2022/04/09 - 2022/04/09
677位(同エリア1806件中)
yayoさん
パティシエ鎧塚俊彦氏が手掛ける「トシヨロイヅカ東京」と「ヨロイヅカファーム」訪問記です。さらにヨロイヅカファームの目の前にある「一夜城」址にも立ち寄り豊臣秀吉の栄華に触れてきました。
-
2022年3月某日。
京橋エドグラン2階にある「トシ・ヨロイヅカ東京」のサロンへ。
こちらではライブデザートが楽しめるということで、いつか行ってみたいと思っていましたがようやく念願叶いました。
予約なしでしたが、タイミングよく入店出来てラッキーでした。
コロナ禍だからかもしれませんが。
さてこちらは言わずと知れたパティシエ・鎧塚俊彦氏のお店です。
以前からお名前は存じ上げていましたが、奥さんは女優でお店もお洒落すぎて敷居が高いイメージで特に興味はありませんでした。
ある時、たまたまネットでこちらのお店の情報を目にしたところ、お洒落だけど敷居が思っている程高くはなく、良心的なお店であるということを知りました。それならいつか行ってみようと思い、2020年のまだ暑さが残る9月頃、初めてこちらを訪れました。1階はケーキの販売とイートインが可能になっています。とりあえずいくつかケーキをテイクアウトしました。美味しいのは言うまでもなく、値段は安くはありませんが、思っていたより高くはないし、店員さんも感じがよく、客層もごく普通で、気負う必要は全くありませんでした。
2回目の訪問となる今回は1階から2階に階段で上がるのですが、やはり高級感とオシャレ感が半端ないですね。。場違いなところに来てしまったように感じました。 -
勇気を出していざ入店。
既にカウンターには何名か先客がいましたが、満席ではありませんでした(半分弱くらい)。店員さんに予約はしていないと告げると、カウンターの空いている席に案内されました。
メニューはコースのみ。
2000円と3000円のコースでしたが、苺のリゾットがあるかどうかの違いです。
折角なので、3000円のコースにしました。 -
まずは本日の前菜。
まるで芸術品のよう。
生チョコだったと思いますが、あっという間に完食(笑)。 -
苺のリゾット。
苺のリゾットってどうよ?と思っていましたが、これがとても美味しかった!
苺のみじん切りが入っていて、苺はなんとなく感じましたが、チーズの塩気と絡み合っていい塩梅でした♪ -
メインのデザートは5種類の中から選べました。苺のミルフィーユを食べている人がいてそれが美味しそうだったので迷いましたが、「浮島」というモンブランが美味しいというネット情報を思い出し、そちらにしました。
餡と抹茶を使用した和風モンブランで、ほうじ茶アイスとふんわりした和風ソースが添えられているものでした。カウンター席からは、スイーツの制作を眺めることが出来ます。一番上に乗っかている月の形をした飾り(チョコレートではなかった)が、上手く自分の納得した位置に飾れなかったのか、何度もやり直していました。私はそれを見て、もういいよ。。食べられればいいよ、、と思いました。
ちなみにドリンクは別料金です。 -
前に食べたリゾットが効いたのか、これを食べている途中でくどく感じてしまいました。美味しいのですが、ちょっと抹茶クリームがくどかったのかな。
もう少しあっさり目のデザートにすればよかった。。 -
ここで見覚えのある方が登場。
カウンター席のお客さんが一同に少しどよめく。
一人一人に「今日はようこそおいでくださいました」と丁寧にごあいさつ。
そう、この方があの有名パティシエの「鎧塚俊彦」さんです!!
たまにお店にも顔を出して手伝うようなことをネット情報を見ましたが、ラッキーな場面に遭遇しました。鎧塚氏は、デザート制作の手伝いだけではなく、食べ終わった食器を片づけたり洗ったりと、下っ端がやるようなことも自らされていてビックリしました。
私の隣に座っていたマダムが鎧塚氏と一緒に写真を撮りたいということだったので、撮ってあげました。私もそれに便乗してご本人だけの撮影をお願いしてしまいました。写真撮影も嫌な顔一つせず快く応じて下さいました。お忙しいところ作業を中断させてしまい申し訳なかったですが、本当にありがとうございました。
いやいや、鎧塚氏の腰の低さは噂通りというかそれ以上に感じました。これだけ有名な人なら、もっと上から目線なのかと思いきやその逆で、ご自身がどんなに有名になり脚光を浴びるようになっても、これだけ謙虚でいられる人ってそうはいないのではないでしょうか。事業も色々されているから、もっとガツガツしているのかと思いきやそれも感じさせず、とても穏やかな印象でした。
そんなこんなですっかり「ヨロイヅカワールド」に魅せられてしまい、以前から行ってみたいと思っていた小田原にある「ヨロイヅカファーム」に行く決心をしたのでした。
以上が今回の旅の目的である「一夜城」へ行くきっかけとなった出来事です。 -
4月9日(土)午前8時15分JR早川駅。
ヨロイヅカファームは、豊臣秀吉が小田原城の北条氏を倒すため、一夜にして城を築いたとされる一夜城址のすぐ近くにあるようです。
一夜城は山の中にあり、アクセスは車かもしくはハイキングコースにもなっているので徒歩(40分~50分)でも可能だということ。
迷わず徒歩で向かうことにしました。徒歩だと最寄りは、JR早川駅か箱根登山鉄道入生田駅になるようです。春の青春18きっぷを持っていたので、JR早川駅からスタートすることにしました。 -
駅にあった案内図で周辺を確認。
-
このマンホールは小田原の絵柄だ!
年末に小田原宿まで歩いた時にたくさん見かけたので覚えています。 -
一夜城までのアクセスですが、山の中なのでグーグルマップは当てになりません。
事前に早川駅から徒歩で行ったことのある人のブログ等を探してみましたが、あまり多くはなかったです。案内板がたくさんあるから迷うことはないという情報を信じて行くしかありませんでした。先ずはセブンイレブンの手前にあるJRの高架をくぐるとあったのでその通りに行きます。 -
早速高架の手前に案内板が♪
-
歩いて行くと看板があるので「石垣山一夜城」の案内に沿って進んでいきます。
-
-
-
-
ここを少し行くと「石垣山農道」の看板が出ていて道が二手に分かれていました。
「石垣山農道」は車道で一夜城へ向かう最短ルートとあった記憶があります。
一方「関白農道」はミカン畑を通り、車は通れない狭い道とあったことを思い出し、折角なので関白農道を通りたいと思っていたので、「石垣山農道」ではないもう一方の道を歩くことにしました。確かネットで見た時は「関白農道」の標識があったように記憶しているのですが、ここにはなかったので、歩いた道が関白農道かどうか定かではありません。 -
「関白農道」と信じて歩いた道の景色の眺めには癒されました。
-
ミカンの木がたくさんあったので、きっとこの道が「関白道路」だと思うのですが、違うのかなぁ。。
-
-
-
孟宗竹かな。
タケノコの季節。
パンダの季節♪ -
外国の田舎のような景色に見えるのは気のせいでしょうか。
-
タンポポなどの野草も♪
-
たわわに実るミカン。
何の品種だろう。 -
お化けのよう。。
-
これもタケノコの種類だと思うのですが、根曲竹あたりかな。
タケノコは実は種類がたくさんあるのだと、パンダ好きになってから知りました。 -
車道にぶつかりました。
案内板が出ていたので、左の車道に進んで行きます。 -
素晴らしい見晴らし。
小田原城、湘南海岸、三浦半島?も一望出来ました。 -
しばらく歩いても案内標識が見当たらないため、もしかして道を間違えた?と思い、来た道を引き返すことに(帰りにこの道は正しかったことに気が付きました。あともう少し歩けば案内標識にぶつかったのです)。
-
歩いてきた農道と車道がぶつかったところまで戻り、農道はまだ続いていたようなので、そちらを歩いてみることにしました。
そろそろ石垣山の戦いに参戦した武将の看板があるはずですが、見当たらず。。 -
新緑の紅葉が奇麗。
紅葉の季節が楽しみだろうな、と思っていると行き止まりに。。
この道ではない模様。
再び引き返し、近くにいた地元の農家のおじさんに一夜城までの行き方を尋ねました。すると、上の方に見える電線沿いに歩いていけば辿り着くと教えてくれました。電線沿いの通りが車道(石垣山農道)になっているようです。他にもルートはあるようですが、それが一番わかりやすいと。最後に一夜城まで何しにいくのか聞かれたので、「ヨロイヅカファームに行きたい」と答えると、「あ~、あるね。」と(笑)。
歴史好きには見えなかったんでしょうね(笑)。特に歴史好きというわけでもないのですが。。 -
おじさんの教えてくれたとおりに、上の電線目指して歩いていくとやっと武将の案内板を見つけました!!
これは「徳川家康」。来年の大河ドラマは家康だそうですが、最近サボリ気味ではありますが東海道ウォーカーとしては興味深いです。
家康は北条氏と何度も交渉したようですが、北条氏は姻族関係にもある家康はいざとなったら自分たちの味方になってくれるだろうと甘くみていたようです。結局のところそんなことはなく秀吉側だったわけですね。北条氏が井の中の蛙で、読みが浅く滅びるべくして滅びたようです。 -
どこを切り取っても素晴らしい眺めに癒されます。
-
続いて現れた武将看板は「羽柴(豊臣)秀次」。
秀吉の甥にあたり、近江八幡43万石城主。小田原合戦では先陣として山中城を攻め落とし、韮山城さらに小田原城の包囲に加わった。秀次の陣場は小田原城の北西、現在の辻村植物公園の東部付近に位置したと伝えられ、この時秀次が使用した陣鐘が久野の総世寺に寄進されているとのこと。秀次はこの後、秀吉の養子となり関白に就任するが、秀吉に実子の秀頼が誕生すると次第に関係が悪化し、謀反を企てたとして高野山に追放、切腹を命じられたとありました。 -
続いては武将ではありませんが「千利休」。
千利休もこの合戦にお供したんですね。
陣中で茶会を催し、諸将の苦労を慰めたそうです。
そもそもこの小田原攻めの包囲戦が、銃撃を交わすのが主となっていて、大半の将兵たちは城から出る者がいないよう警戒するくらいしか仕事がなくて、退屈な戦いだったようです。そのため諸大名の士気低下を防ぐために、茶会や能の興行も行うなどしていたようです。
ちなみに茶道のひとつである「侘茶」で使用される竹の花生けは、小田原合戦に随行した利休が茶会の際にその場で作ったことが始まりと言われているとのこと。へぇ!! -
桜も散り始めていました。
-
桜の絨毯。
-
続いての武将看板は、秀吉の側室「淀殿」。
中高生の頃は、淀君がとても好きでした。
退屈な戦いゆえ諸大名の士気を低下させないために、茶会などを開くほか、大名の妻たちを呼ばせたようです。秀吉自身も淀君を呼び寄せたそうです。石垣山城井戸曲輪の井戸は「淀殿化粧の井戸」と伝えられているそう。後で確認しよう。 -
桜吹雪が美しい。画像ではゴミのように見えるのが残念。。
-
そろそろゴールが近づいてきた感じがします。
-
最後の武将看板は「豊臣秀吉」。
信長亡き後、後継者となり天下統一を進めました。
四国、九州を平定した後、東国の攻略に乗り出す。
容易に従わない北条氏を打ち滅ぼすべく、諸大名に命じ、大軍を率いて関東に攻め入ったのがこの石垣山の合戦です。石垣山に城を築いて本陣とし、小田原城を攻め、北条氏を滅ぼして関東を平定しました。この城を「太閤の一夜城」といい、秀吉が一夜にして築いたと言われているが、実際は約80日を費やしているそう。ってどういうこと(笑)?!
小田原合戦により東北の諸勢力も従い天下統一を成し遂げたというわけです。
下には、石垣山に参陣した武将の8人を紹介しているとありますが、家康から秀吉までの5人しか確認出来ていないので、残りは帰りに確認しましょう。 -
やっと今回の目的地に到着。
-
「一夜城 ヨロイヅカ・ファーム」
一夜城 ヨロイヅカ・ファーム グルメ・レストラン
-
童話の世界に出てきそう。
-
満開の枝垂れ桜。
-
-
-
ピンクと黄色のコンントラストがいいですね。
青空によく映えている。 -
ここから見える相模湾も絶景。
-
亡くなった奥さんの慰霊碑がありました。
-
「私は蝶となって咲き乱れるお花から花へと舞い、毎年咲く桜となって花ふぶきをお客様に散らしたわわに実る果実となってあなたの作品として美味しくお皿にのります。美しく生き生きとしたファームガーデンは私の夢です。その夢をかなえて下さい。」とありました。
-
奥さんの夢、叶ってますよね!
-
手入れされた庭。
-
開店まで時間がありますので、一夜城址の方を見学しましょうか。
-
ヨロイヅカファームの駐車場に、「石垣用石材」が置かれていました。
説明書きによると、平成17~18年の発掘調査で発見されたものだそうです。 -
江戸時代初期に、江戸城改築のための石垣用石材を調達した作業場が一夜城西側斜面一体にあったようで、そこにあった石垣用石材を神奈川県及び土地所有者の協力でこちらに移設したものだそう。
-
「石垣山一夜城」
道路を渡った向かいにあります。石垣山一夜城 公園・植物園
-
「石垣山城」が正式名称ですが、それは「笠懸山(かさがけやま)」あるいは「石垣山」と呼ばれる箱根から派生する山上にあり、徳川家康の家臣松平家忠が記した「家忠日記(6月22日)」に「石かけ御城」と記されていることから「石垣山城」と呼ばれているそうです。
一方で、秀吉が一夜のうちに城が出現したように見せかけたとの伝説から「石垣山一夜城」とも呼ばれていますが、実際は大阪城に勝るとも劣らない普請工事であったことが秀吉自身が書状にしたためており、秀吉入城までに3か月の築城期間を要した関東唯一の秀吉の城郭とありました。
なるほど「一夜城」の名前の由来は一夜にして城を築いたわけではなく、一夜で築いたように見せかけていたということでしたか。
さらに「穴太衆という石垣職人により築かれた野面積みの石垣が本丸や南曲輪など各所に残り、谷を石塁で塞いで井戸とした井戸曲輪は圧巻です」とありました。この時ちょうど「塞翁の楯」という小説を読んでいたので、今も残る穴太衆による石垣はぜひ見ておきたいと思いました。 -
南曲輪の石垣
「この辺りでは、城としての役割を終えた際にお城の一部を壊す「城割り」という作法の痕跡が確認出来る」とありました。お城の入口(虎口)や石垣の隅が崩れているのはそのためだそう。 -
なるほど、確かに崩れている。
-
「馬屋曲輪石垣」
石垣山の石垣は、古式「野面積み」と呼ばれる技法で積まれているそう。
この野面積みとは、石を加工せずそのままの状態で石と石を組み合わせる方法です。
「馬屋曲輪の石垣は、比較的良好に築城当時の姿を保ち、延長67M、高さ最大約6M、勾配は60度となっています。規格のない自然石を適切に組み合わせることで、強固な石垣を築いており、構築した技能者の高度な技術が伺えます」とありました。 -
野面積みの技法が見られるお城の石垣は、関東ではここだけのようですね。
-
自然石の組み合わせなので、確かにゴツゴツ感はありますね。
だからといって適当にそこらの石を選んでというわけではなく、その石の組み合わせの目利きになるには長い修練と経験が必要だと小説で読みました。 -
-
二の丸(馬屋曲輪)
-
-
本城曲輪の石垣
この辺りの石垣は20メートルを超える高さで築かれており、石垣を築いた穴太衆の技術の高さが伺えるそう。小田原城から見える面のため、小田原北条氏を驚かせた石垣の一つと言われているそう。 -
石垣職人「穴太衆」は秀吉からも絶大な信頼を寄せられていたようです。
-
石垣山の縄張りは誰か?
これについてはわかっておらず謎の一つとされているようです。 -
「これより本丸登口」とありますので、ちょっと登ってみましょうか。
-
一夜にして築いたとされる城(実際には3か月近く)の割にはかなり広い。
よくこんな場所が見つけられたものですね。 -
-
本丸跡
-
秀吉の馬印、瓢箪が見える。
-
ここからの眺めも絶景。
-
城の址はとても奇麗に整備されています。
-
石垣山の石碑
-
それではここから小田原城を見てみましょう。
-
この位置に小田原城が見えるのね。
-
今は周囲に高い建物がたくさんあって小田原城はそれに埋もれている感じだけど、当時はもっとはっきり目印となって見えていたのかな。
-
小田原城合戦と一夜城伝説について詳しい説明書きがありました。
それによると、「小田原北条氏を攻めることを決意した関白豊臣秀吉は、天正18年(1590)3月1日、京都を出発し、4月3,4日には小田原城の攻囲を開始しました。」
ということは京都から小田原まで一か月かかったわけですね。東海道歩きをした時に、秀吉が小田原へ向かう途中のエピソードが残る場所もあったりしました。ちなみに今なら、京都から小田原まで新幹線で2時間くらいでしょうか。めちゃくちゃ早い(笑)。 -
さらに説明書きには「4月6日には早雲寺(箱根町)を本陣とし、その日のうちに石垣山に登って小田原城を眺望しました。周囲約9キロにわたり、壮大な堀と土塁で周囲を囲んだ小田原城を力攻めにするのは難しいと判断した秀吉は、長期戦の構えでこの場所に城を築くことに決めます。普請は急ピッチで進み、5月14日には石垣が出来、広間・天守などの作事に取り掛かります。6月9、10日には伊達政宗が普請中の石垣山で秀吉に伺候します。その時政宗は、前日になかった白壁を「紙を貼ったもの」と見破り、秀吉を初めとする諸将に賞賛されます。6月26日、秀吉は石垣山に本陣を移しました。それを期に秀吉は小田原城へと一斉に鉄砲を撃ちかけさせ、小田原北条氏を脅かしました。このような秀吉の行動や政宗と白壁の逸話が一夜城伝説を生んだのです。」とありました。
-
一夜にして城を作ったのは言い伝えと知って少しがっかりしましたが、ここまで強固な城をわずか3か月で作り上げてしまうのは凄いと思いました。当時は機械やクレーンや重機なんてなかったのに。それによくこんな場所を探せたなとも思いました。今は整備されてますが、昔は本当に山の中で荒れ放題だったと思うのに。
一夜城の言われはともかく、人員を大量動員した築城を可能とする秀吉の権威と財力が、小田原北条氏が降伏する決定打となったようです。 -
井戸曲輪を見学してみよう。
-
谷を石塁で塞いで井戸とした井戸曲輪。
-
これもすごいなぁ。
-
「淀君化粧の井戸」とか「さざゑの井戸」とも言われているそう。
パワースポットだという噂もあるとか?! -
もともと沢のようになっていた地形を利用し、北と東側を石垣の壁で囲むようにして造られている場所だそうです。
-
-
-
やはり穴太衆の技術は凄い!
実際この目で確認出来て良かった! -
ちなみに井戸曲輪では今でも湧き出る水を見ることができるそう。
この日は干からびていて見ることは出来ませんでした。
でもなぜ「淀君化粧の井戸」と言われていたのかはわかりませんでした。 -
展望台からの眺め。
-
そろそろ開店時間なので、ヨロイヅカファームのお店へ向かいましょう。
既に並んでいました!! -
まずはマルシェの方でみかん類を爆買い。
マルシェの方は、地元で採れた野菜、果物などが販売されていました。
新鮮で旬のものが豊富にありました。 -
カフェの方でパンとケーキを購入。
早川産のレモンを使ったケーキが激ウマでした。
一夜城限定かな? -
11時のランチまで時間があるので、庭のベンチに座って休憩しよう。
-
ヨロイヅカファームはアクセスの悪いところにありながら、とても賑わっていました。カフェで購入したスイーツやパンを購入して外で食べている人もたくさんいました。手入れされた広い庭を見学したり、ちょっとした遊具もあって子供が遊んでいたり、みんなそれぞれにのんびり楽しんでいました。
-
可愛らしい動物のオブジェが所々に置いてありました。
そろそろ時間なのでレストランへ行きましょう。 -
ランチは予約制で、私は11時15分からのコースを予約しました。
-
片岡鶴太郎の絵画。
-
インテリアもいい感じ♪
-
アミューズは、れんげ米のリゾット。
美味しい!! -
本日の前菜は、パルマ産ハム、サクラマスのマリネ、鶏むね肉のヴァブール、のらばう菜とサクラエビのペニエ、マルシェ野菜とサラダ添え。
こちらも◎ -
新玉ねぎのスープ。
黒米が入っていました。
これもとても美味しい。
というかどれも美味しくて、もっと他の言葉で表現したいところですが思い浮かばなくて、私にグルメレポーターは務まらないと思いました(笑)。 -
本日のパンは3種類。
バジルを練りこんだパン、米粉を使用しモチモチに焼いたコメパーネ、ペースト状にしたレーズンを練りこんだほんのりレザン -
バター、塩、オリーブオイルに付けて食べても美味しい。
ケーキだけではなく、パンも美味しい。 -
メイン料理は3種類から選べて、私は「神奈川県産太刀魚のムニエル 立木さんのキャベツ添え 白ワインクリームソース」にしましたがこれが絶品!!
地産地消なのもいいですね。
ケーキだけではなくパンや食事も美味しいのは新たな発見でしたが、鎧塚さんはヨーロッパでケーキ以外にもパンや料理の修行もされていたようです。納得。 -
アヴァンデセールはオレンジのジュレ。
さっぱりして美味しかったです。
アヴァンデセールってお口直しという意味でしょうか? -
飲み物は紅茶(一夜城ブレンド(柑橘系))にしました。
-
デザートは2種類から選べて、私は「ケーキアソルティ(おすすめケーキ2種類とアイスの盛り合わせ)」にしました。
言うまでもなく美味しい。
ごちそうさまでした。
3900円ですが、味、量、雰囲気、接客どれをとってもお値段以上ではないでしょうか。
ぜひまた来たいです! -
食後は再び庭を散策。
湘南ゴールドの木が植えてありました。
「湘南ゴールド」の名前は湘南地域のお店で度々目にしていたので、どんなものか気になりマルシェで購入してみました。これがめちゃくちゃジューシーで爽やかな美味しさでした!!
3月から4月にかけて食べ頃だということでまさに旬でした!
ちなみに湘南ゴールドは、「黄金柑」を母親に、みかんの品種の「今村温州」を父親に掛け合わせた品種だそうです。 -
亀のオブジェ。
-
本当に癒される。
-
ブルーベリーの木がありました。
夏に来れたら来たいな。 -
それではJR早川駅に戻るとしますか。
-
帰りは石垣山農道ではなく、こちらの案内板に従って帰ることにしました。
-
「この道は農道であり、道幅が狭く農耕車も通ります。気を付けて歩行して下さい」という注意書きがありました。
-
もしかしてこの道が「関白農道」だったのかな。。
-
人が少ないので不安に感じました。
-
看板があれば間違えてないということですよね。
-
-
徳川家康の看板に再びぶつかり、ここから行きに確認出来なかった武将を確認したかったので、石垣山農道を下っていくことにしました。
「宇喜多秀家」の看板。
説明書きによると「備前岡山城主宇喜多直家の子。秀吉の養女となった前田利家の娘の妻とし両家の婚姻関係となり、備前・美作両国と備中東半分の約50万石を治めた。小田原包囲陣では、小田原城の西方、水之尾付近に陣場を構えたと言われている。合戦の最中、氏直の弟氏房に酒や肴を贈って籠城の苦労を慰め、伊豆の江川酒を返礼として贈られ、氏房に講和を勧めたとする物語が伝えられている。」とありました。 -
続いて「堀秀政」の看板。
実は宇喜多秀家と堀秀政との間に「伊達政宗」の看板があったようですが、見逃してしまったようです。戻って確認しようかと思いましたが、石垣山農道の坂の急なことといったら。今は下ってきているからまだいいものの、伊達政宗のためにまた登って戻るなんて考えられませんでした。諦めよう。ちなみに伊達政宗は、もし北条氏が有利になったらそのまま北関東の攻略に乗り出そうと計画していたため、この状況をギリギリまで見守っていたようですが、これ以上の野心は身を滅ぼすことになると悟り、攻め込まれる前に秀吉に屈したようです。かなり計算高いですね。 -
石垣山農道の傾斜はこんな感じです。
日中になるとヨロイヅカファームに向かう車が多くなり、歩道は狭いので注意する必要があります。さらにこの日は日差しが強く暑く感じました。徒歩であれば秋や冬ならちょうどいいかもしれません。夏はちょっと厳しいかな。。。
今回はヨロイヅカファームが目的でしたが、ついでに一夜城址も見学出来て歴史の勉強にもなりました。ヨロイヅカファームがなければ、わざわざ一夜城址に行くこともなかったでしょうから、鎧塚さんには感謝です。
また季節がいい時にぜひ行こうと思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
小田原(神奈川) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
126