2022/02/22 - 2022/02/22
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愛知県新城市の長篠の戦いに関わるスポットをメインにぶらりとしてみました。
個人的な趣味のスポットを巡りましたので、さらっと見ていただければ幸いです。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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名古屋市内より、新東名高速道路を使って、新城市に向かいます。
途中の岡崎サービスエリアです。
徳川家康公の生地の近くで、歴史観のある外観でした。NEOPASA岡崎(下り) 道の駅
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休憩やお買い物ができる広い施設でした。
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名古屋市内より、1時間ちょっとの距離で、新城市の長篠城跡に来ました。
当時の遺構は土塁や空堀のみとなっています。長篠城址 名所・史跡
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徳川方の奥平信昌公が守るこの城を、武田勝頼公が攻めたことにより、長篠・設楽原の戦いが起こりました。
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本丸跡は石碑が建っており、桜の名所にもなっているようです。
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本丸の光景です。
攻めて来た武田勢を迎え討つため、織田信長公と徳川家康公は、設楽原に陣を構えました。
設楽原は長篠城から車で5分ほどの場所にあります。 -
本丸に残る土塁の跡です。
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城址にある長篠城址史跡保存館です。
本日の火曜日が休館日でした。長篠城址史跡保存館 美術館・博物館
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長篠の戦いなどを紹介されているようです。
入館できずに残念です。 -
少し移動した設楽原歴史資料館に来ました。
こちらも長篠の戦いなどを紹介されている施設ですが、本日休館となっていました。設楽原歴史資料館 美術館・博物館
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資料館の前には幕末に外国奉行として開国に尽力された、岩瀬忠震公の像が立っています。
私も初めて知る偉人でした。 -
設楽原歴史資料館の横に、信玄塚という場所があります。
2つある塚の大きいほうを大塚といい、長篠の戦いで亡くなった武田方の戦死者を弔っています。信玄塚 名所・史跡
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こちらが小塚で織田方・徳川方の戦死者を弔っています。
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少し移動して、設楽原の合戦の地に来ました。
復元された柵が見えます。長篠 設楽原決戦場跡 名所・史跡
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1575年に武田方と織田・徳川連合軍が戦った場所です。
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当時、戦国最強と言われた武田の騎馬隊を防ぐため、織田・徳川連合軍はこの馬防柵を作り、内側から鉄砲で武田の騎馬隊を攻撃しました。
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大量の鉄砲を使った織田・徳川連合軍の戦いは、その後の戦国時代の戦いを大きく変えていたと言われています。
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既にこの時に武田信玄公は亡くなっており、その跡を継いだ勝頼公でしたが、鉄砲を使った織田・徳川連合軍に敗れることとなりました。
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この設楽原の近くには、この戦いで亡くなった武田家の家臣である、山県昌景公、馬場信房公、内藤昌豊公の墓や供養碑が多く残っています。
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現地にある長篠の戦いの屏風絵です。
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この設楽原の馬防柵から少し外れた場所に山県昌景公の墓がありますので、お参りにいってみます。
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山県昌景公は武田騎馬隊の中でも「赤備え」の軍団として、他国から恐れられていました。
主君の武田勝頼公に戦わず、撤退を進言しましたが、受け入れられず、この合戦で討ち死にされました。
こちらに墓が建てられていました。 -
山県昌景公の墓は設楽原を望む高台に今も残されています。
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馬防柵より少し離れた場所に、馬場信房公の墓がありました。
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信房公も戦いの無謀さを説きましたが、受け入れられず、敗れた主君の武田勝頼公が無事に逃げるまで、敵を食い止め、この辺りで自刃されたと言われています。
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馬場信房公の墓の下に豊川が流れていて、鮎滝という滝があるようですので、行ってみます。
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渓谷のような美しい風景でした。
夏に鮎がこの川を渡っていくとのことです。 -
こちらが鮎滝です。
鮎滝 自然・景勝地
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現地にあった案内板です。
夏季に鮎が川を上る光景が見られるようです。 -
設楽原の近くの三子山という高台に、武田家の家臣の真田信綱公・昌輝公の墓がありました。
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真田信綱公・昌輝公はあの真田幸村公の叔父にあたる人物です。
信綱公・昌輝公も設楽原の戦いで戦死されています。
信綱公・昌輝公がもし無事に帰還されていたら、幸村公とその父、真田昌幸公の運命も変わっていたのかもしれません。 -
真田信綱公・昌輝公の墓からは設楽原の古戦場を望むことができます。
今はゆっくりと時が流れているような光景でした。 -
少し移動して昼食を取ります。
天赦さんというラーメン店に来ました。天赦 グルメ・レストラン
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もう14時近くで、お客さんはこの時間は少なかったです。
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二郎系のラーメンで、たっぷりの野菜と太麺、魚介系のスープがよく合っていて、美味しいラーメン店でした。
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新城市に残る野田城跡に行ってみます。
野田城の遠景です。野田城址 名所・史跡
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現在は遺構はほぼ残っていないちょっとした丘のような城跡です。
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1508年に築城されたようで、徳川家の家臣の菅沼氏が治めていました。
本丸跡の城址碑です。 -
戦国時代は武田氏・今川氏・徳川氏によって戦いが繰り広げられました。
本丸の跡です。 -
1573年に武田信玄公がこの城を攻めたとき、城内から笛の音が聞こえてきて、それを聴きに来た信玄公が城内から鉄砲で撃たれたと伝わっています。
この場所がその鉄砲を放った場所と言われています。
この翌日に武田方から和議の連絡が来て、武田方は本拠の甲斐に引き上げましたが、その途中で信玄公は亡くなられました。
この鉄砲が関係しているかは不明のようです。 -
本丸には当時の井戸が残っています。
現在は塞がれているようです。 -
本丸には神社が祭られていました。
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本丸と二の丸の堀切の跡です。
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少し山の方に移動して、パワースポットの鳳来寺さんに行ってみます。
かなり山の上まで移動しました。
途中からの展望です。 -
こちらには徳川家康公を祭る東照宮も鎮座しています。
家康公の父、松平広忠公がここの鳳来寺に参拝されて、生まれてきた子が家康公であり、それを聞いた三代将軍家光公が建立を始められました。鳳来山東照宮 寺・神社・教会
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標高695mの鳳来寺山中腹に鎮座していて、非常に厳かな雰囲気になっています。
有名な1425段の石段がある参道から参拝しますが、途中まで車で登れる道もあります。
私達もナビをセットすると車で登るコースで案内され、楽をして到着しました。 -
標高の高い地で、立派な石垣が組まれている東照宮でした。
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東照宮の隣に鎮座する、こちらが鳳来寺さんです。
約1,300年前に利修様という仙人によって開山されたと伝わるお寺です。
神聖な雰囲気のパワースポットでした。鳳来寺山 自然・景勝地
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この日はあまりにも寒く、境内の周りは氷柱が出来ていました。
これより下って、参道のほうに行ってみます。 -
こちらが鳳来寺さんの参道の入り口のようです。
古い建物も残っています。 -
参道は途中まで車で行けます。
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参道のところどころには、様々な展示品がありました。
こちらは石造の徳川家康公の像です。 -
鳳来寺参道の光景です。
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宗教関係の施設も参道には多くありました。
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こちらからが本格的な鳳来寺さんの参道となります。
石段が1425段あります。
この手前の駐車場から石段を登り、鳳来寺さんの本堂までは徒歩で約90分とのことです。 -
ハイキングコースとしても親しまれているようです。
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参道の途中にこの地を開かれた利修仙人の石像が祭られています。
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200段ほど登った場所に仁王門が見えてきます。
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立派な仁王門です。
三代将軍家光公が建立されました。
左右に仁王像が祭られています。 -
仁王門から少し登ると、傘杉という杉の大木があります。
樹齢が約800年、樹高は約61mで、一番大きな杉の木で、天に向かって傘を差したように見えることから傘杉と呼ばれています。 -
幹回りが約7.5mとのことで、連れと比べても非常に大きい大木です。
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日も暮れてきましたので、参道を引き返し名古屋へ戻ります。
本日は愛知県の新城市周辺をぶらりとしてみました。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
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