2021/11/26 - 2021/11/26
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hijunoさん
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昨年11月の旅行記です。
芦屋の文化財やレトロな建物などをめぐりました。
今回、興味を持ったのは、大阪城の城石が芦屋の採石場から切り出され
運ばれていたことです。
また、運ばれずにそのままにされている石も沢山残っていて、残念石と呼ばれ、芦屋市内のあちこちに見ることができます。
昔の人々が懸命に石を切り出し、運んだ様子が想像され、様々な理由から残されたであろう残念石が、なんだか哀れに感じてしまいました。
芦屋散歩の中で度々、刻印石が登場します。マニアックですが、興味あることをついつい調べてみたくなる性格、できるだけ沢山の残念石を見たいと思ってます。
ちなみに、豊臣秀吉時代の大阪城は埋められ、現在の大阪城は徳川の時代になり1620年~1629年にかけて造られたもの。
この時の再建には35か国64家の大名たちが総動員されたそうですが、
石垣も切石造りの高石垣、約100万石が使用されたと推定されてます。
その半分ほどは、東六甲採石場から採石されたもの。
東六甲採石場は芦屋市、神戸市東灘区、西宮市にまたがる場所です。
採石された石たちは、浜辺まで運搬され、そこから船で大阪まで運ばれました。
刻印石には藩や切り出すためのマークなど、様々な彫りがあります。
今でも残っているものも多いようです。
順番です。
①徳川大阪城東六甲採石場の石材
②芦屋市民センター内の文化財
③市制施行記念国旗掲揚台
④阪神電鉄芦屋川橋梁
⑤芦屋公園 猿丸君彰公碑
⑥ぬえ塚
⑦芦屋遊園地
⑧旧芦屋遊園乗合バス待合所
⑨芦屋市立博物館 刻印石
⑩刻印石の展示
- 旅行の満足度
- 5.0
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芦屋には大阪城の城石を採掘していた石切り場がありました。
徳川大阪城東六甲採石場といわれています。
こちらの石は西山町で発掘されたもの。 -
説明にもありますが、矢穴をあけて、大きな石を切り崩す、、
大変な労力であったと思います。
このほかにも、芦屋にはこの大阪城の石垣などに使われた石に関しては数々の遺跡があります。 -
近くには芦屋川の晩秋の風景。
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芦屋市民センターの中に文化財がいくつかある、、と聞いて、尋ねてみると、スタッフの方が、センター内を案内してくださり、いくつか文化財を見せてくれました。
建物上、見学のために、自由に出入りができないようです。
こちらは織部灯籠、別名キリシタン灯籠。
説明板に、十字の形、打出というところにあった、、、と書いてありました。 -
こちらは、精道村立の公会堂が1919年にこの土地に建てられ、その建物の瓦を一部記念に保存しているもの。
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五輪塔。
三条岡山遺跡で出土した室町時代のもの。
梵字も見えます。
道を隔てて、こちらも職員の方がカギを開けて、入ることができる場所。 -
説明板。
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勝手には入れません。
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センター横の紅葉が美しかった。。。
案内してくださった方には感謝ですが、
文化財がもっと自由に見学できるような場所に合ったらよいなぁ~と
おもいました。 -
前にも書きましたが、
センター入口付近には徳川大阪城東六甲採石所の刻印石があります。
○に十の刻印、島津氏の刻印だそうです。 -
説明板。
大名の刻印を探してみるのも、楽しいかも。。。 -
いくつか刻印石が展示されています。
こちらは自由に見学できます。 -
芦屋川の風景を眺めて、
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カトリック教会の前を通って、
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美味しいと聞いていた、パン屋さんに寄ります。
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マロンとバターが美味しいです。
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さくら通り。
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イチオシ
名前のとおり、桜並木。。
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落ち葉も可愛い、、秋はお掃除が大変ですが、桜は秋の葉っぱも綺麗です。
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お洒落なお店、
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この次にいこう。。
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春の桜の季節も楽しみ。
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ちょっと見過ごしてしまいそうな場所に、紀元二千六百年記念国旗掲揚台がありました。
昭和15年(1940年)の皇紀2600年の戦前の紀年法に基づき造られた国旗掲揚台の一部が残ってます。 -
「昭和十五年二月十一日」と南面に書かれていますが、
芦屋市制施行はその年の11月10日、
「地芦屋市茶屋之町」と書かれていますが、町名改正が実際に実施されたのも昭和19年1月10日で、史実と合致してないそうです。 -
こんなお店も。
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阪神電鉄が見えます。
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阪神電鉄芦屋川橋梁。
現在のホームになっている芦屋川橋梁の橋脚は中央が花崗岩切石による石積み。両端をコンクリ^とで南北方向に拡張、石積みの部分は大正時代以前のものだそうです。 -
芦屋公園に来ました。
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イチオシ
りっぱな松が茂る公園。
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気持ち良い公園です。
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彰公碑があります。1930年建立。
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猿丸又坐衛門安明の生い立ちが書かれています。
精道村の村長、芦屋郵便局長、県会議員、芦屋駅の創設、芦屋川の改修・耕地の整理など公共事業を覆内、精道村の発展に寄与した功績が書かれています。
題額は当時立憲政友会の総裁、犬養毅の揮毫によるもの。 -
裏面。
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レトロな遊具がありました。
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説明にもありますが、350本もの松の樹があるらしいです。
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震災に関してのオブジェも。
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松の樹、エネルギッシュです。
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このような碑も。
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日中友好平和の記念碑のようです。
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空を覆いつくすような松の樹々。
圧倒されます。 -
このあたり、阪神なぎさ回廊というようです。
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ここも、見過ごしてしまいそうな石碑がありました。
ぬえ塚です。
大正6年(1917年)に建立。 -
説明板もありますが、
ヌエとは頭がサル、体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという妖怪で、
約800年前に源の頼政が京都の御所を騒がすヌエを退治し、
遺骸を丸木舟に乗せて流したところ、芦屋の浜に漂着し、村人が祟りを恐れて、塚をつくって丁寧に弔ったという伝説があります。 -
江戸時代の地誌にこのヌエ退治の伝説の記載があり、それに基づいて大正時代に
石碑が建てられたそう。 -
さらに松並木に沿って歩いて、テニスコートの横を通りすぎます。
テニスコートも1956年に開設されたもの。 -
芦屋遊園地の石碑。
阪神間で最も古い遊園地だったそうです。
大正6年(1917年)に阪神芦屋駅から芦屋浜までの間の芦屋川東岸に
造られていたそうで、ブランコや木馬、滑り台などがあったそうです。 -
古い水のみ場?みたいな石造のものがポツンと。
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今は静か。
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ちょっとした遊び場みたなところもあって、
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レトロな公園の雰囲気。
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遊具もあります。
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新しい遊具も。
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美しいレトロな建物が見えてきました。
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イチオシ
旧芦屋遊園乗合バス待合所です。
鶯色の屋根の色や白い建物、優雅な建物です。 -
イチオシ
昭和初期のものと推定される建物。
お洒落な造りです。 -
イチオシ
中はベンチに。
入口や、窓にあたるところ、なんとエレガント。 -
イチオシ
阪神芦屋バスが昭和3年(1928年)から、7月28日からは阪急バスが運行されて、路線は山麓から海岸を結ぶもので、芦屋川の東堤防上を南北に走っていたそうです。
こちらの待合所はこの路線のために造られたものらしいです。 -
芦屋公園をあとにして、歩きます。
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松並木に沿って。
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しばらく歩くと、左に博物館の庭が見えてきました。
そういえば、ここにも刻印石があったはず。
前にも見学しましたけど、今回は念入りに見学。 -
礎石ですが、○に十の模様。
島津氏の刻印です。
もともとは飛鳥白鴎時代創建の芦屋廃寺の塔の中心の礎石。 -
イチオシ
大きな石がずらり。
美しい光景。 -
ここにも刻印石。
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こちらの刻印石は、調べてみましたら、
出雲松江藩の堀尾山城守忠晴のものらしいです。 -
ここにも、刻印があるように思えるのですが、はっきりわからず。
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石を割るための矢穴が残る石。
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大変な労力だったはず。
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こんな長い石も。
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こちらの刻印は若狭小浜藩京極若狭守忠高の者だと思います。
刻印、調べてみると楽しいです。 -
結局、こんな大きな石を切り崩しても、何らかの理由で大阪城には運ばれず、芦屋に残ったままで、別名、残念石とも呼ばれているそうです。
なんだか、憐れな気持ちに。。。 -
大阪城に行ったときには、芦屋から運ばれた刻印石を探すのも楽しいかもです。
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もとの道に戻り、さらに歩いていくと、こんな説明と刻印石が。
一見、花壇のようで、見落としそう。 -
こちらにも出雲松江藩の堀尾山城守忠晴の刻印がうっすらと。
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矢穴もはっきりとした石。
徳川大阪城東六甲採石場に関わる石、西山町での発掘調査で出土し、移設されたものだそうです。 -
良く歩きました。
色々な発見があって、楽しい散歩でした。
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