2022/03/21 - 2022/03/21
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ごんちゃんさん
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今から124年前、京都と奈良を結ぶ僅か9.9Kmの路線を大仏鉄道が走っていました。
明治31年(1898年)4月の開業後終着駅の大仏駅は大仏参拝客で大いに賑わい開業からたった1年で12万人もの乗客があったそうです。
明治40年8月現在の関西本線が加茂駅から木津駅を経て奈良駅へと至る平坦なルートが開通すると、急坂の難所を抱える大仏鉄道は休止となり同年11月に廃線。僅か9年の歴史に幕を下ろしました。
大仏鉄道は営業期間が短く、当時の資料も乏しいことから「幻の大仏鉄道」と呼ばれてます。
然し、路線の後には隧道や橋台などの遺構が所々に残され1世紀前の姿を見ることが出来ます。
色鮮やかな深紅の蒸気機関車「電光(いなずま号)」などが駆け抜けたという幻の鉄道。当時を思い描きながら廃線跡をたどりました。
今回は大仏鉄道研究会様他ボランテァガイドさんの後援で参加させて頂きました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR加茂駅。
1897(明治30年)年11月開業
ここからスタートします
見難いですが左端に見えるレンガの建物がランプ小屋です。
主に燃料や照明ランプの保管庫です。
日本で2番目に多きく1番は逗子にあるそうです。 -
加茂は水運業から始まり鉄道の発展とともに発達してきた町です。
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ホームの黒い部分が当時のホームで少し今より低いです。
分かりませんね。 -
午前10時頃軽い運動してスタート。
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1914年生まれのスポーク型 C57SL 貴婦人と呼ばれ全国の幹線を快速旅客用として走行し、美智子皇太后さまも2度ほどお召列車としてお乗りになられたそうです
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観音寺橋台。
現在利用されている関西本線の橋台と同じ時期の建設です。 -
観音寺橋台。
加茂駅が標高36mでここ観音寺橋台は標高57mに有ります。 -
観音寺橋台反対側から。
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里山。
すぐそこまで住宅地が開発されていますが、ここは良い感じで里山が残っています。 -
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フェンスの奥には現在の関西本線が通っていて危険な為中には入れません。
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鹿瀬山橋台に向かいます。15分程です
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大仏鉄道は加茂駅からこの辺までは関西本線と並行して走っていたそうです。
大仏鉄道の方はこの辺りから左にカーブして行きます
竹林が気持ちいいです。 -
線路は列車ギリギリの幅で藪の中を抜けていたそうです。
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鹿瀬山橋台
石積みの橋台。堅固な構えに魅了される人も、多くの遺構の中でも人気のスポットです -
鹿瀬山橋台
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左に大仏鉄道が走っていました。枕木にその名残りが。
枕木って丈夫ですね。100年以上風雨にさらされながら今も残ってるなんて。 -
ここは加茂からはかなり登り坂です。
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要所要所に丁寧に道案内が有りますので、迷子になることはまずありません。
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梶ヶ谷隧道
アーチ部分はレンガ造り、下部は石積の隧道です。内部は歩くことが出来ます。 -
梶ヶ谷隧道
レンガの種類等説明してくださいましたが覚え切れなくて。 -
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赤橋。
長短のレンガを交互に積むイギリス積み。 -
赤橋。
生活道路として利用されており、現役で活躍しています。 -
橋台を支える両脇の石積はとても堅牢です。
これも確か穴太衆が関わっていた筈。 -
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左側の山にも珍しい木が何種類も有るとの事でしたが、木の名前すべて覚えていません。
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新しい町の入り口辺り迄来ました。
この交差点にも大仏鉄道の遺構があったそうですが、ニュータウン開発で今は何も残っていません。 -
平成9年に街びらきした新しい町それまでは細い道が1本あるだけの山でした。
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木津川市にあるニュータウンの歩道に施された石の模様は元大仏鉄道が敷かれていた線路の跡です。
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大仏鉄道を運営していた関西鉄道の社章。
本物の社章は京都の鉄道博物館に展示されています。 -
ニュータウンの真ん中をすこし下りすぐ下の松谷川隧道へ。
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松谷川隧道
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鹿川隧道。農業用水路の目的で造られた石積みの隧道。現在も利用されています。
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給水塔
特産品のタケノコをイメージしてるそう。 -
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正面の白い家の上あたりを大仏鉄道の鉄橋が通っており、当時この辺りは田んぼでした。
鉄道唱歌のままの景色です。
しかも水が綺麗でそのお米は献上米だったそうです。 -
興福院に向かいます。
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興福院(こんぶいん)
奈良時代に創建された浄土宗知恩院派の美しい尼寺。奈良時代には僧院として隆盛したものの、以後衰退。もと尼ヶ辻にあったが、現在の地に尼寺として再興されたのは将軍徳川家綱の時代のことで、参道は徳川家綱が作らせたものといわれる。小堀遠州作庭と伝わる客殿(重要文化財)の庭園は、春日山や三笠山を借景にした非常に風情のあるものである。なかでも、4月のツバキ、5月のサツキの季節はとくに美しい。同じく遠州作の茶室もあります。 -
昔はこ先の方まで興福院さんの敷地で、その入り口に大仏鉄道の大仏駅がありました。
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大仏鉄道の大仏駅跡地に記念公園が造られています
大仏鉄道開通1年後には終着駅は今のJR奈良駅まで延長されました。
ここからすぐそばに市内を流れる佐保川が有り約5Kmにわたり桜並木続いています。其の中にある樹齢170年の「川路桜」は幕末の奈良奉行川路聖謨(としあきら)
によって植樹されました。
その桜並木も見事です。 -
10時から15時半迄説明を聴きながら12kmのハイキングでした。
赤い蒸気機関車乗ってみたいですがもう元のルートは殆んど開発されてしまい昔の儘の景色を観ることは叶わないと思いました。
クラウドファンディングで資金を集めて幻を現実にと言われる人も少なからずいらっしゃるようです。
私もそのような計画があるなら是非参加したいと思いますが。 -
開業から僅か9年で廃業することになった大仏鉄道。
その大きな原因は急勾配な道のりだったと言われています。
山道を通るルートには高低差はつきもの。
数値を聞いてもピントきませんが大仏鉄道は25パーミル水平距離1000mあたり25mの高低差があったそうです。
急勾配ゾーンでは乗客が降りてみんなで押していたなんてエピソードがあったほど走行が困難だったそうです。
大仏鉄道を運営していた関西鉄道は廃業後、国に買い取られたそうです。
初めて知る鉄道史にせつなくも胸が熱くなりました。
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