2022/06/26 - 2022/06/26
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アルプ・グリュムさん
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クチコミには海が見える、絶景が眺められる等の良いイメージの根府川駅ですが関東大震災では人的、物的の双方に甚大な被害を受ける事態となりました。
1922年(大正11年)12月21日:国有鉄道熱海線 国府津駅 - 真鶴駅間の開通と同時に開業した根府川駅ですがその翌年の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により発生した列車脱線転覆事故と白糸川に架かる鉄橋も土石流により橋台もろとも流されてしまったのです。
私は根府川駅周辺に設置してある慰霊碑等を巡りました。
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今では無人駅となり途中下車して海を眺める観光客も多いのです。
1922年(大正11年)12月21日開業、翌年の1923年(大正12年)9月1日関東大震災に被災するのです。根府川駅 駅
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無人駅ながら職員の方による手入れが施されてある池もあるのです。
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その池の横には関東大震災殉難碑が設置されてあります。
裏面に「昭和四拾八年九月壱日 根府川駅職員一同」の碑銘がある
私はこの慰霊碑を根府川駅周辺を訪ねるのですがその全て慰霊碑には案内板が設置されてないのです。
よって観光客も知らずに通り過ぎてしまうのが現状です。 -
その横には職員手作りの案内板が設置されてありますが白糸川の鉄橋を渡る蒸気機関車の写真、根府川駅の紹介には関東大震災で甚大な被害を受けたことなどが記述されています。
関東の駅百選の根府川駅の紹介と根府川の赤いカンナの花の紹介です。 -
白糸川の鉄橋を渡る蒸気機関車の写真
撮影日時は表示されていませんが大正時代でなないでしょうか? -
白糸川の鉄橋を渡る蒸気機関車の写真がもう一枚
撮影時期や蒸気機関車の形式、客車の形式などは記述されてないのが残念です。 -
跨線橋には2番ホームから4番ホームとなっていて1番ホームがありません。
Wikによると1番線は貨物列車専用のホームだったが1970年頃に撤去されたことになっています。
但し、根府川駅1番ホームを検索すると関東大震災で海中に没して今でも残されてあるプラットホームの事を指していて、そのために1番ホームは哀悼するため欠番となっているようです。
実際貨物ホームにはプラットホームがあっても旅客用みたいに番号は付かないのが一般的です。 -
小田原方面を見ています。
今でも急峻な山と海への切り立った断崖は ・・・・・・・・・
根府川駅に進入中の真鶴行き下り列車(8両編成、乗客約150名)が客車2両を残して駅舎、ホームもろとも海中に没する。列車に乗車していた約110名とホームに居た二十数名の計約130名が死亡した ・・・・正にこの場所で災害が発生したのです。 -
撮影ポイントで有名な白糸川鉄橋 ・・・・・・
竣工翌年の1923年9月1日。関東大震災により背後の山が崩壊し、土石流が押し寄せて壊滅的な被害を受ける。3連トラスのうち一つは泥流に押し出され行方不明、一つは大破して泥流に埋没し、残る一つも一部が泥流に埋没した。プレートガーダーも、半数ほどが行方不明になった ・・・ 正にこの場所で災害が発生したのです。 -
小田原ふるさとの原風景百景
関東大震災など完全に忘れた内容で周囲のハイキングコースが記述されてあります。 -
根府川駅前には箱根ジオパーク等の案内板が設置されていますが関東大震災に関する記事はありません。
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それでは関東大震災の碑を求め県道740号を小田原方面に歩きます。
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東海道線のガードを抜けて行くと
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県道740号と東海道線の横に碑が二つあるのでです。
今日は日曜日の午後ですが車はほとんど徐行状態で、県道740号は国道135号の抜け道となっている様ですがこの先の根府川交差点で合流するので抜け道にはなって居ません。 -
一つ目の府県道小田原熱海線震災復舊記念碑
駐車スペースもない場所なので歩くしかありませんが、車道と崖の間にある碑でグーグルマップにも記念碑が登録されてあります。 -
府県道小田原熱海線震災復舊記念碑
大正一二年関東大震災ノ為メ府県道小田原熱海線ハ路線一帯崩壊シテ更に原形ヲ 留メズ其ノ惨状言語ニ絶セリ 知事安岡内氏即時其ノ復旧ヲ畫シ国幣ノ補助ヲ 請フ 内務省ハ技師牧野雅栄之丞氏ヲ派シ 県土木課長高田景氏等之に随ヒ実情ヲ 踏査ス・・・・・・・・昭和七年六月 -
もう一つはこの先に歩道もない県道ですが渋滞気味だったので辿り着けたのです、先に見えるのが大震災殃死者菩提の五輪塔、こちらもグーグルマップにも登録されてあります。
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大震災殃死者菩提の五輪塔
為大正十二年九月一日大震災殃死者菩提」、左側面には「昭和七年十一月一日 施主 岡野喜太郎」
このこの碑は列車転覆事故で亡くなった方が国府津経由で湯河原温泉に湯治に向かった病み上がりの三女と付き添いの妻をこの事故で一度に失っていたそうで長男の方が被災したこの場所を選定しました。 -
真下には国道135号が見えます。
そしてこの海の中に関東大震災で流された駅のプラットホームが今でも残されてあるそうで絶好のダイビングスポットとなっているようです。 -
再度引き返して熱海方面へ歩きます。歩きます。
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やってきたのは寺山神社
鹿島踊りが有名だそうで碑がいくつも見えます。寺山神社 寺・神社・教会
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大震災殃死者供養塔
大正十二年九月一日午前十一時五十八分俄然大震災アリ同時二山津波起リ老若男女二百餘人殃死セリ甚夕悲惨ノ至リニ堪ヘス茲二遺族一同共ニ丹悃ヲ協セ殃死者菩提ノ為大供養塔ヲ建立シ以テ永ク精霊ヲ祭ル者也
大正十四年八月十二日
遺族一同建之 -
関所跡入口のバス停とその横に設置してある人車軌道の豆相人車鉄道根府川駅の案内板が設置されてあります。
またバス停の名の関所跡入口も気になります。 -
豆相人車鉄道根府川駅
大正12年に起きた関東大震災によって軌道は寸断され、復旧を断念。翌13年に鉄道事業の幕を閉じました。 -
次は県道横の斜面を少し下り岩泉寺へ
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岩泉寺には大震災殃死者供養塔があります。
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岩泉寺からは白糸川鉄橋が良く見えます。
関東大震災で橋脚もろとも流された橋は翌翌年に完成し、現在も使用されています。
完成時と違う点は側面に暴風棚が設置されたことで通過中の踊り子号が見えなくなっています。白糸川橋梁 名所・史跡
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岩泉寺の下部にも寺標がありこの階段の上に大震災殃死者供養塔があります。
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大震災殃死者供養塔
大正十二年九月一日午前十一時五十八分俄然大震災アリ同時二山津波起リ老若男女二百餘人殃死セリ甚夕悲惨ノ至リニ堪ヘス茲二遺族一同共ニ丹悃ヲ協セ殃死者菩提ノ為大供養塔ヲ建立シ以テ永ク精霊ヲ祭ル者也
大正十四年八月十二日
遺族一同建之
海蔵實英書 -
バス停に名前があった関所跡へ来ましたが場所は国道135号からほど近い所にあります。
その関所跡の案内板の横には震災石が置いてありました。 -
根府川関所跡
江戸時代小田原藩内足柄、箱根地方には箱根本関所の他に脇関所として根府川、矢倉沢、仙石原、川村、谷峨の五箇所の関所が設置されていた。
根府川の関所は他の関所より格上で、幕府から箱根関所に次いで重要視されていた。
関所の位置については設置されていた当時は白糸川の南側にあったが、関東大震災で埋没し、その後新幹線工事等で河床が移動し、現在関所跡は河床となってしまった。 -
根府川関所跡
立派な案内板に相応しい石碑です。 -
震災石
石に名前が書いてあったので震災石だと思いますが何の案内板もないので想像するしかありません。
白糸川を襲った土石流は土石流では白糸川鉄橋を海に流されただけではなく多くの人命を奪ったのは事実なのです。 -
根府川関所跡から更に国道135号近くの白糸川鉄橋の真下には白糸川の釈迦如来があります。
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白糸川の釈迦如来
この階段を下りたところに釈迦如来があるのです。 -
白糸川の釈迦如来
厳重な格子の中にあります。 -
白糸川の釈迦如来では関東大震災の様子が案内板に詳細に記述されてあります。
しばらく大震災で土砂の中に埋まってたようです。 -
白糸川の釈迦如来
根府川の旧家広井家の古文書によると広井家長十郎重友の代に頻発地震多く、特に寛永九年一月二十一日と正保四年九月十四日と慶安元年四月二十二日の地震は、死者、民家の倒壊多く津波も襲来する等で世相は不安にみちて居り、長十郎重友は村内世相の安泰のため岩泉寺境内の岩磐に釈迦如来像を像立して世相の安泰を祈ったとあります。お姿の右側に『寛文九丙申歳七月十二日元喜道祐庵主』と刻まれて居ります。これは像立した長十郎重友の命日と戒名ですから、後日刻んで像立者の冥福を祈願したものと思われます。その左に『普明歴二己酉歳仲秋月』と其の左に『広井宗左衛門敬』と刻まれて居ります。広井宗左衛門は長十郎重友後改め宗左衛門と広井家の系図にありますので、二十二世広井長十郎重友改め宗左衛門が、台座に刻まれて居る『大工権助策』『石匠寅佐代』によって明暦二年(一六五六年)に像立したものと思われます。
後に万治二年(一六五九年)の大洪水で岩泉寺は現在の高台に引移ったがお釈迦さまは岩磐に刻まれて居りますので引移す事が出来ないので現在の所に残りました。
大正十二年九月朔日(一九二三年)関東大地震が起りまして関東一円は有史以来の大惨事となりました。お釈迦さまは上の鉄橋が落ち其の上に津波の土砂で埋没してしまいました。お釈迦さまは目の高さより上に拝むように刻まれて居ったのですが、土砂に埋ったので現在の洞の中のお釈迦さまとなったのです。お釈迦さまは長い歴史の移り変りの中で言い伝えによれば弘法大師の作とも言われ此の地方の信仰のより所としてまいりました。特にお釈迦さまを掘った人々が落ちた鉄橋と土砂の中から指一本損じないお姿を見て、如来のあらたかさを驚嘆したとのことで、如来信者も多く、村内始め県西地方の人々の信仰厚く四月八日のお釈迦さまの誕生日には善男善女の参詣者多くにぎわいます。
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