2022/11/11 - 2022/11/11
2258位(同エリア2715件中)
旅四郎さん
今年度の秋の散策は「近代日本を代表する京都の名庭園を巡る」と銘打って、京都三条に点在する七代目小川治兵衛が造った庭園を散策。同時に岡崎公園に残された歴史的な石碑も見学した。
11月11日(金)午前10時に京阪本線三条駅に集合。少し歩いて岡崎公園に入る。いくつかの石碑を見て、平安神宮に行く。最初の庭園は平安神宮神苑。神苑を散策した後、岡崎公園で昼食。この日の岡崎公園にはたくさんの露店が出ていた賑やかな感じだった。食後、京都市美術館別館で自由美術展が実施されていたので見学。午後1時に予約していた無鄰菴に行く。午後1時30分に無鄰菴の解説があるので、それまでは自由散策。解説を聞いた後、庭に出て記念撮影。無鄰菴を出て、すぐ近くにあるKOKOKA 京都市国際交流会館に行き、ここで休憩。ここの庭園も平安神宮神苑、無鄰菴と同じく七代目小川治兵衛の作庭。七代目小川治兵衛作庭の京セラ美術館日本庭園、白河院庭園に行く予定だったが、時間がなかったので行けなかったのが残念。京阪本線三条駅に戻って、ここで解散。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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11月11日(金)京阪本線三条駅を午前10時過ぎに出発。参加者は11名。二条通りから岡崎公園に入ると、写真の延勝寺跡碑がひっそりと建っている。院政期、天皇・中宮の発願で岡崎の地に六つの「勝」の字がつく寺院が建立され、六勝寺と呼ばれた。延勝寺はその一つで、近衛天皇の御願寺で、1149(久安5)年に落慶供養が行われた。応仁の乱によって廃絶。
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延勝寺跡石碑のすぐ近くに、写真の源氏物語石像がある。2008(平成20)年「源氏物語千年紀」に、京都府石材業協同組合が京都市に寄贈されたもの。『源氏物語』第12帖「須磨の巻」で光源氏が須磨に退去する際に詠まれた贈答歌が彫られている。光源氏「身はかくてさすらへぬとも、君があたり去らぬ鏡の影は離れじ」、紫の上「別れても影だにとまるものならば鏡を見てもなぐさめてまし」
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さらに東に進むと、成勝寺跡碑がある。成勝寺は崇徳天皇の御願寺。1139(保延5)年に落慶供養が行われ、後に堂舎が増築された。崇徳上皇は保元の乱で後白河天皇らと対立して讃岐に流されたことから、怨霊を慰撫するためにこの寺で御八講法要が行われた。この寺も応仁の乱によって廃絶。これらの石碑は意識的に探さないと見逃す。
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成勝寺跡碑と同じ場所にワグネル博士顕彰碑がある。ワグネルはドイツの化学者で、明治初期のお雇い外国人。大学南校や舎密局に新設された化学校で教授した。陶磁器、七宝、石鹸、ガラス等の製造を指導し、京都の産業近代化に貢献した。この碑はワグネルの業績を顕彰するもので、1924(大正13)年に岡崎公園で開催された東宮殿下御成婚奉祝万国博覧会参加五十年記念博覧会に際し建立された。
ワグネル博士顕彰碑 名所・史跡
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平安神宮に向かう途中に、電燈台座である写真の大典記念京都博覧会門柱があった。1915(大正4)年10月1日から80日間、岡崎公園で大正天皇即位を記念して、大典記念京都博覧会が開催された。この石造りの電燈台座は、博覧会会場内に設けられたものであった。その後、岡崎公園の整備に伴い、移築された。
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平安神宮は平安遷都1100年を記念して、1895(明治28)年に第50代桓武天皇と第121代孝明天皇を祭神に、幕末の動乱で荒れ果てた京都復興のシンボルとして創建された。平安神宮の大鳥居を通り抜けると、平安神宮の神門である写真の応天門がある。応天門は平安京大内裏の正庁朝堂院の南面正門を再現したもので、二層碧瓦葺きの美しい建物。国の重要文化財に指定されている。
平安神宮 寺・神社・教会
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応天門をくぐると、写真の大極殿がある。平安神宮の外拝殿。平安京の正庁である朝堂院を約8分の5の規模で再現したもの。古代には朝堂院の正殿である大極殿は政務の場であり、即位や朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われた。屋根は一重、入母屋造で、碧瓦を用いた本葺、平安時代の栄華を偲ばせる建物。平安神宮では京都三大祭りの時代祭が開催される。
平安神宮 寺・神社・教会
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社殿の西側に写真の白虎楼がある。社殿と同じ年に、裏松固禅の『大内裏図考証』などを参考に木子清敬と伊東忠太の設計で平安京の朝堂院の様式を模して原型の8分の5に縮小して造営された。 白虎楼のすぐ隣に神苑の入口がある。神苑は近代庭園を代表する造園家7代目小川治兵衛により作庭された。平安京千年の造園技法の粋を結集した庭園として、1975(昭和50)年に国の名勝に指定された。
平安神宮 寺・神社・教会
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神苑の入口の門をくぐると、写真の電車の車両がある。これは日本で初めて京都電気鉄道が営業運転したもので、平安神宮の創建と同じ年に京都市内で運行されたことから、苑内に安置されている。1918(大正7)年に京都市に合併された。チンチン電車の愛称で親しまれた我国最古の電車も1961(昭和36)年に廃止になって、ここに展示されている。
日本最古の電車 (平安神宮) 名所・史跡
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さらに進むと南神苑になる。南神苑は八重紅しだれ桜の名所で、平安時代の庭園の特色である入り組んだ細い道筋の「野筋」と幾重にも流れ込んでいる小川のような「遣水」が設けられている。平安時代に著された伊勢物語、源氏物語、古今和歌集、竹取物語、枕草子などに登場する180種類の草木を植栽して、「平安の苑」とし「王朝文化」を偲ばせる。
平安神宮 寺・神社・教会
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西神苑には写真の白虎池 がある。周囲を林にかこまれ一角には涼やかな音を響かせて流れ落ちる滝がある。心落ち着く閑静な庭で、茶席「澄心亭」もある。6月には池の辺に花菖蒲が群生し、初夏から秋口にかけては睡蓮とコウホネ、晩秋には美しい紅葉が楽しめるが、見頃には少し早かった。西神苑の小川沿いに木漏れ日の差し込む林間を抜けると中神苑になる。
平安神宮 寺・神社・教会
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中神苑には蒼龍池があり、豊臣秀吉が天正年間に造営した三条大橋と五条大橋の橋脚を用いた飛び石が配置され、石材臥龍橋と呼ばれる。池に浮かぶ珊瑚島に繋がる。この橋を渡る人には、「龍の背にのって池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わっていただく」という小川治兵衛の作庭の意図が織り込まれている。渡っていると少し怖さも感じる。周囲にはカキツバタが群生している。
平安神宮 寺・神社・教会
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東神苑には栖鳳池があり、辺には写真の泰平閣が建っている。東山連山の一つ華頂山を借景とした雄大な眺めが広がる。中国の伝説の仙郷「蓬莱山」をあらわし、手前に松を頂いた鶴島と亀島が池に浮かんでいる。泰平閣は京都御所にあった京都博覧会の建物を移築したもの。泰平閣の回廊から周囲を見ると、立体的で奥行きのある景色が繰り広げられる。池には亀や魚、鴨がいて、餌やりができる。
平安神宮 寺・神社・教会
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栖鳳池の辺には写真の尚美館が建っている。東神苑は1911(明治44)年2月3日から造営が始められ、1912(明治45)年5月から御所にあった京都博覧会の中堂が平安神宮の貴賓館として移築された。1914(大正2)年に完成して尚美館と名付けられ、八重紅しだれ桜が植えられた。谷崎潤一郎の小説『細雪』の中で「夕雲にひろがっている紅の雲」と表現された美しい桜の絶景が堪能できる。
平安神宮 寺・神社・教会
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平安神宮神苑を見学して出口を出ると、近くに写真の蒼龍楼がある。社殿の東側に建っていて平安京の朝堂院の様式を模したもの。白虎、蒼龍の名称は、玄武、朱雀とともに平安京を守護する四神に対応する四神相応の地とされたことに因んでいる。蒼龍楼の屋根は四方流れ、二重 五棟の入母屋造、碧瓦を用いた本葺が施さ れている。平安神宮から岡崎公園に行って、ここで昼食。
平安神宮 寺・神社・教会
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昼食後、すぐ近くにある写真の「全国水平社創立の地」記念碑を見学。建立の辞には「大正十一年三月三日、全国から三千人の部落大衆が、この地、京都市岡崎旧公会堂に集い、歴史的な全国水平社創立大会を開いた。…水平社はかくして生まれた 人の世に熱あれ、人間に光あれ と結ばれたこの創立宣言は、日本の近代民主化に黎明をもたらす最初の人間宣言の栄誉を担うものとなった」と記されている。
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岡崎公会堂の跡地に京都市美術館の別館が建っている。この日は自由美術協会が主催する第86回自由美術展が開催されていた。自由美術賞や靉光賞などを受賞した作品が多数展示されていた。無料で素晴らしい絵画を鑑賞できて得した気分になった。午後1時に予約していたので、急いで無鄰菴に向かった。
京都市美術館別館 美術館・博物館
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無鄰菴に着くと何人かの人が並んでいた。予約したのですんなりと入れた。玄関から中に入ると、写真の母屋坪庭がある。繊細な竹が美しい。無鄰菴と名付けられた山縣有朋邸は三つある。最初の無鄰菴は山縣の郷里である山口県下関の草庵である。名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。第二の無鄰菴は、京都市の木屋町二条に購入した別邸で、現在はがんこ高瀬川二条苑になっている。
無鄰菴 グルメ・レストラン
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第三の無鄰菴がここ京都・南禅寺界隈に1896(明治29)年に造営された別邸。無鄰菴は写真右の数寄屋造りの木造平屋建と二階建の母屋、左の洋館、他に茶室と庭園から構成されている。敷地は三角形の形状で、広さ約3100㎡。母屋二階と茶室は貸し出しになっている。無鄰菴庭園は東京の椿山荘庭園、小田原の古稀庵庭園と併せて山縣三名園と言われている。
無鄰菴庭園 名所・史跡
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山縣有朋は小川治兵衛に3つの指示を出した。第一に、東山を借景にすること。山縣は借景を越えるものとして主山と言った。東山から高低差を生かした奥行きを表現している。午後1時30分に無鄰菴についての説明があるので、それまでは自由に散策。庭では1グループ1分以上同じ場所にとどまっての撮影はご遠慮と言うことで、素早く記念撮影をした。
無鄰菴庭園 名所・史跡
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第二に、庭園には芝生を取り入れること。イギリスの庭園を見て、明るい芝生の空間にしようとした。苔は面白くないと思い、芝生を植えたが、造営からしばらくすると高湿度の環境のもと、苔が優勢になった。時が経つごとに、山縣はその美を受け入れ、現在は50種以上の苔がビロードのように広がっている。母屋の前など明るい場所には芝生が植えられている。
無鄰菴庭園 名所・史跡
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第三に、琵琶湖疏水からの流れを活用すること。写真は無鄰菴庭園の一番奥にある三段の滝。京都の醍醐寺三宝院庭園にある三段の滝を模したものと言われている。滝の手前に流し枝を配置し、滝口を少し隠すことによって奥行きを出す飛泉障りの木がさしかかっている。浅く造られた流れに配置された石や瀬落ちから水の動きやせせらぎの音が聴こえてくる。
無鄰菴庭園 名所・史跡
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無鄰菴庭園は東山を借景として、明るい芝生に琵琶湖疏水を引き込み浅い流れを配した池泉廻遊式庭園である。それまでの池を海に、岩を島に見立てる象徴主義的な庭園から、里山の風景や小川そのもののような躍動的な流れをもつ自然主義的な新しい庭園観により造営された。紅葉が美しい無鄰菴庭園は1951(昭和26)年6月9日に国の名勝に指定された。
無鄰菴庭園 名所・史跡
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木々の奥に写真の無鄰菴茶室がある。木造平屋建瓦葺の茶室で、1895(明治28)年頃に無鄰菴に移築された。主座敷は三畳台目で、古田織部好みの代表的茶室である薮内流の燕庵を模して造られている。無鄰菴庭園は七代目小川治兵衛により作庭された近代日本庭園の傑作。無鄰菴は1941(昭和16)年に京都市に寄贈された。
無鄰菴庭園 名所・史跡
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洋館は無鄰菴会議の舞台になった場所である。煉瓦造り二階建て、屋根は寄棟桟瓦葺、外壁は漆喰仕上げで、土蔵のような外観になっている。洋館1階の土蔵のような分厚い扉から中に入ると、写真の煉瓦壁むき出しの部屋がある。展示室になっているが、この日は展示はなく、「名勝無鄰菴庭園の育成管理-山縣有朋の感性を読み取った庭園管理のあり方-」という冊子が置かれていた。
無鄰菴 グルメ・レストラン
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1階の玄関ホールの階段から2階に上がると、2階は2部屋で構成されいる。写真は控室でソファーと書見台が付いた椅子が置かれている。山縣有朋愛用の品が山縣家から寄贈された。実はエアコンがなかった当時、洋館は空調ができる貴重な空間でもあった。
無鄰菴 グルメ・レストラン
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洋館2階の奥の間には狩野派絵師が描かれいた金碧花鳥図障壁画。こ部屋では日露戦争開戦前の1903(明治36)年4月21日にいわゆる無鄰菴会議が行われた。その時の出席者は元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎の4名であった。部屋には暖炉がしつらえられている。保存のため閉じている雨戸が少し開けられていた。
無鄰菴 グルメ・レストラン
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無鄰菴会議では「我は韓国において充分の権利を要求し、その交換として満州においては、彼にその経営を緒に就きたる範囲において、優勢なる譲歩をなす」と決議した。いわゆる満韓交換論である。天井を見上げると、写真の見事な花鳥文様の格天井が見える。格天井は寺院建築や書院造りなど、格式の高い部屋に用いたもの。
無鄰菴 グルメ・レストラン
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無鄰菴の近くには写真のkokoka 京都市国際交流会館がある。ここにはかつて京都市長公舎・迎賓館があった。1978(昭和53)年に京都市が発表した「世界文化自由都市宣言」に基づき、市民の国際交流の拠点として1989(昭和64)年にオープンした。鉄骨鉄筋コンクリート造3階建の本館と和風別館から成っている。館内に入るとフリーWi-Fiを使える交流ロビーがある。
KENYA 京都市国際交流会館店 グルメ・レストラン
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1階ロビーを抜けると、2021(令和3)年にオープンしたKENYA 京都市国際交流会館店というカフェがあり、気軽に休憩できる。カフェから日本庭園が見える。これは迎賓館庭園の一部で、7代目小川治兵衛が1926(大正15)年に造営した池泉庭園がある。写真中央に織部灯籠がある。竿石の下部にキリスト像が彫られおり、キリシタン灯籠である。京阪本線三条駅の戻って、散策はここで解散。
KENYA 京都市国際交流会館店 グルメ・レストラン
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今回、時間の関係で行けなかった七代目小川治兵衛の庭園として、写真の京セラ美術館日本庭園がある。京都市美術館は1933(昭和8)年にオープンした。2020(令和2)年に命名権を取得して京セラ美術館としてリニューアルオープンした。この時「ガラスの茶室」が造られたが、今はない。常時開放された庭園は1909(明治42)年に作庭された。以下の写真は10月に下見に行った時のもの。
京都市京セラ美術館 美術館・博物館
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もう一つは京都白河院。もとは藤原良房の別荘で、藤原北家によって代々受け継がれてきたが、藤原師実が白河天皇に献上した。天皇は1075(承保2)年に法勝寺を建立した。現在は明治・大正時代の名建築家である武田五一の設計による写真の数奇屋造りの旧館があり、日本私立学校振興・共済事業団の京都宿泊所になっている。
しがくのやど 京都 白河院 宿・ホテル
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琵琶湖疎水から導水し、東山を借景に取り入れた本格的な池泉回遊式の山水庭園で、築山や松の大木等を利用し、敷地の景色に遠近感を与えている。この庭園は七代目小川治兵衛円熟期の作。庭園前の唐波風の大門も武田五一の設計によるもので、京都市の名勝に指定されている。今回の七代目小川治兵衛による庭園は全て琵琶湖疏水の水が使われている。
白河院並びに法勝寺跡 名所・史跡
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