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 七里の渡しの航路は「中廻り」と「外廻り」と大きく分けて二つあります。このうち「中廻り」については、各地を結ぶ生活航路としての役割も果たしていたこともあって、海岸線沿いや河川を経由していました。今回は江戸後期から明治初期の海岸線だった国道23号線に沿ってこの「中廻り」の航路の跡に近づく形で名古屋築地口から桑名まで行って来ました。<br /> 日光川(かつての蟹江川河口)を越え飛鳥村に入ると今は道路として使用されている堤防跡がお目見え。かつての海は農地として整備されているところもありますが、ゴミが散乱し不燃ごみが不法投棄された汚れている場所もあり残念至極。一方、堤防跡の道沿いには、伊勢湾台風殉難の碑が二か所。台風による高潮が堤防を突破し犠牲者を出した歴史を忘れないでくれと訴えかけてきます。思わず合掌。途中、少し道をそれて地震や高潮により築堤を破壊され百年間海没した干拓地に二十年間も沈み明治初期に引き上げられたという八穂地蔵様を表敬訪問。<br /> 鍋田川を渡るとかつての旧白鷺川(はくろかわ)入口に到着。跡地のほとんどは住宅街になっていました。川というよりも運河の印象。<br /> 木曽川大橋を越えると今度は旧青鷺川の入口。川幅はかなり広かったようで、川というよりも木曽川と揖斐・長良川の海峡(川峡?)の印象。<br /> 揖斐長良大橋を越えると、川中に赤須賀が、しばらくすると蟠龍櫓が、最後に鳥居が見え、桑名宿に到着。川沿いから見る蟠龍櫓と鳥居は不思議と旅情を掻き立ててくれます。今は亡き桑名の川城も一緒に出迎えていた頃はさぞ壮観だったことでしょう。

七里の陸路(後編)

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2022/10/15 - 2022/10/15

957位(同エリア964件中)

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8

かくちゃんさん

 七里の渡しの航路は「中廻り」と「外廻り」と大きく分けて二つあります。このうち「中廻り」については、各地を結ぶ生活航路としての役割も果たしていたこともあって、海岸線沿いや河川を経由していました。今回は江戸後期から明治初期の海岸線だった国道23号線に沿ってこの「中廻り」の航路の跡に近づく形で名古屋築地口から桑名まで行って来ました。
 日光川(かつての蟹江川河口)を越え飛鳥村に入ると今は道路として使用されている堤防跡がお目見え。かつての海は農地として整備されているところもありますが、ゴミが散乱し不燃ごみが不法投棄された汚れている場所もあり残念至極。一方、堤防跡の道沿いには、伊勢湾台風殉難の碑が二か所。台風による高潮が堤防を突破し犠牲者を出した歴史を忘れないでくれと訴えかけてきます。思わず合掌。途中、少し道をそれて地震や高潮により築堤を破壊され百年間海没した干拓地に二十年間も沈み明治初期に引き上げられたという八穂地蔵様を表敬訪問。
 鍋田川を渡るとかつての旧白鷺川(はくろかわ)入口に到着。跡地のほとんどは住宅街になっていました。川というよりも運河の印象。
 木曽川大橋を越えると今度は旧青鷺川の入口。川幅はかなり広かったようで、川というよりも木曽川と揖斐・長良川の海峡(川峡?)の印象。
 揖斐長良大橋を越えると、川中に赤須賀が、しばらくすると蟠龍櫓が、最後に鳥居が見え、桑名宿に到着。川沿いから見る蟠龍櫓と鳥居は不思議と旅情を掻き立ててくれます。今は亡き桑名の川城も一緒に出迎えていた頃はさぞ壮観だったことでしょう。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
1.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 築地口駅前。道路の向こうはかつては海だった、と言われてもピンと来ません。

    築地口駅前。道路の向こうはかつては海だった、と言われてもピンと来ません。

  • 堤防を利用した道路から撮影。堤防らしく少し高い位置にあります。左側はかつての海岸線で、左手に階段の跡があります。かつてはここから海辺に下りていたんでしょうね。今はガードレールで塞がれています。

    堤防を利用した道路から撮影。堤防らしく少し高い位置にあります。左側はかつての海岸線で、左手に階段の跡があります。かつてはここから海辺に下りていたんでしょうね。今はガードレールで塞がれています。

  • 八穂新田に佇むお地蔵様。干拓新田開発の先人たちの苦労が偲ばれます。

    八穂新田に佇むお地蔵様。干拓新田開発の先人たちの苦労が偲ばれます。

  • 白鷺川の鍋田川側。少し土地が低くなっています。

    白鷺川の鍋田川側。少し土地が低くなっています。

  • 白鷺川の木曽川側。写っていませんが右手には国土交通省の案内板があり、明治20年に白鷺川は締め切られ耕地化されたと記載されています。

    白鷺川の木曽川側。写っていませんが右手には国土交通省の案内板があり、明治20年に白鷺川は締め切られ耕地化されたと記載されています。

  • 青鷺川の木曽川側。こちらは、白鷺川のように明治改修の際に完全に締め切られたわけではなく、昭和初期まで青鷺養魚場として活用されていたようです。伊曽島神社の由緒が刻まれた石碑には「明治44年に合祀鎮座、以来境内地の嵩上げ」とあるので、徐々に変わっていたのだと思われます。

    青鷺川の木曽川側。こちらは、白鷺川のように明治改修の際に完全に締め切られたわけではなく、昭和初期まで青鷺養魚場として活用されていたようです。伊曽島神社の由緒が刻まれた石碑には「明治44年に合祀鎮座、以来境内地の嵩上げ」とあるので、徐々に変わっていたのだと思われます。

  • 青鷺川の揖斐・長良川側。現在は船着き場として利用されています。

    青鷺川の揖斐・長良川側。現在は船着き場として利用されています。

  • 伊勢湾台風以降、壁のような水門が設けら見通しが悪いですが、かつては、船で着いた旅人はこのようなアングルで鳥居と蟠龍櫓を見ていたのかもしれません。

    伊勢湾台風以降、壁のような水門が設けら見通しが悪いですが、かつては、船で着いた旅人はこのようなアングルで鳥居と蟠龍櫓を見ていたのかもしれません。

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