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東京国立博物館で行われている特別展「体感 日本の伝統芸能」を見学しました。(「歌舞伎」「文楽」「能楽」「組踊」「雅楽」の説明・ビデオ等)その後、東洋館 庭園・茶室 法隆寺宝物館等を見学して、上野公園を少し、散策しました。<br />(写真は「歌舞伎」の「金門五山桐」南禅寺山門の舞台で石川五右衛門です。)<br />(歌舞伎)江戸時代初期の京都には常軌を逸した振る舞いをする「かぶき者」と呼ばれる異端児が溢れていました。出雲のお国と名乗る女性芸能者が「かぶき者」の姿を舞台で演じたのが歌舞伎の始まりです。その後、歌舞伎は女性から男性の芸能になりました。 <br />(文楽)人形浄瑠璃文楽は義太夫節という浄瑠璃に合わせて人形を使う人形劇で江戸時代初期に大坂で生まれた。「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞になったのは幕末から明治にかけてこの芸能を扱った興行師の登場によります。<br />(能楽)能と狂言を合わせて、「能楽」と呼びます。それ以前は「猿楽」と言いました。鎌倉時代の猿楽は老人の神が登場するものでした。その余興に演劇的な能を観阿弥・世阿弥父子が芸術に大成しました。 <br />(組踊)琉球王朝は、薩摩藩を通して本土の幕藩体制に組み込まれるとともに、中国とも関係を結んでいました。中国からの使者「冊封使」をもてなす為に、様々な芸能を考案し、1719年踊奉行の玉城朝薫が考案したのが「組踊」です。琉歌や琉舞を織り込みつつ、ドラマが進行する音楽劇です。<br />(雅楽)5C~9Cにかけて、中国や朝鮮から伝来したアジア各地の楽舞で、日本で整理・集成した古代の宮廷芸能です。上演形態は演奏のみの「管絃」と舞を伴なう「舞楽」があります。 <br />{旅程}<br />①2022年3月2日(水)<br />自宅より10:22上野駅に着きます。<br />東京国立博物館で行われている特別展「体感 日本の伝統芸能」を見学します。<br />(表慶館(重文)で「歌舞伎」「文楽」「能楽」「組踊」「雅楽」の伝統芸能の「色」を中心として衣装・舞台・道具・楽器等の展示 映画の上映等が行われます。1500円<br />第1章(歌舞伎)江戸時代の京都で出雲のお国が演じた「かぶき踊り」が始まり、後、女性から男性が演じる芸能となる。演劇となり浮世絵、錦絵の画題となる。<br />第2章(文楽)義太夫節という浄瑠璃ニ合わせて演じる人形浄瑠璃文楽として江戸時代初期に大阪で生まれた。人形を「三人遣い」として扱います。<br />第3章(能学)鎌倉時代の猿楽から歌舞伎・仮面劇としての能、会話劇の狂言が生まれた。合わせて「能楽」という。観阿弥・世阿弥親子が大成させた。<br />第4章(組踊)琉球国王が中国皇帝ノ使者「冊封使」を持成す歌舞伎。三線を弾きながらの音楽劇で1719年考案しました。<br />第5章(雅楽)5~9Cに中国・朝鮮から伝来した舞楽を集成した宮廷芸能。日本に伝わる最古の伝統芸能で演奏のみの「管絃」 舞を伴う「舞楽」があります。<br />(昼食)R「Hオークラゆりの木」テ(13:00-14:00)で戴きます。その後、東京国立博物館内を見学します。<br />庭園・茶室(五重塔 第2回内国勧業博覧会ノ碑 春草盧 町田久成ノ碑 転合庵 六窓庵 有馬家ノ墓 応挙館 九条館 大・鉄燈籠 池 築山)を見て、<br />東洋館(アジアの展示)・法隆寺宝物館(仏像等の展示)を見学します。<br />本館 平成館 森鷗外館長室跡 資料館 旧十輪院宝蔵 黒門 鬼瓦 ジェンナー像等を見ます。その後、<br />上野恩賜公園を散策します。(野口英世像 小松宮像 グラント将軍記念植樹碑 上野東照宮(神楽殿 唐門 拝殿 狛犬) 旧寛永寺五重塔 お化け灯篭)を見て<br />14:53上野駅より帰宅します。<br /><br />

2022年3月東京国立博物館特別展「体感・日本の伝統芸能」(歌舞伎 文楽 能楽 雅楽 組踊)を見学し、東洋館・法隆寺宝物館・庭園・上野公園

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2022/03/02 - 2022/03/02

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愛猫シロネコ

愛猫シロネコさん

東京国立博物館で行われている特別展「体感 日本の伝統芸能」を見学しました。(「歌舞伎」「文楽」「能楽」「組踊」「雅楽」の説明・ビデオ等)その後、東洋館 庭園・茶室 法隆寺宝物館等を見学して、上野公園を少し、散策しました。
(写真は「歌舞伎」の「金門五山桐」南禅寺山門の舞台で石川五右衛門です。)
(歌舞伎)江戸時代初期の京都には常軌を逸した振る舞いをする「かぶき者」と呼ばれる異端児が溢れていました。出雲のお国と名乗る女性芸能者が「かぶき者」の姿を舞台で演じたのが歌舞伎の始まりです。その後、歌舞伎は女性から男性の芸能になりました。
(文楽)人形浄瑠璃文楽は義太夫節という浄瑠璃に合わせて人形を使う人形劇で江戸時代初期に大坂で生まれた。「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞になったのは幕末から明治にかけてこの芸能を扱った興行師の登場によります。
(能楽)能と狂言を合わせて、「能楽」と呼びます。それ以前は「猿楽」と言いました。鎌倉時代の猿楽は老人の神が登場するものでした。その余興に演劇的な能を観阿弥・世阿弥父子が芸術に大成しました。 
(組踊)琉球王朝は、薩摩藩を通して本土の幕藩体制に組み込まれるとともに、中国とも関係を結んでいました。中国からの使者「冊封使」をもてなす為に、様々な芸能を考案し、1719年踊奉行の玉城朝薫が考案したのが「組踊」です。琉歌や琉舞を織り込みつつ、ドラマが進行する音楽劇です。
(雅楽)5C~9Cにかけて、中国や朝鮮から伝来したアジア各地の楽舞で、日本で整理・集成した古代の宮廷芸能です。上演形態は演奏のみの「管絃」と舞を伴なう「舞楽」があります。 
{旅程}
①2022年3月2日(水)
自宅より10:22上野駅に着きます。
東京国立博物館で行われている特別展「体感 日本の伝統芸能」を見学します。
(表慶館(重文)で「歌舞伎」「文楽」「能楽」「組踊」「雅楽」の伝統芸能の「色」を中心として衣装・舞台・道具・楽器等の展示 映画の上映等が行われます。1500円
第1章(歌舞伎)江戸時代の京都で出雲のお国が演じた「かぶき踊り」が始まり、後、女性から男性が演じる芸能となる。演劇となり浮世絵、錦絵の画題となる。
第2章(文楽)義太夫節という浄瑠璃ニ合わせて演じる人形浄瑠璃文楽として江戸時代初期に大阪で生まれた。人形を「三人遣い」として扱います。
第3章(能学)鎌倉時代の猿楽から歌舞伎・仮面劇としての能、会話劇の狂言が生まれた。合わせて「能楽」という。観阿弥・世阿弥親子が大成させた。
第4章(組踊)琉球国王が中国皇帝ノ使者「冊封使」を持成す歌舞伎。三線を弾きながらの音楽劇で1719年考案しました。
第5章(雅楽)5~9Cに中国・朝鮮から伝来した舞楽を集成した宮廷芸能。日本に伝わる最古の伝統芸能で演奏のみの「管絃」 舞を伴う「舞楽」があります。
(昼食)R「Hオークラゆりの木」テ(13:00-14:00)で戴きます。その後、東京国立博物館内を見学します。
庭園・茶室(五重塔 第2回内国勧業博覧会ノ碑 春草盧 町田久成ノ碑 転合庵 六窓庵 有馬家ノ墓 応挙館 九条館 大・鉄燈籠 池 築山)を見て、
東洋館(アジアの展示)・法隆寺宝物館(仏像等の展示)を見学します。
本館 平成館 森鷗外館長室跡 資料館 旧十輪院宝蔵 黒門 鬼瓦 ジェンナー像等を見ます。その後、
上野恩賜公園を散策します。(野口英世像 小松宮像 グラント将軍記念植樹碑 上野東照宮(神楽殿 唐門 拝殿 狛犬) 旧寛永寺五重塔 お化け灯篭)を見て
14:53上野駅より帰宅します。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 上野駅で降ります。

    上野駅で降ります。

  • 東京国立博物館(本館)J・コンドルの設計で明治15年に開館。旧本館は関東大震災で被害を受け、昭和13年、昭和天皇の即位記念で開館。コンクリート建てで瓦屋根と「帝冠洋式」で、平成13年に重文<br />東京国立博物館の敷地は元は寛永寺の境内でした。本館の所は寛永寺の本坊に当たり、北側の庭園は寛永寺の庭でした。 

    東京国立博物館(本館)J・コンドルの設計で明治15年に開館。旧本館は関東大震災で被害を受け、昭和13年、昭和天皇の即位記念で開館。コンクリート建てで瓦屋根と「帝冠洋式」で、平成13年に重文
    東京国立博物館の敷地は元は寛永寺の境内でした。本館の所は寛永寺の本坊に当たり、北側の庭園は寛永寺の庭でした。 

    東京国立博物館 美術館・博物館

  • 東京国立博物館(本館)J・コンドルの設計で明治15年に開館。旧本館は関東大震災で被害を受け、昭和13年、昭和天皇の即位記念で開館。コンクリート建てで瓦屋根と「帝冠洋式」で、平成13年に重文 

    東京国立博物館(本館)J・コンドルの設計で明治15年に開館。旧本館は関東大震災で被害を受け、昭和13年、昭和天皇の即位記念で開館。コンクリート建てで瓦屋根と「帝冠洋式」で、平成13年に重文 

  • 東京国立博物館(平成館)今上陛下の成婚を記念して平成11年に開館。 

    東京国立博物館(平成館)今上陛下の成婚を記念して平成11年に開館。 

  • 東京国立博物館(表慶館)明治33年、大正天皇の成婚記念に計画し、明治42年に開館。設計はJ/コンドルの弟子で現在の迎賓館を手掛けた片山東熊の建築です。重文です。 

    東京国立博物館(表慶館)明治33年、大正天皇の成婚記念に計画し、明治42年に開館。設計はJ/コンドルの弟子で現在の迎賓館を手掛けた片山東熊の建築です。重文です。 

  • 表慶館(入口のライオン像)青銅鋳物で一対で阿吽像の様になっています。(阿像)

    表慶館(入口のライオン像)青銅鋳物で一対で阿吽像の様になっています。(阿像)

  • 表慶館(2Fの外壁レリーフ)2Fのピラスター(つけ柱)の間のレリーフです。

    表慶館(2Fの外壁レリーフ)2Fのピラスター(つけ柱)の間のレリーフです。

  • 東京国立博物館(表慶館)特別展「体感・日本の伝統芸能」を見学します。 

    東京国立博物館(表慶館)特別展「体感・日本の伝統芸能」を見学します。 

  • 特別展「体感・日本の伝統芸能」を見学します。

    特別展「体感・日本の伝統芸能」を見学します。

  • 表慶館(ドーム天井画)女性像やハーブ、イオニア式柱頭等の様々なモティーフが表されています。 

    表慶館(ドーム天井画)女性像やハーブ、イオニア式柱頭等の様々なモティーフが表されています。 

  • 表慶館(入口) 

    表慶館(入口) 

  • 表慶館(入口の床)七色のモザイクタイルでフランス産の大理石です。 

    表慶館(入口の床)七色のモザイクタイルでフランス産の大理石です。 

  • 表慶館(階段の手すり 真鍮の鋳物)石敷きの階段で、優美な曲線を持つ手すりは真鍮鋳物で、支える縦の支柱は鉄の鋳物です。

    表慶館(階段の手すり 真鍮の鋳物)石敷きの階段で、優美な曲線を持つ手すりは真鍮鋳物で、支える縦の支柱は鉄の鋳物です。

  • 表慶館(階段)石敷きの階段で、優美な曲線を持つ手すりは真鍮鋳物で、支える縦の支柱は鉄の鋳物です。 

    表慶館(階段)石敷きの階段で、優美な曲線を持つ手すりは真鍮鋳物で、支える縦の支柱は鉄の鋳物です。 

  • 2Fより見ます。(イオニア式柱)

    2Fより見ます。(イオニア式柱)

  • 表慶館(2Fよりのドーム天井画)女性像やハーブ、イオニア式柱頭等の様々なモティーフが表されています。 

    表慶館(2Fよりのドーム天井画)女性像やハーブ、イオニア式柱頭等の様々なモティーフが表されています。 

  • 第1章「歌舞伎」の説明(江戸時代初期の京都には常軌を逸した振る舞いをする「かぶき者」と呼ばれる異端児が溢れていました。出雲のお国と名乗る女性芸能者が「かぶき者」の姿を舞台で演じたのが歌舞伎の始まりです。その後、歌舞伎は女性から男性の芸能になりました。」  

    第1章「歌舞伎」の説明(江戸時代初期の京都には常軌を逸した振る舞いをする「かぶき者」と呼ばれる異端児が溢れていました。出雲のお国と名乗る女性芸能者が「かぶき者」の姿を舞台で演じたのが歌舞伎の始まりです。その後、歌舞伎は女性から男性の芸能になりました。」  

  • 「金門五山桐」南禅寺山門(説明) 

    「金門五山桐」南禅寺山門(説明) 

  • 「金門五山桐」南禅寺山門の場の大道具と石川五右衛門の衣装 

    「金門五山桐」南禅寺山門の場の大道具と石川五右衛門の衣装 

  • 「金門五山桐」南禅寺山門の場の大道具と石川五右衛門の衣装 

    「金門五山桐」南禅寺山門の場の大道具と石川五右衛門の衣装 

  • 「金門五山桐」南禅寺山門の場の石川五右衛門の衣装 

    「金門五山桐」南禅寺山門の場の石川五右衛門の衣装 

  • 歌舞伎関係の展示(錦絵 小道具(印籠 煙草入れ等)  

    歌舞伎関係の展示(錦絵 小道具(印籠 煙草入れ等)  

  • 錦絵「紅葉狩」 

    錦絵「紅葉狩」 

  • 「暫」鎌倉権五郎景政の衣装 

    「暫」鎌倉権五郎景政の衣装 

  • 右は「鷺娘」の衣装 左は「御伽先代萩」政岡の衣装 

    右は「鷺娘」の衣装 左は「御伽先代萩」政岡の衣装 

  • 隈取の解説(顔の血管と筋を大げさに表現したものです。) 

    隈取の解説(顔の血管と筋を大げさに表現したものです。) 

  • 上は錦絵「名優四君子(菅原伝授手習鑑)」豊原国周(明治27年)<br />下は錦絵「暫」3代目歌川国貞(明治28年) 

    上は錦絵「名優四君子(菅原伝授手習鑑)」豊原国周(明治27年)
    下は錦絵「暫」3代目歌川国貞(明治28年) 

  • 第2章「文楽」の説明(人形浄瑠璃文楽は義太夫節という浄瑠璃に合わせて人形を使う人形劇で江戸時代初期に大坂で生まれた。「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞になったのは幕末から明治にかけてこの芸能を扱った興行師の登場によります。

    第2章「文楽」の説明(人形浄瑠璃文楽は義太夫節という浄瑠璃に合わせて人形を使う人形劇で江戸時代初期に大坂で生まれた。「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞になったのは幕末から明治にかけてこの芸能を扱った興行師の登場によります。

  • 「義経千本桜」道行初音旅 狐忠信の三人遣い風景(18C中ごろには一体の人形を三人で遣う「三人遣い」という操法が採用されました。(一人が右手と頭 一人が左手 一人が両足を操法します。) 

    「義経千本桜」道行初音旅 狐忠信の三人遣い風景(18C中ごろには一体の人形を三人で遣う「三人遣い」という操法が採用されました。(一人が右手と頭 一人が左手 一人が両足を操法します。) 

  • 左は太夫 右は三味線弾き 

    左は太夫 右は三味線弾き 

  • 左側は上から妻折傘 刀 金銀舞扇 足袋・草履 背負い荷物<br />右側は下はかしらの制作過程 上は髷の制作と結髪  

    左側は上から妻折傘 刀 金銀舞扇 足袋・草履 背負い荷物
    右側は下はかしらの制作過程 上は髷の制作と結髪  

  • 文楽人形のかしら(真ん中上が「文七」) 

    文楽人形のかしら(真ん中上が「文七」) 

  • 「義経千本桜」の「河連法眼館の段」の再現舞台(右が静御前(三人遣い) 左が狐) 

    「義経千本桜」の「河連法眼館の段」の再現舞台(右が静御前(三人遣い) 左が狐) 

  • 第3章「能楽」の説明(能と狂言を合わせて、「能楽」と呼びます。それ以前は「猿楽」と言いました。鎌倉時代の猿楽は老人の神が登場するものでした。その余興に演劇的な能を観阿弥・世阿弥父子が芸術に大成しました。 

    第3章「能楽」の説明(能と狂言を合わせて、「能楽」と呼びます。それ以前は「猿楽」と言いました。鎌倉時代の猿楽は老人の神が登場するものでした。その余興に演劇的な能を観阿弥・世阿弥父子が芸術に大成しました。 

  • 左より能面(増女) 天冠 鬘扇 右は能装束(紅白段四季草花塩釜模様唐織)  

    左より能面(増女) 天冠 鬘扇 右は能装束(紅白段四季草花塩釜模様唐織)  

  • 右より能面(三光尉) 2つの能装束 長刀) 

    右より能面(三光尉) 2つの能装束 長刀) 

  • 能面(泥眼(嫉妬と恨みの女性の面)) 

    能面(泥眼(嫉妬と恨みの女性の面)) 

  • 右から笛 小鼓 大鼓 太鼓 

    右から笛 小鼓 大鼓 太鼓 

  • 狂言(左より狂言面(武悪) 装束(肩衣) 装束(半袴)) 

    狂言(左より狂言面(武悪) 装束(肩衣) 装束(半袴)) 

  • 能舞台(国立能楽堂の復曲能「岩船」の舞台) 

    能舞台(国立能楽堂の復曲能「岩船」の舞台) 

  • 能舞台(説明) 

    能舞台(説明) 

  • 第4章「組踊」の説明(琉球王朝は、薩摩藩を通して本土の幕藩体制に組み込まれるとともに、中国とも関係を結んでいました。中国からの使者「冊封使」をもてなす為に、様々な芸能を考案し、1719年踊奉行の玉城朝薫が考案したのが「組踊」です。琉歌や琉舞を織り込みつつ、ドラマが進行する音楽劇です。 

    第4章「組踊」の説明(琉球王朝は、薩摩藩を通して本土の幕藩体制に組み込まれるとともに、中国とも関係を結んでいました。中国からの使者「冊封使」をもてなす為に、様々な芸能を考案し、1719年踊奉行の玉城朝薫が考案したのが「組踊」です。琉歌や琉舞を織り込みつつ、ドラマが進行する音楽劇です。 

  • 「二童敵討」(左2つは鶴松 亀千代 右は阿麻和利の衣装 手前に刀2本 大扇子 酒具) 

    「二童敵討」(左2つは鶴松 亀千代 右は阿麻和利の衣装 手前に刀2本 大扇子 酒具) 

  • 御冠船舞台と中央の「銘苅子」の天女の衣装・天冠・小道具) 

    御冠船舞台と中央の「銘苅子」の天女の衣装・天冠・小道具) 

  • 三線(楽器) 

    三線(楽器) 

  • 第5章「雅楽」の説明(5C~9Cにかけて、中国や朝鮮から伝来したアジア各地の楽舞で、日本で整理・集成した古代の宮廷芸能です。上演形態は演奏のみの「管絃」と舞を伴なう「舞楽」あります。 

    第5章「雅楽」の説明(5C~9Cにかけて、中国や朝鮮から伝来したアジア各地の楽舞で、日本で整理・集成した古代の宮廷芸能です。上演形態は演奏のみの「管絃」と舞を伴なう「舞楽」あります。 

  • 舞楽の舞台(縮小版)(手前は環城楽(舞楽面) 奥が大太鼓(左右に一対置かれます。) 

    舞楽の舞台(縮小版)(手前は環城楽(舞楽面) 奥が大太鼓(左右に一対置かれます。) 

  • 左方(東)の3つの襲・蛮絵装束<br />まず、日が昇る東の左方の「舞楽」(赤の衣装)があり、次に日が沈む西の右方の「舞楽」(緑の衣装)があります。) 

    左方(東)の3つの襲・蛮絵装束
    まず、日が昇る東の左方の「舞楽」(赤の衣装)があり、次に日が沈む西の右方の「舞楽」(緑の衣装)があります。) 

  • 右方(西)の3つの襲装束・蛮絵装束<br />まず、日が昇る東の左方の「舞楽」(赤の衣装)があり、次に日が沈む西の右方の「舞楽」(緑の衣装)があります。) 

    右方(西)の3つの襲装束・蛮絵装束
    まず、日が昇る東の左方の「舞楽」(赤の衣装)があり、次に日が沈む西の右方の「舞楽」(緑の衣装)があります。) 

  • 管絃とその装束

    管絃とその装束

  • 東京国立博物館(東洋館)昭和43年に開館し、東洋などの美術品を展示します。

    東京国立博物館(東洋館)昭和43年に開館し、東洋などの美術品を展示します。

  • 東京国立博物館(東洋館)昭和43年に開館し、東洋などの美術品を展示します。

    東京国立博物館(東洋館)昭和43年に開館し、東洋などの美術品を展示します。

  • 東洋館(中国の仏像)

    東洋館(中国の仏像)

  • 東洋館(インドの仏像等)

    東洋館(インドの仏像等)

  • 東洋館(古代エジプトの展示)

    東洋館(古代エジプトの展示)

  • 東洋館(西アジアー1-メソポタミア文明の展示)

    東洋館(西アジアー1-メソポタミア文明の展示)

  • 東洋館(西アジアー2-イラン高原の展示)

    東洋館(西アジアー2-イラン高原の展示)

  • 東洋館(大谷探検隊のルートと収蔵品)

    東洋館(大谷探検隊のルートと収蔵品)

  • 東京国立博物館(東洋館)R「Hオークラ ゆりの木」で昼食を戴きます。

    東京国立博物館(東洋館)R「Hオークラ ゆりの木」で昼食を戴きます。

    ゆりの木 グルメ・レストラン

  • R「Hオークラ ゆりの木」(東博弁当)2350円

    R「Hオークラ ゆりの木」(東博弁当)2350円

  • R「Hオークラ ゆりの木」(メニュー)真鯛の蒸し焼き2450円

    R「Hオークラ ゆりの木」(メニュー)真鯛の蒸し焼き2450円

  • 東博弁当2350円

    東博弁当2350円

  • 真鯛の蒸し焼き2450円

    真鯛の蒸し焼き2450円

  • デザート(ミルフィーユとコーヒー) 

    デザート(ミルフィーユとコーヒー) 

  • 東京国立博物館内の「庭園・茶室」を見学します。東京国立博物館の敷地は元は寛永寺の境内でした。本館の所は寛永寺の本坊に当たり、北側の庭園は寛永寺の庭でした。当時の面影が残っているのは本館東側の築山と中央の池の一部と古い墓石のみです。 

    東京国立博物館内の「庭園・茶室」を見学します。東京国立博物館の敷地は元は寛永寺の境内でした。本館の所は寛永寺の本坊に当たり、北側の庭園は寛永寺の庭でした。当時の面影が残っているのは本館東側の築山と中央の池の一部と古い墓石のみです。 

  • 庭園・茶室(五重塔)5.7mの銅製の塔で5代将軍綱吉の銘文があります。 

    庭園・茶室(五重塔)5.7mの銅製の塔で5代将軍綱吉の銘文があります。 

  • 庭園・茶室(第2回内国勧業博覧会の碑)明治14年に上野公園で行われた。会期は122日 45万人が入場しました。 

    庭園・茶室(第2回内国勧業博覧会の碑)明治14年に上野公園で行われた。会期は122日 45万人が入場しました。 

  • 庭園からの池 

    庭園からの池 

  • 庭園・茶室(春草盧)江戸時代、河村瑞賢が淀川改修工事の際に建てた休憩所で、大阪 横浜の三渓園 所沢と移築され昭和34年にここに移築されました。 

    庭園・茶室(春草盧)江戸時代、河村瑞賢が淀川改修工事の際に建てた休憩所で、大阪 横浜の三渓園 所沢と移築され昭和34年にここに移築されました。 

  • 春草盧(江戸時代、河村瑞賢が淀川改修工事の際に建てた休憩所で、大阪 横浜の三渓園 所沢と移築され昭和34年にここに移築されました。) 

    春草盧(江戸時代、河村瑞賢が淀川改修工事の際に建てた休憩所で、大阪 横浜の三渓園 所沢と移築され昭和34年にここに移築されました。) 

  • 春草盧(扁額は能書家の曼殊院良尚法親王の筆です。) 

    春草盧(扁額は能書家の曼殊院良尚法親王の筆です。) 

  • 町田久成の碑(初代博物館長の顕彰碑です。) 

    町田久成の碑(初代博物館長の顕彰碑です。) 

  • 転合庵(小堀遠州が桂宮から茶入を賜ったおり、その披露に為に、京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。その後、大原の寂光院に移築 昭和38年にここに移築。) 

    転合庵(小堀遠州が桂宮から茶入を賜ったおり、その披露に為に、京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。その後、大原の寂光院に移築 昭和38年にここに移築。) 

  • 転合庵(小堀遠州が桂宮から茶入を賜ったおり、その披露に為に、京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。その後、大原の寂光院に移築 昭和38年にここに移築。) 

    転合庵(小堀遠州が桂宮から茶入を賜ったおり、その披露に為に、京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。その後、大原の寂光院に移築 昭和38年にここに移築。) 

  • 庭園よりの池と本館裏 

    庭園よりの池と本館裏 

  • 六窓庵(慶安年間、奈良の興福寺慈眼院に建てられた。八窓庵等と大和の三茶室とされ、明治10年にここに移築。) 

    六窓庵(慶安年間、奈良の興福寺慈眼院に建てられた。八窓庵等と大和の三茶室とされ、明治10年にここに移築。) 

  • 六窓庵(にじり口の手水鉢は四方仏水盤と言われる形式で925年、関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つでした。明治18年に移築。)遠くに待合 

    六窓庵(にじり口の手水鉢は四方仏水盤と言われる形式で925年、関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つでした。明治18年に移築。)遠くに待合 

  • 六窓庵(にじり口の手水鉢は四方仏水盤と言われる形式で925年、関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つでした。明治18年に移築。) 

    六窓庵(にじり口の手水鉢は四方仏水盤と言われる形式で925年、関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つでした。明治18年に移築。) 

  • 六窓庵(にじり口の手水鉢は四方仏水盤と言われる形式で925年、関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つでした。明治18年に移築。仏像が彫ってあるのが分かります。) 

    六窓庵(にじり口の手水鉢は四方仏水盤と言われる形式で925年、関白藤原忠平が建立した法性寺の石塔の一つでした。明治18年に移築。仏像が彫ってあるのが分かります。) 

  • 六窓庵の待合(慶安年間、奈良の興福寺慈眼院に建てられた。八窓庵等と大和の三茶室とされ、明治10年にここに移築。) 

    六窓庵の待合(慶安年間、奈良の興福寺慈眼院に建てられた。八窓庵等と大和の三茶室とされ、明治10年にここに移築。) 

  • 大燈籠 

    大燈籠 

  • 大燈籠(京都で現在も続く陶家・清水六兵衛家の四代の作の陶製の燈籠です。昭和<br />13年、移築。高さ2.3m 重さは1トン以上です。) 

    大燈籠(京都で現在も続く陶家・清水六兵衛家の四代の作の陶製の燈籠です。昭和
    13年、移築。高さ2.3m 重さは1トン以上です。) 

  • 応挙館(1742年、尾張国の天台宗寺院、明眼院の書院として建てられ、昭和8年にここに移築。円山応挙の墨画があります。) 

    応挙館(1742年、尾張国の天台宗寺院、明眼院の書院として建てられ、昭和8年にここに移築。円山応挙の墨画があります。) 

  • 九条館(東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室で使われた。昭和9年に移築。)狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

    九条館(東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室で使われた。昭和9年に移築。)狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

  • 九条館(東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室で使われた。昭和9年に移築。) 

    九条館(東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室で使われた。昭和9年に移築。) 

  • 九条館(東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室で使われた。昭和9年に移築。)狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

    九条館(東京赤坂の九条邸にあった建築で、当主の居室で使われた。昭和9年に移築。)狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

  • 九条館(狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

    九条館(狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

  • 九条館(狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

    九条館(狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

  • 九条館(狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

    九条館(狩野派の筆とされる楼閣山水画が描かれ、欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りになっています。) 

  • 有馬家の墓石(寛永寺の面影を今に伝える越前藩主有馬家の墓石。これらの墓がなぜ残ったかは分かりません。) 

    有馬家の墓石(寛永寺の面影を今に伝える越前藩主有馬家の墓石。これらの墓がなぜ残ったかは分かりません。) 

  • 有馬家の墓石(寛永寺の面影を今に伝える越前藩主有馬家の墓石。これらの墓がなぜ残ったかは分かりません。) 

    有馬家の墓石(寛永寺の面影を今に伝える越前藩主有馬家の墓石。これらの墓がなぜ残ったかは分かりません。) 

  • 本館裏よりの池と転合庵 

    本館裏よりの池と転合庵 

  • 鉄燈籠(石の台に据えられた鉄製の燈籠。昭和57年の台風で倒壊し、基壇だけが残っています。) 

    鉄燈籠(石の台に据えられた鉄製の燈籠。昭和57年の台風で倒壊し、基壇だけが残っています。) 

  • 東京国立博物館(平成館前庭に帝室博物館を統括する総長の居室があった。)<br />森鴎外は大正6~11年(死ぬまで)総長であった。) 

    東京国立博物館(平成館前庭に帝室博物館を統括する総長の居室があった。)
    森鴎外は大正6~11年(死ぬまで)総長であった。) 

  • 東京国立博物館(森鴎外総長室跡)平成館前庭に帝室博物館を統括する総長の居室があった。)森鴎外は大正6~11年(死ぬまで)総長であった。 

    東京国立博物館(森鴎外総長室跡)平成館前庭に帝室博物館を統括する総長の居室があった。)森鴎外は大正6~11年(死ぬまで)総長であった。 

  • 東京国立博物館(資料館)日本・東洋の学術資料の収集・保管している。昭和59年開館。 

    東京国立博物館(資料館)日本・東洋の学術資料の収集・保管している。昭和59年開館。 

  • 東京国立博物館(旧十輪院宝蔵)説明(奈良元興寺の別院 明治15年に移築)  

    東京国立博物館(旧十輪院宝蔵)説明(奈良元興寺の別院 明治15年に移築)  

  • 東京国立博物館(旧十輪院宝蔵) 奈良元興寺の別院 明治15年に移築 

    東京国立博物館(旧十輪院宝蔵) 奈良元興寺の別院 明治15年に移築 

  • 旧十輪院宝蔵

    旧十輪院宝蔵

  • 旧十輪院宝蔵(土台の彫刻)

    旧十輪院宝蔵(土台の彫刻)

  • 東京国立博物館(法隆寺宝物館)昭和39年、開館。平成11年に新宝物館を開館し、週6日公開した。

    東京国立博物館(法隆寺宝物館)昭和39年、開館。平成11年に新宝物館を開館し、週6日公開した。

  • 法隆寺宝物館(潅頂幡)金・銅小幡

    法隆寺宝物館(潅頂幡)金・銅小幡

  • 法隆寺宝物館(潅頂幡)金・銅小幡

    法隆寺宝物館(潅頂幡)金・銅小幡

  • 観音像(6~7Cで殆ど重文です。)

    観音像(6~7Cで殆ど重文です。)

  • 光背(重文)

    光背(重文)

  • 如来立像(6~7C)重文

    如来立像(6~7C)重文

  • 阿弥陀如来像(6~7C)重文

    阿弥陀如来像(6~7C)重文

  • 半跏思惟像(重文)

    半跏思惟像(重文)

  • 木・漆工<br />

    木・漆工

  • 金工

    金工

  • 鏡

  • 水瓶(7~8C)

    水瓶(7~8C)

  • 東京国立博物館(梅の木)

    東京国立博物館(梅の木)

  • 東京国立博物館(梅の花)

    東京国立博物館(梅の花)

  • 東京国立博物館(旧因州池田屋屋敷表門(黒門))明治時代、当時の東宮御所の正面 高松宮に引き継がれ、昭和29年、移築。)

    東京国立博物館(旧因州池田屋屋敷表門(黒門))明治時代、当時の東宮御所の正面 高松宮に引き継がれ、昭和29年、移築。)

  • 旧因州池田屋屋敷表門(黒門)表(明治時代、当時の東宮御所の正面 高松宮に引き継がれ、昭和29年、移築。)

    旧因州池田屋屋敷表門(黒門)表(明治時代、当時の東宮御所の正面 高松宮に引き継がれ、昭和29年、移築。)

  • 旧因州池田屋屋敷表門(黒門)裏(明治時代、当時の東宮御所の正面 高松宮に引き継がれ、昭和29年、移築。)

    旧因州池田屋屋敷表門(黒門)裏(明治時代、当時の東宮御所の正面 高松宮に引き継がれ、昭和29年、移築。)

  • 黒田家の江戸屋敷鬼瓦(説明)筑前福岡藩で複雑反雲文の意匠が特徴

    黒田家の江戸屋敷鬼瓦(説明)筑前福岡藩で複雑反雲文の意匠が特徴

  • 黒田家の江戸屋敷鬼瓦(筑前福岡藩で複雑反雲文の意匠が特徴)

    黒田家の江戸屋敷鬼瓦(筑前福岡藩で複雑反雲文の意匠が特徴)

  • 東京国立博物館(朝鮮の石像)朝鮮の王や両班の墓を守る為に作られた羊と文官の像

    東京国立博物館(朝鮮の石像)朝鮮の王や両班の墓を守る為に作られた羊と文官の像

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  • 東京国立博物館(東洋館入口の中国の石像) 

    東京国立博物館(東洋館入口の中国の石像) 

  • 東京国立博物館(ジェンナー像)種痘を発明したイギリスの医師で明治29年に種痘の発明100年記念で造られた。 

    東京国立博物館(ジェンナー像)種痘を発明したイギリスの医師で明治29年に種痘の発明100年記念で造られた。 

  • 東京国立博物館(ジェンナー像) 種痘を発明したイギリスの医師で明治29年に種痘の発明100年記念で造られた。 

    東京国立博物館(ジェンナー像) 種痘を発明したイギリスの医師で明治29年に種痘の発明100年記念で造られた。 

  • 上野公園(地図)を散歩します。

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  • 上野公園(大噴水) 

    上野公園(大噴水) 

  • 野口英世像(野口英世の珍しい全身像 試験管を振っています。昭和26年建立。3月21日に除幕式が行われました。)なぜここに?(始めは皇居前や日比谷公園に予定していましたが、断れた為、ここになりました。)

    野口英世像(野口英世の珍しい全身像 試験管を振っています。昭和26年建立。3月21日に除幕式が行われました。)なぜここに?(始めは皇居前や日比谷公園に予定していましたが、断れた為、ここになりました。)

  • 野口英世像(野口英世の珍しい全身像 試験管を振っています。昭和26年建立。3月21日に除幕式が行われました。)なぜここに?(始めは皇居前や日比谷公園に予定していましたが、断れた為、ここになりました。) 

    野口英世像(野口英世の珍しい全身像 試験管を振っています。昭和26年建立。3月21日に除幕式が行われました。)なぜここに?(始めは皇居前や日比谷公園に予定していましたが、断れた為、ここになりました。) 

  • 小松宮彰仁親王銅像(明治維新の功労者で会津追討の総督になった。日赤にも貢献しました。)

    小松宮彰仁親王銅像(明治維新の功労者で会津追討の総督になった。日赤にも貢献しました。)

  • 小松宮彰仁親王銅像(明治維新の功労者で会津追討の総督になった。日赤にも貢献しました。) 

    小松宮彰仁親王銅像(明治維新の功労者で会津追討の総督になった。日赤にも貢献しました。) 

  • 小松宮彰仁親王銅像(明治維新の功労者で会津追討の総督になった。日赤にも貢献しました。)

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  • 早咲の桜

    早咲の桜

  • グラント将軍植樹碑(明治12年、アメリカ第18・19代大統領のグラント将軍が任期終了後、夫婦で世界一周の時に来日。上野公園で明治天皇も行幸し、歓迎会で記念植樹をした碑です。)

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  • 上野東照宮(境内図)

    上野東照宮(境内図)

  • 上野東照宮(説明)  

    上野東照宮(説明)  

  • 上野東照宮(水舎門)

    上野東照宮(水舎門)

  • 上野東照宮(ぼたん園入口のぼたん)

    上野東照宮(ぼたん園入口のぼたん)

  • 上野東照宮(五重塔 説明)現在は上野動物園内にあります。(寛永8年(1631年) 土井利勝が寄進 1639年に焼失) 

    上野東照宮(五重塔 説明)現在は上野動物園内にあります。(寛永8年(1631年) 土井利勝が寄進 1639年に焼失) 

  • 上野東照宮(五重塔)現在は上野動物園内にあります。(寛永8年(1631年) 土井利勝が寄進 1639年に焼失) 

    上野東照宮(五重塔)現在は上野動物園内にあります。(寛永8年(1631年) 土井利勝が寄進 1639年に焼失) 

  • 上野東照宮(五重塔)現在は上野動物園内にあります。(寛永8年(1631年) 土井利勝が寄進 1639年に焼失) 

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  • 上野東照宮(神楽殿)  

    上野東照宮(神楽殿)  

  • 花手水

    花手水

  • 上野東照宮(狛犬)説明

    上野東照宮(狛犬)説明

  • 上野東照宮(狛犬)

    上野東照宮(狛犬)

  • 上野東照宮(前が唐門 後ろが拝殿(金色殿))共に重文

    上野東照宮(前が唐門 後ろが拝殿(金色殿))共に重文

    上野東照宮 寺・神社・教会

  • 上野東照宮(唐門)説明

    上野東照宮(唐門)説明

  • 上野東照宮(立派な唐門)

    上野東照宮(立派な唐門)

  • 上野東照宮(立派な唐門)登り龍

    上野東照宮(立派な唐門)登り龍

  • 上野東照宮(立派な唐門)唐草格子

    上野東照宮(立派な唐門)唐草格子

  • 上野東照宮(立派な唐門)鶏の透かし彫り

    上野東照宮(立派な唐門)鶏の透かし彫り

  • 上野東照宮(拝殿の金色堂)

    上野東照宮(拝殿の金色堂)

  • お化け灯篭(高さ6m 日本三大灯篭の一つ)

    お化け灯篭(高さ6m 日本三大灯篭の一つ)

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