2018/08/05 - 2018/08/05
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frau.himmelさん
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旅の終わりはフランクフルト。
フランクフルトから帰国するのでそうなったに過ぎませんが。
それにしてもフランクフルトはよく訪れています。入国時・出国時、それに交通の要衝ですから、ここを拠点にしてあちこち出かけたり。
また市内観光もよくしています。有名どころはだいたい見尽くした(?・笑)。
しかし今回は一人旅ですし、それに暑いし、フランクフルトから遠くに出かけたくはありません。
足掛け3日の市内滞在をどう過ごそうか?
探すとあるものですね、まだ観ていないところがいろいろと。
それらを今回は今までよりちょっとだけ掘り下げて観光しよう。
まあ、老化防止の脳トレです。
と決意だけは素晴らしいものの、前日の新欧州中央銀行同様、やっぱり私に付きものの詰の甘さが所々で露呈してしまいました。
☆★
2022年8月、3年前の写真とメモ帳を見ながら旅行記を作成していますが、もう泣きたくなるほど懐かしい。
どうしてこんな時代になったのでしょうね。帰れるものならあの頃に戻りたい(涙)。
-
フランクフルトオステンド地区に新しくできた新欧州中央ビルに行ったけど、残念ながらホロコースト記念館は見つけられなかった。
その後ヴィリーブラント広場でフランクフルトのランドマークである「ユーロマーク」をじっくり観察して、近くの公園の木陰で少し涼みたいと思ったけど、公園の中は移民や難民の姿がいっぱい。
ひと休みはやめて再びフランクフルト観光を続けます。 -
ヴィリープラントプラッツからUバーンで2駅のエッシェンハイマー塔駅で降ります。
-
地上に出ると、目の前に新・旧二つの高い塔が並んで立っている。
旧い方はエッシェンハイマー塔。城壁都市フランクフルトの見張りの塔です。
背後の高いビルは新しくできたホテルのようです。
それにしても新・旧が並んでもちっとも違和感を感じさせない街、それがフランクフルトなのですね。 -
エッシェンハイマー塔。
塔の正面には鷲の紋章。フランクフルトは中世のころより帝国自由都市でしたから。
4つの小さな砲台を従えたトンガリ屋根の部分が何ともカッコイイ。
15世紀の初めごろ建てられ、ほぼ当時のまま残っているそうです。 -
あっちこっち工事中のグロースエッシャンハイマー通り。
次回訪れる時にはどのように変わっているのだろうか。
それを確認するのが楽しみで、旅行中工事中の写真はよく撮ります。 -
ありました!ここはトゥルン・ウント・タクシス宮殿。
トゥルン・ウント・タクシス家は16世紀ごろよりヨーロッパの郵便事業を一手に請け負い、巨額の財を成したドイツの名家です。
手前の方では、ガイドツアーで説明を受けている中学生でしょうか。
神聖ローマ皇帝より郵便事業の独占と、それらを代々引き継ぐ権利を与えられ、絶大な信頼を築いたトゥルン・ウント・タクシス家。
1815年にドイツ連邦が設立されると、翌年1816年11月の初めての連邦議会はこのトゥルン・ウント・タクシス宮殿で開催されたほどでした。
その後、郵便事業は国営化されることになり、トゥルン・ウント・タクシス家はプロイセン王国に権利を売却し、その代償として巨額の資金を手にしました。 -
そこで拠点としていたフランクフルトから、レーゲンスブルクに広大な聖エメラム修道院を買収し、聖エメラム城と呼ばれている豪華な宮殿を築き移り住みました。
そうです、ほんの2か月ほど前にシニア3人旅でレーゲンスブルクを訪れ、このもの凄く豪華な宮殿に行ってきたばかりでした。
(写真はレーゲンスブルクの聖エメラム城)
それもあり、数年前訪れたけれどおぼろげな記憶しかなかったフランクフルトの宮殿にもう一度行ってみよう、それで今回の再訪になりました。 -
本家本元のフランクフルトのトゥルン・ウント・タクシス宮殿は、第二次世界大戦で破壊されましたが、現在は正面の一部分のみが再建されています。
そして宮殿の敷地部分だったところには、高層ビルがいくつも建ち、マイツァイルやカウフホーフなどが集中する一大ショッピングセンター街となっています。
レーゲンスブルクのお城と同じようにこの宮殿も見学できるかなと思ったけど、今はなにやらレストランになっていて、中にズカズカ入れる雰囲気ではなく・・・。
見学は諦めました。 -
でもいいんです。
ここで郵便事業の原点とも言うべき初期のころの郵便馬車を見つけました。
御者台の前にはトゥルン・ウント・タクシスのロゴと、レストランの看板のようなものが・・(笑)。 -
フランクフルトの歴史に大きな足跡を築いたトゥルン・ウント・タクシ家。
今は「Thurn-und-Taxis-Platz(トゥルン・ウント・タクシス広場)」として名前が残っています。
広場の案内板には
『トゥルン・ウント・タクシス、16世紀の郵便事業の創設者であり、ドイツの貴族』と記録されています。 -
宮殿の入り口に置いてあった案内板、「シティートライアスロン」。
昨日もやっていましたね。そういうイベント事にもこの広場は活躍しているようです。 -
ここがゴールなのでしょうか
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あっ女性が一人ゴール目指して走ってきました。
暑い中、頑張った女性にみなさん暖かい拍手を送っています。 -
ゴール付近には大勢の警察官。
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その向こうに、昨日食事をした「ハウプトヴァッヘ」
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次にやってきたところは聖パウルス教会。
写真が下手で小さな礼拝堂のように見えますが、実はとても大きな、と言うより歴史的に有名な教会なのです。 -
何がそんなに有名なのでしょうか?。
入り口に掲げてある厳めしい碑文がそれを物語っています。
「ここで、1848年3月31日から4月3日まで議会前会議が、そして1848年5月18日から1849年5月30日までドイツ国民議会が開催された」。
中に入って見ましょう。 -
パウルス教会のホールには円形をした巨大な壁画。
まずこれが目に付きました。
なんとも漫画チックな絵です。
これこそが1948年5月18日に、選挙によって選ばれた代表による初のドイツ国民議会の情景なのです。
1991年ベルリンのヨハネス・グリュツケ作「人民代表者の行列」 -
ひしめき合っている黒服集団の行列は代表に選ばれた代議員たち。
その中に紛れ込んで採色されている小さな像。
ブタ、裸足の女性、王冠、王冠の下で取引している胡散臭い裸の男女、白い彫像など。
これは何を表しているの?作者の皮肉? -
黒服の男性たちの顔のリアルなこと、どこかで(歴史書など)見たことがあるような顔。
なかなか面白い絵です。
円形の壁絵を見ながらパウルス教会で開催された国民議会とその後について考えてみたいと思います。
拙い写真ですが、もう少しお付き合いください。 -
1848年、フランスの2月革命に波及して、プロイセンの首都ベルリンでも民衆が蜂起して3月革命が起きます。
暴動を恐れた国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は民衆に憲法制定などを約束。
同年3月31日からフランクフルトのパウルス教会で準備会議が開催されました。(議会前議会)
(写真と内容は一致していません) -
そして5月18日には初めての普通選挙で選ばれた代議員649人によるドイツ統一、憲法制定のための国民議会が開かれたのです。
この会議は、オーストリアや近隣諸国の思惑などがいろいろ絡み、ヴィルヘルム4世はドイツ帝国の皇帝就任を拒否しました。
結局ドイツ統一は実現できず、1年にも及ぶ国民議会は失敗に終わりました。
(写真と内容は一致していません) -
なお、実際のドイツ統一は、プロイセンがドイツ諸国と共に戦った普仏戦争でフランスに勝利し、ヴィルヘルム1世がドイツ帝国の皇帝として即位する1871年1月18日まで持ち越しとなります。
この絵は有名ですよね。「ドイツ帝国成立宣言の図」。
ニーダーヴァルトの丘にもありましたし、いろんな場所でよく見る絵です。(wikiより拝借)。
この絵はドイツ統一を成し遂げた初代ドイツ皇帝の戴冠式の様子。
プロイセン王ヴィルヘルム1世がフランスのヴェルサイユ宮殿で「ドイツ帝国成立の宣言」をしている図。
壇上の中央に戴冠したヴィルヘルム1世(初代ドイツ皇帝)、檀下の白い軍服姿が宰相ビスマルク、その隣はモルトケだそうです。 -
さて、他の展示も見て参りましょう。
現在パウルス教会は教会としてでなく、様々な展示会・イベントの会場などとして使われています。
この時は、パウルス教会の歴史などのパネルが展示されていました。 -
あらっ、見覚えのあるトゥルン・ウント・タクシス宮殿。どうして?
実は1948年の歴史的なパウルス教会の国民議会より以前に、1815年からドイツ連邦議会(ドイツ同盟)がトゥルン・ウント・タクシス宮殿で開催されていました。 -
ドイツ連邦と言うのは、神聖ローマ帝国の消滅と、ナポレオンの失脚後、1815年にウィーン会議のあと構成された独立したドイツ諸国の連合体のこと。
フランクフルトに連邦議会が置かれ、規模に応じた議席数で、諸国家の君主たちが会議に出席しました。 -
ドイツ連邦と言っても、プロイセンやザクセン、バイエルン、ハノーファーなど40もの分離した君主や貴族、大地主などが権力を握る独立国の連合に過ぎませんでした。
統一国家を期待していた国民は失望し、各地でデモや大規模集会などが起きました。
フランクフルトでは1833年4月3日、市民の蜂起によるハウプトヴァッヘ襲撃事件が起きます。これが後のベルリンの3月革命の前哨戦となりました。 -
1848年に描かれたフィリップ・ヴァイト作「ゲルマニア」。
黒・赤・金色の3色旗は、ドイツ自由主義革命の連隊の象徴として生まれました。
この絵はパウルス教会で開催された国民議会場に飾られました。
現在はニュルンベルクの「ゲルマニア博物館」に所蔵されています。
革命の嵐は1848年2月のフランス革命、3月のウィーン革命、そして3月にはベルリンでも革命が起き、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、フランクフルトでの選挙で選ばれた議員による国民議会を開催することに同意しました。 -
ドイツ連邦の諸国から選ばれた議員たち。
議員の構成は官僚・判事・弁護士・教師・地主など。(労働者らしい姿は見えませんね)。
その様子は前述の円形の壁絵「代議員の行列」を。 -
時は流れ・・・。
1944年3月、第二次大戦の爆撃で破壊されたパウルス教会。
ドイツ民主主義の象徴とも言うべきパウルス教会でしたから、戦後すぐに再建の声が高まり、国民議会から100周年にあたる1948年に再建されました。 -
今は教会としてより、イベントや展示会などの会場として使われています。
特に有名なのが、フランクフルト生まれのゲーテにちなんで3年に1度、ゲーテの誕生日に文化人に贈られる「ゲーテ賞」の授賞式。
写真は1952年、ドイツの劇作家「カール・ツックマイヤー(1952-1961)」、
1961年のバウハウス創始者でありドイツ建築家である「ヴァルター・グロビウス(1883-199)」の授賞式の模様。 -
パウルス教会の展示物を見て、外に出ます。
入り口に見たことがあるレリーフが。 -
アメリカのジョン・F・ケネディ大統領です。
彼は1963年にドイツを訪れた折、パウルス教会で演説しました。
「ここは自由が誕生した場所だ」
彼の演説の一説が彫られています。
1963年と言うと、東西冷戦時代にベルリンを訪れて「私はベルリナーだ」と演説した後に訪問したのですね。 -
反対側は「テオドール・ホイス(1884-1963)」。
東西冷戦時代の西ドイツの初代連邦大統領です。 -
その他にも様々なレリーフがありました。
どういう人物なのか、時間があったら調べてみよう。 -
えっ?と思うような彫像もありました。
これは「フリードリヒ・エーベルト(1871-1925)」。
ヴァイマル共和国の初代大統領。
どうして彼の像がここに?しかも裸で。初の国民議会とは年代的にも離れているのにね。
この像は、彼が亡くなった25年を記念して1950年に建てられたものだとか。さすがに抗議の声も多かったようです。
レリーフならともかく高い土台の上に高さ4メートルの像ですからね。
それでも、枯れていますが、今でも花を手向ける方がいるのですね。 -
パウルス教会の広場には「ドイツ統一記念碑」が立っています。
オベリスクを連想させる大きな記念碑です。
オベリスクの頂上には「ゲルマニア」の寓意像が。 -
そしてドイツと言えば。
「ナチステロの犠牲者の記念碑」
ハンス・ヴァイマー作。
両手を縛られ、苦悶の表情の石像。あのおぞましいホロコーストは何年経とうと忘れられない出来事です。 -
像の周りには
アウシュヴィッツ・ベルゲンベルゼン・マイダネク・マウトハウゼン・ミンスク・ノイエンガメ・オラニエンブルク・リガ・ザクセンハウゼン・テレジエンシュタット・・・・など、53もの強制収容所と絶滅収容所の名前が彫ってありました。 -
プラタナスの樹林が涼し気なパウルスプラッツを通って・・・。
-
レーマー広場にやってきました。
相変わらず賑やか。何かお祭りでもやっているようです。
あー、お腹空いた~。
朝食をしっかりいただいたとは言え、もう3時です。朝からあちこち動き回ってお昼ごはんを食べ損ねてしまいました。 -
しかし、いつも行くレストラン「レーマーベンベル」(木組みの家の右端)は工事中らしくカバーが掛かっている。お休みなのかしら。
-
レーマーベンベルの通りを挟んだお隣のレストラン
「Zum Schwarzen Stern(黒い星)」に行ってみよう。
前から行ってみたいと目をつけていたレストランでしたが、いつもお客さんが多くて諦めていました。
ここの木組み造りもほんとに美しい。 -
時間が時間だからか、今日はテラス席には空席がいくつもあります。
その中の一つに腰をかけました。 -
市庁舎を眺めることができるとってもいい席。
フランクフルトではいつもアプフェルヴァイン(りんご酒)を飲むのだけど、今日は白ワインを飲みたい気分。 -
お料理はグリーンアスパラガスのヌードル。
〆て22ユーロ。 -
食事の後、おトイレを借りました。
さすがに由緒あるレストランです。店内は落ち着いた雰囲気で歴史画がいくつも飾られています。
そして、ここでも小さな扇風機が活躍していました(笑)。 -
お食事をしている間、広場の方からワクワクするような賑やかな音楽が聞こえてきます。
そちらに引き寄せられるように近づくと、舞台では南ドイツの民族衣装をつけたグループが演奏しています。 -
「アイン プロージット アイン プロージット デア ゲミュートリッヒカイト♪♪」。
ミュンヘンのホーフブロイでいつも演奏される乾杯の歌に観客もノリノリ。
私も楽しみます。 -
目の前はフランクフルトの市庁舎「Zum レーマー」。
正面には、フランクフルト、ドイツ、ユーロの旗が掲げてあります。 -
フランクフルトの紋章は単頭の帝国の鷲。
正面の時計は4時を回っています。
カイザザールはまだ開いているかしら?
カイザーザールの入り口に行ったけど、人影がなかったので戻ってきました。また出直します。 -
では次に旧ニコライ教会を。
11~12世紀に建設された古い教会です。第二次大戦の被害が大きかったフランクフルトの中にあって、奇跡的に被害が少なかったそうです。
写真は前夜のものです。 -
ゆっくり落ち着いて教会の中を見学できるかなと思ったら、内陣には東南アジア系の方々が大勢集まっていました。マレーシア人かインドネシア人?
ここで同胞会みたいなことが開催されたのでしょうか。
みんな懐かしそう~。 -
そんな中にズカズカと割り込んでいく図々しさは持ち合わせていなので(笑)、遠くからそっと写真を撮ります。
-
主祭壇とパイプオルガン。
左のパイプオルガンは1992年に設置されたもの、パイプが1600本使用されているそうです。 -
落ち着いた清楚な色使いの主祭壇。背後のステンドグラスは聖人たち?
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ブルーの色鮮やかなステンドグラス。
遠目ながら十字架のキリストやキリストの復活、それに聖母子像などが描かれているのが見える。
もっと近づいて見たかったなぁ~。 -
色付きの墓碑は、フランクフルトの有力者夫妻のものだそうです。
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再び賑わっているレーマー広場を通り・・・。
移動遊園地まであります。 -
歴史博物館の横を抜けてマイン川に出ます。
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マイン川に架かるアイゼルナー橋。歩行者と自転車専用の鉄の橋です。
1868年に建設されましたが、戦災に遭い、1946年に再建されました。 -
河岸のレストランには暑さを逃れてきた多くの人々。
ここは川風が少し涼しく感じられます。 -
美しい流線形の鉄の橋。
こちら側には鳩が隠れています。糞害もすごい。
それでは私もアイゼルナー橋を渡りましょう。 -
マイン川の川面には、涼をもとめて大小何隻もの船が浮かんでいます。
同じように涼を求めて川岸を散策する人の姿も大勢。 -
橋の上から。
進行方向右側のこちらはマインハッタンの高層ビル街。
観覧車も見えます。やはり何かお祭りをっやっているのですね。 -
反対の進行方向左側。
あのテントの中は遊園地ですよね。やはりお祭りやっているのね。 -
テントの後ろの重厚な建物は歴史博物館。
その後ろから顔を覗かせている、右に見える塔は大聖堂、左後方には先ほど訪れた旧ニコライ教会の尖塔です。 -
もう一度右側。
手すりにつかまって川面をじっと見ている人達は何を見ているのだろう?
気になります。 -
ずっと前方に見えるのは、昨日訪れたオステンド地区の欧州中央銀行のビルです。
やはり面白い形をしていますね。 -
もう一度レーマー広場。
昨日から何度もこの広場を訪れて、何か違和感を感じていました。
その正体が判明しました。そうです!
レーマー広場の正義の女神ユスティシアの噴水が見えなかったのです。
女神さまはお化粧直しのためにお隠れ遊ばしていたのですね。 -
休暇中のユスティシア様を中心に、背後は旧ニコライ教会、その左隣の大きな木組みの家は先ほど食事をした「ツム・シュヴェルツェン・シュテルン(黒い星)」、更にその左隣に見えるカバーが掛かった修復中の木組みの家は、フランクフルトのいつも食事をレストラン「レーマーベンベル」。
疲れたので、レーマー広場にお別れを告げてホテルに戻ることにします。 -
トラムの停留所を探していると、目の前を中世の服装をした男性が。
彼の後に着いていく。 -
パウルス教会の近くまでやってきたら、向こうからりんご酒電車が走ってきました。
そうだ!どうせホテルに帰っても暑いばかりだし、これに乗ろう!
今度はりんご酒電車で、軽~~くフランクフルトの観光をいたします。(続く)
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この旅行記へのコメント (4)
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- ぶどう畑さん 2022/09/06 11:16:34
- ドイツ人は愛想笑いをしない
- himmelさん
こんにちは、ぶどう畑です。
以前の旅行記で「次の停車駅はマインツですか?」とオバサマに尋ねたのをきっかけに話が弾んだという話、今日、ラジオを聴いていて、なるほど~!と思いました。
ドイツ人ハーフのサッシャ、ご存じですか?
午前中は彼がナビゲーターをしている「J-Wave」をよく聴くのですが、彼が言うには、ドイツ人は愛想笑いをしないんですって。
だから、微笑んでくれた時のギャップが嬉しいんだとか。
ドイツではないけれど、プラハの装飾工芸美術館に行った時、窓からユダヤ人墓地が見えて、スタッフのオバサマに写真を撮ってもいいかと確認したら、不愛想に思えたオバサマが、嬉しそうにトイレからのほうがよく見えると教えてくれたことを思い出しました。
その時は、社会主義国だからかなぁと思ってましたが、プラハの人もドイツ人に気質が似ているのかもしれませんね。
さて、9/7から帰国時のPCR検査、陰性証明の提出がなくなるようで、旅行もしやすくなりそうですね。
でも、もし、飛行機で隣の人が感染していたら、うつってしまう可能性もアリアリなワケで…。
コロナが収束したわけでなく、飛行機の便も戻っていないようだし、今すぐ出かけよう!って気にはなりませんが、来年にはどこかに行けるかなぁ。
- frau.himmelさん からの返信 2022/09/06 22:19:24
- Re: ドイツ人は愛想笑いをしない
- ぶどう畑さん、こんばんは。
ぶどう畑さんの国内旅行記いろいろ、楽しく拝見させていただいています。
サッシャ? もしかしたらずっと前にテレビでドイツ語に出演していた背の高い男性じゃない?
ここ何年も「テレビでドイツ語」も見ていない(つまり勉強していない)ので、今どなたが出演されているのかさっぱりわかりませんが。
なるほど、ドイツ人は愛想笑いをしない…、確かにそんなイメージですね。特にシニアは。
車内で一緒だったあのおば様も、かなり長い間同じ空間にいたのに、一言も発しない、ニコリともしない、だけど拙いドイツ語で話しかけたら、えっこんなに笑顔が素敵な人だったの!と思うくらいの満面の笑み。
もうちょっと早く話しかければよかったと思いました。
ぶどう畑さんが経験なさったプラハの美術館のスタッフのオバサマのこと、よ~~く判ります。
そんな対応をしていただくとほんとに嬉しいですよね。
私にもそんなことがあったな~~、と旅行記を探しました。
ブラチスラバ城で、フォトチケットが必要だったのに知らないで、写真をパチパチ撮りまくる私。そんな私の周りを無愛想なスタッフのおば様がウロウロしている。
でもあまりにも目に余ったのでしょうね、「フォトチケットは持っているの?」って。ごめんなさいと謝って、あわててカメラを仕舞いました。
しばらくして、そのおばさまが、隣の部屋から私をそっと手招きしました。
そしてこのお城で一番有名なマリアテレジアの肖像画を指さして、「この1枚だけ撮っていいわよ」と、ニコニコしておっしゃる、嬉しかったですね。
マリアテレジアのお隣にはシシーの肖像画。図々しくも「私はシシーのファンなの、これもお願い!」って手を合わせてお願いしたら、彼女ニコニコしながら「これだけよ」って許してくれました。
そんな旅先での楽しいことや嬉しいことを考えていると、たまらなく旅に行きたくなります。
でも、コロナや戦争、その他もろもろのことが解消され、安心して旅ができるようになるまでは、この齢になるとリスクが大きすぎます。もう後はないしなぁ・・・。
あ~~ヨーロッパ、行きたい~!
ぶどう畑さんは来年は行けますよ。
himmel
-
- ベームさん 2022/08/31 20:33:19
- 泣きたくなるほど・・・
- frau himmelさん、
今晩は。
旅も最終局面ですね。
フランクフルト!泣きたくなるほどではないにしても私にも懐かしく思い出される街です。
エッシェンハイマー塔、パウルス教会、トゥルン・ウント・タクシス宮殿、レーマー、ニコライ教会、アイゼルナー橋、私も行きました。もっともhimmelさんほど詳しくは見ていませんが。ツム・シュヴァルツェン・シュテルンではドイツ語勉強仲間と食事をしました。
最後の海外旅行から5年が経ちました。もう5歳若かったらもう一度ドイツに行けるのにとの思いで一杯です。歳はとりたくないものです。
4traには最近の海外旅行のブログも見られるようになりました。himmelさんは如何ですか。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2022/08/31 23:04:00
- RE: 泣きたくなるほど・・・
- ベームさん、
泣きたくなるほど・・・。
齢をとっていく焦りなのでしょうね。このままもう海外には行けないかもしれないというジリジリとしたどうしようもない足掻き。
コロナがもう少し落ち着いて、戦争が終わって、エネルギー事情や世界経済が持ち直して、安心して旅に行けるようになるのは何年先なのだろう。そんな機会は私には訪れないのかもしれない。もう私の人生終わったな、なんて泣きたい気持ちになってしまいます。
最近、ヨーロッパ旅行にいらっしゃった方のブログも散見されますね。
私もあと15歳、いえ10歳でもいい、若かったら万全の備えをして、もしかしたら出かけたかも知れません。この齢になりますと、旅先で何かあれば周りに迷惑をかけてしまいますから、気持ちだけでは行けません。悲しいけれど。
ベームさんもフランクフルトではいろいろ訪れていらっしゃいますね。
私の虎の巻のベームさんの旅行記、情報収集のためにベームさんのところにお邪魔しましたら、1冊しか書いていらっしゃらなかったので、えっと思っておりました。
ドイツ語のお仲間たちと・・、あ〜〜あの時、ツム・シュヴァルツェン・シュテルンにいらっしゃったのですね。
あの旅行は画期的なというか、ベームさんは大変だったかもしれませんが、旅行記を読んでいる私たちも大変楽しませていただきました。
お仲間の方たちもきっと今でも、あの時は〜〜、って懐かしく思い出していらっしゃるのではないでしょうか。
ベームさんもあのご旅行のことをを思い出して、戻れるものならあの頃に戻りたいと感傷的になることってありませんか。
私も最後の海外からもう3年経ちました。でも、こうやって旅行記を書いている間は、懐かしくて泣きたくなっても、海外のことを考えることができるのですから、まだ幸せだと思うことにします。
すっかり愚痴になってしまいました。ごめんなさい。
コメントありがとうございました。
himmel
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