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今更ですが、、、コロナが始まった2020年の初詣は、奈良にある薬師寺に行きました。<br />

初詣奈良薬師寺

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2020/01/02 - 2020/01/02

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今更ですが、、、コロナが始まった2020年の初詣は、奈良にある薬師寺に行きました。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
同行者
家族旅行
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 年末、日本に帰省です。今回はミュンヘン経由。

    年末、日本に帰省です。今回はミュンヘン経由。

  • 羽田空港に到着。

    羽田空港に到着。

  • 和歌山上空。<br />山が県府の境目になっていて、向こう側が大阪、手前(真下)が和歌山市。

    和歌山上空。
    山が県府の境目になっていて、向こう側が大阪、手前(真下)が和歌山市。

  • 大阪上空。(東大阪)<br /><br />もうすぐ伊丹空港に到着です。

    大阪上空。(東大阪)

    もうすぐ伊丹空港に到着です。

  • 薬師寺<br /><br />奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の1つ。開基は天武天皇。<br />1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録されている。(Wikiより)<br /><br />最寄り駅の近鉄西ノ京駅から歩く。

    薬師寺

    奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。南都七大寺の1つ。開基は天武天皇。
    1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして、世界遺産に登録されている。(Wikiより)

    最寄り駅の近鉄西ノ京駅から歩く。

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺<br /><br />

    薬師寺

  • 薬師寺<br /><br />玄奘塔<br />主要伽藍の北側にあり、1991年(平成3年)に建てられた。玄奘三蔵坐像と玄奘の頭部の遺骨であるご頂骨・真身舎利を祀る裳階付き八角円堂。このご頂骨は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)12月23日に中華民国の首都・南京で日本陸軍が土木作業中に偶然、かつて破壊された玄奘の墓を発見したことにより、中華民国と協議して1944年(昭和19年)にその遺骨の一部を日本仏教会に分けてもらった。戦後、さらに蒋介石からもその持ち出しの許諾を得ている。その後、ご頂骨は埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の慈恩寺に祀られていたが、1981年(昭和56年)に薬師寺に分骨された。<br />(Wikiより)

    薬師寺

    玄奘塔
    主要伽藍の北側にあり、1991年(平成3年)に建てられた。玄奘三蔵坐像と玄奘の頭部の遺骨であるご頂骨・真身舎利を祀る裳階付き八角円堂。このご頂骨は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)12月23日に中華民国の首都・南京で日本陸軍が土木作業中に偶然、かつて破壊された玄奘の墓を発見したことにより、中華民国と協議して1944年(昭和19年)にその遺骨の一部を日本仏教会に分けてもらった。戦後、さらに蒋介石からもその持ち出しの許諾を得ている。その後、ご頂骨は埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の慈恩寺に祀られていたが、1981年(昭和56年)に薬師寺に分骨された。
    (Wikiより)

  • 薬師寺<br /><br />玄奘塔<br />扁額「不東」は高田好胤和上の筆。不東とはインドに着くまでは一歩も東(唐)に帰るまいという意味である。<br />(Wikiより)

    薬師寺

    玄奘塔
    扁額「不東」は高田好胤和上の筆。不東とはインドに着くまでは一歩も東(唐)に帰るまいという意味である。
    (Wikiより)

  • 薬師寺<br /><br />大唐西域壁画殿<br />日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した、縦2.2メートル、長さが49メートル(7場面、計13壁面の合計)からなる「大唐西域壁画」が祀られている。壁画は絵身舎利とされ、なかでも中央の3面は本尊・西方浄土須弥山となっている。扁額「大唐西域壁画殿」は平山郁夫の筆。<br />(Wikiより)<br />※写真はありません。

    薬師寺

    大唐西域壁画殿
    日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した、縦2.2メートル、長さが49メートル(7場面、計13壁面の合計)からなる「大唐西域壁画」が祀られている。壁画は絵身舎利とされ、なかでも中央の3面は本尊・西方浄土須弥山となっている。扁額「大唐西域壁画殿」は平山郁夫の筆。
    (Wikiより)
    ※写真はありません。

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺<br /><br />西塔<br />1981年(昭和56年)再建。東塔と対称的な位置に建つ三重塔。旧塔は享禄元年(1528年)に戦火で焼失している。この塔はかつての伝統様式・技法によって再建されたものである。デザインは東塔と似ているが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であったが修復で白壁にされている。再建に際しては、西岡常一により、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建されている。500年後には西塔も東塔と同じように材木の撓みと基礎の沈下が起きて同じ高さに落ち着く計算とのことである。<br />(Wikiより)<br />

    薬師寺

    西塔
    1981年(昭和56年)再建。東塔と対称的な位置に建つ三重塔。旧塔は享禄元年(1528年)に戦火で焼失している。この塔はかつての伝統様式・技法によって再建されたものである。デザインは東塔と似ているが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。東塔も元々は連子窓であったが修復で白壁にされている。再建に際しては、西岡常一により、西塔は鉄の使用を極力少なくし木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建されている。500年後には西塔も東塔と同じように材木の撓みと基礎の沈下が起きて同じ高さに落ち着く計算とのことである。
    (Wikiより)

  • 薬師寺<br /><br />東塔<br />国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、法観寺五重塔、醍醐寺五重塔、仁和寺五重塔に次ぎ、6番目の高さを誇る。屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている。<br /><br />相輪の中心部の柱の最下部には「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」の漢字は木偏に「察」)と称される銘文が刻まれており、薬師寺の創建と本尊造立の趣旨が漢文で記されている。塔の建築年代については飛鳥の本薬師寺から移築されたとする説(移建説)と、平城京で新たに建てられたとする説(非移建説)とがあったが、『扶桑略記』の記述のとおり、天平2年(730年)に平城京にて新築されたとする説が通説となっている。当初、東塔・西塔の初層内部には釈迦八相(釈迦の生涯の8つの主要な出来事)を表した塑像群が安置されていたが、現在は塑像の断片や木心が別途保管されるのみである。<br /><br />骨組み部分は鉄の釘で接続されていたが、各階の間などでは釘は用いられず木組みだけで構成されていた。解体修理にあたり、9割の木材は再利用され、残りは補修または新材を用いた。基壇は後世改修されているが、2009年から開始された東塔の解体修理工事の際に基壇の発掘調査が行われている。その結果、創建当初の版築による基壇が良好に遺存していることが確認された。また、裳階柱の礎石は明治時代に据え直された可能性があるものの、心礎、四天柱、側柱の礎石は当初位置から動いていないことも確認された。基壇の下から和同開珎4枚が出土した。創建当時の基壇は保護され、それを鉄筋コンクリートで覆って新たな土台とした。また心柱の内側は根元から2mほどが蟻害にあっており、不要な部分を取り除き新材で埋めた。天井画の調査においては、木材の陰になった部分の顔料が非常に良い状態で残っていた。<br />(Wikiより)

    薬師寺

    東塔
    国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、法観寺五重塔、醍醐寺五重塔、仁和寺五重塔に次ぎ、6番目の高さを誇る。屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている。

    相輪の中心部の柱の最下部には「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」の漢字は木偏に「察」)と称される銘文が刻まれており、薬師寺の創建と本尊造立の趣旨が漢文で記されている。塔の建築年代については飛鳥の本薬師寺から移築されたとする説(移建説)と、平城京で新たに建てられたとする説(非移建説)とがあったが、『扶桑略記』の記述のとおり、天平2年(730年)に平城京にて新築されたとする説が通説となっている。当初、東塔・西塔の初層内部には釈迦八相(釈迦の生涯の8つの主要な出来事)を表した塑像群が安置されていたが、現在は塑像の断片や木心が別途保管されるのみである。

    骨組み部分は鉄の釘で接続されていたが、各階の間などでは釘は用いられず木組みだけで構成されていた。解体修理にあたり、9割の木材は再利用され、残りは補修または新材を用いた。基壇は後世改修されているが、2009年から開始された東塔の解体修理工事の際に基壇の発掘調査が行われている。その結果、創建当初の版築による基壇が良好に遺存していることが確認された。また、裳階柱の礎石は明治時代に据え直された可能性があるものの、心礎、四天柱、側柱の礎石は当初位置から動いていないことも確認された。基壇の下から和同開珎4枚が出土した。創建当時の基壇は保護され、それを鉄筋コンクリートで覆って新たな土台とした。また心柱の内側は根元から2mほどが蟻害にあっており、不要な部分を取り除き新材で埋めた。天井画の調査においては、木材の陰になった部分の顔料が非常に良い状態で残っていた。
    (Wikiより)

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • 薬師寺

    薬師寺

  • さてドイツに戻ります。

    さてドイツに戻ります。

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