2022/04/14 - 2022/04/14
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Bachさん
京都散策の合間に、下鴨神社の一角にある三井財閥の中核となった「三井家下鴨別邸」に行き、お抹茶休憩をしてきました。
大正14年(1925)「三井家」10代目によって、三井家の先祖を祀る「祖霊社」(それいしゃ)のあったこの地に参拝の休憩所として建築されました。シンボルとなっている望楼のある3階建て「主屋」(しゅおく)は、木屋町別邸から移築された明治建築で、大正建築の「玄関棟」と、江戸時代建築と思われる「茶室」からなり、明治から大正期の屋敷構えが良好に保存されている歴史建造物として平成23年(2011)国の重要文化財に指定され、建物、庭園の修復を経て2016年から公開されています。
三井家の豪商ぶりを伺える遺産ですが、何故ここ下鴨神社の一角にあるのか、調べると江戸時代に遡り、三井家は呉服と金融業で財を成したことから、1751年(寛延4年)養蚕の神を祀る京都太秦にある「木嶋神社」(このしま)に、三井家の祖霊社「顕名霊社」(あきなれいしゃ)を設けましたが、明治になって明治42年(1909年)新たに購入した下鴨神社南側6,000坪の広大な土地に遷し、さらに大正14年(1925年)祭祀時の休憩所として現在の下鴨別邸が建てられました。その後昭和24年(1949年)戦後の財閥解体で国に譲渡され、跡地には京都家庭裁判所が建ち下鴨別邸は所長宿舎として2007年まで使用され、2011年重要文化財指定、修復工事後2016年から公開という経緯があります。
「木嶋神社」から「下鴨神社」一角に遷ったのは、恐らく「木嶋神社」にあった森を嵯峨天皇が「下鴨神社」に遷してこれを「糺の森」と呼び「木嶋神社」の森は「元糺の森」と呼ぶようになったという関係があったかもしれません。
「木嶋神社」は京都太秦一帯で養蚕や機織りなど広めた「秦氏」を始祖とし「蚕ノ社」と呼ばれ、京都三珍鳥居の一つ「三柱鳥居」(みばしらとりい)があるので有名。(三つの鳥居を正三角形に組み合わせ三方から参拝できるが現在は非公開>京都三珍鳥居は京都御苑厳島神社、北野天満宮伴氏神社)
*「秦氏」(はたうじ)は、5世紀頃に朝鮮半島・新羅から渡来し、養蚕機織り技術に優れ朝廷に仕え、漢氏(あやうじ)と共に大和政権から平安京造営にも活躍、嵯峨野一帯を開墾し養蚕や機織などを広めたことからこの地を太秦(うずまさ)と呼び、広隆寺は氏寺、松尾大社と伏見稲荷大社は氏神。造り花付き双葉葵が家紋
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「賀茂御祖神社」(かもみおや):上賀茂神社と下鴨神社を合わせて「賀茂社」と総称し、正式名称は下賀茂「賀茂御祖神社」、上賀茂「賀茂別雷神社」(かもわけいかづち)で、どちらも「賀茂」と書く。下鴨祭神の玉依媛命(たまよりひめのみこと)は上賀茂祭神の賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母親で、現在の親社は下鴨神社。
古くは「賀茂氏」の氏神を祀る神社で、高野川、賀茂川が合流する鴨川の豊かな水の恩恵を受けながら農業を営んでいた鴨一族によって祀られた賀茂神社が、強大な勢力を恐れた朝廷により分けられ「上賀茂」と「下鴨」(差別化するため賀茂でなく鴨)になった。この時から「賀茂川」が高野川と合流する所(通称鴨川デルタ)で「鴨川」に変わる。 -
「三井総領家」:三井家は11家ありその本家となる北家を「総領家」と呼ぶ。
三井家は江戸時代に近江の武士に始まり、1568年伊勢松坂で商人に転身し酒屋で成功、そして1673年江戸で呉服店越後屋(現三越)を開業し、その後江戸、京都、大阪で両替商(現三井住友銀行)も始め、巨万の富を築き、明治維新期には薩摩の西郷隆盛と小松帯刀が討幕の資金調達に京都油小路の三井総領家を訪れ大政奉還が実現したと言われるまでになったが、三井家の基礎を築いた創業者・高利は1691年、三井家の結束を図るため長男・高平を総領家とし男系6家、女系5家からなる「三井11家」を定め、さらに高利の死後1694年その莫大な遺産は「三井大元方」という統括組織で運営し三井財閥の発展につながった。 -
「三井総領家・北家」は、京都二条城真向いの二条油小路にあり、「三井大元方」が置かれて三井家の中心となったが、この地に2020年11月ラグジュアリーホテル「HOTEL THE MITSUI KYOTO」が建てられ、当時の門や灯篭などが残されている。(1泊朝食付10万円~)
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1階は公開されているが、3階望楼は期間限定公開、茶室と2階は貸室として公開され(2,000~9,000円)各種イベントにも利用される。入館料500円、抹茶お菓子800円
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和菓子は鶴屋義信、お抹茶は一保堂茶舗
コーヒーは小川珈琲、ケーキは茶乃逢(さのあ) -
3階望楼にも行ける朝食とランチもあるが、ちょっと休憩とはいかない。
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外からチラッと見えるシンボルの「望楼」
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入口門
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玄関棟は入母屋造の平屋建築で大正時代に増築された
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入り口でチケット購入
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鬼瓦には三井家の家紋「四ツ目結い(ゆい)」がある。
三井の商標は「丸に井桁三」だが、家紋は武家由来。 -
左側「玄関棟」は、中央「主屋」よりも1階天井高が高く、床に絨毯を敷いて椅子席の洋式居室として使われ、椅子に座って庭が見えるようにしている。
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主屋1階の座敷は全てガラス張りで座って庭園が楽しめるようにしている。当時はまだ一般家庭には普及していなかったガラスを使った豪華なガラス雪見障子
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ガラスは手作りの「大正ガラス」で、現在では作れないから割れたら最後か?1枚だけ、割れて普通のガラスらしい。
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主屋1階の座敷でお茶がいただける
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和菓子は鶴屋義信、お抹茶は一保堂茶舗
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床の間と書院棚
床柱は「檳榔樹」(ビンロウジュ)と書かれている。ヤシ科の常緑高木で、硬くて杖によく使われる。 -
1階の座敷で行うお茶会で使われる水屋
襖で隠している -
檜風呂の浴室、手前脱衣所
浴室天井の花形の換気口がオシャレ! -
窓枠がオシャレな洗面台、和洋中?
浴室、洗面は大正時代増築 -
茶室との間の坪庭
壁は「ねずみ漆喰(しっくい)」と呼ばれるねずみ色の壁 -
左が「茶室」
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池側から見た「茶室」
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石造りの灯篭と手水鉢(ちょうずばち)「つくばい」
我家にも欲しい! -
縁側は建具がないので開放的!
大正時代の図面や昭和初期の写真を元に復元したという。 -
苔で敷き詰められている「池泉回遊式庭園」は飛び石伝いにを散策できる
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奥の方に下鴨神社を流れる泉川から引かれた滝流れがある
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池には石橋がかけられ、芝の築山(つきやま)がある
手前の岩島の形はユニーク(意味?) -
池は「瓢箪池」、ひょうたんは「富と繁栄の象徴」
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「望楼」の特徴は「むくり屋根」
やや凸状にむくませて丸みのある屋根にして、水が下に流れやすくし建物を柔らかく見せている。「反り屋根」は中国伝来だが「むくり屋根」は日本独自で、格式や荘厳でなく低姿勢、丁寧さを表現しており、商人の家屋に取り入れられているという。 -
天龍寺庭園を担当する曽根造園による整備という
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巨大な鞍馬石の「景石」(けいせき)
「景石」は景観を整えることを目的とした加工しない天然の石 -
奥にはあじさいが400株ある
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秋の紅葉が楽しみ!
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「おもと」は「万年青」
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「糺の森」と同じ背の高いムクノキやケヤキ、エノキがある
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この時期艶やかな花はないが、山吹(ヤマブキ)は万葉の時代からある
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庭は石があったら落ち着く
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帰り際にある樹齢250年の椋(むく)の木
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縁結び夫婦和合の「夫婦椋」
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