2021/12/17 - 2021/12/19
57位(同エリア137件中)
kaoluさん
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国内で燻っているこの頃。
でも、国内でも行ってみた場所は多数。
ならば今のうちにと思いついたが吉日とばかり、コロナ小康状態を縫って出かけてみました。
島民は八丈島にルーツのがあるとはいえ、現在は沖縄の支配下(笑)
台風時にはよくその名を耳にする島を楽しんできました。
帰りの乗り継ぎ時間で御嶽にも足を伸ばし琉球王国の歴史を感じてきました。
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☆2021年12月17日(金)
きっかけは、旅の虫がうずき、コロナもひと段落?と思えるこの時、ギョーム旅行のついでになんとなくフライ・アンド・ステイで検索をかけたら・・沖縄往復1泊設定で2万円台と言うのが出てきました。
あら、丁度週末もかかってるし、半休できそうな期間!!
と、早速予約してしまいました。
とりあえgo!です。羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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仕事を速めに切り上げて、羽田へ。
出発は15:55、遊びに行くにも仕事で向かうにも中途半端な時間帯だからでしょう。航空券が安い設定ですね。
実は先週も羽田を利用したのですが、賑わいが戻ってきた感じがします。
旅行業に携わっている知人に聞くと、「今のうちに旅行しとかないと、また動けなくなると思って・・」というお客様で爆発的な利用があるとか。
まあ、気持ちはわからんでもない。
そういう私だって・・ -
一路沖縄に向かいます。
そういえば、昨年初めて沖縄に足を踏み入れた初心者ですが今年はなんとこの後も足を踏み入れる機会がありそうなのですが・・ほんと足を踏み入れるだけです。 -
那覇空港に到着するころは真っ暗です。
まあ、目的地に向かうための経由地ですから寝るだけ!と思っていたのですが・・・那覇空港 空港
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実は、先日姉たちと話をしていたら、兄の沖縄出張がかぶることが判明。
で、今晩の夕食を一緒に食べよう・・と言う話になり、連れてきてもらったのがこのお店です。
まずはビール!サムズ アンカーイン 国際通り店 グルメ・レストラン
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サムズアンカーインの名物、東インド風カレースープ・・だそうです。
なんかどっかで食べた味。。
そう、はるかかなたの昔、学校給食で「カレー」と称して出てきたあの水分たっぷりなカレーの味に似ている気がします。
懐かしくそして美味しかった。 -
欲張りものの二人は、ステーキと海鮮の鉄板焼きクリスマススペシャルを頂きました。
目の前で焼いていくれる鉄板焼きスタイル。
ステーキを焼くときにパフォーマンスがあります。
ご飯はガーリックライスにしてもらって。 -
アンカーという名前が示す通り、船がコンセプト。 帆船の客室をイメージしたといいます。
この日は団体さん(修学旅行)のご一行さんもいらしたとか。
少しずつ沖縄にも活気が戻ってきていました。 -
☆12月18日(土)
おはようございます。
夕べ止まったのはビジネスホテル。
私が良く使うチェーンホテル。ここを選ぶ理由は「大浴場」があるからです。
手足をのびのびと伸ばして湯船につかるのは、私には極楽極楽・・なのです。
ここのホテルは大浴場が最上階だったためか、夕べは風がビューユー吹いているのがわかるくらい。はたしてお天気大丈夫かしら・・と心配しましたが何とかなりそうです。
朝ご飯は6:30からだったかな?
7時には出発したかったので早めに会場に向かいました。
入口には行列が出来てました。
どうやら団体さん(といっても10名ちょっと?)がいらっしゃったようで、その方たちも早めの出発で、にもつを持って集まってらっしゃいました。
お仲間と思われたらしく、「荷物はロビーに置いといて大丈夫よ」と声をかけられましたが・・
そんな会場で私的に初お目見えしたのは・・飯盛機!
この機会の下部のトレイの真ん中にお茶碗をおいて、ご飯量を選択して押すと、ポトリとご飯がお茶碗に落ちてきます。
この、コロナ禍だからの機械なのか?それとも効率がよからかは不明ですが。
私のよく利用する場所のホテルでは見たことがありませんでした。 -
ホテルからは、丁度1台止まっていたタクシーを利用して、那覇空港へ!
早朝便なので、公共交通機関でたどり着く自信は全くありませんでした。
チェックインはすんなり済んでしまいましたけれど。
那覇空港も自動化の波ですね。 -
本日お世話になる飛行機です。ちっちゃ!
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土曜日早朝だからでしょうか?
それとも、いつもなのかな?搭乗客は・・・少ないです。 -
昨年の与那国行きのときももらいました。
Simap -
小一時間の飛行で、南大東島が見えてきました。わりと平らな島です。
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無事到着です。
歩いてターミナルへ。 -
ターミナルビルは与那国よりも立派です。
南大東島 自然・景勝地
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ここ、南大東島はネットで適当な宿を探すことはできませんでした。
すべて「電話」で手配です。
ただ、お宿のお迎え、お送りはきちんとしてもらえます。
空港にレンタカー会社がいたか??たぶんいなかった気がします。
お迎えが無かったら途方に暮れますね。
午前着なので、お部屋にはまだ入れませんが、とりあえずチェックイン。
電話でレンタカーの手配をしたはず・・なのが、抜けていました。
まあ、車があったからいいや。
この島は公共の交通機関はないようです。
自力で移動しなきゃ観光はできません。
レンタバイクやレンタサイクルもあるようですが、お年寄りの私には無理。 -
もらった地図をたよりに・・まず始めに向かったのは、展望台。
島を見渡してみようと思って。
先ほどのお宿のお迎えの女将さんから、車内で地形の案内をしていただきました。
島全体はすり鉢状で、島のヘリが高くて中心地に向かって低くなっているということですが・・とはいえ高い山はないので平らに見えます。日の丸展望台 名所・史跡
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お次に向かったのは、そのそばにあるであろう・・シュガートレインの線路後。
先ほどもらった地図以外は、スマホのgoogle先生がたよりです。 -
たぶんこのあたり。。。と発見しました。
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レール後だけは所々に残っているのだそうです。
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南大東島の主要産業はサトウキビ栽培。
その栽培されたサトウキビを運ぶために、かつて島全体にシュガートレイン網があり、1983年9月まで利用されていたそうです。
その後、観光のための復活も検討されていたようですが、、、現在まで復活されていません。
残念! -
さて、約半日間しか時間がありません。
次に向かいます。
やってきたのは島の東側。 -
海軍、棒プールと呼ばれるところ。
南大東島には砂浜がほとんどありません。
海水浴に適した海岸がないということです。
そこで、少しでも海水浴ができそうな場所を人工的につくってプールと呼んでいるようです。
ここも、そんな場所のひとつ。
そしてここは、明治25年(1892年)旧海軍の軍艦「海門」測量用に建てた棒(現在は復元された棒)があったところから、そう呼ばれているようです。
棒には日本領土であることを示すために「大日本帝國海軍」と記されているとか。
その棒は、この画像の右下、の丘の上にたっているあれみたいです。
この日は風が強く、残念ながら近づくことはできませんでした。 -
そばにあったオブジェ。
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波が穏やかだったら是非入ってみたいところです。
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さて、次に進みっます。
次に目指したのは・・・旧空港のターミナル。
さっき到着した空港は1997年7月に、開港した新しい空港です。
もともとここは、位置から戦略上の重要経由地と昔から見られ、空港そのものは1934年(昭和9年)に空港はあったようです。
で、地図をたよりに、外観をみてこれ??と思ったのですが・・・違いました(笑) -
こちらが、旧ターミナルだそうで、現在はラム酒の製造会社が利用しているそうです。
この会社は
https://rum.co.jp/company.php
あるように、ベンチャー企業で、歴史は浅いそうです。
建物は旧南大東空港の待合室だそうで、平成9年まで使用されていたそうです。
先ほども書きましたが、滑走路は昭和9年に日本軍が建設。太平洋戦争末期、昭和19年7月にサイパンが陥落した後、軍は、南大東島の要塞化を進め、滑走路のさらなる拡張を計画たそうで。島には多くの弾薬などが持ち込まれ、岩の切れ目には、アメリカ軍機の来襲に備え、速射砲が隠されたりと武装化。滑走路の建設には、ダイナマイトも使われ、作業が急ピッチで進められたそうですが、島はたびたび艦砲射撃や空襲を受け、その滑走路は、完成することなく終戦を迎えたそうです。
新しい空港の開港とともに、かつての滑走路はほとんどが取り壊され、村営住宅が建設されているそうです。
そんな歴史のある場所なんですね。 -
訪問時、先客がいらっしゃいました。
待ちながら耳をダンボにしていた私。
なかなか面白い話を「たち聞き」することができました。
たぶん、お話しされていたのは吉里 正清氏??画像で見ると玉城英哉氏のような気もします。
お名前ははっきりしませんが・・
電力会社のベンチャーで立ち上がった企画に、巻き込まれて一から指導したような話で、当時は日給だったとか。
ラム酒の原材料のサトウキビは収穫した途端に劣化が始まるのですぐに加工しないといけないこと。
そして、酒税法のお話。これが私的には一番面白かった。
たまたま、先客は久米島の某泡盛メーカーさんだったので、「税金は?」という問いかけに「100%さー」と言う答え。
何の税金かと思えば、もともと沖縄は本土復帰の時に、「酒税軽減措置」というものを受けている。酒税の減免(泡盛35%、ビール等20%)ということらしい。R3.5.14までとりあえず延長されている。
その対象となるのは、復帰以前から酒造しているメーカーのみ。
だから、平成16年に設立された会社には当然適用されていないということだ。
で、沖縄の泡盛35%という優遇が外されてしまうと、県内の中規模メーカーは生き残れないのではというお話。
なぜならば、価格が高くなった分、宮崎や大分の大規模メーカーに食われてしまう。小規模は何とか生き残れるだろうけど。。ということを話していたのです。
まあ、本土復帰50年だからね。そろそろ軽減措置もはずせ!という他県の世論に勝てなくなってるというところらしい。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/877202 -
先客の方は、同じ飛行機で同じお宿にご滞在。。
お帰りになったので、お買い物をさせていただきました。 -
次に向かったのは、秋葉神社。
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次に向かう途中、気になった場所がこれ。
秋葉神社の参道です。 -
神社には参道が重要なのかなと思いながら、少し歩いてみました。
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参道の鳥居のさきは少しひらけた場所で、道路もあります。
そしその先には階段が! -
上ってゆくと、鳥居があります。
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秋葉神社が沖縄県で存在してるのは、ここと北大東島だけのようだ。
つまり大東諸島は沖縄の文化圏じゃないないということなのですよね。 -
神社の階段を降りたところで、その右側(神社を背に)ある階段がきになりました。
てっきり、参拝堂が登と下りに分かれているだけだと思っていたのですが、神社のっ周りにはそのような続く道が見当たらなかったからです。 -
丁度、来訪者(お一人は地元の方でしょう、軽トラにのってらっしゃいました)がいらしたので、お聞きし見ました。
お答えは・・
なんでも、「忠魂の碑」があるとか。
この島にも戦争の爪痕はあるということで、お参りしようと思ったのだが、手すりの下にびっしりのハチが留まっているのを見てやめてしまいました。ごめんなさい -
お次は、再びシュガートレインの痕跡です。
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この線路網が復活したら面白いのにん。
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次に向かったのはバリバリ岩。
宿でもらった地図には正午ころが良い・・とあったので、その時間に来てみました。 -
バリバリ岩の断面?
そもそも、大東諸島は。ニューギニア近海にあった島がフィリピン海プレートと共少しづつ移動してきたと考えられているそうです。そして、現在も移動中。
毎年北西方向に約7cm移動し続けているとか。
で、ぞの地殻変動によって発生した岩の裂け目がここということらしいのです。 -
モーゼの十戒ではありませんが。。大地が避けている場所なのですね。
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岩の裂け目には新しい生命(樹木)が根を下ろして成長しています。
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おそらく、正午が推奨されていたのは、真上から太陽の光が降り注ぐからかな・・と思うのですが、本日はあいにくの曇りがちのお天気で太陽光線はあまり感じられませんでした。
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バリバリ岩の道の先には洞窟??のようなものがり、その先に抜けられるようなのですが、足場が悪い。
岩場でぐりぐりしています。
お一人様の私、膝の悪いおばちゃん。もしものことがあって動けなくなると最悪と思い、好奇心を押し込んで引き返しました。
海に続いているような気がします。 -
お次の目的地、漁港に向う途中の、見晴らしの良い広場で、謎の一団に・・
何故か工具(電動草刈り機?)のようなものを持ち寄り、みんなで記念写真・・・を撮っていたと思ったら、、、 -
すぐに解散してしまい、
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私の車だけ取り残された(笑)
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漁港の眺め。さずが、波が荒くても、中に入るほど静かになっていく。
南大東漁港です。
全国でも例を見ない「大規模な岩盤掘り込み方式」の工法(注:陸域を開削する工法)で整備されているのだそうです。
断崖絶壁に囲まれたの島ですからね。 -
本日の波は相当荒そうです。
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港にもっと近づこう。。というのと、実はこのころトイレに行きたくもなったので降りてみました。
もらった地図にトイレのマークがありましたから。 -
港の中は穏やか。
外の荒波がウソのようです。 -
今日は休漁でしょうね。
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さっき上からのぞいた港の入り口です。波があらい。
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このあたりを削ったのでしょうかね。
波がだんだん荒くなってきて、飛沫がかかりそうです。
さらわれないうちに撤退しましょうね。 -
次に向かったのは島の西側。
西港と呼ばれる地帯です。 -
定期船で着くと、この西港に着岸するそうです。
着岸・・といってもデッキからコンテナでつるされて上陸だとか。
波が荒いので、港までは降りられませんでした。
途中で廃墟のような石造りのたてっもの跡がありました。
ボイラー小屋の遺構。。のようです。
昔、陸揚げに使用していた動力源がおいてあったのでしょう。 -
その廃墟の左奥に公園がありました。
公園の一角にはおトイレもありました(笑)
さっきの漁港では発見できませんでしたから。 -
ここしばらく船は着いてないのかな。
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西港の脇にあった広場はミレニアムパークというそうで、小学生の壁画がありました。
そういえば、後で聞いた宿の女将のお父さんに聞いた話では、西港には火葬場と墓地もあるそうな。 -
港へも降りられないので戻ります。
途中にあったのは
上陸記念碑。 -
全てはここに上陸した玉置商会の開拓団によって始まったのね。
この島は1900年(明治33年)まで、無人島。
島は、1543年 沖大東島をスペイン人が発見しマル・アブリゴ(Mal Abrigo)と名付けられていることから、存在は知られていたよです。
その後、オランダ人には大東諸島が「Amsterdam」と呼ばれていたり、フランス軍では沖大東島を「ラサ島」と名付けたり、 ロシア人は大東諸島を「ボロジノ諸島」とよんだりと様々。
1885年に沖縄県令西村捨三が内務省の命で調査を開始。8月31日、調査を終え国標を建てて両島を「大東諸島」と公称され、これにより日本が南北大東島の領有を諸外国に宣言され沖縄県に編入されたそうです。
後、無人島開拓への希望を常に持ち続けていた八丈島出身の玉置半右衛門の玉置商会の社員から成る開拓団が上陸。
これ以降、玉置商会→東洋製糖→大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が諸島の各島全体を所有する「社有島」に1946年の沖縄のアメリカ軍政開始までなっていた、個人所有の島だったそうです。
この石柱はその玉置開拓団の第1回上陸記念に建てられたもの。西港のそばに立っていました。 -
その先にあったのはお地蔵さん。
このお地蔵さんも、開拓団によって持ち込まれた文化。沖縄には見られない信仰だそうです。 -
再び別場所のシュガートレインの跡。
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シュガートレインが復活してたら楽しいのにね。
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さて、おなかも空いたし・・もう少しでお昼の時間も終わっちゃいそうだから戻ります。
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島に唯一の信号。
社会的勉強のためにか、民間車検場の近所にありました。 -
お昼は大東ぞばを頂きます。
-
お蕎麦と大東寿司のセット。
飲み物は飲み放題??のようで、食後にアイスコーヒーを進められました。
ただし、自分で注ぐのですが。
あちらのテーブルに一らっしゃるのはお店の方?
色々とお世話をしてくださいました。(笑)
なんでも、「豆腐」が食べたいとぼやいてました。
ある時は全然食べたいとも思わないけど、しけで船が入ってこなくて在庫がなくなると食べたくしょうがなくなるんだから・・と言ってました。
お豆腐屋さんは島にはないみたいですね。 -
お蕎麦の汁のお味は沖縄そば系。
麺は、沖縄そばよりもこしがあり太い感じです。 -
食後は、再び観光開始です。
あ、そうそう食事後に宿に戻ったら・・女将さんに車のチェンジをお願いされちゃいました。
さっきまで利用してたのは、軽自動車。
「女性だからとおもって軽自動車にしたのだけれども、午後便でくるお客さんが軽しか運転したことがないから、普通自動車にかわってくれる?」ということだったので。
基本的に何の車で大丈夫な私。
ハンドルも右でも左でも大丈夫。とくに日本車だったらバックギアーも特殊じゃないからね。
ということで、せっかく慣れた車を返却してチェンジしました。 -
で、向かったのは塩屋海岸。。
ですが、こちらも波が荒くて通行止めです。
遠くから望みます。 -
新しい(といっても、後ろがぶつかってへっこんでる)はナビ付で4ですが・・地図情報が・・・
まあしょうがありませんね。 -
お次にやってきたのは島の中心地。
ふるさと文化センターの前の公園。
ここに一人のアメリカ人の銅像が立っていました。
日本敗戦後、アメリカ統治下になった沖縄の3代目の高等弁務官ポール・W・キャラウェイの像です。
彼は沖縄本土では強権で評判が著しく悪かったようですが、ここ南大東島では恩人だそうです。
戦後もこの島の権利はすべて製糖会社がもっていて、開拓にかかわった人たちはただの労働者。いつまでたっても土地の所有が認められない。
それが高じて、島内では独自のルール、独自の通貨が流通していたそうです。
それを覆したのが、彼だったそうで、島民に土地所有の権利を与えたそうです。
それを記念した碑だそうです。
詳細は↓で語られてます。
https://www.youtube.com/watch?v=fsK7oogn62s -
そんな公園のはずれにこの子はおりました。
シュガートレインの現存する車輛です -
一応、雨露をしのげる屋根つきの施設に2車輛?展示されています。
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もう一台は、ディーゼル機関車。
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南大東島にはかつて、このような軽便鉄道網が存在していたそうです。
台湾もそうでしたが、貨物輸送は鉄路が便利だったんですね。 -
しかし、残念ながら展示されている車両は塩害のためか、ぼろぼろです。
触ったらいまにも崩れそう。 -
展示小屋?はこんな感じで屋根こそありますが、台風の通り道のこの島にあっては・・
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何時まで形が残っていられるか。。時間の問題もある気がします。
せめてペンキでも塗ってあれば。 -
観光資源としてたとえ鉄路が復活しても、この車両じゃ無理でしょうね。
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今回の南大東島行きの目的はこの車両をみることだったのですが、ちょっぴり悲しくなりました。
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ここには、車両のほかにはサトウキビから液を絞り出すための、昔使用されていた圧搾機と思われるものも展示されていました。
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そうそう、今日は土曜日でお休みだからでしょうか。
この施設の周りでは、地元の方たちと思われる皆さんがグランドゴルフを楽しんでいました。 -
皆さん楽しそう。慎重派。どうでもいいや派。
個性が丸見えで面白そうです。 -
これは近くにあったマンホール。これも塩害のせいか錆びが進んでる気がします。
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こちらはふるさと文化センター。
時間があれば入り込んでみたかったのですが・・地元の子どもたちしかいないような気もしたのでスキップしてしまいました。 -
さて、お次は島の南端かな?に向かいます。
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亀地港です。
西港が荒れている場合に定期船が接岸されるそうです。 -
たしかに、ほかの港は波が荒く、立ち入り禁止の場所も多々でしたが、こちらは穏やかな海が広がってます。
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岸壁では、釣りを楽しむ地元のオニーさんたちが居ました。
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ほら、全然荒れていない。
不思議ですね。 -
さて、ふるさと文化センターをスキップしてやってきたのは、こちらです。
星の洞。
お昼過ぎに通過したので、その時はお昼休みの休館中でした。 -
入口から行きは坂道を下ってゆきます。
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さらに、防圧のための扉を開けて中に入ります。
また下り。。
素晴らしい鍾乳洞なのですが、アップダウンがかなりあります。
受付で聞いたら早い人で20分くらい。ゆっくりだと40分。もちろんゆっくり出回りました。
あー膝が。。 -
上と下からでくっついていたのかな?
-
HPより・・
南大東島は、はるか遠く離れた海でできたサンゴ礁がプレートに乗って移動しながら
いったん海面の下に沈み、再び隆起した島です。
そのため、南大東島のほとんどはサンゴ礁を由来とする石灰岩でできています。
島には 100 を超える鍾乳洞があるといわれていますが、
その中で特に大きく美しい鍾乳洞が「星野洞」です。
星野洞の一帯が星野さんの土地であったことから、星野洞という名前が付けられました。
http://vill.minamidaito.okinawa.jp/cape/ -
素晴らしい鍾乳石が、ライトアップされています。
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なかには頭をぶつけそうな近くにまできているものもあります。
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アップダウンにヒーヒー言いながら回った鍾乳洞。
かえりは動く歩道がとりあえず、下界じゃない上界につれていってくれます。 -
さて、もうそろそろ夕方が近くなってきました。
この近所?で気になる場所があるので向かうことに。 -
google先生はえらい大回りのルートをご推奨なさるのだけれど、こっちを通ったほうがはるかに近いはず。
サテライトにちゃんと道も見えるし。。と進んだのはよいのですが・・
4WDじゃなきゃ走行不能になりそうな場所に出てしまいました。
旧滑走路・・なのですが、今は岩や石がごろごろのただの荒れ地。。
あー営業時間が終わってしまう。。 -
やっとのことでなんとかたどり着きました。
お昼前にやってきたグレインラムの工場のすぐ近所です。
島まるごと館
こちらは、この島の自然的な解説をしてある展示施設・・のはず。 -
で、残念ながら。。。閉館。
というより、張り紙が。
御用の方はお電話ください。・・もうだめじゃ。この時間では。
すっぱりあきらめました。 -
島を走り回っているうちに5時を過ぎてしまいました。
もう公共施設はだめですね。
あとは・・走り回っていて気になったお店へ。 -
島のなんでも屋さん。
与儀商店
農耕具から食品まであります。
ここでおやつを仕入れました。 -
このアイスをもって向かったのは・・夕日の広場。
きっとすてきな夕日を見ることができるのでしょう。 -
本日はあまりお天気がよろしくはないので期待できませんか。
-
さて、アイスを食べましょうか・・
-
こんな感じです。
-
と、そこへ一匹のワンコが登場。
丁度良いところでシャーっと・・・・
ヲイヲイ!(涙) -
あちらのお二人さんが連れてきたワンコのようで。。
日没まで時間もありそうだし。。お邪魔しちゃわるいかな?と退散することにしました。 -
いろいろと走り回って・・・トータル70キロくらいは走ったみたい。(後日請求書で確認)
なんせ、唯一のガソリンスタンドは営業していないとのことで、燃料は計算払いです。
あーお疲れ様でした。 -
夕食は着けなかったので、お部屋で那覇のコンビニで仕入れたりした物体でさくっと夕食を頂きました。
-
お部屋で一休みした後は。。
また島の中を徘徊です。
南大東村多目的交流センター
この建物の中から音楽が聞こえてきました。
ちょっと覗いてみたら、お仲間の交流会?
ピアノの演奏をしたり、ギターの演奏をしたり。
楽しそうです。 -
さて、夜の散歩の目的地はこちらです。
南大東島地方気象台
台風の時に有名ですよね。 -
で、こちらの指揮日あるあの建物が目当てです。
この画像はスマホで自動露光調節で撮っているのではっきり写ってますが・・ほんとは真っ暗です。
あの、緑色の光の場所から、毎日8:30と20:30に気象観測のためのバルーンがあがります。 -
まっくらななか、20:30過ぎ(おそらく自動でせっとされているので、起動し始めるのがこの時間で飛んでゆくのはもう少し後)たしかにバルーンは上がってゆきました。
スマホの動画は露光調節がなかったので真っ暗ですね。 -
夜の8:30過ぎでも、気象台ではお仕事されているのですね。
お疲れ様でです。 -
宿にプラプラ戻りながら、周りを徘徊します。
-
那覇で昨年入った「喜作」の本店ですね。
コロナ禍のためか、休業中のようで残念です。 -
細い路地の中にもスナックのような佇まいの店があるようです。
そういえば、私の止まっている宿にも長期出張者もいらっしゃるみたいです。 -
ホントは週末だからもうちょっとにぎやかなのかなと思っていたのですが、コロナのためか・・それとももともとがそうなのかちょっと静かな感じがしました。
-
少々夜の徘徊をしてみただけでどのお店にも入りませんでした。
-
☆12月19日(日)
おはようございます。
今日は午前便でこの島を離れます。
ホテル出発は朝の8:45。
だから、朝のバルーンの見学は無理ね。
朝ご飯はお宿にちゅうもんしてありました。
コロナ禍だからでしょう。部屋食です。つまりお弁当仕立て。
名前が書いてある袋がフロントにずらりと並んでいました。
味噌汁付です。
部屋のゴミ箱には空の弁当箱の捨て方も書いてありました。 -
さて、本日のお天気は?
今日も波が高いのかな? -
南大東島のお土産ものはこのマグロのジャーキーだそうで、購入してみました。
砂糖を買ってもねー・・・ -
きょう出発のお客様が多いようで、送りは車2台になりました。
-
私の乗ったのは、女将さんのお父上の運転する車。
昔は那覇でタクシーの運転手をなさっていたとか。
助手席に座れせて頂きました。
途中、通過した建物に「卍」のマークがついていたので聞いてみました。
大東寺というお寺があったそうです。
で、現在は改修工事中。
なにに改修しているかというと、火葬場だそうです。
現在の火葬場は西港にあるそうですが、塩害で炉の痛みが進んできているのでこちらに移転するとか。
お宿の方もそうですが、沖縄の文化が色濃くなってきているのでしょうね。
沖縄で「お寺」ってあまり聞いたことがありませんもんね。
八丈色が薄くなってゆくのも時代の流れでしょうね。 -
さて、空港に到着です。
-
そういば、昨日お昼を食べた食堂でもシークワ―サーを頂きましたが、空港のお土産物屋さんでも「ご自由にお持ちください」状態でた。
-
そろそろ、搭乗時刻です。
本日のフライトで那覇経由で帰郷します。
ただし別切りの空港券なのですが・・つなげてもらって荷物はスルーで運んでもらうことにしました。
駆け足でしたが、楽しい滞在でした。 -
今さあ、今日もよろしくお願いしますね。
-
そうそ、宿のお父さんに聞いた話では、本来はサトウキビもう刈取り時期にきているそうです。
ただ、今年は製糖工場の改修工事が終わらないので、まだ刈り取られていないとか。
来年の1月になるようです。
この島では刈り取ったサトウキビから砂糖にするところまでしてしまうんですね。
あと、どのような仕事のかたの長期滞在が多いのかきいたところ、最近は通信系が最も多いとのことでした。
やっぱり時代ですね。 -
飛びがってすぐに見えてきたのは・・北大東島ですね。
今回はあちらには行きませんでした。
便によってはというか午後便は経由便になるみたいです。 -
眼下を覗いていたら、けっこう船が見えました。
-
さ、沖縄本土がみえてきました。
今回は那覇乗り換え。
で、例によって時間をたっぷりとってみました。
さて、お次の目的地に無事に向かうことができるかな?
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 琉球熱さん 2022/02/19 10:18:04
- 濃いですね
- kaoluさん、はじめまして こんにちは
沖縄でも大東島まで行く人は少ないようで、このサイトでも旅行記は多くないですね
かくいう私も一度、しかも人のお金で(笑)行っただけです
なかなか行ける場所ではないので、ばっちり予習をして行きましたが、準備期間も滞在時間も私の方が充分だったのに、内容がほぼ同じという(涙)
それだけ内容がギュッとつまった濃い旅行記でした。お見事です。
南はまだ辛うじて「観光」を意識した部分がありますが、北はまったく意識も想定もしていない感じです。拒否しないけど歓迎もしないよ・・・そんな印象です。
琉球王国の影響をほとんど受けていない孤島に入植したのが八丈出身者たち。
そこで自分たちの「国」を作っちゃったようなものですが、学校や病院なども整備した代わりに、独自の法律や通貨まで制定しちゃったというから驚きです。
シュガートレインは、その栄華の名残り・・・というのは私のようなよそ者の勝手な憶測かな?(笑)
あれが復活したら相当な観光資源になるんじゃないかと思いますが。
お暇な時にでも私の大東旅行記もご笑覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11458331#travelogue_groupArea
---------琉球熱--------
- kaoluさん からの返信 2022/03/03 14:01:01
- RE: 濃いですね
- 琉球熱 さん
コメントありがとうございます。
すっかいり放置してごめんなさい。
> 沖縄でも大東島まで行く人は少ないようで、このサイトでも旅行記は多くないですね
そうですね。私なんか沖縄本島だって那覇以外は足を踏み入れたことのないような状態にもかかわらず・・・ですからね。
> かくいう私も一度、しかも人のお金で(笑)行っただけです
まあ、うらやましい。金額的にもちょっと割高かもしれませんね。それにたどり着くまでに時間がかかる。
> なかなか行ける場所ではないので、ばっちり予習をして行きましたが、準備期間も滞在時間も私の方が充分だったのに、内容がほぼ同じという(涙)
> それだけ内容がギュッとつまった濃い旅行記でした。お見事です。
うーん。思いったったが吉日でしたが、ざーーとgoogle先生にお伺いを立てて、イロイロな方のブログなどは斜め見しては行きました。
ただ、滞在時間が24時間しかないのでね。気象台の観測用バルーンの打ち上げは、ホテルに貼ってあったので知ったくらい。
で、現場で一生懸命検索してどの方向から上がるのか。。だって、暗闇でなんにも見えてない状態でしたので・・というくらい泥縄です。
> 南はまだ辛うじて「観光」を意識した部分がありますが、北はまったく意識も想定もしていない感じです。拒否しないけど歓迎もしないよ・・・そんな印象です。
そうですが。北はちょっと食指が動かなかったのはそういう気配だったからかもしれませんね。
北まで訪問されたなんてすごいですね。
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> 琉球王国の影響をほとんど受けていない孤島に入植したのが八丈出身者たち。
> そこで自分たちの「国」を作っちゃったようなものですが、学校や病院なども整備した代わりに、独自の法律や通貨まで制定しちゃったというから驚きです。
> シュガートレインは、その栄華の名残り・・・というのは私のようなよそ者の勝手な憶測かな?(笑)
> あれが復活したら相当な観光資源になるんじゃないかと思いますが。
>
> お暇な時にでも私の大東旅行記もご笑覧ください。
>
> https://4travel.jp/travelogue/11458331#travelogue_groupArea
>
> ---------琉球熱--------
そうでね。ただ、近年は沖縄化が激しいのかな。当然ですけどね。物資も教育もはあちらからやってくるし。
やはり塩害が激しいので、シュガートレインの復活は難しそうですね。
台湾に残っていたシュガートレインは塩害の無い場所でしたから。
旅行記、じっくり読ませていただこうと思ってます。
ご訪問ありがとうございました。
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