2022/04/12 - 2022/04/12
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かかかかかかかかかかさん
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この旅行記スケジュールを元に
自称『証明書コレクター』の自分は、全国の観光地にある『証明書』を求めて日本中を旅して来ましたが、更なる証明書をリサーチしたところ、見つけました『そば通の証』なる証明書!
『そば通の証』は、兵庫県豊岡市にある『但馬(たじま)の小京都』と呼ばれる城下町、出石(いずし)町の郷土料理『出石皿そば』を食べるとゲットする事が出来ます。
そういう事なら話しは早い!
早速皿そばを食べに、出石に行ってみましょう!
また、出石町にある出石城と有子山(ありこやま)城は、『続日本百名城』に認定されています。
『続日本百名城スタンプラリー』をやっている自分にとっては、スタンプをゲットするまたとないチャンスです!
という事で、そば通の証と続日本百名城のスタンプをもらいに、出石に向け出発です!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2022年4月12日 火曜日。
おはようございます。
コロナ禍でここ3年遠出を控えていましたが、感染者数も減少してきたので、3年振りに遠出を解禁です。
今回は兵庫県の北部、出石(いずし)町に来ました。
スタートは『いずし観光センター』です。いずし観光センター売店 グルメ・レストラン
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出石には、郷土料理の『出石皿そば』を食べる為に来ました。
そして、このそばを食べると貰える『そば通の証』をゲットするのが今回の目的です。
出石町には、出石皿そばを提供するお店が約50店ほどあるそうですが、その内の数店舗で『そば通の証』をもらう事が出来ます。 -
そばをいただく前に、出石の町をちょっとだけ散策してみましょう。
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出石町は旧出石藩58,000石の城下町で、今も残る風情ある町並みは『但馬(たじま)の小京都』と呼ばれています。
二時間サスペンス好きの自分にとって『小京都』というワードを聞くと、何かテンションが上がってしまいます。 -
マンホールのデザインは、出石の町のシンボル『辰鼓楼(しんころう)』です。
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あっ!建物の屋根の上に大きな鳥がいますよ。
これは特別天然記念物のコウノトリです。
日本国内の野生のコウノトリは、乱獲と生息環境の悪化により1971年(昭和46年)に絶滅してしまいました。
ここ豊岡市は、日本のコウノトリの最後の生息地となった場所です。
豊岡市にある『兵庫県立コウノトリの郷公園』では、コウノトリの野生復帰に向けて1965年(昭和40年)から人工繁殖を始めました。
地道な努力により、1988年(昭和63年)についに人工繁殖に成功。
飼育下で徐々に数を増やし、2002年(平成14年)には100羽を越えるまでに繁殖した為、2005年(平成17年)に豊岡市で野生に放鳥しました。
その結果、2021年(令和3年)には野生のコウノトリは200羽を越えるまでに数を増やしました。
良かったですね。
ちなみに、この写真のコウノトリは等身大のフィギアです。 -
見えて来ました。
あれが出石の町のシンボル『辰鼓楼(しんころう)』です。
立派ですね!辰鼓楼 名所・史跡
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辰鼓楼は、明治時代初期の時計台です。
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高さは石垣部分が約5m、本体部分が木造4層で約13mあります。
廃城となった出石城の三の丸大手門の石垣を利用して、1871年(明治4年)に建てられました。
『辰』は時間を、『鼓楼』は太鼓を叩く楼(やぐら)を意味しており、当初は最上階から太鼓を鳴らして時刻を知らせていたそうです。
1881年(明治14年)に城下町の医師が機械式の大時計を寄贈した事で、同年9月8日から現在の時計台として稼働を開始しました。
かなり歴史のある時計台ですが、同年8月12日に北海道の札幌時計台が稼働を開始した為、わずか27日違いで国内で二番目に古い時計台となってしまいました。
ちなみに、この事実が発覚したのが2021年(令和3年)の事だそうです。 -
その為、辰鼓楼の説明看板には『札幌時計台とともに、日本最古の時計台』と微妙な記され方がされています。
一応、札幌時計台にも気を使っている事が伺えますね。 -
辰鼓楼は、かつて藩士が登城する辰の刻(午前8時)を告げる太鼓を鳴らしていた事にちなみ、現在では午前8時と午後1時に太鼓が、夕方には梵鐘が鳴ります。
この音色は、辰鼓楼の背後にそびえ、山頂にお城が築かれていた『有子山(ありこやま)』の名前をとって『有子のしらべ』と呼ばれています。 -
辰鼓楼のお堀には、見事な鯉が泳いでいます。
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では、そろそろ今回の旅の目的である『出石皿そば』をいただきましょう。
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今回は、辰鼓楼のすぐ横にあります『登城(とじょう)』さんでいただきます。
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入り口には、そば屋には珍しい顔はめパネルがあります。
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登城さんでは、男女問わず皿そばを大人は20皿以上、子供(小学生)は15皿以上食べると、その証として『皿そばの証』をもらう事が出来ます。
さらに、その『皿そばの証』を5枚集めると、次回来店時より1年間、1回につき大人は20皿まで、子供は15皿まで皿そばが無料になる『そば通の証』をもらう事が出来ます。
また、男性は30皿、女性は20皿、子供(小学生)は15皿を食べると、『登城大食い番付表』に名前が永久登録されるうえ、『そば通の証』をもらう事が出来ます。
今回の旅は、その『そば通の証』をゲットする事が目的です!
ちなみに、現在(2022年4月時点)はコロナウィルス感染拡大予防の為実施されていませんが、男性は50皿、女性は40皿、子供(小学生)は30皿を10分以内で食べる事が出来ると、次回来店時より皿そばが永久無料になる『そば通の証』が、60分内で食べると、次回来店時より1年間皿そばが無料になる『そば通の証』がもらえる大食いチャレンジもあります。
60分あれば50皿ぐらい余裕だけど、さすがに10分では素人には厳しいですね。 -
こちらが登城さんのメニューです。
『手打出石皿そば』は、1人前5皿に薬味(ねぎ、わさび、大根おろし、玉子、山芋)が付いて850円也。
後は追加で、皿そば5皿が650円也。
30皿食べるとなると、4,100円也。
結構するなぁ・・・
とりあえず、様子を見る為に10皿から行ってみましょう。 -
来ました!
こちらが出石皿そばです。
美味しそうですねー。
それでは、『そば通の証』を目指して、いただきまーす! -
一皿の量は、一口で十分食べれるボリュームです。
コシがあって美味です。 -
お皿は全てお店オリジナルのお皿です。
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30皿、あっという間に完食です。
楽勝です!
やっぱりこういうのって、最後はお皿を積み上げたくなりますよね。 -
という事で、30皿無事完食したのでいただきました『そば通の証』!
立派な木札です。
これで次回来店時から1年間は皿そばが20皿まで無料で食べれます。
本当はもっと食べる事が出来ましたが、これ以上は何皿食べても『そば通の証』以上の物はもらえないし、食べ放題ではないから食べれば食べるほどお金がかかってしまうので、今日のところはここでストップしておきます。
ごちそうさまでした。 -
ちなみに、以前盛岡にわんこそばを食べに行った時は、161杯食べました。
証明書もしっかりゲットしましたよ! -
おっ!?
お店の入り口に表示が出てます。
『本日分のお蕎麦は売り切れました』
危なかったー、ギリギリ食べれた感じですね。 -
お店の外に出て来ました。
辰鼓楼の左側に見える建物が、皿そばをいただいた登城さんです。
登城さんにはテラス席もあり、辰鼓楼を目の前に眺めながら皿そばをいただく事が出来る最高の立地です。
ちなみに、自分はテラス席を案内されましたが、外から丸見えの席はなんか照れくさいのでお断りし、こっそり店内でいただきました。 -
さて、お腹も膨れた事で、もう一つの目的を達成する為に、再び『いずし観光センター』に戻って来ました。
と言っても、辰鼓楼の向かい側なんですけどね。いずし観光センター売店 グルメ・レストラン
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もう一つの目的は、『続日本百名城スタンプラリー』のスタンプをゲットする事です。
ここ出石にある出石城と有子山(ありこやま)城は、『続日本百名城』にセットで認定されています。
『続日本百名城スタンプラリー』をやっている自分にとって、出石はスタンプをゲットする為に絶対に来なくてはいけない場所でした! -
あったあった!
『続日本百名城』のスタンプです。
観光案内処の受付の前に置いてありました。
このスタンプラリー、意外にやってる人が多い様で、スタンプを押してる人を結構見掛けます。 -
出石城・有子山城のスタンプ、ゲットしました!!
ここ2年、コロナ禍で続日本百名城スタンプラリーは全く進める事が出来ませんでしたが、これで65城目です!
ちなみに、日本百名城スタンプラリーをやった時は、全て制覇するのに8年かかりました。
何しろ47都道府県全てに認定されたお城があるから、結構大変です。 -
『御城印』も3種類あります。
自分がこのスタンプラリーを始めた頃には、御城印ってこんなあちこちのお城になかったと思います。
なので、自分はスタンプだけで御城印はコレクションしていません。 -
スタンプを押すだけでなく、当然お城も見学します。
出石城には行くには、谷山川に架かる『登城橋』を渡って向かいます。
ちなみに、江戸時代には谷山川も登城橋もここにはなかったそうです。
登城橋が架けられたのは1994年(平成6年)という事で、まだきれいですね。 -
出石城は、1604年(慶長9年)に小出吉英(こいでよしふさ)により有子山の山頂にあった有子山城を廃して築かれたお城で、一国一城制による但馬唯一のお城です。
梯郭式平山城(ていかくしきひらやまじょう)で、最上段の稲荷郭から本丸、二の丸、二の丸下の郭、三の丸まで階段状に曲輪(くるわ : お城を土塁や石垣、堀などで区画した区域)を配しています。出石城跡 名所・史跡
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登城橋を渡ると『登城門』があります。
かつては埋門(うずみもん : お城の石垣や土塀などの下の方を低く切り抜いて作られた門)があった場所だそうです。
こちらも登城橋と同様1994年(平成6年)に建てられた物です。 -
登城門をくぐると見えるのが『西櫓』です。
西櫓は本丸の西側の角に建つ建物です。 -
西櫓は、1968年(昭和43年)に出石町民の寄付により模擬復興された白漆喰総塗籠の二重櫓です。
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まずは、西櫓の一段下の『二の丸跡』から見て行きます。
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二の丸には政治を行う役所が建っており、一段上にある本丸の城主御殿とは渡り櫓で連結されていたそうです。
今は建物は残っておらず、芝生が広がる桜の名所となっています。
どこのお城も、今はだいたい桜の名所になっていますね。
ちなみに、お城に桜を植える様になったのは、明治時代になってからだそうです。
お城を使用していた当時は、敵に攻められた際、視界が遮られ敵が見えにくくなるという理由から、桜どころか樹木はあまり植えられなかったそうです。
植えたとしても、食用や燃料などの実用性のある松や椎の木などだったそうです。
お城に桜が植えられる様になったのは明治以降の事で、1873年(明治6年)の廃城令でお城が取り壊されたり廃城処分となって民間等に払い下げられ、市民に公園として開放される様になった際に桜が植えられたそうです。
ちょうど桜の季節なので、桜まつりのぼんぼりがいっぱいあります。 -
二の丸から見た西櫓です。
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こちらは本丸の東側の角にある『東櫓』です。
西櫓と同様に町民の寄付により復元された物です。 -
では、もう一段上の西櫓や東櫓がある本丸に行きましょう。
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本丸まで上がって来ました。
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本丸には元々城主御殿と東西の櫓はありましたが、天守閣はありませんでした。
それらの建物は1868年(明治元年)に全て取り壊されてしまいました。
今の本丸には、再建された西櫓と東櫓の他に『感応殿(かんのうでん)』があります。
感応殿は、出石藩主 仙石家の祖、仙石権兵衛秀久(せんごくごんべえひでひさ)公を祀っています。
秀久は、豊臣秀吉に仕えて功績をあげ、洲本や高松の城主となった人物です。
しかし、九州攻めの際の失敗で秀吉の怒りを買い、改易(かいえき : 江戸時代の侍に科された罰で、身分を平民に落とし、財産も没収する事)されるも、小田原攻めで奮戦し、信州 小諸城主に返り咲いた『戦国史上最も返り咲いた男』と言われています。
また、天下の大泥棒 石川五右衛門を捕らえた豪傑としても知られています。
申し訳ありませんが、自分は全く知りませんでした。 -
一旦下まで下りて来ました。
続いては、有子山城に向かいます。
有子山城は、標高321mの有子山の山頂にあります。 -
有子山城へは、出石城の最上段にある稲荷神社に上がる『稲荷参道』から向かいます。
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稲荷参道には、37基の鳥居が並んでいます。
朱色の鳥居が一直線に並ぶ眺めは見事です。 -
157段の石段を登ると『有子山稲荷社』があります。
このお稲荷様は、元々有子山城にあった稲荷社を小出吉英が出石城の鎮護の為にこの地に移したと言われています。有子山稲荷神社 寺・神社・教会
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稲荷社からさらに石段を登ると、いよいよ有子山城の入り口です。
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ここから先は山登りです。
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この日は自分以外に観光客は2組ほどしかいませんでしたが、続日本百名城に選定されてからは観光客も増えたと思います。
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『ご自由にお使い下さい』と親切に杖が用意されています。
自分は杖無しで行きます。 -
山頂までは約1km、時間にして往復1時間程度です。
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山城には熊は付き物です。
自分は遭遇した事はありませんが、皆さんも山に登る際は注意しましょうね。 -
では、山頂を目指して、出発です!
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早速道祖神が優しい笑顔で出迎えてくれます。
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標識があるので、道に迷う事はありません。
本丸まであと980mです。 -
結構激しい遊歩道です。
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本丸まであと850m。
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あと720m。
回りの景色は特に変わりません。 -
堀切(ほりきり : 地面を掘って通した水路)に架かる土橋(どばし)を渡って進みます。
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堀切は、今は空堀となっています。
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本丸まであと500m。
半分ぐらい登って来ましたね。
ここには『北第六曲輪(くるわ)』があります。 -
北第六曲輪には、白いベンチがポツンと一つだけ置いてあります。
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ここから先はなだらかな道になる様です。
あと半分、張り切って行きましょう! -
本丸まであと240m。
なだらかな登り坂が続いています。 -
この辺から、曲輪などの遺構が多数見られます。
と言っても、普通の山の中の平地って感じです。 -
目の前が開けて来ました。
山頂までもう少しです。 -
おっ!?
石垣が見えて来ました。 -
有子山城は、『築上の名手』と言われる藤堂高虎(とうどうたかとら)が最初に手掛けた石垣の城と言われています。
どうりで、立派なはずですね。 -
こちらは『第四曲輪』。
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『第三曲輪』。
徐々に本丸に近づいて来ました。 -
『第二曲輪』。
そして、その向こうに見える石垣が、いよいよ『主郭』です。 -
ついに有子山の山頂、有子山城の本丸があった主郭に到着しました。
登山口から40分弱で到着です。 -
1574年(天正2年)、但馬の守護大名 山名祐豊(やまなすけとよ)が有子山山頂に築城した東西約740m、南北約780mもある大城郭です。
主郭を中心に三方向に延びる尾根に放射状に曲輪や竪堀、堀切を配置した堅固な山城でしたが、1580年(天正8年)羽柴秀吉の攻撃を受けて落城しました。
元々は土塁のお城でしたが、後に城主となった羽柴秀長により、現在も残る石垣のお城へと改修されました。
しかし、1615年(元和元年)に一国一城令により廃城となりました。 -
山頂には東屋が建てられています。
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東屋からは出石の町が一望出来ます。
絶景ですね!
疲れが一気に吹き飛びます。
これがあるから、登山はやめられません。 -
辰鼓楼も見えますね。
出石の町は『但馬の小京都』と言われるだけあって、落ち着いた風情ある町です。 -
といったところで、今回の旅はこれにて終了。
今回は新たな証明書『そば通の証』をゲットする事が出来ました。
そして『続日本百名城スタンプラリー』の出石城・有子山城のスタンプもゲット出来て大満足の旅となりました。
また気になる場所や、証明書がある観光地を見つけたら行きたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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