2021/12/03 - 2021/12/03
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hijunoさん
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昨年12月の旅行記です。
芦屋には徳川大阪城東六甲採石場というところが、かつてあり、そこで採れた石は徳川時代の大阪城の石垣のために大阪に運ばれました。
そして、藩の大名や藩主が採石を行い、石には刻印が付けられました。
今も、残っているものもあります。
一度探し出すと、どんどん探検したくなる性格から、あちこちの刻印石を探したり、何らかの理由であちこちに取り残された
石たちを残念石と呼びますが、そちらを探すのも楽しかったです。
ちょっとマニアックな散歩ですけれど、それはそれで楽しい散歩でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
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12月になりました。
周りを見渡すと、樹々の葉っぱの色もすっかり変わって、散歩をするのも楽しくなります。 -
赤い実がなる樹々も見かけます。
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いきなりですが、芦屋病院というところに、刻印石が残っていると聞いたので、尋ねてみました。
あちこち自分で探してみましたが、とうとう見つからず、病院の方に聞いてみましたら、病院の方が案内してくださいました。
草がぼうぼうの中を歩きます。 -
石はこちらですが、刻印は見つかりませんでした。
聞いたところでは、防長萩藩の毛利長門守秀就の刻印、漢字の一に○の刻印があったそうですが、、、、もう、消えてしまったのかな。。。
石材を割とるために彫られた矢穴痕があります。
おおよその大きさは長さは6.5m、幅3.1m、高さ2.6mだそうです。 -
周囲も回ってみましたが、刻印は見つからず。
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草に埋もれてしまっています。
それよりも、「ひっつきむし」といわれるような草草が衣服にびっちりついてしまいました。(-_-;)
案内してくださった方々には深く感謝です。 -
病院の敷地内には、こんな矢穴石なども発見。
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こちらにも。
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さらに違う公園の一角に刻印石を展示しているところがあります。
岩園第二児童遊園。 -
周りは遊園地。
この地域の住宅造成に伴う発掘調査で出土した刻印石2隻と矢穴石2隻、割石6石を集めて保存しています。 -
説明板にもありますが、
2004年の発掘調査で、石切丁場、野営跡などが見つかったそうですが、東六甲、芦屋でも採石場があり、1620年から29年に渡る間に
西国64家の外様を中心とした大名が採石に参加して、それぞれの大名の石工集団が活躍していたと考えられています。
東六甲の石は花崗岩なので、割りやすく、搬出しやすかったみたいです。 -
割られたような石があります。
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こちらははっきりわかる矢穴石。
矢(くさび型の道具)を入れて、石を切断します。 -
こちらにも。
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こちらには、鴈の模様の刻印石がありました。
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こちらにも。
大きな石です。 -
はっきりと、わかる刻印。
ですが、これはどの大名の物であるか不明とのことです。 -
芦屋の六麓荘浄水場内でも2002年に発掘調査が行われ、徳川大阪城東六甲採石場岩ヶ平刻印群の肥前唐津藩まの石切り場跡が見つかったそうです。
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読みにくいですが、説明板がありました。
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割石が4石あります。
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このあたり、六麓荘を歩きます。
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ちょっと外国の風景のような場所もあったり、
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いつか来てみたい、オルゴールの博物館。
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街灯も素敵です。
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遠く海も見えます。
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芦屋大学の石垣にも刻印石があります。
近くの発掘調査で出土した若狭小浜藩の刻印のある石が移設保存されています。 -
刻印はこちらも探せませんでしたが、矢穴石などもありました。
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このあたりの住宅なども普通に石垣に刻印石や矢穴石などが使われているそうです。
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このようなところにもよく見ると、
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ふつうに、矢穴石があったりします。
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綺麗なもみじの落ち葉を観て、
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美しい街並みを歩きます。
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途中、このような史跡もありますが、鍵がかかって中には入れませんでした。
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このような小高い山みたいなところがハイキングのコースのようなところがあり、
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こちらも大きな石がゴロゴロ。
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小さな山、散歩コースになっているようでした。
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六麓荘石碑にやってきました。
六麓荘住宅地は1929年から1931年にかけて株式会社六麓荘が造った住宅地です。
「美しい六甲山の麓にある別荘地」という意味があるそうです。
当時としては最先端の街づくりが行われ、舗装の道路や上下水道の整備、都市ガスなどの整備、電線を地下に埋めるなどがされたそう。 -
こちらにまた、趣のある建物があります。
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このような門があります。
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門は開かないので、中には入れないと思い、外から観てみますと、
こちらにも刻印石があります。 -
発掘調査で出土した刻印石4石、割石1石が保存されています。
左とその横の石にははっきりと、防長萩藩の刻印、漢字の一の下に○が見えます。 -
一角にまとめて置かれてました。
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そばにはこれまた風情のある橋がかかっていました。
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刻印石が保存されている場所とは一見思えませんでした。
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朝日ヶ丘遺跡に来ました。
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こんな設備があります。
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説明にもありますが、芦屋市遺跡触覚模型が設置されています。
芦屋市の遺跡が表示されています。
あとからわかりました。上を歩いてもよいみたいです。 -
ここにも、矢穴石などが保存されています。
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採石された石は宮川という川で浜辺まで運ばれ、現在でも宮川には多くの石が残っています。
その中のものをここにも保存。 -
山芦屋町の城南南麓遺跡の室町時代後期の中世墳墓もこちらに移設されています。
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こちらの集会場の中にも展示室がありました。
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縄文土器片や
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石器など。
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詳しい発掘の説明や、
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地中の様子など。
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岩園天神社に来ました。
こちらには古墳があると聞きました。 -
鳥居をくぐります。
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役小角像があります。
1858年に建立。
役小角は修験道の開祖とされる人。7世紀の人です。
この像がある場所も古墳だそうです。
6世紀後半のもの。 -
本殿があり、
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めちゃくちゃ気持ちよさそうに横たわる牛の像。
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こちらにも古墳があります。
巨大な石がゴロゴロ。 -
八十塚古墳群のひとつ。
古墳時代後期から飛鳥時代終わりころのものです。
横穴式石室がむき出しになっています。 -
ここに古墳があったことはちょっと想像ができませんでした。
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静かな森のようでした。
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このあたりの群集墳は阪神間では最大の規模の群集墳だそうです。
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入口にありました。
由緒ある神社のようです。 -
芦屋霊園にも行きました。
ここにも刻印石などを保存している場所があると聞きました。
残念ながら、現在は工事中。
見ることはできませんでした。
以前に霊園の拡張工事で出土した刻印石1石と割石12石を一角に集めて保存しており、防長萩藩の刻印があるそうです。
こちらは霊園の中にあった大きな石です。
このあたりも採石が行われていたのでしょうか。
芦屋から、400年以上も前に採石の石工たちが苦労して採石した石が
徳川の大阪城へ運ばれ石垣として使われていたことや大名たちの責務、
どれだけ多くの人がかかわっていたのかを改めて考えました。
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