2022/05/18 - 2022/05/18
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たびたびさん
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これまで宮島の旅行記は何本かアップしていますが、基本的なテーマは宮島の美しさをいかに伝えられるか。大鳥居から水上に浮かぶ厳島神社の社殿、五重塔や千畳閣は京都や奈良でも感じることがないような冴えた美しさだし、空海ゆかりの弥山から眺める瀬戸内海の景色も天下一品。宮島が厳島神社創建以前から特別な場所であったことを実感できる決定的な眺めではないかと思います。
もちろん、平家や平清盛に関連する物語があって平家納経という国宝中の国宝の存在もなければ、そうした風景は色あせてしまうのですが、一方で、もう一つずっと気になっていたのは宮島の舞楽。宮島口には舞楽「蘭陵王」の像があって、建物や自然の美しさとは異なる圧倒的な華やかさを醸し出していますからね。やっぱり、これを拝見しておかないことには話になりません。
そうは言ってもこれまでなかなか機会に恵まれずにいたところ。今回、満を持して推古天皇祭遥拝式の雅楽に行って参りました。なんか本当にやっとという思い。ちなみに、この推古天皇祭遥拝式は、厳島神社で毎年5月に行われる神事で、厳島神社建立が推古天皇の即位した593年と同じであることに由来します。
さて、お目当ての雅楽の奉納は神事の後半。鳥居をバックにした神殿前の舞台において、五つの舞楽(振鉾、萬歳楽、延喜楽、陵王、納曽利)と管弦(長慶子)が演じられるのですが、日をいっぱいに浴びてきらめく美しさは確かに期待に違わぬもの。舞楽が拝見できる神事は、ほかに、桃花祭や菊花祭もあってむしろそれらの方が有名なのですが、これらの舞楽は夕方からなのでたぶん幽玄の世界。対して推古天皇祭遥拝式の舞楽は午前中に行われるので、明るくてキラッキラの舞楽です。いずれにしても、これは平安期、清盛始め平家の公達もたぶん同じように見ていた舞。平家一門にあって知勇を兼ね備えていた名将、平知盛は壇ノ浦の戦いの最期にあたって「見るべきほどのことは見つ」と叫び海中に身を投じたといいますが、こうして宮島の舞楽を拝見すると単なる負け惜しみの言葉ではなかったようにも思います。
ところで、また蛇足になるかもしれませんが、平家の盛衰を描いた平家物語はその後の日本人の死生観に大きな影響を与えました。”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす” それは運命をいかに受け入れるかということであり、一種美意識の一つとも。ただ、源氏物語の”もののあわれ”や末法思想とかも含めてですが、ちょっとネガティブなイメージかな。しかし、日本人はその枠内に留まるだけでなく、次の時代にはそれを跳ね返すような新たな流れも生まれてきます。鎌倉仏教の諸宗や天台宗における大覚思想の高まりは、人は皆救われるという強い信念があってのものですし、太平記になると少し見苦しいくらいにまでに己の運命に抗う姿を堂々と描いて力強い。また、時代が下って江戸時代。それらを心の問題と整理して、日常生活の規範としての儒教がじわりじわりと浸透する。近松門左衛門の義理と人情は、儒教的な考え方が浸透していなかったならば物語として成立し得なかったものですからね。私は、少なくともこうした三つの考え方というか価値観かな。日本人の内面にそうしたものが重層的に刻みこまれることで、もともと持っていたDNAが経験を経ることで人格が形成されるように、日本人の”らしさ”が育まれていったのではないかと思っています。
ただ、それでいて、これだけ平家にゆかりのある厳島神社なのに平家の滅亡に対しては逆に見事なまでに何かを積極的に発信することはしていません。対して、京都の寂光院は建礼門院の寺として根強い人気を誇りますし、下関の赤間神宮の先帝祭(https://4travel.jp/travelogue/10674305)や須磨寺の平敦盛と熊谷道真の扱い(https://4travel.jp/travelogue/10885149)も平家を前面に出していて、熱い思いが溢れていますからね。それらと比べて厳島神社のこの黙して語らずとでも言うべき姿勢はどうなんでしょうか。ただ、今回、その陰で平清盛が厳島神社にもたらした舞楽が非常な努力の下で守られてきたことを知ると、やっぱりたぶんこれも平家一門を偲ぶ気持ちがあったればこそ。そして、それに思い至ると、この宮島の地の美しさや伝統の資産に誇りを持ち、ひたすらこれを守って行くことがむしろ宮島らしい平家への供養の仕方なのかもしれません。何といっても宮島は平家の栄華を留める唯一の地。平家を無理に語らずしても、その遺産としての価値は考える以上に大きいような気がします。
なお、宮島観光協会からいただいたチラシに以下のような紹介があったので、これもご披露まで。
「厳島神社の舞楽
厳島神社には古代の舞楽が今に伝わっている。舞楽は舞を演ずることを主とし、所作が写実的でもあるが、リズミカルなもので伴奏の古代楽器の数も多くある。舞楽が厳島神社に伝えられたのは、平安時代(久安2年)、平清盛が安芸守に任じられ厳島神社の社殿を今日のような姿に造営した時、神社内に楽所を設け、楽人は古い伝統を地味に、また男性的な旋律を伝えていた大阪の四天王寺流を移したものである。平家が天下を取った全盛時代には、京都・奈良に負けないくらい厳島神社の舞楽は盛んとなる。
平家滅亡後は厳島神社の舞楽も次第に衰えようとしたが、この伝統文化を絶やすまいと厳島神社の神職は、非常な努力をはらい舞楽の伝統文化芸術を伝えている。また室町時代の末、戦国の世に中国地方の大名となった大内氏や毛利氏、江戸時代の浅野氏等によって手厚い保護を受けていた。
以上のような舞楽史上の変遷にもかかわらず、厳島神社の舞楽は、純粋な四天王寺流をくずさないままに、今でも昔ながらの伝統を伝えている。特に舞楽の楽曲の中で注目されるのは「抜頭」で、譜面を用いないで所作だけで子孫に伝えている「一子相伝の舞」である。」
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神事は10時からなんですが、様子が分からないので早めにやってきました。
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ちょうど潮が満ちた状態で社殿は海の上。
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今日はこれ以上ない快晴だし、朝の太陽を浴びていい感じですよ~
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ここが舞楽が行われる舞台。灯籠の先に大鳥居が見えています。
大鳥居は現在修復工事中です。大鳥居が隠れているので残念な気もしますが、こうした工事中の鳥居が見れるのは今だけ。そう思えば逆に貴重な眺めです。 -
振り返るとこれが拝殿。折り上げ小組の格天井は黒い漆塗り。やっぱり格式の高さが窺われます。
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観光客はまばらな中、待つことしばし。。
少し心配になってきたところで、神職の皆さんが入ってきました。 -
ここで靴を脱いで順々に奥に向かって行きますよ~
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横一列に並んで
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一礼
神様の食事、御神饌を供えたような感じかな -
今度は舞台の方へやってきました。
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一人の神職が進んで
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これから舞楽を演じて奉納します宣言かな
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今度は三人を引き連れて
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舞楽が無事に奉納されることを祈ります。
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さあ、場が整ったようですね。
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まずは、振鉾
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名前の通り、舞台で鉾を振るう演目です。
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古代中国
周の武王が殷の紂王を滅ぼした際、 -
左手に黄金の鉞、
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右手に白い毛の牛の体毛を付けた旗を持ち、
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天下泰平を誓ったという逸話に由来するもの。
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殷は殷墟の遺跡でも知られますが、実在が確認されている中国最古の王朝であり、強大な帝国。
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しかし、殷の紂王は政治を疎かにし、贅沢三昧。酒池肉林という言葉を生んだ暴君で、世の中は乱れに乱れてしまいます。
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これに対して、周の武王は夏の禹、殷の湯王、父の文王と並び聖王として崇めらる存在。その仁徳をもって諸侯を束ね、紂王を討ち周を建国します。
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そういう意味では、この鉾は正義の剣ともいうべきものですね。
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そして、武王の周辺にも煌びやかな人材があまた。
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異母弟の周公旦は礼学の基礎を形作った人物とされ、約500年の春秋時代に儒学を開いた孔子が理想の聖人と崇めた人物。
武王とその子、成王にも仕え、周の安定に力を尽くします。 -
「握髪吐哺(あくはつとほ)」は、賢者を求め、得る気持ちの強く熱心なこと。
周公旦は賢者の訪問を受けると洗髪中でもたびたび洗いかけの髪を手に握ったまま、また食事中でもいったん口にふくんだ食べ物でもそれを吐き出してすぐに面接したという故事に基づきます。 -
また、殷の滅亡後、周の武王は殷の一族であった箕子を崇めて家臣とせず朝鮮に封じますが、つまり、この箕子は甥の紂王の暴政を諌めたという賢人。そのため、箕子につながる朝鮮の儒教の系譜はむしろ本流に近いという考え方もあるようです。
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そして、太公望とも呼ばれる呂尚。
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周の軍師であり、殷打倒の立役者。
「覆水盆に返らず」の格言も呂尚が別れた妻との復縁を拒んだことから。いろんなところに足跡を残しています。 -
宮城谷昌光の小説「太公望」では殷の亀甲文字を盗み、諸部族の連合を実現したという興味深いストーリーが描かれていました。
確かに漢字は世界でも珍しい表意文字。表意文字の特徴は、発音の仕方とかの制約を乗り越えて、言語の違う民族との意思疎通を図る強力な手段となること。遣唐使で海を渡った空海も筆談で意思の疎通には全く困らなかったよう。そして、もしかしたら、漢字なくしては隋や唐のような世界帝国は出現しなかったのではないか。周に滅ぼされたとはいえ、殷の功績はとんでもないことだったような気がします。 -
ところで、冒頭に触れた通り
この舞楽は平清盛や平家一門も見ていたもの。当時の感覚は今とは大きく違うにしてもどのような見方をしていたのかは気になるところです。
ちなみに、中国との関係ですが -
天智2年(663年)の白村江の戦いでは唐と新羅の連合軍に大敗し、唐との関係は険悪だったはずですが、その二年後にはちゃっかり第5回の遣唐使を派遣する。
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さらに延暦23年(804年)の第18回の遣唐使では空海と最澄を派遣し、承和5年(838年)まで合計19回。唐の混乱から派遣は途絶えますが、日本文化の発達を理由とした道真の建議からは既に学び終えたという自信もうかがえます。
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つまり、平家の時代、既に漢籍は十分にあって、当時の世界標準であった中国の歴史や文化の知識は豊富だったということ。
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枕草子にも白居易、通称白楽天の詩の一節「香炉峰の雪」や「鶏鳴狗盗」の働きで難を逃れた孟嘗君の「函谷関」など。平気で教養の一部として語られるまでになっています。
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本来、周の武王は紀元前11世紀ころの話なので、平家の時代にあっても神話と言ってもいいくらいはるか昔の物語なのですが、
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教養としては違和感なく、十分に現実感を伴う題材だったように思います。
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そして、今や平清盛は日宋貿易にご執心。
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殷の紂王、周の武王、周公旦に箕子、太公望。。
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教養としての知識だけでなく、中国をさらにリアルに体験しているわけですから、
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今の私たちが想像する以上に自然な感情移入ができた。
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ゆっくりとした動きの中にも
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その表現せんとするテーマを思えば
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それなりに心が躍るものがあったに違いありません。
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振鉾についても何を思ったのか
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自らを武王になぞらえたり
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紂王の轍は踏まないぞとか
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祭りごとの思案をしながら
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多様な楽しみ方ができたでしょう。
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ただ、舞は厳かだし
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形式美の極致。
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リアルな槍の構えということではなくて
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象徴的な動きによって
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由来の出来事を思い起こし
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記憶に留めんとするもの。
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ただ、その辺りで言うと
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舞楽とか演劇って所作や姿を楽しむのか
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やはりその背後にある物語に思いを馳せ楽しむのか。
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その辺りの加減はそれぞれですが、
-
イチオシ
いずれにしても、繰り返し繰り返し上演されることで
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多くの人々に共通の価値観を植え付けたり、考え方の土台を提供していく役割があるのが面白いところ。
そういう意味だと、神楽なんかも神話の世界を広めながら、知らず知らず天皇の正当性を納得させるのに貢献していますからね。 -
続いては、萬歳楽。
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隋の煬帝の作曲と伝えられているおめでたい曲。
振鉾のような物語はないようなので。。では、舞の動きに注目しましょう。 -
天皇即位の大礼においても舞われるようですが
-
この手を広げて、顔は横を向くポーズ。
なんとなく目にしたことがあるような。
舞楽じゃないとちょっとお目にかからない動きですよね。 -
イチオシ
腰を落として
-
今度は正面を向いて
片足を上げる。 -
手を前にやりつつ
腰を落として -
立つと
今度は斜め下を見る。 -
体を斜めに向けて
ちょっと前傾 -
正面を向いて
手を広げる -
手を閉じて
腰を落とす -
立って
また斜め下 -
この舞いは
厚い生地の衣装が体の動きを美しく見せているような気がします。 -
二人目の舞い手が現れました。
-
一人目の舞い手が立っている横で
両手を広げたり -
腰を落としての前傾
-
片足を蹴り上げて
-
踏み出すの
-
同じ動きを演じます。
-
ひと通り舞って緊張が解けたかな。
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ここからは二人そろって
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顔の向け方が少し違っていたりしますけど
-
それも舞い手の個性かな
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程よく息があっていて
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これくらいがまたいいような気もします。
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片足を踏み出して
-
膝を曲げた前傾姿勢
-
足をけり出して
手は前に閉じる -
そのまま両手を広げて少しのけぞりますが
-
そのまま前傾
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方向を変えて
足をけり出す -
両足を付けて
重心は片足へ -
両手を広げて
衣装の全体を見せたら -
くるりと回ってうしろ姿に
-
正面を向いたら
少し腰を落として -
またうしろ向きに立ち上がる
-
二人が横向きで
前後に並ぶと -
今度は背中合わせ
-
また同じ方向を向いて
前後に並ぶと -
二人並んで
これは弓を引くような姿 -
また前後に並んで
足を蹴り上げて -
腰を落とす
-
足を踏ん張って
-
中腰で弓を引く姿
-
そのまま方向転換して
-
さらに腰を落とす
-
今度は伸びあがって
-
両手を広げ
片足をあげる
ちょっと決めのポーズ -
斜め下を見ながら
-
動きを緩めて終了
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静かに退場です。
-
イチオシ
三つめは延喜楽。
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延喜年間(901~923)の作なので延喜楽。
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これも慶賀の席で舞われるおめでたい舞。
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金地に赤をあしらった被り物に
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衣装は緑の基調。
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それに下地の白がツートンカラーのようなバランスで
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白い生地にも赤が配される。
金、赤、緑、白。
全体としては武人の印象ですが、高貴な香りはこれも舞楽ならではですよね。 -
二人目の舞い手です。
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一人目の舞い手が立っている間に
-
二人目も同じ動き。
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腰を落として前傾や
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両手を広げて片足上げ
-
正面を向いて
両手を斜め上 -
基本の動きは
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前の舞ともやっぱりよく似ています。
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さて、二人並んだところで
-
両手を広げて
顔は横 -
そのまま前傾姿勢から
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元に戻す
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両手を閉じて
-
また広げつつ
片足は前に -
その片足を横に広げて
-
今度は体を斜め向き
-
その角度のまま腰を落として
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立つと片足を前に
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前傾姿勢から
-
また正面
-
斜めを向きつつ
-
片手を高く掲げて
空を仰ぎ見る
ここも決めポーズかな -
前傾姿勢から
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また起き上がって空を見る
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横向きになって
前後に並ぶと -
両足のステップ
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片足をけり出して
-
前傾姿勢から
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さらに深く
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起き上がって
片足をけり出して -
手を高く
-
体を閉じて
-
片手を上に
-
斜めに向いて
-
今度は逆向きで胸を張る
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腰を落として
-
また立ち上がると
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弓を引く姿から
-
両手を前に出して仰ぎ見る感じ
-
はい、
以上で終了です。 -
そして、四つ目が蘭陵王。
-
待ってました!
いよいよ真打登場といったところですね。 -
舞楽の中では圧倒的な人気を誇る演目。
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全身鮮やかな緋色の衣装に身を包み、
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龍頭を模した黄金のマスクを被ったいで立ち。
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マスクを付けるのは、その美貌が兵卒たちの士気を下げることを恐れ、常に仮面をつけて戦っていたという伝説から。
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中国の南北時代、
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北斉の皇族、高長恭。その人が蘭陵王です。
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首都、洛陽を攻撃する北周10万の大軍の囲みを僅か500騎の部隊で突破。救援に成功したり、
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後の来寇にも策を持って撃退したり。
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勇猛果敢な将軍である一方で、配下の将兵をいたわる謙虚だった人物。
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しかし、それが故に皇帝高緯から忌み嫌われ、最後は死を賜るという悲劇の結末。
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伝説の英雄となって、舞楽の演目としても名を残すことになりました。
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将軍であっても細事は自分で処理した
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果物を贈られた際、わずかでも将卒に分け与えた
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過去に窃盗で免官になった部下が、後に軍中で長恭の怒りに怯えていると小罰を与えて安心させた
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朝廷からの帰りに従僕らが待っておらず、一人で帰ったことがあっても罰しなかった
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英雄の人物像を伝える逸話の一つ一つが
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その人物を鮮やかに蘇らせ、心に深く沁みてきます。
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舞いは
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蘭陵王の勇猛果敢さや
-
配下の将兵をいたわる謙虚さ、
-
イチオシ
皇帝高緯に忌み嫌われて
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悲劇的な最期を遂げる理不尽さ。
-
そうしたもろもろを
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表現するもの。
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手の動き
-
足の動き
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手に持ったバチの動きまで
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そうした表現に関わっているのですが、
-
ただ、それが鮮やか過ぎる緋の衣装と
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マスクに覆われていることで
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余計、見る者の想像力を高めてしまう効果があるような気もします。
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マスクの下に隠された本当の気持ちとは。。
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潔く納得、達観して最期を迎える気持ちだけではなく、
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もしかしたら後悔や
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諦め
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失意や
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悲しみに
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恨みまで。
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その心中は察するに余りあるものですが
思うに
一方で中国では印象としてこうしたところにあまり立ち入らないような気もします。 -
イチオシ
たんたんと人物の紹介と
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起きた事象を
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歴史の事実として伝えるだけのようなところがありますよね。
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悲劇であっても一時の感情で評価するのではなく
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事実を後世の人に伝えることに徹して
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すべてを中華民族の知恵や経験として財産にしていくような感じ。
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歴史はすべてを飲み込んで流れていく的な
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大陸的な大人の感性。
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それとも、国家の興亡や栄枯盛衰。その中での人間模様はあまりにも膨大で、いちいち感情移入してもいられないという感覚かな。
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それでも、三国志や項羽と劉邦の世界が今でも色あせないのはやっぱりすごいこと。
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平家物語が日本人の価値観形成に影響したように、きっと漢民族の価値観に強く影響を及ぼしているのだと思います。
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歴史は人が動かすもの。
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歴史の事実の一つ一つは
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それぞれの個性をもった生身の人間が作って行くもの。
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なので、理想とする人間性や
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理想とする人間関係や環境などにも
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目が向かないはずはないし、評価をしてみたくなるものなのですが、
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ただ、その辺りはやはり儒教のマターなのかな。
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空理論の龍樹や仏教経典の翻訳に力を尽くした鳩摩羅什。
中国のフィルターを通して、日本は仏教を取り込みました。 -
しかし、中国では仏教よりも儒教が幅を利かせて日本のようにはなりませんでした。
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日本人の感覚としては、仏教は儒教の上位に来るというイメージですが、
現実の世界の行動規範になりえない仏教なんか役に立たない。儒教よりも劣るものというのが中国や韓国の感覚ですからね。 -
例えば、日本の能は、特に時宗ですが仏教的な思想と結びつくことでその深みを増したし、茶の湯もそういう面がないとはいえない。
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蘭陵王の悲劇は仏教的な解釈なら
成功も挫折もこの世のことなどさほどの問題ではない。欲を捨て仏にすがることでこそ心の迷いは消える。極楽往生こそが肝心なるぞ!みたいな感じかな。 -
儒教的に考えれば全然違って
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蘭陵王の仁は尊ぶべきものだが、それは将軍に求められる必要十分な資質ではない。
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蘭陵王は皇帝の一族であり、彼がもし皇帝になっていたら、この仁は活かされていたであろうが、そうではない。
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一方で、蘭陵王を死に追いやった皇帝高緯は、その後、軍事力が急激に衰え、北斉は滅びることになりました。
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誠に仁も義もなき皇帝。
-
二人の地位が逆であったらこのような悲劇は起きなかったに違いない。
-
ボタンの掛け違いが国家の滅亡を生んだのである。
-
よって、これを教訓とし、皇帝たるものはこのような悲劇が起きないよう
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常に心を平らかにして仁徳を磨き
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臣下、人民は礼を持って行動することが社会の秩序を保つ基本となる。
-
性即理、心即理。
怠るでないぞ!
こんな感じかな~ -
儒教は、ある意味では人間操縦や人心収攬のための教え。
-
イチオシ
本来野蛮である人民を統治するためには、統治制度だけではなくて一定の教育が必要であるという考え方。
-
そういう意味だとこうした悲劇でさえ
ドライに教材の一つとなってしまうような気がします。 -
舞楽は思想的な匂いはしませんが、儒教との結びつきはなかったんでしょうか。
ちょっと気になります。 -
舞楽最後の納曽利は、朝鮮半島を経由して伝わった高麗楽。
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蘭陵王は唐楽ですが、蘭陵王と同じく龍頭を模した金青色のマスクを被って、手にはバチ。
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緋色の袍に緑系の袖のない貫頭衣を組み合わせる衣装は
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これも眩いばかりの美しさ。
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相撲、競馬、賭弓の節会で勝者を祝って奏されたようですが、
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力強さと
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気高さに
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優雅な気品も感じられて
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蘭陵王に負けないくらい素晴らしいですね。
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それに、
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こちらは二人舞だけに
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二人の絡みの面白さが加わります。
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正面に並んで両手を広げたポーズも
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左右をすれ違うようなポーズも
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二人舞いにしかできない絡みです。
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向き合って
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互いが息を合わせつつ
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それでいて
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それぞれが力強いポーズを決めてきます。
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背中合わせに近づいて
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離れたら、お互いにエイヤー
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振りむいて向き合うと
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イチオシ
両手を前後に広げ、決めのポーズから
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今度は互いに正面で向き合ってまた決める。
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すれ違いざまに
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向き合っての決め。
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空を仰いで
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また決めのポーズ。
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足を踏み込んで
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しゃがみこんだり
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再び立っては
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静かに向き合い
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間を測って
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両手を上に突きあげる。
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イチオシ
すれ違って
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それぞれが外に向かって決め
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腰をひねって
-
また向き合う。
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向き合いつつ
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体をゆすって
-
またすれ違いつつ
-
決め
-
決め
-
イチオシ
決めのポーズ。
-
この絡みは納曽利が一番。
-
他の演目と同じくゆっくりとした動きなんですが、
-
二人が絡むことによってダイナミックさが全然違うように感じます。
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と、ここで終了。
一人ずつ舞台を下りていきました。
さて、宮島の舞楽も延年の舞いや田楽舞いのような長い間合い。このスローなリズム感はたぶん平安期の伝統であり、正直、せっかちな現代人にはちょっと苦痛かもしれませんが、それが本物の証しなのかな。一方で、それを補う煌びやかさはさすがというしかない。立派に伝えてこられたご努力に深く敬意を表したいと思います。 -
では、後は昼飯を食べて帰ります。
今回のあなごめしは、まめたぬきで。こちらは、表参道商店街の中ほどにあって、ただいま人気急上昇のお店です。 -
イチオシ
こちらの特徴は、蒸したあなごのあなごめし。あなごはうなぎと違って脂分が少なくてあっさりしているので、焼いて香ばしさを出すのが一般的なのですが、蒸すとうまみが増して脂分が少ないのが気にならなくなるような感じ。お寿司屋さんで煮あなごのにぎりとか食べたことがあって、印象的にはそれにも近いような気がします。まだ少数派ですが、もしかしたらもっとメジャーになるかもしれませんね~
本日は以上で終了。お疲れ様でした。
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