きで、パクパク食べていました。
柔らかくておいしかったです。
このお店以外にもお土産物屋さんがあって、可愛いお菓子などを買いました。 -
尚古集成館へ。
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こちらで、島津家の歴史などの説明、遺物などを見学します。
小さな展示室でした。 -
こちらが本館ですが、耐震の関係で閉館になっていました。
残念です。 -
1865年に建てられた機械工場であったところを博物館にしたと聞きました。
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中を見学したかったです、、、残念。
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可愛い樹がありました。
赤い実がクリスマスぽいです。 -
駐車場から山のふもとに洋館が見えました。
このあたりには古い洋館がいくつかありました。
技術者たちが滞在した異人館と呼ばれる洋館もあります。
ここもその一つなんでしょうか~。
時間があったら、またゆっくり歩いてみたいとおもいます。
これから、指宿へ向かいます。
長い旅行記を読んでいただいて、ありがとうございます。(^^)
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