2019/09/01 - 2019/09/01
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Tomさん
約2年半前(2019年8月20~9月6日)の旅行レポートです。
この旅行に関する最初のアップロード以来2度の中断を経て今回は最後まで辿り着けることができればと思っています。ということで、以前の投稿と同じく、情報が古かったり、写真の状態が良くなかったりします。
イングランド第2日目(9月1日)はバースから北へコッツウォルズを縦断してストラトフォードアポンエイヴォンへ向かいました。途中、サイレンセスター、バイブリー、ボートンオンザウォーター、ストウオンザウォルド、チッピングカムデンへ立ち寄り訪問証拠写真を撮影。その後ストラトフォードではシェークスピアの生家を訪問した後投宿という約130kmの行程でした。コッツウォルズは概して幅の狭い道路が多く、田舎の雰囲気を満喫(?)できました。道幅が狭いのは昔の馬車道がそのまま自走車のためにアスファルトで舗装されたからでしょう。蛇足ですが、北海道のように馬車道さえなかったところに道路が作られるなら道幅の広い道路が作られるのでしょうけど。
表紙の写真はコッツウォルズのベニスと呼ばれるボートンオンザウォーターです。町(正式には村らしい)の中心はウィンドラッシュ川の両岸に建物が集まっていて、土産物店等の周囲には多くの観光客が訪れていました。この写真では橋と川しか見えないですが、中心部の一角を撮ったものです。
コッツウォルズを堪能するには日帰りツアー等ではなく徒歩を含めた個人旅行が適していると言われているのですが、時間的余裕がない中、1日のレンタカー縦断としました。しかし、旅行の時期がピークを過ぎていたとはいえ、駐車場所を確保できなかったり、予定していた駐車場ではなく別なところを探さなければならなかったりで結構大変でした。次に行く時にはバースとストラトフォード以外の場所で2泊はしたいと思っています。
今回のコッツウォルズ縦断では事前の勉強不足もあり、帰国してからああすれば良かった、こうすれば良かったと思うことばかり。ただ周遊して景色を見ただけで、歴史的・文化的背景を深く味わうことができず消化不良の旅でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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本日(9月1日)のドライブ行程です。
A地点がサイレンセスター、Bがバイブリー、Cがボートンオンザウォーター、Dがストウオンザウォルド、Eがチッピングカムデン、Fがストラトフォードアポンエイヴォンです。 -
まずはバースからサイレンセスターへの行程です。
チペナム(Chippenham) もコッツウォルズの一部ですが、そこには寄らず、田舎道の風情を楽しもうとA432とA433号線を通りました。確かに両側には牧草地が連なる丘陵が続いていましたが、受け取り方によっては退屈な景色でした。 -
サイレンセスターに到着。車を留めた近くにあった地図。
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車を留めた場所。ちょうど駐車スペースが空いていたのでラッキー。
観光客がピークになる時間帯ではなかったので教会の近くのこの場所に駐車することができた。 -
駐車場近くのセント・ジョン(聖ヨハネ)教会。
写真撮影だけで内部には入らず。 -
次に向かったのはバイブリー。正面がスワン・ホテル。
コッツウォルズの紹介や絵葉書に使われるホテル。
この近くには14世紀の面影を残すアーリントン・ロー等の見どころがあるが、駐車場を探すのに一苦労。 -
スワン・ホテル前を右折した先でUターンして路側帯に駐車できる場所を探す。この画像の左後方路側帯に駐車可能なパーキングロットが約20台分あったが、空いている場所は見つからず。
中央右奥がスワン・ホテル。 -
結局駐車できる場所が見つからず、駐車を諦め次に向かうことに。
この画像はウィキペディアから拝借したもの。コルン川、黒鳥、そしてスワン・ホテル。 -
スワン・ホテルを右に見ながら、橋を渡らずにまっすぐ行くとすぐにセンターラインもないこんな道を進むことに。
次の目的地ボートンオンザウォーターへはカーナビがこの道を表示してくれた。後でグーグルマップで調べると次の目的地までに最短のルートらしい。 -
実は日本を発つ前は別なルートを作成していたが、それを表示せずカーナビの音声ガイドに従うことにしたため、こんな道を通るはめに。当初のルート通りに進むと最低限センターラインはあったはず。
黒い線が日本を発つ前に計画したルート。 -
田舎道をひたすら進んで行く途中は本当に田舎の風情が両側に満載で、思いがけなさに退屈加減もいくらか緩和された。途中でクラシックカーが集うイベントらしきものが開催されている場所も素通りした。予め分かっていれば時間を都合して覗いてみたのに・・・
バイブリーから約9km進むと、さすがにセンターラインのある道に出てきた。ここはA429号線上のどこか。 -
次の訪問地はコッツウォルズのベニスと呼ばれるボートンオンザウォーター。この写真はそこでの最初の訪問地、モデル・ヴィレッジの後に撮影したもの。この村の見どころは全て徒歩圏内にあることが分かる。次の機会には全て訪問したい。
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モデル・ヴィレッジの1角。
ボートンオンザウォーターの村全体をそのまま正確に1/9に縮小したというこの施設の入場料は£3.5。モデル ビレッジ テーマパーク・動物園・水族館・植物園
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村のどこなのか部外者には見当もつかないが、人間の大きさと比べると縮尺加減が分かる。
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教会のミニチュア。
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天気も良く、訪問者の数もそこそこ多かった。
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モデル・ヴィレッジを出て町の中心部へと向かう。
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この辺りから中心部になる。左側にはウィンドラッシュ川があり、川を挟んで建物が密集している。
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近くの橋を渡って対岸に行こうとするところ。
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橋の上から北側にある別な橋を撮影。この後、この写真の左側にある売店で昼食のサンウィッチと飲み物を購入。
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モデル・ヴィレッジ近くにあるこの橋を渡って駐車場へ戻る。
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次の訪問地ストウオンザウォルドに到着。
街の中心部の駐車場を発見。 -
駐車場付近にあるマーケット・クロス。
3本の主要道路が交わる地点にある中世からの石柱。 -
初期ゴシック様式の聖エドワード教会。入り口は南側にあった。
この協会は北側の入り口がイチイの老木に挟まれていて、それが観光客に人気だということだが、知識として頭の隅にあったものの、いざ行ってみるとすっかり忘れてしまって、内部の見物だけで終わってしまったのが、返す返すも残念。 -
東側奥にある主祭壇と信者席。
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西の窓に施されたステンドグラス。
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どこの場所にあったか失念。確か南側にあったような・・・
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主祭壇とその後ろのステンドクラス。
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教会から駐車場へ戻るところ。
この街はアンティークショップが多い。 -
街の中心部の駐車場の様子。
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次に向かうのはチッピングカムデン。
幸いセンターラインのある道を快適にドライブ。途中雨が降ったが、すぐに止んで、目的地に到着する頃には晴れ間がのぞいていた。 -
チッピングカムデンの中心部に到着。
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メイン・ストリートはこんな様子。時期が外れていたのか、観光客の姿は多くはなかった。
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中心部にあるマーケット・クロス。
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約400年前に造られたマーケット・ホール。
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ホールの中ではムートンが展示・販売されていた。
この日はマーケットが開かれる日ではなかったので、閑散としていた。 -
メイン・ストリートからマーケット・ホールを見る。
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聖ジェームズ教会。
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北側のステンドグラス。
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南側のステンドグラス。逆光のため壁が暗くなっている。
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身廊を覆う天井。奥には主祭壇とその後ろのステンドグラスが見える。
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身廊から主祭壇とその奥のステンドグラスを見る。
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主祭壇の後ろのステンドグラス。
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次の訪問地にある駐車場へ向かう。
ストラトフォードの中心部へ入ってきたところ。
前回、ストラットフォードを訪れた時のレポート: https://4travel.jp/travelogue/11043906 -
駐車場から徒歩で向かったのはヘンレイ通り (Henlery Street)。
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中央奥のチュダー様式の古い建物がこれから向かう場所。
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シェークスピアの生家。復元された1769年頃の様相が保存されている。
昔(約40年前)は写真左奥に見えるこの家の入口から内部に入ることができた。 -
現在は隣にあるシェークスピア・センターで入場手続きをして、その中の展示を見てから生家へ入っていくことになっている。
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シェークスピア・センターの入り口の看板。
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ファースト・フォリオ(作品全集の初版本)がこれ。
シェークスピア・センター内の展示は行くたびに別なものが展示されていて、数ある展示物の中からローテーションを組んで公開しているようだ。
今回はセンター内の展示をほぼ素通りして生家へと急いだ。 -
生家の入り口へ向かうところ。昔の入り口から角を曲がった奥が現在の入り口になっている。
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入り口を入るとすぐにパーラーと呼ばれる大きな部屋へ。
ヘンレイ通りに面した入り口(現在は通りから入れない)にも直結するこの部屋は家族の居間として、そして客をもてなす部屋として使われた。
ボランティア(と思われる女性)が17世紀初頭の衣装を着てこの部屋に関して上のように説明していた。彼女の顔つきは東洋人で、限りなく日本人らしかった。日系または留学生かもしれない。それにしても英語の発音は英国式そのものだった。 -
パーラーに置かれたベッド。
裕福さを示すために家で最も豪華なものを客人に見せたり使わせたりした。
シェークスピアの生家は訪れるたびに展示内容が変わっていて、このベッドもこれまでの訪問で最初に目にしたものの一つ。
シェークスピアに関する他の場所でも毎回展示物が少しずつ変わっている。 -
家族が食事をした場所(ホールと呼ばれる)。
シェークスピアは朝6時に学校へ行ったが11時頃に戻り家族と昼食を共にした。 -
ホールにある暖炉。
肉をローストする器具が見える。
チュダー朝時代は食事の内容が細かく法規で定められていた。 -
父親の作業場。
彼は革職人であり、町長も務めた人物。
訪れる時によってボランティアによるこの部屋についての説明を聞くことができる。 -
1769年に第1回シェークスピア・フェスティバルが開催され、彼の信奉者が数多く訪れるようになった。
これはシェークスピアが生まれた部屋にあったガラス窓。
訪問者の落書きが無数にある。 -
一人だけ落書きの紹介が。
左から2枠目、15枚のパネル右から1列目、上から3枚目。
ヘンリー・アービングの名前が。といってもこの写真では判別できない。
帰国後に調べてみるとヘンリー・アービング(1838-1905)はイギリスの有名な俳優だった(らしい)。 -
他にもいろいろな落書きが。
こういった展示は今回の訪問で初めて目にしたもの。 -
子供部屋の一部。
シェークスピアが2人の弟たちと共有した部屋。 -
シェークスピアが生まれた部屋。
中央は両親が使ったベッド。2人用としては狭い。
シェークスピアは5歳までこの部屋で過ごした。 -
シェークスピアが生まれた部屋を別角度から。
両親のベッド下から引き出して使う幼児用ベッドが見える。 -
この成果はシエークスピアの父の死(1601年)後、テナントとして貸し出され、宿として使用された。
上の図は17世紀初頭シェークスピアの父が所有していた頃の様子。下の図は1627年に宿として改修された頃の様子。
シェークスピアの遠縁の家族(ハート家)が17世紀末まで居住。 -
シェークスピア生家の外観変遷。
血族の最後の所有者は孫娘のエリザベス・バーナード。
子供のいない彼女の後の所有者は遠縁のトーマス・ハート。 -
裏庭に出る。
1769年に復元された宿としての外観。 -
駐車場を出て次に向かうのは・・・
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今日の宿 Crowne Plaza。結構大きなホテル。
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田舎のせいか1泊£85。もちろんイングリッシュ・ブレクファースト付き。
クラウン プラザ ストラットフォード アポン エイボン ホテル
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大きなベッド。
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バスタブあり。
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バスルームにあったアメニティー。
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洗面台の後ろにあるトイレ。
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ホテルを出て付近を散歩。
エイヴォン川のナロー・ボートとロイヤル・シェークスピア劇場。 -
エイヴォン川と中央遠くに見えるのがシェークスピア縁の教会(ホーリー・トリニティー教会)。
遅い時間だったのでボートには乗れず。 -
ロイヤル・シェークスピア劇場。
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劇場を背にして撮影。
露店は店じまいの最中。
9月1日の写真は以上で終了。
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