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京都でのあしあとを巡る旅の後半です。<br />1日でこれだけ行ったと他の人に言うと驚かれました。<br />でも自転車は小回りが効くし、<br />バスを待つ時間や、<br />駐車場を探す時間も省くことができ京都市内半周には大正解でした。

あしあとを辿る旅 5 京都 堀川通りから今出川通り~賀茂川~太秦

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2022/03/10 - 2022/03/10

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yoyoma

yoyomaさん

京都でのあしあとを巡る旅の後半です。
1日でこれだけ行ったと他の人に言うと驚かれました。
でも自転車は小回りが効くし、
バスを待つ時間や、
駐車場を探す時間も省くことができ京都市内半周には大正解でした。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
4.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
新幹線 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 次目指すのは、堀川通りです。<br />車の少ない道を走るため、東門を抜け<br />京大北部構内キャンパスを通りました。

    次目指すのは、堀川通りです。
    車の少ない道を走るため、東門を抜け
    京大北部構内キャンパスを通りました。

  • 農学部附属演習林旧本部事務室<br />昭和6年建築。スパニッシュ瓦葺、<br />ベランダをめぐらしたバンガロー風の木造建築で、<br />ベランダ天井の意匠などモダニズムの清新さ溢れる作品に仕上がっている。<br />北部構内の独特の農村的景観形成にも大きく寄与している。(京都大学HPより)<br />

    農学部附属演習林旧本部事務室
    昭和6年建築。スパニッシュ瓦葺、
    ベランダをめぐらしたバンガロー風の木造建築で、
    ベランダ天井の意匠などモダニズムの清新さ溢れる作品に仕上がっている。
    北部構内の独特の農村的景観形成にも大きく寄与している。(京都大学HPより)

  • ルート的には効率悪いのですが<br />拝観が四時までと確認していたので<br />こちらの本法寺さんへ走りました。<br /><br />北大路を西に走り、<br />堀川通りから南下して<br />上御霊前通りを過ぎるとすぐに看板が見つかります。

    ルート的には効率悪いのですが
    拝観が四時までと確認していたので
    こちらの本法寺さんへ走りました。

    北大路を西に走り、
    堀川通りから南下して
    上御霊前通りを過ぎるとすぐに看板が見つかります。

  • 叡昌山本法寺は、室町時代に築かれた日蓮宗の本山です。<br />永享八年(1436)に東洞院綾小路で造られた「弘通所」が始まりとされています。<br />寛正元年(1460)、2度目の破却に遭った本法寺は、<br />三条万里小路に移転して復興をさらに天正十五年(1587)、<br />豊臣秀吉の聚楽第建設に伴う都市整備の影響で、<br />堀川寺之内へ移転して今日に至っています。(本法寺HPより)<br /> <br />

    叡昌山本法寺は、室町時代に築かれた日蓮宗の本山です。
    永享八年(1436)に東洞院綾小路で造られた「弘通所」が始まりとされています。
    寛正元年(1460)、2度目の破却に遭った本法寺は、
    三条万里小路に移転して復興をさらに天正十五年(1587)、
    豊臣秀吉の聚楽第建設に伴う都市整備の影響で、
    堀川寺之内へ移転して今日に至っています。(本法寺HPより)
     

  • しかし休館の看板が。。。<br />明日から春の特別拝観が始まりその準備で忙しいそうです。

    しかし休館の看板が。。。
    明日から春の特別拝観が始まりその準備で忙しいそうです。

  • でも挫けず、<br />社務所まで行き、<br />三浦君が天外者を撮影したロケ現場を見たいとお願いしました。

    でも挫けず、
    社務所まで行き、
    三浦君が天外者を撮影したロケ現場を見たいとお願いしました。

  • 優しい社務所の方が、すぐにお約束通り<br />壁にあったサインを下ろして見せてくださいました。<br /><br />訪ねる人が多いのでフレームに入れられたようです。<br />横にある徳重さんサインの日付と違っているのは<br />三浦君が撮影後にサインを送ってくれたからとのこと。

    優しい社務所の方が、すぐにお約束通り
    壁にあったサインを下ろして見せてくださいました。

    訪ねる人が多いのでフレームに入れられたようです。
    横にある徳重さんサインの日付と違っているのは
    三浦君が撮影後にサインを送ってくれたからとのこと。

  • ロケ現場の

    ロケ現場の

  • 方丈へ向かいます。<br />撮影は二日に渡り、<br />三浦君は、松竹から扮装して<br />1日のみ来たそうです。

    方丈へ向かいます。
    撮影は二日に渡り、
    三浦君は、松竹から扮装して
    1日のみ来たそうです。

  • ここで島津のお殿様と謁見する場面が撮影されました。

    ここで島津のお殿様と謁見する場面が撮影されました。

  • 廊下から

    廊下から

  • 床の間は立ち入り禁止。<br />映画ではこの襖を外し御簾が両側にも見えました。

    床の間は立ち入り禁止。
    映画ではこの襖を外し御簾が両側にも見えました。

  • 調度品を撮影。<br />勿論、当日は撮影用の掛け軸などがありました。

    調度品を撮影。
    勿論、当日は撮影用の掛け軸などがありました。

  • 三浦君が見たと思うと<br />全て撮りたくなる。

    三浦君が見たと思うと
    全て撮りたくなる。

  • 映画ではこちらから撮影された場面があり<br />奥の庭木が見える角度は同じです。<br />中の間に三浦君が座っていました。

    映画ではこちらから撮影された場面があり
    奥の庭木が見える角度は同じです。
    中の間に三浦君が座っていました。

  • 撮影当時は<br />襖も島津家紋入りのものが取り付けられました。

    撮影当時は
    襖も島津家紋入りのものが取り付けられました。

  • 本阿弥光悦(1558-1637)の本阿弥家は本法寺を菩提寺として支え、<br />現在地へ移転を強いられた際に、光悦は私財を投じ、<br />伽藍の整備に力を尽くしました。<br />光悦によって造られたとされる「巴の庭」は、室町時代の書院風枯山水の影響と安土桃山時代の芽生えを感じる名庭です。<br />昭和47年に修復され、昭和61年に国指定名勝となりました。(本法寺HPより)

    本阿弥光悦(1558-1637)の本阿弥家は本法寺を菩提寺として支え、
    現在地へ移転を強いられた際に、光悦は私財を投じ、
    伽藍の整備に力を尽くしました。
    光悦によって造られたとされる「巴の庭」は、室町時代の書院風枯山水の影響と安土桃山時代の芽生えを感じる名庭です。
    昭和47年に修復され、昭和61年に国指定名勝となりました。(本法寺HPより)

  • これから烏丸今出川へ。<br />途中、上京区本法寺前町千利休不審庵。

    これから烏丸今出川へ。
    途中、上京区本法寺前町千利休不審庵。

  • 同志社大学前、烏丸今出川駅。

    同志社大学前、烏丸今出川駅。

  • 西門から入りました。<br />コロナ禍でキャンパス内の警備は厳重で、<br />一般人の立ち入りは控えるように注意書があり緊張しました。

    西門から入りました。
    コロナ禍でキャンパス内の警備は厳重で、
    一般人の立ち入りは控えるように注意書があり緊張しました。

  • 同志社大学礼拝堂。<br />でもここもどうしても来たかった。

    同志社大学礼拝堂。
    でもここもどうしても来たかった。

  • イギリスにいる才助が<br />この階段の上から二段目に座って新聞に目を通すシーンがありました。

    イギリスにいる才助が
    この階段の上から二段目に座って新聞に目を通すシーンがありました。

  • 東へ向かうとクラーク館。<br /><br />ハルさんだと勘違いして他の女の人を追いかけて出てきたところ。<br />ここを背景にした三浦君の夜景写真がパンフにも。。<br /><br /><br />

    東へ向かうとクラーク館。

    ハルさんだと勘違いして他の女の人を追いかけて出てきたところ。
    ここを背景にした三浦君の夜景写真がパンフにも。。


  • この出口から女性の背中を追いかけて出ていった。

    この出口から女性の背中を追いかけて出ていった。

  • 2階からの階段は、<br />左右にあります。<br /><br />新島襄が逝去した翌年の1891年、<br />米国のB.W.クラーク夫妻から、<br />神学館の建築費として10,000ドルの寄付が同志社になされました。<br />これは若く早逝した夫妻の息子を記念して贈られたもので、<br />1894年1月に献堂されています。<br />建築の1階の右側の壁面には、バイロン・クラークを記念した言葉“THE STUDY OF <br />THE WORD OF GOD WAS DEAR TO HIM”と刻まれています。(同志社大学HPより) <br />

    2階からの階段は、
    左右にあります。

    新島襄が逝去した翌年の1891年、
    米国のB.W.クラーク夫妻から、
    神学館の建築費として10,000ドルの寄付が同志社になされました。
    これは若く早逝した夫妻の息子を記念して贈られたもので、
    1894年1月に献堂されています。
    建築の1階の右側の壁面には、バイロン・クラークを記念した言葉“THE STUDY OF
    THE WORD OF GOD WAS DEAR TO HIM”と刻まれています。(同志社大学HPより)

  • 映画では、<br />この階段を駆けおりた才助さん。<br />上へは上がりませんでした。

    映画では、
    この階段を駆けおりた才助さん。
    上へは上がりませんでした。

  • 2階にはロケで使われた部屋があるようですが<br />立ち入り禁止だと思っていました。<br />入り口で事務所に勤務する女性が<br />退勤時、どうぞと声をかけてくださいました。<br />入り口ホールだけという意味に受けとりましたが、<br />もしかしたら、二階もOKだったのかも。<br />確認すれば良かった。

    2階にはロケで使われた部屋があるようですが
    立ち入り禁止だと思っていました。
    入り口で事務所に勤務する女性が
    退勤時、どうぞと声をかけてくださいました。
    入り口ホールだけという意味に受けとりましたが、
    もしかしたら、二階もOKだったのかも。
    確認すれば良かった。

  • この辺りも映画で。

    この辺りも映画で。

  • クラーク館東側には校外の寺社が見えました。

    クラーク館東側には校外の寺社が見えました。

  • キャンパス風景。

    キャンパス風景。

  • 正門前の建物。

    正門前の建物。

  • 警備員の方が多く、<br />自転車を駐輪場に置くようにとか<br />押すようになど注意点が多かったです。

    警備員の方が多く、
    自転車を駐輪場に置くようにとか
    押すようになど注意点が多かったです。

  • 走って走って賀茂川北大路橋まで。<br />植物園前あたりのこの石段で<br />柳楽さんと監督に指示を仰いでいるオフショットがあります。<br />

    走って走って賀茂川北大路橋まで。
    植物園前あたりのこの石段で
    柳楽さんと監督に指示を仰いでいるオフショットがあります。

  • 三浦君が走った場所はどこだろう。

    三浦君が走った場所はどこだろう。

  • 三浦君が佇んだ場所はどこだろう。<br />遠景の山の形状や、<br />中洲の配置、何度も確かめました。<br />この辺りでスマホの電源アウトになり、<br />確認作業ストップ。。。<br />撮影隊にアイスを提供したジェラード屋さんもわからず。。。

    三浦君が佇んだ場所はどこだろう。
    遠景の山の形状や、
    中洲の配置、何度も確かめました。
    この辺りでスマホの電源アウトになり、
    確認作業ストップ。。。
    撮影隊にアイスを提供したジェラード屋さんもわからず。。。

  • 何度も何度も北大路橋と北山大橋の間を走ってみましたが<br />季節も変わり特定できず終わりました。<br />

    何度も何度も北大路橋と北山大橋の間を走ってみましたが
    季節も変わり特定できず終わりました。

  • 薄暗くなり<br />砂利が敷き詰められタイヤがとられる御所内を走りました。

    薄暗くなり
    砂利が敷き詰められタイヤがとられる御所内を走りました。

  • 二条城南西角のライトアップ。

    二条城南西角のライトアップ。

  • 最後の目的地は帷子ノ辻駅前だけが手がかりでした。<br />記憶を辿り、最後は人に尋ねやっと。。。<br />

    最後の目的地は帷子ノ辻駅前だけが手がかりでした。
    記憶を辿り、最後は人に尋ねやっと。。。

  • 菜館wong。

    菜館wong。

  • 天外者撮影時のお食事に<br />訪れていた様です。

    天外者撮影時のお食事に
    訪れていた様です。

  • 同じ席で同じメニューを頼みました。

    同じ席で同じメニューを頼みました。

  • 大映通り商店街の端っこです。<br />帰りは暗い中、兎に角南へ走り。。。確かめる術もなく不安な中、<br />京都駅裏のホテルへ辿り着いたのは<br />一時間後でした。

    大映通り商店街の端っこです。
    帰りは暗い中、兎に角南へ走り。。。確かめる術もなく不安な中、
    京都駅裏のホテルへ辿り着いたのは
    一時間後でした。

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