2022/07/22 - 2022/07/22
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hijunoさん
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播磨町にある兵庫県立考古博物館の見学のあと、すぐ近くにある播磨町立郷土資料館へ。
稲美町にある郷土資料館へも行きました。
播磨町立郷土資料館では、播磨の船頭の家に生まれ、暴風雨で漂流中にアメリカ商船に救助され、そのままアメリカで過ごすこととなり、アメリカの市民権を取得したジョセフ・ヒコ、日本名を浜田彦蔵と言いますが、彼は日本で最初に民間人による邦字新聞を発行したことで、「新聞の父」と呼ばれています。
ジョセフ・ヒコに関する資料の展示もありました。
郷土の誇れる人物として尊敬を集めていると感じました。
稲美町立郷土資料館ではワイナリーの遺跡があることを知りました。
明治に国産のワイン、ブランデーなどの生産をするための醸造試験場があったところ。殖産産業の歴史。
次回は訪ねてみたいと思っています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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兵庫県立考古博物館見学後、大中遺跡見学を経て、播磨町立郷土資料館へ。
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入口。
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珍しい道標。
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播磨町内では数少ない道標のひとつ。
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ビデオもあるようです。
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1962年に中学生によって発見された弥生時代後期の遺跡、大中遺跡についての説明。
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発掘された土器や復元された住居の説明など。
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食事の様子などを再現していましたが、食料の調達なども便利だった土地だったのでしょう。木の実や獣類、魚類など。
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イイダコ漁などもしていました。
壺も多く出土しています。 -
真ん中のものは首からかけられるように穴があいています。
ムラの祭りのシャーマン的な人が使っていたものかも。。
中国後漢時代の鏡の一部です。 -
↑展示された鏡の一部は、右の写真の白く囲んだ部分。
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イチオシ
カラムシという植物、外にも植えられていましたが、繊維になって古代から使われていた素材。
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播磨町に一つある古墳の出土品。
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当時の生活環境がわかります。
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海にも山にも近い環境、食材も豊富だったはず。
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面白いのが、弥生時代のことばが古事記や万葉集などの表現方法や発音をもとに考えられていました。
小学生の子供が当時の生活の様子を弥生語で説明しているそうです。 -
郷土の偉人についての展示も多くありました。
梅谷七右衛門清政について。
1682年に庄屋の家に生まれ、庄屋の務めを懸命に勤め、水害の修復などにも務めました。新田開発により豊かな村へ導いていきました。
社寺にも寄進を行い、神社やお寺の保護などにも務めています。 -
今里傳兵衛は江戸時代の初め「新井陽水」開削に力を尽くした人物。大干ばつで苦しむ人々を救った人物。
姫路藩主に水利の計画を訴え、工事もスムーズに行うことができました。
人々の協力や藩主の理解を得て、人々を水の苦労から救った人物。 -
イチオシ
新聞の父と呼ばれたいるジョセフ・ヒコについて。
播磨の船頭の家に生まれ、暴風雨の漂流によってアメリカへ渡り、その後アメリカの市民権を得ます。
1859年にハリスの通訳として幕末に帰国。1864年には日本初の「海外新聞」を発行。新聞の父と言われました。
その後、高嶋炭鉱の開発や大阪造幣局の設立にも尽力し実業家としても活躍します。 -
イチオシ
海外新聞。
ジョセフ・ヒコが両親のために建てたお墓。
後ろには英文。
横文字の墓と呼ばれているそうです。 -
ジョセフ・ヒコが乗っていて暴風にあった栄力丸。
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ジョセフ・ヒコと共に漂流した乗組員本庄善次郎が帰郷後に描いた栄力丸の画。
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新聞の父と呼ばれたジョセフ・ヒコと同じ漂流仲間であった
本庄善次郎ら4人は西洋型帆船第一号「速鳥丸」を建造、
「西洋型帆船の父」とも呼ばれる人々です。
それぞれの人生はその後どうだったのでしょう~気になります。 -
展示室外に、ジョセフ・ヒコの生誕地からの出土品も展示。
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播磨町、多くの文化財があるようです。
ゆっくり歩いてみたいです。 -
イチオシ
外にでましたら、
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こちらが、からむし、という植物。
古代より、繊維を使い、紐などの素材に。 -
外にこのような展示も。
1984年に廃線となった別府鉄道のディーゼル機関車と客車です。 -
説明にもありますが、実際に走っていました。
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機関車の部分。
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客車はなんだか、懐かしい~。
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昔の汽車、、懐かしい匂い。
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木造。
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実際走っていたころの写真パネル。
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生活に欠かせない乗り物だったでしょう~。
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コブシの樹。
こちらも実がなるのですね。 -
クロガネモチの樹。
こちらも実。
古代からあったのでしょうか〜。 -
帰り道。
説明プレートで確認。
どんぐりやトチ、クルミやクリもあったとか。
この辺りは、弥生時代などの人々の生活の場所としては住みやすいところだったのでしょうね。
海にも近く、陸の食べものも、豊富。 -
もう一度、、周囲の大中遺跡を見回してかえりました。
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稲美町立郷土資料館へ。
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外には家型石棺が置かれています。
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臼や古い石づくりのものも、外に。
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入口。
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稲美町に関しての歴史資料が展示されています。
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町内の出土品などを展示。
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仏教の文化や荘園の存在。
出土した銭。 -
一揆に関しての資料。
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むしろやふすま織りの機織り機。
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石仏などの修復、調査の様子など。
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稲美町の発展に尽くした人々。
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興味深かったのが、ブドウ園の遺跡があったこと。
加古郡印南新村という場所です。 -
イチオシ
明治政府の国家プロジェクトとして1880年に開園、ぶブドウの栽培と醸造の試験などを行いました。
調査では10本のガラス瓶が発見され、そのうちの3本には詮がしてあり中身も残っていたそうです。
レンガ造りの地下室など遺跡も残っています。
このあたり一帯にはワインやブランテーを生産するための施設が集まっていたそうです。
また機会があれば、見学に行きたいと思います。 -
踏車や
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唐箕などの農具。
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三木飛行場についての展示。
戦争とのつながり。 -
大きな太鼓。
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安政という文字が中に見えました。
郷土博物館巡りも楽しいです。
土地の歴史、活躍した人々、そこで生きてきた人々が造ってきた郷土。
博物館、資料館、記念館、資料館。。。
行きたいところが沢山。たのしみです。
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